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斎木さんちの俊介さんは、朝からご機嫌ピサの斜塔であった。
コトの起こりは昨晩のこと。
こちら斎木のご令嬢、和音お嬢様が、いったいなにを乱心されたものか、下のようなことをのたまった。
曰く。
「兄ちゃま、兄ぃ、兄君、いずれか好きなものを選びたまい」
常日頃、獲物を狙う鷹のよーに細められた俊介さんの目の玉は、この能天気なお嬢様に圧迫されるがごとく、
縦横に細まってほとんど点と成り果てた。
しかしそこはそこ、伊達にこの困ったお姫をご幼少のみぎりよりお世話つかまつった家令ではない俊介某。
たちまち自分を取り戻すと、頭を一振り額を伝う汗払い、こう言った。
「今年は冷夏なんですよ」
皮肉が皮肉として通じないのは、人間の美点といえましょうか。
和音お嬢様は、俊介さんのつめたーい視線をものともせず、ぬぼーっといつでも幸せそうな顔に?マークを浮かべつつ、
薄気味悪い笑いのままである。
「……」
明日も俊介さんの朝は早い。暇を持て余した体育教師に付き合ってはおられない。
そういったわけで、俊介さんは早々に、目の前の平和人を放りおき、就寝の床につくことにした。
ゴロリ。
しかしこんなことではめげないのが、和音様のいいところ。
もちろんめげるというほどには、なにも感じていないのが本当のところである。
向けられた背中をグイグイと揺すり立てた。
「まあ、まあ、俊介。いいじゃねーかまだ夜は浅いぞ。宵の口だぞ」
時間がわかっていて、俊介さんは時計を見る。丑三つ時というものは、古来樹木も寝静まるといわれてきた。
そしておもむろに、その時計をこののん気な主人へと差し出した。無言である。
それを見たのか見ないのか、背向けのままの俊介さんにはわからない。しかれども手は止まった。
止まった手の代わりに言葉が沸いた。
「付き合いが悪くなったな俊介」
声音にはほとんど変化が見られない。それでもこの声をわずか5つのころから聞き続けた俊介さんには、
ああ本当に気分を害しているな、とすぐわかる。
「俊介さんと呼びなさい」
そうと思っても、ただ悪かったとはいえないのが、この主従のおかしなところである。
俊介さんは教育のためだと思っている。社会人の女に教育もあるまい。
和音さんはそれが単なる意地っ張りだと直感的に気づいている。しかしそれを現す言葉を知らない。
それで色々なことをうやむやにしたまま、俊介さんのほうから折れてみせる。これが二人のいつものパターンだ。