大いなる脅威が去り、星の力の再生が約束された後にふさわしい、気持ちのいい青空が頭上に広がるセントセントールにて。
日なたの暖かさを楽しむアウラを民家の影から見守りながらゼットは逡巡していた。
最悪の場合、今日が彼女との今生の別れになるかもしれない。
それでも言わなければならない。
ただでさえ、力で純潔を奪いそれでも許してもらえたあの朝という機会を見送ってしまっているのだ。
今という区切りまで逃したら本当に二度とこのけじめをつけられなくなるだろう。
もたもたしているうちにアウラがこちらを振り向いてしまった。
思わず建物の影に身を戻したがそれでも彼女は確信に満ちた表情でこっちを向き続けている。
視力に頼らず生きる彼女はたとえ自分の後ろにいる者の気配でも、前から向かって来る者のそれと等しく感じ取ることが出来るのだ。
ゼットはとうとう観念して「ただいま」を言うために彼女の前に歩み出た。
「……言わなくちゃいけないことがあるんだ」
アウラからの「おかえりなさい」を受け取ってすぐにそう切り出した。
ここで他愛無い会話など交わしてしまったらせっかくの決心が鈍る。
軽く息を吸った後、一言。
「オレは、魔族だ」
遂に言った。
互いに知っていながらずっと言葉にはしなかったこの事実を。
「アウラちゃんをお母さんにすることはできない。1000年前に斬ったニンゲンは一人二人なんてものじゃない。この街を空っぽにした奴とだって無関係じゃなかった。それでも俺と一緒にいてくれるかどうか、アウラちゃんが今…ここで、決めてくれ」
「…私は、人間です」
拳を握り締めて審判の声を待つ。
「ゼットさんより先に死んでしまいます。そしてこの街がこうなってしまったことへの悲しみより、こうなったおかげでゼットさんと会えた喜びのほうを大きく感じている悪い子…いえ、非道い女です。こんな私でも一緒にいてくれるかどうか、今ここでゼットさんが決めてください」
暫しの沈黙が流れて。
きつい抱擁と深い口付けが互いの答えだった。
「本当の本当に覚悟決めちまうんだな!?アウラちゃんが俺から離れられなくなっちまうような卑怯な抱き方しちまうぜ?」
先に唇を離したゼットが最後の確認をすると、アウラは自身を差し出すようにそっとゼットにもたれかかった。
「それじゃあさっそく…」
ゼットの金の瞳に獣の光が宿る。
「お望み通りに“可愛がって”やるぜッ!」
軽々とアウラを抱き上げ、彼女の家に向かって歩き出した。
「…とまあ、そんな具合に真っ昼間にもかかわらず怒涛の勢いでなだれ込んでしまったわけだがッ!」
ロディとザック、そしてゼットはミラーマの宿屋兼業の酒場のテーブル席で思い出話に花を咲かせていた。
…喋っているのはゼットばかりだが。
アースガルズの眠る地で共に戦った仲間達が全員揃った日からそれほど日数が経たないうちの再会だった。
…あの日、現在のロディたちの拠点がこの町であることを会話の端から耳聡く嗅ぎつけたゼットが押しかけてきただけだが。
「それはあいつ(と、カウンターの奥で仕事をこなすウェイトレスを目で指す)をネタにセンズリこくしかないのが現状な俺に対する挑戦なのか?」
「いやッ、惚気だッ!!」
「…そこ動くなよ」
ザックがテーブルに立て掛けてあった刀を取り、今にも抜こうと構えだす。
慌てて立ち上がったロディが後ろから抱きつくようにして止めにかかる。
「ええい今日こそ止めるなロディ!この野郎がヤり過ぎて嬢ちゃんにバカ伝染す前に分解して不燃ごみに出してやるッ!!」
時刻は昼飯時。酒場には他の渡り鳥グループもいくらか集まり、結構賑わっている。
乱闘の予感に血が騒ぐのか、何人かが野次を飛ばし始めた。
いきり立つ無精ひげの剣士に、挑発を続けるオレンジマフラーの男。
そして困り顔になって剣士を取り押さえる青い髪の少年。
その場にいる誰の目にもこの少年が「常識人にして苦労人」的ポジションに映っていた。
だから
「離しやがれロディ!それともこいつの話を明日の朝まで聞かされてぇのかッ!?」
とまくし立てられておろおろしている彼が
(聞きたいに決まってるじゃないか!男三人で猥談って言うシチュエーションも前から憧れだったし!)
…と思っているなど、誰一人見抜けるはずが無かった。
結局、例のウェイトレスに「喧嘩は外でやりなッ!」と三人まとめて蹴り出された。
ザックは懲りずに酒場にUターン。ゼットは騒ぐだけ騒いで気が済んだのかいつの間にか姿が消えていた。
「はぁ…」
残ったロディは噴水の端に腰掛けてため息をつく。
悶々と思い返すのは新しい旅立ちをしてからの最初の夜だ。
自分を「忘れ物」と称したセシリアが合流してきたあの日。
てっきり自分の手には届かぬ公女に戻ると思い込んでいたセシリアが自分の所に戻ってきたのだ。
諦めたものが再び戻ってきた嬉しさがその時のロディに勇気をくれた。
空に一番近い場所に作った祖父の墓は町から遠く、その夜は森で野宿だった。
ザックとハンペンが一足先に眠り込んだのを幸いにセシリアを森の奥まったところに連れ出し…おもむろに彼女に口付けた。
『ロディ…』
セシリアは驚きながらもすぐに嬉しそうに応えてくれた。しかし…
薄い月明かりの下で唇を重ね合っているうちにたまらなくなり、彼女の口内に舌を捻じ込み、右手で豊かな乳房を掴んだ瞬間。
どんっ!
ものすごい勢いで突き飛ばされた。
目を瞬かせてセシリアを見ると、彼女は胸を庇うように自らを抱きしめてしゃがみ込んでいた。
『ごめんなさいッ…でも…わたしこんなの知りません…ッ!』
震えた声でそう言ったセシリアに、慌てて自分がやりすぎたことを謝る。
そして彼女が自分へ向けてくれている想いが、自分が彼女へ向けている想いとは少しばかり違うのだと思い知った。
セシリアの愛は、肉の欲から離れた純粋な魂の愛なのだ。
(ラフティーナを目覚めさせるだけのことはあるよな…)
二度目のため息と共にロディの意識はミラーマの喧騒に戻ってきた。
セシリアはあれでも教育を受けた公女だ。
子供の作り方さえ知らない、というわけではないだろう。
ただ、その手の生々しい行為を自分と結びつける発想がないといったところか。
(それとも…)
揺れるロディの心にあまり考えたくない可能性が忍び寄る。
(俺とはそういうことするものじゃない、って思っているとか)
自分がホムンクルスであることを自覚し受け入れて以来、自分の体についていつの間にか知っていることが増えていた。
元々データとして機械の脳の奥深くに眠っていたのだろう。
例えば、自分の外見はゼットぐらいの成人の姿に届いたあたりで変化しなくなるであろう事とか。
そして…自分は人間がするように子孫を残せないことも。
子という実を結ばぬ組み合わせの雄と雌がその身を交えるのは摂理に反した行為だ。
(でも俺はやりたくてたまらない)
そもそもあの長い旅はセシリアにいいところを見せたい下心で始まったものだ。
その結果、自分でも知らなかった自分の正体が発覚したり希望の守護獣が復活したり星を救ったりといろんなえらい事が起きて知る人ぞ知る英雄となったわけだが。
(俺はあの時も今もセシリアの追っかけをしているだけなのになあ…)
この町を拠点にしようと提案したのもザックに気を使ってのことと思われているが実際は自分のためだ。
ザックがあのウェイトレスを口説いている間に自分が心置きなくセシリアの尻を追い回したいが為にしていることだ。
打算的なエロガキ。
これこそが自分の本質であり隠したいわけでもないのに、なぜか口からは必要最低限の言葉しか出ず、顔は無難な表情ばかり表に出す。
(ゼットにもっとはっきり訊く事が出来ればなあ…)
魔族のゼットがアウラとうまくいってればホムンクルスの自分もセシリアとうまくいくような気がする。
だからあの二人は応援したいし、その上あやかりたい。
しかしさっきだって「あれから、どうしてた?」と遠回り極まりないネタ振りをするのが精一杯だった。
(それでもちゃんとアウラとのことを話してくれるゼットはさすがだよな、うん。口の回りだけでなく察しも良いなんてますます見習いたいよ)
結局、惚気話がお気に召さなかったザックによって中断されてしまったが。
しかしなんだかんだ言ってもザックだって、アウラを照れ隠しに「あのオンナ」呼ばわりしていた頃のゼットよりも今のゼットの方がずっといい感じだと思っているはずだ。
(あんなふうに臆面が無くなったのは、スケベ本を倒したあの時からだったっけ)
ちなみにその時、皆がジェーンにどつかれるゼットに気を取られている隙に傷みの少ない一冊をくすねた。
その本もロディの知識向上に大いに貢献してくれたがやっぱり生の体験談も欲しい。
(特にどうやって初行為へ持ち込んだのかをじっくり聞かせてほしいよ)
いつか教えてゼット先輩…と独りごちそうになったそのとき。
「ロディ、食事はもう終わったのですか?」
まさに懊悩の元であるセシリアが、大きな紙袋を抱えて現れた。
いつもの大食いで男二人よりも早く昼食を済ませた後、買出しに出かけていたのだ。
「ハンペンが値切ってくれたおかげでこんなにいっぱい買えました」
嬉しそうに持ち上げられた紙袋からごそごそとハンペンが出てきた。
「ザックはまだ酒場?じゃあウェイトレスさんにまたバカな事言わないように見張りに行くよ」
ささっと地面に降りて酒場へ一直線に駆けていった。
「…やっぱり気づいているのでしょうか?わたしたちのこと」
照れくさそうに頬を染めながらセシリアがつぶやく。
気を使ってくれたのだとしたらありがたく甘えよう…とばかりに彼女も自分の隣に座るように促す。
何を話すでもなく二人で水しぶきの音に耳を傾ける、穏やかで幸せなひと時が始まった。
「それ、持つよ」
セシリアの膝に乗っていた縦長の紙袋を自分の膝に移す。
「ありがとうロディ」
(よし、障害物がなくなったぞ)
袋の陰になって見辛かったセシリアの胸を思う存分観賞にかかる。
露骨な視線に欠片も気づかずニコニコしているセシリア。
そして道行く町の人々もまたロディを「女の子と目を合わせるのが照れくさくて俯いちゃってる可愛い坊や」としか思わないのであった。
全ては彼の無自覚な善良純朴優しさオーラが故、である。
誰も咎める者がいないロディの視線はさらに下へと降りていった。
風に揺れる公女服の裾の白さがまぶしい。
最近の彼女は肩の下まで伸びてきた髪に合わせてか、こっちの服を着ることのほうが多くなっていた。
スカート丈の短い青い服の方もあれはあれで好きだった。
なにしろ梯子を昇るときに順番を譲って下から覗くと実にいい眺めだから。
(ケイジングタワーは最高だったな。長く楽しめて)
「ロディ」
(!気づかれた?俺がそのスカートの奥のパンツの色とか中とかに思いを巡らせている事にッ!?)
「オイルはもう買ったのですか?」
「あ……」
言われて初めて思い出した。ARMの手入れ用のオイルを切らしてしまったので工房で新しいのを買う予定だったのだ。
「忘れてたのですか?早くしないとこの前みたいに売り切れてしまいますよ」
武器の手入れは渡り鳥、特にARM使いには死活問題だ。この時間が中断されるのは残念だが、疎かにしていいことではない。
「じゃあわたしはこれ持って先に戻ってますね」
紙袋が再びセシリアの腕に戻り、そして
「!」
ロディの頬に柔らかな感触が降った。
慌てて周りを見回したが、自分たちの前に人の姿は無い。そして後ろからは噴水の水柱に隠されて死角だ。
セシリアはというと悪戯っぽい笑顔を見せた後、小走りで酒場方面に去っていく。
(……幸せ、だよな。充分…)
少なくとも、いい雰囲気の時にはこうやってキスを貰えるのだ。
得られぬ行為を嘆くよりも、既に得ていることを大切に噛みしめなくてはと実感する。
(それにしても相変わらずバックから襲いたくなる後ろ姿だ…)
しかし彼女の姿を見送るモノローグにはやはり邪な願望が満ち満ちているのだった。