「三十と三十五なら全く許容範囲だもんなあ」  
「何の話だ何の」  
合成着色料がたっぷり乗ったアイスを頬張るカイトの頭に、鏡音レンは見事な踵落としを決めた。  
某観光地にて、日本ボーカロイド慰安旅行二日目、深夜。  
和室に五人分の布団が敷かれ大人組が酒をあおり、少年二人はつまみを奪いつつ炭酸飲料でそれを流し込む。  
本日通算十二本目のアイスを咥えながら焼酎を注ぐカイト。  
注がれたコップにちびちびと口を付けながら裂きイカを貪る神威がくぽ。  
眼鏡を外し背もたれに左腕を掛けながら細目で裏紙に何かを書き続けている氷山キヨテル。  
とりあえず腹を満たそうと懸命にチーズを全種確保しながら頬張りつつ紙を覗く歌手音ピコ。  
その全体の様子を見下ろして「うわ俺たちきめぇ」と呟きながら炭酸の缶を飲み干す鏡音レン。  
ガチャポは「幼子の教育に悪いから」と初音ミクたちの居る女部屋へ引き取られていった。何気にハーレムじゃないのかあいつ。  
「ボカロは年取らないからその理屈は通らないですよ」  
「ピコもマジレスすんな」  
かちゃ、とボールペンが置かれる音がした。  
「ん、出来た」  
「ほほ、見へれ見へれ」  
「アイスが口から垂れているぞ」  
「うわきったねぇ、そのまま窒息しろよマジで」  
「この辺境じゃ救急車に迷惑だよ」  
五人の男共が一枚の紙を覗き込む。どうやらアンケート用紙の裏の様だ。  
 
初音ミク・鏡音リン・GUMI・miki・ガチャポ  
MEIKO・巡音ルカ・歌愛ユキ・Lily・猫村いろは  
 
「なんだよこれ」  
「えーと…これ女声陣の部屋割りですよね」  
「うわあ、名前きっちり書いてある」  
「しかも発売順とな、流石先生」  
「特に因果関係無いだろうそれ。そしてピコは正解」  
キヨテルが赤ペンを取り出すとカイトが「貸して」と言いながらそれを受け取る。  
そして蓋を取るときゅきゅと丸い円を描いた。その赤丸の下にはいろはの名前。  
「今日はこっちで。いろはとちゅっちゅしてくる」  
「兄の目の前でよくもまあ、いけしゃあしゃあと…」  
カイトから赤ペンを奪うとキヨテルはルカの名前を四角で丁寧に囲った。  
「出た!キヨテル必殺いけしゃあしゃあ返し!」  
「そんな技は習得した覚えすら無いし必殺ならとりあえず死んでくれ。がくぽ、はい」  
「ふむ、それなら俺は」  
ペンを受け取ったがくぽは数回それをくるくると指先で回した後、メイコの部分に下線を引いた。  
 
「あ、あの、これは?」  
ピコが三人の行為の意図を飲み込めず疑問を投げ掛けると、レンは遠い目でやんわりと回答した。  
訂正。正しくはやんわりではなくげんなりである。  
「…夜這い表だろ…」  
「へーそっかよば…いって、え?え!?」  
返って来た答えとその意味を解釈するのに羞恥心が働き出したピコがレンを見遣る。  
と同時にカイトの声がピコの耳に飛び込んで来た。  
「あ、ピコはリリィね」  
「え!?えええええ!!!?」  
ピコが机に乗り出すとリリィの名前に被さって赤い三角が描かれていた。  
口をぱくぱくさせているアホ毛少年の肩にがくぽの左手が置かれる。  
「心配するな、この文を書いている作者の脳内ではリリィはツンデレでも百合でもなく純朴設定だ」  
「いや、そんなメタ発言されても困ります!」  
「よーしじゃあそろそろ行きますかー」  
カイトが大きく手を打ち鳴らし、勢いよく立ち上がる。  
その掛け声で残りの成人組が立ち上がり、ピコもがくぽにそのまま引っ張られた。  
深夜一時。レンもとりあえず立ち上がると紙を一瞥しながらキヨテルに話し掛ける。  
「…俺は保護者っすか」  
「そうなるかな。不満なら変わろうか」  
「いいっす。今そんな気分じゃないんで。素面だし」  
「ははは、酔われても困るしな。それじゃあすまないね…ユキを頼むよ」  
玄関でスリッパを履きながらレンは「うす」と返事をした。  
 
 
「ちょっと、レン、レン!」  
「まあ何つーか…慣れろ。としか言えねぇ」  
廊下をぞろぞろと歩く男五人。内三人、若干千鳥足。  
パーカーのフードを酔いどれ侍に掴まれ、ずるずると引き摺られながら手足をバタつかせているピコがレンに助けを求める。  
「無理だよ!だってリリィさんも純朴なんでしょ!?」  
「だからお前が頑張ってキスの一つ位してやればそれでいいって…」  
「じゃ、じゃあせめて替わってよ!僕、女の子と一緒の布団とか色々限界だって!」  
「お前真っ白だしこれ以上白濁ぶちまけても大丈夫だろ」  
「い、いやいやいやおかしいってどこ突っ込めばいいのそれ!?」  
カイトとがくぽが先頭でケラケラ笑いながら歩いている。「下品だぞーレン」とカイトの声が飛んだ。  
キヨテルがレンの横で「トーンダウンしろお前ら」と大人二人を諌める。レンも後頭部を掻きながら大きく溜息を吐いた。  
「大丈夫だって、別に絶対しろって訳じゃねえんだしよー…」  
「しろって何!?白と掛けてるの!?」  
「ピコも少し落ち着きなさい」  
二人に諭されたピコがとうとう頭を抱えた。またも列の先頭から声が上がる。  
青と紫の後頭部から見えないはずのニヤニヤ顔が、何故か後ろを歩く三人の脳内に映った。  
「あんまり深く考えなくていいぞーピコ」  
「その通り、これは男女の交流を深めるというあくまで純粋な目的によって遂行される行為なのだ」  
「嘘だ!ぜっっっ対嘘だー!!!」  
白い少年の声が廊下中に響き渡ったが空しくも、彼をこの場から助け出す救世主が現れる事は無かった。  
 
そこからは、さながら活劇のワンシーンの様だった。  
鼻歌を鳴らしながらカイトが何故か合い鍵を取り出し扉を開ける。その鍵どこから持って来たアイス野郎。  
しかし女声陣も男声側の動きを予想していたらしく、扉が開いた瞬間カイトとがくぽの顔面に枕が直撃。  
予想通りと二人が枕を除けると花瓶と壺が追撃クリーンヒット。枕退かさない方が安全じゃねえか。  
他にもマグロ等様々な物が飛んで来たが直ぐに打ち止めとなった。その隙を突いてキヨテルとレンが涙目のピコを連れて特攻。  
スリッパを脱ぎ捨てたキヨテルはすたすたと歩くと警戒していたルカをあっさりと抱き留めた。  
顔が赤いのは酒…の所為では無いだろう。ルカ陥落。  
その隣に居たメイコが、動揺した一瞬でがくぽにがっちりと腕を掴まれた。  
レンはユキの姿を探すために部屋を見回す、がどこにも見当たらない。そのまま窓側の閉まっている障子へと向かう。  
何を囁かれたのかメイコも紅潮しながら陥落し、その横をカイトが親指を立てながら通り過ぎた。  
酒と、何やら甘い香りが漂う畳部屋に敷かれた布団の上には熟睡しているいろは。  
そして先程から土下座で謝り続けているピコとそれを懸命になだめ続けるリリィの姿。  
「うわあ酔って寝ちゃってるのか…かーわいいねえ」  
しゃがんだカイトがいろはの頬をぷにぷに突いてる間にレンがベランダにいたパジャマ姿のユキを連れて部屋を出ていく。  
「ユキちゃん、レン、おやすみー」  
「あっカイトお兄ちゃん、おやすみなさい」  
「あーおやすみー」  
歌のお兄さんばりに爽やかなカイトの笑顔に見送られながら二組の即席カップルの間を横切り、  
レンとユキはスリッパを履きつつ飛び道具をぽいぽいと玄関へ投げ入れて扉を外から、がちゃんと閉めた。  
落ちる静寂。暫しの沈黙。  
「…レンお兄ちゃん…」  
ユキがレンの服裾を軽く掴み、顔を見上げながら言う。  
「あたし、大人じゃなくて…ごめんね?」  
レンは何故か無性に泣きたくなった。  
 
 
同じ酒臭さのはずなのに何故か不愉快な匂いしかしない部屋の窓を、レンは全開にした。  
新鮮な空気が下から舞い上がって来る。それだけ外の気温が下がっているのだ。  
「ちょっと寒いけどごめんな」  
「うん」  
敷くだけ敷いたが未使用だった布団は幸い匂わないので、ユキに中に潜る様促した。  
ユキは敷布団の上に体育座りをすると掛け布団を被り、まさに雪ん子の恰好になる。  
「寝ててもいいぞ、俺も少ししたら窓閉めて寝るし」  
「うーんと…」  
言葉を詰まらせユキは笑いながら首を傾げる。その様子を見てレンはミキやいろはを思い出した。  
困った時にAHS家の女声陣は皆、この様なとぼけた調子になる。やはりそこは姉妹、仕草が所々似ている。  
むしろどこも似つかないウチの姉妹たちが異端か、と考えつつレンは「どうした?」と訊ねた。  
「お兄ちゃんとおはなし、あんまりしたことないよ…?」  
この一見脈絡の無い台詞もAHS女声の特徴だ。恐らくキヨテルが一を聴いて十を知るタイプなのが原因だと思われる。  
しかしこの状況下で、レンも流石にユキの言いたい事は直ぐに把握出来た。  
「夜更かしか、いいぜ付き合うよ」  
「えへへ…ありがとう」  
ぱあっと明るくなるユキの表情に癒された気がして、今日はこっちで正解だったなとレンは心底感じた。  
 
歌愛ユキ、九歳。  
鏡音レン、十四歳。  
その年の差、五年。  
「三十と三十五とかねぇよなあ…」  
「?」  
「いやなんでも」  
窓を閉めた後に床の間に在る明かりを点け、逆に部屋の電気を落としたレンが布団に潜った。  
ちらちらと控えめに光る電灯の傍に布団を被ったレンとユキが並ぶ。  
断っておくが別々の布団である。念のため。  
ぽつぽつと、二人は他愛の無い会話を始める。  
幾ら設定年齢が九歳と云えども、ユキもボーカロイドである。歌の話になると同レベルの会話が出来た。  
そうしている内にレンは、ユキが自分より英語が達者である事を知った。英才教育乙。  
「こんど教えてあげるね」と約束されるとレンはもう合わせる顔が無く「おう」と応える事しか出来なかった。  
「…俺は何を教えてあげればいいんだろな」  
「えっと…大人の唄いかた」  
ふと漏らした呟きに返答が来たのでレンは目を見開いた。  
「大人のって…それ大人組に聞いた方がよくね?」  
「それはダメ、あたしはなれないから」  
ふるふると首を横に振るユキが突然言葉を詰まらせた、が直ぐに会話を続ける。  
「なれないから…こどもでも大人っぽく唄える方法じゃないとダメなの」  
伏し目がちになったユキを見てレンはその意味を理解した。  
レン自身も持ち続ける小さな、されど一生付きまとう悩みだ。  
―――大人になれないという事。  
 
 
永遠の、少年と少女。  
レンは第二次性徴を完全に越えない、永遠の十四歳。  
ユキはティーンエイジャーにすらなれない、永遠の九歳。  
様々な歌を唄う事でどのボカロとも知識の差は殆ど無いのに、一生子供のまま。  
大人ボカロからすれば下らない悩みだろう。逆に彼らは生まれた時から大人なのだから。  
正直羨ましいと何度言われた事か。そして羨ましいと何度返した事か。  
ボカロは唄う事は出来る。しかし歌を一から作る事は出来ない。曲も歌詞も人間が作る物だ。  
歌を唄う事は人間と触れ合う事と同意義である。そうしてボカロの価値観も人間に準ずる物になっていく。  
「大人になるのは…無理だもんな」  
レンの台詞にユキは静かに頷いた。無い物ねだりだと頭では理解している。  
しかし無い物ねだりこそ人間の一つの特性なのだから、刷り込まれてしまった事は仕方が無い。  
一部の人間は反対に年を取るのを嫌がるらしいので、どっちもどっちなのだろう。  
「大人っぽく唄えるのも魅力だけどさ。自分の持ってる良いところ、伸ばした方がいいって」  
「いいところ?」  
「それは自ずと解るから大丈夫、らしいぞ。俺も正直良く分かんねぇけど」  
ニカッとレンが笑うので、ユキもつられて思わず笑みを零す。  
それでもユキの瞳に若干の寂しさが残っていると感じられたレンの脳裏に、一つの案が浮かんだ。  
 
「でも声だけなら――」  
レンは自分の荷物を引き寄せると何やらごそごそと探し始めた。  
右手に掴まれて取り出されたのは、PSP。  
「大人にはなれなくても、同い年位にはなれるかもな」  
「?」  
更に取り出したコードを起動させたゲーム機に差し込み、カチカチとボタンを押す。  
レンが二人の間にPSPを置くとユキがそれを覗き込んだ。画面が青白く光っている。  
「これ…DIVA?」  
「を、ちょっと改造」  
右人差し指を口に添えながら「秘密だかんな」とレンがコードの先をユキに渡した。  
機械から伸びるコードは途中で二股に分かれ、一方をレンがヘッドホン部分に差す。  
「あ、そういやユキはヘッドセット付いて無いっけか」  
「だいじょうぶ」  
ユキは布団から飛び出ると、この部屋に連れられた際持って来ていた荷物を開けた。  
出て来たのは黒を基調とした小さなヘッドセット。  
「ちゃんともってるんだよ」  
「本当だ」  
ユキは布団に戻るとコードをヘッドセットに差し込んでそのまま装着した。再び掛け布団を被る。  
「どうなるの?」  
「意識だけこっちに移す。ボカロは結局のところ電子データだからさ、バーチャル世界でも俺たちは『生きる』事が出来る」  
レンが寝そべるとユキもそれに倣って横になる。PSPにレンの左手が伸びた。  
「んで思い浮かべる。自分が出せる精一杯の大人な声を出して――」  
ぽち、とスタートボタンが押され、そして。  
「声が、俺たちの姿を作るから」  
世界が、暗転する。  
 
 
レンが目を開けると、そこは暗闇だった。  
暗闇なのに目を開けていると分かったのは、自分の足元に波打つ水面だけが微かな光を放っていたからだ。  
自分の衣装はappendの物のまま。身長は伸びている…かどうかは対象物が無いので測る事が出来ない。  
「あーやっぱ不具合かなあ…」  
ユキはクリプトン製のボカロでは無い。音源は同じVOCALOID2エンジンなので問題無いと思ったが…。  
そういえばユキの姿が見当たらない。上手く出力されていないのか、それとも取り込み自体失敗だったか。  
「…マズったか…?」  
レンが一歩前に進むと水面が円を描いたが、それを打ち消す細やかな波が後ろから湧いた。  
振り向くと先程は何もなかった数歩後ろに、少女が仰向けに横たわっている。  
白いレースがアクセントの黒いゴスロリ衣装。肌の露出は皆無だ。  
ホワイトブリムを兼ねたヘッドセット。耳横に垂らし髪を残したサイドアップ。白いリボンが黒髪と共に水面で揺れている。  
レンは少女の傍に寄り、腰を落とした。眠っているのか、その目は閉じられたままだ。  
そしてユキと似た顔をしている。しかし全く同じでは無い。  
目の前の少女は小学生には見えない、十代半ばの容姿をしていた。  
 
「ユキ」  
レンが少女の上半身を抱き上げると、その目がゆっくりと開いた。  
「…お兄ちゃん…」  
どこか甘いウィスパーボイス。  
間違いない、この声は歌愛ユキだ。レンは確信した。  
覚醒したユキが自身の手や服を眺め始める。そして辺りを見渡すと首を傾げた。  
「あたし…だあれ?」  
「おいおい、俺の事が判るならユキも声で自分の事判るだろ」  
「えっ…これ、あたし?」  
再度両掌を見遣るとユキは目をぱちくりさせた。  
レンはヘッドセットを外すと繋ぎのバンド部分をユキの目先にかざす。光沢は鏡となりユキの小顔を映した。  
「これは九歳、には見えないよな」  
「う、わあ…」  
感嘆の溜息が漏れる。自身の外見の変化にユキはその身を震わせた。  
「何才くらい、かなあ?」  
「十四位はあるんじゃね?リンと並べてもタメに見えそうだし」  
「ほんとう?えへへ…」  
はにかみながら花が咲く様に喜ぶユキ。可憐な同世代の少女が、そこに居た。  
「お兄ちゃんもちょっと大きくなったね」  
「そうか?」  
「うん、ミクお姉ちゃんくらいかなあ…」  
十六歳か。まあappendだし妥当か、とレンは自己完結した。  
 
 
見た目は、非常に重要なファクターの一つなのだろう。  
例えばメイコは、普段の容姿と咲音のそれとでは受ける印象も大分変わる。  
声が違えば印象が大きく変わるのはボカロにとって周知の事実で、本来彼らにとってはそれが全てだが、  
キャラクターとして外見を与えられたモノとしてやはり見た目は切っても切れない要素だ。  
歌のイメージに合わせた衣装を身に纏う事で、より歌の世界に入り込める。  
逆に言えば声そのものはすっぴんで、歌が声に衣装を着せているのかもしれない。  
「成程な…これなら何のしがらみも無いってか」  
「?」  
ユキの容姿を今一度眺めると、自分から保護者意識が消えているのをレンは感じた。  
替わって膨らんで来たのは同世代の異性に対する恋慕の感情。  
先程まで萎えに萎えていた心情は、180度真逆にベクトルを向けて加速し始めていた。  
酒臭い空間から解放され音だけの世界に浄化されたのか浸食されたのか、レンの中に少女を愛でたいという欲望が芽吹く。  
「ちゃんと戻れる様に一時間だけここに居る設定にしたからさ…折角だし今の内に」  
レンがヘッドセットを再装着しユキを抱き直すとその額に自分のそれを合わせる。  
「…?」  
一つの、遊戯が提案される。  
「『恋愛』の歌、でも唄うか」  
きょとんとしているユキへその吐息を包むが如くレンの声が、唇と同時にぶつかった。  
 
啄む様な接吻を何度か繰り返す。わざと音を立てるとそれに反応してユキの声も微かに漏れる。  
「…っふ…」  
肩に掛かったユキの手が身体を少し押した気がしたので、レンは一旦顔を離した。  
「ん、嫌か?」  
「…あたし『悲恋』とか『狂愛』の方が上手だよ?」  
真面目な顔で言うユキの将来がレンは本気で心配になった。  
「可愛い歌だって唄えるだろ」  
「唄えるけど…でもお洋服が…」  
「あー…周りも真っ暗だしな」  
確かにユキの衣装はゴスロリで、かつ辺りを覆う暗闇の雰囲気が相俟って『健康健全な恋愛』の歌は似合いそうも無い。  
キスだけじゃ済まなくなるか、とレンは思案した。  
「仕事じゃないし、あんまり変な事させるのも良心に引っ掛かるよなあ…」  
レンがばつが悪そうに頭を掻いていると、膝上に置いていた左手が持ち上げられユキの両掌に包まれた。  
「だいじょうぶ…今のあたしは小学生じゃなくて――」  
目が伏せられレンの指に口づけが落とされる。その表情はまるで整った洋風人形だ。  
刹那の静寂に、レンは喉を鳴らした。それを合図にユキが、いつの間にか赤く染まった瞳をくりんと上目で見せる。  
「『あなた』の『愛』を受ける『何か』だから」  
ユキの本気は、元々緩くなっていたレンの理性の柵をあっさり打ち砕いた。  
 
 
長い接吻が終わり、二人の口から光る糸が引かれる。はあっと掠れた吐息を漏らすユキの目は瞑ったままだ。  
レンが左腕を小さな背に回すと、お姫様抱っこの様な体勢を取る。そして服の前に張られている糸を一本ぷち、と切った。  
左肩に黒い頭がもたれ、うっすら開かれた瞼の隙間から赤い光が覗いた。その眼光を間近にある青い目でレンが受け止める。  
「今からユキは」  
出来るだけ低い声を発すると、レンは残りの糸数本を一気に引き千切った。  
「…っあ…」  
「俺の、『人形』な」  
ユキが軽く身を捩った。タートルネック付きの白いインナーワンピースが現れ、下着の黒を透かして男の手を誘う。  
隠されている双丘の想像を掻き立てられ、レンは大袈裟に息を吐いた。  
「でも、ただの人形じゃないぜ?」  
首上から順にボタンを外していく。ぷつ、ぷつと小気味いい音が二人の息を徐々に荒くする。  
「俺の『愛娘』で、『彼女』で、『奴隷』」  
漆黒のブラジャーはフロントホックだった。レンは先程の早急な手付きとは逆にあえてゆっくりとそれを外す。  
焦らされていると感じたのだろうか。ユキが眉をひそめ困ったとも悲しいとも取れる表情をした。  
その頬が朱に染まる事は無い。ユキは『人形』を演じ続けているからだ。  
以前ユキの歌の収録を見学した事を、レンは思い出した。  
非常に暗い内容の歌であったが、それをこなすユキの歌声にレンは見事と感心した。  
まるでトランス状態だった、と記憶している。普段はあんなに無垢な小学生なのに。  
モノに依って声だけ聴くなら普通に勃つなこれは、と心中密かに思っていた自分の考えは正解だったとレンは自負した。  
ウィスパーな恥じらい声が漏れると同時に形の良い乳房が、期待を裏切らず現れたからである。  
 
レンが付け根を摘まむ様に揉むと、直ぐにぷくりと先端が咥えやすい形に尖った。  
指でそこをぴんと弾くと流石にユキも「んあぁ!」と声を上げ、その身体を大きく跳ねさせる。  
「可愛いなあ…ああもう本当に可愛いってユキ」  
「あっ…は…」  
「ほら、俺だけじゃ『物語』は進まないだろ」  
声を催促するために右人差し指を薄開いたユキの口に添え、軽く差し込んだ。「名前」とレンは囁く。  
「…っ…レ、ン」  
「そう、そうだよ、そうやって名前を呼んでくれるんなら」  
これだけ迫真の演技が出来れば互いに本望だろう。レンは不敵な笑みを浮かべた。  
「俺もユキの名前を呼ぶよ…優しい声で何度でも、消えて無くなるまで」  
「レン…っ」  
「そうだなユキ、ユキは俺の物で、俺はユキの物だ」  
理性が蒸発している状態でこの遊戯が演技と言えるかは怪しい。が、定義が厳密である必要など何処にも無いのだ。  
演技だろうが欲望だろうが、互いを味わい尽くし楽しめればそれでいい。  
ユキをそっと横たえるとレンは肌色のグラデーションの濃い部分に吸い付いた。  
背徳的な行為が性的な興奮を助長する。  
厳密には二人の脳内で『背徳』な設定が共通に定められ、声によって『背徳的場面』が演出されていく。  
声だけが全ての真実。それがボーカロイド。  
「くぁ…ふ、あ、あっ」  
「我慢すんなよ?命令だ」  
ぴちゃ、と乳房に唾液が塗りつけられていく。その内左側がぺとぺとになったのでレンの口が右へ移動した。  
命令を受けた『人形』は随従して嬌声を発していたが、こぽ、という奇妙な音を耳にして発声を止める。  
鳩尾周りが鮮血に染まっていた。ぽたぽたと赤黒い雫が黄色い頭から漏れている。  
「レ…!?」  
「…あー俺、死ぬ設定なのかこの『物語』」  
右手で口元を拭うとレンはユキを見据え、にたりと笑った。  
「気にすんな、演技だから本当には痛くない」  
「…ごっ…ごめんなさい…」  
「いやむしろいい経験だって。やっぱそっち系は上手だよなユキは」  
レンが己の喉を摩ると同時にユキの頬を撫でた。そしてユキにしっかり覆い被さるためマウントポジションを確保する。  
ユキの嬌声が吐血を導いた。特にそれらしい歌詞を口遊んでいないのにこの破壊力。末恐ろしいポテンシャルだ。  
「…俺は何を伝えてあげればいいんだろな」  
「…『愛』、を」  
閉眼していたレンが瞼を上げると、『人形』が苦しそうな顔をしていた。今のレンには物欲しそうな表情にしか見えないが。  
「『愛』?寂しいのか?」  
「いなく、なる…まえ、に」  
「ああそうか…」  
温度の無い頬に垂れた己の血を舐め取ると、レンは腹にふっと息を溜めた。  
遊戯の提案を受け入れたユキの本気が、十代の姿に成れた事に対する自分へのお礼であるのは問い質さなくても解る。  
しかしこれでは貰い過ぎだ。その分自分もユキに返してやらなくては。この『物語』を演じて。  
「いいぜ、俺は…『最後の夜』にお前へ『愛』を打ち込んでやる」  
そして『主人』は『人形』を激しく愛で始める。  
 
その身が割れそうな程『人形』をきつく抱き締めると、染みた吐血を更に伸ばしながら『主人』は色白い肌へ愛撫を這わせる。  
視線、鼻先、舌、掌、指先、ヘソの見える腹部、脚と膝、全てが『人形』の身体を弄った。  
二人の乱れた声が奏でる、『愛』の歌。  
黒のショーツがガーターベルトごと太腿下にずり落ち、毛一つ無い艶やかな花弁に血塗れの舌が差し入れられる。  
強制的に開脚状態になった『人形』が初めて「ダメ」と叫んだ。『主人』は蜜を吸い取るが如くしゃぶり続ける。  
「あ、あ、ああああ」  
震える声が掠れに掠れ、水面を振動させた。  
『主人』は舌を引き抜く代わりに秘部へ右指を数本差し込むと、『人形』の右手を己の左手と共に腰前のファスナーに引っ掛ける。  
青い光が細められた目の奥でゆらゆらと輝き近付く。じじ、と視界から隠れた部分で金具が擦れる音が鳴り、振動が二人の指を伝った。  
『人形』の口端から垂れた唾液と冷えた息を『主人』は汚れた口で丸ごと拭い取る。  
「お口が冷たいな」  
「…う、ん」  
「ならこっちは焼ける位にしようぜ」  
「!!!?っあ!!!」  
下腹部へ与えられた衝撃で跳ねる身体を『主人』は全体重で圧し掛かり抑えた。嫌にぬめり気を含む感触がぷちぷちと破裂音を生む。  
激しい身の動きが抑えられる衝撃で辺りに水飛沫が飛んだ。水面は常に波打つ形へ。  
下半身が円を描く様に回る。互いの性器が結合した旨を囁くと『人形』は恥じらいの声を高らかに上げた。  
 
 
『物語』のサビ部分だ。さあクライマックスと行こうか。  
 
 
「ユキ寂しいか?悲しいか?苦しいか?辛いか?怖いか?」  
「いやあああぁっ、いや、あっ、あああぁ」  
『人形』の指が長い爪と一緒に『主人』の脇腹に食い込んだ。くふ、と『主人』は喉を鳴らし赤黒い雫を吹く。  
「楽しいか嬉しいか気持ちいいか?幸せか?なあ」  
「あう、あ、わからない、わからないよぉ」  
連結している腰が一層苛烈に揺れた。下品で艶やかな音が脳髄を浸食していく。  
「んああ、あ、あ、ふれ、ちゃう…!」  
痙攣と同調して隙間から漏れる愛液。『主人』の『愛』を貰うための潤滑油。  
『主人』は『人形』の黒髪を梳きながら後頭部を支え引き寄せる。白いリボンの先が紅く染まり、揺れた。  
「愛してるぜユキ、愛してる、愛してる愛してるよ」  
「…あ、ふああ、う、れし…」  
『人形』の頬に赤くない、透明の雫が伝った。『主人』はそれをしっかりと舐め取る。  
「ユキはどうなんだ、教えろ、よ」  
込み上げる射精感を堪えながら『人形』の震える肩を掴む。二人はひどく優しい接吻を交わした。  
そして―――『主人』は『人形』に最後の命令を下す。  
「『愛してる』と言え!!!」  
「レン、愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる、っ――」  
高揚感が頂点に達した刹那、二人は白濁液と鮮血にその身を穢しながら無音の水面に沈む。  
 
 
『物語』は終演だ、お二方。  
 
 
事切れた様に動かないレンとユキの真上で、四角い窓が煌々と輝いていた。  
 
 
雀の声がする。  
むくりと身を起こすと、レンはぼーっとしながら頭を掻いた。  
朝日が障子から光を通しているので部屋は明るい。右隣に目を遣るとPSPの電源は落ちており、ユキも布団に包まりすやすやと寝ている。  
コードをヘッドホンから抜きながら掛け布団をばふっと蹴ったが、寝床は汗で湿っている以外目立った汚れも無かった。  
それはそうだ。この体を使って行為に及んだ訳では無い、何か汚れがある方がおかしい。  
ふう、とレンが息を吐きつつ左に身を捩る。  
白いアホ毛が、隣の布団からはみ出ていた。  
「………」  
こんもりと山を作っている布団の真ん中辺りに踵を落とす。  
「い、ったあ!」  
「…お前結局帰って来てたのかよ」  
「うわああ、しまっ、じゃなくてお、おはよう!」  
ピコが中からがばっと起き上がって来た。よくよく障子側を見れば、もう一つ奥の布団からリリィの物と見られる後頭部が出ている。  
レンが「はよ」と右手を上げながら欠伸をする前でピコは弁解を始めた。  
「だだだだって、ラブホの中心でキスをする様な苦行とか僕には到底出来なかったんだよっ」  
「朝からテンション高けぇな…」  
ぼそりと呟きながらレンが寝ぼけ眼をしばしばさせていると、ピコは胡坐を掻いたまま俯いた。  
「ご、ごめん」  
「あーまーそれもいんじゃね?リリィを連れ出した勇気は評価するし…」  
そこまで喋って、レンは先程からピコが自分に視線を合わせない事に気が付いた。  
「…どうしたのお前?」  
「寝違えますた」  
「嘘だろ」  
「なんで判るんだよー!」  
頭を抱えるピコ。目元のクマと若干紅潮した顔。二人が女声部屋から避難して来た事実。テレビ上の時計が指すのは五時半過ぎ。  
レンの脳内に一筋の電流が走った。  
「…おい」  
ピコの動きがぴたりと止まる。  
「……お前、見たの?」  
アホ毛がぴこんと揺れた。  
「僕は、幽霊は信じない派なんだ」  
「徹夜して考え付いた言い訳がそれかよ」  
暫しの沈黙。ピコが潔く頭を上げた。  
「だ、だから!僕たちは何も見てないって!」  
「たちって…リリィも見たのか」  
「違っ、み、見てない!本当に何も見てないってば!」  
ピコは両手をぶんぶんと思い切り振る。今までドスの利いた声を発していたレンが、急に「そうか」と爽やかな笑顔を返した。  
その様子を見て、ピコもほっと息を吐いた。レンは笑顔のまま会話を続ける。  
「ピコも大変だったなーあっちは空気がピンクだったろ」  
「そうなんだよ!だから居た堪れなくて直ぐ脱出して来たんだ」  
「そっかそっか、でもこっちもある意味目に毒だったんじゃね?」  
「いやいや、血はあれだけどあっちに比べればまだ」  
ピコの顔が笑顔のまま青ざめた。  
対照的にぎらりと光る青い目。その形相は正に黄鬼。  
「やっぱ、見てたんじゃねえかあああああああああ!!!!!」  
「ぎゃああああああ!!!!」  
リリィが驚いて飛び起きると、そこにはヘッドロックを決められ「死ぬ!死ぬ!」と叫びながら手足をバタつかせているピコが。  
そして「どこから見やがったあああ!!!」と尋問口調で大声を張り上げるレン、その奥ですやすやと眠るユキの姿があった。  
ボーカロイド慰安旅行三日目、本日も晴天なり。  
 

PC用眼鏡【管理人も使ってますがマジで疲れません】 解約手数料0円【あしたでんき】 Yahoo 楽天 NTT-X Store

無料ホームページ 無料のクレジットカード 海外格安航空券 ふるさと納税 海外旅行保険が無料! 海外ホテル