拉ぐほどに抱き締めても、もう彼女は逃げなかった。  
思いを込めて繰り返し口付け、キスが途切れれば舌で耳殻を舐め濡らし思いの丈を流し込む。  
好きだよ、愛してる、ずっとこんなふうに抱き合いたかった。  
返答は切なげな吐息になって絡めた舌に巻き取られていく。  
俺の手で歌うメイコが見たい。  
胸を蹂躙していた手をなよらかな輪郭をなぞるように撫で下ろし――  
 
 
「こら」  
ひょろ長い背中を丸めてテキストエディタと向き合っていたカイト兄が、困ったふうに振り向いた。  
やっと背後から覗き込む俺の存在に気がついたらしい。まったく、夢中で何かしていると思ったらこの兄は。  
「だめだよ、これは成年向けの内容なんだから。お子様のレンは読んじゃだめ」  
「うっさい」  
ひょいとカイト兄の手元からファイルをひったくる。  
取り返そうと伸ばされた手をかいくぐってベッドに飛び乗り、俺は出窓に腰掛けた。  
ローチェアに腰を落ち着けているカイト兄はここまでは追ってこない。どうせ本気で取り上げるつもりはないのだ。  
このファイルを手にしているのが俺じゃなくてリンだったら、腹を壊してトイレに駆け込む必死さで取り返すんだろうけど。  
 
女ばかりのボーカロイド一家の中で貴重な男同士、しかも同じ悩みを抱えていることもあって、俺とカイト兄の間には奇妙なシンパシーというか連帯感というか、そんな空気がある。  
それにいつもは鬱陶しいぐらいに弟妹の世話を焼きたがる兄だけど、放っておいて欲しい時はちゃんと放っておいてくれる。それが楽で俺はよくカイト兄の部屋に入り浸っては時間を潰していた。  
 
それにしても、と俺は手の中のファイルに目を落とした。  
延々みっちりこれでもかと描写されている男女の濃厚なラブシーン。恥ずかしくて正視できないほどの。  
アイスに砂糖をざらざらかけて蜂蜜をまぶしてジャムに沈めたようなそれの中で、妙に男らしく愛を囁いてるのがカイト兄で、しおらしく受け入れているのがメイコ姉だってところが、普段の二人を知っている身にはすげえ喜劇だ。  
しかしこれを一生懸命書いたのがカイト兄と知ればむしろ悲劇だ。  
 
「こんなもんまで書いてるなんて知らなかったよ、カイト兄」  
カイト兄が動画を作っては動画サイトに投稿し、自演米をつけていたのは知っていた。知りたくもなかったけど、いまさらどうしようもない。いたずら半分で兄のPCを覗いた自分が悪かったのだ。  
そこにはカイト兄が父親で、メイコ姉が母親で、可愛い子供たち…俺やリンやミク姉のことだ…に囲まれた幸せそうな一家という設定のPVもどきがたくさんあった。ご丁寧に歌はカイト兄自らつけていた。  
 
「なかなか難しいね、文章を書くのは」  
でもアプローチの方向は複数あった方がいいから、とカイト兄は照れながら言った。  
動画のことが俺にばれて、鴨居にマフラーで首を括ろうとした時とは違って穏やかなリアクションだ。  
兄の中で俺はすっかり共犯者にされてしまったらしい。  
 
「でもまだまだ、世間的には姉と弟だって見られているみたいだ」  
公式設定じゃないのにねえ、と寂しそうに兄は微笑む。おかげでメイコも影響されて、俺のことヘタレな弟としてしか扱ってくれないよ。手も出せやしない。  
恋人とか夫婦設定で二人の仲が認知されていればこんなことにはならなかったのに。  
そう肩を落としてため息をつく背中が痛々しい。やっていることはもっと痛々しいけれど。  
影響云々関係なくヘタレじゃん、という言葉は言わないで置いておく。泣かれても鬱陶しい。  
 
「ま、カイト兄はいいよ。激しく無駄かつ徒労っぽい工作だけど、頑張って続けてりゃそーゆー設定もアリかな?  
なんて世間様に思われるようになって、メイコ姉のカイト兄を見る目だって変えられる可能性がなくもないし?  
…いや実際ばれたら確実に見る目は変わるけどさ。変態の方向に」  
「悪かったね」  
苦笑しながら立ち上がり、カイト兄が傍に寄ってきた。  
ベッドに浅く腰を下ろすと長い腕を俺の方に伸ばしてくる。小突かれるかと思ったら、ふわふわと頭を撫でられた。  
「なんだよ」  
「レンは優しいね」  
「はあ?何それ意味わかんね」  
 
振り払っても良かったけど、何となくそのまま撫でられておいた。  
そして何となく呟く。  
「なあ、カイト兄……どうして、俺とリンって双子なんだろ」  
「…」  
「苗字も一緒でさ。これじゃどうしたって他人になんかなれねーじゃん」  
 
皆が聞いたら目を剥くだろうな。仲がいい姉弟なのに何言ってるの、と。  
多分カイト兄だけが、どうしてリンと他人になりたいの?などと訊かないでくれる。  
 
「鏡の中のもうひとりの存在、でもあるらしいよ?」  
「……余計悪ぃや……」  
世界で一番大事で、一番大切な女の子が自分と同じ存在だなんてそんなの悪趣味すぎる。  
 
この気持ちに恋という名前を付けられないなら、なんて呼べばいいんだろう。  
キンシンソウカン?  
そんな響き、日向の香りのするあいつには余りにも似合わない。  
頭を撫でていたカイト兄の手が止まり、分かっているよというふうに俺の肩を叩いた。  
 
 
後日、俺とリン主演のアイスをキャラメルソースとチョコレートシロップに浸したようなゲロ甘いラブストーリーが某スレッドに投下された。見覚えのある文体で。  
あのバカ兄、ぜってえ〆る。熱く火照ってしかたのない頬を冷ますために俺は近くのコンビニに出かけた。  
 
ハーゲンダッツ2個分の小銭がポケットの中で鈴のように鳴った。  
 

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