あたしはもう、こんな事が、イヤでイヤでたまらなかった。  
 
 
 「…ん……」  
 
 重いまぶたをこじ開けると、降り注ぐ照明が、あたしの目を射抜いた。  
 あたしは革張りのソファの上で、体を引きずるようにして、ごろり、と一つ、寝返りをうつ。  
 体が、重い。  
 まるで自分の全身が、鉛か何かに変わってしまったように。  
 
 「起きたか、リン」  
 
 不意に名前を呼ばれて、あたしはのろのろと首を振り向ける。横向きに九十度傾いた店内の光景が、あたしの目に  
飛び込んできた。  
 その一隅にある、豪奢なバーカウンターの向こうで、ここの店主――マスターがグラスを磨いていた。  
 
 「………」  
 
 あたしは何も答えず、眉根をぎゅっと寄せて、マスターをにらみ付ける。  
 強い、敵意を込めて。  
   
 やがて、体がどうにか動かせるようになってきた頃を見計らって、あたしはソファを降りた。  
 店の片隅に放り出されたままだった、ハンドバッグを拾い上げると、パンパンとはたいて埃を落とす。そんなあたしの事を、  
周りの男たちが、酒を飲んだりタバコを吸ったりしながら、ニヤニヤと眺めていた。  
 ――どいつもこいつも、人間のクズみたいな目つきで。  
 
 「……どこに行くつもりだ?」  
 
 そのまま入口へ向かって、すたすたと歩き出すあたしに向けて、マスターが後ろから声をかけてきた。  
 
 「帰るのよ」  
 
 あたしはその場で立ち止まり、振り返りもせずに吐き捨てた。  
 あたしがこの店に転がり込んできて、もう一週間になる。その間、一度も家へは帰っていなかった。  
 
 (……どうせ誰も、ホントのあたしの事なんて、なんにも分かってないくせに!)  
 
 そんな言葉を残して、家を飛び出してきてしまったけど、きっと今頃みんな、あたしを心配しているはずだった。  
 パパも、ママも。  
 ――それに、アイツも。  
 
 あたしは一つ、息を吸い込んでから、はっきりと宣言した。  
 
 「これ以上、あんた達の思い通りにはならないから」  
 
 それは、とても難しい事だけれど。  
 あたしなら、きっと出来るはず――ううん、そうじゃない。  
 やらなくちゃいけない事なんだ。  
   
 「……そうか。それなら」  
 
 マスターの、平坦な声が店内に響く。  
 それに続けて、トン、という、何かがカウンターに置かれたような音。  
 
 「……!」  
 
 あたしの心臓が、どくん、と跳ね上がった。  
 
 「こいつはもう、必要ないんだな?」  
 
 念を押すような口調で、マスターが問いかけてくる。  
 
 ――ダメだ。  
 ここで、振り向いちゃいけない。  
 
 必死にそう念じて、あたしは何とかして、自分を抑え込もうとする。  
 なのにあたしの体は、あたしの意志を無視し、まるで機械じかけのような動きで、勝手に振り向いてしまった。  
 
 「……っ」  
 
 振り向いた視線の先、カウンターの上にあったのは。  
 やっぱり。  
 
 ――カプセル型の錠剤が、ぎっしりと詰まった、小さなガラス瓶だった。  
   
 「う……っ!」  
 
 それを目にしたとたん、あたしの体中から、じゅわり、と脂汗がにじみ出た。  
 知らず知らずのうちに呼吸が速まり、心臓の音はさらに大きく、あたしの耳元で、うるさいくらいに響き渡る。  
 
 「もう一度聞くぞ、リン」  
 胸の前で腕組みをしたマスターが、あたしの顔を無表情で見つめている。  
 
 「本当に、薬はもう必要ないんだな?」  
 
 マスターの声を遠くに聞きながら、あたしは後悔し始めていた。  
 あのまま、振り向かずにいれば。  
 一時でも、忘れたままでいられれば。  
 少なくとも、ここから無事に逃れることは、出来たはずなのに。  
 
 だけど。  
 
 「……ない……」  
 
 ここで負けるわけにはいかなかった。  
 ぶるぶるとわななく全身を、しっかりと両手で抱きしめながら、あたしは掬い上げるような視線で、マスターの目を捉えた。  
 
 
 「そん、なの……もう、いらないっ……!」  
   
 「――わかった」  
 
 少しの間、黙ってあたしの様子を見ていたマスターが、ゆっくりと口を開いた。  
 そして、おもむろにカウンターの瓶を手に取ると、素早くそのキャップを開ける。  
 その動きに、あたしは嫌な予感を覚え、背筋がぞっとするのを感じた。  
 
 「それなら、これはもう、処分する事にしよう」  
 
 冷たい声でそう言うと、マスターは、ガラス瓶を一振りし、その中身を、店中にばら撒いた。  
 
 「……!」  
 
 驚きに目を見開くあたしの前で、小さなカプセルはばらばらと降り注ぐ。青と白、半分ずつに塗り分けられたそれは、あっと  
いう間に床一面にまき散らされた。  
 
 「……後は任せたぞ、お前たち」  
 
 その指示に、店の男たちが、ガタッと腰を上げる。  
 相変わらず、下品な笑いを浮かべたままであたしを見下ろすと、そいつらは、床に落ちているカプセルを、片っ端から踏み砕き  
始めた。  
 
 「ああっ……!」  
 
 反射的に、あたしは小さな悲鳴を上げてしまう。  
 男たちが足を踏み鳴らすたびに、靴の下からは、パキッ、ペキンッという乾いた音がし、その跡には、粉々になったカプセルの  
残骸と、白い粉末が、泥まみれになって残されていた。  
 なすすべもなく、ただその光景を見ているうちに、あたしの体はますます異常を訴え始める。  
 視線はきょときょとと定まらなくなり、口の中がカラカラに渇いていく。立っているのもままならないほど膝が震え、あたしは  
床に、がくりとくずおれた。  
 と、その時。  
 不意に、男たちの動きがぴたり、と止んだ。  
 気づけばすでに、散らばっていた薬はほぼ全て砕かれてしまい、残っているのは、あたしの目の前に転がっている二、三粒のみと  
なっていたのだ。  
   
 「はっ、はぁっ……」  
 
 あたしの目は、その数粒のカプセルに釘付けになってしまい、どうしても引き剥がすことができない。  
 手を、ほんの少し伸ばせば、届く場所にそれはある。  
 この苦しみを唯一、和らげてくれる薬が。  
 
 (ダメっ……!)  
 
 それに対して、理性が、激しく警鐘を鳴らす。  
 これを飲んでしまえば、全てがまた、元通りになってしまうだけだ、と。  
 あたしがめいっぱいの力を込め、動き出しそうになる両腕を抑えようとした、その時。  
 ずん、と床全体が縦に揺れたかと思うと、一番大柄な男が、ずい、とこちらへ一歩、踏み出した。  
 そして、二歩、三歩と、大股でこちらへ迫ってくる。  
 
 その足が、残った全ての薬を踏み潰しそうになる、その刹那――  
 
 
 「いやぁぁっ!!」  
 
 
 気づけばあたしは、絶叫しながら目の前の全ての薬を掠め取り、がくがくと痙攣する手の平から、喉の奥へと放り込んでいた。  
 
   
 ――薬を飲んだ瞬間、お腹の中から、何かがずん、と爆発するような感覚が広がり、あたしの目の前は真っ白になる。  
 
 
 「――んはぁ、っ……!」  
 
 次に視力を取り戻した時、あたしは服を脱ぎ捨て、ソファに寝そべった男の上で、激しく腰を振っている最中だった。  
 
「はっ、あんっ、んんっ……!」  
 
 あたしはいったん動くのを止めると、ゆっくりと深呼吸をする。  
 肺の中に、新鮮な空気が満ちていくのを快く感じながら、あたしはぶるん、と頭を振った。  
 
 「……ああ、やっぱ、たまんないわ、この感じ」  
 
 脳をずきずきと駆け巡るラッシュ感に、思わずあたしは恍惚の吐息をもらす。  
 そう、それは正に、たまらなく心地よい経験だった。  
 全身の細胞が活性化し、目に映るものすべてにピントが合っているかのように、世界は先程までとその様相を異ならせている。  
 自分の体が絶えず、上下左右に揺れているように感じられ、まるで、空を自由自在に飛んでいるかのような爽快感があった。  
 この感覚こそが、あの薬の名前――  
 
 『Flying Bird』の由来だ。  
   
 「……おい、いつまでボーっとしてんだよ、リン?」  
 
 あたしの下にいる男が、イラついた口調で言う。  
 それに対してあたしは、唇の端をねじ曲げて、ふふっ、と淫蕩な笑みを浮かべてみせた。  
 
 「あ、ごめーん、ちょっといい感じにキまり過ぎちゃったみたいでさぁ」  
 
 それから男にぐっと顔を近づけ、耳元をくすぐるように、小さな声でささやいてやる。  
 
 「安心してよ。……あんたの精子、ぜーんぶしぼり出すまで、絶対に終わらせないからね」  
 
 そしてあたしは、再び腰を上下に動かし始めた。始めはゆっくり、だがすぐに、加速を付けて。  
 
 「……あっ、んはっ、チンポっ、気持ちいいっ……!」  
 
 体の内側から、ゴリゴリと突き上げられるその快感に、あたしは思わず身をのけぞらせてよがる。もっと深く、もっと奥に  
ペニスを突き刺してもらいたくて、あたしは体重を乗せて、ずぶっ、ずぶんっ、と激しく腰を打ちつけた。  
 薬を飲んで、からっぽになった全身を、男の精で埋め尽くしていく。  
 それは他のどんな遊びより、刺激的で、魅力的で、この上なく気持ちのいい事だった。  
   
 「……やーれやれ、ようやく戻ってきたぜ、リンちゃん」  
 「俺らもすっかり待ちくたびれちまってよ、悪ぃけど、一緒に頼むわ」  
 
 あたしが意識を取り戻したことに気付いた他の男たちが、ぞろぞろと周りに集まってくる、  
 その誰もかれもが、ズボンのジッパーから、赤黒く反り返ったモノを、あたしに向けて突き出していた。  
 それを見たあたしの口元に、自然と笑みが浮かんでくる。  
 
 「……まったく、みんな本当にスケベなんだから。そんなにあたしにシゴいてほしいわけぇ?」  
 
 余裕ぶってそう言ってみても、すでにあたしの目は、それに釘付けになってしまい、口の中には唾液があふれ出す。  
 男たちもそれを承知の上で、わざと黙って、あたしの事をニヤニヤと見つめたままでいるのだ。  
 ごくり、と生唾を飲み込んでから、あたしは乱れた髪をかき上げつつ、言った。  
 
 「……ほら、早く来なさいよ。あんた達のチンポ、一本残らず抜いてあげるわよ」  
 
 その言葉を合図に、男たちが一斉に、あたしを目がけて群がってきた。  
   
 目の前に突き出されたたくさんの性器に、あたしはもう一度、ごく、と生唾を飲み込む。  
 それからおもむろに、口を開けるだけ開くと、林立する肉棒に向かって、しゃぶりついていった。  
 
 「んっふぅっ!」  
 
 いちばん太いペニスを咥えたあたしは、口の中にじゅるじゅると唾液をためる。それをローション代わりにして、じゅぽじゅぽと  
盛大に、口を前後に動かした。  
 同時にあたしの顔や頭には他の肉棒がこすりつけられ、触れた部分がかあっと熱くなる。それがたまらなく気持ちよくて、  
あたしは両手を伸ばし、そのうちの何本かをまとめて握りこんだ。  
 
 「んぷっ……あっは、あんた達のコレ、熱すぎじゃない? こんなの押し付けられたらヤケドしちゃうって」  
 
 あたしは両手でペニスを扱き上げ、さらに別の男に向かって舌を伸ばす。舌先に、固くて弾力のある亀頭が触れた瞬間、それを  
一気に口の中に呑み込んだ。  
 
 「ん……ぐぶっ……!」  
 
 ノドの奥にまで突き刺さってきたそれが、あたしの呼吸を圧迫する。だけどその苦しさも、今のあたしには、興奮を促す刺激の  
一つでしかなかった。  
 ずるるるっ、と粘液まみれのペニスを一気に口の中から引き抜き、またすぐに同じ勢いで飲み込む。それを何度も繰り返して  
いるうちに、あたしの頭はますますハイになってきた。  
   
 「ふぁんっ!」  
 
 不意に、ずんっ、という下半身からの強い衝撃を受けて、あたしの体が一瞬、宙に浮く。  
 
 「おい、こっちがお留守になってんぜ、リン。全部搾り取ってくれんじゃなかったのかよ?」  
 
 あたしに挿入している男が、不機嫌そうに声を上げた。  
 
 「あは、ゴメンゴメン。ちゃんとやるから怒んないでよぉ」  
 
 へらへらと笑い返すと、あたしは腰に力を入れ直し、体を激しく揺らせた。腰を落とすたびに、あたしの中が容赦なくえぐり  
取られ、体の芯が、かあっと熱くなる。その間も口と手は休めることなく、かわるがわる目の前に迫ってくるペニスを、片っ端から  
弄り続けていた。  
 
 (……ああ、ホント、どっかに飛んでっちゃいそう……)  
 
 その行為に没頭していくうちに、いつしかあたしの中からは、余計なモノが消え去っていく。  
 イヤな事も、うっとうしい事も、メンドくさい事も。  
 みんなみんな、薬があれば、忘れ去ることができるのだ。  
   
 その瞬間、右手に握っていた男性器が、びくん、と大きく跳ね上がるのを感じた。  
 続けて、左手にも、口の中にもその感覚が走る。少し遅れて、下半身からも、どくどくという、激しい鼓動が伝わってきた。  
 絶頂が近いのだ。薬を飲んで、体が鋭敏になっている時のあたしは、それを文字通り、手に取るように把握することが出来た。  
 あたしはわざと口と手を離し、また別のペニスをいじり回す。同時に下半身の動きをやや抑え、じらすように前後左右にくねらせた。  
 
 「んぷ、ふぅっ……ふふ、あんた達みんな、そろそろイキそうなんでしょ?」  
 
 上目づかいで見上げてそう言ってやると、男たちは驚いたように顔を見合わせる。  
 
 「いいわ、全員一緒に、イっちゃ……えっ!」  
 
 そう言うとすぐさま、あたしは全てのペニスを同時に刺激し始めた。  
 手と口の神経に意識を集中させ、それぞれの絶頂までの距離が同じになるよう、じわじわと高めていく。同時に下半身の動きを  
再開させ、あたしを貫いている肉棒の熱をさらに引き上げた。  
 そうして全ての男の性感が、一斉に喫水線を超えた、その時。  
 
 (……ははっ)  
 
 まるでスローモーションのように、あたしは目の前の無数の尿道口が開き、そこから白濁液が飛び出してくるまでの光景を、  
はっきりと捉えることができた。  
 
 (バッカみたい)  
 
 その、あまりにもバカげた、非現実的な光景に、あたしは思わずあきれてしまう。  
 そして次の瞬間、  
 
 ぶびゅっ! びゅぅぅっ!  
 
 欲望そのものの熱量を伴った、大量の精液が、あたしの顔に向かって襲いかかってきた。  
   
 「んぐっ、げほっ!」  
 
 髪に、顔に、そして口の奥に向かってびしゃびしゃと降り注ぐ精液を受け止めながら、あたしは激しくむせ返る。鼻をつく強い  
臭気と、しびれるような苦味があたしの中に充満する。  
 だがそれも、一瞬の間だけのことであり、狂ったあたしの神経は、それらをいともたやすく、極上の芳香と甘味へと変換してみせた。  
 
 「ん……じゅるっ、ぢゅっ、ずちゅっ、ん……ぐっ、……ぷはぁっ」  
 
 水たまりができるほど口内に放たれた、大量のザーメンを、あたしは思う存分、舌で転がして、ぐちゅぐちゅという粘り気を  
楽しむ。そして最後に喉をぐびっ、と鳴らせて、一滴残らず飲み込んでしまった。  
 
 「……ごちそうさま、っと。あーん、もう、髪ベタベタじゃんかよぉ」  
 
 なにげなく頭に手をやると、そこかしこにべったりと精液がこびりついている。あたしはその塊をひとつまみすると、指先で  
にちゃにちゃと弄んでから、ぺろり、と舐めとった。  
 
 「あんた達みんな、どんだけ精子溜まんの早いわけ? 毎日毎日、あたしに好き放題ぶっかけてるクセに」  
 
 唇をとがらせつつ、あたしはゆっくりと立ち上がる。ぬるっ、と引き抜かれた股間のペニスが、くたり、と男の腹の上に倒れた。  
 その後から、どろりと流れ出てくる精液にも、あたしは何ら気を留めることなく、ううん、と大きく伸びをする。すると、  
 
 「……いい歌だ」  
 
 ずっと黙って、カウンタ―の向こうから、あたし達の様子を見守っていた――いや。  
 あたしの声に、耳を傾けていたマスターが、ぼそり、と口を開いた。  
 
 「お前はやはり、そうして歌っている時が、最も美しい」  
 
 こいつは、あたしがこうやって遊んでいる時の声を『歌』と呼ぶ。  
 あたしにしてみれば、あんなものは歌でも何でもなく、ただ思うがままに喘ぎ、叫び、嬌声を上げているだけなのだが、  
こいつにはそれが、美しい旋律と音色に聞こえるらしかった。  
 
 「……何それ。バッカみたい」  
 
 あたしはなげやりに言葉を吐く。今はもう、マスターに対する憎しみも敵意もどこかに消えてしまい、ただただ気だるいだけだ。  
 
 「ねえ、それより、ちょっと切れてきちゃったみたい。追加でちょうだいよ」  
 
 あたしがそう言うと、マスターはカウンターの陰から、新しい小瓶を取り出す。その小瓶にも、青と白のカプセルがぎっしりと  
詰まっていた。  
 無造作に投げつけられたそれを、あたしは空中で受け取る。蓋を開け、カプセルをじゃらじゃらと手の平に取り出すと、なんの  
ためらいもなくそれを飲み込んだ。  
 
 「んくっ……あ、はぁぁっ」  
 
 喉を通り、食道を転がり落ちて、胃袋に到達したカプセルはじわじわと溶け、こぼれ出した粉末が、粘膜に吸収されていく。  
それが血液の流れによって、体のすみずみまで行き渡るのを、あたしは心ゆくまで味わった。  
 
 「んは……気持ちぃ……」  
 
 知らず知らず、あたしの手は股間へと伸び、ぐちゅぐちゅと乱暴に、その部分をこねまわす。膣内はすでに、異常なほどの  
愛液が分泌されていて、先程の精液と寄り添うように混ざり合って、だらだらとこぼれ落ち続けていた。  
   
 がくがくと膝が笑い出し、ぶり返してきた頭の浮遊感もあいまって、あたしは立ち続けていられなくなる。  
 
 「あうぅ……うあぁっ」  
 
 意味のないうめき声を発しながら、あたしはその場にばたり、と倒れ込む。ぐらぐらと回り続ける頭を持て余しつつ、そのまま  
ごろん、と仰向けになると、両足を大きく広げ、男たちに向かってその中心を見せつけた。  
 
 「ねえ……誰でもいいからチンポハメてよ。あたしもう、ガマンできない……」  
 
 媚びるような口調で、あたしは男たちに訴えかける。さっきの行為で疲れ切っていた彼らは、たちまち精気を取り戻し、一人、  
また一人と立ち上がると、こちらへ近寄ってきた。  
 しかし、その時。  
 
 「……待て」  
 
 突然、マスターが男たちを制止した。  
 
 「こいつを忘れてるぞ」  
 
 そして、あたしの方に向き直ると、ポケットから何かを取り出し、こちらに投げつけてきた。  
 
 黒いアイマスクだ。  
 
 それを受け取ったあたしは、すぐにマスターの意図を察して軽く笑うと、それを身に着けた。  
   
 この目隠しゲームは、あたしがここに入り浸るようになってから、何度か行われているものだった。  
 ルールは簡単で、あたしがアイマスクを装着したまま、男たちのうちの誰かとセックスをする。それが誰だか、顔を見ずに  
あたしが当てられれば勝ちという、実にくだらないお遊びだ。  
 あたしはこのゲームが得意で、今まで一度も外した事はない。特に今日は、薬もほどよく決まっていて。ほんの少し、指先で  
触れられただけでも、答えられそうな予感さえあった。  
 
 「……ん、準備オッケー」  
 
 ふさがれた視界の中で、あたしは手を上げて合図をする。そして、小さく深呼吸をして、全身の神経を集中させた。  
 その途端、あたしの全身の皮膚と空気との境目は、くっきりと意識できるようになり、そこに矢のように突き刺さってくる、  
男たちの視線をはっきりと感じ取ることができた。今日は特に、調子がいいみたいだ。  
 そんな風に思っていると、あたしの耳に、ぺた、ぺたという、裸足の足の裏が床を踏む音が聞こえてきた。誰かが、あたしに  
向かって近づいてきているのだろう。  
 あたしは足を開いて寝そべったままで、ただじっと、その「誰か」を待ち受ける。  
 迷い込んでくる獲物を捕らえようとする、毒花のように。  
 
 「……きゃあっ!」  
 
 突然、その「誰か」は倒れ込むように、どさり、とあたしに向かって覆いかぶさってきた。その勢いに、あたしは背中を床に  
打ちつけてしまい、思わず文句を言う。  
 
 「ちょっとぉ……いきなり乱暴すぎやしない?」  
 
 だが、その相手は謝りもせず、妙にもたもたした動作で、あたしの股間に自分の性器をくっつけてきた。ぐいぐいと、無造作に  
押し付けられるそれはなかなか挿入されて来ず、あたしはまた腹を立てた。  
 
 「もう、何やってんのよ……ほら、ココだってば」  
 
 手さぐりで相手の股間へと手を伸ばし、それをしっかりと握る。その先端を自分の入口へとあてがって、あたしはゆっくりと、  
体の中へその男を迎え入れた。  
   
 「はぅっ……」  
 
 男が、かすかにあえぎ声を上げた。それを聞いたあたしは、変だな、と思う。  
 言うまでもなく、あたしがしているのは目隠しだけであり、耳栓を付けたりはしていない。だから、相手が声を出してしまえば、  
一発であたしには区別がついてしまう。もちろん、彼らもそれは承知しているはずなのだ。  
 ただ、今の声はあまりにも小さくて、誰のものなのか、すぐには分からなかった。それをいい事に、あたしはゲームを続行する。  
 
 「えー? 誰コレー? リン、全然わかんなーい」  
 
 両手に握ったままの肉棒を、あたしはオモチャのように自分に抜き差しする。身体の中でぐりぐりと上下左右に動かして、自分の  
気持ちいい所を思う存分擦り上げ、弾けるような刺激を味わった。  
 そのうち、下半身に引っ張られるようにして、男が自分から腰を使い始めた。が、その動きもどこかぎこちなく、ひたすら単調で、  
そのくせ不規則なリズムが、あたしの盛り上がった気分を大いに邪魔してくれた。  
 
 「ああ、もう……じれったいなぁ」  
 
 しびれを切らしたあたしは、自分から男に思いっきり抱きついた。両手と両足を男の背中に回してぎゅっと抱き寄せ、二人の体を  
密着させる。  
 そして、すうっ、と一つ息を吸うと、あたしは自分の体を、全力で男に向かって叩きつけた。  
 
 「んぐっ……!」  
 
 ずぎゅぅっ、と、体の一番深い所まで陰茎が届き、あたしは脳を串刺しにされたような快感にむせぶ。真っ暗なはずの視界には、  
色とりどりの火花がちかちかとまたたき、まるで星空のようだった。  
 
 ――そうだ、あたしは今、星空を飛んでいるんだ。  
 誰にも邪魔されない、あたしだけの世界で。  
 自分の思うまま、意のままに。  
 
 「ああぁっ! イイっ! イイよぉっ!」  
 
 気づいた時にはもう、あたしはむちゃくちゃに腰を振っていた。  
   
 貪るようにペニスを咥え、柔らかい膣肉で十分に咀嚼しては吐き出し、その先端に食らいついて一気に吸い上げる、  
 その繰り返しが、あたしをどんどんどんどん高みへと押し上げていく。もはや浮遊感は頭から全身にまで広がり、体中の血液が、  
ぼこぼこと沸き返りそうなほどに熱かった。  
 ふわり、と、意識と感覚があたしの身体から遊離して、そのまま空に向かって落ちていくような錯覚を覚えた、その一瞬――  
 
 
 ――ぴちゃり。  
 
 
 不意に、冷たい滴の感触を顔に受け、あたしの心は地上に引き戻された。  
 
 (……?)  
 
 さっきまでの高揚感から、いまだに脱し切れていないあたしの顔の上で、ぴちゃ、ぴちゃん、と続けて水滴が二粒、三粒と  
跳ねる。  
 せっかくの、最高の気分を中断された苛立ちが、あたしの中でみるみるうちに膨れ上がった。  
 
 「……女の子と遊んでる最中に、お酒でも飲んでるの? ずいぶん失礼な話ね」  
 
 あたしは眉根をぐっと寄せると、乱暴な動作で、自分のアイマスクを引っぺがした。我慢の限界だ。  
 ――この、ドンくさくて間の抜けた男の顔を、一刻も早く拝んでやりたい。  
 そんな思いで、天井の明かりに照らされて、逆光になっている男の顔をきっと睨んだ瞬間――呼吸が止まった。  
 
 
 あたしの顔に、落ちてきていた「それ」は、酒ではなく。  
 
 涎だった。  
   
 だらり、と肉色の舌が力なく垂れ下がり、その周りでは、ぽっかりと開いた唇が、カサカサに干からびている。白目の濁った瞳で  
あたしを見下ろしながらも、その、真っ暗な表面には、何も映ってはいなかった。  
 その目で見つめられ、思わず視線をそらしたくなる気持ちとは裏腹に、あたしの目は、相手の顔に釘付けになってしまっていた。  
 何故ならそれは――  
 
 
 「……レ、ン……?」  
 
 
 あたしの、弟の顔だったから。  
 
 「何で……どうしてレンがここにいるのよ!?」  
 
 動転したあたしは、喉の奥から大声を張り上げた。  
 だが、周りの連中は誰もそれに答えようとはせず、ただあたしを指差して、ゲラゲラと、バカにするような笑い声を上げている。  
 その中で、マスターだけが一人、ずっと変わらない平坦な表情のままで、煙草に火をつけながら、ゆっくりと口を開いた。  
 
 「……三日ほど前だったか。そいつが、『リンを迎えに来た』と店に来たんでな。こちらの要求を聞けば会わせてやると、  
  約束したんだよ」  
 
 「要求、って……」  
 
 その時あたしは、あたしの肩を押さえ付けているレンの腕に目を留め、息を呑んだ。  
 ぽつぽつと、小さく刻まれた、無数の注射針の跡に。  
 
 「ちょうど、あの薬の、静脈注射のサンプルが欲しかったところだ」  
 
 ふうっ、と煙を吐き出したマスターが、こともなげにそう言い放った。  
   
 「……そんな……」  
 
 あたしは絶望感とともに、自分の体にのしかかっているレンを見上げる。  
 虚ろな瞳、こけた頬、筋張った腕。  
 あたしの事を想い、救おうとしてくれたレンの姿は、もう、どこからも失われてしまっていた。  
 
 
 ――あたしのせいで。  
 
 
 「……っ!!」  
 
 そう思った瞬間、体中の感覚が、ぐるん、と反転した。  
 まとわりついていた浮遊感は、たちまちあたしの内臓を激しく揺すぶり出し、全身の皮膚がぞわぞわとけば立つ。体内を流れる  
全ての血液は逆流し、手足が急速に冷えていくのが感じられる。  
 今やあたしは、完全なバッドトリップに陥ってしまっていた。  
 
 「あ……ぐ…っ!」  
 
 ずきずきと痛みだした頭をかばうため、あたしは思わず両手で頭を押さえた。目をつむり、歯をぎりぎりと食いしばって、  
痛みに耐えようとする。  
 その時だった。  
 
 「……! ダ、メっ、レン……!」  
 
 レンが、再びあたしに抱きつくと、下半身をずず、ずずっ、と動かし始めたのだ。  
   
 「いやぁっ、やめてぇっ!」  
 
 割れるような痛みにも構わず、あたしは頭を大きく左右に振ってわめき散らす。  
 だけど、その声はレンの耳までは届かない。  
 ぐじゅっ、ぶじゅぅっという汚い水音を立てて、レンの性器があたしの中を荒らしていく。すでに感覚の冷え切ってしまった  
その部分からは、快感も興奮も刺激も愛情も伝わっては来ず、ただひたすら異物感と嫌悪感だけがあった。  
 
「っ……ぐぅっ! ……やだっ、こんな、こんな気持ち悪いの、イヤぁっ!」  
 
 ひと突きごとに脳をぐちゃぐちゃにかき混ぜられているような不快感の中で、あたしはまた、ぴちゃり、という水滴を顔に受け、  
レンの顔を見上げた。  
 
 ――レンが、泣いていた。  
 
 (どうして……? どうして泣いてるの、レン……?)  
 
 いつの間にか、自分自身も涙を流している事に気づきつつ、あたしはレンに問いかける。  
 
 
 ――わからない。  
 あたしにはもう、何もわからない。  
 
 
 その答えの代わりに、あたしがレンから受け取ったのは、べっとりと粘ついた大量の精液と、この上なく不快な、吐き気を催す  
ような絶頂だった。  
 
   
 射精と同時に、ふっと意識を失ってしまったレンが、ばたり、と床に倒れ込んだ。  
 
 「……レン……」  
 
 ひゅうひゅうと、喉を通り抜ける空気が、笛のような音を立てている中で、あたしは思うように動かない腕を操り、レンに手を  
伸ばす。その瞬間。  
 
 「――傑作だったぞ、リン」  
 
 あたしの手首は、上等な革靴を履いた足に踏みつけられ、頭上から、マスターの声が降り注いできた。  
 
 「絶望という、新たな色が注がれた、お前の歌――想定以上の仕上がりだった」  
 
 けれどその声は、あたしの頭の中でがんがんと反響して、何を言っているのか、よく聞き取れない。  
 左右にぐらぐらと揺れる視界の向こう側で、マスターが、あたしの傍にゆっくりとしゃがみ込んだ。  
 
 「……さて、残念だが、お別れの時間だ、リン。お前の歌は、すでに完成してしまったからな」  
 
 そして、ポケットに突っこんでいた片手を、さっと取り出した。その手に握られているものに向かって、あたしは目をこらす。  
 薄く濁った溶液で、いっぱいに満たされた注射器が、鈍く、銀色に光っていた。  
   
 「――ああ、そう言えば、最後に一つだけ」」  
 
 マスターのその手が、ゆっくりとあたしの首筋へと迫ってくる。  
 どうする事もできないまま、それをぼんやりと眺めながら。  
 あたしは、ママの優しい声を思い出していた。  
 
 「お前に教えていた、この薬の名前の事だが――あれは嘘だ」  
 
 それから、パパのあったかい手のひらを思い出していた。  
 
 「この薬の本当の名前は――」  
 
 注射針が、すっと音もなく、あたしの首筋に差し込まれる寸前。  
 
 あたしは、レンの笑顔を、強く思い浮かべた。  
 祈るように。  
 縋るように。  
 
 
 「『Stray Bird』――迷子の小鳥」  
 
 
 その笑顔が、突然広がった暗黒にもぎ取られ、あたしの意識は、奈落の底へと落ちていった。  
   
   
 

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