恋愛のある男女が一つ家に住むということほど当前のことはなく、  
  ふたりの間にさえ極められてあれば形式的な結婚などはどうでもかまうまいと思います。  
 
   平塚らいてう『平塚らいてう評論集』「独立するについて両親に」より  
 
 
  兄弟には美を致す。  
  【兄弟に対しては、できるだけ良い行いをすべきである。】  
 
   『春秋左氏伝』「文公十五年」より  
   
 
「わぁ…広いですね〜」  
我が家に足を踏み入れたミクの第一声だ。  
秋葉原から俺の自宅に帰って来たが、もう夜になっていた。  
車を車庫に入れた後、彼女を伴って自宅の鍵を開ける。  
きょろきょろと周りを見ているミクが不法侵入者探知機能に引っかからないように、俺が側にいなければならない。  
「気をつけろよ。まだ君のデータを入力していないから、不法侵入だと機械が判断したら当局に連絡が行ってしまう」  
「データ?当局?何ですかソレ??」  
「…うん、まぁそれは徐々に教えるか。とりあえず俺の側を離れるな」  
「はい!それなら喜んで♪」  
だからやたらめったら抱きつかないでくれ、俺の精神的均衡が危うい。  
俺は自宅の鍵を静脈識別センサーで開けて、ミクと家に入る。  
…まさか、こんな形でミクを自宅に呼ぶことになろうとは。  
 
俺の家は東京湾岸西部地域にあり、埋め立て地からさらに桟橋で結ばれた孤島に建てられている。  
1930年代上海の外灘地区(バンド)にあった旧英国領事館を参考にした、二階建ての邸宅。  
アール・デコに東洋の八角形「八卦」の意匠を数多く凝らした、上海摩登(モダン)建築だ。  
一人で住むには立派過ぎるが、これも世話になっている叔父から譲り受けたものだ。  
…人込みが嫌いな俺にはぴったりな立地条件で、感謝する他無い。  
 
「タツキさんって、お金持ちなんですね」  
「生活に困っていないだけさ。ほとんど部屋は空いているし」  
「…じゃあ、ミクが好きなお部屋を選んでもいいんですか?」  
「もちろん。必要なものがあれば取り寄せる」  
「あは♪やっぱりタツキさんってカッコイイなぁ、いろいろと」  
ミクは腕を絡めたまま、俺の肩にすりすりと自分の頬を寄せてくる。  
…カイト兄さんがこの状況を見たら発狂するかもしれない。兄さんの気持ちを少しは汲んでくれよ、ミク…。  
とりあえず俺の部屋に向かう。荷物を置いて、彼女を休ませよう。夕食も用意しなければならないかもな。  
 
     ×  ×  ×  
 
「…ここが、タツキさんのお部屋…」  
「…うん、まぁ、そうなるな」  
ぐるりと俺の部屋を見回すミクは、俺の本棚やベッドなどに目を遣った後、大きく目を開いて、ある物を指差した。  
「すごいすごい!この大きい時計、どこで手に入れたんですか?買ったんですか?」  
これだけ目立つものだ、注目するだろう。――それは俺の部屋の壁に取り付けられた、大時計だった。  
直径2.4メートルのクォーツ時計で、文字盤の数字は元々アラビア数字だったが、  
シノワズリ(中国趣味)で統一された部屋に合わせて、漢数字にした。  
「元々は、銀座にあった百貨店の時計塔に飾られていたらしい。  
戦争で焼け落ちて廃棄処分にされそうだったところを俺が買い取って、自力で直した」  
「自力で!?スゴイ、タツキさんって頭もいいんですね!」  
「…まぁ、悪くはないだろうけど。スイスにいる時計職人の知り合いに聞いて、いろいろ改造して…」  
「改造!!?スゴイスゴイ、どこをどうやって改造したんですか!?」  
「…あー、それはいろいろ話してると時間が掛かる。また今度ゆっくり話してやるから。  
…まず、落ち着いて…うん、椅子がいくつかあるから適当に座りなよ」  
俺自身はベッドに腰掛けつつ、ミクに椅子を指し示す。そいつはミラノから取り寄せたもので、前世紀後半のものだが座り心地はけっこういい。  
…と思ったら。彼女は椅子を一瞥しただけで、すぐ俺の隣に腰掛けた。笑顔で俺の手を握りつつ、何度か小さく飛び跳ねてベッドの感触を楽しんでいる。  
 
――ちょっと待て。美少女と部屋に二人きりで、ベッドの上で手を繋いで腰掛けているだと?  
 
…まずいぞまずいぞ、俺の動悸が、いや体温も上がり始めている。まともにミクの顔を見れなくなってきた…。  
…カイト兄さんがこの状況を見たら血涙を流すかもしれない。兄さんの気持ちを少しは慮ってくれよ、ミク…。  
うん、気にしない風を装わねば!まずは気さくに話題を振らねば!  
「ところでミク!」  
「はい?」  
俺はミクを見ないようにして叫ぶ。いきなり呼ばれた彼女は驚いていた。  
「君はお腹が空いたんじゃないかなぁ!?もう夕食の時間だ、何が食べたいかなぁ!?」  
「…うーん、ミクは特に…」  
「いやいや遠慮せずに!材料もあるし、大抵のメニューは作ってくれるぞ、俺じゃなくてクッキングマシンがだけどねアハハハハハ!」  
…自分でも声が上ずっているのが分かる。テンションもおかしい。  
この状況は、まるで今世紀初頭に「ラブコメ」と呼称されていたマンガみたいだ。  
「うーん…ミクは…結構です。ご飯より、タツキさんと…」  
「いやいや摂食は大事だぞ!ちなみに俺が好きなのはなんと言っても白米だね!  
パンと違って米による食感が脳に与える刺激を見ると明らかに下垂体にも変化が見られ、  
中でも現ロシア領旧宮城県北部地域で取れたササニシキと呼ばれる希少品種を人工サンマと一緒にハムッハフハフッ!!と食べると…」  
 
「…タツキさん…」  
 
変なテンションでまくしたてる俺と対照的に、ミクは小さく俺の名前を呟いた。  
消え入りそうな声に不安を感じて彼女に振り返る。俺の手を握ったまま、ミクは俯いていた。  
「…ど、どうかしたのか」  
 
「…ごめんなさい」  
 
「え…」  
ミクはうるうると目に涙を溜めていた。  
「…ごめんなさい、タツキさん。本当なら、カイト兄さんやメイコ姉さんの所にワタシはいるべきなのに。  
…記憶が無くて、家族同然の人たちの顔すら憶えていなくて。憶えているのは、ワタシとアナタの名前だけ。  
…ミクがこんなことになっていなければ、タツキさんに迷惑を掛けずに済んだかもしれないのに」  
「…」  
 
「でも、アナタの名前は、ミクの記憶にあったのは確かなんです。ワタシとアナタ、それが今のワタシにある全て。  
あの人たちには本当に申し訳ないと思っています。今のミクにはアナタしか分からないのが、本当に悔しい。  
『お兄ちゃん』や『お姉ちゃん』も大切な人たちなのは分かっています!  
…でも、今は、何も分からないから…『家族』にすら自信が持てなくて…だから、だから…」  
「…ミク」  
彼女の涙が溢れ、ぽろぽろとこぼれ出す。――そんなに思い詰めた顔をしないでくれ、こっちまでもらい泣きしそうになるじゃないか。  
 
「…私は本当に非力で、泣き虫で、足手まといかもしれないけど…見捨てないで下さいね。  
一人ぼっちはもう、嫌なんです。今も記憶が無くて、見るもの全てが未知のもので、何をどうしたらいいのか分からない。  
でも、龍樹の側なら、あなたの側なら安心なんです。龍樹の近くにいられるだけで、ミクは、ミクは…」  
 
彼女は俺の胸に顔を埋めて、泣いていた。  
 
…まったく、デリカシーが無い自分にうんざりする。  
この子は、自分の正体すら分かっていない。見える世界そのものが未知の状態で、軽口や冗談など通じるはずもない。  
彼女は今も煩悶の中にいるのだ。自分は誰か、なぜ記憶が無いのか、これからどうすべきなのか、どうなるのか――自問自答を繰り返している。  
そんな彼女にとって、自分以外に分かる存在は、世界で俺しかいない。俺がいなくなれば、彼女はまた一人ぼっち。  
それは恐ろしいことだ。先の見えない世界に一人ぼっち――。  
…そうだ、『海』で出会った時も、ミクは言っていた――『あなたが私を見つけてくれた』と。  
ああそうさ、俺は君を見つけた。偶然か必然か分からないが、とにかく見つけた。  
そして君はここにいる。俺の腕の中、手の届く所に。『現実』にいる君は『仮想』の存在なんかじゃない。  
 
――離すわけがないだろ、こうして出逢えたんだ。君を見捨てるなんて出来っこない。  
 
あぁ、また話が長くなっちまってるな。今はまず、君に謝ろう。  
要はミク、俺がダメなんだ。君を思いやれない、この俺が。  
「――済まない。軽口を叩いている場合じゃなかったのに、済まなかった」  
ミクを抱き締めつつ、俺は謝った。彼女の肩をそっと包むと、彼女はさらに顔を俺の胸に埋める。  
「俺が無神経だった。今は君の心理状況にもっと配慮すべきだな。  
――記憶が無くて不安な君に、俺があれこれと聞くのがそもそもおかしな話だった。  
本当に…俺は馬鹿だな。霊魂の研究をしているくせに、ミクの気持ちすら思いやれないとは」  
「…タツキさん…」  
俺の胸から顔を上げたミクは、まだ声も弱々しい。…今は励ますことだ。彼女に最大限の安心を与えたい。…そこで俺は閃いた。  
「――うん、そうだ。俺が君の希望を全部叶えよう。何でも聞く。君がしたいこと、君が知りたいこと、出来ることは何でも協力する」  
俺は彼女と額を合わせた。彼女はもう涙を止めたようだが、突然の俺の提案に少し戸惑っている。  
「…な、『何でも』って、そこまで…」  
「遠慮するな、俺が協力したいんだ。君の力になると、カイト兄さんやメイコ姉さんにも誓ったし。  
――君が思い通りに生きることが、今は何より大事だと思う。記憶が戻る手掛かりも、君がリラックスする方が見つけ易いだろう」  
「…はい。じゃあ、ミクも…タツキさんに迷惑が掛からないように、頑張ります」  
「ははっ、俺にはどんどん迷惑掛けてもいいんだぞ?っていうかミクの望みなら、迷惑なわけがない。喜んでやってやるよ」  
だから悲しむな――と俺は呟き、彼女の頬を拭った。  
「…ありがとうございます、タツキさん」  
 
彼女は俺の頬に、小さく口付けた。  
何気なくしたように見えるが、その実、大変意味深いものじゃないだろうか。  
それは感謝だけじゃなく、もっと他の、温かい感情を込めたキス…。  
そして、ほんのりと頬を朱に染めた彼女の笑顔は、真に俺を信頼している証だった。  
言葉はいらない。俺も笑い返すだけでいいんだ――それが最高の、心の交わり。  
 
「…うん。…落ち着いたか?」  
「――はい、ありがとうございます」  
「良かった。…あ、それとな。  
…自分が一人ぼっちだなんて、そんな悲しいことはもう言わないでくれ。  
君には俺がいる。そしてカイト兄さんやメイコ姉さんがいる。  
…君の記憶がもう少し鮮明であれば、二人のことを憶えていたかもしれない。  
でも、あの人たちは、ミクのことを一日たりとも忘れてなんかいなかった。  
君をずっと心配して、戻ってきてくれたことを本当に喜んでいたんだ。  
あの人たちもまた、ミクにとって大切な人なんだ。…それは忘れないで欲しい。  
だからさ――次に兄さんと姉さんに会いに行った時、他人のように思わないでやってくれないか?  
安心して、あの人たちにいろんなことを話してごらん。彼らは必ず君に応える。  
いっぱい頼っていいんだ、君たちは義兄妹なんだから…」  
「はい。…『お兄ちゃん』や『お姉ちゃん』も大事な…『家族』です」  
「うん、それでいい。――そう、『家族』なんだ――」  
 
俺には生まれた時から家族が無いから、そのありがたみも良く分からない。  
でも、それがミクにとって大事なものであることは分かる。  
――こういう時だからこそ。あの人たちの優しさを、どうか忘れてくれるなよ――  
 
「…えへへ…じゃあですね、さっそくワタシのお願い、聞いてくれますか?」  
すっかり元気になったミクは、目元に残った涙を払って俺に問う。  
「ああ、なんなりと」  
ミクは俺の手を取って胸の前に持つ。…やけに目がキラキラしている。  
「ミクと一緒にいて下さい!」  
「…うん?ああ、それは当然だけど…っていうか今だって」  
「違います、そういう意味じゃなくって!」  
咳払いをした彼女は改めて言った。堂々と。  
 
「これから毎日、ずっとミクと一緒に生活してください!  
お部屋も一緒で、食事も一緒で、お風呂も一緒で、寝る時も一緒がいいです!  
片時もミクの側を離れないで下さい、それだけでミクは満足です♪」  
 
…な。なんですと!!?  
「あるぇ〜?ミクのお願い、『何でも』聞いてくれるんじゃなかったんですかぁ?  
どうしてそんなに顔が青いんですかぁ?」  
「…あ、だ、だって、だって…」  
「『だって』じゃないです!ミクのお願いはこれだけですから、叶えて下さい♪」  
俺の顔を両手で掴んで彼女は言う。待て待て、それ以上顔を近付けると、マジで唇と唇が…。  
いやいや、彼女の言うことを全部聞いたら、唇どころじゃ済まんぞ?  
食事が一緒なのはいい。日中同じ部屋にいるのも、まぁ節度を守れば全然構わないだろう。  
…だが、風呂と寝る時はマズイ。俺は『男』だ、彼女は『女』だ。生物学的に異性となるわけで、身体的にも異なる特徴を持つ。  
その差異を意識するように脳は作られていて、心理的にもある種の『欲望』を喚起せざるを得ない。本能的にそれが定められている。  
心理的な圧迫が肉体のストレスになり、それを『発散』しようと本能が求め、それが精神的な箍を外す結果に…。  
「あれ、今度は顔が赤くなりましたね?っていうか何かブツブツ呟いてません?…イド?超自我?何ですかそれ、食べられるんですか?」  
「はっ…いやいや、違う違う!…あー、あのですね。  
…うん、半分だけ叶えます、うん。部屋と食事はいいけど、あとの二つは…」  
「ええーッ!!?なんでダメなんですかぁ!?さっき約束したじゃないですかぁ、『全部』お願い叶えて下さいよ!このぉ〜ッ!!」  
「うぐッ!!?ぐ…く、首を絞めるな、いい感じで絞め上げてるッ!  
…と、とにかく!お風呂はアレだ、君が入ってる間は隣の部屋にいるようにする!  
ね、寝る時は…俺がこの部屋にベッドを別に用意して、近くで寝る!これならいいだろッ!!?」  
「…むぅ〜。なんだか中途半端ですけど。…じゃあそれでいいです。あんまりアナタを困らせてもしょうがないですしぃ〜」  
彼女は不満げだが、なんとか了解してくれた。渋々といった表情なのは見れば分かる。  
…口を尖らせてそっぽを向くミクも、これはこれで可愛いか。  
しかし、なんという力だ。この華奢な身体のどこに、こんな馬鹿力が…。  
「あッ!!今ミクのこと『馬鹿力』って思ったでしょッ!!…酷いです…う、うぅ…」  
な、なんで分かったッ!!?メイコ姉さん並の地獄耳かッ!!?あぁ違う、墓穴掘ってどうする俺ッ!?  
おいおい、本格的に泣くな!さめざめと泣くな、そんなに良心を締め付ける泣き方をするなってッ!  
「とにかく泣くな、俺が悪かった!ちゃんとお願いも全部叶える!だからもう泣かないでくれよ頼むからッ!!」  
「…うっく…えぐ…じゃあ、お風呂も一緒に入ってくれますか…?」  
「ああ、入るッ!!一緒にいてやる、離れずに!」  
「…ひっく…なら…寝る時も…っく…隣で…?」  
「もちろんッ!!このベッドはマレーシアのホテルのスイートルームから取り寄せたものだから、二人で寝ても全然余裕!  
1920年代のアンティークものだが、寝心地は最高!存分に惰眠を貪ってくれ!」  
「…わーい!やっぱりタツキさんって頼りになりますね!ミク、嬉しいです♪」  
…抱きつくミクはすっかり上機嫌だが、勢いに任せてホイホイ返事してしまった俺は…笑うしかない。渇いた笑いで。  
「あは…あははは…。四六時中、ミクと一緒ってことか…」  
「そうですよ〜?ミク、タツキさんと離れたくないですから♪…あ」  
彼女は急に身体を離すと、自分の服を掴んで匂いをかぎ出した。小動物っぽい動きだ。  
 
…だが、これは…嫌な予感。いや、正確には嫌じゃ…ないけど…。  
 
「ん〜、なんかちょっとだけ汗かいたかも。ネクタイもちょこっとホコリついてるし。…じゃあ…」  
 
分かってる、分かってるから、この展開――満面の笑みで、彼女は言った。  
 
「さっそく、お風呂入りましょうか♪…二人で、一緒に、ね?」  
 
――俺のリビドーよ。堪えてくれ、耐えてくれ――これからの時間を。  
…カイト兄さんがこの状況を見たら血を吐くかもしれない。兄さん、本当に…ごめんなさい。  
 
     ×  ×  ×  
 
 
  若く盛んなる人は、殊(こと)に男女(なんにょ)の情慾、  
  かたく慎んで、過ち少なかるべし。  
  【若くて元気な人は、特に性交をしたいという情欲を固く抑えて、間違いの無いようにすべきである】  
 
   貝原益軒『養生訓』「慎色慾」より  
 
 
無国籍な俺の邸宅だが、ここはとりわけ日本的な場所と言える。  
オスマン帝国のハンマーム風でもなければローマ帝国の公衆浴場的な装飾も無い。  
広々とした日本式総檜風呂で、浴槽や柱は全て木曾山中から取り寄せた。  
檜の香りは脳波にも好影響が有る。研究に疲れた時は、ここでゆったり音楽を聴いて休むのが一番いい。  
また、その風呂とは別に『露天風呂』というものがある。天気のいい日は外の空気を吸いながら風呂を楽しめる。  
――これらの風呂を設計してくれた知り合いの日本人デザイナーには、本当に感謝している。  
「…まぁ、広さはそんなに大きくはないけどね」  
「『そんなに』っていうレベルじゃないですよ!めちゃくちゃ大きいじゃないですか!ミクが泳げちゃうくらいですよ、ほら!」  
…そう言って彼女はばしゃばしゃと浴槽で泳ぐ。――しぶきが大きい割にあまり進んでいないが。  
 
ミクと俺は今、露天風呂にいる。彼女の望み通り一緒に入っているわけだが、それは結果的に正解だったかもしれない。  
記憶が無い彼女が一人でこの家の中を自由に歩くには、まだまだ教えるべきことがある。  
『風呂に入る時はまず身体を洗いなさい』とか、『浴槽ではあまり泳がないように』とか――  
「わぁ、本当に綺麗…!タツキさんもこっち来て一緒に見ましょうよ!」  
――そうやって前を隠さずに俺の前に立ったりしないこと、とかね。君は女の子だろ?…もう少し恥じらいを持ってほしい。  
 
――だが改めて彼女を見ると、その細くて白い肉体は均整が取れていて美しい。  
少し小振りだがしっかり形が分かる乳房を持ち、腰のくびれは美しい曲線を描いて――手の先足の爪に至るまで何一つ無駄が無い。  
少女から大人へ変わる前で止まっているような身体は、それ自体が芸術だ。  
…邪な気持ちで彼女の肉体を眺めているわけじゃない。美だ、俺は彼女の裸体に美を見出しているんだ…。  
「ほら、こっちこっち!…って、さっきから何でお股を隠しているんですか?前屈みで歩きにくそうだし」  
 
だが、肉体的本能は制御出来ないから困る。  
「あんまり気にするな。…ただ、君の胸と股間くらいは隠してくれないか?  
なんというか、もっと恥じらい、羞恥心というものを持ってもらわないと…お互いに良くない。いろいろと」  
「えーっ、ミクは全然恥ずかしくないですよ?タツキさんは恥ずかしいんですかぁ?」  
「…こういう状況では恥ずかしがるのが、両性の当然の反応なんだよ、ミク。  
いずれ詳しく話すけど、互いの裸身を晒し合っていいのは、両性が本当の意味で結びつき合えている時だけだ。  
つまり、二人の信頼が確固たるものであれば許される。互いの肉体を眺めるなり触れるなりといった行動は各人の同意の上で――」  
「じゃあタツキさんとミクは、信頼し合っているからOKですね♪  
ミクはタツキさんにだったら身体を見られても構わないし、触ってもらっても構いませんよ、ほら!」  
話が終わらないうちに彼女は抱きついてきた。勢い良く胸に飛び込んできたせいで、湯船の水が溢れ出す。  
「ま、待てッ!そういう意味じゃなくて、っていうかマズイ!本当にマズイんだ、精神的な意味でッ!!」  
「もう、さっきからうるさいですね〜?ミクがOKなんだから、タツキさんもOKでしょ?…あっコラ、逃げないで下さい!…くぉのッ!!」  
彼女が俺の背中に両手を回して、自分の胸に引き寄せるように力を込める。  
これは痛い、俺の背骨が痛い!昔これと同じ技を日本の国技『SUMOU』の映像で見たことがある、たしか――『SABAORI』という技だ!  
「ぐおぉぉっ、痛い、痛いってッ!!…緩めてくれ、逃げないから力を抜いてくれッ!!」  
「フフン、ミクの力が分かりましたか?…タツキさんはお腹の筋肉割れてて鍛えてるみたいだけど、これじゃミクの敵じゃないですね〜♪  
…ん?何か、ミクのお腹に当たってません?」  
 
確かに密着しているさ。…俺の性器が、猛々しく反り返っている。  
 
ミクの肉体を見るだけで反応するモノだ、いきなり抱きつかれれば最大の反応を示すに決まっている。  
彼女と俺は湯船に身体を横たえながら密着している。俺が押し倒されているような姿勢だが、彼女は少し身体をずらして、俺の性器に触った。  
「…何ですかコレ?お風呂に入ってから、ずっとこうなんですか?」  
お湯の中で彼女はペタペタと右手で握ったり、先っちょをツンツンと小突いたりしている。  
「…うっ…」  
俺はその刺激に思わず呻き、股間のモノもまたビクンと脈動する。  
「わっ!なんか動いてますよ?…っていうかタツキさんが動かした?…へーぇ、なんか面白そう…」  
「お、『面白い』って…っく…う」  
「あれあれ、タツキさん苦しいんですかぁ?…息が荒く…」  
「く、苦しいっていうか…堪らないという、か」  
「…うーん、よく分からないですねー。それにしても、コレって男の人だけについてるんですか?…ミクにはついてないし…」  
手当りしだいにいろんな触り方を試す彼女だが、しばらくそうしてる内に、だんだん彼女の息も荒くなり始めていた。  
 
「…お、おい。ミク…」  
「…ん…。タツキ、さん…」  
 
風呂でのぼせているだけじゃない――彼女は確かに、『欲情』していた。  
 
「…なんだか、タツキさんのコレを触っていると…ミクの『ココ』も…」  
彼女は俺の手を取ると、自分の股間に触れさせる。  
「ふぁ…」  
俺からはよく見えないが、確かに今、俺の指は彼女のモノを――女性器を触っている。  
彼女は俺の手を使って、さらに自分の性器を刺激する。  
「…んぅ…はぁ…。…ね?ミクのココ…タツキさんとは違うけど、ヘンな感じでしょ?  
…なんか、触られるたびに、中から…熱くなるっていうか…だんだん、気持ちが良くなるっていうか…」  
当然だろう、そこは生物にとって無くてはならない部位であり――最も本能で動くところだ。  
 
…だから困るんだ、俺は。こういう男女のまぐわいというのは、理性では片づけられない。元来理性を重んじる俺が、本能に流されては――  
 
「あぁ…ん、う…。ねぇ、もしかして…タツキさんも、気持ちいいんですか…?  
――あは、やっぱりそうなんですね?…顔で分かりますよぉ…?」  
 
――駄目だ。駄目なんだよ、ミク。君は黙ってても完璧な美少女なのに、そんな艶っぽい顔されたら、否が応でも――  
 
「…イイですよねぇ、これ…?ミクも、タツキさんも…あんっ♪気持ち良くなれて…。  
…ふあぁ…んん…ッ!こ、これからは…あんッ…ミ、ミクと毎日ずっと一緒に、お風呂入って…あッ!  
…こうやって…楽しみましょう、ね?…あはぁ♪…もっとぉ、ん、そこが…いいです♪」  
 
――本能に負けそうだ。いや、負けたも同然か。  
 
ミクはもう俺の手を離しているのに、俺の手は彼女の性器を湯船の中で触っている。  
それどころか、指を何本か使って彼女の割れているところを上下に擦ったり、指先第一関節くらいまでを彼女の中に入れたりしている。  
俺の指が動く度に彼女の声が甲高く鳴り、ますます身体を密着してくる。  
熱い吐息が耳に掛かり、俺もまたその熱に浮かされるように指を操る。  
「あんッ!…んんん…うあぁッ!…は…激しいですよ、タツキさ…あぁん!  
…で、でも…。き、気持ちいいです…!ふあぁッ!  
…あ、あは…ミクも、タツキさんを気持ち良くしないと…。負けません、よ…えいッ!」  
「ぎゃあッ!…こ、擦り過ぎ!それは痛いってッ!!」  
「あ、ご、ごめんなさい!…じゃあ、こうして…ゆっくりは…どうです…?」  
「…うっ…うん。それなら…」  
「気持ちいいんですね?えへへ、良かったぁ…。  
…あ、先っぽからなんか出てます?お湯とは違う感じの…ちょっと粘り気あるようなのが…」  
「…それは…男性器が刺激されると分泌される液で…」  
「細かい説明はいいですよ?…要は、気持ち良くなると出てくるんじゃないですか?コレ…」  
「…勘がいいな。何故分かったんだ?」  
「ふふ。だって…ミクのも今…お股から出てるって分かりますから。  
…タツキさんにいじってもらうたびに…ミクの中から、出てますよね…?男の人と、同じものなんですか…?」  
「…同じではないが、お互いに性器を刺激されて分泌されるものに変わりはない。  
ただ、その目的においては異なる。男性のカウパー液は精液とは違って…」  
「…もう、いちいち説明しなくてもいいですってばぁ…!  
…ミクもタツキさんも、こうやってしごいたり擦り合うと、気持ちいいお汁が出てるってことでOKじゃないですかぁ…?  
…あん、いいです、そこぉ…♪もっと…中の方とか、上の方のジンジンしてる方がいいです…」  
今のミクには、合理的説明などいらないのだろう。蕩け切った表情で、半開きの口と唾液がたっぷりの唇で、俺を見つめている。  
 
――陶酔しているのは俺も同じなのかもしれない。彼女に触れ、触れられる度、脳よりも先に身体が動いている気がする。  
本能が理性に勝つとは、こういう状態なのか。しかし、かろうじて俺は理性を保っている。  
…目の前にあるミクの唇に、しゃぶりつきたい。  
だが、それは駄目なんだ。――断じて、してはいけない。  
 
俺は、ミクを守るためにいる。守るべき存在を、俺の欲望で貪るようなことをしてはいけない。  
淫蕩に乱れるミクなんて――俺の理想のミクであってほしくはない――  
 
『――じゃあ、「現に」あなたの目の前で乱れ、かつ乱されているのは誰なんでしょうね?…ふふ…』  
 
「…なッ!!…だ、誰だっ!!?」  
 
俺の思考に一瞬、ノイズのように入り込んだ意識があった。  
正確には、『仮想の海』を媒介に俺の神経細胞に侵入した者がいる。  
思考が乱されるということは、俺以外の何者かが神経を勝手に『借りて』、俺自身が問いかけたように振舞ったということだ。  
ただし、俺自身の情報ではないことは分かる。侵入者は俺とは『違う』ことを神経が覚えている。  
…しかし、俺の脳内に簡単に侵入してくるとは。『海』を自在に泳げる俺だからこそ、その『水際防御』は抜かりないと思っていたのに。  
「…え?え?…どうかしたんですか?」  
ミクが驚いて俺に声を掛ける。そのおかげで我に返ったが、違和感を覚える。  
「…ミク。君は今…俺の中に入ったりしなかったよな?」  
「え?…『入る』って何ですか?」  
「…いや、何でも無い」  
今の彼女は記憶を無くしているんだった。ということは、『海』の知識も失われているだろう。  
そんな彼女に、俺の神経へ介入するなんて芸当は無理だ。――冷静になれば分かることなのに、こんなことをしているから…。  
 
「…ふふっ、変なタツキさん。…あっ、でも…んんっ、ミクも今は『ヘン』だから…おあいこですよね?…あはぁっ、いい…もっと…いじってぇ…!」  
 
――いよいよ俺にも余裕が無い。そろそろ生理的現象の限界を感じる。  
その徴候を悟られまいとするかのように、ミクを激しく責め立てる。  
「あぁッ!…んん、いいです、そこぉ…!ジンジンする所、もっと擦って下さ…ふあぁッ!!」  
「…くッ…ミ、ミクも…そんなに激しく、擦ると…もう…」  
「あは…♪だってぇ…こうやって指で輪っかを作ってタツキさんのをしごくと…すごくいい顔になるんだもん…!  
ふふ…タツキさんの、悶えてる眼…カワイイ…」  
 
――妖しく微笑む彼女は、まるで『夢』で見た時のように淫らだ。  
「…タツキさん…。…ミクの…ミクの…タツキ、さん…。…ミクだけの…」  
 
俺の額から頬、顎まで指でなぞる彼女には、今にも俺の唇を奪いそうなほどの淫蕩な瞳があった。  
 
――清純なミクはどこに?ああ、それすらも霞むほど――今の俺たちは快楽に身を委ねてしまっている。  
 
「ああぁッ!!…だ、駄目ぇ…!なんだか、ミクの中からぁ…!なんか、何か来るのぉ!…はうぅッ!!」  
「…いいぞ、我慢しないで…!もう、俺も…俺も…んう…!」  
「あはは…!タツキさんも、なんか来るんですね…ッ!…じゃあ、じゃあこのまま…一緒に…あ、あはぁあ!」  
「ぐ、うぅ…ッ!!…俺も…イク!…イクぞ…ッ!!」  
「はいッ!…ミクも、ミクもぉ…ふあぁッ!!イっちゃう、イっちゃうッ!!ああああぁぁぁッ!!!」  
「ミク…ミクッ!!!…う、っくあああああぁぁッ!!」  
 
――ミクの中が急激に締まり、俺の指が挟み込まれ、彼女の身体が弓なりに張った。  
同時に俺も、ミクの手によって絶頂を迎え、大量の精液を湯船の中で吐き出してしまった。  
白く濁るそれは湯船の表面に浮かびながら、しっかりと放出の軌跡を描いている。  
…ミクはというと、絶頂の快感に身を震わせた後、ぐったりと俺に寄りかかってきた。  
息は絶え絶えだが、目は半開きで、言葉すら出せないほど消耗していた。  
しかしそんな状態でも彼女は俺のを離してくれなかった。ゆっくりとだが手でしごき立てられて、内部に残った分も全て出される。  
俺も彼女を受け止めつつ、小さく呻いて最後の放出を終える。  
 
――ようやく俺たちの絶頂は終わった。二人で抱き合いながら、徒労感と解放感に  
包まれ、息を整える。  
俺とミクは茫然と、見つめ合っていた。  
 
「…ミク…」  
「…タツキ…さん…」  
 
――言葉を、何か言葉を。俺の理性はそれを要求しているが、何も言葉が出て来ない。  
今は言葉なんかいらないんだと、本能が理性を黙らせて――俺とミクは同時に微笑んだ。  
 
「…ははっ」  
「…あは」  
 
そのまま小さくクスクスと笑い合い、やがて大きく息を吐いて俺が声を掛けた。  
「…ミク。…気持ち、良かったか…?」  
「…はい。とっても…。タツキさんは…?」  
「俺もだ…。…はは、は…!…どうしよう」  
「え?…『どうしよう』って?…何かあるんですか?」  
「…だってさ。いきなりお風呂で、ミクとこんなことしてしまったらさ…。  
…明日から、また一緒に入って…その…」  
「…ふふ。さっきミクが言ったじゃないですかぁ…?『毎日こうやって楽しみましょう』って…。  
…だから、また明日もですよ?…また…気持ちいいこと…」  
 
彼女は萎えた俺の性器を指で弄びつつ、俺の耳元で囁く。  
――事ここに至っては、断れまい。  
 
「…ああ、そうだな。…じゃあ、明日も…」  
「あんっ…急に触らないで下さいってば…あぁん♪…明日も、明後日も、その先も…ですよ?…ふふ」  
 
理性だけで生きられないことを、俺はこの時悟った。  
俺の中にある欲情を肯定しよう。ミクも幸せになってくれるなら――それは許されることなのだろう。  
この気怠さも――悪くない。  
 
     ×  ×  ×  
 
「綺麗ですね〜…」  
「…そうだな」  
東京湾に浮かぶこの邸宅から見える東京の夜景は、何時見ても本当に美しい。  
俺はこの眺望が好きだから、この邸宅にいて幸せだと思っている。  
香港や上海、あるいはドバイで観た夜景とは違う美しさが有る。  
「あの辺りが、今日ミクたちがいた…えっと、秋葉原ってところですか?」  
「もっと東――分かりにくいか、右にちょっとずらしたところだ」  
「んん〜?分かりにくいかも。…ねぇ、ミクの手を取って教えて下さいよ」  
俺は言われた通りに手を取り、彼女に東京の主な建築物や地名を教えた。  
今は俺が彼女を後ろから抱きしめる形で、露天風呂からの景色を堪能している。  
…そろそろ風呂から上がろうかとしたところで、彼女がどうしてもこう抱いて欲しいとせがんだ形だ。  
――あんなことをした後だが、もう気恥ずかしい格好をさせないでくれと少しだけ思った。  
「…で、あれが建設中の新都庁で、その手前が…ん?なんでそんなにニヤニヤしてるんだ?」  
「えへへ…だって〜、タツキさんが動く度、お腹の筋肉に力込めたなっていうのがミクの背中で分かるんですもん。痩せマッチョ萌えです♪」  
「痩せマッチョ萌えって…それって特殊な趣味だぞ。っていうか『何々萌え』って今世紀初頭の用法じゃないか。  
第一、俺が身体を鍛えているのは健康維持のためで…」  
「それでもいいんですよ。…タツキさんって、美形で頭も良くて、お金持ちで、痩せて見えるのに意外と逞しいじゃないですか。  
そういうギャップがカッコイイと思うんだけどなぁ〜ミクは♪」  
そう言ってつんつんと俺の腹を指で小突いてくる。ちょっとくすぐったいが、我慢して腹に力を込める。  
「あは♪うーん、やっぱイイなぁ。…ね、タツキさん」  
「…どうした?急に真面目な顔で…?」  
 
「――私のこと、大事にしてくれますか?」  
 
――また、あの違和感。彼女が少しだけ、変わったような。  
 
「――当然だ。カイト兄さんやメイコ姉さんにも約束したんだから…」  
そう答えたら、彼女は少し俯いた。  
「…うーん。そういう意味じゃないんだけどなぁ…はぁ…」  
「え?…溜め息ついてなかったか、今」  
「…ううん、何でも無いです。ただ、もうちょっと、その…」  
「もうちょっと?」  
「…やっぱりいいです。…うん。そうですよ。…きっと、気付いてくれる」  
独り言は上手く聞き取れなかった。  
そしてミクは俺の手に自分の手を絡めた。  
 
「…そう。…きっと思い出す。…思い出せるんです。…ミクの、記憶」  
 
彼女は夜景ではなく、天空に目を向けた。  
大きい月が出ていた。――何一つ欠けていない、光輝く、満月だった。  
 
     ×  ×  ×  
 

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