○原罪  
 
 
目覚めたとき、見知らぬ天井に迎えられるのは、これが二度目。  
少女は、ただぼんやりとそんなことを思った。  
この世界で目を覚ました回数だけ、思い知らされる。  
これが、現実なのだと。夢では……ないのだと。  
 
ここはどこなのだろう。とてもとても広い部屋。まるで聖堂のように高い天井。  
「誰か……」  
いませんか、と言おうとした声があまりに響いて、少女は言葉を途切れさせた。  
「シオ君、レオさん……」  
二人は、どこへ行ってしまったのだろう。つぶやきに応える者はない。  
「……プラちゃん」  
意識を失う直前まで近くにいたはずの機械の姿も見当たらない。  
自分は、またひとりぼっちになってしまったのだろうか。  
ふいに、床のほうから静かな金属音がする。  
そこにぽっかりと穴があき、続いて「人」がゆっくりと姿を現した。  
「あなたは……」  
「お目覚めか……赤き血の神」  
機械の合成音のようでいて、青銅の鐘の響きにも似た不思議な声。  
姿も、形は似ているが人間のそれではない。  
シルエットの美しい長身で、身のこなしは優雅だが、その青年には「柔らかさ」というものが全く存在しないのだ。  
その彼がゆったりと歩みより、少女が半身を起こしている寝台の傍らに控えるように片膝を折る。  
「あなたも……機械なのですか?」  
間近で見る彼は、細かな部品で精巧に組み上げられているのが如実に分かる。  
「私は機械の賢者、キク」  
少女を見返す瞳は、無機質でありながら深い理知の光を宿していた。  
 
「あなたは、過労で倒れられた。それで、こちらで保護させて頂いたのだ」  
「それでは……」  
キクがゆっくりと頷いた。  
「ここが、『蜘蛛の糸』。この世界の中心部」  
 
※※※  
 
少女は、己の額に手のひらを当てた。  
不思議な感触が残っている気がする。  
「機械に愛され……人に憎まれる……」  
この世界に来たときに告げられた運命を思い出す。それが真実であるのなら、彼は安全だ。  
『安心して休まれるがいい。私はあなたの力になろう』  
幼い頃、具合の悪かった自分に母がしてくれたようにそっと合わせられた額は、とても冷たく硬かったけれど、嫌悪感は湧いては来なかった。  
ただそれだけのふれあいを残して、キクはまた部屋を出て行ってしまった。  
静けさの中に取り残されて、心細さが募る。  
帰りたいと、そう思った。  
もとの世界へ。それがかなわないならせめて、この世界での「友達」のところへ。  
膝を抱えて、漏れそうになる嗚咽をこらえる。  
反響する自分の泣き声なんて聞きたくない。それなのに。  
 
ふと、さきほど聞いた音が床のほうから聞こえた気がした。  
あわてて顔をあげて目元をぬぐう。  
キクが戻ってきたのだろうか。  
しかし、姿をあらわしたのは、今度は人間であった。  
つややかな黒髪と対称的な白い肌。切れ長の目元。見覚えのある人物。  
「ヨキ……さん?」  
最初にシオと出会った村にいた医師。少女に「蜘蛛の糸」に向かうように告げた張本人。  
けれど、いでたちはあまりにも違っていた。  
彼女の知識でいうと、「花魁」の装束というのが一番近いだろうか。  
 
印象もまるで違う。中性的で落ち着いた雰囲気から、両性的であでやかな、あたりを圧倒するような雰囲気に変わっている。ただ変わらないところは、その美しさと知性の輝きに満ちた黒目がちの瞳だけ。  
「私は……黒き血の賢者」  
唇をいろどるのは艶然とした笑み。  
「蜘蛛の糸へようこそ。神よ」  
「ヨキ…さん……」  
ふいに少女は、冷たい感触が背筋を這い上がってくるような感覚におそわれた。  
いでたちや雰囲気だけではない、以前とは決定的に何かが違う。  
少女は、一歩ずつ近づいてくるヨキから無意識に逃れようと、寝台の上でわずかにあとずさった。  
「おや、どこへ行かれるつもり?」  
芝居がかった様子で瞳を見開いたヨキが、静かに腕をあげて少女を指差すようにする。  
「え!?」  
唐突に、体が動かなくなった。  
「ど…どうして……」  
どんなに力をこめても指先ひとつ動かすことが出来ない。  
少女は悟る。違和感の正体は「恐怖」。  
ふ、と力が抜けていく。抗えない。  
「きゃ!」  
寝台に崩れて、ただ、近づいてくるその人を見ていることしか出来なくなる。  
「機械たちも…キクも…防人たちも……皆あなたを欲しがる」  
寂しげな笑みが、なぜか怖い。  
打掛がばさり、と床に滑り落ちた。  
「違うのは……この皮膚の下に流れる血の色だけだというのに……」  
衣擦れと、取り捨てられた髪飾りが床に落ちる音。  
「私とあなた……同じ女でしかないのに……」  
 
寝台が軋む。  
薄物と細い帯のみまとい体の線も露わな女の、わずかな重み。  
 
「……っ」  
少女は、こみあげてくる恐れに息を詰める。  
女の瞳の中に、狂気を見たような気がして。  
「こ…来ないで……」  
頬に、冷たい指が触れる。  
「や……お願い……やめてください……」  
逃れられない現実から逃避するように、少女は固く目を瞑った。そうすることしか、出来ることはなかった。  
 
※※※  
 
「っ!」  
唇が、重ねられた。頬に触れていた指が、耳をなぞり、首筋をたどっていく。  
冷たい感触が、鎖骨を幾度も撫でる。  
挿しいれられた舌が、ゆっくりと口の中を犯していき、這い降りた手が、衣服の上から胸を掴むようにする。  
「ん……んんっ……」  
少女は息苦しさにのどを鳴らす。それ以外のことは何ひとつ出来ない。  
舌を絡められて、飲みきれない唾液が口元をこぼれる。  
目元に血が上ってくるのを感じる。体が……熱くなる。  
逃げたいのに、抗いたいのに、体に力が入らない。誰も、助けてくれない。  
制服の裾がたくし上げられる。胸をあらわにされる。  
指先で頂をもてあそばれると、皮膚が引き攣れるような感覚が走り、それがつま先や背筋に伝わっていく。  
「……っ……」  
悔しくて、恥ずかしくてこぼれる涙がとめられない。  
ようやく、唇が開放される。  
「や……め……おねが……」  
苦しさに息があえぐ。  
それを見てヨキが浮かべた笑みが、冷たい。  
 
「抵抗がないのはつまらないかと思ったけど……いい声だね」  
唇の端を伝っていた唾液をゆっくりと舐める。  
「とてもいやらしくて、いいね」  
 
そっと撫でるだけのくりかえしが、感じたことのない感覚を生み出していく。  
「ちいさい胸のほうが感じるそうだよ。うれしい?」  
そんなことを言いながら、ヨキが頂に口づける。  
「……っつ……んっ!」  
舌でそっと撫でられただけなのに、刺すような痛みを感じる。そして、肌が粟立つような感覚も。  
「噛んでもいないのに、ほんとに感じやすい……」  
さげすむような言葉。  
「嫌……ヨキさ……やめて…くださ……」  
スカートの裾がたくし上げられて、太ももにも手のひらが這う。  
「や!……やめて!」  
「こんなにきれいな肌で」  
「いや……助けて……」  
下着を下ろされる。こぼれる涙がとめられない。恥ずかしい。恥ずかしい。悔しい。怖い。  
「助けに来るのは誰だ? シオか? レオナルドか? それともカーフ? お前のここが受け入れた相手は誰だ?」  
「ちがっ……そんなこと!」  
「ならば、なぜこんなに濡れている」  
「……やっ……ちがう……違います……」  
シオも、レオも大切な友達なのに。無理やりさらおうとした相手となど、そんな風にするわけないのに。  
「ここに聞けば、わかることだけど」  
開かされた足の間に、ヨキが指を近づけた。  
「やあっ!いやあっっ!!」  
ヨキの意図を少女が察するのとほぼ時を同じくして、体の中に侵入してきた異物感。  
「いやっ……いやあぁっ!」  
 
指が増やされて、痛みを感じる。  
「痛っ…やめてぇっ!!」  
二本の指に体の中を探られる。痛い、恥ずかしい、情けない、恥ずかしい、怖い、恥ずかしい。浅いところから深いところをゆっくりと辿る指の動きが繰り返される。  
「あ……ん……っ……」  
苦しくて、声を呑みきれない。  
ふいに、ヨキが指を抜いた。無造作なその抜き方にまた痛みが走る。  
「……あ……っ」  
次は何をされるのだろう、と少女は怯える。  
しかし、少女の予想に反し、ヨキは少女に背を向けてあっさりと寝台を降りてしまう。  
ぼんやりとした視界の隅で、打ち掛けを羽織りなおしたヨキが、一度だけ振り返った。  
「もう三人も防人に出会っていながら、誰も篭絡していなかった……」  
呆れたようなため息。  
「自分のものにしておけば、その者は己の願いよりもあなたを守ることに命をかけるだろうに……」  
艶やかな後ろ姿が遠ざかっていく。  
「もっとも、最初の一人にしか血の支配は効かないから、せいぜい強い相手を選ぶことだ」  
姿が、消えていく。  
「これが、私の預言だ。神よ」  
そして、その美しく冷たい声の残響だけが、少女のもとに残された。  
 
※※※  
 
少しずつ、体の力が戻ってくる。身を起こし、乱された制服を直す。  
まだ、胸が張っている。体の中心に異物感が残っている。  
涙をぬぐう気力もなかった。  
これが、この世界なのだろうか。  
『これが、私の預言だ』  
女であることを武器にせよと。  
体を玩弄されるやるせなさに、耐えろというのか。  
 
「……っ……」  
嗚咽をこらえきれない。  
高い天井に切なく響く自分の声。  
どうして、どうしてこの世界は私の世界ではないのだろう……。  
 
「我が神……」  
いつの間にあらわれたのか、傍らにキクの姿があった。  
始めに来た時のように床に片膝をついて、静かな目で少女を見ている。  
「……キク……さん……」  
「怯えなくていい。私は何もしない」  
キクの手には、ヨキが置き去りにしていったらしい髪飾りがあった。  
「……彼女は、哀れな人だ」  
つぶやくようにキクが言う。  
「私は機械だが、彼女は人間だ。賢者としての悠久の時を、私は彼女と分かち合ってはやれない」  
無機物で構成された瞳が、切なげに揺らいだように見えた。  
「私は、黒き血の人間を憎むように作られているから……」  
「キクさん……」  
胸が痛んだ。  
憎しみの無限の連なりに。そして、そのメビウスの輪に、自分が取り込まれていることに。  
とめどなくこぼれる少女の涙。  
それを拭おうと、機械の青年は手を伸ばす。  
けれど、触れることは出来なかった。  
 
機械の手では、人の涙は拭えはしないのだ。  
 
                                《了》  
 
 

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