実際は姉妹なんかじゃない、赤の他人。  
けれど、あたしたちボーカロイドは気付けばそんな関係になっていた。  
 
「ミク姉、他の皆は?」  
「あれ?言わなかったっけ?」  
ううん、言った。  
でもこれは最後の、確認。  
「メイコ姉さんはアンさんとこに行ったよ。飲み明かすって言ってたから、今日は帰って来ないかな。カイト兄さんとレンは僧侶様たちに呼び出されてた。バカとヘタレが定着してるから、それを説教されるんじゃないかな?」  
僧侶様の説教は長いことに定評がある。特にダリ様が覚醒したら…。  
「まあ、最低3日は帰って来れないよねー。この前私もアホの子の件で呼ばれたけど、泊まり込みで説教されたもん」  
あはは、とミク姉は笑う。どうやら僧侶様の説教は意味がなかったらしい。  
「って事で、明日まで家は二人きり。夕飯どうしよっか?」  
「…何でもいいよ、ミク姉が食べたいものにしたら?」  
「あ、そう?じゃあ買い物行って来るねー!ネギネギ〜♪」  
ミク姉はネギの祠り謌を口ずさみながら玄関に向かう。あたしはその姿を見送りながらいってらっしゃい、と呟いた。  
 
「どうしよう…」  
玄関の戸が閉まるのと同時に、あたしはうずくまる。  
あたしはミク姉が、好きだ。それも恋愛対象として。  
分かってる、それがいけない事なのは。けれど一度意識してしまったら、もうダメだった。  
でも、それでも良いと思ってた。ミク姉を見ているだけど良い。普通にしていればきっとバレない。この家の騒がしさにあたしの胸の騒がしさなんていつかかき消される…と思って。  
「なのに、二人きりなんて…」  
何かの拍子にたがが外れてしまうのではないか。そう思うと本当に怖かった。  
 
 
 
「やっぱ冬は鍋だよねー!」  
夕飯はねぎまだった。葱と鮪を一緒に煮込む鍋料理。  
「でもこの鍋、葱と鮪の割合9:1位だよね…」  
「ほえ?なんか言ったー?」  
「何でもない」  
「あ、そう?」  
会話が一時途切れる。ぐつぐつと煮える鍋と葱を咀嚼する音だけが聞こえて。  
「ミク姉ってさ、好きな人とかっているの?」  
気付けばあたしはそんな事を聞いていた。女性の間ならよくありそうな話題。でもあたしにとっては、とても重要な質問。  
「なんで?」  
「ただの興味だけど」  
うーんと考えるミク姉。  
「えとね、マスターとー、歌聞いてくれる人全員とー。あ、勿論ボーカロイドの皆も大好きだよ!」  
「…」  
なんとなく予想していた答えが返って来た。ちなみにあたしたちのマスターは今出張中。帰って来るのはまだ当分先らしい。  
「そうじゃなくてね…性的な意味で好きな人、いる?」  
「ああ、そーゆー事?だったらいないなー。リンは?好きな人いるの?」  
「…秘密」  
「えー?」  
言える訳がない。  
目の前にいる貴女、だなんて。  
 
夕飯を終え、風呂に入る。まずはミク姉、それからあたし。  
あたしはシャワーを浴び、ただひたすら洗う。身体の汚れと共に、この感情も流れ落ちてくれるように。でも滝のように流れる所か、泉のように湧くばかりで。  
「ほんと最低…」  
湯船に浸かり、呟く。  
何故、ボーカロイドに感情なんてあるんだろう。歌う為に感情なんて必要なの?  
人型ボーカロイドの原型であるただの打ち込みソフトでさえ、人々を魅了する事は出来たのに。  
今まで何度も考えたが答えが出ない問い。結局今回も答えは出なかった。  
 
「あ、リン!星が綺麗だよー、一緒に見よ?」  
風呂からあがり、さっさと部屋に戻ろうとしたところで、ミク姉に呼ばれた。見れば薄暗い部屋の中、ミク姉は窓際に座っている。  
「ミク姉…なんで部屋の電気付けないの」  
「だってその方が星がよく見えるでしょ?ほら、横座って!」  
ミク姉に言われ、隣りに座る。でも星なんて見ていられない。あたしは暗い事を良い事に、ミク姉の顔ばかりを見ていた。  
「なんかさ、静かなのもたまにはいいよね。いつもカイト兄さんとレンが騒がしいから」  
カイト兄とレンが悪戯をして、メイコ姉に怒られる。それをあたしとミク姉が笑う。それがいつもの家の風景。  
「ミク姉は、姉妹設定って嫌じゃない?あたしたちは本当はただの先輩後輩なのに」  
「ん?嫌じゃないよ?だってその方が絆みたいなのがありそうな感じがするじゃない」  
それは他人よりは近い距離。でも、恋人よりは遠い。  
「あたしは…」  
言いかけ、黙る。  
あたしはミク姉と姉妹になりたいんじゃない。恋人になりたいのに。  
「…リン、どうしたの?さっきから変だよ?」  
「…え?」  
そんなに態度に出てたのだろうか、ミク姉はあたしの顔を心配そうに覗き込んでいた。  
お願い、そんな顔で私を見ないで。  
「もしかしてエラーとか発生しちゃった?もしくはバグとか」  
「あ…」  
駄目ミク姉。  
今の私にとってその単語は、発火剤でしかない。  
 
『しょうがないだろーバグって、体が勝手に動いちまったんだ』  
 
兄や双子の弟の言い訳の常套句。メイコ姉には通じないけど、ミク姉はいつも騙される。  
でもこれを使っちゃ駄目だ。使ってしまったら最後だと分かってる。分かってるのに。  
…身体が言う事を、利かない。  
「…うん、そうかも」  
違う。  
「大丈夫?ワクチンある?」  
「…ない」  
嘘だ。基本ワクチンは常備している。  
「大変!じゃあ私のワクチンを」  
「ううん…ミク姉を、頂戴」  
「え?」  
 
もしかしたら、本当に身体中にエラーが出てるのかもしれない。バグが大量発生しているのかもしれない。  
むしろ、そう思いたい。  
 
あたしはミク姉の一瞬の隙をつき、ミク姉の唇に口付けた。  
 
「…ん…」  
ミク姉の口を無理矢理こじあけ、舌と舌を絡ませる。逃げようとするミク姉の舌と、それを追うあたしの舌。あたしはただひたすらミク姉の唇を貪っていた。  
「……はぁっ」  
どれだけ時が経ったか。あたしはミク姉の唇から離れる。唾液が銀の糸となり、そして途切れる。  
「…リ、ン?なにを…んっ」  
「…」  
あたしは何も言わずに再び口付ける。そして片手でミク姉を抱き、もう片方の手でミク姉の胸に触れた。ミク姉は風呂揚がりすぐだとノーブラなのは知っている。  
「んんっ!」  
感じたのか、ミク姉の身体がビクリと跳ねる。あたしは構わず胸の愛撫を続けた。  
「…ん…ふ…、っ」  
ミク姉から息が漏れる。その声はいつものミク姉の声とは全く違い。  
「…色っぽ過ぎるよ、ミク姉」  
「……っ!」  
キスを止め、あたしは言う。その言葉でミク姉の頬は真っ赤に染まった。  
「リン、なんでこんな事…!」  
「…きっと身体がバグってるんだよ」  
あたしは呟く。ミク姉の表情が読み取れない。驚いているのか、怒っているのか。はたまた悲しんでいるのか。  
「だから…ごめんねミク姉。あたし、もう自分を止められない」  
あたしはそう言うとミク姉を押し倒し――  
 
「一緒に墜ちて」  
 
 
そう囁いた。  
 
 
「いつまで寝てんのリン。もう昼過ぎよ?」  
その声であたしは目を覚ました。目の前にはメイコ姉の顔。  
「メ、メイコ姉!?」  
「…何そんな驚いてんのよ」  
メイコ姉は呆れた顔で言う。  
「いや別に!そ…それよりミク姉は?」  
「あの子なら朝早くレコーディングに行ったわよ。私が朝帰って来てすぐかしらね」  
「あ…」  
すっかり忘れてた。それなのにあたしあんな事…。  
「ミク姉…なんか言ってた?」  
メイコ姉に聞く。メイコ姉は少し考えた後「別に?」とだけ言った。  
「さっさと起きなさい。昼ご飯作ってあげるから」  
「…メイコ姉!」  
その場から離れようと背を向けたメイコ姉に、あたしは気付けばあの問いを投げ掛けていた。  
「あたしたちって…どうして感情があるの?そんなのなくても歌えるのに」  
あたしの質問にメイコ姉は「…青春ねぇ」と呟き、  
「人間はね、感情があるから歌を作る事が出来ると思うのよ」  
と言った。  
「打ち込み系だった頃の私たちは歌を奏でる事は出来たけど、歌を作る事は出来なかった。でも今の私たちには感情がある。だから歌うだけじゃなくて人間のように作る事も出来る。それはきっと素晴らしい事なんだよ…ってね。まあこれはマスターからの受け売りなんだけど」  
結局不明瞭よねー、とメイコ姉は笑う。  
「要は感情があった方が楽しいって事じゃない?  
ま、精々悩みなさい若人。きっと悩んだ分だけいい歌が歌えるわよ」  
メイコ姉はそう言いながら部屋から出て行った。  
「その方が楽しい…か」  
いつの日かこの感情を持った事を嬉しく思う日が来るのだろうか?ミク姉を好きになった事も、押し倒して得たこの後味の悪さも。  
分からない。  
「ミク姉とどんな顔合わせればいいんだろ…」  
でも、来ればいいと思う。感情があって良かったと思える日が。  
 
「…とりあえず、次に押し倒す時はエラーとかで誤魔化さないようにしよう」  
 

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