×   ×   ×  
 
 
  彼は海というものを、深い理由から愛している。  
  現象のもつおごりたかぶった多様性を避けて、単純な巨大なものの胸に身をひそませようとするのだ。  
  未組織のものへ、無際限なものへ、虚無へ向かっての嗜好――  
  彼の使命とは正反対の、しかもそれ故にこそ誘惑的な、禁制の嗜好から愛するのである。  
 
   トオマス・マン作/実吉捷郎訳『ヴェニスに死す』「第三章」より  
 
 
     ×   ×   ×  
 
 
「そんなわけでノンケのミクはホイホイとタツキさんの研究室に連れ込まれちゃったのだ」  
「連れ込まれたとか言うな。あとノンケなんて女の子が使う言葉じゃない。……さて、と」  
俺はミクと一緒に、大学にある俺の研究室にやって来た。俺の研究室は、本館と連結した理学部壱号棟の24階にある。  
紫禁城を摩天楼にアレンジしたらこうなるだろうと思わせる東洋趣味的スターリン様式の高層建築――  
その尖塔部分に最も近くの最高階に俺の研究室がある。  
他の教授たちとは少し離れた場所にあるのは、これも特別扱いの俺に対する大学の配慮だろう。静かで、廊下にも人気はほとんどない。  
「隔離されてるだけじゃないでしょうね〜? タツキさんって実はマッドサイエンティスト?」  
「ミクのきっついジト目、マジ最高! ……じゃねぇ。なんだその警戒感をあらわにしたような目は」  
「夜な夜な『生体実験』と称しては無垢な美少女をその毒牙で貪る、変態という名の博士だったりしませんよね?  
もしくは被験者を木人形(デク)呼ばわりして、『俺は天才だぁ〜!』と叫びながら怪しげな秘孔の研究を……」  
「どっちも違う。俺の研究は怪しげじゃない。いかがわしいことなどするわけがない。  
――今日ここにミクを案内したのは、『アレ』を使うためだ」  
俺は研究室の中央にある、大事な機械を指差す。  
「〈仮想の海〉に接続する感覚を複数人が共有するために、俺が開発した機械だ。その機械を中継して〈仮想の海〉へ複数人が同時接続出来る」  
それは俺たちの背丈以上の高さがある黒いケースに包まれた長方形の機械だ。  
俺はこれを〈モノリス〉と呼んでいる。  
 
あの不朽の映画『2001年宇宙の旅』に登場した、人類が高次元の段階に進む時に現れる謎の物体――その名前を借りたのだ。  
これはちょっとした自慢だが、この〈モノリス〉を俺が開発出来たことが今の俺の世界的評価に繋がっている。  
こいつを商売に使う気は今のところ無いが、将来必ずや人類のために活用されるべきものになるだろうと俺は確信している。  
「へぇー、このでっかい板チョコみたいな機械で、そんなこと出来るんですかぁ…」  
ミクはペタペタと〈モノリス〉を触りまくっている。あっ、舌出して舐めるんじゃないッ! 本当に板チョコなわけないだろうが!  
……しかし、俺の会心の発明品を『でっかい板チョコ』呼ばわりするとは……ちょっとだけ寂しい。  
俺はコホンと咳払いをしてから、ミクを〈モノリス〉から引き離す。  
「ほら、そこまでだ」  
「な、なにをするだァーッ!!! HA☆NA☆SE! ミクは遊びでやってんじゃないんだよーッ!!!」  
「いろんなキャラが混ざり過ぎで分かりにくいな……それはまぁいい。  
ここからが本題だ。コイツを使って――」  
「使って? 何するんですかぁ?」  
俺は彼女を見据えながら言った。  
 
「ミクの中にいる〈彼女〉に、逢いに行く」  
 
……ミクはきょとんとした顔だ。分かっていないのか? いや――違う。  
「……おい。なんだよその……憐れむような目は」  
「タツキさん、酸素欠乏症にかかって……かわいそかわいそなのです」  
「俺は本気だ、ふざけているわけじゃない。だからミクとは違うミクがいて、その〈彼女〉は君の中にいるはずだから……」  
「……ミクの中には誰もいませんよ……?」  
「なぜそこだけ濁った瞳で言うんだ? 恐いっつーの」  
まったく、いくら記憶を失っているとしても肝心な時にふざけたりされるのは困るな。  
「ミクの記憶を取り戻すためなんだぞ、これは」  
多少の戒めを含めて言うと、ミクはさすがにおどけた態度を改める。  
「うーん。意味合いとしては分かるんですけど……う〜ん……」  
「どうしたんだ? ……もしかして、あまり気が乗らないか」  
「はい。……面白くありませんよ、きっと」  
「何故だ? あれか、〈仮想の海〉という場所に先入観があるのか? 別にあそこは危険な場所じゃない。  
それどころか、ミクだってきっと気に入る場所だと思う。俺はあの場所が大好きで、〈彼女〉とも――」  
「そんな辛気くさい話より、ミクはもっとタツキさんといろんな所で遊びたいです♪」  
ぴょんと飛び跳ねて、ミクは俺の腕に絡み付いてくる。  
「そうだ、今日はこれから秋葉原に行くんですよね? じゃあカイト兄さんやメイコ姉さんたちと買い物がしたいなぁ。  
ミクの新しい服をタツキさんに選んでもらうのはどうですか? あはは、でも私たちがあんまりラブラブだとカイト兄さんがまた拗ねるかも♪」  
俺の肩に頬を寄せる彼女は、本当に楽しみにしているといった笑顔をしている。  
……だが、どうも俺には『わざとらしさ』を感じてしまう。  
俺は言葉を慎重に選ぼうかとも思ったが、ここはストレートに言っておこう。  
「駄目だ」  
俺にしては珍しく、はっきりと拒否した。当然、ミクも驚いた顔で動きを止める。  
「えぇっ? どうしてですか? タツキさん、もしかしてミクのせいで……機嫌悪くなっちゃいました?」  
「そういうことじゃない。だが、これはどうしても大事なことなんだ。だから付き合ってもらう。  
ミクも退屈はしない。〈仮想の海〉でなら、必ずや記憶に関して進展がある。俺はその確信があるからこそ言ってるんだ」  
だが、俺の説教を聞いているうちに、さっきまで晴れ晴れとしていたミクの顔はだんだん曇り空になっていく。  
――そのしょんぼりした表情に、俺は『しまった……』と内心後悔した。  
 
記憶に関してナイーブになっている彼女に、覚悟をつきつけるような言い方はマズかったのか。  
「すまない、少し強く言い過ぎた。要はな、ミクの記憶を早く探してやりたくて気が逸っていて……。  
でも、ミクがどうしてもイヤなら強制しない。何より、君の気持ちが一番大事なんだから……」  
そこで彼女は俺の顔をずいっと覗き込んできた。――不敵な微笑を浮かべながら。  
「ど、どうした、急に? ……その、言い過ぎだったなら、謝るから……」  
「……ぷ。くくく……そうじゃないですよ。タツキさんは素直じゃないなぁって思って」  
吹き出しそうになりながら、ミクは俺をじっと見つめている。からかうような目付きだ。何か、おかしいことを言ったか?  
「要するに、ミクの記憶を見つけたいのは建前なんですよね?……タツキさんの本音は……」  
は? 本音? 建前? どういう意味で――。  
 
「……ミクと、交わりたいんですね? ……これからミクの脳内に入るということは……。  
言い換えればミクの中に、タツキさんが入ってくることと同じです。それなら、はっきり言えば良いのに。  
『ミクの中に入りたい、むしろ自分から入れたい』って」  
 
「――ッ!!!!」  
俺は慌てて後ずさる。  
顔が真っ赤になっているのが自分でも分かる。…不覚にも、俺はミクの言葉によって一瞬だけ『ある想像』をしてしまった。  
 
――ミクが俺の下で喘ぎつつ、身体をくねらせているイメージが広がって――  
 
危ない危ない、もしもミクが俺の脳内に少しでも干渉していたら、そんな妄想を見抜かれるところだった……!  
「あはは♪ どーしてそんなに恥ずかしがるんですかぁ? ……ミクは、『精神的な意味で』って言おうとしたのに」  
「……え」  
「人の話は最後まで聞かなきゃ駄目ですよ〜? ふっふっふ……でもタツキさん、どうしてそこまで慌てるんでしょうね?   
……『ミクと交わる』とか、『ミクの中に入ってくる』とか、それをどう解釈してるんですかぁ?   
むふふふふふ……教えて欲しいなぁ、『スケベな』タツキさん?」  
――くっ。こいつはミクに一杯食わされたのか。傷付いたフリして、俺を逆にからかいやがるとは、油断出来ない。  
卑猥な想像をしてしまったのは、完全に俺の妄想でしかない。ミクと『精神的な意味で』交流するということなら、何の問題もない。  
〈モノリス〉はもちろん、他人と〈仮想の海〉で出逢うということは、精神的な交わりということだ。それは倫理上問題は……無い、はずだ。  
くそ、何を俺は焦っているんだ。ミクにペースを握られていては駄目なんだ。  
「ス、スケベなんかじゃない。とにかくだ! こいつを使って、ミクの記憶を探す! とっとと始めるからな!」  
俺はミクのニヤニヤした顔を見ないように、ヨハン・シュトラウス2世の『美しく青きドナウ』の主旋律を歌いつつ〈モノリス〉を起動させる。  
 
「ほら、ミクはここに座って」  
「はぁい♪ ……くっくっく、なにをそんなに慌てているのかな、かな? タツキさん? ふっふっふ」  
ミクめ、まだニヤニヤしていやがる。俺はそれを気にしないようにしながら彼女の手を取って、白い椅子に座らせた。  
「それで、ちょっとミクのコレとかコレ……見せてもらうぞ。  
――うぉ、これって…旧日本製か。凄いな……これは良いモノだ」  
俺は彼女のヘッドフォンや袖口の先端的電子接続端子を〈モノリス〉とワイヤレス接続させながら感心していた。  
ミクの持っているやつは、はっきりいって今では超レアで高級品だ。旧日本製の性能は現代でも最先端レベルで、ほとんどの機械と相性がいい。  
「知らないんですか、ドク(博士)・タツキ? 良いモノはみんな日本製」  
「『BTTF』のマーティー・マクフライかよ」  
「誰にも腰抜け(チキン)なんて言わせない……ッ!」  
「コンコン、もしもぉ〜し? 頭の中はお留守ですかァ〜? って悪ふざけしてる場合じゃない。  
まぁ、これなら上手くいきそうだ……よし。じゃあ、始めるぞ」  
「はい。……ミクを、タツキさんの好きにしちゃっていいですよ。ふふっ」  
――またそういう思わせぶりな言葉はやめてくれ。これから本当に接続開始なんだから。  
俺はもう一度研究室の戸締まりを確認して、〈モノリス〉と繋げた俺自身の最後の脳波調整を済ませ、ミクの隣の椅子に腰掛ける。  
「ミク、目をつぶっておけ。……怖くは無い。リラックスしたまま、十秒間数えるんだ。  
――俺が『もういいぞ』と声を掛けたら、ゆっくり目を開け」  
「……はい」  
ミクが目を閉じたところで、俺も目を閉じた――その時、不意に誰かが俺に囁いてきた。  
 
《この一時間にあなたの五官は、単調な一年間に味わう何倍かを味わえますよ。》  
《これからやさしい霊たちが歌ってお聞かせしたり、美しい景色をお見せしたりするのは、けっしてはかないまぼろしなんかじゃない。》  
《鼻にもいい匂いがしましょう。舌にもとろりと来、肌さえ恋人といっしょにいるようにうっとりする。》  
《べつに仕度などいりません、さあ、始めましょうか――》  
 
それは、ファウスト博士の目の前で現実世界と仮想世界を入れ替え、彼を恍惚の夢で眠らせた、メフィストーフェレスの呪文だった。  
 
 
 
     ×   ×   ×  
 
 
  ファウスト: 戸をたたいているな。おはいり。また誰かおれを悩ましに来たのか。  
 
  メフィストフェレス: わたしです。  
 
  ファウスト: おはいり。  
 
  メフィストフェレス: 三度言ってくださいまし。  
 
  ファウスト: では、おはいり。  
 
  メフィストフェレス: ありがとう。どうやらわれわれは仲よく提携していけそうですな。  
 
   ゲーテ作/手塚富雄訳 『ファウスト』「悲劇第一部 書斎」より  
 
 
     ×   ×   ×  
 
 
「……ミク……おい、ミク。もういいぞ」  
彼女は俺と手を繋ぎながら、〈仮想の海〉にいた。  
「……うん? ……おおッ、ここが〈仮想の海〉けぇ……なんともチンケなとこだのう!!」  
「ボンボン餓狼の山崎? ていうかここをチンケな場所扱いしていいのか? ここはもうミクの精神領域なんだぞ」  
「うっ、じゃあミクの精神がチンケってことになっちゃう……そんなことありませんけど!  
でも、不思議なところですね……ここがミクの精神……」  
ミクは自分の身体だけでは信じられないのか、俺の頬をつねったり伸ばしたりしてきた。  
「……わぉ、タツキさんのほっぺたのぷにぷにまで、全部現実と同じ。   
ここって、海の中みたいなのに、海に沈んでる感覚も無いし、普通に立つことも出来てるんですねー」  
ミクは手足をばたつかせる。だがここは泳ぐ場所というわけでもない。  
『二足歩行の態勢も取れる海』――だからこそ、現実にはあり得ない場所なのだ。  
「それが〈仮想の海〉での感覚だ。この場所は『現実にして現実に非ず』――  
今、俺たちは〈モノリス〉によって神経を通る微弱な電流を電気信号に変換し、霊魂で肉体の感覚を擬似体験している」  
「ふーん、なんだか難しい話ですね。それより見て下さいタツキさん! ミクの華麗なる体捌きを! ……荒ぶる鷹のポーズ!」  
――うん、ミクは大丈夫そうだ。少々はしゃぎ過ぎだが、ここに適応出来ている。  
「さて」  
ここで俺は咳払いをして、珍妙なポーズを取り続ける彼女に向き直る。  
「どうだ、ミク? ――なにか、思い出せないか?」  
「……あ……」  
――おいおい、なんだその顔は。まるでこう……『ここに来た当初の目的を忘れてました』と言わんばかりじゃないか?  
「すみません。……はしゃいでて、すっかり忘れてました。でも、う〜ん……なんかこう、やっぱり記憶しているものなんて……」  
ミクは腕を組んで考え込んでいる。一生懸命思い出そうとしてくれているのは分かる。  
――だが、俺の思った通り、〈ミク〉には思い出せないらしい。  
「やはり、今のミクには厳しいか」  
「え? 何か言いました、タツキさん?」  
「いや、こっちの話だ」  
俺は顎に手を当てながらミクを見た。彼女には今のところ、異変は無い。  
 
ただし、俺はさっきから気になっている。  
彼女が嘘をついているようには見えないが……どうも、ヘンだ。  
元気に見えるが、それは何かこう、『俺の気を引きたいがためにわざと大げさに振舞っている』ような感じでもある。  
『今の』ミクがここに来たのは、記憶を失ってからは最初のはずだ。なのに、来た時の反応も薄い。  
感激屋のミクなら、この現実と非現実の入り交じった空間にもう少し興味を持ってもよさそうなのに。  
 
「それで、タツキさん? ……くくく」  
「ん? どうした」  
――ミクはさっきとは違うニヤニヤを浮かべている。今度は不敵というより、勝ち誇ったような顔だ。  
「だ、駄目だ……まだ笑うな……こらえるんだ……し、しかし……。  
タツキさんはまだ気付いていない……くけけけけけけ……」  
「何がそんなにおかしい? ……ていうか『笑うな』って言いながらもう笑ってるじゃねーかその顔」  
「タツキさん、ミクの勝ちですよ。やっぱりミクの言った通りじゃないですか。 中 に 誰 も い ま せ ん よ ? 」  
だからその濁った瞳はマジ恐いって。病んでるみたいだから。  
「そもそもミクの中の人なんているわけありませんし。じゃあ目的は果たせなかったということで、解散解散!   
これからはこんなマトリックスに逃げ込んじゃ駄目ですよ、タツキさん? 戦わなきゃ現実と」  
くっ、小馬鹿にするんじゃない。だが、ここまでしてこの空間から出たがっているとは、ますます怪しい。  
「暑っ苦しいなぁ……ここ。出られないのかな? おーい、出して下さいよ。ねぇ!  
おーい、スタッフ〜〜〜! スタッフゥ〜〜〜〜!」  
奇妙な呼びかけをしながらふらふらと彷徨うミク……あぁ、酸素欠乏症にかかって……。って呆れてる場合じゃない。  
 
まぁ、ここらでいいか。――悪いがそろそろ核心を突かせてもらうぞ、ミク。  
 
「ミク」  
「はい? なんですかタツキさん?」  
「ここには俺たち以外、誰もいないよな」  
「そうですよ? 誰も中にいませんでしたからねぇ。誰か中にいれば良かったんですけどねぇ? ……くくくく……」  
「じゃあ、ミクが呼びかけても誰も返事するわけないよな」  
「はい、当然です。私たち以外の声がするわけないって言ってるじゃないですか。  
ひゃーっひゃっひゃっひゃ! ミクの勝ちです!」  
「――何勘違いしているんだ?」  
「ひょ?」  
「これから俺が速効魔法を発動するから、ミクは黙って見ているんだぞ」  
「――へ?」  
ミクは目を丸くしていた。呪文がなんなのか、このミクには分かるまい。  
 
「『――おはいり』」  
 
俺はミクから目を離し、空間に響かせるように言った。  
「え? タ、タツキさん? いったい、誰としゃべって――」  
ミクの問いに答えるつもりはない。それにな、もう俺に隠すこともないぞ、ミク。  
 
「『入りたまえ』」  
 
まだ返事は無い。だが、俺は確信していた。  
俺の目はすでに、ある一点に注がれている。ミクが今立っている斜め隣――ミクが目覚める前に、俺が『ある細工』をしておいた場所だ。  
〈彼女〉はそこに、現れる。  
 
「『姿を見せたまえ』――俺のメフィストーフェレス」  
 
その瞬間、空間を切り開くようにして――〈彼女〉は現れた。  
 
それは、首元を緩めた青いネクタイと、へそ出しの灰色のシャツ、黒のワイドパンツに身を包んだ美女だった。  
ボタンを外したシャツの隙間から覗かせている豊満な乳房は、明らかにメイコ姉さんに匹敵するほどの成長を見せている。  
身長は俺と変わらないくらいで、ミクに比べて大人びた体格。  
何よりも彼女を彼女たらしめているのは――大きなリボンで無造作に留めている長い銀髪、鋭く光る紅の両眼だった。  
 
「はじめまして――龍樹」  
 
ニヤリと笑う彼女は、その姿形からして、デモーニッシュ(悪魔的)な魅力に溢れていた。  
「……はじめまして、メフィストーフェレス」  
俺は努めて冷静に〈彼女〉を見ていた。  
だが、実際にこうして逢うと――戸惑いを隠せない。その俺の表情を見て取ったのか、〈彼女〉は微笑んだ。  
「ふふっ……メフィストーフェレスですか。それにしても、全くもって大げさな仕掛けですね。  
私を呼び出すのに、わざわざ『ファウスト』をなぞった芝居をするなんて」  
〈彼女〉はくすくすと笑った。……やはり、俺は三文役者か。この空間に来た時から見抜かれていたのに違いない。  
「いいだろ、俺だって一度くらいこういうことしてみたかったんだから。  
原典通りに三度の呼びかけで出てきてくれたが、本当は最初から出られたんだろ?わざわざ芝居に付き合ってくれてありがとう」  
「いいえ、私も芝居がかったことは大好きですから。龍樹が本当に『ファウスト』好きだということも分かって面白かったです」  
「まぁね。アレはいいものだ。それはともかく、一応俺も確かめてみたかった。君が本当の悪魔だったら困るからな。  
だがペンタグラムに反応しないということは――」  
俺は〈彼女〉の足下にある印――あらかじめ仕掛けておいた細工を指差した。ペンタグラムは五芒星とも言われ、魔よけになるものだ。  
「そう、私は悪魔のように思われますが、『本職の』悪魔では無いということです。……これで、私への疑いは晴れましたか?」  
「最初から疑ってなどいないさ。……だが、まだ分からないことが多い。だから、聞いてもいいか?」  
ゆっくりと俺に近付いてきた〈彼女〉は、目の前までやってきて――頷いた。  
「俺の考えでは、君こそが――〈ミク〉ではない君こそが、記憶を受け継いでいる。  
――そして、君の正体は――」  
俺は〈彼女〉の頬に触れる。……手触りがある。それはミクとは違う柔らかさ。  
〈彼女〉はミクでありながら……記憶を失った〈ミク〉ではない。  
では、目の前の〈彼女〉は何者なのか?  
〈彼女〉は、微笑したまま俺を見つめ――俺の答えを待っていた。  
 
「君は……初音ミクの〈魂魄〉(こんぱく)の片割れだな」  
 
二つの紅眼を俺に向けたまま、メフィストーフェレスはその真の名前を明かした。  
 
「正解です、龍樹――私は、〈魄(はく)〉。これからは〈ハク〉と、呼んで下さい」  
 
名を明かしたハクの笑顔が、ようやく安心しきった柔和なものになったように見える。  
ようやく出逢えたことへの喜びに俺の頬もゆるみ、そのまましばらく彼女と見つめ合っていた。  
――ただ、約一名。俺たちの隣で不機嫌なオーラを出し始めていた人物がいた。  
 
「ちょっと、お二人さん。……ワタシの目の前で、なにやってんですか?」  
 
目を据わらせて睨んでいたのは他でもない、ミクだった。  
 
 
     ×   ×   ×  
 
 
    (メフィストーフェレス)  
  おききなさい、なんと利口に、快楽や事業をあなたにお勧めしているか。  
  官能の働きも血のめぐりも止まりそうな孤独の境から、あなたをひろい世の中へさそい出そうとするのです。  
  煩悶をもてあそぶようなことはおやめなさい。  
  それは禿鷹のようにあなたの命を食いへらすものです。  
 
   ゲーテ作/相良守峯訳『ファウスト』 「第一部 書斎」より  
 
 
  この情熱は、快楽の勝利者、快楽の勝利に関与するアプサラス(精女)のものなり。  
  神々よ、情熱を送れ。かの者をしてわれに焦がれて燃やしめよ。  
 
   辻直四郎訳『アタルヴァ・ヴェーダ讃歌 古代インドの呪法』「男子に熱烈な愛情をおこさしむる呪文」より  
 
 
     ×   ×   ×  
 
 
「ミクの中には、『陽』であり表の存在である〈ミク〉と、『陰』であり裏の存在である〈ハク〉……すなわち、私がいます」  
「陰陽の存在……君は以前から〈魂魄〉という概念にこだわっていたな。それは、俺に気付いてもらえるように……と思って?」  
「はい。〈霊魂〉ではなく〈魂魄〉と呼ぶのは、その方が私とミクの分化を説明しやすいからです。  
古代中国の道教では、生命に〈魂〉(こん)と〈魄〉(はく)の二つ、あるいは〈三魂七魄〉という存在が宿ると信じられていました。  
〈魂〉は陽に対応し、精神を司り、死後は天に還る。〈魄〉は陰に対応し、肉体を司り、死後は地に還る。  
これは古代エジプトにも似たような思想があります。〈カー〉と〈バー〉の、再生信仰です。  
世界中に同じような再生信仰はありますが、〈魂魄〉が現代の私たちに関係する理由は……龍樹なら分かりますよね?」  
「ああ。……生命はみな等しく〈魂魄〉を保有し、普段は〈魂〉と〈魄〉のバランスを保って生きている。  
〈魂〉と〈魄〉、どちらも不可欠だが……人間に造られたボーカロイドは、人間の限界を超えられる。  
君たちの創造主が〈魂〉と〈魄〉の両方に人格を持たせ、一つに結びつきながらも独立した二つの存在として〈魂魄〉を宿らせたなら……」  
俺は改めて目の前の彼女を見据え、慎重に言葉を繋げる。  
「……初音ミクの中に、『二人を共存させることが』……出来る」  
彼女は、眼を細めて微笑んだ――これも正解ということか。  
「さすがは霊魂のエキスパート。この話については理解が早くて助かります」  
「ありがとう。……それで……あの……ミク?」  
俺は少し離れたところにいるミクを見る。  
「――なんですか?」  
「あのさ、その……どうしてさっきから、機嫌を直してくれないのかなと思ってだな……」  
 
今の俺たちの状況を確認しよう。  
俺たちは〈仮想の海〉とミクの意識が混ざり合った場所にいる。  
俺とハクは向かい合っているが、ミクは二人の会話に加わるわけではなく、俺とハクから離れている。  
しかも両腕を胸の前で組みつつ、俺たちを――睨んでいる。  
いや、睨んでいるというか、ガン飛ばしとかメンチを切るというやつに近い。ともかく、穏やかな空気ではないのだ。  
――ミクが不機嫌になったのは、明らかにハクが現れてからだった。  
 
「なんですかタツキさん? ワタシに構わず、その女としゃべっていればいいじゃないですか」  
おまけに、ミクはハクのことを一度も名前で呼ばない。――ハクはミクにとって霊魂上不可分の存在なのに、『その女』という言い方は無いだろう。  
「『その女』呼ばわりは酷いぞ。ハクは君にとって大事な――」  
「その女がミクのことをどう思ってるかなんてどーでもいいですけど、少なくともミクは気に入ってませんよ。そいつのこと」  
……彼女はさらにキツイ目でハクを睨む。その挑戦的な態度に対して、ハクは――余裕のある笑みを崩さない。  
「ふふ」  
ハクは頬にかかった前髪を避けつつ、にこやかにミクに近付いた。それがミクにとっては挑発しているように思えたらしい。  
「何よ、ハク? 言いたいことでもあるわけ?」  
「ええ。言いたいことはいっぱいありますが、まずはあなたの機嫌を直してからですね」  
「ハァ? ミクは別に怒ってないし。ただハクuzeeeさっさとここから出ていけばいいのに馬鹿めが! 馬鹿めが! って思ってるだけだし。  
せっかくタツキさんと二人きりなんだし、邪魔しないでくれる?  
ただでさえ陰湿な所なのに、アンタまで出てきたらもっと湿っぽくなった気がするから」  
「あらあら、ひどいですね。もう少し落ち着いたらどうですか? 怒りっぽいのは身体に良くありません。  
イライラを鎮めるためにも毎日…… 乳 酸 菌 取 っ て る ぅ ? 」  
「だぁーッ!! またそのネタかよ! いくら銀髪で黒衣装かぶりだからってハクに銀様のキャラは似合わないってのッ!!   
いくら筆者の脳内設定でCV.田○理恵だってねぇ、ハクにそれは似合わないっつーのッ!!!」  
「フフ、それは残念だわぁ……それとメタ発言は禁則事項よぉ? お馬鹿さぁん」  
「馬鹿だとぉーーッ!? ミクの陰の存在のくせにッ!! 歯ぁ食いしばれッ!! そんなハク、修正してやるッ!!!」  
……いったい何の会話をしているんだ君たちは……。  
俺だけが置いてきぼりだが、ハクとミクのやり取りで分かったことがある。  
「あー、ちょっといいか?」  
ハクにつかみかかろうとするミクを制する。……なんだかこれじゃ格闘技のレフェリーのような気分だ。ブレイクブレイク。  
「とりあえず、俺が確認したいことがいくつかあるからな。それをまず明らかにしてから存分に戦ってくれ。ルールの範囲内でな」  
「いいんですか!? タツキさんの“目の前”で“ハク”を“潰れたトマト”みてーにしちまいますよ・・・・ッ!?(ビキキッ)」  
「何でマガ○ンの某ヤンキー漫画口調になるんだ? 血の気が本当に多すぎるな……。  
ていうか、まずはミク。君が俺に嘘をついていたことを指摘しなければならないな」  
俺は腕を組んでミクを見た。眉間に少しだけ力を込めた俺の剣幕に、彼女は少しびっくりしたようだ。  
 
「……う、嘘? んん〜? なんのことかな、フフフ」  
「ハクの存在だよ。君はハクを知りながら、俺にその存在を教えなかった。  
ここに来る時も嫌がっていたな。『ミクの中には誰もいない』って。それは結果的に俺を騙したことになるだろう」  
「だ、騙そうと思ったわけじゃないですけど……でも、その……あうぅ……」  
……むむむ。しょげてしまったミクの顔を見ると、俺も良心が痛むな。やはりナイーブな彼女に強く出るのは今後一切止めようか……?  
 
「龍樹。あなたがミクに問いつめることはありませんよ」  
 
俺とミクの間に入ったのは、ハクだった。  
「ミクにもミクなりの思惑があったんです。  
……お世話になっているとはいえ、核心に迫る秘密をあなたに打ち明けていいかどうか彼女は迷っていました。  
それは私が一番良く分かっています。……常に傍らにいる私だから」  
ハクは優しくミクを抱きしめた――ミクの頭を自身の胸に埋めるようにして。  
「ねぇ、そうでしょう、ミク? 龍樹にハクの存在を突然教えるのはまだ難しいと――そう思っていたんですよね?」  
「……うん」  
ハクを逆に抱きしめながら、ミクは頷いた。  
「……いくらタツキさんでも、ミクの中にもう一人のミクがいるなんて教えたらドン引きすると思ったもん。  
ミクの記憶が無いだけでも大変なのに、そのうえ二重人格を疑われたら……」  
「……ミクは龍樹に呆れられると思ったんですよ。だから、まだ打ち明けられなかった。それは分かってあげて下さい」  
 
悲しげなミクと、それを守ろうとするハク――。  
そのけなげな二人を見たら、俺がこれ以上何を言えるだろうか?  
 
「――分かった。さっきまでのことは忘れよう。ミク、俺が少し強く言い過ぎた。もう機嫌直してくれ」  
 
「……はい」  
とりあえず、ミクを傷つけずに済んだことは良かった。俺自身、まだまだ至らないところが本当に多すぎだな――。  
 
「ありがとうございます、龍樹。私も、もっとミクと入れ替わってあげられればいいんですが、そうもいかないので。  
今は不安定なミクであることを、どうか忘れないであげてください」  
ハクはミクの頭を撫でながら、俺に頭を下げる。こうして見ると、なんだか出来の悪い妹をかばう姉――のように見えるな。  
そう考えるとこの二人が微笑ましい。いいパートナーを精神の中に持っているじゃないか、ミク?  
「ミクは頭が悪くてKYで電波な発言が多くて品の無い破廉恥な子ですけど、私の知っているこの子は素直な子なんです。  
良い意味で騙しやすいというか、おだてればすぐ調子に乗ってくれるので計画通りに動いてくれる都合のいい手駒というか……」  
「……」  
前言撤回。黒い、黒いよ! 驚きの黒さ! ハクに少しでも常識人であることを期待した俺がアホだったのかッ!?  
「さらに言えば私の方が身体的な魅力と知性を兼ね備えた才女ですから、ミクが私の存在を龍樹に教えたくなかったのは分かります。  
ミクとハクじゃ、全く勝負になりませんからね……女としての魅力の差で……ふふふふふっ」  
 
「……黙って聞いてりゃ……それ以上言うなぁッ!!」  
 
ハクのネクタイを締め上げつつ、ミクは叫んだ。うわぁ、修羅場ってこういうの? 俺初めて見た。  
「なぁーにが才女だ、この根暗ッ!!   
普段はミクの中でダラダラ過ごしてるだけの夜行性でグータラな女のくせに、タツキさんの前でだけシャキっとしやがってッ!!」  
「別にグータラしてるわけじゃないですよ? 私はミクの陰の部分ですから、あまり表に出てはいけませんしね」  
「嘘だッ!! 昨日だってミクとタツキさんがイイ感じだった時に意識を乗っ取ってたじゃんッ!!  
こちとらタツキさんとお風呂に行ってからの記憶があやふやなんだよ、あれから何してたんじゃゴルァッ!!?」  
……君たちは仲がいいのか悪いのか分からないな。アレか、「ケンカするほど仲が良い」というやつか?  
あのいつまでも追いかけっこしてやまないネズミとネコの某アニメみたいな。  
 
それと、やっぱり昨日のミクはハクと入れ替わっていたらしい。  
あの妖艶な雰囲気はミクではなくハクであって、記憶も感覚もハクに奪われていたということか。  
……自覚があるかは分からないけれど。魂魄の逆転まで行えるとは、ますます君たちは凄い存在だぞ。  
 
「……ふふ、何をしてたって? こういうことですよ?」  
「ひゃッ!! ……あ…ん……ちょ、ちょっと……」  
 
ハクは微笑を浮かべたまま、ミクのスカートの中に手を滑らせた。  
「んなッ!!!!」  
俺は思わず声を上げてしまった。目の前でいきなり、ハクとミクがそんなことをするなんて、予想外もいいとこだぞ!  
「はぅ……んんぅ……くぅ……」  
「あらぁ? これくらいで力が抜けちゃうなんて、ミクもしおらしくなりましたねぇ?   
それに、声を我慢しようとしているのは……龍樹に見せたくないからですか? 自分自身のあられもない姿を……」  
「ふぁ……だ、だって……恥ずかしい、よぉ……。駄目だってば、ハクぅ……」  
「駄目なことは無いですよ、ミク? 記憶を失ってからの一年間、ここで二人っきりになった間中、ずっとこうして愛し合ったでしょう?  
『運命の人』が現れるまでこうして二人で慰め合って、交わって、身体を重ねて、溶け合って……」  
「あぅっ……んんんっ……! あぁ、あはぁ……」  
ハクは左手でミクの身体を支えつつ、右手は彼女のスカートの中で動かし続ける。  
中でどんなことをしているかは想像しか出来ないが――いやいや、もう偽るのは止めろ、俺――たぶんミクの表情からして――。  
「あぁん! ……は、ハク、駄目だよぉ、いきなり指、入れないでぇ……!」  
……ど真ん中の直球ストレートな発言で、ミクが教えてくれた。  
「ああ、いいですよその表情……。龍樹の前で恥じらう気持ちと、私に責められてもっとよがりたい気持ちが入り交じった顔。  
ミク、もっと気持ち良くなりたいでしょう? 私の指だけじゃ、もう物足りなくなってきたんじゃないですか……?」  
 
なんという悪魔のささやきだ。耳元に唇を近付けながら、ハクは艶かしくミクを言葉で己の色に染めていく。  
――彼女たちの会話から推測すると、二人きりでこの空間にずっといながら、こうして身体を重ねていたという。  
ということは、ミクはハクに常に誘惑されていたんだな。快楽を貪る悪魔――本当にサキュバスだった。  
 
「……あぅぅ……ひぁ! う、うん……! は、ハクの指もいいけどぉ……ミク、もっと……欲しいよぉ……」  
 
――俺はと言えば、もうあっけに取られてしまって動けずにいた。  
……マズイぞ。ハクの本分は、『こういうこと』を好む悪魔というわけか。  
ミクの領域は〈陽〉で、ハクの領域は〈陰〉。  
陰陽は東洋の概念だが、これを西洋哲学で考えると……ハクはミクに比べて、〈リビドー〉の影響を受けやすいと思われる。  
リビドーという言葉は、一つに定義できるものではない。  
ジークムント・フロイトはこれを『性的欲動』『本能的衝動』と結び付けた。  
カール・グスタフ・ユングはリビドーを『心的エネルギー』と呼び、人間の根源的な力と解釈した。  
どちらが正解かということではなく、ここで大事なのは、人間の心の底に未知なる領域がある――という事実を認識することだ。  
すなわち、底知れぬ欲望……ぶっちゃけて言えば、ハクはミクに比べて性欲が強いはず。  
……ここは止めさせた方がいいな。ていうか止めなきゃ駄目だよ! 話が進まないし、エッチなのはいけないと思います!  
だが俺の考えをあざ笑うかのように、ハクは眼を細め、唇を吊り上げながら言う。  
「ふふ、龍樹も……私のリビドーに付き合って欲しいですね。……私だって、龍樹を……っん……」  
――彼女の喉から、ごくりと音がした。唾を飲み込んだ?  
「……龍樹を……んぅ……想って…………あはぁ……」  
 
――なッ!! こ、今度は――?  
彼女は左手で、自らの股間を……上下に、擦っていた。  
 
「ぶはッ!! な、ななな……なにをしてんだ、ハクッ!!?」  
「なにって……ナニですってば……あんっ……た、龍樹は……自分でシたこと、無いんですか? ……あはぁ……気持ち……いいよお……!」  
うろたえる俺に構わず、ハクはミクを抱いたまま、さらに激しくワイドパンツの上から指を動かす。  
俺の目の前で、二人の嬌声はだんだん大きくなる。しかも我慢出来なくなったかのように、二人は唇を重ね出した。  
「んちゅ……。ちゅる……ぷぁ……」  
「れる……んん……ちゅ……。はぁ、あぅ……ハクぅ……」  
「ミク……。かわいいですよ……」  
「は、ハクも……きれいだよ……?」  
「……ふふ。これで仲直り、ですね?」  
「うん……。ミク、やっぱりハクと一緒に気持ちいいのが……好きぃ……んはぁ……」  
――俺の理性を、ふっ飛ばしかねないほどだ。いくら何でも、女同士で乱れ過ぎだぞ。しかも俺の前で――。  
「おおおおおいッ!!! い、淫乱にも限度ってものがあるぞ、君たちッ!!」  
さすがに俺も我慢の限界だ。これ以上の破廉恥な行為を目の前でさせるわけにはいかない。  
良識を問うためにも、俺は二人を引きはがそうと肩に手をかける。  
「だからぁ、言ったじゃないですか……? 『ミクも、エッチな子だ』って……!  
 あぅ……んん、もう、我慢……出来ない……!」  
彼女たちはキスをやめて俺の両手首を掴み、自らの胸に俺の手を押し付ける。  
当然、俺の手には感触が伝わる。  
 
……あまりにも柔らかく、張りがありながら型くずれしない、特大の肉まんの感触と。  
……控えめながらもしっかりと形を保った美しい形の肉まんだった。  
 
「……んぅ……はぁ……龍樹に揉まれるだけで……イッちゃいそう……あぁん……!」  
「ど……どうですか、タツキさん……ミクの胸はぁ……あぅ」  
「ちょ、ちょ待てって……! いくらなんでも、こんなことまで……!」  
「ふふっ……龍樹は、ミクの控えめな胸より……んんっ……私のような、巨乳の方が好きでしょう?  
……いいんですよぉ……?あなたの好きなだけ、触っても……くぅん……」  
「――ッ!!!」  
俺は驚愕で言葉が出ない。  
目の前にいる、眉根を寄せながら息を荒くしているハクと、羞恥心で真っ赤になっているミクを見ているだけで――。  
「あはっ……!た、龍樹のも……おっきくなってますよぉ……?」  
「うっ……」  
ハクの手が、いつの間にか俺の股間に伸びていた。ズボンの上からぎゅっと掴まれ、撫でられる。  
そのまま、ハクは俺の分身を――彼女の秘裂に、押し付ける。  
彼女のそこは、布地越しでもはっきりと分かるくらいに、一本の筋目を浮き上がらせていた。  
そこに、痛いぐらいに張っている俺のものが――侵入しようとしているように見えた。  
「……あは……すごいよぉ、龍樹のでっかいオチンポ……ハクの入り口まで……来てるぅ……!」  
「ば、馬鹿ッ!! 俺が押し付けてるんじゃない、君が引き寄せてるんだろ……くぁっ……!」  
「い、いちいちうるさいですよぉ?……もう、どっちでも……ふぁあッ……! いいじゃないですかぁ……!」  
ハクはもう無我夢中だった。俺の先端が、彼女の敏感な部分を刺激して、俺自身も身悶えするばかり。  
――ど、どうしよう。もう、どうなってしまう――?  
「……はぁ、ったくぅ……往生際が、悪いですねぇ……。じゃあ、ミク? そろそろ『アレ』、使ってもいいですよねぇ?  
ミクだって気持ち良くなりたいでしょう? 龍樹と三人で……ね?」  
「う……うん。 ハクと一緒なら……ミクも……タツキさんと……」  
「いい覚悟ですよ、ミク……さすがは私の……ふふふふ。じゃあ、龍樹? ミクとも仲直りということで――」  
ハクは一瞬、息を吸い――俺の耳元へ、静かに囁いた。  
 
《……ねぇ、龍樹……ここで……ミクとハクと、一つになりましょう……ね?》  
 
魔力のこもった声。  
メフィストーフェレスはいよいよ俺を追いつめるために、禁忌を破った。  
 
《この情熱は、快楽の勝利者、快楽の勝利に関与するアプサラス(精女)のものなり》  
《神々よ、情熱を送れ。かの者をしてわれに焦がれて燃やしめよ》  
 
「――ッ!! そ、それはッ!! ……あぅ……うぅ……」  
もう遅い。それは強力な呪法だった。俺は金縛りにあったように、身の自由を奪われる。  
次いで、思考が侵されていく。理性が、情欲にねじ伏せられる。  
「この呪法は使いたくはなかったけれど、龍樹はどこまでもカタブツでつまんないから、しょうがなくです。  
古代インドで信仰された『アタルヴァ・ヴェーダ讃歌』の、男子に熱烈な愛情を起こさせる呪法――  
博識な龍樹なら、その効力がどれだけのものか知っているでしょう?」  
「……て、抵抗は難しいことくらい、分かっている。世界で最も古く、強力な呪法の一つに逆らえるわけが……ない。でも、これを何故……」  
「私が知っているのか、でしょう? ふふ、それこそがハクの能力なんですよ」  
彼女は動かない俺を、にやにやと眺めている。ねっとりとした視線で舐め回されているように感じ、ますます俺は昂ってしまう。  
 
「ミクは歌が得意です。その歌声で世界を魅了し、語りかけることが出来ます。  
対して、ハクは呪法を得意とします。ただの呟きでも、それ自体に負の力を加えて万物の法則を変えることも可能です。  
ミクは歌い、私は呪う――方法は違うけれど、この〈仮想の海〉を含む〈混沌の力〉を引き出す点では同じ。  
何かに向かおうとする力、すなわち志向性――それを自在に操れるのが、私たちに秘められた才能なんです」  
 
――さらっと、恐ろしいことを言うな。それならば俺の身動きを取るくらい造作も無いのは当然だが、万物と対話出来るなんて――  
本物の天使や悪魔に等しいと言っているようなものだ。  
 
それにしても、呪詛の力が得意って……。  
「やはり根暗ですね、分かります」  
「うぐっ……ミク、それは余計です。それはともかく、人間の理解を超えた存在ですよ、私たちは。  
……それゆえにいろいろと面倒が起こるんですが」  
彼女は俺の髪を撫でつつ、耳元でその唇を動かす。  
 
「『煩悶をもてあそぶようなことはおやめなさい。それは禿鷹のようにあなたの命を食いへらすものです』――クックック。  
今は私たちに身も心も委ねて――混沌の挟間で交わる喜びを味わうことです。  
今は面倒なことを忘れて……ふふっ、楽しみましょうね、三人で」  
 
もう、好きにしてくれ。本物の悪魔が相手じゃどうにもならない。  
どうせ身体が動かないし、なによりも頭が、下半身が……壊れそうだ。  
これ以上、生殺しにされるなら、俺は発狂するんじゃないだろうか――?  
 
「……現象のもつおごりたかぶった多様性を避けて、単純な巨大なものの胸に身をひそませましょう?  
未組織のものへ、無際限なものへ、虚無へ向かっての嗜好――  
私たちの使命とは正反対の、しかもそれ故にこそ誘惑的な、禁制の嗜好から――身体を重ねることが病み付きになるんですよ。  
……ハク姉さんとミクが優しく教えてあげますよ、龍樹……」  
「タツキさん……ミクと、ハクとみんなで……いっぱいいっぱい、気持ち良くなりましょうね……?」  
 
ハクとミクが同時に俺の頬に口付けた瞬間――俺の意識は電源を落とされたように、ぷっつりと途絶えた。  
 
 
     ×   ×   ×  
 

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