イルズベイル監獄島から生還を果たした数日後。  
 旅立ちの準備を整えるアルノーとラクウェルは、フロンティアハリムから程近いベリーの自  
生地を訪れていた。  
 彼女の身を蝕む病魔を治す為の旅路。その出立の前準備。  
 ハリムの商店にもベリーの類や薬草は売っているが、開拓の地に怪我は日常茶飯事で需要は  
大きい。  
 その負担を減らすべく渡り鳥である自分達の分は自分達で確保しようとやってきたのだが、  
山の天気は変わりやすい、という渡り鳥でなくとも周知の事象を身を持って体感することに  
なってしまった。  
 必要量のベリーを採取し終えた帰り道、スコールに見舞われた二人は途中に見つけた山小屋  
の軒先へと避難することになったのである。  
 
 雨の暗雲と、夕刻過ぎという時間帯のため森は一層暗い影を落としていく。  
 アルノーが魔獣の気配を警戒し、術式による一時的な空間遮断――シャットアウトの魔術を  
張り巡らせてから、疲れきった様子で背中のドアに身を預けた。  
 突然の雨に走ったため二人とも息を切らしているが、殊更にラクウェルの息が荒い。  
「……ッァ、ハァッ……大丈夫か、ラクウェル」  
 自らも呼吸を整え、水に濡れた前髪を除けながらアルノーは彼女の顔色を伺う。  
 元々白い肌がいつもより青白く頼りないものに見えて、焦燥感が増していく。  
 アルノーの問いかけに何か言葉を返そうとするが、声にならない様子のラクウェルはただ頷  
くのみだった。全く大丈夫ではなさそうだというのに、弱みを人に見せることに慣れていない  
彼女は決まってこうである。  
 身を竦めながらも彼女の背をさすり、呼吸が整うのを待つ間小屋の様子を伺う。  
 かつてはこの山を住処とし、生活していた者が居たのだろうか。  
 しかし廃棄されて久しい小屋に住人の姿はなく、試しにドアノブをまわしてみれば、簡単に  
ドアは開いた。  
「ラッキーだな。雨が止むまで休んでいこうぜ」  
 反論などある筈もなく、ラクウェルも頷いて二人は小屋へと入った。  
 
 古ぼけた木の小屋は狭く、今も昔も決まった住人を持たない旅人達の簡易寝床のために作ら  
れたものなのかもしれない。身を清める水場などは無かったが、暖炉はあった。有難いことに  
薪もセットだ。  
 アルノーが術式で火を灯し、二人は並んでその場に腰を落とした。  
「ほら、しっかり身体拭いとけ。風邪引いちまう」  
 荷物の中からタオルを取り出しラクウェルに手渡す。  
「すまないな」  
 ようやく呼吸が整った彼女はそんな短い謝罪と供に濡れて重くなったコートを脱ぎ、濡れた  
髪から滴り落ちる雨雫を拭き始めた。濡れたリボンを解き、長くくせのある髪が背に落ちる。  
幸いにもコートのおかげで彼女自身はそんなに濡れていない。  
 そのことに内心安堵しながらアルノーもジャケットを脱ぎ、出来る範囲で身を乾かした。  
 
/  
 
 静寂が訪れ、パチパチと火の爆ぜる音と、屋根を叩く雨音だけが場を支配する。  
 ベリーの絞り汁と乾燥ジンジャーを湯で溶かした飲み物で身を暖めながら、外の様子を伺う。   
 雨音は止むどころか次第に強くなっていき、風も出てきたようだ。この分では一晩缶詰かも  
しれない。  
「止みそうにねぇな。こりゃ夜明かしも覚悟しておくか」  
「皆心配していなければいいのだが」  
 ジュードとユウリィには出かける旨を伝えてあるし供に旅をしてきた同士、天候不順による  
足止めくらいは想定してくれていると思いたい。  
 が、ユウリィはともかくジュードは正真正銘のおこちゃまである。無理して探索に乗り出した  
りしなければいいのだが。  
「まあユウリィも居るから大丈夫だろ――って、ラクウェル?」  
 何気なく見た彼女は平然と涼しい表情を浮かべながらもカップを持つ手を小さく震わせていた。  
 雨に濡れ、普段からその身を覆っているコートは剥がれ落ち、その身を包む暗色のワンピース  
のみ。宿泊になるとは思ってもみなかったため、シュラフの類は持ってきていない。  
 
「寒いのか?」  
「いや……問題ない」  
 速攻にして明瞭な否定。あからさまな強がりにアルノーは少々ムッとしながら強引に彼女の肩  
を抱き引き寄せる。  
「アル、」  
「嘘吐け。こんなに冷えてるじゃねぇか」  
「……それはお前もだろう」  
「そうだよ。だからこうしてた方がいいだろ? それとも嫌か?」  
「……」  
 
 今度は否定ではなく沈黙。答えがないのをいいことに肯定と受け取ることにして、肩を抱く手に  
力を込める。  
 彼女は身を硬くしてされるがままにしていたが、ややあってからそっと頭をこちらの肩に預けて  
きた。  
「すまないな」  
「バーカ。謝ることじゃねぇだろ。つーか俺は役得」  
「ふふっ、そうか」  
 小さく笑って、彼女はそっとこちらを見つめてきた。普段のような鋭いものではなく、優しい  
まなざしで。  
 
「そもそもこんな役回りはお前以外には任せないのだがな、アルノー」  
 
 
 不意打ちもいいところな台詞に思わず目を見開いてしまった。  
 暖炉の火灯りが揺れて、白い肌と蒼い双眸にほのかな橙が差し込む。  
 揺らめく炎の照り返しが映えて、まるで涙を携えているかのようにも見えて――。  
「――ラクウェル」  
 彼女の頬に手を滑らせる。今度ははっきりとわかるくらいにその頬が紅潮した。  
 しかし決して彼の手は振り解かれることはなく、どころかそっと彼の胸に手を押し当ててきたり  
するものだから。  
 頬に触れた手を引き寄せて唇を寄せる。照れた様子ながらも瞼を閉じ、受け入れてくれる彼女の  
顔が寸前アルノーの瞳に映った。  
 
「……んっ、あ…」  
 合わさった唇の合間から零れる吐息交じりの甘声。  
 触れ、離れて、また触れ合う。角度を変えながら何度も、彼女の芯まで蕩かすようなキス。  
 彼女を蕩かしながら自身もまた溺れていくかのようなくちづけに、アルノーの中で渇望が沸き  
起こる。  
 キスの合間にそっとその顔を盗み見てみれば、頬を紅潮させ眦に涙さえ浮かべながらも必死に  
こちらに応えてくれる姿。可愛らしくも愛しくて、益々たまらなくなる。  
 たっぷりと長い時間をかけたキスの後、互いの唇の端から引く銀糸にも構わず、その細い首筋  
に唇を寄せた。  
「…ッ!」  
 途端、ラクウェルの背にチリチリとしたものが走る。  
 触れた先から伝わってくるアルノーの熱と、自分が生み出している熱。ドクドクと脈打つ鼓動。  
 壊れ冷え切った体にもまだ熱を生み出すことが出来ることに内心驚きながらも、今はそれ以上  
の衝撃に思わず身を捩った。  
「ア、アルノー!」  
 彼の胸に手をつき、無理やり引き剥がす。  
 途端アルノーはハッとしたように目を見開いて、数瞬前まで腕の中にいた恋人へと視線を戻した。  
 頬を朱に染めながらも自らを抱きしめるようにして拒絶の意思を示す彼女に「あ…」と情けない  
声を上げる。  
 
「わ、悪いッ! やっぱマズイよな。今のはナシだ!」  
 彼女の心構えも出来ていない内から突っ走ってしまったかと、アルノーは内心自己嫌悪に陥りな  
がらも頭を下げた。  
 が、怒り心頭に欲しているのだろうと思っていた彼女からの説教も怒号もなく、怪訝に思って  
そろそろと顔を上げてみれば、時間を止めてしまったかのようにぎゅっと自分を抱きしめている  
彼女の姿。  
 そりゃ暴走しかけたのはコッチだけど、そこまで嫌がらなくても……と内心うな垂れる。  
 瞬間、彼女はぽつりと呟いた。  
「……アルノー……多分、お前が思っていることとは違う…」  
「はい?」  
 その頼りなげな声に、思わず彼女の両肩を掴んで向き直らせる。  
 普段の剣捌きからは想像も出来ない華奢な肩と腕。本当にきつく抱きしめたら壊れてしまいそ  
うなほど。  
 目線を上げたラクウェルは涙こそ浮かべていなかったが、本当に哀しそうな目をしていた。  
 
「……私の身体は綺麗なものではない。お前に不快な想いをさせるわけにはいかないだろう」  
 
 そんな頼りなげな声で、何事もないかのように一気にそんな台詞を紡がれて。  
 アルノーは自分の中の何かにカッと火がつくのがわかった。  
 拒絶の意思を示すかのような腕ごと、強引に彼女を引き寄せ腕の中に閉じ込める。  
 
「アルノー! 聞いていなかったのか! 私は、」  
「聞いてたよ。だからこうしてるんだ」  
 慌てた様子で身を捩った彼女の背をきつく抱きしめて。  
「この、ばか。そんなことで、嫌になるわけねぇだろうが……!」  
 彼の震えた手と声に気づき、ラクウェルは暴れるのを止める。  
見上げた彼の顔は泣いているような怒っているような、少々頼りないこどものようなものだった。  
「だが……」  
「あのな、ラクウェル。そりゃお前にオトコの気持ちをわかれって言ったって無理だろうが」  
 先ほどと同じように、その頬に手を滑らせて。  
 熱っぽい目を真っ直ぐに向けながら。  
 
 
「好きになった女の身体を嫌うオトコなんか、居るわけねぇんだよ」  
 
 ――などと。  
 普通に聞けば誤解を生みそうな。しかしラクウェルには何よりも効果的で意味のある言葉を、  
囁いた。  
 
 
 
 耳まで真っ赤になりながらも沈黙してしまった彼女の髪をそっと撫でる。  
 彼女はその腕から逃れようとはしない。今押し倒してしまってもいいのかもしれない。  
 そう思いながらも彼女からの回答を辛抱強く待った。  
 さらさらと零れる灰桜色の髪が炎の照り返しに映えていた。  
 ベキッと火にくべた薪の一つが折れて小さく火の粉を上げる。屋根を叩く雨音は次第にその  
強さを増していくばかり。  
 沈黙は周囲の音と色、空気の流れを鋭敏にさせる。否、自分の感覚が研ぎ澄まされているのか。  
 更に長い沈黙の後、ラクウェルは俯きながらぽつりと言った。  
 
「…………私で、いいのか?」  
「ばーか。お前がいいんだ」  
 ラクウェルの腕がそろそろとアルノーの背に回る。顔を見たくて、顎を引き寄せた。  
「それより、お前こそいいのか? 身体、きついなら止めるぜ」  
「いや、それは特に問題は無い」  
 ラクウェルの否定はやはり速攻且つ明瞭である。思わず噴き出しそうになったのを、彼女は  
怪訝な目で問うた。  
「なんだ?」  
「いや、なんでも」  
 熱を移すかのように軽く頬に口付けると、ピクリと肩を震わせる仕草。  
「きついようなら早めに言えよ? なんつーか…手遅れになる前にさ」  
 優しく囁いたつもりだったのだが。ラクウェルは何故か不機嫌そうに眉を寄せた。  
「お前こそオンナの気持ちというものがわかっていないぞアルノー。  
……その、すき…になった男にこうされるのを、嫌がるオンナなど居ない」  
 その一言が始まりの合図。  
 先刻と同じように長いキスを交わし、互いの熱に溶けていった。  
 
□  
 
 ぱさり、と衣擦れの音。  
 素肌に触れる外気の冷たさに、身を隠すものが取り払われたことを知る。  
 とてもじゃないがアルノーの顔など見ていられないので、目を閉じたままじっとしていた。  
 暖炉の前、座したままの姿勢。人前で素肌を晒すという初めての体験に、傷痕のことより  
何より気恥ずかしさが先に立って、ラクウェルは小さく震えていた。  
「怖いか?」  
 意外なまでにやさしいアルノーの声が耳元に落とされて、ラクウェルはかぶりを振った。  
「怖くはないが。その、お前は満足できるか…?」  
「だからさっきも言っただろ。俺は――」  
「そうではなく! …その、私の身体は、メリハリが無いから……」  
 搾り出すように言ったのに、途端耳にぷっと吹き出した声。  
 そのまま身を震わせ笑われて、思わずラクウェルは目を開いてしまった。  
「なッ! ひ、人が真剣に言っているのだぞ!」  
 涙さえ浮かべて笑っているアルノーに怒る。と、アルノーは目じりに浮かんだ涙を拭いなが  
ら頭を下げた。  
「いや、可愛いと思って」  
「な…ッ……んんっ」  
 思わず頭を小突こうとしたラクウェルの手は寸前アルノーに絡めとられた。  
 鎖骨に触れたアルノーの唇の感覚に思わず声が上がる。  
 
 猫が毛づくろいをしているかのように、優しく吸い付かれて、くすぐったい。  
 さらさらと彼の髪の毛が触れていた。  
「あ…はぁ……」  
 舌先でやさしい愛撫を続けながら、アルノーの手はそっとラクウェルの胸元の辺りを触れる。  
 見ずとも触ればわかる、明らかに地の肌とは違う傷痕。  
「これ…痛くないか?」  
 こくんと頷く。あまりにも優しく触れてくれるものだから、痛みよりくすぐったさが先行する。  
 そうか、よかった、なんて呟いて、アルノーの手と唇がその部分に優しく触れる。  
 それは動物的な本能が感じさせる快楽ではなく、ヒトとヒトが触れ合うことで感じる安心感。  
 ずっと昔、子供のころ。悪夢を見て母親に甘え抱きしめられたときのような。  
 トクントクンと自分の中を叩く心臓の鼓動が聞こえて。不思議と呼吸が落ち着いていく。  
 繋いだままの手と手から彼のぬくもりと本当に自分を大切に想ってくれているのだという  
想いが伝わってきて、たまらなくなった。目の奥があつい。  
 
/  
 
 綺麗なものじゃない、などととんでもない方便だとアルノーは思った。  
 その身に残る傷痕は確かに戦時下の悲劇をそのまま写したモノで、誰の目にも痛々しく映る  
ものなのだろう。彼女自身が嫌悪するのもわからないわけではない、けれど。  
 傷痕を含めて、アルノーの目にラクウェルの身体はとても美しいものに映った。  
 惚れた贔屓目もあるかもしれない。けれども快いものではないという彼女の言葉は否定せざ  
るを得ない。  
 すべてを失い、これだけの傷を負ってなお再度立ち上がり、歩き出すことを決めた彼女の心  
の強さ。刻まれた傷痕のひとつひとつはどれだけ痛かろう辛かっただろうとは思うけど。それ  
だけの傷を負ってなお、ラクウェルという人物の心を、中身を守ってくれたことに感謝すら覚  
えた。  
 これ以上彼女の身を傷つけることが無いようにと、祈りにも似た決意が固まっていく。  
 ……だからこそ理性は総動員体勢、全身全霊を込めて優しくしたいと思っていたのに。  
 目の前のラクウェルが眦を揺らしていて。見慣れない姿に自分の内側で燻っていた熱が上昇  
するのがわかってしまう。  
 
 触れるだけの軽いキスを交わし、アルノーの手は胸の中心、桃色の部分にそっと触れた。  
「……ぁっ!?」  
 ぴくんとラクウェルの身体が跳ねる。問いかけるようにその顔を覗き見れば、恥じらいなが  
らもふるふると首を振った。続けていいという合図。もっとも、ここで拒絶されたところで止  
められる自信は正直なかったけれど。  
「んん…っふ、あっ……」  
 普段の彼女からは考えられないくらい甘い響きが耳を打つ。  
 仄かに色づく頂きは硬く自己主張を始め、感じていることを如実に伝えていた。  
 右のソレを口に含み、吸い付くように甘く噛むと高い声があがる。もう片方は手で転がすよ  
うにしながら柔々と揉む。  
「あっ、やっ…」  
 拒絶ともとれる声。  
 けれども紅潮した頬と小さく開いた濡れた唇は否定の意味を為していないと都合よく受け取  
って、アルノーは愛撫を続けた。  
 自らが言うように凹凸の少ない身体。それでもフニフニと柔らかな胸に手を滑らせていると  
幸せな心地になる。  
 そう思っているのはアルノーだけではないようで、荒い息の合間で途切れ途切れに自分の名  
前を呼ぶ声が頭上から響いた。  
「んっ」  
 手を休めて、何度目になるかもわからないキス。何度交わしても飽きるということはない。  
 噛み付くように唇を合わせ、逃げる舌を絡めとって熱を与えるように映すように繰り返す。  
 実際、興奮と感情の激流によって互いの体温は上がっていた。触れ合う吐息すら熱い。  
 
 行為に溺れていくラクウェルの様子を確かめながら、アルノーは彼女を仰向けに横たえた。  
 互いの上着とコートを敷物代わりとして、体重をかけないように彼女に乗りかかる。  
 今更ながら、明らかに性行為を目的とした体勢を意識したのだろうか。ラクウェルが気恥ず  
かしそうに目線を逸らす。  
 小さく笑いながら再び首筋と鎖骨に吸い付きながら、全身に手を滑らせて徐々に下へと下ろ  
していく。  
 先ほども触れた胸から腹、力を入れれば折れそうなほど細い腰へ。  
 
 腰から尻、太股にかかるラインを二、三度上下してから、アルノーの手は太股の内側に入り  
込む。脚はしっかりと閉じられていたが、手は易々と侵入に成功した。ラクウェルの腰がびくっ  
と震える。  
「ラクウェル。もう少し脚開いて」  
「そ、そんなこと自分からできるわけないだろう!」  
 いやいや、今からまさにそういう行為をするというのに。   
「…まあ、そういうのも可愛いけどさ」  
 苦笑いを交えつつ、彼にしてはやや強引とも思える仕草で彼女の膝を割る。  
 白い脚にも残る幾つもの傷痕の向こう、隠された秘所は柔毛に隠されており、暖炉灯りしか  
ない状況も手伝って殆ど視認できなかった。  
「ば、ばかっ! あまり見るな!」  
「こんだけ暗くちゃ殆ど見えないって」  
 だから触るぞ?と目だけで伝えれば、元々朱に染まっていた顔を更に赤くして、それでも許  
容の仕草なのか瞼をおろす彼女。  
 
 アルノーの手が動く。   
 柔毛の下へ潜り、ラクウェルの敏感な箇所を探る――までもなく、すぐにそこはクチャリと  
粘着質な音と供に汗でも雨でもない液体が指先にまとわりついた。  
「……お前のせいだ。さっきから、あんなことばかりするから」  
「俺で気持ちよくなってるって言うなら嬉しいな」  
 笑いながら、頬にキスをひとつ。  
 動きを止めていた指をそっと動かしてみると、クチャクチャと水音が増す。いや、液体の分  
泌量が増えている。  
「あ……はっ…ぁん……ふぁっ」  
 先ほどまで照れ隠しにぶつくさ言っていた口は最早意味を成さない喘ぎ声を漏らすだけ。  
 熱に浮かされたように吐息を零すラクウェルの手が、無意識にアルノーの背に回り、シャツ  
をぎゅっと掴む。もっとと、ねだるように。  
 彼女と、自分自身の求めに応じてより大胆な指使いで翻弄する。  
 
 
 耳に響く濡れた音と、自分が出しているとは思えない媚びるような声に、ラクウェルは耳を  
ふさぎたくて仕方なかった。  
 けれどもそれは叶わぬ願い。アルノーの手が、唇が、肌が触れるたびに全身の力が抜けてし  
まう。筋肉も思考も、弛緩したように真っ白に塗りつぶされていく。  
 元々可愛げがないと自嘲するラクウェルは、身体のこともあって色恋沙汰とは無縁の人生を  
おくっていた。男女が愛し合い、子を成す過程について大雑把な知識はあったものの、それが  
自分自身の身に起ころうとは考えたこともなかった。ゆえにその行為がこんなにも淫らで、  
それでいて気持ちよいモノだなんて知らなかった。  
 ―――というのに、目の前の男はどうにも慣れた節がある。  
「は…っ、ふ…んぁ……あ、アル、ノー……」  
「ん?」  
 胸に埋めていたアルノーが顔を上げる。  
 
「お、お前は…慣れて、いるのか?」  
 ぴきっ、と。  
 漂っていた甘い空気のようなものが一気に凍りついたのがラクウェルにもわかった。  
 つい今さっきまで余裕ぶって自分を翻弄していたとは思えない、怒ったかのように顔を赤く  
するアルノーの姿がそこにある。  
 否、怒っているわけではない。これは、照れているというべきか。  
「あー……ったく、もう…」  
 がしがしと前髪をかきあげながら、アルノーはラクウェルの手をとり、自分の胸に押し当て  
た。  
 
 手のひらから、シャツ越しでも伝わる彼の体温。それに、早鐘のような鼓動。  
 思わず目を見開くと、恥ずかしそうに彼は視線を逸らす。  
「……こっちだっていっぱいいっぱいなんだよ」  
 緊張、しているのか。  
 なのにあんな風に余裕ぶって、こちらが怖がることのないように平静を装って。  
 ふ、と口元が笑みの形をつくる。久方ぶりに見たような気がする彼の臆病さと、それ以上の  
やさしさ。  
 胸につかえていたものがするすると溶けていく。  
「すまない」  
 詫びて、ラクウェルの手はアルノーの頬に滑る。自分から口付けた。  
 
 軽い、こどもが交わすようなキスだったけれど、滅多にない彼女からのアプローチにアルノー  
の心音は更に高鳴る。  
 これ以上心拍数が上がったら死んでしまうんじゃないか、なんて疑ってしまいそうな位。  
「…ちくしょー。反則だっての」  
 嬉しそうにも悔しそうにも聞こえる声。  
 怪訝そうに眉を寄せるラクウェルには応えず、アルノーは休めていた愛撫の手を再開した。  
「あ…ふぅ……っ」  
 本当にやさしくしているから、ラクウェルの口から零れるのは浮かされたような緩い声ばかり。  
 けれども、さっきのラクウェルを見て歯止めが利かなくなった。  
 脚を大きく開き、身体をより割り込ませて、彼女のそこにちゅ、と口付ける。  
「あっ!?」  
 びくん、とラクウェルの腰が跳ねた。  
 濡れた下の唇の中をアルノーの舌が動き回る。左右にめくるようにして動かすと、トロトロと  
溢れる熱い雫。濡れて光る中心を見つけ、指先でそっと剥くようにしながら息を吹きかけた、途端。  
「―――っ!? ふ、あ、ふあああぁっ!」  
 先ほどの、まどろむような空気とは違う。切羽詰った快楽の高波にさらわれるオンナの声。  
 指だけを動かしながらそっと顔を盗み見ると、ラクウェルは硬く目を瞑り、頬を紅潮させ、口元  
には涎さえ垂らしていた。  
 普段からは考えられないほど乱れた姿に、アルノーの熱も次第に集まってくる。下半身が熱い。  
 それでもその声がもっと聞きたくて。もっと甘えてほしくて。  
 ……もっと、自分を感じてほしくて。  
 
 指がクリトリスから下を探り、愛液を生み出している秘裂を見つけ出した。  
 十分に濡れ、あふれている。オンナの匂いが酔ってしまいそうなほど強い。いや、酔っているの  
に違いはないのだろうが。  
 慣らすように人差し指を一本差し込むと、ずぶずぶと案外簡単に埋め込まれていった。  
「あ、あぁんっ…」  
 ラクウェルの身がかすかに震えた。  
「大丈夫か? ラクウェル」  
 問いかけに言葉では返してくれなかったけど、目を瞑りながらもこくんと頷いてくれた。ので、  
続ける。  
 
 ラクウェルの中は蕩けそうなほど熱い。その上、きつい。  
 入り口では異物を拒もうとするかのように圧迫していたのに、入ってしまえば次は逃がさない  
とでも言わんばかりに絡み付いてくる。  
(うわ……)  
 指でこれなら、アレを入れたらどれだけなのだろう。  
 優しくしてやりたいという愛情と、快楽に身を任してしまいたいという本能。  
 葛藤を壊れそうな理性でなんとか押しとどめながら、入れた指と中の様子を確かめるように何  
度か動かす。  
 
 クチュリ……クチャ…  
 外の部分を弄っていたときとは比べ物にならないほどの卑猥な音。  
 さぞかし恥らうだろうと思いきや、ラクウェルはそれ以上に切羽詰まった様子で喘いでいる。  
きっと、今自分がどんな声を出していて、どんなことをされているかなんて理解する余裕もない  
のだろう。  
「ひゃん、んふ……っ! ん……あああっ、あぁあ」  
 涙に濡れた瞳は何も映しておらず、呼吸すらも苦しそうな様子で必死に敷いたコートの端を  
掴んでいる。  
 それでも止めない。止められない。  
 ラクウェルの中が急に圧迫を強め、収縮していく。  
 愛液に濡れ、テラテラと光るクリトリスに舌を絡め、吸った。  
 
「ひゃ、あ、あああああぁあぁっ!!」  
 
 びくびくっと、一際激しく腰が揺れる。  
 急速な収縮。  
 甘い蜜を零しながら、ラクウェルは軽く達していた。  
 
「……ル。ラクウェル?」  
 ぺちぺち、と頬に触れる手の感触に目を開く。  
 目の前には心配そうにこちらを覗き込む翡翠色の瞳。  
「アルノー…?」  
「大丈夫か?」  
「え、何が――」  
 問いかけて、固まった。  
 ナニをされていたものやらよくわからぬまま、思考と視界が真っ白になって、喉が焼ききれる  
ように熱くなった後、何も覚えていない。  
 顔面に熱が集まるのを瞬時に察する。  
「身体、つらくないか?」  
 デリカシーがあるのかないのか、優しいというよりは鈍いのか、それでも本気でこちらを気遣  
っていることだけはわかったので目を瞑りながらも頷いた。  
「たぶん、大丈夫……だと思う」  
「そうか、よかった」  
 
 安堵の息が零れて、素肌に触れる。  
 熱情のそれではないのに、くすぐったくて心地よい。  
 どうしてこの男はこんなにも――と尋ねそうになって、踏みとどまる。  
 アルノーが自分のどこを好きになってくれたのか、ラクウェルにはわからない。  
 どれだけ語ってくれたとしてもきっとずっと、わからないのだろう。  
 恋に理由なんかない、とは昔聞いた物語のことば。きっとその通りなのだろう。  
 
「んっ」  
 
 ちゅ、と耳元で音。  
 耳を甘噛みされ、頬にキス。  
 濡れた唇にも軽く触れて離れようとした口付けを、彼の首に腕を絡めて留め、濃厚で長いディー  
プキスを味わう。  
 面食らったアルノーもすぐに応戦した。互いに舌を絡め、クチュクチュと貪りあうように吸い付  
き、噛み付き、欲する。  
 相手の奥深く深淵まで全てを暗い尽くすかのような深いキス。  
 永遠とさえ思えそうなほど長い時間。  
 実際にはほんの数分にも満たなかった時間が過ぎ、息が続かなくなって二人は同時に相手を解放  
した。  
 
 ラクウェルの目に映るアルノーは、キスに濡れた唇を軽く舐めながら熱を帯びた瞳で自分を覗き  
込んでいて。  
 アルノーの目に映るラクウェルは、涙に濡れたひとみを揺らし恥ずかしがりながらも上目遣いに  
自分を見つめていた。  
 
「ラクウェル」  
 先ほどとは違う、昏い陰を映した目と声で名前を呼ばれた。  
 直接的な言葉でなくとも、その声が意図するところの意味くらいわかる。  
 睫毛を伏せ、小さく頷く。と、アルノーは自分を落ち着かせるためか、片手をぎゅっと握って  
きた。  
 繋いだ手と手。伝わる互いの鼓動と脈動、体温。  
 泣きそうなくらい、幸せだった。  
 
「アルノー…」  
 
 こんなにも嬉しいのだと、伝えたくて。  
 今まで一度だって口にしたことのない、自分には許されることもないと思っていたことばを――  
 
『アイシテイル』と―――  
 
 小さく小さく、ともすれば聞き逃しそうなほど掠れた声で、ラクウェルは囁いた。  
 
 
 
/  
 
 かああぁっと、顔面に熱が集中するのがわかった。  
 小さく掠れた声で、でも確かに今彼女は自分の名前を呼んで、そして。  
 ……ずっと彼女の口から聞きたかったコトバを、発したのだ。  
 同じモノを返そうと一瞬口をついて、でもそれ以上の渇望が湧き上がった。  
 ラクウェルが欲しい。  
 いとしくて、触れたくて、ひとつになりたくて、たまらない。  
 
「ラクウェル…ッ!」  
 
 脚を大きく開き、硬くなった自分のモノを取り出して、そこに触れ合わせる。  
 達した後の濡れたラクウェルの秘所と、はちきれんばかりになった自分の先端から零れるものが  
交じり合って、クチュッと熱い感触。  
「あ――」  
 熱した鉄のような塊が触れて、ラクウェルが思わず吐息を零す。  
「いくぞ?」  
「……ん、きて」  
 ぎゅっと、繋いだ手に力を込めて。  
 アルノーは腰を推し進めた。  
 
「ああぁぁっ!!」  
「くっ! ぁっ!」  
 ぎゅうっと締め付けてくる感覚は、指を入れたときとは比べ物にならないほど。  
 熱い粘液がスープのように溶け込むナカの肉壁はアルノーのモノをぎちぎちと咥えこみ、奥へ奥  
へと誘う。  
 まずい。ほんの入り口でこんななんて。  
 半分も収まりきっていない自身が益々そそり立つのがわかる。  
 背筋を走る官能に耐え、腕を突っ張って必死に推し進めていく。  
 荒い息を吐き、痛みに涙を零しながらもラクウェルの手はアルノーの手と握られたままで、痛み  
に耐えながらも自分を受け入れようとしてくれていた。  
 彼女がここまで覚悟してくれているのに、止めるのは逆に失礼なのだろう。  
 それに、アルノー自身も止められそうになかった。  
 きつい締め付けに今にも放ちそうになる快楽に耐え進めると、奥の方で何かにこつんと当たる。  
 確認するまでもない、彼女の純潔の証。  
 
「いく、ぞ…っ!」  
 
 もう応える声も出せない様子で、ラクウェルは握られた手に力を込めた。  
 最奥を突き上げる。  
 ブチブチッと壁が破れ、一筋の鮮血とそして、  
 
 
「あああぁぁぁあああぁッ!!!」  
 
 
 痛みと喜びに詠う彼女の絶叫が、暗く粗末な山小屋に響き渡った。  
 
 
「はぁっ、はぁっ、はぁっ……」  
 握った手も頼りなく。すがりつくもう片方の腕もがくがくと震わせるラクウェルを落ち着かせる  
ため、しばらく動かず彼女の髪を梳く。  
 繋がった箇所はアルノーの男の象徴をこれでもかというほど締め付けてきて、今にも突っ走って  
しまいそうなのを全身全霊で抑止しながら、ラクウェルの涙を唇でぬぐった。  
「だい、じょうぶ…だ……」  
 尋ねる前に、ラクウェルは言った。  
 痛みに苦しんでいるかのような、それでいて微笑んでいるかのような、不可思議な瞳。  
「ごめん、な」  
「あやまること…なんか、ない…」  
 そう言われても、痛みに耐えているその顔を見ればまるで自分が悪いことをしてしまっているか  
のように感じてしまう。  
 情けない顔をしたアルノーにくすりと笑って、ラクウェルは繋いだ手を離し、そっとその首へ絡  
めた。  
「……それなら、キス、してくれ」  
 そんなことならお安い御用と言わんばかりに彼女の期待に応えた。  
 時に深く、時に浅く。  
 触れて離れて、また触れる。その度に下で繋がることとはまた違う満足感が胸に満ちた。  
 
 
 
「動いても…いいか?」  
 ラクウェルとはまた違った意味で、切羽詰った様子のアルノーの顔がそこにある。  
 ちょっとだけ笑いそうになるのを堪えてラクウェルは頷いた。  
 
「んんっ……やっ、あっ、はっ……」  
「っく、あっ」  
 内側の濡れた壁に撫でられて自身もまた喘ぐような声をこぼしながら、アルノーは腰を動かした。  
 ラクウェルのそこは血と熱い粘液が潤滑油代わりとなって推し進めるのはさほど難しくはない。  
 けれども引き戻すときの圧迫感、全てを食らい尽くそうとするかのような締め付けはまるで途方  
もない快楽で、頭の奥で鳴っていた警報を無視して次第にスピードが上がってしまう。  
 
「ひゃ、あっ! あぁんっ! あ、アル、ノーッ!?」  
 
 ラクウェルの声には未だ少しばかりの苦痛の響きがある。  
 悪いとは思いながらも止められなかった。  
 強引に脚を大きく開き、片足を抱えあげて自分の肩にかけ、より深く強く打ち付ける。  
「ああぁぁあぁっ!」  
 彼の体の下で、苦しそうに息を荒げるラクウェル。  
 彼女の感じる声と表情を目の当たりにする度に理性というものが塗りつぶされていくかのよう  
だった。  
 無防備な唇へ手を伸ばし、指を侵入させる。  
 
 口に入り込んできた異物をラクウェルは嫌がりもせず――というより、状況把握する余裕がない  
のだろうが――繋がっている分身と同じように抜き差しされる人差し指に吸い付いて舌を絡め舐めた。  
「うあっ」  
 指は性感体のひとつだというがどうやらそれは本当らしい。  
 抜き差しする肉棒が熱さを増したような気がして、アルノーがうめく。  
 もしかしたら、ナカのラクウェルが熱くなっているのかもしれない。  
 思うがまま、アルノーは少女の身体を――上と下の口を浸し、満たす。  
 
 山中、雨の冷えた空気の中。  
 暖炉の火にだけ照らされた室内は歳若い二人の情事によって、蒸した空気を生み出しているかのようだ。  
 橙の灯りがラクウェルの白い肌と桜銀の髪の中で光の色を変えて、不可思議な光彩を生み出していた。  
 
 いつしかラクウェルから苦痛の色が消え、甘い響きを持った艶のある声がアルノーの耳を打つ。  
 ちゅぽんと指を抜く。途端「あ…」と、飴玉をとられた子供のような声があがる。  
 涙に濡れた瞳に上気した頬、唾液の線を描きながらも紅く染まったくちびる。  
「ラク、ウェル――」  
 更に激しく腰を振ると、息も絶え絶えに抱きついてくる。  
 充血して赤くなった敏感な部分を指で弄ると腰が震えた。  
 ぬらぬらと濡れた肉壁はこれ以上にない位アルノーの硬くなった部分を圧迫し、咥えこみ、蕩かして  
くる。   
 熱くてきつい。  
 もう駄目だ、これ以上――  
 
 限界を感じ、最後に思い切り奥まで突き上げる。  
 
 ズンッ、と腹の奥まで迫り来るような感覚に、チカチカしていたラクウェルの視界は完全に真っ白  
になり、意識が泡のように霧散しそして――  
 
 
「んあ……っ! ひゃ……っ! あぁん、あああ――!!」  
 
 
 弾け飛ぶ思考。  
 意識を失う寸前、熱い液体が自分の中を灼いたような気がした。  
 
/  
 
 しとしとと静かな雨の音がする。  
 
「ん……」  
 ゆっくりと、瞼を開いた。最初に飛び込んできたものはむき出しになっている梁。  
 暗色の部屋のなか、暖炉灯りも届かない天井は暗闇と化す直前のような影を落としていた。  
「ラクウェル」  
 隣から名前を呼ばれて、顔だけを向ける。思ったより間近にあった端正な顔に一瞬驚いた。  
「アルノー…」  
「具合、どうだ?」  
「具合?」  
 何を聞かれているのかわからず、同じ言葉を反復する。  
 そもそも何故こんなに間近で、よもやシャツを脱いだアルノーが隣にいるのか――と、衝撃  
に緩慢になっていた思考がゆっくりと再生される。見れば、自分も素肌を晒したままだ。  
「あ……」  
 思い出して、ラクウェルの顔が一気に真っ赤になった。それこそ名前の通り熟した林檎のように。  
 間近で揺れるアルノーは思いのほか真剣な目をしていて、情事後の恋人たちのそれとは違う心配が  
含まれているのだろう。  
 けれども今のラクウェルには何を聞かれようとそちらのことにしか頭が働かず、気恥ずかしさ極ま  
って彼に背を向けてしまった。  
 背後で一瞬だけ呆気にとられたあと、苦笑するような気配。  
 ふ、とアルノーの腕がラクウェルに伸びてきて、後ろから抱きしめられる。  
 暖かな身体が触れ合って、ラクウェルの緊張感とも羞恥心とも言いがたい感情が少しずつほぐれて  
いく。  
「……あたたかい」  
 素直にそう口に出してみると微笑まれたような気がした。  
 アルノーが身じろぎし、耳元に息がふきかかる。背がぞくりとして、耳まで赤くなるのが自分でも  
わかる。  
 
「――ご馳走様でした」  
 
 なんて、ふざけたような台詞を囁かれて。  
 思わずラクウェルの肘鉄がアルノーの鳩尾にヒットした。  
 
 
 それがアルノーなりの気遣いだったということを知ったのはもう少し先のこと。  
 知ったところで気遣いの方向性とタイミングを間違えていることに違いはなく、ラクウェルは呆れ  
るばかりだったのだけど。  
 
□  
 
 台風一過とはよく言ったもので、翌日にはからりと晴れた。  
 澄み切った空の下、無事山を降り帰還した二人を出迎えたのは勿論ジュードとユウリィ。  
 
「アルノー! ラクウェル!」  
 村の入り口まで来たところで、ユウリィの手を引き駆け出してきたジュードが嬉しそうに飛びついて  
くる。  
「心配をかけたな」  
「僕は探しに行こうと思ったんだけど、ユウリィがきっと大丈夫だからって、一日待ってたんだよ」  
「ばーか。こっちがどうだったかは知らねぇが、あんな雨の中何の手がかりもなしに来てみろ。あっと  
いう間に遭難しちまうぞ」  
「こちらでも降ってましたけど、そこまで酷かったですか」  
 ユウリィは心を痛めた様子で眉をしかめる。  
 確かにフロンティアハリムの中も道々に水溜りができていたが、木々の豊かな山のふもとであるこの  
地域性を考えれば、それはむしろ恵みの雨だったことだろう。  
 
「でもラクウェルさん、出掛けられる前に緊急用に念のためってエクソダスオーブを持っていかれまし  
たよね?あの森では効果が無かったのですか?」  
 
「え」  
「あ」  
 
 ユウリィの言葉に年長二人は固まった。  
 探索開始時の地点まで空間を圧縮させ、引き戻してくれる古代と科学の融合体である貴重品。  
 それを使えば一晩山小屋で缶詰になどなることもなく、一瞬にして村まで戻ることが出来たはずだ。  
 ラクウェルがエクソダスオーブを持ち出していたことを知らなかったアルノーは思わず彼女の顔を  
見た。  
 彼女にしては珍しく、鳩が豆鉄砲を食らったような顔で。  
「……すまない。忘れていた」  
 と、告げた。  
 アルノーは肩を竦め、ユウリィは困ったような笑みを浮かべる。  
「ラクウェルでもそんなことがあるんだ」  
 ただひとりジュードだけが、変に感心したような顔。  
 
「でも無事帰ってきてくれてよかった。お腹空いたし、みんなでお昼にしようよ! ユウリィが  
さっき準備してくれてたんだ!」  
 言うが早いか、ジュードはユウリィの手を引いて宿代わりになっている工房へと歩き出した。  
 ジュードに手を引かれながら、ユウリィも微笑んで「行きましょう」と促してくる。  
 
 前を行く二人と少しだけ距離を置いて、年長の二人も並んで歩き出した。  
 
「……すまなかったな」  
 気落ちした様子で呟くラクウェル。  
「ジュードじゃねぇけど、お前でもそんなことがあるんだな」  
 別に責めるつもりはない。けれどもたった一晩とはいえきちんとしたベッドで眠るのと床に眠るの  
とでは体力の回復具合が違う。まあ…今日の体力低下については、それだけが理由でもないのだろう  
けど。  
 
「でも、忘れていてよかった、とも思う……」  
 
 ぼそりと。  
 小さく囁いた声にアルノーがきょとんと瞬きすると、頬をほんのり染めた恋人の姿がそこにあった。  
 思わず脳裏に去来する昨夜の出来事。  
 アルノーの顔も赤くなり、同時に抱きしめたいという衝動が湧き上がってくる、が――  
 
 
「アルノー、ラクウェル! 早く早く!」  
 
 見ればもう大分向こうまで行ってしまったジュードが手を振って促していた。  
 大体今時分は真昼間であるのだし。  
 
「……ま、後からにするか」  
「え?」  
「なんでもない。それより飯食おうぜ。食ったらお前は少し休んどけ」  
 行こうぜ、とアルノーもまたジュードと同じように、彼女の手をとった。  
 が、パシッと叩かれて振りほどかれる。  
「ひでーな」  
「そういうのは、人前でするものではない」  
 
 じゃあ人前じゃなければいいのか、と内心学習しておいた。  
 
 
 
 雨上がりの村は露草に濡れた陽光を照り返し、キラキラと輝いている。  
 
 乾いた空気を潤した自然の恵みに感謝するかのように、開墾に精を出す人々の姿。  
 ところどころに出来た水溜りの中を面白そうに遊ぶこども達。  
 
 
 やがて七色の光が空というキャンバスに大きなアーチを描き、吸い込まれそうな青の中に溶けて  
いった。  
 
 
終  
 
 

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