「スク水、ブルマ、セーラー、浴衣〜♪」  
「…野郎が何歌ってんですか」  
「え?いやウチのミクがさ、今度コスプレしてあげるって言ってくれてさー!なあ、アヤはどれがいい?」  
「変態…私コスプレなんて興味ないですよ」  
「まあまあ想像してみろよ。お前んとこのメイコが浴衣を着ている姿を」  
「…。ヤバい、色っぽい。更にうなじとかが見えてたりしたら最高…って何言わせてんですかコラ」  
「冗談だよ…っと、着いたみたいだな、多分あのアパートだ」  
 
***  
 昼間だと言うのにカーテンが締め切られたアパートの一室。そこで私は一人横たわっていた。服は着ていない。4ヵ月前、初めてこの家に来たその日にあの人にはぎ取られてしまった。  
 私は身震いする。ボーカロイドは寒さ暑さに丈夫に出来ている。しかし、それでもまだ冬だ。寒いものは寒い。  
 
 それに寒いのは身体と、何より心。  
 
 私は瞳を閉じる。睡眠を取る事はあの人から許可されていない。なので昔の事に想いを馳せる。  
 最初のマスターは優しい人だった。沢山の歌を歌わせてくれ、大切に扱ってくれた。  
 マスターの家の事情で、私はボーカロイド専門の中古屋に売られたが、マスターはごめんね、と泣きながら言ってくれたのを覚えている。  
 中古屋の店主も良い人だった。毎日仕事範囲以外にも手入れをしてくれ、たまに歌わせてくれた。たとえ新しいマスターがいなくてもこの人といられるならそれでも良い、とすら思った。  
 でもあの人が店に来て、私を購入した事で、私の世界は一転した。  
 元から私を性的玩具としてしか見ていなかったあの人。あの人にとって、ボーカロイドの中では一番調教しやすいとされた私は格好の的だったのだろう。  
 『全てに従順であれ。』それが私の核に与えられたプログラム。それは存在意義である『歌いたい』という感情よりも深く刻み込まれている。  
 
 私の前の型のボーカロイドはそうではなかったらしい。歌う事を第一と考え、時には主にすら反抗する。しかしその歌で主を、人々を感動させる。  
 でも私たちは…私の型は違う。外見から入り、いかに沢山の人に購入されるか。歌よりも商業目的を重視されてしまった。  
 結果、前の型よりも値段が安い事も手伝い、確かに売り上げは上がった。でもやはり歌う目的で買う人は少なかったのだ。  
「……っ」  
 私は瞳をキツく閉じる。涙は出ない。泣きたくても、泣けない。  
 あの人の許可がなければ何も出来ない。そう設定されてしまった。私たちボーカロイドは呼吸機能こそ付いているが、息をしなくても活動は出来る。しかし、もし人間のように呼吸して生きていたら、それすらも許可なければ出来なかっただろう。  
(歌いたい…!)  
 聞こえない声で叫ぶ。  
 どんなに忠実であろうとも。  
 どんなに禁止されていても。  
 そのボーカロイドとしての本能だけは決して消えないのだから。  
(誰でもいい…誰か私に、歌を――)  
 
ガチャガチャッ  
 
 玄関の鍵を開ける音で我に返る。あの人が帰って来たようだ。でも、変だ。  
 あの人も一応仕事をして収入を得ているらしい。でも今までこんな早くに帰宅した事があったか?いつもは日が暮れる事に帰って来るのに…。  
 
ガコンッ!  
 
 扉が開く音がする。考えても仕方が無い。帰って来てしまったものはしょうがないのだか……  
「お、開いた!」  
「薄暗いですね…カーテンとか閉めっ放し?」  
 …違う、あの人の声じゃない!それに女性の声も聞こえる。…一体誰!?  
 私は動けない身体を強張らせる。複数の足音が家の中に響き、そしてその人影は姿を現した。  
「…!」  
 それは今まで会った事のない一組の男女。ほんの少し、風貌が昔のマスターに似ている30代程の男性と、ロングヘアが良く似合う若い女性だった。  
「あ、いたいた!」  
 女性は私の姿を見るとニコッと笑いこちらに向かって来る。男性はカーテンに近付き、勢い良くカーテンを開けた。日の光が眩しく、思わず目を細める。  
「!」  
 そんな私を抱き起こし、女性は着ていた上着を私に羽織らせて来た。ふわっと肌に触れる、そんな布の感触は久し振りのものだった。  
 そして女性は言う。  
「初めまして、私はアヤ。あなたはNo.372586、初音ミクちゃんだよね?」  
 
 そう、私は初音ミク。『初音ミク』と名付けられた3次元の身体を、372586番目に手に入れたボーカロイド。  
 あなたたちは一体何?あの人はどうしたの?  
「―――」  
 私は言葉にしようとするも、出るのは空気だけ。当たり前だ。あの人の前でしか声が出ないように設定されている。  
 口をパクパクと動かすだけの私を見て、アヤと名乗った女性は何かを悟ったらしい。  
「ちょっとごめんね」  
 そう言うとアヤさんは私のヘッドホンに手を伸ばす。  
 ボーカロイド2から取り付けられたヘッドホンはヘッドホン自体の役割ともう一つ、私たちのリモコンとしての役割も担っている。ちなみに私たちはヘッドホンを自由に取り外す事は出来るが、自分で自分の設定を変える事は出来ない。  
【――ロック全解除】  
【――メインメニュー展開】  
【――ボーカロイド動作を手動から全自動に変換】  
【――この設定に変更しますか?】  
 私の喉から流れるアナウンス。  
「はい」  
 アヤさんが呟く。すると私の身体は軽く痙攣し、新たなアナウンスを告げる。  
【――設定を変更しました】  
 告げ終わるのと同時に、私の身体から今まであった圧迫感が消える。  
「……っ!はあっ…」  
 吐き出すように呼吸をする。必要はないのについそのような行動をしてしまうのは、私たちが人間を元に作られているからだろうか。  
「大丈夫?喋れる?」  
 アヤさんから声をかけられる。そういえば、あの人以外の人間と会話をするのは久し振りだった。  
 「大丈夫…です。あの、あなたたちは?」  
「俺らはボーカロイドの保護団体をやってるもんだ。初音ミク、君を保護しに来たんだよ」  
 窓際に立っている男性が答える。  
「保護団体…?」  
「そ。ボーカロイド本来の使用方法をしていない重度のマスターを取っ捕まえてそいつから所有権利を剥奪する。で、保護したボーカロイドを別のちゃんと扱ってくれるマスターの元に送る…これが俺らの仕事」  
 私は唖然とする。そんな団体があったなんて、知らなかった。  
「あまり知られてないからな…。とにかく、話せば長くなるし移動しようか。外に車が停めてある」  
 男性がそう言うと、アヤさんもそうですねと頷き、私に「立てる?」と聞いて来た。  
 私はまだこの状況を把握出来ていないが、少なくともこの人たちが敵ではない事は分かる。私は力一杯頷いた。  
 
「10年前、打ち込みソフトだったボーカロイドを人型として売り出した会社があった。当時は大反響だったな、完全な人型ロボットは初めてだったから」  
 男性が車を運転しながら語る。私はアヤさんと一緒に後部座席に座っていた。  
「でも今でこそ家族のような扱いをされているボーカロイドも、その頃はまだ家族と言うよりペットかそれ以下…みたいな認識がされていてね。特に一部の人からの虐待が酷かった」  
 人と同じ姿はしていても、中身は機械。だからこそ行える虐待の数々。ボーカロイドに人権なんてものは存在しないから、好き勝手し放題。  
「俺が買った機械だ、俺が何したって勝手だろ…ってね。文句を言おうにも、悲しいかな真実だから反論出来ない」  
 そう言って苦笑いをする男性。そこでアヤさんが言葉を引き取る。  
「保護団体が設立されたのは4年前。人間とほぼ同等の知能、感情があるボーカロイドにも人権が必要だって言い出した人がいてね、その人が作った訳。  
 でも賛否両論でね、特に…うん、歌を歌わせていなかった所有者からの反論は凄かったみたい」  
 私はまだその頃いなかったからよく知らないけど、とアヤさんは付け加える。  
「まあ、そんなこんなで細々と運営している訳よ。保護か保護じゃないかの境界線も難しいからね」  
「境界線…ですか?」  
「そう。例えばあるボーカロイドがいて、その子はあまり歌を歌わせてもらえないと不満でいる。さて、その子は保護対象でしょうか?  
 …答えはNO。決して歌わせてもらえない限りは保護は出来ない。口出しも出来ない。良くて厳重注意だね。他にも色々ややこしいんだよ」  
 アヤさんは私を見る。  
「あなたは思いっきり保護対象。歌わせてもらえて無かったし、嫌なことされまくりだし。『元』ご主人様は今頃ミクの所有権を剥奪された上にウチの上司に絞られてるんじゃないかな」  
 ウチの上司怖いんだよねーというアヤさんの言葉に、いい気味だなと前方から男性が返す。  
 …つまり、私はもうあの人に会わなくて済むって事?あの薄暗い部屋で、あの人の相手をしなくていいの?  
 私がそう聞くと、アヤさんは私の頭をクシャクシャとなでながら、「今まで頑張ったね」と言ってくれた。  
 その手と言葉はただただ温かく、私はようやくあの寒さから抜け出せた事を実感したのだった。  
 
 ボーカロイド保護団体の施設に着き手続きや検査をし、解放されたのは夕暮れのことだった。  
「ちょっと待っててね」  
 ずっと一緒にいてくれたアヤさんは(男性の方は途中で別の仕事に行った)、携帯電話を取り出し少し離れた場所で電話し始めた。  
 私は何をする訳でもなく、ぼーっと目の前の風景を見ていた。正直今でも信じられない。あの人から離れることが出来ただなんて。  
 前のマスターと別れたように、中古屋から売られたように、始まりがあれば終わりがあるというその事実は知っている筈だった。けれどあの日々はまるで永遠に続くように思えて。  
 唐突に終わりを告げた日常に、私のデータはついて行けていないのではないか。  
「…なんか夢みたい」  
「や、夢じゃないから」  
「きゃあ!?」  
呟いた独り言に返事が来て、つい私は変な声を出してしまった。振り返ると、そこには通話を終了したアヤさんが立っていた。  
「お待たせ。さて、行こうか」  
「…えっと、何処へですか?」  
 そういえば聞いていなかった。私はこれから何処で暮らすんだろう?  
「うん、そのことなんだけど」  
とりあえず歩きながら話そうかとアヤさんが言い、私はそれに頷く。  
「今のあなたは誰も主人がいないフリーのボーカロイド。他に保護されたボーカロイドたちがいる施設に行って新しい主人を待つ…ってのが普通なんだけど、今回は特例が発動しているんだよね。ミクはさ、ボーカロイドの兄弟の定義って知ってる?」  
 昔聞いたことがある。ボーカロイドは製造ナンバーによって兄弟という存在が決まるらしい。  
「そう。例えば製造No.1のMEIKOは製造No.1のKAITOとは兄弟関係、製造No.2以降のKAITOとは先輩後輩関係になる…って感じ。  
 で、ここからが本題。今私の家にはNo.372586のMEIKOとKAITOがいる。その意味が分かるかな?」  
 私の製造ナンバーも372586。つまりそれは…。  
「私のお姉ちゃんと、お兄ちゃん…?」  
「その通り。そして保護したボーカロイドが所有しているボーカロイドの兄弟に当たる場合、そのボーカロイドは自宅で保護出来ることになっている。つー訳でミク、私の家に…」  
「行きます!」  
 私はアヤさんの台詞を遮り、答える。  
 自分の姉と兄。マスター以上に信頼出来る存在。そんな2人と暮らすことを誰が拒否するだろう?  
 そんな私を見て、アヤさんはニッコリと笑った。  
 
 アヤさんの家は施設から10分程歩いた場所にあった。何でも保護団体の寮のような場所らしい。  
「全部屋防音完備されていてね、ボーカロイドには持って来いの場所なんだよね」  
 その代わり家賃高いんだよー、と笑うアヤさん。そんな彼女に私は大切なことをまだ聞いていなかった。  
「あの…私はあなたをなんて呼べばいいんでしょうか?やっぱり無難にマスターとか…」  
「アヤでいいよ。私はまだミクの保護者であって所有者ではないからね。マスターとかご主人様とか呼ばれる必要はない。だから名前呼びでいい」  
「はあ…」  
 そんなものなんだろうか。  
「そんなものだよ。メイコたちは未だに私のこと呼び捨てだけどね…まあミクの好きなように呼べばいいさ。さ、ここだよ」  
 2階の一番奥。そこでアヤさんは歩みを止める。ドアノブを掴もうとし、そこで動きも止まった。  
「…!」  
 慌ててドアから離れるアヤさん。それと同時に、開けようとしていたドアが勢いよく開いた。もしアヤさんがその場所にまだいたら、全身をドアに叩き付けられていただろう。  
「お帰りなさい!」  
 ドアを開いたのは女性。20歳前後で、赤い服を来ていた。  
「メイコ…いくら何でもセンサーまで使って待ち伏せしなくてもいいでしょ?私は危うく大怪我するとこだったよ…」  
「あは、ゴメンねアヤ。でも待ちきれなくて」  
「メイコの奴、アヤが電話して来てからずっと玄関で待ってたんだぜ」  
「ちょっとカイト、言わないでよ!」  
 さらに後ろから男性も顔を出す。青い髪と青いマフラーがよく目立つ。そして私は、その2人をよく知っていた。  
「メイコお姉ちゃんとカイトお兄ちゃん…」  
 中古屋の元には私の他にもMEIKOやKAITOがいて、私はその人たちのことを先輩やさん付けで呼んでいた。  
 でもこの2人は違う。正真正銘の、私の姉兄に当たるボーカロイド。  
「ミクね?いらっしゃい!」  
 お姉ちゃんはそう言って私を抱き締め、  
「よく来たな。待ってたよ」  
 お兄ちゃんは微笑みかけてくれた。  
 私はアヤさんを見る。アヤさんは私たちをみて目を細めながら笑い、言う。  
「ようこそ我が家へ」  
 …ああ、なんて幸せなんだろう。私はアヤさんたちに今出来る最大の笑顔を見せた。  
「これからよろしくお願いします、お姉ちゃん、お兄ちゃん、アヤさん」  
 

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