前を行く一刀斎を小走りで追いかける。  
きゅ、とその袖を掴むと、眼鏡の向こうから、感情の読めない瞳がこちらを見遣って、  
少し困ったような色を浮かべた。  
 
新たな人生を選んだ一日目。  
旅立ちの日。  
特別な日であるはずなのに、いつもと何ら変わりなく空は暮れていく。  
朝から澄んで青かった雲散る空が、やがて見あげるたびに深みを増してゆき、  
今は橙にその色を染め替えている。  
 
「紗依、すぐに宿場町だ。今日は休む」  
「あ。はい」  
 
怖いはずが無いのに。彼は、それを本当のところで分かっていない。  
 
それなりの対価を支払った宿は、造りもしっかりしていたし、部屋の手入れも行き届いていた。  
湯を使わせてもらった後に部屋へと戻ると、仄かな灯りの中、二つ敷かれた布団の一つに、  
一刀斎がごろりと背を向けて横になっていた。  
とん、と後ろ手に戸を閉める。  
うぅん、気まずい。  
……怒ってる?  
 
「……一刀斎さん」  
「……何だ」  
「……一緒の部屋じゃ、いけないんですか?」  
「………」  
彼が部屋を分けようとしたのを、無理に一つにしてもらったのだ。  
……だって。今更、ではないか。  
 
一刀斎とは晴れて恋人同士になった。愛しく想っているし、想われている、と思う。  
だが、初姫の城で幾日か過ごす間もその一線を越えることはなかった。  
とすん、と隣の布団に腰を下ろした。  
拒絶するような背中を見ていると、なんだかひどく虚しくなってきた。  
同時に、己が淫乱にも思える。いや、そう思われているのではないかと心配になる。  
そういう関係になることに抵抗はない。考えればどきどきして、それで少し緊張する。  
その行為がどういうものなのか詳しくは知らないが、もっと深い関係になれるのならば、  
そんなに嬉しいことはない。  
何よりも、部屋を分けるなんて嫌だ。ずっと一緒にいたい。  
――それは、私がいやらしいということなのだろうか。  
 
「一刀斎さん……?」  
ひょっとして、眠ってしまったのだろうか。  
布団に手をついてにじり寄ると、  
「寄るな」  
一言のもとに拒絶された。  
ショックを受けて両手を握り締める。  
……朝は、あんなに熱の篭った目で見詰めてくれたのに。息も出来ないようなキスを交わしたのに。  
知らない間に嫌われて、しまったんだろうか?  
 
だが、その想像が頭の中で膨らむにつれて、胸に溢れていた不安が別のものに姿を変え始めていた。  
自棄のような、怒り。癇癪みたいなものかもしれない。  
キッとその背を見つめ、意を決して、更にその距離を詰めた。  
 
「……紗依。寝ろ」  
「嫌です」  
強く言い切ると、一刀斎が訝しげに上体を上に向けた。  
視線が合う。  
「……紗依?」  
強くその瞳を見据えたまま、ゆっくりと戸惑う彼の上に覆いかぶさった。  
普段の自分では、決してできないことだ。こんなことができてしまう今の自分が不思議だ。  
唇を鎖骨の下の胸の真ん中辺りに寄せる。冷やりとした感触。硬くて、優しいむき出しの肌の感触。  
ふわりと彼の香りを吸い込み、胸がいっぱいになる。  
幸せな気分でくらくらするくらいだったのに、勢い良くその肩に両手がかけられ、そのまま引き剥がされた。  
少しむっとして、拗ねてその眼鏡の奥の瞳を睨めつける。  
「…なにをするんですか」  
「いや……何って…っお主こそ」  
だが、焦る姿に少し心が躍る。  
「ふふ」  
悪戯に笑い、その首に巻きつける為に腕を伸ばした。  
浴衣で良かった、と思った。長い袖は重たくて抱きつきにくい。上に向かって腕を伸ばした為に、袖は肘まで下がる。  
白い腕が僅かな灯りの中で映える。  
思いのままに、のしかかるように抱きついた。腕に感じる、彼の体温。少し冷たいと思った。  
 
形の良い耳が色の薄い髪の隙間から見え隠れする。ふいにそこに口付けたくなった。  
欲のままに、髪越しに唇を、今度はそこに押し当てる。夜気に冷えた低温の髪は、熱くなった己の唇と彼の耳に挟まれて、  
すぐに温度を感じなくなった。そうして再び好きな香りに満たされた。嬉しい。  
 
が、ふと気付くと、一刀斎は先ほどから何も話さない。紗依の腕の中で、じっと身じろぎもしない。  
怪訝に思って少し身を離し、近くその顔を覗き込む。  
「……一刀斎さん?」  
一刀斎は、何かを堪えるようにじっと瞼を閉じていた。  
「……あの。一刀斎さん??」  
「………紗依は、馬鹿か」  
「はい???」  
「…………馬鹿だ」  
苛々と吐き出し、眼鏡の向こうで瞼が上がり、鋭い瞳が露わになった。  
と、同時に。  
「きゃっ?」  
頭を抱え込まれ、そのまま床に組み敷かれた。  
覆いかぶさる長身の影。灯りを背にしたその表情は、よく分からない。  
 
怖くはない。怖くはない、が……、  
なぜだか少しだけ身が強張った。  
「……一刀斎さん?」  
「……何も、しないつもりだったというのに……!」  
苦々しく吐き捨てる声。  
その声を聞けば、すぐに強張りは溶けるように消えた。  
くすり、と笑みを零す。  
「……一刀齋さん。何言ってるんですか」  
「……」  
戸惑うように唇が近づいてくる。  
 
ああそうか。なんだか、分かってしまった。  
彼は、触れていいのか、戸惑っている。  
おそらく、この身を…心を。気遣って。  
なんだかおかしい。キスも、抱擁も、今では当然のように交わしているのに。  
この時だけは、その口付けすら躊躇う彼がいる。  
いとおしかったから、その頬に手を添えて、受け止める意思を表示する。  
「……紗依」  
唇が重なる。吐息が混ざり合う。  
 
「私、一刀斎さんが、大好きなんです」  
長い長い口付けの後、とても近い距離で紗依が最初に発した言葉がそれだった。  
一刀斎は憮然と答える。  
「……知っている」  
「だから、嫌なんじゃないかとか、そういうことは、考えないで下さいね? 好きな人になら、  
怖いなんて思わない。……思うかもしれないけど、もっと大切な温かいものが、心の中にあるんです」  
「……だが、――傷付けるかもしれぬ」  
「つきません。一刀斎さんだもの」  
「拙者が、何か紗依を傷つけるようなことを、するかもしれぬ!」  
「大丈夫です。一刀斎さんが好きだもの」  
「紗依は分かっておらんのだ!」  
「分かってないんじゃない、考える必要がないだけです」  
「……紗依は」  
じっと見つめて、彼は探るように言った。  
「紗依は、拙者に、抱かれたいのか」  
かっと頬が熱くなった。答えられるような問いじゃない。  
だが。  
 
束の間うろうろと瞳を揺らし、迷った後に一刀斎の瞳を見つめ、  
「……一刀斎さんが、抱きたいと思ってくれるなら」  
「――そうか」  
瞬間、暗い中で一刀斎の瞳に灯りの炎の揺らめきが見えた。獣のようだと思う。  
見極めようとする間もなく、一刀斎の頭が首筋に落ちてくる。  
「ひゃっ……」  
浴衣の襟に手をかけ、鎖骨の上の首筋に唇が落とされる。ゆっくりと舐め上げられる。  
二度三度と往復する舌に再び体が竦む。何故だろう。  
何度も舌に濡らされた肌に、今度はその歯が立てられた。  
「ん……っ」  
痛くはなかったが、体が強張る。  
唇がゆっくりと下に向かって彷徨う。その間に右手が帯を解こうと動き、気付けば大きく前がはだけられている。  
帯は解き終わり、一刀斎はじっと視線をそらさずにその浴衣の前を開いた。  
思わず隠そうと手が動くのを、一刀斎の手で難なく防がれた。  
「い、一刀斎さん……やだ。灯り、灯りを消して下さい」  
「――駄目だ」  
一蹴する間も、彼の瞳は逸らされない。  
そして、右の乳房を長い手指で包まれた。冷たい。  
「んっ」  
神経がおかしくなったのかと思った。思わず胸に伸びた一刀斎の左腕を掴む。  
「い、いっとう、さいさん……っ」  
「……どうした」  
「な、何か、おかしい、やだ……っ」  
「……紗依が、馬鹿なのが悪い」  
怒ったように言った一刀斎は、紗依の体に馬乗りになって、更にもう片方の手も胸に伸ばす。  
両手で、強く胸を揉みしだかれた。  
 
「きゃ、あ、んん……っ」  
痛い。痛い。でもそれ以上に一刀斎の手が温かくて嫌だと思えない。必死に目を閉じて声を堪える。  
左の乳房に感じる右手の動きが変わった。ぐにぐにと肉を揉んでいた手が休み、ほっとする前にさらりとした感触を  
訝しく思って目を遣る。  
「い、一刀斎さん……っ?」  
頭がどうにかなるかと思う光景だった。  
一刀斎の唇が、ちょうど己の胸の頂を唇に含むところだった。さらりとした感触は彼の髪の毛だ。  
濡れた感触。舌、が、ぐりぐりと固くなった乳首を転がしている。  
同時に、胸に残った左手も、親指で乳首を強く潰している。  
「や、あ、あ……っ」  
必死に一刀斎の服を掴む。  
「いっとうさい、さ、へ、へんだよ、カラダが……っ」  
「……そうか」  
くすり、とその声が笑った。濡れた胸に感じる吐息。  
彼は口内で乳首を弄び続ける。舌で転がし、乳輪をなぞり、時折軽く歯を立てる。  
その度に悲鳴のような声を抑えられない。  
右手は紗依のからだを撫でて移動していた。くすぐったい。ぞわぞわする。  
手の平が脇を撫で、腹を撫でて降りていく。今更ながらその手が目指す先を実感して、再び緊張した。  
やがてその手は茂みへと到達し、太腿を割って秘所に辿り着いた。  
「きゃん……っ」  
「――紗依」  
一刀斎の肩にしがみつくと、一刀斎はしばし紗依を見つめ、すぐにまたその手を動かす。  
指が蠢き、紗依の襞を掻き分けた。  
「あ、やだやだやだ……っ」  
「――濡れている」  
 
笑いを含んだ声。頭が真っ白で何のことか分からなかったが、下腹部から響くくちゅくちゅと濡れた音は、  
やけに紗依の耳に鮮明に響いた。  
「一刀、さい、さ……は、恥ずかしいよう……」  
「……何がだ」  
「だって……ひゃっ!」  
突然、全身に電撃のような、これまでとは桁違いの感覚が走った。  
「……どうだ?紗依」  
吐息交じりの声がすぐそばで聞こえた。  
「ど、どうって、なにが……ぁ、あ、あっ!」  
ぐりぐりと何かを摘まれている、気がする。でもそれが何かは分からない。  
気付くと、一刀斎は、すぐ間近で紗依の顔を覗き込んで笑っていた。瞳には、やはり炎が揺れている。  
「溢れてきたぞ、紗依?」  
「やぁ、あん」  
いやいやと首をふる。こんな姿を見られたくない。近すぎる一刀斎の全てを見据える鋭い瞳を、久々に怖いと思った。  
「みな、見ないで……っやだよう」  
「なぜだ」  
「へん、わたし、変だから……っやだやだやだっ」  
「……変ではない」  
呟き、顔を紗依の耳元に伏せる。そして、聞こえるかどうかという声で囁いた。  
「変ではない。……いとおしい」  
体の中で、何かが膨れ上がった。激しすぎる快楽が、感情に後押しされる。目の前の肩にしがみつく。  
「い、とうさいさん……っ好き、あなたが、好き……!」  
「……そうか」  
 
言って一度紗依の首筋に吸い付き、その左手で己の着物の帯をくつろげた。  
「……紗依。 ――怖くは、ないな?」  
「うん、うん……っ」  
ぎゅ、と服を脱ぎ捨てたその肩を抱きしめる。  
一瞬の間が空き、やがて下半身から全身に響くような痛みと大きな質量を感じた。  
「あ、あぁ、あ……っ」  
「……っ」  
痛い。苦しい。痛い――。  
ああ。ああ、でも―――。  
目の前に、一刀斎がいる。じっと見つめてくれている。  
己の中に、一刀斎がいる―――  
それが、幸せだと思った。  
やがて一刀斎が押し進むのをやめた。全部、入ったらしい。  
「……紗依。辛いか」  
すこし、と瞳を見つめて照れ隠しのように笑って答える。  
苦しいし痛いが、動かなければ我慢できないほどではない。  
だが、そうか、と呟いた一刀斎が、ゆらりとその腰を引いてまた押し入れた。  
「んう……っ」  
呻く間にも、また一刀斎はゆらゆらと腰を引いては入れる。  
ゆっくりと。だが、その速度は徐々に速くなる。  
「あ、あ、あ、……っ」  
「――」  
一刀斎は何も言わない。  
無言でその腰を進めるだけだ。  
やがて紗依の内側は痛みが薄れて感覚が痺れてきた。  
ただ体の中を行き来する一刀斎の感覚だけが明瞭だった。  
「ん、んん……っあ、あ、あぁっ」  
それでも声は漏れる。聞こえるのは、一刀斎の息遣いと己の息遣い。  
それに、腰から響く、肉を打ち付ける音。  
やがて一刀斎がより強く紗依を抱き締め、打ち付ける腰の速さも上がった。  
 
「あ、あぁ……っ」  
「……くっ……」  
突然、一刀斎が肉棒を紗依から抜く感触があった。  
ぼんやりとそのまま何が起こったか分からずにいると、腹部に飛沫の感触。  
(あ、そっか……)  
避妊、という言葉が頭に浮かんだ。  
一刀斎がのしかかってくるのを受け止める。重みに手を伸ばして抱き締める。  
 
しばらくそうしていると、ふいに一刀斎が「怖かっただろう」と呟いた。  
表情は分からない。紗依の肩口に顔をうずめているからだ。  
「怖かっただろう。…嘘を言っても無駄だ。 『嫌だ』と言っていたろう」  
「それは、ちが」  
「……傷つけたか」  
「……違います」  
これは強くいわねば、と思い、ぎゅう、とその体を抱き締めて言った。  
「違います、一刀斎さん。 そりゃ、予想外なこともありましたし思った以上に痛かった  
けど、嫌じゃないし、傷ついてもいません」  
「……本当か」  
「本当です」  
言って、付け加える。もぞりと手を動かし、一刀斎の顔を手で包んで起こさせ、間近で見つめた。  
「私、今、すごく幸せですよ」  
微笑んで言う。信じてもらえるだろうか。  
「……そうか」  
ほっとしたような一刀斎の瞳。微笑んでいる。信じてもらえたようだ。  
安心する。  
確かに、初めて男性に体を預けるのは思った以上に緊張したし、体が本能的に怯えもした。  
だけど、自分が一刀斎を恐れるなんてことは、ないのだ。  
ほの暗い中で、再び肩に顔をうずめる一刀斎を受け止めながら、紗依はそんなことを考えていた。  
 
 

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