「先生、ラブライナ先生!」  
 王都エレンシア郊外のラブライナの私塾へと、一人の少年が血相を変えて駆け込んだ。  
「先生、いるんでしょう? センセーッ!」  
 少年は鍵の掛かっていない入り口から中へと入り、玄関で声を張り上げる。  
夕暮れどきに生徒の姿は無く、ラブライナは一人でいるはずだ。  
「あらあらレヴィン君、どうしたんです? そんなに慌てて。  
……いいえ、言わなくとも先生にはわかります。ついにこの時が来てしまったのですね。  
アレクシア様とクラリッサさんを秤に掛ける、完全なるライブラ――  
狭間で揺れ動く皿に、心の分銅を運ぶ伝書鳩が、ついにその羽を休める時が。  
大丈夫です。私は、そんな貴方を拒絶したりはしません。出来る女の包容力はスゴイんです。  
――さあレヴィン君! 先生の胸に飛び込んでおいで……」  
 
「せ、先生ッ!? ……確かにあの二人のどっちかを選ぶなんて、俺には一年近くかかっても出来やしなかった。  
回り続けてばっかりで、結論なんて出やしない。それに、先生って年齢の割には若く見えるし、  
案外悪くないのかな、なんて……違う違う! そんな事やってる場合じゃないんですってば!」  
 レヴィンと呼ばれた少年は、突発的に放たれた出会い頭のスマッシュヒットにやや混乱気味の様子。  
一時でも真剣に考え込んでしまった事が、レヴィンの混乱を加速させる。  
 
「ふふふ。冗談ですよ、レヴィン君。伝書鳩は分銅を運べません。もっとも、本気であればお相手しますよ?」  
「だーッ! もう、そういうタチの悪い冗談はッ!? ほ、本気だったらお相手?   
そりゃどういう意味……のわぁぁッ! ズレてるズレてる話題がッ! あーもうとにかくコレ見てくださいッ」  
 一人で混乱するレヴィンは、手に持った白い紙切れをラブライナに手渡し、そっぽを向いてしまう。  
対照的に、からかっていただけのラブライナは、冷静に手渡された紙切れを広げた。  
「……果たし状?」  
 文頭に大きく、達筆で書かれた文字がやけに目に付いて、思わず呟く。  
「それ、今日の昼過ぎに、家の門に挟まってたんです。物騒な内容だったもので」  
「レヴィン君やブレンテン家の方に宛てられたものではないのですか?」  
 ラブライナのもっともな質問に、振り返ったレヴィンは困惑した表情で付け加えた。  
 
「よく読んでくださいよ。先生の名前らしきものがあるでしょう? 可笑しな話ですよね。  
先生に用があるなら先生宛てに出せばいいのに、なんで俺の家なんかに……」  
 言われた通りに目を通すと、“建国の騎士団、軍師宛”と書かれている。  
建国の騎士団、つまり約一年前に一名の欠員を出しながらも解散した、ブランクイーゼルの事である。  
そしてその軍師、本人は軍師のつもりではなかったが、その役割を果たしていたのはラブライナだった。  
しかし、肝心の内容はあまり愉快なものではないようだ。手紙の形を借りた挑戦状と言ってもいい。  
 
「文字通り、果たし状なのは良いのですが、差出人の名前がありません。  
これでは受け取る人間もどう対処してよいのかわからなくなり、双方に悪影響を及ぼす危険性があります。  
そもそも、テストで名前を書き忘れたら0点ですね。それと一緒です。  
いくら解答が正しくとも、問答無用の0点。レヴィン君もたまにやりましたね」  
「む、昔の話ですッ! それより、どうするんですか?」  
 
 過去の恥に顔を赤らめるレヴィンに向かって、ラブライナは両手を腰に当てて胸を突き出し、  
自信に満ち溢れた表情で答える。心なしか鼻息も荒くなっている。  
「まずはこの手紙……いえ、果たし状に対して、久々のD・E・Rッ! といきましょうか」  
「はぁ? ちょっと先生、んなことやってていいんですか?」  
「ふふん、甘いですねレヴィン君。大甘です。ビブーティ入りのセカンドフラッシュより甘いですよ。  
こんな紙切れ一つからも、重要な情報が手に入る事もあるのですよ?」  
 
 急に真剣な表情を見せるラブライナに、過去の戦いで猛威を振るったブランクイーゼルの頭脳としての姿が甦る。  
これにはレヴィンも止める様子を見せる事なく、ただ黙って次の言葉を待った。  
「……まず一つ、先程も言いましたが、差出人の名前が無い事。挑戦的な内容と相まって、  
相手に警戒してくれと言っている様なものですね。恐らく、これに書かれた内容が真実であれば、  
相手はかなりの自信家。襲うので油断せず、万全の状態で真っ直ぐに向かって来い、という事でしょうか」  
 
「なんか、言ってる事が滅茶苦茶ですね」  
「レヴィン君も気をつけましょうね。いざ恋文を送ったのはいいものの、差出人の名前が無くては何の意味もありません。  
熱い想いを文字に込めれば込める程、むしろ相手に余計な不信感を植え付けてしまいますよ?」  
「う、それは気をつけなくっちゃな……って俺の事は今は放っておいて下さいッ!」  
 とうとう真っ赤になって怒り始めたレヴィンを無視してラブライナは続ける。  
 
「二つ目、場所を指定しているという点。それも、王都の中でも特に僻地にある自然公園。  
今ではほとんど使われておらず、人気も無く、そしてある程度の障害物と広さを備えた、格好の決闘場……」  
「つ、つまりそれは――ッ!」  
「ええ……私との密会を希望しておられるようですねッ!」  
 
 至極真顔で言い切るラブライナを、流石に慣れてきたのか、レヴィンは無言で睨みつけた。  
ラブライナは大袈裟に恐がってみせながら、やや悪乗り気味にレヴィンいじりを再開する。  
「そんなに恐い顔しなくても……レヴィン君にはもう少し大人の余裕が必要ですねぇ。  
そうです! 今度ログナーさんにレクチャーして貰える様に頼んでおきましょうか?」  
 ログナー、ブランクイーゼルにおいて、ラブライナに次いで年長者であった男。  
レヴィンは度々彼に、“男の甲斐性”を始めとした、年長者からの助言とも、若者弄りとも言える扱いを受けてきた。  
 もちろん、レヴィンの成長にとって、有益な情報となったこともあるのだが……  
「あの人に教わる事なんて無いッ! どうせからかわれて、はぐらかされて、のらりくらりと避わされて……ッ」  
 半分は“大人”の余裕に関する知識を得たいが為に、ついがっついてしまうレヴィンにも非があるのだが、  
不思議と本人はそれを自覚していない。レヴィンの成人への階段は、簡単に駆け上がれそうも無い。  
 激昂して喚きだしたレヴィンを、塾生を扱うかのようになだめすかして落ち着かせる。  
私塾を立ち上げたラブライナは子供の扱いに熟練していた。塾生にはまだ一桁の児童もいる。  
 
「……こんな所でしょうか。どうですレヴィン君? こんな短い文章からも、情報を引き出せるんですよ。  
いつもあなたがやっているように、元気に飛び出すばかりが兵法ではありませんよ。もちろん、元気がいいのは良いことですけれども」  
「先生って、相変わらず凄いんですね。正直言って恐い位ですよ」  
「エヘンッ! 私はこれでも、日々の精進は欠かしませんからね。遠慮せずあやかってもいいんですよッ」  
 再び得意満面に胸を張ってみせるラブライナに、レヴィンは渇いた笑いを漏らした。  
 
「アハハッ、先生の前で下手に隠し事はできないなぁ」  
 軽い合いの手のつもりで言ったのだが、それが恐ろしい形で返ってくるとは、思いもしない。  
目の前のラブライナは口の端を歪ませ、奇妙な微笑みを浮かべて、口を開いた。  
「ふふふふ……やろうと思えば、レヴィン君の一週間の内に行なわれた、自慰行為の平均回数を調べる事だってできちゃいます」  
 その言葉に、レヴィンは凍り付く。思考が再度巡り始めるまで、そう時間は掛からなかった。  
 
「な、なななッ、先生ッ! タチの悪い冗談はもう止めて下さいよ」  
「確か、先週は合計10回、平均すると……」  
「わああああッ! ななな、何で……ッ」  
「あら、本当に10回もしちゃったんですか? 流石に若いだけの事はありますねッ」  
「ッ! ――ぬあぁぁッ カマかけたんですねッ!」  
「隠し事は包み隠さず、悩みは一人で抱え込まず、気軽に相談してくださいね。  
24時間、診療は“個人的に”受付中ですッ! 今なら教え子サービスでお得ですよ?」  
 勝ち誇った顔で、ウインクまでしてみせるラブライナに、レヴィンは言い様の無い疲労感を覚えた。  
『俺、何しに来たんだっけ……』  
 今日も相変わらず振り回されるレヴィンであった。  
 
「兄貴、本当に彼奴は来るのだろうな?」  
「心配は無用だ。あの小童が我等の送った招待状を持って、彼奴の懐に飛び込みおったわ。じきに来るだろうよ」  
 王都の僻地にある自然公園に、見るからに周囲から浮いた編み笠の三人組が佇んでいた。  
三人共微動だにせず立ち尽くし、待ち人の到着をただ待つばかり。  
 エレンシアを染める赤い夕日は、まだ空にある。  
 
「さて、久しぶりにARMを使う必要がありそうですね。動作の確認をしておきますか。  
いざ勝負ッ! という時に失敗すれば恥をかくだけでは済みませんからね。それは戦いも、男女関係も同じ事です」  
「……」  
 もはや反応する気力も無い。ただレヴィンはラブライナの“自称魅惑の変身シーン”を黙って見つめるばかり。  
と、言っても実際に変身する訳では無く、ただ一瞬光に包まれるだけである。  
「まぁ、レヴィン君ったら。うら若き乙女の変身シーンを間近で見つめるだなんて……」  
「先生もう34でしょ。それも35まで秒読みの」  
「うっ、太刀打ちできない正論……」  
 コントのようなやり取りの後、続いてレヴィンもARMの動作確認を済ませ、ラブライナは愛用の鉄扇を片手に  
二人は王都の空の下へと向かった。  
 
「どんどん人気が無くなっていきますね。王都にもこんな場所があったなんて……」  
 ラブライナの一歩前を進むレヴィンは、その光景に思わず呟く。  
立ち並ぶ住居も途切れ、吹き抜けてゆく風もどこか冷たい。  
「これでも昔は賑やかだったんですよ。幼い子を連れた母親達の憩いの場でもあったんです」  
「へぇ……でも、そんな憩いの場も、王都の中心地からはぐれて、人が集まり難くなるとこんなになるのか」  
 レヴィンの視界には、かすかに人の文明を感じさせる建造物が映る。  
 自然公園、にしては少々緑が多い。二人の側を通る小さな川も、生い茂る緑に阻まれて、先が見えなくなってしまった。  
これでは下手に動くと川に落ちてしまいかねない。  
 ラブライナはレヴィンの手を引き、慣れた足取りで奥へと向かっていく。  
恩師とはいえ、女性に手を引かれることに慣れていないレヴィンは、気恥ずかしさを抑えながらそれに従った。  
 
「先生、どうして道がわかるんです?」  
 まるで道順を覚えているかのようだった。  
危険な場所を的確に避けて進むラブライナに、レヴィンはふと浮かんだ疑問を口に出した。  
ラブライナは彼の手を引いたまま、振り返らずに答える。  
「課外授業の舞台にはもってこいの場所だと思いませんか?」  
「こんな所で課外授業ですか。生徒が危ない目にあったりしませんでした?」  
「塾頭になってもできる女と評判の私です。事前の調査と下見は欠かしません」  
 出発前のことを気にしているのか、トゲを含んだ物言いで答えるラブライナ。  
年齢のことを気にしている割には、オープンに歳を話すのはいかがなものかと、頭の片隅でレヴィンは思う。  
 
「ここが約束の場所、の筈なんですが……」  
「人っ子一人いませんね」  
 大量の雑草が生み出す緑の沼を越えて、ようやく目的地である中央広場へと辿り着いたものの、  
呼び出した張本人の姿が見えない。  
「手の込んだイタズラじゃないでしょうね」  
「笑止! 姿が見えぬだけで、そこに何者もいないなどと思うてくれるなよッ」  
「な、なんだぁッ!? どこから?」  
 突如響いた第三者の声に、レヴィンは袖から反射的にトンファーを取り出し、構える。  
ラブライナは既に鉄扇を片手に、臨戦態勢完了といったところだ。  
 
「久しぶりだな……ブランクイーゼルッ!」  
 目の前に一陣の風が吹き抜けると共に、三つの影が光と共に現れる。  
「我等三兄弟、地獄より黄泉還ってきたぞッ」  
「あ、あなた達は……ッ!?」  
 目の前に映る編み笠の三人組に、驚愕の表情を浮かべたまま、ラブライナは固まってしまう。  
「左からジェットさん、ストリームさん、アタックさん……ッ!」  
 硬直していたラブライナが口を開くと、今度は彼女以外の者が固まる。名前が思い出せずに固まっていたらしい。  
「違いますよ先生ッ! トンキチ、チンペー、カンタの三人ですッ!」  
「まぁレヴィン君ったら……ホバータンクだなんて、いやらしい……」  
 それでもいの一番に動き出し、しっかりとツッコミを入れられるレヴィンは、流石に教え子といったところか。  
だが、そんな彼でもラブライナの反応までは予測できなかったようだ。  
聞き慣れない単語を含み、赤くなって顔半分を鉄扇で隠しているラブライナのしぐさは、長年師事してきたレヴィンも初めて見た。  
 
「おのれぇ、我等を侮辱するかぁッ!」  
「まぁ待てトゥエルノ。おい小童、ご苦労だったな。お前の働きについては感謝している。そこをどけ」  
「……誰が小童だッ! 何を訳のわからねーことをゴチャゴチャ言ってやがるッ! 何が目的だ、トンキチッ!」  
「あぁレヴィン君……いつからあなたはそんなポルノ野朗に……」  
 目の前の三人は敵対していた――名前は思い出せないが――はずの連中だ。  
なのに、身に覚えのない“働き”などと言われ、かつ状況を説明してくれるはずのラブライナは、  
先程から意味の分からない言葉を自分に投げかけてくるばかり。これでは事態の把握ができない。  
「我々の目的はそこの軍師だ。軍師にしては少々前に出すぎではあるがな」  
「貴様は数の内にも入っておらんということだ。怪我をしたくなければ下がっていろ」  
「三対一だが躊躇はせん。力こそ全て。強者の真理を、今一度通してみせるッ!」  
「それがあなた達の選んだ道なのですかッ!?」  
 
 ついていけない。レヴィンは素直にそう思った。  
現状を把握しているのはあの四人だけで、自分は本当に数の内に入っていない。  
いや、入れた所でそれが良いことなのかは不明だ。けれど何故か悔しさを感じる。疎外感だろうか。  
 ――そもそもなんであの三人、生きてるんだ? 確か先生を逃がす為に一人は橋を、他の二人は落石を受け止めて、それで――  
 何故か口論となっている三人とラブライナを尻目に、一つの疑問が浮かび上がる。  
 ――それで、三人共、溶岩にのまれたはずなのに――  
 
「生きていたのであれば、違った道も探せるでしょうにッ!」  
「否ぁッ! 断じて否ッ! 生きているからこそ、再び駆けることが出来るのだッ!」  
「……平行線、ですか……」  
 がっくりと肩を落とすラブライナの顔は、悲しみに満ちていた。涙こそ流しはしないが、心は泣いている。  
そんな師の心も知らず、レヴィンは唐突に切り出した。“何故生きている”と。  
三人組の長男らしき男は、返答の代わりか、鼻で笑った。  
「なッ! 何がおかしいってんだ!」  
 鼻で笑われ、いきりたった感情を抑えずにレヴィンは吠えてみせた。  
「おかしいさ。その程度のこともわからんとはな……貴様の教え子は出来が悪いようだな?」  
 
「テメェッ!」  
 トンファーを強く握り、レヴィンは一直線に男に向かう。魔力で高速化した連撃を叩き込むはずだった。  
だが、目の前の三人組は一歩たりとも動かなかった。不動のまま立ち尽くす三人が、崩れ落ちるレヴィンの視界に映った。  
「な……ッ!?」  
「レヴィン君ッ!」  
 朦朧とする意識の中で、ラブライナの悲痛な叫びが聞こえてくる。  
確かに自分は真正面から向かい、相手は一歩も動かなかった。  
しかし、それでなぜ、自分は背後からの一撃で、倒れようとしているのだろうか。  
相手が動く気配は微塵も感じなかった。何故。  
 
「未熟ゆえに苦しむ。弱き物は、力の差すらわからんというのか」  
(そうか、こいつら……ッ! “トルメンタトライアッド”……ッ! 奴等の四つ身、分身か)  
 地に伏したまま顔を上げると、そこには確かに同じ顔が三つ以上並んでいる。  
(あの時、先生を助けた時も、分身だったってのか……?)  
「理解したか? 小童。貴様はそこで寝ているがいい」  
「ふざ……けるんじゃ、ねぇ」  
 たった一撃で身体が悲鳴を上げている。笑う膝で無理矢理身体を支えて、レヴィンは立ってみせた。  
呼吸が苦しい。先程の一撃で、身体機能が著しく弱っている。意地を両足に込めて、何とか立っているのが限界だ。  
 
「無理はいけませんよ、レヴィン君」  
 駆け寄ったラブライナがレヴィンの両肩に手を置き、優しく、子供に言い聞かせるように言った。  
「生徒の大事な身体に、万一があってはなりません。先生、ブレンテン家の方々に合わせる顔がなくなっちゃいます」  
「だからって、先生一人じゃ無茶ですよッ」  
 レヴィンの正面、トルメンタトライアッドに対しては背を向ける形で回り込むと、  
ラブライナはレヴィンの目を見据えて、駄目です。と言い放った。  
「躊躇はせんと行ったはずだッ!」  
 その言葉をレヴィンが聞き取れた時には、十二の影が三つにまで数を減らしていた。  
標的となっているラブライナは、無防備な背を向けたまま……レヴィンの脳裏に絶望が映る。  
「先生ッ!」  
 九つの分身が、ラブライナの背中に群がっていった。  
 
 ――だが、レヴィンの前にある見慣れた顔は、眉一つ動かなかった。  
そのかわりに、ラブライナの後方で凄まじい速度で何かが動いているのが見えた。  
高速で動く影の数は、十に及ぶ。全ての影が動きを止めると、その中の一体の影が、ラブライナの傍らに立った。  
「刹那の九連撃を全て捌くだとッ!」  
 トルメンタトライアッドの長男、ジュビアが驚愕する。  
ラブライナの傍らに立つ影が、彼女と全く同じ鉄扇を構えていた。  
同一なのは携えた武器だけではない。その影は、ラブライナと全く同じ容姿をしている。  
「……ダミー、ドール……」  
 その影の正体は、ラブライナの得意とする遺失言語の一つ、ダミードールだった。  
彼女と全く同じ姿を持ち、ARMの力すらも複製する。高性能の“人形”だ。  
 
「ほうら、先生に任せておけば大丈夫でしょう?」  
 レヴィンの目を真っ直ぐ見据え、微笑みながら、自信に溢れた声色で言う。  
レヴィンは呆気に取られたまま、その場にへたりこんだ。興奮で麻痺していた痛覚が覚醒し、身体に走る。  
「先生の活躍、見逃さないで下さいねッ」  
 そう言ってトルメンタトライアッドに向き直ったラブライナの背中は、敵わないほどに大きく見えた。  
 
「さて、教え子を痛めつけられたお返しをしましょうかッ!」  
「ほざけッ! この戦力差を把握できんのかッ!」  
「ええ、理解していますよ」  
 戦場で敵に見せるようなものではない、とても優しい笑顔で答えるラブライナだったが、その声は真剣そのもの。  
「あなた達は、私のダミーにすら、勝てないのですよ」  
 強い口調とは裏腹に、ラブライナは座り込んでしまう。座り込んだ彼女の前に、ダミードールが出る。  
「な……ッ! 我等を愚弄するかァッ!」  
 挑発に引っ掛かる形で、ビエントが己の分身をけしかけた。  
三体の分身が、ダミードールに高速で迫る。一体目は蹴りを、二体目は火遁を、三対目は拳を、流れるような連携で放つ。  
だが、ダミードールは蹴りを手の甲で打ち払い、襲い来る炎を片手をかざして打ち消し、拳を鉄扇を閉じて真正面から受け止めた。  
「なんと……ッ」  
「言ったはずです。あなた達は、私のダミーにすら、勝てません」  
(ウェポンブロックとレジストブロック……そっか、先生のダミー、ARMの影響を残せるんだっけ)  
 レヴィンの推察通り、ダミードールはARMで組み立てたコードによって、影響を受けたラブライナをコピーする。  
ダミードールにも、ARMのコードに刻まれた技能情報は残ったままだ。  
 
「もう……いいでしょう? 退いて下さい」  
「できぬッ! 我々は生きているのだ、すなわち、我々は敗者ではないのだッ!」  
「あの時、貴様は勝者となった。だが、我々は再び貴様の前に現れたのだッ! この意味がわからぬとは言わせんッ!」  
「貴様を倒し、再び我等の道の正当さを築くまではッ!」  
『退けんのだッ!』  
 三人の咆哮が重なると共に、九つの影が再び襲い来る。  
分身には分身で勝たねば気がすまないのか、本体は未だに動こうとしない。  
 
「……」  
 拳、鉄爪、蹴り、暗器、火遁、水遁、雷迅……多種多様に繰り出される攻撃の数々を、ダミードールは全て捌いてゆく。  
ARMによる影響は、技能情報のみに留まる。身体機能の増強は、ダミードールには効かない。  
紙よりも脆弱な肉体を持つダミードールは、小石を使った投石にすら、耐えられない程に脆い。捌き損ねは、即消滅を意味する。  
ラブライナが防御に優れた鉄扇を武器として愛用しているのも、そういった事情からだろう。  
 九連撃の最後となる稲光を打ち消した瞬間、九つの分身が全て消え失せる。  
レジストブロックの態勢から戻り切る前に、トルメンタトライアッドの“本体”が一瞬にしてダミードールを取り囲んだ。  
 
「駄目だッ、先生ッ! 陣形技が来るッ!」  
『もう遅いッ!』  
 戦場において最も恐ろしいものが、数による圧倒である。  
三点同時に迫り来る陣形技に対しては、各種ブロックも意味を成さない。  
一つの攻撃を防いでも、残る二つの攻撃が標的を射止める。レヴィンはダミードールに集まる閃光を見た。  
ラブライナは、表情を変える事無く、眼前の光景を見つめていた。  
 
 ――陽炎がゆらめく。  
 手応えのなさを感じたのか、トルメンタトライアッドの面々は本体のラブライナに視線を移した。  
「貴様……負けを認めたかッ!?」  
 ジュビアの言葉に、ラブライナは微かに溜め息を漏らした。  
「まさか。どんな状況でも、私は言ったことを曲げたくはありません。嘘吐きな大人だと、言われたくありませんから」  
「何だと?」  
 視線がラブライナに集中する。その間隙をぬって、ラブライナの傍らにダミードールが戻った。  
「でも、賭けに勝っただけなのは確かです。出目が悪ければ、勝ったのはあなた達でしょう」  
 ラブライナが立ち上がり、広げた鉄扇を閉じると、傍らのダミードールの姿は忽然と消えてしまった。  
「努力章ッ! と言った所ですね。先生からのご褒美です。直々に相手をしてあげましょうッ!」  
 お腹も空いてきましたから、と付け足したラブライナが、構えを取る。  
それを見たトルメンタトライアッドは、再び九つの影を生み出した。  
 
(多分、イリュージョンだ……それしか考えられない。だから賭け、か)  
 ダミードールが無事だったことに、思考を巡らしていたレヴィンだったが、その思考はすぐに断たれる。  
「レヴィン君、コーラスはお願いしますねッ!」  
「え?」  
 生返事を返した途端に、十二人のトルメンタトライアッドと、一人のラブライナの攻坊が始まった。  
ダミードールよりも速く、的確に攻撃を捌き、同時攻撃に対してはジョウントで離脱という、正に鉄壁の守りを見せるラブライナ。  
だがそれは、反撃に転ずる暇すら無いという事でもあった。  
『どうしたッ! 逃げてばかりではないかッ、笑わせるッ!』  
「その言葉ッ! リクエストと受け取りましたッ!」  
 分身と本体が攻撃を換わる瞬間に、一瞬の隙が生じる事をラブライナは見抜いていた。  
手にした鉄扇で思い切り分身を弾き飛ばし、分身同士を衝突させて隙をさらに拡大する。  
「ドキドキ・エレガント・ロマンスッ! ラブライナいきまーす!」  
『何ィ!』  
「ゲェーッ! やっぱしーーーーッ!」  
 時間は既に夕刻となり、住宅街から流れてくる家庭の香りが鼻孔を擽る。  
各家庭の夕食のにおいが、ラブライナの空腹を促進させる結果となった。  
彼女には奇妙な性癖がある。空腹を覚えたまましばらくすると、変な歌をうたい始めてしまうのだ。  
 
 その後のトルメンタトライアッドは、冷静さを欠いていた。  
自分達の不倶戴天の宿敵が、今までに見たことも無いような姿を見せているのだ。  
鉄扇をマイクのように持ち、奇妙な歌を歌いながらも、戦闘能力はまるで落ちていない。むしろ手強くなってすらいた。  
『きっとみつかるわ〜』  
「兄貴ィ! 何だこれはッ!」  
『荒野の果てで〜さがしもとめたぁぁぁ』  
「俺に聞くなぁッ!」  
『おうじさま〜』  
「兄貴ッ! これは酔拳の亜種じゃあないのかッ?」  
 まるで見えない客を相手にコンサートをしているかのように、ラブライナはノリノリで歌って踊る。  
踊りがそのまま、トルメンタトライアッドの攻撃を捌き、あまつさえ攻撃も兼ねてしまっている。  
『冷静にっ』  
「ぶ、ブンセキッ」  
(恥ずかしーーッ)  
 突然のレヴィンの介入に、トルメンタトライアッドの戸惑いは強まっていく。  
当のレヴィンは、顔を真っ赤にしながらも、コーラスをしっかり担当している。  
『相手をぉう!』  
「ロックオン」  
『得意のぉ!』  
「ダイレクト・イベント・レポッ、痛てーーッ!」  
 レヴィンのコーラスパートが(舌を噛んで)終了すると同時に、ラブライナはこの戦いでは初めて見せる、攻撃魔術の構えを取った。  
『その目でしかと見るがいい』  
 攻撃魔術の発動を察したトルメンタトライアッドだが、妨害しようにも相変わらずやっている変な踊りに攻撃を阻まれてしまう。  
『合コン女王の威・厳ッ!』  
 魔術の詠唱でないことは確かだ。歌をうたうことを詠唱ととらえなければの話だが。  
『きっと…きっと見つかるぅぅ〜〜』  
「なんだ、この魔力の波動はッ!?」  
「か、身体が重いッ! 何だというのだ?」  
 ラブライナを中心に、魔力の力場が渦を巻き始めた。圧倒的なその魔力は、  
周囲を取り囲むトルメンタトライアッドの面々を襲い、身体の自由を阻害して行く。  
(この魔力……そうかッ! ダミードールの目的ってコレだったんだッ!)  
 レヴィンだけが、ラブライナから発せられる異常な魔力の正体に気づいていた。  
 
『私のだんな様ーーーーーッ!!』  
 締めの歌詞と共に、魔力で宙に浮かせた鉄扇を回転させて円を描き、体内の魔力が円の中央に集まっていく。  
その力に引き寄せられるが如く、トルメンタトライアッド十二の影も円の中央へと吸い寄せられる。  
『ふおぉぉぉぉ!!』  
 絶叫と共に拳を握り締めると、描いた円の中心から純粋な破壊の魔力が弾かれる様に噴きだした。  
属性を持たないエネルギーの証である、白い光の波動が、十二の影を飲み込んでゆく。  
 声にならない断末魔の叫びが、丁度九つ分響き渡った。  
全ての分身は消滅し、本体も極限まで消耗しきったトルメンタトライアッドが黒煙を吹いて転がっている。  
「くうぅぅ……おのれぇッ! トゥエルノ、ビエント、この場は退くぞッ」  
「次こそは……ッ」  
「覚えていろッ」  
 思い思いの、“使いすぎると癖になってしまいそうな捨て台詞”を残して、  
トルメンタトライアッドはその場から立ち去って行く。どうやら転移を行なう体力も残っていないらしく、  
夕日に照らされた三つの背中は、敗走という事実と相まって哀愁が漂っていた。  
 
「……かくしてッ、王都の平和は守られたのでした」  
 完全な作戦勝ちに、満面の笑みを浮かべて笑うラブライナ。  
見事なまでの策略家ぶりに、レヴィンもただ苦笑するしかない。  
「先生、さっきのデバステイト……ソーサーチャージしてたでしょう?」  
「ご名答です。良く観察できていますね。先生花マルあげちゃうぞッ!」  
 まだ二人が私塾にいる際に、ラブライナは最高レベルのエニグマンサーをベースにARMのコードを組んだのだ。  
戦いは準備段階から始まっている、と得意気に話すラブライナは、正に準備段階で勝利の方程式を組んだといえる。  
「レヴィン君も気をつけましょうね? 女性を誘う時は優しく、スマートにッ!  
今回のように怪文書で呼びつけた挙句に強行手段なんてのは下の下ですよ。んもう0点です0点」  
 疲れた身体ではツッコミも難しく、ラブライナの振りにレヴィンはただ渇いた笑いで応えるだけだった。  
「男女関係にセオリーはあっても、公式や方程式は存在しませんからねッ!」  
「あははっ!そんなのあったら先生、とっくに家族持ちですよね」  
 
 レヴィンの何気ない一言が、ラブライナの純情乙女ハートにクリティカルヒットッ!  
ラブライナはペトリフィケイトをモロに食らったかのように固まってしまうが、すぐに立ち直った。  
「レヴィン君……あなたいつからそんなCLT補正の高い言語を扱うようになったのです? フェダーインですねッ!?  
フェダーインに決まってますッ! 明鏡止水を妄想行為の強化に使うようになってからでしょうッ! 正直に話しなさーーいッ!」  
「だあぁぁッ! 何をどうやったらそんな結論になるんですかッ!」  
「あ、駄目ですッ、待ちなさいッ! 先生が優しく激しくちょっと猟奇的に治してあげますからッ!  
先生にホンのちょっと身体を預けるだけですよッ! 痛くしませんからッ! お待ちなさーーーいッ!」  
「メンゴメンゴッ! オニメンゴッ、マジメンゴッ! だから勘弁してぇーーッ!」  
 ――レヴィンが純情甘甘ハートの追跡者(34)から逃げ切れたかどうかは、定かではない。  
 それでも、王都に風は吹く。未来を運ぶ、希望の西風が……  
 
       *  
「……ねぇねぇ、先生何してるの?」  
「知らない。あの窓から風が入るといっつもああなんだってさ。ヤシュトーが言ってた」  
「西から吹き込む風でしょ? “しゅごじゅー”ってのが関係あるってヤスナが前に言ってたよね」  
「あ、アレってヴェンディダートとウィスラプトの作り話だったんじゃないの?」  
「今日の授業で教わったろ? 作り話とは酷いじゃないか」  
「ゲ、見つかったゾ! みんな散れ散れッ」  
 ドタドタと足音を立て、蜘蛛の子を散らすように逃げて行く塾生達。  
命知らずで恥知らず、親の心、子供は知らず。これほど才色兼備でピュアなハート(34)を踏み躙る行為もそうそうないだろう。  
 
 今日も今日とて、背中で泣きます才色兼備純情乙女。琥珀色の乙女の夢、何処に……       ――終わり――  
 

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