俺が、よもやこの様な女に惚れることはないだろう。ましてやこの様な行動に移ると誰が考えただろうか。
そもそも俺は今、学校一の秀才になるべく勉強を重ねる身であり、来年は受験も控えているのだから、色恋などと言う負抜けたものにうつつを抜かすことなど実に許されぬべきことで、しかし俺はそれに骨抜きも同然となってしまっていることは事実だ。
つらつらと考えを巡らせた所で、恋は愚か、しかし惚れてしまっているの間を行ったり来たりするだけ。
頭の痛くなる様な延々の繰り返しに、とうとう溜め息を吐いた和泉は眼鏡を外して机に置く。そうして目を閉じると、疲れて熱くなった目頭を揉んだ。
今は誰もいない生徒会室は、やけに静かだ。それが、常時どれだけ騒がしいかを物語っている。
何故か溢れる溜め息をそのまま吐き出して、椅子を傾けた。背の机を支えにした和泉は、自然この部屋の入り口へと向いている。
「こんにちは、千葉いる?」
その声にびくりと背を跳ねさせた和泉は、慌てて眼鏡をかける。そうして姿を見ると、己の思いの人であると認めて急に足早になる鼓動が五月蝿い。
堪えろ、とゆっくり息をして、和泉はマコトを改めて見た。
「あ、和泉君。千葉いない?」
「ああ、なんだか今日はそろって居ねえみたいだな」
「じゃあちょっと待ってようかな」
お邪魔しまーす、そういうマコトにああと返事をして、落ち着きを取り戻した筈の和泉はそこではっと気付いてしまった。
お、俺ら今二人っきりってことか……?
以前、観覧車で相席になってしまった時の様な会話の見当たらない気まずさではなく、それすらを含んだ胸を摘まみ上げられる様な切なさの入り交じる、個人的な気まずさ。
それを大きな鼓動とともに身体いっぱいに感じながら、もう一度でも瞳に映せば目を離せなくなりそうで、つい視線を逸らしてしまう。
「みんなどこ行ってるんだろうね?」
教室にも居なかったから、ここに居ると思ったんだよ。
自然と口を開くマコトに少し苛ついて椅子の足を着地させると、膝に肘を置いて棚を眺めた。無視を決め込んだ和泉は、マコトの言葉には何の反応も見せない。
「聞いてる? てか和泉君なんか怒ってる?」
ソファーから腰を上げたマコトは、和泉の傍へ寄ってくると腰を曲げて和泉の顔を覗き込む。驚いた和泉は思わずがたんと立ち上がってマコトを見つめた。全身が熱くなるのを感じて、ぐっと手を握りしめる。
「和泉君?」
何も分かっちゃいない顔で、不思議そうに吐き出される言葉が憎くて愛おしい。嬉しさと苛立が相俟って劣情に似た疼きに変わる。
ゆっくりと上体を起こそうとしたマコトの腕を掴んで勢いよく引き寄せると、目を瞑るのも忘れて口付けた。
勢いでしたそれは痛みばかりで甘みも柔らかさもない。それでも離さないと、啄む様に唇を動かした。
「っ」
異様な体勢で呆然と固まっていたマコトが、その感触に一瞬の甘さを感じて眉を寄せる。嫌だ、と思ってからの身体の動きは、自分でも信じられない程だった。
手を振り払われ、己の鼓動とマコトの拒絶する表情に焼かれる思いでいた和泉は、眼鏡が落ちて音を立てることでその煩悩から解放される。
泣きそうな表情で和泉を睨むことも出来ず、俯くばかりのマコトもその音でやっと呪縛を解かれた様に走り出した。
「あ、っおい!」
咄嗟に出た言葉は如何にも偽善者らしく響いてマコトの背中には追いつかない。伸ばしかけた手は絶望が張り付いて重く、そのままだらりと落ちて行く。
和泉の頭の中は、これからどうやってマコトとの仲を修正するかよりも、どうやって彼女を手に入れるかの考えでいっぱいだった。