「ええい! この!」
浪はキャンバスを床に叩きつけた。乾いた音を立てて折れた木の枠が飛び散り、骨を
なくした布が白いタイル上にぐったりと横たわる。
もうあたりは暗く、予備校の教室には浪一人しかいなかった。
彼は周囲にならんだ仲間たちの絵に視線を走らせる。
胸の中に渦巻くのは、ただただ屈辱感だった。唯一の長所を否定されたのだ、それが
ひたすらに悔しい。「君の絵は個性的だよ」などと仲間たちは言う。しかしそれは「上手
じゃないけどね」という暗黙の嘲笑。少なくとも彼にはそう思われた。
「畜生…」
噛み締めた奥歯を伝い、そんな呟きが漏れる。
次の瞬間、彼は壊れたキャンバスを拾い上げ、さらに叩きつけようと振り上げる。
そのときだった。
「荒れてるね」
入り口からの冷静な批評で我に返る。顔を上げると霧島がいた。
「あんた…」
羞恥のあまり浪は鼻の先に皺を寄せる。しかし霧島はあくまでも冷静だ。
「怒らないでよね」
どこか突き放すような、よそ事のような物言い。そして彼女はふう、と煙を吐く。
教室であるがお構いなしだ。紫煙がその髪から肩にかけてたなびいている。
「そうだ!」
浪は思い出したように叫ぶ。
「あんた、うまいんだろ?」
彼は霧島に詰め寄り、無意識に胸倉を掴む。
「教えてくれよ! 俺に!」
「キミ、どこ掴んでるの?」
霧島はやや呆れたように告げる。浪の手は彼女の乳房を鷲掴みにしていた。
浪は一瞬、驚いた顔をした。しかし離すかと思いきや、霧島を後ろの壁に押し付ける。
「頼むよ! もうあんたしかいないんだ!」
それはあまりにも悲壮な剣幕。
それでも霧島はあえてとぼけた返事を返した。
「教えるって、何を?」
長身のせいでそうと思われないが、彼女はあるいは天然ボケだったのかもしれない。
しかし今度ばかりは、その空とぼけ(少なくとも浪はそう思っていた)は通用しな
かった。彼はいっそう強く彼女の服(少量の肉ごと)を握り締め、顔を近づける。
霧島の顔にかすかな怯えがはしる。
「頼む…」
浪の哀願するような声。
霧島は薄目で浪のズボンに視線をやる。それは極度の興奮に膨張している。
彼女は鼻から溜息をついた。
「いいよ…何なら、私の部屋に行く?」
その答えに浪の表情が明るくなる。
「いいのか? いろいろ見せて…」
彼の脳裏に浮かんだのは大量のスケッチや秀作が所狭しと並んだ、霧島の私室。
「ああ、いろいろ…」
霧島はその言葉の途中でかすかに顔を赤らめ、口をつぐむ。
こうして何か勘違いした二人は連れ立って予備校を出た。