2002年の8月が終わりを迎えようというある日の午後。
IADC(Inter Agency Defence Command)に勤務するダイアナ・プリンスは、遅めのランチをとるためにニューヨーク5番街を歩いていた。
最初に異変に気付いたのは東洋系の若者であった。
「あれは何だ」
通りを歩いていた人々が天を仰ぎ、空の一角を指さす。
つられて空を見上げたダイアナは、上空を旋回している小型ジェット機を認めた。
前衛的なデザインの機種は見慣れぬ物であり、黒一色の機体には国籍マークは付いていない。
全体的なフォルムはアメリカのデザイナーの手による物とは明らかに異なっている。
異様に長く、針のように細い機首はアンテナのようにも見えた。
「新型機のデモ飛行かな?」
「それにしちゃ、こんな町中の低空で……」
市民は勝手な想像を口にしながら、不快そうに眉をひそめている。
ダイアナは規制の厳しいこの空域に、あのような不審機が侵入できたことを疑問に思う。
「おいっ、あいつ企業センタービルに体当たりする気じゃ?」
旋回を続けていた黒いジェット機は、南にそびえ立つ企業センタービルに機首を巡らせると一気に加速を始めた。
市民に昨年の惨劇の記憶が蘇り、通りはパニックに包まれた。
「いけないっ」
ダイアナは北へと走る人の濁流に逆らうように進む。
そしてビルの谷間に滑り込むと、両手を左右に開いて回転を始めた。
「ワンダァ〜・ウ〜マン」
次の瞬間、光の大爆発が彼女の体を包み込む。
光の洪水の中でダイアナ・プリンスの体は本来あるべき姿に戻る。
真紅とブルーを基調とし、腰回りに白い星形を散りばめたレオタード。
胸部を守る鷲の図柄と腰に巻き付けた幅広のベルト、そしてティアラとリストバンドは眩いゴールドである。
これぞ全米に知らぬ者とていない、ワンダー・ウーマンの正装である。
ワンダー・ウーマンは頭上に迫りつつある黒い戦闘機を睨み付けると、全力で跳躍した。
驚異のジャンプ力で手近なビルの屋上に飛び上がったワンダー・ウーマンは、更に高いビル目掛けてジャンプを繰り返す。
目も醒めるような跳躍で戦闘機の飛行高度まで飛び上がった彼女は、空中でガッシと機首を受け止めた。
謎のジェット機は機首にしがみついたワンダー・ウーマンごと企業センタービルに突入していく。
ワンダー・ウーマンは軽く振り返ってビルまでの距離を確かめると、タイミングを計って両足をビルの壁面に付けて踏ん張った。
ワンダー・ウーマンとジェット機の力比べが始まった。
「うぅ〜むぅっ」
全力で機体をコントロールしようとするワンダー・ウーマン。
しかし双発ジェットエンジンの推力は想像以上に強力であった。
「オワァォ」
一際エンジンの推力が増し、ワンダー・ウーマンのパワーがねじ伏せられかける。
しかし彼女の脳裏に、昨年9月に起こった忌まわしいテロ事件が浮かび上がり、新たな力が湧き上がってくる。
※
当時彼女は別事件でアジアを訪れていたのにも関わらず、世論はテロを防げなかったスーパーヒロインを責め立てた。
その裏には彼女に関する報道権を独占しようとして失敗したABCネットの目論見があり、時の世論はマスコミによる情報操作に踊らされたのである。
それに飛び付いたのが、彼女のコスチューム姿が少年に与える性的悪影響を憂える教育団体、そしてマフィアを始めとする犯罪者集団である。
全米教育委員会はワンダー・ウーマンにスパッツ着用を義務付けさせようと政府に圧力を掛け、マフィアは彼女とテロリストの仲を疑うような中傷を垂れ流した。
幸い集団ヒステリーは長くは続かず、騒ぎは表面上鎮静化したように見えた。
しかしいったん根付いた彼女への不信感は、市民の深層心理に刻み込まれてしまった。
特に貧困層にはまだ根強い反感が残っており、スラム街へはとても一人で足を踏み入れることは出来ない。
ワンダー・ウーマンと市民の離反が真の目的というなら、テロリストたちの目的は充分に果たされたといえた。
※
「アレの二の舞はゴメンだわ」
ワンダー・ウーマンは機首部の外板を捲り取ると、ジェットエンジンの空気取り入れ口に投げ込んだ。
ローターが傷つくガリガリッという異音に続き、右のエンジンが炎に包まれる。
途端に力を失った戦闘機はガクリと機首を下げた。
ワンダー・ウーマンはその機首を腋に挟んだまま、降下地点をコントロールする。
そして眼下に避難の済んだ公園を見つけると、そこを目標を定めて緩降下していった。
問題は着地の瞬間である。
ショックを与えれば大爆発は免れない。
「私の力で上手く支えられればいいけど」
故郷を離れ、都会暮らしの長い彼女である。
汚染された大気や化学薬品漬けの食品は、確実に彼女のスーパーパワーを損なわせていた。
「やるしかないわ」
覚悟を決めたワンダー・ウーマンは、出来るだけ落下速度を落とそうと降下角度を調節する。
そして着地の瞬間、膝のバネを最大に生かして踏ん張った。
「うぐぅぅぅ〜っ」
歯を食いしばって数百トンの圧力に耐えるワンダー・ウーマン。
しかし力の衰えは自分の思っていた以上に進行しており、ドスンと尻餅を付いてしまう。
それでも彼女が極限まで衝撃を抑えたことにより、ジェット機は機首を大破させただけで爆発は免れた。
ホッとしたのも束の間、エンジンの燃料系統に火が回り、吹き上がる炎が激しさを増してきた。
「逃げなくちゃ」
至近距離大爆発に巻き込まれたら、ワンダー・ウーマンといえども只では済まない。
だが、全力を出しきった直後の彼女には、立ち上がる力すら残っていなかった。
仕方なく俯せに倒れたまま、両肘を使って地を這うように前に進む。
「駄目だわ……」
彼女があきらめ掛けた時、ジェット機の両翼からもうもうと白いガスが吹き上がった。
エンジンがガスに包まれると、荒れ狂っていた炎が嘘のように収まった。
「自動消火装置? 助かったわ」
彼女は大きく溜息をついて胸を撫で下ろした。
しかし、全ては仕組まれた罠であったのだ。
公園の茂みからわらわらと出現した黒ずくめの男たちがワンダー・ウーマンを囲み込む。
ワンダー・ウーマンは首を起こして男たちを見上げる。
「あっ……あなた達は?」
その問いに答えず、一人の男がワンダー・ウーマンに覆い被さり、腰のベルトとラッソーを剥ぎ取った。
「あぁっ。ベルトを返しなさいっ」
力の源を奪われた彼女はたちまち只の超美人になりさがる。
「私の秘密を知っている。何者なの?」
次いで蹴り転がされ、仰向けになった彼女の口元に湿った布が押し付けられた。
「ふぐぅむぅぅ〜っ……クロロフォルム……だ……わ……」
青く澄んだ瞳が次第にトロンとなっていき、やがて完全にまぶたの裏に隠れてしまった。
そこに救急車が突っ込んできて急停車する。
男たちは失神したワンダー・ウーマンを救急車に乗せ、自分たちも荒々しく乗車した。
何度も訓練したのであろうか、男たちは終始無言で動きに無駄はない。
数名掛かりでワンダー・ウーマンからコスチュームを脱がせに掛かる。
衣装の下から、完璧としか形容のしようがないボディーが現れた。
生唾を飲み込む音がしたが余計な行動に出る者はおらず、彼女の両足を開脚台に乗せてM字開脚に固定した。
使い込まれて色素の沈着した、大人の女性器が顕わになる。
秘中の秘とされるワンダー・プッシーが遂に人目に晒された瞬間であった。
踏ん張った時に尿漏れしたのか、少し湿り気を帯びているようである。
白衣を着た隊員がズボンの前をパンパンに膨らませて彼女の股間に割り込む。
そして手にした奇妙な医療器具をワンダー・ウーマンのその部分に慎重に挿入した。
「うっ……うぅ〜ん……」
気を失っていても感じるのか、激しい痛みのせいなのか、ワンダー・ウーマンが眉間に皺を寄せて呻き声を上げる。
余程繊細な作業なのか、白衣の隊員は額に汗を浮かべて指先を小刻みに動かしている。
「うぅっ……うむぅぅぅ〜」
股間の包皮が捲り上がり、ワンダー・ウーマンにとって最も敏感な肉芽が飛び出してしまう。
「感じているんだぜ、やっぱり」
一人の男が呻いた時、ようやく股間から器具が引き抜かれた。
「やった……」
白衣の隊員は激しく呼吸をしながら、針のように細い管を見詰める。
「よしっ、任務は完了した」
※
救急車の後部ドアが開き、コスチュームを身に纏ったワンダー・ウーマンが転げ落ちてきた。
「う……うぅ〜ん……」
ワンダー・ウーマンは今だ意識を失っており、立ち上がることは出来ない。
救急車はサイレンの音を響かせながら発進し、公園の門を右へ曲がる。
そして車の列に紛れ込み何処かへと消えていった。
後には仰向けに失神したワンダー・ウーマンが取り残された。
その右手にはしっかりとワンダー・ベルトが握らされていた。
※
その一件があってから3年が経とうとしていた。
結局あの事件は何だったのか。
例のジェット機はリモコン操作の無人機で、何の手掛かりも残っていなかった。
あの後直ぐにIADCの医療センターで徹底的な精密検査を受けたダイアナだったが、体のどこにも異常は見つからなかった。
体内に何かを埋め込まれたような形跡もなく、事実今日まで何事もなく過ごしてきている。
そしていつしか事件の記憶はダイアナの頭の中で風化していった。
※
IADCの情報センターにボデガ・ベイ原発事故の速報がもたらされたのは、事故発生から僅か10分後のことであった。
ダイアナは本部ビルの階段を駆け上がり、無人の屋上へと飛び出た。
同時に光の爆発が巻き起こり、見えない飛行機インビシブルプレーンに乗ったワンダー・ウーマンが宙に飛び出す。
「炉心の暴走を止めれば、まだ爆発は防げるわ」
制御室は強烈な放射能に汚染され、普通の人間では立ち入ることは出来ない。
今カリフォルニアを救えるのは彼女しかいないのだ。
※
大陸を横断してボデガに到着した時、事態は一刻の猶予もないほど切迫していた。
既に避難を終えた無人の原発に降り立つワンダー・ウーマン。
それを遠巻きに見守る州軍の兵士たち。
ワンダー・ウーマンが信頼を回復させるには、市民サイドに立った実績を積み重ねていくしかないのだ。
発電所に入った途端、人間の許容レベルを遥かに超えた放射能が襲いかかってくる。
「うぅっ、すごい放射能だわ」
放射能は目には見えないが、陰毛まで縮れ上がるゾワゾワした感覚から、その強烈さは充分伝わってくる。
神秘の力で防護されているワンダー・ウーマンといえど長時間の滞在は許されない。
館内図で把握した制御室へ入ると、床に転がった技師の死体が彼女を出迎えた。
「拳銃で撃たれているわ」
何者かが原発事故を装って大惨事を招こうとしていることは明らかであった。
「何者の仕業なの」
しかし今は炉心の暴走を食い止めることが優先する。
ワンダー・ウーマンはコンソールのレバーを幾つか操作して炉心を制御する。
そうしている間にも放射能は彼女の全身に襲いかかり、被曝を防ぐためにエネルギーがどんどん消費されていく。
エネルギーが尽きた時、彼女を守る神のご加護もまた失われるのだ。
ようやく炉心温度が下がり始めた時、ワンダー・ウーマンのエネルギーはその大半が失われていた。
「逃げなくちゃ」
任務を終えたワンダー・ウーマンは制御室を後にしてロビーへと向かう。
「……?」
その時ワンダー・ウーマンは、通路の向こうからゆっくりと歩いてくる人影を認めた。
その人物は大気すら歪もうという強烈な放射線の嵐の中を悠然と歩いてくる。
「ここは放射能に汚染されていて危ないわっ。すぐに待避して……」
ワンダー・ウーマンは警告しようとして、途中で口をつぐんだ。
目の前の人間は防護服すら付けていない全くの平服だったのだ。
普通の人間なら一秒とて生きていられない環境であるにも関わらずである。
黒に統一された軍服の胸は大きく盛り上がり、それが女性であることを物語っていた。
「むっ?」
ワンダー・ウーマンの目が、女性の袖に付いている腕章に止まる。
血のように赤い腕章に白い円が染め抜かれており、円の中には鉤の付いた十字が黒々と描かれていた。
「ネオ・ナチ? これはお前たちが仕組んだテロだったのね」
女性士官はワンダー・ウーマンの質問には答えず、黙ったまま深く被っていた軍帽を脱いだ。
短く切ったプラチナブロンドを横に撫でつけた端正な顔が現れる。
ハッと息を飲むような美人だが、氷のように冷たい目と薄い唇が、見る者に冷酷な印象を与える。
「私はクリスティーネ。会えて嬉しいわ、ワンダー・ウーマン」
クリスティーネと名乗った女性中尉は、その実つまらなそうな表情のまま呟いた。
「残念だけど炉心の暴走は食い止めたわ。大人しく降伏しなさい」
ワンダー・ウーマンはクリスティーネをキッと睨み付ける。
「原発なんかどうでもいいの。全ては貴女を誘き寄せて、エネルギーを浪費させるために仕組んだ罠だから」
金髪女の台詞にワンダー・ウーマンは緊張する。
彼女の脳裏に、3年前の黒いジェット機事件の記憶が蘇ってきた。
あの時はジェット機を食い止めるためにエネルギーを使い果たし、その結果不覚を味わった。
「その体では戦えないでしょう? 降参して頂戴。貴女を傷つけたくないから」
クリスティーネが無表情にボソッと呟くように喋る。
誇り高い戦士のプライドを傷つけられてワンダー・ウーマンの体が熱くなる。
「たとえエネルギーが残っていなくても、悪人に下げる頭は持ち合わせていないわっ」
短期決戦しか許されていないワンダー・ウーマンは、一気に間合いを詰めて殴り掛かる。
至近距離からパンチの連打が飛ぶ。
しかしクリスティーネは瞬きひとつせず、全てを避けきる。
そしてバランスを崩したワンダー・ウーマンの手首を逆手に握ると、ねじ上げながら見事な背負い投げで床に叩き付けた。
「うぐぅぅっ」
肺中の空気を吐き出してワンダー・ウーマンがのたうち回る。
「貴女の力はこんなものなの?」
クリスティーネが敵に与えたダメージを計算するように、冷酷な目で見下ろしてくる。
「なっ……なんの」
ヨロヨロと立ち上がったワンダー・ウーマンに、今度は鋭い回し蹴りが襲いかかった。
革製のブーツがブロックをかいくぐって延髄に炸裂する。
「むぐぅっ」
途端に目の前が真っ暗になり、ワンダー・ウーマンは再び床に崩れる。
戦闘力の差は歴然としていた。
圧倒的なスピードとパワーを目の当たりにして絶望感が漂う。
「いい加減にして頂戴。もう時間が無いのだから」
ワンダー・ウーマンは忠告に従わず、壁にすがって立ち上がろうとする。
「仕方がないわ……」
クリスティーネは諦めたように溜息をつくと、両腕を左右に大きく開いた。
そして……。
「ヴァンダー・フラウ」
掛け声と共に回転を始めた彼女の体が、光の爆発に包まれた。
次の瞬間、クリスティーネの体から軍服が消し飛んで、血の色をしたレオタード姿に変貌を遂げる。
ナチスの軍旗をモチーフにした紅のレオタード。
股間の切れ角はワンダー・ウーマンのコスより更に先鋭化している。
「ヴァンダー・フラウ?」
つまりドイツ式ワンダー・ウーマンというところか。
突然のことに茫然自失となるワンダー・ウーマン。
「初めましてお母様」
クリスティーネがきちんと会釈して挨拶する。
「お母さま? 私に娘なんかいないわ」
心理トリックに掛かるまいと、ワンダー・ウーマンはムキになって否定する。
「3年前のジェット機事件は覚えておいででしょ。私はあの時、貴女の体から採取した卵子を元に作られたの」
ワンダー・ウーマンの頭の中で、3年越しの謎が一気に符合する。
敵は彼女に何かを埋め込むのが目的なのではなく、奪い取るのが目的だったのだ。
「理屈で言えば、貴女の娘に間違いないでしょう」
ヴァンダー・フラウはそっぽを向くと、その場に立ちつくす母親を流し目に見た
敵の言葉を俄に信用するわけにもいかず、ワンダー・ウーマンは狼狽える。
第一、目の前の女はどう見ても20歳前後ではないか。
「けど私の血の半分は、世界に冠たる優秀なドイツ人のものなの。貴女みたいな野蛮人が母親だなんて不愉快だわ」
クリスティーネの目が細く狭められ、冷たい殺気が漂い始める。
「だから私が殺して、恥ずかしい過去を葬り去ってやるの」
いきなりワンダー・ウーマンに飛び付いたクリスティーネは、万力のような力で首を絞めに掛かる。
「あぐぅぅぅ〜っ」
苦しみ悶えるワンダー・ウーマン。
「ただしABCの全米中継のカメラの前でね。貴女を公開処刑すればアメリカの戦意も一気に喪失するでしょうね」
クリスティーネの台詞は、半ば失神したワンダー・ウーマンの耳には届いていなかった。