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 弐の村を出発するのは明日。それなのに眠れません。砂の上、そっと体勢を変えて神様のまぶたの閉じたお顔を見ます。すでに眠ったでしょうか。  
 月の光が薄く体を覆い、風の音すら地面に染み込んで消えたようです。  
 もれは無理矢理まぶたを閉じますた。  
 ちょうど砂を踏む音が村のほうから聞こえてきますた。風の音がない分響きます。傍まで近づいて来て止まり、何かが降ってくる軽い音が、予想もせず神様の方から、続いてもれの体の上からします。  
 頬に触れる柔らかい感触は毛布でした。  
 足音が今度は遠ざかります。追いかけようと体を起こすより早く、それより速く、目を開けるその刹那の間に先に神様が体を起こしますた。  
 すでに立ちあがっている細い足を、横になったまま見てしまいます。  
「レオ、さん」  
 確信していたのに、その名前をはっきり聞いてしまったら、もう、動けなくなりますた。  
「この布は……いえ、それよりどうして外に」  
「村に入れないなら、見張りにどっちか起きていろ。機械が来たら一番最初に狙われるぞ」  
「……私たちに、ただそれを伝えに?」  
 返事はありませんですた。村のほうではなく――遠ざかる足音に、もう一つ分重なって砂が鳴きます。  
 さくりさくり。  
 プラが短く鳴きます。けれど、ぴくりとも動かないところを見ると、ただの寝言か鼾かもしれません。何度か目の前で手を丸めて広げます。  
 
 本当は、一秒だけ迷った。  
 
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「……」  
「……帰れ」  
「……機械に襲われた時危ないのは、レオさんも同じです」  
「だから付いてくるのか? なめるな、機械が襲ってこようが剣術がある、オレは大丈夫だ」  
 
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 追いついたのは、もれが日中レオと戦った場所ですた。ぼんやりしたシルエットで見るに、レオは座り、神様は少し離れた場所に腰を下ろしています。  
 出ていこうか迷って、やっと、はじめて考えます。もれはどうしてここに来たのででしょうか。レオと神様が万一でも争うなんて考えられないのに。  
 木陰と白い太陽の光の間、レオの視線ははっきり、優しかった。  
 ……それとも、もしかしたら理由は、パンを渡すときに見た、俯いたきりになってしまった神様の赤かった首すじのせいなのでしょうか。  
 もれは隠れるようにして、壊れた機械たちに手を添えてそのまま体重を預けます。倒れそうに預けます。  
「帰れ。アシャを失った以上。オレは防人じゃない。機械が襲ってきても、もう自分以上に」  
 声は、なんとか聞き取れます。  
「あんたを守れない」  
 後頭部に何かぶつかりますた。振り向けば、存在を忘れていたアールマティが居ます。  
 
 
 例えば、最初は父ちゃん、そこからもれが引き継いだ。  
 自分が声を出したことを、耳で聞いてはじめて気づきますた。  
「神様を守るのはもれです」  
 
 
 神様が細く答えるのが聞こえてきます。  
「私の心配をして下さるのですか」  
 唾を飲む。それでなんとか、体中が強張っているのに気づきました。  
 もれはなんだか一人で目隠しをして歩いている気分です。前に一歩進むのも後ろに一歩進むのも、どうしようもなく怖い。  
 足がもと来た道に向かって動かないのなら、いっそ二人の間に出ていく勇気を胸の中から探します。  
 ただ一人の空回りみたいな胸の苦しさよりも、同じ場所に向かい合って立っている感覚が欲しい。  
 三人の中で、もれが一番年下です。  
 ぼそりと、呟くように神様がおっしゃいますた。  
「あなたが私に剣を向けたとき、ほんとは少しだけ、ほっとしていました」  
 支えにしていた機械から指がすべり落ちる。  
「自棄になるのは優しくされるより楽だったのです」  
 多分、レオとほとんど同時に、神様を見ました。  
 もれには横顔が、レオには表情が見えた。  
 
「だから、少しだけほっとしていました。……シオ君が居ても。居てくれていたのに、私は家族の元に、友達の傍に、まだまだずっと帰りたかった。どれほど現実味が無くても、突然すぎて信じられなくても、自分の気持ちだけは偽れないとはっきり――痛いくらいに」  
 もれはアールマティを引き寄せますた。  
「とーちゃん」  
 機械が襲ってくるのを忌避して、村は外に明かりを漏らさないようにするす。だから夜はいつも暗い。おでこをつければアールマティの表面はつるつるして冷たい。夜の暗がりを怖がって泣いたとき、握って眠った父ちゃんの手とはまた違います。  
 あの時怖かったのは、一人きりになることですた。  
 レオも、今は。護神像を失って、その失った場所でこうして座っている。  
「俺もシオも神に願うことはできるが、神自身の願いは叶えられない。――俺にできることがあるなら」  
いくらでも。どんなことでも。  
 消えそうな声で、神様が呟きますた。  
「手を、貸してください」  
「手?」  
「はい」  
 月明かりにレオの腕が一本伸ばされます。  
 その手に自分の手を合わせ、神様がじっと見つめます。  
「やっぱり男の子の手は大きいですね。この年になるともう、手の比べっこをしよう、なんて男性に言い出せなくて。あまりに他愛無いから。無くって、無さすぎて……ずっとほったらかしにしてきた願い事でした。ふふっ、こんな突然思い出すなんて」  
 声が途切れると、辺りを沈黙が覆います。  
「……男の人の手は、私のとずいぶん違いますね。ずっと広くて、かたい。しっかりしてて力も強そうです。……それから、暖かい」  
 握ったり、撫でたり、ゆっくり時間をかけて、それでやっと。  
「暖かいですね」  
 夜が静かなことを、この日の月が明るいことを、もれは多分ずっと忘れないと思います。  
 いつでも差し伸べられる手は、ほんとはどんな意味があったのか。  
 相手が武器を持っていれば、それで傷をつけられるかもしれない。手は誰かと握手するためだけにあるわけじゃないから。  
 
 最初から傷をつくりながら、それでも自分を庇う前に手を伸ばすのは、どうして、だったのか。  
 背負ったものが重量にたえかねてふっと零れたように、レオの手に一粒涙が落ちたのが見えますた。  
 月明かりに光りながら、ゆっくり神様の頬からです。  
「私より、暖かいです」  
「――毛布も何もかぶらないでそんな格好で来るからだ」  
 やっと足が動いたと思った瞬間ですた。  
 腕を引っ張って、レオが神様を抱え込みます。すっぽり腕の中に入って、二つの影は大きい一つに。  
 『例えばレオのように背が伸びるにも体つきが父ちゃんのようになるにも』。  
「……アールマティ、行くすよ」  
 もれは後ずさって、もと来た道を引き返します。  
 砂を鳴らさないよう、ゆっくりと。  
 
=  
 
「テメエ……手かげんしたろ」  
「――え? してねーすよ」  
「今のは無効だ。いつかまたやる」  
「うん――いつでも」  
「行こうぜ。『我ら』が神さんが待っている」  
 
=  
 
 手を、伸ばします。  
 
 お腹から何かが零れていきます。流れ出すたびにずきずきと痛み、服がじっとりしてきて肌に張り付く。  
 靴底が床を叩く音が、少しづつ近づきます。  
「あ、あなたは……」  
 コツ、コツ、と音が響く。  
「人は人である限り必ず心の弱さが存在する。あのカーフですらキミと同じ方法で倒れたんだ」  
 上げた視線は避けられますた。  
 
「それはそういう護神像なのさ」  
 ヨキ先生。  
「アールマティ!」  
 レオの声に首を動かせば、鈍い音を立てて、見ている前でアールマティの体が弾けます。  
 そのまま、お腹が弾けたまま床に向かって落ちていく。  
 一瞬のことだったのになんだか長い時間が経ったような気がしますた。フランの手が傷を押さえてくれているのが、ちゃんと目で見えるのに、その手の感触を全く感じない。  
 冷たさとか暖かさとか、つるつるしているとか力強いとか。  
 レオが走り寄って剣を振りかぶると、ヨキ先生の護神像は、神様の姿に変わりますた。心の弱さ、弱点、自分が攻撃できない人。もれももう、わかっているす。レオと神様は。  
  二人を追いかけたあの夜のように、体はところどころ固まって、動こうとするも酷くぎこちない。  
 それでも手を伸ばします。  
 ぎくしゃくしていたせいか時間がかかったけれど、肘も使って、出せる力は全てを使ってアールマティに手を伸ばします。  
「合体を!!!」  
 永い、長い時間がその間に流れていたような。  
 今また神様とお話できるのなら、多分今度はもれから手を伸ばすでしょう。  
 握手は、友情と愛情。  
「先生……先生も願いを叶えるためなら……神様の命を奪うのですか……?」  
「奪うよ」  
 目をつぶりますた。神様へ恐れ多いと思って、年上の女性に怖気づいてしまって、差し出された手を握れなかった日を思い返します。友達と言われてかすれそうになった声。封じ込めてしまった言葉。  
 神様は今からでも聞いてくれるでしょうか。  
 貴方を奪われたくないことも。  
「あなたと戦わなければならない! 神様に生きて頂くために!」  
 意を決して目を開けたのを透かし見たように、ふっとヨキ先生が微笑みますた。  
「良かろう。来いっ、シオ!」  
 
 持てる全てを使って支え続けることを誓います。それとも別に、もう一つ心に決める誓いがあります。  
 レオにはきっと、バレていた。多分もれが気づいたように。  
 
 握り締める手はけしてけして友情ではなく、愛するために。  
 
   
<了>  
 
 

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