――春爛漫のみぎり、ご清栄のこととお喜び申し上げます。  
――皆様方におかれましてはいかがお過ごしでしょうか。  
 
桜色の便箋を開くと、達筆ながらもかわいらしい文字が並んでいた。  
文体は丁寧かつどこか凛とした空気を伝え、書き手の人柄を感じさせる。  
 
――この間道端に咲いているオオイヌノフグリを見つけました。  
――木陰が掛かった道端の角で密やかに咲くその花を眺めていると、  
――ここにも確かに春は有るのだと…  
 
「誰からの手紙?」  
グミが縁側に座っている神威がくぽに背後から近づくと、兄が持つ便箋を覗きこんだ。  
同時にがくぽは軽く首をひねり、春色の紙から斜め後ろに視線を移した。  
眉を顰めながらやや強い口調で妹をたしなめる。  
「人が読んでいるものを横から覗き見するなと前に言わなかったか」  
「別に見てませんよー覗いただけですよー」  
口を軽く尖らせながらグミはがくぽの両肩に掌を当てるとそのまま揉み出した。  
「で、誰からの手紙?」  
「ミズキだ」  
「ミズキ…ってVY1のMIZKI!?」  
ヤマハによって開発されビープラッツ社よりデビューしたボーカロイド、VY1。  
VY1は特定の姿を有していない。あえてキャラクターを設定していないことでクリエイターたちの  
創作意欲を掻き立て、それぞれの歌声に対し自在に姿を変えていくというボカロである。  
共通認識としてあるのは彼女自身の声と『MIZKI』という愛称だけ。  
「えっ、ちょっとなんでいつの間に!?」  
「いつの間にも何も…一緒に仕事したことあるだろうお前も」  
「そうじゃなくてっ」  
グミががくぽの肩をだむっと叩く。あ、今のは結構キいた。  
「いつの間にそんなに仲良しってこと!」  
「肩叩きはありがたいが…ちと雑過ぎやしないか」  
「はぐらかさな・い・で・よっ」  
ぐりぐりと肩に握り拳を捻じ込まれ思わず鈍い声を上げたがくぽの耳に、廊下から響く二つの足音が届く。  
「おかしもってきたよー」  
「兄さんどうしたの、なんだか変な声が…」  
煎餅を乗せた皿を手にしたリュウトと湯呑を乗せた盆を持ったリリィが廊下の角を曲がって来た。  
「ふふふ、ご覧の通りスキンシップですよスキンシップ」  
「こんな一方的なスキンシップがあるか…っ、痛!」  
「ずるいわ、二人だけで楽しそうにしてて」  
「ボクもまぜてまぜてー」  
胡坐の上へリュウトにダイブされ、尚も肩にグミからの攻撃を受け続けそろそろ本気でしんどくなってきた  
がくぽの右隣にリリィが微笑みながら座る。四人の前に広がるは陽だまりの中、庭一面に咲き誇るサクラソウ。  
かくして、インタネ家恒例の縁側おやつの時間が始まった。  
 
――初めての春。花の舞う季節。  
――心浮き立つと言った先人の思いが解り掛けた気がします。  
――溢れんばかりの生命から聞こえる息吹がこの身を包むからだと、私は思うのです。  
 
「なんだかいいにおいがするよ?」  
「あ、やっぱり?その手紙から香ってない?」  
黄緑妹弟の指摘に対し、がくぽが小さな和紙を封筒から出す。  
「文香だ、ほら」  
「フミコウ?」  
「この袋が手紙と一緒に入ってたの?」  
手鞠柄の小さな丸い和紙。二人が鼻を近づけると桜の香りが漂ってきた。  
遅れてリリィも覗き込む。すんすんと鼻を動かす三人を見下ろしていたがくぽは思わず頬を緩ませた。  
「そういえばレターフレグランスって聞いたことある…」  
「それはよく知らんが、おそらく同じものだろうな」  
「ふうん…手紙ってあんまり書かないから初めて見た」  
「かしてかして!」  
がくぽがリュウトの差し出した手に文香を乗せた。もにもにとリュウトがそれを指先で触ると途端に声を上げる。  
「なにか中にあるよ!?」  
「香料が中に入っているんだ」  
「なるほどね〜だから香りが…あっ、リリィありがと」  
「うん、兄さんもリュウトに廻してあげて」  
がくぽは湯呑をリリィから受け取ると文香と交換でリュウトにそれを渡した。  
グミとリュウトがきちんと腰を下ろすと、今度は男二人の間に鎮座した皿から煎餅が皆に行き渡る。  
兄妹弟は気持ち程度に湯呑を回すと一斉に緑茶を口にした。  
 
 
「話戻すけど」  
グミが一枚目の煎餅を食べ終え口を開いた。  
「ミズキから手紙貰うってどういう仲なの?」  
「戻すと言うか蒸し返すと言うか…」  
「ミズキさんからだったの、その手紙」  
しぶい顔をしている兄との間に置かれた便箋をじっとリリィが見つめた。  
心なしかリリィの声が明るい。両者とも名前が花由来であることからどうやら親近感が有るらしい。  
「グミ、お前の言わんとしていることは分かるがあえて言おう。特別何が有るわけでもない」  
「信用できませーん」  
「せーん」  
グミの反応に呼応してリュウトが口調を真似する。ふう、とがくぽは息を吐くと湯呑を傍らに置き、  
再度桜色の便箋を手にして開くと綴られている文章を読み上げ始めた。  
 
――音とは別に、香りも世界の構築を担う大事な要素の一つなのでしょう。  
――桜の香りを嗅ぐと“幸せ”な気持ちになります。  
――皆様にも“幸せ”が届きますように。花冷えの季節、どうか体調をくずされませんように。  
 
いつの間にか妹弟三人ががくぽを囲んで手紙を覗いていた。  
 
「…と、一家皆に宛てられた手紙だという訳だ」  
「ミズキさんきれいな字…」  
「だって覗き見するなとか言われたら勘ぐっちゃうってばー…」  
「さくらかあ、サクラソウの次はさくらのお花見だね」  
多種多様の感想を聞きながらがくぽはリュウトの頭を撫でた。  
「ああ、桜の花見はボカロ全員揃ってするつもりだ」  
「そっか、リリィとリュウトは桜は初めてだもんね」  
「えへへ…たのしみだなぁ」  
「サクラソウの時期が終わったら…兄さん、お返事はお誘いの手紙にしたら?」  
柔らかい風が運ぶサクラソウの香りが、文香のそれと混ざる。  
リリィの提案にそのつもりだ、とがくぽは便箋を見つめながら静かに述べた。  
 
 
     *  
 
 
「私には音しかない」  
クリスマスライブ開始前、舞台袖でスタッフの仕事を見学していたミズキが呟いた。  
「今持つ姿も私の声にたまたま当てられた衣装に過ぎない…」  
がくぽはミズキの斜め後ろに佇んでいた。背を向けている彼女の表情は見えない。  
雑多な音に掻き消えた台詞にあえてがくぽは反応を返した。  
「それは…ボカロ全員に当てはまることではないか?」  
「音が無くても貴方は『神威がくぽ』として生き続ける。貴方の容姿は唯一無二」  
ライブ用の華やかな衣装が、空調の風に揺れた。  
「私にはそれが無い…」  
 
 
「貴方の言う通り」  
振り向いたミズキの声に表情は無かった。  
「声在ってこそのボーカロイドであることは理解しているしその誇りもある」  
ミズキの小さな左手が、彼女の喉元を押さえた。  
彼女の背後にある舞台の照明が眩しく、ミズキの姿をがくぽは上手く捉えられない。  
「作り手によって様々な姿を持てるのがうらやましいと、言われた」  
彼女の視線ががくぽから外れた、様に見えた。  
「だけど私は音楽に携わらぬ人々と接することが困難で」  
しかしすっと顔をあげるとミズキは舞台袖から出るために奥の扉へ歩みだした。  
そのまま、がくぽの横を通り過ぎる。  
「そして分からなくなる」  
 
 
「この声以外からもたらされる命を、渇望している私の自我は果たして何処から生まれたのかしら?」  
 
 
光を浴びた両眼で見返ると、ミズキの姿は闇の向こうへ掻き消えようとしていた。  
 
 
     *  
 
 
夜更け時。自室の明かりを消し、布団へ横になるとがくぽは目を瞑った。  
が、暫くして目を開けると枕元の携帯電話を手に取り内蔵されたアドレス帳から電話を掛けた。  
右耳に携帯を当てその声を待つ。  
『――もしもし』  
「ああ、夜分遅くにすまない。もう休んでいたかな」  
『いいえ、大丈夫』  
ミズキの声が枕に響く。がくぽは思わず左耳を下に姿勢を動かすと布団を被り直した。  
『…なにやらもさもさ音がするわ』  
「布団の中だからな、言わせるな恥ずかしい」  
『恥らう理由が意味不明』  
突き放すような言葉のトーンに彼女の優しさを垣間見たがくぽは、はははと軽い声を上げて笑った。  
「そっちはやけに静かだな、家には居る様だが」  
『布団の中よ、言わせないで恥ずかしい』  
「ふむ、これはもしや遠距離ピロートークか」  
『やっぱり起きる』  
待て待てとがくぽが突っ込みを入れると、受話スピーカーからクスクスと明るい声が漏れてきた。  
『それで今月書いた手紙は…届いたのかしら』  
「ああ、一家の前で読み上げる位に立派な文を貰った。ありがとう」  
『こちらこそ…ありがとう』  
ミズキの柔らかい声に、がくぽは無意識に目を伏せた。  
『文を書いていると、どんどん知らなかった思いに気付かされる』  
「…そうか」  
『貴方に教わった文香も』  
「良い香りだった」  
『本物の香りがもうすぐ香ってくるのね…』  
 
 
あの時。  
その背中に手を伸ばしたのも。ミズキを呼び止めたのも。  
ならばと彼女固有の形を残す方法を脳味噌フル回転で考えたのも。  
一筆したためてはどうかという助言も。  
全てその場の勢いで実は深い意味も無い行動であったのは恥ずかしながら事実ではあるが。  
 
 
「こちらにも“幸せ”は間違いなく届いた」  
思いに気付かされたのは、己やも知れぬ。  
『そう』  
貴女の文から春を感じ、そして文香から美しい光景を脳裏に視た。  
揺るぎないその姿に思いを馳せながら、それまでは夢を見ていよう、と。  
『よかった』  
返事の手紙にそう書き綴った。  
それを読んだらミズキはどう感じるだろうか。  
「先程返事を書いて出した。そこにも書いているが今度ボカロ全員参加の花見が…」  
 
 
咲き誇る桜、舞う花弁。響く歌声。  
春の香りと色に包まれながら微笑むミズキの姿。  
この“幸せ”が真実になるまで、あと数日。  
 
 

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