その日の体育の時間、千花はいつものように見学していた。  
元気良く走り回るみんながひどくまぶしく感じられ、  
自分はもうあんな風に体育の授業を受ける事も、  
生き甲斐であるバレエをする事すらもできないのではないかと思うと、  
ひどく辛く、溢れそうになる涙を歯を食いしばり抑えた。  
「だめじゃん篠原あ、いい加減ブラつけなきゃ〜」  
悲しみに浸るあまり気付かなかった。  
目の前にはいつのまにか、高森真由子がいた。  
「なんか、いつのまにか篠原のおっぱいすっごくおっきくなったよねえ  
 ブラジャーつけなきゃだめじゃん、乳首透けてるよお〜」  
クスクスと笑いながら、真由子は千花の耳元にささやく。  
そんなはずないと思いながらあわてて胸元を見るが、  
気付かぬ間に大人のものへと発達した乳首は  
白く薄い半袖の体操服を、微かに押し上げていた。  
自分の体がこんなにも成熟しつつある事とへの戸惑いと、  
恥じらいによって歪んだ千花の顔を高森は舐めるように見てくる。  
胸を隠すかのように組まれた千花の腕の間に高森を手を突っ込み、  
千花の乳首を思い切り引っ張った。  
「うっ……」痛みに千花は小さく声をあげた。  
「なに?感じちゃった?」  
高森は千花の膝を軽く蹴った。だがそれだけでも突き刺すような痛みが走った。  
「どうせもうバレリーナになんてなれないんでしょ?  
 このままおっぱいどんどん大きくして風俗嬢にでもなっちゃえばあ?  
 なんなら今のうちから援交でもやる? 男紹介しよっかあ?」  
痛みと屈辱とにで千花の片目から一筋の涙がこぼれた。  
千花はすぐに涙を片手でぬぐい、高森の顔を睨んだ。  
「おーこわ」  
からかうように最後にそう言って、高森はまたみんなの輪へと戻って行った。  
周りからはきっと、見学者に労わりの言葉をかけにいっただけのようにしか見えないだろう。  
高森は何事もなかったかのような笑顔で体育の授業をこなしていっている。  
――あんな下卑た奴が幸せそうに笑っていて、どうして私はこんな思いをしているんだろう  
千花は、蹴られた膝に呼応するように恨みの炎が燃え盛るのを感じた。  
 
 
成熟を認めてしまうようで千花はブラジャーをつける事をためらっていたが、  
先日の一件や、発達した乳首が服にすれるたびに痛む事もあってブラジャーをつけるようにした。  
(目立たないようにって、白いブラにしたけどやっぱり透けちゃうな……)  
満員電車の中で、千花は壁に向き合いながら胸元を気にする。  
ノーブラだとその事で高森に嫌がらせを受けるが、  
つけたらつけたでまた何か嫌な事を言われそうだ。  
(六花ちゃんは学校楽しそうでいいな…私も違うところを選んでさえいれば…)  
落ち込んで行く考えをふりはらうように千花は首をふる。  
(病は気からだっていうし、きっと怪我もそうだ。落ち込んじゃいけない…落ち込んじゃ……)  
 
時折思い出したように鬱々とした気分になりながらも、  
危惧したような高森からの嫌がらせはなく、無事に放課後を迎えれた。  
ほっとした気分で、千花は校門を抜ける。  
部活動やおしゃべりでもしているのだろう、校門付近の人影は少ない。  
「篠原あ、今帰りー?」  
千花にとってこの世で最も忌々しい存在――高森真由子の声がした。  
どんな時でも毅然と接しなければいけない。弱みを見せたくない。  
千花は怯えながらも自分にそう言い聞かせ、敵意を宿した視線を高森に向けた。  
だが、そこには高森だけではなく見知らぬ男たちがいた。  
嫌な予感がした。いや、予感というよりもそれは確信に近い。  
「おっさん紹介してあげよっかなーとか思ったけど、  
 話したら友達が篠原に興味持っちゃってさー  
 おっさんらみたいに金持ちじゃないけど、ごはんぐらいはおごってくれるって」  
背筋に寒気が走った。高森は千花の反応を楽しむようにニヤニヤと笑っている。  
男は二人いる。ひょろりとしたもやしのような男と、固太りで色黒の男。  
もやしのような男は高森の腰にいやらしく手を添え、なでまわしている。  
そして固太りの男は好色そうな目で千花を見つめている。  
ジーンズ越しでもはっきりとわかるほどに男の股間は千花への欲情で屹立していた。  
はじめて性欲に満ちた男の視線に晒された千花は、  
言い返す事も逃げる事すらもできずに恥ずかしさで赤面し、顔を伏せた。  
高森たちが自分をどんな目にあわそうとしているのかは理解していたが、  
それでもどうすればいいかわからなかった。逃げてもこの足じゃ追いつかれる。  
それどころか、無理をして走って足が更に痛んでしまったら………  
 
その横を同級生が通り過ぎようとしていた。  
事務的な事で数回話をしただけにすぎない間柄だが、彼女はクラスメートだ。  
流石に高森といえども、他の生徒がいる前で無理強いはできないはず――  
千花は望みを託し、彼女の名前を呼んだ。  
彼女は横目でこちらを見ただけで、速度を上げてすぐに通り過ぎて行ってしまった。  
「篠原ーあんた普段お高くとまってクラスの奴ら見下してるくせに  
 自分に都合が悪くなったら頼るんだーそういう奴だったんだーへえー」  
「……お高く………? そんな事………!」  
一瞬にして希望を打ち砕かれ、千花はまた絶望の淵に落とされた。  
苦悩から漏れた千花の言葉に固太りの男は興奮する。  
「うっわ、千花ちゃんって声可愛いねえー」  
男はそう言って千花に近づき、もやし男が高森にするように腰に手を回してきた。  
そしてもう片方の手を千花の足にそえ持ち上げた――千花は抵抗する事もできずにお姫様抱っこをされた。  
「あはははー篠原なにその顔ーびびってんのー?」  
バレエで男性に身を任せる事はあった。でもこれは違う……ただ恐怖と嫌悪感しかわいてこない。  
「震えちゃって怖いのー? 大丈夫落とさないから、それにもう車だよ」  
男は息を吹きかけるかのように千花の耳元でささやいてくる。  
男のどちらかが運転してきたのだろう、ボロボロの国産車が停められている事に気づく。  
「……あ、や、やめて……おろして…………」  
千花は必死で叫ぼうとするが、声はかすれるばかりで密着している固太りの男にすら聞こえたかどうか怪しい。  
傍にはもう誰もいない。すがりついてでも先ほど通りかかった子についていけばよかったと千花は歯噛みする。  
もやし男が車のドアを開いた。千花は後部座席に押し込まれてしまった。  
 

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