「35円足りない 見間違えてた レジに並んだ 会計待ちの人の視線♪」
部屋のラジオからミク姉の歌声が聞こえる。相変わらずミク姉は売れっ子だ。
「………」
俺は机の上から手帳を手に取り、今月のスケジュールを眺める。
見事に飛び飛びの日程だ。
デビュー当初こそルーキーとしての勢い、そしてロードローラー関係の名曲に恵まれた事もあって飛ぶ鳥を落とす
勢いだった俺とリンも、滑舌の悪さと鼻声という弱点を突かれ、日を追う毎に仕事量は減ってきている。
「まずいなあ」
このままじゃジリ貧だ。ここらで梃子入れを図らないと、在りし日のKAITO兄さん並に悲惨な末路が
待っていそうで怖い。とはいえ滑舌や鼻声は一朝一夕で克服できるもんじゃない。
弱点を補うよりも長所を伸ばすトレーニングが必要だ。
「と、なると…」
俺は代打逆転サヨナラ満塁優勝決定ホームランのような奇跡を起こすべく、策を巡らせ始めた。
「白熊カオスに弟子入り!?」
今日はオフだったミク姉が、俺の説明を聞いてびっくりしてる。
「うん。レンが2人で演歌の修行しようって」
あっけらかんと答えるのはリン。鏡に映ったもう一人の俺。巨大なリュックにははちきれんばかりの荷物が
押し込められてるが、まるで風船のように軽々と背負っている。
ちなみにさっき俺が持とうとしたらちょっと腰に来た。本当にもう1人の俺なんだろうか?
「でも何であの人…あの熊に?」
「何だかんだで超のつく大御所だし、他に頼めそうなコネも無かったからさ」
白熊カオスは100曲目の『生きる』を発表した時点で総売上枚数が2億近くあり、
受賞数も20を超えていた大物中の大物演歌歌手。あれからも度々新曲を発表していたので、
更に数字を伸ばしていると考えられる。まさに雲の上の存在だ。
そんな大物から直接指導されれば、元々得意ジャンルだった演歌に更に磨きが掛けられるに違いない。
「でも言いたくないけど、あの熊…変熊だよ?」
知ってる。百も承知だ。白熊カオスは筋金入りのペドベアー。おまけにショタでもある。
だからリンはおろか、俺の貞操も非常に危うい。だけど…
「でもね、レンが言うには私達2人一緒に行けば大丈夫なんだって。プリズンのカバだっけ?」
それを言うならブリダンのロバだよ、リン。
魅力的な存在が2つあると、どちらを選ぶか決めきれず、結局どちらも選べないという心理学用語(らしい)。
だから俺1人、もしくはリン1人で行った場合はまずロストバージンして帰ってくる事になるだろうけど、
一日中2人で行動していれば、カオスは俺とリンのどちらを襲うか選べずに結局手出しできないんじゃないか。
そう考えて俺はリンを誘う事にした。勿論俺から誘った以上、最悪リンだけでも全力で守りぬく。
だからとても恥ずかしいけど、お風呂や寝る時もずっと一緒にいるつもりだ。元々リンの方は
たまに「一緒にお風呂入ろうよ」なんて誘ってくるくらいだから抵抗感は無い筈だ。
そして、それだけのリスクを背負ってでも教えを請う価値がある。それが白熊カオスという存在。
「それじゃ、行ってくる。帰りは来週になると思う」
一週間分の荷物を背負い、俺らは貞操をチップに一世一代の大博打に打って出た。