「矢島、この間の貸しを返して貰おう」
「なんだいなんだい、いきなり連れ出したかと思えば、何をお言いだいっ」
「ほう、意外だな。日本人というのは義理人情や仁義に厚いと聞いていたが
成る程、君に関してはそうでもないというのかい?」
「ぐ…」
もちろん仁義に反した事など矢島には許せない、と熟知した上での台詞である。
「ハーディ一体、あたしに何をさせようってんだい?」
「一夜の情けを頂きたいと思って…ね」
矢島の顎を指で持ち上げながら、彼はいたって真剣な面持ちで語りかける。
「はあ?」
あいかわらず、シレっとした顔で何を気障で阿呆らしい事を言うのか、この毛唐は。
「言葉の意味がわからないとは言わせないよ。矢島」
「分かってたって、お断りだよ!このスケベっ変態スットコドッコイ!」
一夜だって?男と女が一晩共にすごす
それがどういう事実を含むのか、彼女とてわからなくもない。
だ が、なぜよりによってハーディなんぞと付き合わなければならないのか。
冗談じゃない!彼女はゾッと体を抱き締める仕種をする。
(ちっ、ついこいつに乗せられて真面目に付いて来ちまったよ、皆も心配してる
さっさと逃げるんだ純子、今すぐここから!)
我にかえった彼女は、思った事をすぐさま行動に移す。
ザシュ!
スカートがひるがえり、美しい脚と拳が続けざま空を切り、ハーディに跳ぶ。
彼は軽くそれらを受け躱し、難無く彼女の手首を掴み動きを封じる。
更に反動を使い、ドサリと彼女をベッドへ倒れ込ませた。
「何…をっ!」
「今更抵抗とは…中々往生際が悪いじゃないか、矢島
お仕置きが必要のようだね」
彼はフッと笑みを浮かべながら、ギリギリと手首を締め上げる。
「つ…っ…痛い!手をお離しったら…!」
しかし、力を緩めようともせず、矢島をじっと見つめるハーディは、
彼女が知るいつもの退屈社長とはなんだか違う、怪しい空気をまとっていた。
十代なかばにしてゴッドに見込まれた、眉目秀麗なハーディにとって
女を抱く術などお手のものだったけれど、いざ矢島を前にしてみると微妙な感情が交錯する。
己れだけの物にし、自分だけを見つめさせたいのか
それとも、ただ篠北と彼女の親密な関係を壊したいと
いつもの退屈心が強くざわめいただけなのか。
しかし、矢島が行方不明になったと分かれば早晩、
例の「奴等」がここをかぎつけ、乗り込んでくるのは必須、時間の問題だろう。
となればこの時間は貴重だ、矢島には一時の夢を堪能させてもらおうとハーディはひとりごちた。
瀟洒なベッドの上で彼女は裸同然にされ
力任せに抵抗を繰り返そうとする手が、縄でベッドの柱に繋ぎ止められようとしていた。
「はっ!あんたにそういう趣味があったとは驚きだね!」
怒りをあらわに、皮肉ったつもりの矢島に彼は言う。
「矢島…僕もこんなことはしたくはない、君のその手足はひどく…実に魅力的でもあるが
危険過ぎるのでね…(フッ)生憎時間もないことだ。単刀直入にさせて貰うよ」
そのまま伸びた腕は彼女の肢体に触れ、前に張り出す豊かな胸を揉みしだき
首筋に唇を触れ、耳元で熱い息を吹きかける。
「…ひゃ…っ」
(ほう、思いの他いい声でさえずってくれるじゃないか…)
ハーディは、矢島の半裸に蔦のように絡まる黒髪のひと束を手に取り口付ける。
-八雲立つ 出雲八重垣 妻籠に 八重垣作る その八重垣を-
先日名跡を訪れた際、やけに印象深く覚えた古事記の歌が、ふいに頭をよぎった。
(バカな。これは日本の神が、妻を娶る歌じゃないか…
おおよそ、今のぼくにふさわしい歌ではない)
むしろ、この状況は妻を娶るというより、妻問い以前だ。
自嘲するような苦笑いが彼の口元に込み上げる。
「ハーディっ!」
ガードが甘くなったと踏んだ、唯一矢島の自由な片脚がふっと彼をかすめる。
「!!おっ…と」
ふいうちの攻撃を躱したものの、彼の頬には血の筋が滲んでいた。
「矢島、そんなことでぼくを防げると思っているのかい…?」
笑顔をこわばらせながら血を拭った甲を拭い、彼女の肩をつかむ。
「くっ…」
彼女を見ると、涙が滲んだ顔がくしゃくしゃになり屈辱にブルブル震えている。
くやしさにきしむ唇の輪郭を、彼は指でなぞって、
顔を掌で包み溢れる涙を啜ると、矢島の柔らかな唇に接吻する。