Long "Rong" Time Ago  
 
 
 それは、ずっと昔。まだ俺が、駆け出しのひよっこだった頃のことだ。  
 
 
 俺は仕事を選べる状況じゃあなかった。腕は立っても名が売れていない悲しさで、来る  
のは汚れ仕事ばかり。それも量は決して多くなく、回ってきた話を手放したら、次は何時  
ありつけるか判らない、と言うところだった。  
 そうでなかったら、きっとあんな仕事は請けなかっただろう。請けなかったと思いたい。  
 
 
 その仕事は、ある古物商の書庫から、1冊の本を盗って来る、というものだった。店兼  
住居に住んでいるのは、若い女が一人と、小間使いらしき畸形の男が数人。  
 依頼の内容を聞いて、俺はクライアントに聞き返した。  
「話が旨過ぎないか? こんなの、俺じゃなくてもコソ泥の1人か2人、差し向ければ充  
分だろう?」  
「いや、それはもう試みたのですが…戻って来ないのですよ」  
「戻ってこない?」  
「今までにも大分人を遣ったのですがね、誰も帰ってこないのです」  
「…ハ! それで遂に、俺みたいな新顔に仕事を振った、と」  
 一介の古物商に忍び込んで、誰も戻らない。何の情報もない。ただ、其処の誰かが相当  
な手練だと言う事だけは判る。それなら使い捨てにしても惜しくない、新顔で腕が立つ俺  
に仕事を振ろうと、そういう話に纏まったのだろう。  
「いえいえ、貴方を高く評価している、と思って下さいよ」  
 クライアントは、剣呑な笑みを口端に浮かべながら、そう言った。  
「我々もかなりの報酬を用意していますし、成功すれば、きっと名も売れることでしょう。  
決して悪い話ではないと思いますがね」  
 名が売れる。その言葉に、懐の薄っぺらな財布を思い出す。  
 結局、選択肢はひとつしかなかった。  
 
 
 仕事は人目を避けて、深夜に行うことにした。今までの連中も同じようにしただろうし、  
と言う事は深夜であろうと真昼間であろうと危険の度合いは変わりはしないのだろうが、  
そこはそれ、せおりぃという奴だ。上手くすればただの盗みで済むかもしれない、という、  
淡い期待もあった。  
 その淡い期待を打ち砕いたのは、女の一言。  
「其処の君、何をしておるのかね?」  
 …天井裏に隠れていた俺に、天井越しに視線を合わせて、女は笑ったのだ。  
 駄目だこりゃ、やっぱり力尽くだ。諦めた俺は、天井の板を一枚剥がして、女の真後ろ  
に飛び降りる。そのまま、間髪入れずに刀を抜き放ち、  
「おい、書庫に案内しろよ。おとなしくしてりゃあ命までは取らねえから」  
「んー、それは別に構わないがね。飯が冷めるのは嫌なんだよねえ…もう少し待たないか  
ね?」  
 首筋の刃に動じもせず、女は箸と茶碗を持ったまま、つまらなそうにそう言った。そう  
なのである。もう深夜だと言うのに、女は食事の、内容から見ると夕餉の真っ最中だった。  
 ほかほかと湯気を上げる、真っ白なごはん。豆腐と葱を浮かべた味噌汁。香ばしく焼け  
た魚。薄色に仕上げた野菜の煮物。小鉢に添えられた漬物…  
 ぐう、と腹が鳴った。そういや、此処のところ仕事がなくて、ろくな物を食っていない  
んだっけか。  
「おや、腹の虫かね」  
「煩いッ」  
「おぅい、エディン。客人にも膳を用意してやっておくれ。ごはん大盛で。」  
「…あのなあ」  
「良いじゃないかね、どうせ急ぎの用事でもないのだろう?」  
 そうこうする内に、女の対面の席に、俺の分と思われる膳が次々と揃えられていく。妙  
に等身の低い、卵を思わせる姿の小間使いたちが去ると、残されたのは俺と女と、女の夕  
餉と、手付かずの膳がひとつ。ご丁寧に酒まで付いてやがる。  
「…冷めるよ?」  
 腹の虫がもう一度鳴って、俺は無駄な抵抗を諦めることにした。この調子なら、毒や薬  
を盛られることもなさそうだし、普通の奴なら俺には効かないしな。なにせ、体の造りが  
人様とは違うんだ。  
 
 
 良いもの喰ってやがる、というのがひとつ目の感想で。ふたつ目は、結構美人じゃない  
か、ということだった。  
 真っ直ぐな長い黒髪。抜けるような白い肌。眼鏡の奥には、切れ長だが細くはなく、む  
しろ大きな瞳。蕩けるような唇。和服の襟元を押し開かんばかりの豊かな胸。こりゃあ上  
物だわ、というのが素直な感想だ。  
「いやあ、毎度毎度一人で喰っていると、どうにも詰まらなくてねえ」  
 からからと笑いながら、女が俺の杯に酒を注ぐ。ついでに自分の杯にも手酌で注ぐその  
様子は、とても強盗に入られた家の主とは思えない。その雰囲気に呑まれてか、思わず飯  
を三杯おかわりしたことは、クライアントには秘密にしておこう。  
「ところでね、お前さん」  
「何だ?」  
「口元にごはん粒」  
「う」  
「それから、もうそろそろ効いてきたと思うのだが」  
 …それは、もしかしてとっても古典的な、アレですか?  
「いや、ここまで素直に喰う奴も珍しいから、二杯目までは素で出させたんだが、三杯目  
に、ちょっと」  
「何を混ぜた?」  
「眠り薬♪」  
 うっわー。古典だ。滅茶苦茶古典じゃねえか。ていうか、それは「三杯目にはそっと出  
せ」ってことですかそうですか悪かったな。  
「んで、眠りこけた俺をどうする気だ? 真逆、拷問してクライアントの素性を、とか考  
えてるんじゃないだろうな? 残念ながら、俺はしぶといぜ?」  
「何を言っておるのだね、君は」  
 そんなことにはまったく興味がない、と言う顔で女は言う。いや、そっちに興味がある  
方が、正直有難かった。  
「魔女のおうちに迷い込んだら、食べ頃になるまで待ってから、喰われるものだと相場が  
決まっているじゃないかね」  
 …俺は帰り道の目印にパン屑撒いて小鳥に食われて、挙句の果てには妹に助け出される  
童話界きっての情けなおにーちゃんかよっ!!  
 
 
「と言う訳で、飯も充分食ったのだから、今度はお前さんが美味しく喰われたまえ」  
「それは勘弁しろッ!!」  
 とは言え、先程から感じ始めた睡魔は、確実に俺を押し潰そうとしている。真っ当な薬  
など効かないはずの俺に、この女、何を盛りやがった?  
 そんな疑問を抱いたのも束の間、俺の意識は深い闇に呑み込まれていった。  
 
 
 
 
 何だか、こそばゆいような、じれったいような感覚で、目が覚めた。  
 背中が柔らかいのは…これは布団か。それじゃあ、この腰の辺りでもぞもぞしているの  
は…  
 俺の視線に気付くと、女はにぃまりと笑って見せた。それも、一糸纏わぬ裸で。  
 豊かに張り詰めた乳房、そこから曲線は一旦細く括れ、それから柔らかいカーブを描い  
て腰と腿へと広がっていく。先程から感じる妙な感覚は、その極上の肢体の主が、俺の分  
身を片手で玩んでいる為だった。  
「…えーと、何をしているんでしょうか?」  
「先刻、言ったじゃないかね。 「頂いている」のだよ♪」  
「おい、そっちの「喰う」かよッ」  
「それぐらい気が付いても良さそうなものだが」  
「しかも眠り薬意外にもなんか盛りやがったな!? 身体が動かねえじゃないか、この悪魔ッ!!」  
「いやだって、抵抗されると面倒だし。しかし悪魔扱いかね。一応はまだ、人の身である  
つもりだったのだが…少なくとも、お前さんよりはまだ人間に近いと思うのだけれどねえ」  
 …今、何て言った? この女。俺よりは人間に近いって、そう言いやがったか? と言う  
事は、俺の正体に気が付いている?  
「てめえ、いつ気が付いた?」  
「最初から。山の霊気におとなしく守られていれば良いものを、何を思ったか澱んだ下界  
に降りて来ちまうなんて、妙な天狗だと思ってさ」  
 天狗。山の神とも言われる有翼の異形。それが俺の正体だ。だから、本来ならまともな、  
人間向けの眠り薬なんかは効きやしないんだが…正体ばれてりゃ、それに合わせた薬ぐら  
い仕込めるかもな、この女なら。  
「ちっと珍しいし、あたしも後学の為にさ、一回ぐらい天狗の味見も良いかと」  
 好き放題のことを言った挙句、女は本格的に『味見』とやらを始めやがった。  
 
 
 あの蕩けそうな唇を肉茎に這わせ、舌で散々に嬲りながら、たっぷりと唾液をまぶして  
いく。そうして全体が充分にぬめると、じゅるり、と音を立てて、今度は口腔にと導いた。  
その間にも、舌も指も執拗に動き続け、収まりきらない部分や、敏感なその周辺を刺激し  
続けている。  
 やべえ、相当巧いぞこの女…と思う余裕すらないまま、最初の波が来た。抗おうとか、  
堪えようという間さえもない。まるきりの暴発だ。  
 女の喉がこくりと動いて、俺の放った白濁を飲み込んだのが見える。そして一言。  
「…味は人間と変わらないのだなあ」  
「冷静に感想を述べるなッ!!」  
「まあまあ、もうちっと落ち着きたまえ。もうすぐこっちも準備ができるから」  
「準備って…? 真逆!?」  
「その真逆♪ いいじゃないか、減るものじゃなし。大体、出してもまだこんなに元気な  
のだから、嫌も何もなかろう? 全く体は正直じゃないかね」  
「典型的なエロ親父みたいな台詞を吐きながら人の上に乗るな!!」  
 と言っても、動かない体で何か抵抗が出来るわけもなく、実際に俺のはまだまだ使用可  
能な訳で。悔しいが、後は女の為すがままである。  
 淫靡な水音と共に、俺自身が熱い肉の沼に呑まれていく。同時に、女の口から甘い吐息  
が漏れた。未だに眼鏡を掛けたままの女の頬が、微かに紅潮している。  
 先程の口戯など、比べ物にならない快楽だった。女の腰がゆるゆると動く度に、柔肉が  
肉茎を擦りあげ、吸い付き、また包み込む。えも言われぬ快感に、俺は射精の衝動を抑え  
るのがやっとだった。出来れば一太刀なりと反撃を、と思っていたのだが、とてもそれど  
ころではない。  
 溢れ出る蜜で下腹部の陰りまで濡らし、自らの双乳を揉みしだき、更なる快楽を貪ろう  
と身をくねらせる女は、確かに男の性を吸い上げて生きる魔女だった。  
 溶ける。女の腔に溶けてしまう。絶頂の予感に身体が震え出すのが止まらない。  
 俺の敗北の、甘い敗北の証は、女の中に納まりきれずにとろりと溢れた。  
 
 
「うむ、やはりあまり人間と変わらんのか」  
「…詰まらなそうに言うのはやめてくれ…」  
「いや、別に退屈してはおらんよ。例えば…こんなのはどうだね?」  
 やめろってばおい! それは反則だろ、反則! 大体先刻二回も出したばっかりで…  
 そんな俺の抵抗は、やはり空しいだけで。第2ラウンド開始。そして敗北。  
 
 
「それじゃ、こっちをこんなにしたら、どんな反応をするんだろうねえ?」  
 うわーっ、其処は止せ、其処は! 寧ろ人の心があるなら止めてくれ!  
 
 
「今度こっちを…うりうりうりうり」  
 いやーっ やめてーっ 勘弁してーっ もう逆さに振っても何も出ませんーっ  
 
 
「ほれほれ、もうちっと頑張らんかね。まだ若いんだし」  
 …ごめんなさい すみません だめ 死にます…  
 
 
 繰り返し繰り返し、エンドレスの快楽も、過ぎれば苦痛に限りなく近く、それでいてや  
はり、それは快楽でしかなく。  
 いつしか、俺の意識は無明の闇に墜ちて行った…そうか、これで誰もクライアントの  
処には戻れなかったのか、と今更ながらに思いながら。  
 
 
 
 
 目が覚めると、もう陽が高かった。うう、太陽が黄色い…  
「おや、起きたのかね?」  
 振って来た声に目を遣ると、昨夜の女が煙管を片手に笑っている。  
「もう何日かは起きなくても仕方がないかと思ってたのだが」  
「もう何日かって真逆…あれからどれ位経ったんだ?」  
「彼是三日」  
「さらりと言うなッ!!」  
 俺はまだ力の入らない(特に腰辺りが)身体を無理に引きずって、布団から起き上がっ  
た。服は、と探すと、御丁寧に枕元に畳まれているのがまた憎らしい。  
 
 
「どうしたのかね、そんなに慌てて」  
「帰るんだよ! 家にッ!! こんなとこ、もう一分一秒でも居られるかッ!!」  
「ああ、そう。ま、帰るのなら無理には引き止めないけどさ…どうせなら、土産、持って  
いかんかね」  
「土産だぁ?」  
「ほい、これ」  
 無造作に差し出されたのは、一冊の本。表紙を見ると…俺の目的だった本じゃねえか。  
「土産と言うか、労働に対する報酬と言うか、まあそんな処さ。それを持っていけば、お  
前さんの顔も立つだろうし、多分暫くは仕事に困らんよ」  
 この女…そこまで判ってやってやがったのか。それにしても、労働だって?  
「お前さん、良く労働したじゃないかね。肉体労働」  
 〜〜〜〜〜〜〜〜!!  
 駄目だ。こいつには一生かかっても敵う気がしねえ。こりゃあ大人しく貰うもの貰って、  
引き下がって、二度とこの辺りには近寄らないのが懸命だ。  
「まあ、そんな嫌そうな顔しないで、また飯でもたかりにおいで」  
 …そこまで読まれてやがる。  
 
 
 でも、確かに飯は旨かったよな。酒も旨かった。  
 性格に大分難が有るとは言え、美人を見ながらの食事は、悪い気がしなかったし。  
 
 
「…名前」  
「うん?」  
「名前、教えろよ。長い腐れ縁になる気がするからな」  
 この時、俺がこんな気紛れを起こさなければ、もしかしたらそんな腐れ縁は続かなかっ  
たのかもしれない。かも知れないが、それでも訊かずにはいられなかった。それこそがも  
う、この魔女の思う壺だったのかもしれないが、今となっては確かめる術もない。  
「ふむ、この国では、麻倉美津里という名が、一番通りが良いかな。美津里と呼んどくれ」  
「俺は虎蔵、長谷川虎蔵だ」  
 
 
 
 
 それは、もうずっと昔。  
 まだ俺が、駆け出しのひよっこだった頃の話。  
 

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