手淫を終えた直後特有の疲労感と自己嫌悪、そして未だ抜け切らぬ快楽にアウラは苛まれていた。  
たった今空想の中、優しいあの人をさもしい自分と同じ低みまで堕としめて昇りつめたばかりだ。  
これが何回目になるのかもわからない。  
こんな風に虚しさと寂しさで死にそうになるとわかりきっているのにやめられないのだ。  
「……ごめんなさい、ゼットさん…」  
懺悔が涙と共に零れたその数拍後。  
ごとり。  
何かが床に当たる音がした。  
「え……?」  
それでベッド脇に佇む人ひとり分の気配に気がついた。  
そしてこの家をひとりで訪ねて来る者と言えば、今しがた妄想の中で自分を犯させた相手ただひとり。  
さらに、ああ、オレだ…と冷たく投げかけられた呟きに決定的な現実を突きつけられた。  
(全部見られていたの? ゼットさんに? そんな……そんな…!)  
見えない瞳を絶望に見開いたその直後。  
淫夢は現し世で再現された。  
 
右肩を掴まれて仰向けに倒された。  
ビッという鋭い音と共にさっきまで散々弄り回していた箇所が空気に晒された。  
思わずまだ自由な左手で中空を掻いたがそれもすぐに握りこまれシーツの上に縫いとめられた。  
その時の違和感でこれまで抱いていた微かな疑惑が一瞬で確信へと固まった。  
これまで老若男女問わず多くの人に手を引いてもらいながら生きてきた自分だからわかる。  
きつく食い込んでくる彼の手の骨格にはヒトの骨にあって然るべき微妙な弾力が全く無い。  
肩と手首を砕きかねぬばかりに締めつけているのはもっと密度が高く無機質な…金属だ。  
心の隅に引っかかっていた幾つかの事実が一所に集まり、今まで浮かべては打ち消してきた可能性が真実なのだと悟った。  
冷たい肌と硬い頭髪。夜更けの訪問、客人用の明かりを灯すのも待たず何にもぶつからずに易々と自分の前に近づいてきたこと。結界が壊れていた頃何日も眠る様子さえ見せずに魔獣を掃い続けていたこと…。  
自分が恋焦がれている男は、伝承の…  
思考は突然襲ってきた強烈な痛みによって断ち切られた。  
彼の刀身に貫かれたのだ。夢想していた通りに。  
予想以上の激痛に悲鳴をあげたが、淫液でとろけきったそこに彼の侵入を阻む術は何一つ無い。  
内壁は否応無く押し広げられ、すぐに肉の裂ける感覚を味わうことになった。  
純潔を失ってしまった。それもヒトならざる存在に奪われたのだ。そう思った瞬間―  
どくり!  
心臓が破裂したかと思うほど大きく跳ね上がった。  
戸惑いが、痛みで遠のきかけていた意識を呼び戻した。  
(わ、わたし、どうして…)  
激しい抽挿を受け入れている部分に潤みが増す。  
痛みが痛みのまま、痛み以外の何かに変わりつつある。  
(あ、熱い……っ!)  
膣肉を蹂躙する肉茎は灼熱そのもののよう。  
肩と手首を拘束する両の手もいつのまにか汗でぬめっている。  
彼をこれほどまで狂わせているのは自分なのかと思うと心臓は再び高く跳び上がった。  
(違う、違うの……そんなはずない!)  
自分の体と心の両方に裏切られた気分。  
無理矢理処女を破られているのに。道具の様に手荒く扱われているのに。しかも人間にではなく…。  
 
―だからこそ、愉悦に震えているのだ。おまえは。  
(!?)  
唐突に耳元、いや頭の中に低く深い声が響いた。  
この現実を受け止めきれずに頭がおかしくなってしまったのだろうか?  
しかし言われた内容があんまりにもあんまりなので気丈にも心の声で抗議する。  
(嬉しくなんかない…痛くて、苦しくて、悲しい……)  
―では口を封じられている訳ではないのになぜ言葉で拒絶しないのだ? ひとこと「嫌」と告げればそいつは我に返るかもしれないというのに。  
(……ゼットさんの事が嫌じゃないのは認めます…でも、優しくしてもらえないのは…)  
―夢想の中のそいつに甘い言葉や愛撫をねだった事が一度でもあったか?  
(……っ!)  
反論できなかった。  
彼を想って自分を慰めるときにそのようなものを思い浮かべたことは一度もなく…むしろ床に転がされうつ伏せに組み伏せられたり、壁に追い詰められて服を引き裂かれるといった被虐的な妄想ばかりを赤い色で瞼の裏の世界に映していた。淫欲に爛れた、真っ赤な色で。  
今度は弁解する暇も与えず、声は一気に畳み掛ける。  
―そもそも最初にそいつをヒトでないかもしれないと疑った時に何を感じた? 恐怖か? 失望か? 違うな。おまえは期待していた。そいつが道化の仮面を剥いで裡に燻る獣性をおまえに叩きつける日の訪れを! そしてその虫のいい望みは今まさに叶えられた!  
―認めよ。自分は歓んでいるのだと。この星の外の種と交わる背徳の感情を快楽への贄と捧げているのだと。認めればその先に更に甘き高みが…  
「ひああぁぁぁぁっ……!」  
意識が急激に外界に引き戻された。  
服の中に侵入したゼットの手に胸のふくらみを掴まれ、硬く立ち上がった頂上を爪先で押し込まれたのだ。  
自分で弄った時とは比べ物にならない刺激にとうとうアウラの理性は散り散りに弾け飛んだ。  
もはや謎の声の続きも聞こえない。  
(気持ち、いい……痛くても気持ちいいの…もっと……もっと!)  
体は異種の男の欲望に揺すられるまま無抵抗だ。  
口の端からは幾筋もの唾液が途切れ途切れの嬌声と共に溢れた。  
膣壁は血と愛液を垂れ流しながら硬い刀身を締め付けて歓待している。  
上方からクッと息を詰める音が聞こえた拍子にまた心の臓が跳ね、足は先まで突っ張って痙攣し…そこで意識は真っ白などこかに落ちていった。  
 
何かが胸元を滑る感触で気がついた。  
下腹部に残る僅かな鈍痛にゆっくりと覚醒を促された。  
顔を汚していた涙と唾液による不快感が消えている。  
今胸に感じているのは湯で程よく温められた布地が体の汗を吸い取っている感触だ。  
(いつものゼットさん……)  
口元が安堵で笑みそうになったが慌てて空寝を続けた。  
いま瞼を開けて目覚めを彼に示したとしても、その後どうすれば良いかがわからない。  
彼そのものよりも彼が人外であることに由る快を貪った引け目で言葉が出そうにないのだ。  
布の感触が内股に降り、秘裂が拭われる。  
ゼットの手に若干力が加わり、乾きかけてこびりついた物をタオルの目地が削ぎ取るのがわかる。  
自らの流す蜜とは違う半固形的な粘つきに気づく。  
意識を手放した所為で注がれた瞬間の記憶はないが、自分達は確かに契ったのだ。最後まで。  
手がそっと離れるのと同時にそう実感し、清められたばかりの箇所からじわりと新たに染み出させてしまった。  
しかも脱げかけにされていた服がすべて取り払われて生まれたままの姿を彼に晒していることを今更自覚してしまい、心臓が早鐘のように騒ぎ出す。  
表情だけは平静に保とうと努めるも頭の中では羞恥と怖れが滅茶苦茶に暴れだしている。  
(本当は起きているって気づかれてしまったらわたしどうすれば…それよりたった今濡らしてしまったところを見られたら…)  
幸いその切迫感はふわりと柔らかなものが全身に降りてきたことで中断された。裸身を使い慣れた毛布で覆ってもらえたのだ。  
これでとりあえず気を落ち着かせることが出来ると安心しかけたのもつかの間、数歩離れた距離から悲しげなため息が聞こえて今度は一気に頭から血の気が引いた。  
もしも彼が自身の行為を悔いて自分の前から金輪際姿を消そうなどと考えていたら。  
それだけは阻止しなければならない。なりふりかまう余地などなく、今すぐ飛び起きてでも…!  
とにかく言葉を紡ごうとした傍ら、ベッドにもう一人分の重みが加わった。  
どうやら危惧していたようなことは考えてなかったらしい彼はそのまま身を横たえたようだ。  
「う……っ…」  
押し殺したような小さな呻きが聞こえたのを最後に辺りを静寂が包みだした。  
 
今に伝わる伝承に誤りがないのなら隣に横たわる想い人に眠りは必要ないということになる。  
しかし彼はすでに半時間ほど規則的かつ緩やかな呼吸を続けている。  
対する自分は最後に聞いた彼の呻きの正体は嗚咽だったのではと気になってなかなか眠れなかった。  
とうとう彼に手を伸ばして確かめることにした。  
二の腕の辺りから上に辿り、頬に直に触れる。  
予想していた通り、ほとんど乾いてはいるが涙の筋があった。  
さらにその筋をそっと伝うと指先はまつげに溜まった小さな雫に当たった。  
彼が起きる様子はない。呼吸の調子にも変化はないのでさっきの自分のように空寝をしているわけでもなさそうだ。  
睡眠は義務ではないが眠ろうと思えば眠れるといったところだろうか。  
位置と姿勢がだいたい把握できたので今度は胸のあたりに耳を寄せてみた。  
どく…………どく…………と、拡張と収縮を連想させる音が微かに聞こえる。  
音と音の間隔が極端に長いものの、それは確かに命の脈動の調べだった。  
愛する男は命も、心も、間違いなく持ち合わせているのだ。  
彼の胸元に頭を寄せたまま鼓動に聞き入るうちに、これまでの罪悪感や不安は静かに溶けていった。  
彼の身が鋼であろうとなかろうと。自分が浅ましい性癖の持ち主であってもなくっても。  
「やっぱり…ゼットさん以外は欲しくありません」  
どっちにしろ、この気持ちを変える要因になどなりはしないのだ。  
命の音を堪能しながら、アウラはかつてないほど安らかな深い眠りについた。  
夜明けの空気が花の香りを届けに来るまで、その眠りを邪魔するものはなかった。  
 
 
その朝、ゼットとアウラは深い口づけを飽きることなく交わし続けていた。  
窓のカーテンは開け放たれているが、無人の町に覗く者などいるまい。二人ともそう思っていたのだが。  
実際のところは町の中央の高み、砕かれた獣人の像の元に二体の守護獣がいた。  
いたとは言っても、巫女の祈りに応える時のように具現化するでも、人に語りかけるときの光明の姿をとるでもなく、ただ星の力としての在り方のままなので誰にも彼らを見る術はない。  
(そう、呆れてくれるなイオニ・パウアー)  
声無き声で一方がもう一方に語り出す。  
そのイオニ・パウアーは何も言葉を返さない。返せないのだ。  
力の拠り所だった像を壊され、残った力でミーディアムを巫女に託したが、その際真下の隠し部屋に匿われた少女を護る分の意志だけはこの場に確保した。  
今は巫女と戦士達が運んできた大戦期の遺物が護りの代用となったお陰で負担は減ったがそれでも感情を言葉へと結ぶには骨が折れる。  
それに引き換え、語りかけている方は元気なものだ。何しろどんなにこの星が荒れようと減ることはない「欲望」を司っているのだから。  
彼は長らく、闘いを求める強き欲望の持ち主である一人の魔族と絆を結んでいたが、その魔族が満たされ同時に命を散らしたのをきっかけにようやくファルガイア側に戻って来た。  
(かの戦友を超える思いを持つ者がいるとは思っていない…が、再び人間達の欲を糧にするのも悪くないようだ)  
 
戦友の心を満たし黄泉路に送った面々の中には思わぬ顔もあった。  
フォトスフィアでは何度も姿を見かけた道化者の魔族だ。  
打撃を受け膝をついた巫女の戦士が体勢を立て直す間、盾の役目を買って出る姿に以前とは何かが違うと感じた。  
あくまでも階級上のみでの話だが戦友と同格だったこともあり、少し興味が沸いた。  
巫女にミーディアムを渡した後も心の眼でその魔族を追い…そしてあの娘の存在を知った。  
(人間は見かけによらぬと知っているが…あれほどの事例はそうそうない)  
清楚な少女の内に見て取れたのは身を突き破って溢れるのではないかと思うほどの慕情と願望。  
健気にも魔族の前では想いを抑え、独りの日には憑かれたように自涜に耽る。  
そこに昨夜の突発事故だ。  
機を逃す手はなく娘の心を読み、声を送って快楽の源となるそれらを余さず引きずり出した。  
他の守護獣達と違ってどこも弱っていない自分には容易いことだ。  
(言っておくが魔族の方には何もしていないぞ。あの娘の最初の蓋を開けただけだ)  
傍らの同族に釘を刺す。存在は微弱でもため息をついた気配が伝わってきたのだ。  
(不都合はあるまい。ラフティーナにも多少分け前が行く)  
再び盛大なため息の気配。それでもあれは8割方おまえの取り分だろう…とでも言いたいのだろう。  
(これからが面白いぞ。あの娘のあの魔族を求める欲、どうやら底なしだ)  
この上なく愉快そうな唸りを風に乗せ、影狼ルシエドは去った。  
後には複雑そうな感情で塗りこめられた、聖の守護獣の思念の塊が残った。  
 

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