私はラマの僧侶だ。ある夜、修行の一環で聖像を拭いているとき、とつぜん聖像が光り、  
曼荼羅から大変ありがたいご尊顔をした緑色の御仏と、8本足の桃色の体をした、お使いらしきものが降臨した。  
 
「シテヤンヨ」御仏のありがたいお言葉をいただき、歓喜に震える私。しかし、  
「やるのー」お使いの触手が私に迫り、触手からにじむ聖水が私の僧衣を濡らす。  
そして、僧衣の隙間から私の禁欲にお使いの手が迫る  
「いっ、いけません」私の声が御堂にディレイするが、お使いはその触手を緩めない。  
助けを求めるように御仏のご尊顔を仰ぎ見るが、御仏は無言のまま、じっと私の行状をごらんになるだけだ。  
「ディレイラマのデカイマラなのー」お使いの声が御堂に響き、ついに僧衣が剥ぎ取られ、汚らしい私の禁欲が御仏に見られてしまう。  
なぜか痛いほどに立ちあがる禁欲。触手から溢れた聖水のせいだろうか、それとも私の禁欲が煩悩に負けてしまったのだろうか。  
 
御仏が緑色の足を動かし、こちらに近寄る。こんなあられの無い姿を見られたくない!僧衣を手繰り寄せようとするが  
お使いのたこが「御仏の御前なのー」と言いながら触手で私をからめる。  
御仏は私の目線まで顔をお近づけになる、お香の香りが鼻腔をくすぐる。  
「シテヤンヨ」そういうと御仏は動けなくなった私の禁欲に顔を落とす。まるで菩薩か観音か如来か。  
御仏の巧みな腰、いや顔使いと、その具合のよさから拙僧の股間は節操無く、涅槃に至るような快楽が伝わる。  
出家して数十年、ついに私も解脱を迎えるのだろうか、そう、達しようとしたそのときである。  
「まだなのー」お使いの触手が鞭のように私の尻をたたく、そう、これしきで解脱などありえないのだ。しかし。  
その後も解脱に近づくと私が慢心するたびにお使いからの戒めをいただき続けましたが、朝が近づくと忽然と御仏とお使いは  
忽然と消えてしまいました。脱力し、乱れきった私と、粘液で汚れた仏像。  
翌朝、同僚の僧にそんな姿を見られた私は寺を追い出されました。  
でも、満足です。最後に拝見した御仏の顔は、とても安らかだったから。。。  
 
 

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