夜の訪れた砂漠はひっそり静かで、きっと機械達も穏やかに眠ったんだと思うす。  
 焚き火の揺れる炎のなかに、小さく千切った固形燃料を投げ入れると、一瞬だけ火の色は青  
くなって、それがもれには、このささやかな焚き火が少しだけ元気になったように見えたす。  
「神様、これで今夜一晩は保つと思うすよ」  
 リュックのそばに座る神様は、ちょっとだけ目を丸くしてもれを見ていたす。  
「…シオ君は、おいくつですか」  
「十二になったすわ」  
「そうですか…。とてもしっかりしておられるのですね。私は、火をつける事一つとっても、術  
もわからず途方にくれてしまう」  
 神様の言葉はなんだか不思議す。  
 もれなんかにも丁寧に話してくれて、たまに、胸の奥ががくすぐったくなる事を言うす。  
 神様の体の中の見えない綺麗な部分に、反応してしまうだけと思うんすが……そのくすぐった  
さが体に伝わって、神様のそばに座るだけが急になにかの試練のように大変になったす。  
 自分の心臓がどきどきうるさい。  
「もれは、父ちゃんと一緒に旅をしてたすから、慣れてるだけす」  
 やっとこさ座ったもれの耳に、神様の吐息みたいな微かな笑い声が聞こえてきたす。  
「シオ君、なんだか顔が赤いようです。火の傍に居過ぎたようですわ」  
 ふふ、と神様は笑ってから、視線を焚き火の方に戻しますた。燃料の燃え方は一定ではなくて、  
時々パチっと弾くような音を出して炎を青く染めるす。その度に不規則な揺らぎと不安定な明か  
りを受けて、神様の顔にかかる影が変化していくす。  
 堪らなく淋しそうに見えますた。  
 
「神様、気に触る事がありますたか」  
 神様はもれの方を見ませんですた。  
「いいえ、ありませんわシオ君」  
「それじゃあ…もれ、なんか知らないうちに不躾なことをしますたか」  
「いいえ、してませんわシオ君。大丈夫」  
「……でも」  
 神様の眉は下がったまんまです。  
 少し勢いの衰えたオレンジの火が、神様との間の距離も照らしています。  
 砂の一粒まで。  
「なんでもないのです。ただ、中学の時のキャンプファイヤーを思い出しただけです。  
ふっと一秒、それだけです」  
「……」  
「今シオ君を見たら、私は泣くかもしれません」  
 神様は立てた両膝の中に、顔を埋めておしまいますた。もれは、近づいて、少しためらって、  
あの胸の奥のくすぐったさがどうしようもなくなってぎゅっと神様を抱きしめますた。ぴくっと  
動いた神様の反応にくじけそうで、それでも覆い被さるようにそのまま腕を回し続けますた。  
「神様は最初言ってくれたす。泣きたい時に泣いてもいいと思うって」  
「……いいえ、ちがいます、シオ君。それでも。泣いても。ここで泣いても。駄目なのです。変  
わらないのです。だって私がこの世界に……この場に居る理由なんて不明で、気持ちをぶつける  
べき御方もいないのです」  
神様の声が、耐えるようにかすれていくす。  
「だったら、その時にもれ見て欲しいす。泣きたい時に泣く理由にして欲しいす。神様、それは  
どうすか」  
 
 神様が、ゆっくり、本当にゆっくり体から力を抜いていったのがわかりますた。砂がざり、と  
音を立てて、その音がなければ分からなかったくらいにそっと、もれの体に手を伸ばしてくれます。  
 神様が顔をおあげになろうとして、もれの顎とぶつかたので――角度を変えて、顔の位置をずら  
して至近距離で見た神様の二つの眼は、涙のせいで濡れていますた。  
 すっとそこから新しく零れた涙を拭おうとして、両手が塞がってるのを思い出したもれは、八重  
歯が神様の頬にあたらないようにして口をつけて舐めますた。  
「し、お、君」  
 そう動く唇のそばにも涙の道があって、それも舐め取ります。神様の開いていた唇に、舌先が  
入ったみたいですた。その瞬間の初めて体験した不思議な感覚が、もれの思考を一秒固めますた。  
 
 唇の中は暖かそうで、吸い込まれていくようで、何も考えずにそのまま口付けますた。  
 柔らかい唇のすぐ向こうは壁のように在る歯。さらに深くすすもうと、神様を抱しめていた手を  
動かして砂漠の上に倒します。神様の舌が一番熱くて、自分の舌を必死に絡めながら、もれは神様  
の体の熱さを覚えようとしますた。  
「…っ、…」  
 神様が、苦しそうにのけぞって顔を離します。小さく喉を動かしたので、飲みこまなかった唾液  
を二人分、そのままお飲みになったのが分かりますた。息のかかる距離で、見つめ合います。  
 さっきまでの涙とは違う色を含んだ瞳、それに映りこむもれの顔も、なんだか初めて見る表情を  
していますた。  
 父ちゃんがヨキ先生と居る時、ふっと見せる顔のような。  
 慕情。  
「…シオ君……だめです、離れて…」  
それでも先に声を出したのは神様ですた。  
 もれ…難しい言葉わかんねすけど、神様の心のあったかさはよくわかってるす。  
 体も口も舌も、みんなあったかいのも、今ならわかるっす。  
「……離れて寝たら神様のお体が冷えるす」  
 神様は首をふりますた。  
 小さく小さく、勘違いにもできるくらい小さく。  
「シオ君の焚いてくれた火があります。涙はシオ君が舐めてくれました。……理由も。砂漠を先導  
してくれたことも、七の村で助けてくださったことも。シオ君は恩人です。恩人に甘えてはいけな  
い」  
 言いかけようとすると、口が塞がれますた。  
 二度目のキスは、さっきまでの貪るようなものではなく、苦しくなく息の出来る分長い口付けで  
した。  
 
 
「…だから奉仕するなら私からなのです」  
 口が離れた時、焚き火の火は青からオレンジへと変わっていました。神様の細い指がもれの頬を  
撫でて喉まで下がっていき、そこで離れますた。  
「もれ、よく……わかんねす」  
 神様は、少し眉を下げて、それでも触れた唇は微笑みますた。  
「あなたが大きくなった時――きっと待たせません、あと少しだけ時間がたったら――きっと分か  
ります。今は体の都合がつかないけれど……その時私はきっとあなたに感謝を返します」  
 感謝。神様は、間違っているす。返すのは、感謝しなければならないのは、何気なく無償に  
救ってくれた神様に感謝すべきなのは、もれのほう。  
 そう言うと、神様はまた、淋しそうに笑ったのですた。  
 
=  
 
「ふん、それで? まさか終いじゃねぇだろうな。俺は神がどういうムスメだか聞いたんだぜ」  
「だからそういう謙虚で優しいお方すよ。レオは何を聞いてるすか」  
「ベタベタのノロケに間違いないと思うが」  
 今は六の村に向かう途中す。  
「レオは神様の言ってた意味がわかるすか、教えて欲しいす。もれは…神様が好きすけど、あの言  
葉の意味がわかんないうちに言っちゃいけない気がするんすよ」  
 レオが嫌な顔をしますた。  
「のんきな奴だ。その前に、神がどこぞの防人の願いのために死ぬかもしれない」  
 もれは乾いた唇を舐めて、言いますた。  
 
「それだけは、もれが死んでも絶対にさせないす」  
 
 
=  
了  
 
 

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