その日の朝食は、終始静かだった。
無言でパンを口に運び、スープをすくう。
いつもなら無理にでも明るく振舞って話題を振るはずのファンメイは、なぜかうつむいたまま目を合わせようともしない。
オレ、なんかしたか?
どうにも居心地の悪い空気を感じつつ、ハリーに視線だけで助けを求める。
ハリーは表情も変えずに首を振った。いや、顔の部品を振ったというほうが正しいか。とにかくヘイズに協力する気はまったくないらしい。
そうこうしているうちにファンメイが食べ終わり、消え入りそうな小声で「ごちそうさま」と言うと、下を向いたまま部屋を去っていった。
「やっぱりオレが原因……なのか?」
「他にどんな可能性があると言うんです?」
ハリーは、操縦室狭しと積まれたダンボールの山をジト目で見やった。
そう、ここはHunterPigeonの操船計器の並ぶ操縦室だった。
いくら大量の荷物を積み込むと言っても、ここだけはそれなりのスペースを確保しておかなければいけなかったからだ。
まあおかげでこうして朝食を摂るくらいはできたわけだが。
といってもそのせいでファンメイの部屋にまで荷物を積み込むこととなり、ヘソを曲げられたのではヘイズとしても頭が痛い。
しかもどうやら単に機嫌を損ねているのとは違うような気がする。
「なあハリー」
「なんです?」
腑に落ちないという表情でヘイズは疑問を口にする。
「やっぱり……見られちまったのかな」
ハリーはふぅ、と大きくため息をつく。
「擬似体感映画(スム・センス)起動のログが残っています。残念ですが……想像の通り、内容はアクション映画などではありませんね」
「やっぱりか……」
ヘイズはあからさまにうなだれる。
見られた。
ファンメイが見たのは、大戦前の無修正エロ動画。
いくら売り物だと言ったって、そこは年頃の女の子。許せるような物じゃなかったはずだ。
久々の大失敗に、さすがのヘイズもこうして頭を抱えるしかなかった。
「ですが……」
ハリーは意外な言葉を口にした。
「ファンメイ様がディスクを見たのは間違いありません。ただ、そのあとも6回に渡って別のディスクが再生された形跡があります」
「おい、それって……」
「はい。内容を読み上げましょうか? 『淫乱少女悶絶バイヴ責め』『警視庁密着監禁24時』『温泉若女将乱れ牡丹』『女子高生イキまくり乱交パーティ』『援交物語ロリータ調教編』『中出し団地妻』」
「…………」
「なんとか言ったらどうです?」
「……ホントにそれ、あいつが?」
「そうです」
きっぱりと言うハリー。
ヘイズはたっぷり10分、真っ白に固まっていた。
「あっ……あん……」
女性の喘ぎ声が部屋中に響く。
しかしこれは、擬似体感映画の中でのこと。
朝食を食べた後、またファンメイはエロ動画を再生していた。
「へへへ……。さっきまでの威勢はどうしたよ? 怪盗プリンセス☆キュアーちゃん」
「あっ……だめっ! おかしくなっちゃう!」
動画のタイトルは『怪盗プリンセス☆キュアー ブルースターを狙え』だった。
普段はおとなしい女学生が、夜毎変身して世界中のお宝を狙うという話で、どうやらブルースターという青ダイヤモンドを盗み出すという話だった。
しかし屋敷を抜け出す直前に捕まってしまい、タラコ唇でビア樽腹の屋敷の主に責められているところだ。
ファンメイはところ狭しとSM道具の並ぶ、地下の部屋に立って、事の成り行きを観察していた。
少女が叫ぶ度に、ごくりと唾を飲み込み、心臓の鼓動が激しくなる。
昨日からほとんど寝ることさえできずに、エロ動画ディスクを見まくっていた。
さっきは、まともにヘイズの顔を見ることもできなかった。
わたしはいけない子だ……。
そうは思ってもどうしても見てしまう。
いけないよ、こんなこと。
いけないはずなのに……。
悪いことをしているという背徳感が、またたまらなくドキドキする。
ヘイズに見られたらきっと、軽蔑されるだろう。
船を追い出されるかもしれない。
目の前に広がる光景に、身体はこれ以上ないほど興奮しているというのに、その表情は今にも泣き出しそうだった。
「……落ち着きましたか?」
「まあ、な」
HunterPigeon操縦室。
ヘイズはハリーに「お茶でも飲んでみては? 残念ですが、私は淹れることはできませんが……」と言われて、今テーブルの上ではコーヒーが暖かい湯気を立てている。
コーヒーを淹れている間に、気分はだいぶ落ち着いた。
まさかファンメイが……とても信じられないようなことだが、女の子にも性欲はあるということだろうか。
ヘイズだって”そっちの経験”がない訳ではない。
世界中を渡り歩く道中で、それなりの経験は積んできたつもりだ。
「でも……なあ……」
ファンメイは見た目十三歳だし、まだまだそういうことには関心がないと思ってたんだが。
「誰にでも性欲はあるものです。特に思春期には、免疫がないぶんのめりこんでしまうこともあるのです」
「なあハリー。オレはどうすればいいんだろうな……」
答えは分かってる。でもどうしても気が進まなかった。
「これはヘイズ。あなたにしか解決できませんよ。方法は簡単です。ファンメイ様に女の子として接してあげればいいのです」
「前にも言っただろ。あいつはオレにとって妹みたいなもんだって。だったらそういうことの対象として見れない事だって分るだろうが!」
「しかし、かといって放っておいてもファンメイ様のフラストレーションは溜まる一方です。解消の方法を知らないまま悶々としていると、生活に支障をきたすかもしれないですし」
それに、とハリーは続ける。
「あなたは本当にファンメイ様を妹としてしか見れないのですか? 無理やりそう思い込んで、決め付けてるのはヘイズかもしれませんよ」
「なん……だと?」
凄みを利かせてハリーを睨む。
しかしハリーは平然としたまま言う。
「ファンメイ様と今まで通りの関係でいられなくなるのが怖いのでは? これから一緒にいられなくなるかもしれないと怯えているのではないのですか?
いいですか、ファンメイ様も女の子。一緒にいればいるだけ心の距離も近づきます。それに成長すればそれは避けては通れないことです」
「しかし……あいつはシャオロンが……」
「いつまでも亡き人に縛られるのがファンメイ様の幸せでしょうか? あなたが解放してあげない限り、ファンメイ様は永遠に苦しみ続けます。
ファンメイ様は今でも夜中に泣くんですよ。「わたしだけ幸せになれるわけない。そんなのずるい」と言って。ヘイズ、あなたはこれからもファンメイ様を苦しんだままにさせておくつもりですか? そしてそれは、シャオロン様も望まないはずです」
ヘイズは鋭い眼差しでハリーを睨みつけていたが、やがて力を抜いた。
ふうっとひとつ息をつき
「お前って……ほんと擬似人格っぽくねーよな……」
負けたよ、というふうに苦笑して言った。
ハリーも無言のまま口元だけで笑った。