鏡音リンの握っているハサミがシャリシャリ動くたび、氷山キヨテルは己の意識が現から徐々に遠ざけられていくのを感じた。  
切られているのは後頭部の髪なので目を開けることは可能だった。が、キヨテルはあえて目を瞑り散髪音に神経を集中させる。  
「せんせー、眠いの?」  
リンの朗らかな声が頭上から降ってきた。夢心地だった意識はにわかに現実へと引っ張り上げられる。  
「……眠いけど眠るつもりはないよ」  
「えーなんで? 寝ててもいいよ?」  
ハサミの動きが一旦止まり、リンの小さな左手がわさわさとキヨテルの後頭部を撫でる。  
はらはらと寸断された毛が肩に滑り落ちていくのを、キヨテルはビニール製ケープ越しに感じた。  
「船漕いでても刺したりしない、から」  
リンは頭のてっぺんの髪を一房摘まむと、パチンとその毛先を落とす。  
「その辺は信頼しているよ、髪を触らせている時点でね。しかし仕上がりがあまりに奇抜だと困る」  
「先鋭的シャープさを含む新しい髪型?」  
「単語の意味が三つほど重複している所為で、文章の肝心な内容が希薄だな」  
「得意なのは算数なのになんで国語を突っ込むかなー」  
左目を薄っすら開くと、目の前の鏡の中に大袈裟にアヒル口をした少女が佇んでいた。  
ぷりぷりという効果音が似合いそうな表情に吹き出しそうになるのを、キヨテルは奥歯を噛み締めて耐える。  
 
「あっ、笑ったら危ないってば! ていうかなんで笑うし!」  
リンが声を張り上げた。ああ、耐える反応が少し遅かったか。  
「いや、笑ってないよ」  
「笑ったじゃん、肩揺れたし! せんせーが嘘つくとかイクナイ!」  
「それは違うなリン、この世には吐いて良い嘘といけない嘘の二つがあるんだ」  
再び瞼を閉じて神経を音のみに集中させると、ハサミの音が脳内にシャクシャクと鳴り響き始める。  
リンが黙り込んでいるのは散髪に集中しているから、ではないなとキヨテルは闇の中で推測していた。  
クリプトン女声陣は「皆頑固で引くことを知らないから困るよ」とマフラー男が飲み会で愚痴っていたのを思い出したからだ。  
実際、確かにそうだとキヨテルは至極納得せざるを得ない。  
例えば、キヨテルは初音ミクと仕事をする際必ず眼鏡を奪われる。そして収録あがりまで返してもらえない。  
傍若無人な振る舞いに大袈裟に呆れてみても、天真爛漫な笑顔で返されるだけなので成す術もない。  
説き伏せる気も既に彼方へと消え失せた。ある意味ミクに逆らえない構図が出来上がってしまっている。あな恐ろしや。  
「……じゃあさ」  
シャッと軽い金属音が鳴ったと思えば、突如辺りを静寂が包み込んだ。  
「……?」  
彼女から発せられる音が消えた。散髪は終了したのだろうか。  
そんな思考の元でキヨテルが目を開けようとした瞬間、  
「せんせーはいい嘘と悪い嘘、区別できるんだよね?」  
と言うリンの声が左耳に大音量で突き刺さった。  
 
「……ホントはね、リンはね……」  
キヨテルはまんまと己の目を開け損ねた。  
いや、開けてはいけないことは何もないが、耳元で囁く声がそれを許さない甘いプレッシャーを放っている。  
つまりは黙って聴け、と。まあ散髪してもらっているのだから、これくらいの遊戯には乗ってあげるべきだろう。  
「リンはせんせー……キヨテルさんのことがね……」  
リンは自身の前に鎮座している身体の何処にも触れず、ただただ左耳にこしょこしょと囁きを落とした。  
キヨテルは眉間に若干の皺を寄せると同時に、後頭部右側の髪が数本摘ままれる感覚を受ける。  
「こうやってー……髪を弄ってあげたくなっちゃうくらい、に……」  
くすくすと吐息を零し続けながら、リンは摘まんだ毛先を軽く引っ張る。案の定、背筋をぞわりと這う痺れは腰へと流れていく。  
しかしながらキヨテルは思考回路の中で、少女の意図というより心情を冷静に分析していた。  
どこか第三者的に物事を見据えるのは自分の長所でも短所でもあるだろうが――  
「×××を××××××で攻めてあげたくなるくらい好き、だよ?」  
 
くちゃ、と耳朶を食まれた。  
喧嘩売ってんのかこのマセ餓鬼。  
 
「××××××で攻められるのは遠慮願いたいな」  
「えー×××の一つや二つくらい」  
両肩にぽんと小さな掌が乗った。  
途端にリンの声色が元通りになったのでキヨテルは瞼を上げ、目の前の鏡を見据える。  
鏡の中のリンはいつも通りの笑顔をにこにこ浮かべていた。ただしキヨテルの左耳に噛みついたままであるが。  
「……軽くホラーだな」  
「ふーんだ、どうせリンは色気ないですよー」  
もう一度もにもにと耳たぶを食み、そして顔を上げたリンが「それで?」とキヨテルに問いかける。  
「今のはいい嘘? それとも悪い嘘?」  
「解答権を強制的に押し付けるのは立派な人権侵害じゃないかな」  
「難しいこと言ったってダメ! で、いいの悪いのどっちなの?」  
鏡越しにリンとキヨテルは互いを凝視する。数秒後、青年の方が深く息を吐いた。  
「……判別できないな」  
「ほらみれ、せんせーの嘘吐き」  
わちゃわちゃとキヨテルの髪全体を両手で掻き回すと、してやった顔のリンは腰のベルトに仕舞っていたハサミを取り出す。  
ショキショキという音で散髪が再開され、キヨテルもまた静かに目を閉じる。  
「そもそも提示された仮定が偽じゃあ、命題が真になってしまうからね」  
「はあ? なにそれ」  
鏡中の青年がほくそ笑む。  
「今の告白は『本当』だから、そもそも嘘じゃあないだろう?」  
鏡中の少女は目をまあるく見開くと、唇を尖らせながら後ろ髪の裾をばつんと切り落とすのだった。  
 

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