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愛してるといえたらどれだけ楽なのだろうか。
浮遊している意識を手放そうとしていたら、かぷりと耳を噛まれた。
同時にずしりと腹部に人の重みがして、痛みに閉じそうになった瞼をあげる。
同じような顔をした少女がゆっくりと微笑んだ。
壁にかけられた時計を薄闇の中から見てみると、まだ明け方には程遠い時刻を指している。
思わず溜息を零して、戒めるように額を小突いた。
「今、何時だと思ってるんだよ」
「だって、私は今まで唄ってたんだもん」
マスター夜行性だからね。
さして悪びれる様子もなく、そう言いながら鮮やかに少女は、リンは、笑った。
そのまま覆いかぶさるように重心を預けてくる。重い。
「布団の上から乗るなよ、重いだろ」
「だってレン、全然起きないから、どうしたら起きるかなって思って
優しいでしょう、叩くのやめて乗ってあげることにしたの」
「優しい人はこんな時間にまず起こさねえって」
ごろごろと、猫が戯れるように抱きついてきた。
最近、リンはよく甘えたがる。理由はわかっていた。
感情の名前をつけるなら、恋煩いとか、そんな砂を吐きそうな言葉が浮かぶ。
この片割れが、恋。本人は隠しているつもりかもしれないが、気づかないわけないだろう。
俺が、リンの事を見過ごすはずがない。だけど逆はない。
リンは俺を知らない、だからこうして夜な夜なやってくるし、布団に潜り込むし、触れる。
多分、本人も気づいてない。もしかしたら特別な好きという言葉も知らない。
俺はいつからこんなに汚くなったのだろうか。
別の人間に売られた俺の分身は、全部こうなのか?
それとも俺のみが、俺という感情を与えられて、俺だけがこんなにもリンを想うのか。
だって俺は、このリンを愛してる。別のリンには興味がない。
同じ箱にいて、隣にずっと映ってた少女だけがとても特別。
「今日はね、ラブソングだったんだよ」
「…リンが?」
「うるさいなあ、私だって歌えるんだよ」
ほんの少しだけ、俺の体より小さな体躯。柔らかな身体。
発展途上なのは一緒だが、作られ方は違う。
尋ねてみたい事があった。なぜ、俺らを作ったのか。俺らはなんの為に作られたのか。
思わず目を瞑る。自己への問いかけはどんどんと深みに落ちていくから。
リンが眠るのかという問いかけも、答えるのが億劫でごろりと寝返りしてしまう。
そうすれば君はごそごそ布団の中に潜り込んできた。わかっていた事だけど、悲しい。
こうして接するリンが嫌いだ。でも、無垢なリンを裏切っているような自分はもっと嫌いだ。
強気で、でも泣き虫で、俺より細いくせに俺より力があって。
あの人のようになんてできない。満遍なく愛したり、優しくなんてできない。
大きな劣等感が心を深海へと沈めて行く、溺れてしまう感覚。
ふわふわの羽毛に包まれているのに、となりには大切なリンがいるのに、
俺はいつもどうしようもなく泣きたくなる。
夜を迎えるのが怖い。リンと二人になるのが怖い。
「レン」
「…なんだよ、寝ろよ」
「どうしたの、最近」
「なにが」
「質問に質問返さないでよ」
不満げな声。適当にあしらおうとして少し振り向いたのがいけなかった。
リンが、幸せそうに、心地よさそうに、笑っていたからだ。
「レンと寝てると落ち着くなー…」
時計の乾いた音がして、今は無音だと知る。かちかちかちかちかちかち。
限界だった。
少女の愛したかを、誰か教えてくれないか。大切な人の愛し方を、教えてくれないか。
これは間違っているのか、正しいのか。
答えるものもなく、応じるものもない。
無意識に握り締めていた掌、開いて、ゆっくりとリンの頬へと触れた。
「……なあ、リン。ラブソング歌うんだったら試してみる?」
「何を?」
「愛の営みとか」
身体を浮かして、舌でまず唇を舐めてみる。一度目は触れるだけ、
少し離して、今度は少し湿った唇にゆっくりと強く押し当てた。
唖然としていたのか、薄く開かれた唇に舌を入れるのは容易かった。
歯列をなぞり、唾液も息をも吸い込んでしまうように角度を変えていく。
少しリンは相貌を瞬かせて、大きな翡翠の瞳を瞠った。
心のどこかで、突き飛ばしてくれと願う。
でも初めて触れた君の唇は、俺の欲望をどんどん募らせた。
乾いた大地が雨を欲するように、いくら降っても、いくら潤ってきても。
「…どこで、こんな事覚えてきたの?」
「教えてもらったんだよ」
「え」
「―――に、教えてもらったんだよ。こうやって遊ぶんだって」
今度こそ、リンの瞳が動揺に彩られた。
消えてしまえ、俺なんて。消えろ消えろ消えろ。俺なんか。
また何かを言い募ろうとするリンの口を塞いで、セーラーの下へと手を差し入れる。
びくりとリンが震えた事に気づかないふりをして、指先は小さな蕾を見つけた。
そのまま服をたくし上げて、両腕を上げさせて脱がせる。
どんどん露になっていく少女の身体。触れたいと思っていた。白磁の肌。
薄闇でもうっすらわかる桃色のそれを、唇から離した同じそれで舐めて、甘噛する。
なんども吸い上げて、空いた掌で乳房を揉む。触れたところから熱が溢れてくる。
ああ、人間みたいだ。俺ら。人みたいだな。
「あ、やあ、レ…」
ぶるりと震える。表情を窺えば、リンは生理的にか、一筋の涙を零していた。
歪んだ表情、ああ、泣かせてしまった。どうしようもない。戻れない。戻りたくもない。
その顔にぽたぽたと少女のものではない雫が落ちる。
俺も、泣いていた。
「なんで泣くの」
「…煩い」
「なんで泣くのよ!!」
「煩い!!!!」
「なによ、なによなによ!!」
ぎゅう、と抱きしめられる。肩口に押し付けられて、一瞬息ができなくなった。
震えている様子が手にとってわかるのに、回された腕の力は強い。
振りほどこうとしたが、それ以上の力が俺を包む。
そうだ、リンは俺より力が強いんだった。
「離せよ」
「レンから触ってきたくせに」
「…悪かったよ、だから離せって」
「許さないもん」
心臓に、刃を突きつけられたみたいだった。逃げたい。自分から、起こしたことなのに。
「だから、今日はこのまま寝るの」
は?
「…何言ってんだ?」
「レンはこのままお預け状態で一晩過ごすの。それで許してあげる」
「はあ?」
リン、おまえ上半身裸のままなんだけど、密着というか、抱きしめあってる状態なんだけど。
お預けって、おまえこそ、どこでそんなの習ったんだ。
「………わかったから、せめて服着ろ」
「だめです」
「おい」
「だめ。私よりも先に大人になろうとしてたレンへの罰です」
敵わない。
本当に。
馬鹿だろう、嫌悪するでもなく。罵声を零すのでもなく。
自分だって、こわかった癖に、震えてるくせに。
滑稽なのは俺も一緒で、君に好きな人ができただけで世界の終わりのような気がしてた。
俺が思っている以上に、リンは俺を知っていたのだろうか。
対極の存在。鏡の自分。だけど君は俺じゃない。俺だって君じゃない。
ゆっくりと俺も腕を回す。そのまま重ねるように身を預けた。
先程の俺のように、重いと唸りながらもリンは嬉しそうに、安堵するようにして笑う。
「リン、顔みせて」
ようやっと緩んだ腕の中、俺は微笑む君を見て、あまりの嬉しさに心から笑った。
神様。神様。
今はまだ、このままで居たいんだ。
(俺からこの子を奪わないで)
end