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地球の未来を左右する闘いに終止符が打たれて二年。
壊滅しかけた東京にも復興の兆しが見え、それまで避難していた人々も戻ることが増えていた。
「それじゃあ」
「え?…ええ」
最近人気が出ている喫茶店の前で、若い一組の男女は別れた。
どこかぎこちない態度の女に対し、相手は素っ気ない。
―やっぱり昴流君は面倒に思っていたんでしょうね。
振り返ることはない昴流の後ろ姿を見送りながら、実月は溜め息をついた。
会っている時に、昴流から話題をふることはなかった。
表情もほとんど変えないで返事を適当にするだけだった。
―それでも話をしてくれただけいいわ。
自分に言い聞かせ、実月は家に向かって歩きだした。
十一年前に実月が例の事件から目覚め、退院後まもなく親の仕事の都合で日本を離れることになった。
それからも頻繁に友人として連絡はとっていたのだが、ある時から昴流の返事が途絶えた。
何かあったのかと実月が心配していると、日本にいた彼女の友人から北都が殺害されたと聞かされた。
小さい頃に会ってはいたが、北都とはもう何年も話したことがない。
―お姉さんのことも詳しい事情も知らない私がでしゃばったら、かえって昴流君に迷惑をかけるかもしれない。
あえて連絡はとろうとしなかった。
二人が再会したのは実月がある事情で帰国してすぐで、数時間前のことだった。
実月がコンビニに入ったときに、たまたま昴流が何かを探すのを見つけた。
背丈が当時より伸びていて、髪も短めだ。
それでも彼女には彼が昴流であることを確信した。
「昴流君!…皇昴流君よね?」
名前を呼ばれ、昴流は実月のほうを見る。
さっきまで見えなかった彼の片目が実月をたじろがせた。
瞳が白く濁っている。
そして何より、あの頃のような朗らかな感じがどこにもなかった。
実月を見て、昴流は一瞬驚いたようだったが、すぐに元の冷めた表情に戻った。
「鏑木さん?」
言葉も彼女には違和感しか抱かせなかった。
「…やっぱり、昴流君だった」
旧友にかけられた言葉はそれだけしかなかった。
「…?」
昴流も喋らず、気まずい沈黙がながれる。
だが、不審に思った他の客達の視線が沈黙を遮った。
「あ…あの、ここではなんだから、よかったら場所変えて話さない?
久しぶりに会ったんだし…」
「別にいいけど」
そういうわけで二人は喫茶店に向かったのだった。
人気らしいだけに喫茶店は騒がしかったが、静かな場所よりかえって落ち着いた。
二人ともコーヒーを頼む。
「お仕事はうまくいってるの?」
「少し前にやめた。陰陽師としての力が急に衰えてしまって」
あくまで事務的に答える。
「そうなの…私はね、今はフリーターっていうのかな?
二年前までは日本企業の海外支店に勤めてたんだけど、
東京がああなったから本社が潰れちゃって」
少し残念そうに話す実月の前で、昴流がコーヒーにむせた。
「昴流君大丈夫?」
「ごめん、それじゃあ、今は仕事を探して帰国を?」
「そうね、それもあるわ。でも」
実月の目線が下に落ちた。
「『でも』?」
「ううん、なんでもないわ」
話題を変えるように再び昴流を見た。
「昴流君も、もしかして今はフリーターなの?」
「獣医だよ、やっと免許をとれたから」
これには実月も驚き、素直に喜べた。
「すごいじゃない!
昴流君小さい頃から動物好きだったものね」
少しだけ昴流の口元が緩やかになった。
「ありがとう…そろそろいい?」
「あ、ごめんなさいね、わざわざ時間とらせちゃって」
「いや、少ししか時間をとれなかった僕も悪かった」
実月が自分のケータイ番号を書いて昴流に手渡した。
「何かあったら連絡してね」
「わかった」
昴流も自分の分を手渡す。
勘定を済ませ、そして二人はそれぞれの帰途についたのだった。
歩きながら段々落ち着いてきた実月は考える。
昴流は確かに昔とは変わってしまったかもしれない。
しかし、あんなに驚いたり、おそれているような態度は失礼だったのではないか?
別れてから十年近くたったのだから変化は当然といえば当然である。
今の昴流は今の昴流なりに頑張っているようなのに、黙ったりしたら彼を否定していると取られてしまうのではないか?
申し訳ない気分になってきた。
―今度会ったら、昴流君に謝っておこう
ちょっとした決意を胸に、実月は歩く速度を速めた。
昴流と実月が再会してから一週間がたった。
勤務中でありながら、動物病院の中が不気味な程静まりかえっている。
彼らの健康を考えればそれにこしたことはないが、やはり一匹もいないのは味気無い。
膨大な書類を処理しながら、昴流は漠然とそんなことを考えていた。
星史郎が死に、神威が結界として消えていったのを境に、昴流の能力は日を経るごとに衰えていった。
原因はわからなかったが、さほど陰陽師としての未練は残っていなかった。
最終的に一般的な技能しか使えなくなったときに、昴流は家業から離れたのであった。
後には妙な開放感と獣医の資格だけが残った。
星史郎にとって何とか印象に残る存在になりたい、と願って大学で獣医学を学んだ。
よく六年も続いた、と今となっては思う。
当初は今の東京でペットを飼う人間はいるのか?と懸念したものの、復興の早さでそれは杞憂に終わった。
蒼軌や草薙や譲刃も心配して顔を覗きに来ることがあり、とりわけ譲刃は
「神威さんに言われたんです、『昴流さんを頼む』って」
といって勝手に犬鬼と二人でしょっちゅう遊びに来る。
調子が狂うが、悪い気はしなかった。
そういうわけでそれなりに充実した生活だったが、何かが足りないと感じていた。
だが、それが何なのかよくわからない。
書類を処理し終わり、一息つこうかと思ったそのときだった。
病院内に昴流の携帯の着信音が鳴り響いた。
液晶画面を見ると、実月のようである。
「はい、もしもし」
「昴流君!?」
逼迫していそうな声がした。
「今、今、犬が捨てられているんだけど、死んじゃいそうなの!」
「えっ?落ち着いて、まず何処にいるか教えて」
昴流まで落ち着きを失いそうになる。
「○○区の▲▲公園よ」
偶然にも、近い範囲の公園だった。
「わかった、迎えに行く。あと5分位で着くと思うから」
急いで病院を閉め、公園に向かって駆けだした。
「単なる脱水症状だから、もう問題ない。
暫くは入院させておくべきだと思うけど…大丈夫?」
犬は病院内で眠っている。
健康にはなるだろうが、捨てられて、しかも繋がれて移動もできないでいた犬の処遇が
昴流には気がかりだった。
「うん、多分飼えると思う。
居候先の叔父さん次第だと思うけど」
実月の言葉に内心ほっとした。
「本当に可哀相だわ。
最初から飼ったりしなければよかったのに」
実月は犬を見て呟き、そのまま目を昴流に向けた。
「ありがとう、昴流君。
わざわざ迎えに来てくれてまで、この子を助けてくれて」
実月の眼差しが心から感謝しているようなので、昴流は少し面食らったが、
表情に出さないように努めた。
「そうだ、昴流君」
「え?」
「この前はごめんなさい。
とても失礼な態度だったと思うわ」
昴流は一週間前のぎこちない彼女を思い返した。
だが、そのような態度をとられることは慣れっこで気にも留めていなかった。
「気にしてないよ。
それよりも僕の方こそ」
「?」
「勝手に連絡しなくなっちゃって…
忙しくても、連絡すればよかった」
北都の死以来、星史郎への執着のあまり周りの状況が読めない時期があった。
丁度実月との連絡が途切れ始めた頃だ。
大分冷静になったときには、実月は自分に呆れ果てていると思い、返事を書けなかった。
「いいのよ。よく知らないけど、昴流君大変だったんでしょう?
仕方ないわ」
本当に気に掛けていないように見える実月に、昴流はまた口元が緩んだ。
「ありがとう」
医院内に、ほんの一瞬だけ穏やかな空気が流れた。
バタン。
ドアが閉まった音と同時に、元気な声が聞こえてきた。
「昴流さん、こんにちは!」
譲刃と犬鬼だ。
「今は勤務時間だから来られても困るんだけど」
毎回突然来るので、患者がいないとはいえ、少しは嫌味を言ってみたくなる。
「ごっごめんなさい!今休み時間だと勘違いしてました!」
顔を赤くして謝る姿がおかしい。
譲刃の視線が昴流から実月に移された。
「あっ、お客様がいたんですね、すぐ帰ります」
ますます顔を赤らめる。
「いいのよ。もう大丈夫だって。
…そうよね、昴流君?」
少し笑いながら実月は問いかけた。
「『昴流君』?もしかしてお知り合いなんですか?」
「うん。こちら、鏑木実月さん。高校のときの友人」
「私、猫依譲刃といいます。高校生で、昴流さんの知り合いです」
「よろしくね、譲刃ちゃん」
「はい!」
二人ともどういうわけかうれしそうであった。
「ワン」
いきなり犬鬼が眠っている犬の場所に走っていき、吠えた。
「駄目よ犬鬼!起きちゃうかもしれないでしょっ」
もっとも、犬鬼の姿はごく一部の者にしか見えないから犬が起きることはないのだが。
「イヌキ?」
実月が不思議そうな顔をしている。
彼女にも姿は見えないようだ。
「彼女の守護霊っていえばいいのかな?
厳密には違うけど。犬の姿をしている」
犬鬼を叱っている譲刃に替わって昴流が答えた。
「へーえ。…私も見たかったな」
無表情で呟いた。
「そう…」
いい相づちの言葉が見つからない。
仮にも元術者であった自分と、一般人である実月には超えられない能力の差がある。
どんな言葉をかけても、彼女が犬鬼を見られないことには変わりないし、今し方生じた距離感は埋まらないのだ。
「でもよかったわ。
昴流君ってたくさんのお友達がいるのね。もしかしたらあの頃よりいたりするんじゃない?」
「そうかもしれないな」
高校の頃も大学の頃も友達ができる機会がなかったし、作る気もなかった。
友人といえる三人は皆天と地の龍つながりだ。
人類の運命なんてどうでもいい、と言った自分に付き合うのが地球を救った人間というのが妙な感じがする。
「だから、もうそんなことしちゃいけないよ、犬鬼」
譲刃が戻ってきた。
「ごめんなさい、犬鬼が実月さんのワンちゃんにご迷惑をおかけしました」
実月に頭を下げた。
「でも、あの子も犬鬼ちゃんのこと見えないと思うわ」
「えっ!?」
実月はクスクス笑っている。
つられそうになったので、昴流は咳き込んでごまかした。
最近は見える人間と接することが多かったので、すっかり忘れていたようだ。
それからしばらくは昴流を差し置いて二人の雑談が続いた。
誰かの着信音が鳴った。
「私だわ」
バッグから取り出すと、実月の表情は急にかたくなった。
「はい、鏑木です。
…はい、それでは今からすぐに伺います。
よろしくお願いします」
通話を終えると、元の穏和な感じに戻って言った。
「急用ができちゃったわ。…昴流君、あの子をよろしくね」
「わかった」
「じゃあ、また明日」
実月が病院から出ていった。
「昴流さん」
「ん?」
「もしかして実月さんとお付き合いとかしてるんですか?」
「まさか」
ぶっきらぼうに返したが、譲刃の疑いは晴れない。
「だって、さっき私のこと笑ってましたよね」
見抜かれていたようだ。
「笑う昴流さんなんて見たことないです!
いつもはずっと無愛想でいるのに!
口数もちょっと多かったじゃないですか」
「それはそうかもしれないけど」
確かに、いつもより気分がよかったことは昴流自身もわかっていた。
でも、その感情が恋愛と結び付けられるのは明らかに変だ。
「鏑木さんとはこどもの頃からの付き合いなんだよ。
久しぶりに会えたから懐かしかっただけなんだ」
譲刃はまだ納得がいかないようだ。
「でも実月さん素敵な人ですし、お似合いだと思いますよ。
美男美女の組み合わせだし、幼馴染みだし」
「大人をからかうものじゃないよ」
昴流は溜め息混じりに諭した。
「そーですか…」
昴流が窓を何気なく覗くと、外の変化に気付かされた。
「もう暗くなってきちゃったね」
「えぇっ!?もう閉店しちゃうわ、せっかく払い戻そうと思ってたのに!」
「何を?」
譲刃がバッグから紙切れを取り出し、昴流に見せた。
都心から少し離れた場所にあったおかげで、結界の影響を免れた遊園地の二枚のパスポートであった。
「本当は草薙さんと行くはずだったんですけど、草薙さん忙しいからキャンセルになっちゃったんです」
悲しげに微笑んでいる。
「昴流さんに会ってから払い戻しに行こうと思ってたんですけど、もう閉まっちゃいましたよね」
「多分」
気まずい感じで二人は黙りこんだ。
「学校の友達もみんなその日空いてなくて、一人で行ってもつまんないし…」
「だろうね」
「まさか蒼軌さんや昴流さんとは行けませんし…そうだわ!」
「ん?」
間髪いれず、譲刃がパスポートを昴流に握らせた。
「昴流さんにあげます!」
悪戯っ子のようにはしゃいでいる。
「…いらない」
第一、何故自分と譲刃が行かなくてはならないのか?
「志勇さんに怒られたらどうするんだよ?」
「勿論、私は昴流さんとは行けませんよ」
「じゃあ誰と…ええっ?」
言いかけて、彼女が自分と実月に行って貰おうと企んでいることに気づいた。
昴流の呆気にとられた表情に譲刃が笑った。
「昴流さん、今凄く変な顔してますよ」
「…」
もう頭を抱えるしかなかった。
「私、やっぱり応援することに決めました、それじゃ!」
頭上で威勢のいい声と、ドアが閉まる音がしてから、また顔をあげた。
テーブルには2枚のパスポートが残っている。
譲刃の強引なやり方には閉口するときもあるが、おそらく自分に近づくには
それくらいしなくては駄目だと彼女は考えた上でやっているのだろう。
他の人にはあくまで素直で従順なのは知っている。
少なくとも、神威との約束を果たそうとする彼女を止める必要はないのだ。
実月の反応を想像してみたが、やんわりと断られる図しか思い浮かばなかった。
まあそのときはそのときだ、と自分に言い聞かせ、椅子にもたれる。
まぶたを閉じると、今日のめまぐるしい展開が浮かんできた。
つい、そのまましばらくうとうととしてしまった。
「お願いです…実月に…」
「えっ」
ビクッとして声が聞こえた方向を見たが、声の主がいるはずもない。
「気のせいか…」
思わず昴流は呟いた。
時計はもう勤務時間が終わったことを示していた。
秒針の音だけがする。
状況は変わらないのに、なんだか実月が来る前より静かで侘びしく感じられた。
日が沈んだ頃、実月は少々きな臭い探偵事務所を出た。
気分がすごく落ち着かない。
―もう少しで、千歳に会えるかもしれない。
年甲斐もなく、小走りしたくなるほどであった。
実月にとって、千歳は東京の友達のなかでも一番信頼の置ける存在だった。
日本を去った後も、彼女と連絡をとり、時折帰国した際には、二人で渋谷に繰り出したりもした。
しかし、二年前の大地震が二人の中を分断した。
度重なる災害。
多数の死者。
満足に機能しない情報網。
東京の様子もわからず、実月にとってあまりにも不安な日々が続いた。
ライフラインが復旧しても、千歳の家族でさえ音沙汰無しであった。
―こうなったら、自分で探すしかないわね。
千歳の安否を確かめること。
それが実月が帰国した最大の理由だ。
昴流と譲刃といた時にかかってきた携帯は、探偵からのものだ。
早く家にいる叔父に、詳しく探偵の報告を伝えたかった。
それと、拾った犬を飼えるかどうかも聞いてみなくてはならない。
万一駄目な場合は、別の飼い主を捜すことも必要なのだ。
いずれにしても、あの犬に名前をつけてやりたい。
やりたいこと、叔父に話したいことがたくさんあったので、少し急ぎ足になった。
翌日、実月は再び昴流の動物病院に立ち寄った。
「昴流君、おはよう」
「いらっしゃい」
昴流が出迎えてくれた。
「あの子の調子はどう?」
「今起きてるよ。見てみる?」
「ええ」
部屋を移ると、犬はだいぶ元気を取り戻したようだった。
尾を振り、実月に駆け寄ろうとする。
「よかったね、この先生のおかげよ」
犬に話しかけてみたが、言葉が届くはずもなくやっぱり実月にばかり関心を寄せている。
「叔父さんはいいって?」
昴流が問いかけたので、すぐに頷いた。
「本当?それはよかった」
昴流が初めて喜びを顔に出し、実月はびっくりした。
驚きが顔に出ていたのか、
「どうかした?」
「あの、なんていうか、昴流君が笑ったの見てびっくりしたっていうか…」
「猫依にも言われたよ。僕が笑うなんて滅多にないのに、だって」
「でも、笑顔のほうがいいと思うわ」
「そうかな?」
「そうよ、無表情の獣医さんのところなんてあんまり行きたくないわ」
「…結構ひどいこと言うんだね」
再会したばかりのときとはくらべものにならないくらい気楽に会話ができている。
―変わっちゃったかもしれないけど、やっぱりこの人は昴流君だわ
しこりが消えたような気がして、実月はとても嬉しかった。