朝、あたしは目覚ましの鳴き声で目を覚ますと  
自分の脚が寝床の中で蜘蛛のものに変わっているのを発見した。  
いつもの事なのでもう驚く事でもない。  
下半身が蜘蛛になっているだけだ。  
もう一度目を閉じて心を落ち着かせるとすぐに人間の脚に戻った。  
あたしの名前は穂月湧。  
心はいたって普通の高校生だ。  
残念ながら体の方はごらんの通り普通というわけにはいかなかったけども。  
穂月家の血をひく女性はごくまれに蜘蛛女になるのだ。  
こんなこと言われても、ハア?と思うだろう。  
そりゃそうだ、あたしだってそう思うと思う。  
けどなっちゃったもんは仕方ない、嘘であって欲しいのはあたしの方だ。  
こんな話を聞いてすぐに納得した上  
喜ぶのはわたしの父さんみたいな変人だけだろうしね。  
まあ、ホント言うとわたしだって蜘蛛女の全てが嫌なわけじゃない。  
暗闇でも見えたり、すごく耳がよくなったりしたのは役に立つし  
色んな特殊能力だってけっこう便利なものだ。  
けど、それはいつでも自分の意志で変身できたらという条件付きの話。  
ちょっと言い方がおかしいかな?変身するのはいつだってなれるんだから。  
問題は戻れなくなる事なのだ。  
エッチな気分になると人間に戻れなくなる、というのが嫌なのだ。  
おかげで下着をはいて眠れないし(いつエッチな夢みるかわかんないからね)  
下手なこと考えるわけにはいかないし、恋愛だってできない。  
大好きな三条院先輩が卒業する時も告白できなかった。  
かといって諦める事もできなかったけど。  
普通の人間のままだったら付き合えたわけじゃないだろうけど  
少なくともアタックする事ぐらいはできたのに。  
そう思うと自分の体が恨めしくなるのも仕方ないと思わない?  
 
あたしの恨み言をさえぎるようにピンクのトリケラトプス型目覚ましが  
もう一回ギャオーっと鳴き出した。  
目覚ましを止めるとタンスから下着をとりだす。  
毎朝のこの作業のたびに自分が変態っぽくて嫌になる。  
あたしだって好きでノーパンじゃないんだからね。  
ぼやきながら下着を履き終わるとある事に気が付いた。  
今日は日曜日。その上、今日から連休だ。  
くっそー、なんか損した気分だ。  
目覚ましの設定をいつも通りにしていたあたしが悪いんだけどさ。  
あーあ、せっかく三条院先輩の夢見てたのに。  
 
…三条院先輩の通う体育大学の校門で待つあたし。  
(一回、見に行った事があるんだよね)  
そこに三条院先輩がさわやかな笑顔を見せながら走ってくる。  
『待ったかい?』  
『ううん、今来たとこ』  
ホントはずっと待ってたくせに夢の中でもいじらしいあたし。  
そして二人で並んで歩こうとすると、たくましい手があたしの肩に置かれて…  
 
おっと、いけないいけない、履いたばっかりのパンツ破いちゃうとこだった。  
はぁ、空想すら自由にできないなんて改めて自分の体がうらめしい。  
なんだか寝直す気にもなれないから、朝ご飯でも食べようと思って  
顔を洗ってリビングに行くと、なんとすでに父さんがいた。  
平日でもあたしが家を出る前に起きることなんて無いのに。  
「おはよう」  
「おお、おはよう」  
父さんはあたしをちらっと見るとまたすぐにテレビの方に向き直った。  
なんだろうと思ってテレビを見ると、気持ちの悪いぶよぶよの物体が映っていた。  
『未確認巨大物体が南米で発見!!その正体とは!?』  
という派手なテロップが踊り、どっちかというとテレビカメラの方に  
興味を持っている人々の間で、興奮したおじさんがリポートしていた。  
そういえばなんかニュースでやってたな。  
巨大なぶよぶよが南米の海岸に打ち上げられたとかなんとか。  
 
なんとなく父さんが早起きしている理由がわかってため息をついた。  
あたしが妖怪だとわかる前から妖怪はいると信じきっていたくらい  
父さんは妖怪大好きなんだけど、実はUMAとかも大好きなんだ。  
といっても、ネッシーはいる、とかいう風に思ってるんじゃなくて  
ネッシーももしかしたら妖怪かもしれんな、という風に思って好きなのだ。  
今テレビで特集されてるこの巨大ぶよぶよも  
UMAの死骸なんじゃないかって説があるらしい。  
それで父さんは早起きしてこの特集番組を見たかったんだろう。  
馬鹿馬鹿しくなってあたしはテレビから目を離した。  
食パンをオーブンにいれて冷蔵庫から牛乳を出す。  
朝ご飯の方が巨大ぶよぶよよりも大切だもんね。  
焼きあがったパンをかじりながらテレビを見ると  
画面はすでにスタジオの中へと切り替わっていた。  
何の漫画を書いてるのかわからない漫画家とか  
何の映画を撮ったのかわからない映画監督とか  
笑えないお笑いタレントとかが何かコメントしている。  
その下らないコメントを聞いてるとあたしはラウを思い出した。  
ラウってのは前に知り合った巨大な蛇のような胴体に触手がある  
心を読める優しい妖怪だ。  
あの見るからに怪物のような外見のラウを見たら  
この人達なんて言うんだろう?  
めちゃめちゃビックリするんだろうな。  
ラウはいい奴だからこんな奴らに紹介なんかできないけど  
このしたり顔で講釈をたれてる人達が驚く顔は面白いかもしんないな。  
ま、子供っぽい考えなのはあたしだってわかってるけどさ。  
 
そんな事考えてたらテレビの中のアシスタントの女の子が  
『未確認生物の死骸って話もあるんですよ〜』  
とのん気な口調で言った。  
するとコメンテーターの一人のおじさんが呆れたような声を出した。  
このサイズの生物が未確認だなんてどこに住んでいるのか、とか  
餌はなんなんだ、とか怒ったような口調でまくし立てている。  
そんなことアシスタントの女の子が知るわけないじゃん  
とテレビにツッコミそうになった。  
未確認生物って言ってるんだからわかるわけないのに。  
要するにこの人はUMAなどいない、  
と言いたいんだろうけど論点ややり方が思いっきりずれてるんだよね。  
父さんみたいな妖怪・オカルト大好きなのも困るけどこういう人も困っちゃう。  
あたしの存在を否定されてるみたいじゃない。  
実際、存在を信じられなくなったら妖怪は消えちゃうらしいし。  
ひとりで怒鳴ってるおじさんを無視して  
テレビはスポーツコーナーに変わった。  
あー、もう今のコーナー終わっちゃったんだ。  
しかも、あんな終わり方で。  
あたしは嫌な予感がして父さんの方をちらっと見たら  
やっぱり不機嫌な顔をしていた。  
そして予感は的中し、あたしはこの後たっぷりと  
父さんが思うUMA論というのを聞かされた。  
全くもってつまらない始まり方をした日曜日。  
そんな今日が人生最高の日曜日になるなんて  
この時は想像すらしていなかった。  
 
 
新幹線が駅を出た。  
次は新神戸。  
ようやく目的の地に着く。  
なんでこんな所にいるかって言うと  
霧香さんから一本の電話がかかってきたからだ。  
『人間にする妖術をもった妖怪がいる』  
そんな内容の電話だった。  
実は詳しく覚えていない。  
初めは霧香さんが何を言ってるのかわからなかった。  
わかったらもう、どこに行けばいいのか  
どうすればいいのか聞いていたと思う。  
危険かもしれないとか霧香さんは言ってたような気がするが気にしない。  
このまま、誰とも付き合えず蜘蛛女のまま一生を過ごすくらいなら  
多少の危険には目をつぶれる。  
新幹線代も痛かったがなんとかなった。  
今の時間から出かけたら帰ってこれないかも知れないけど  
幸いな事に学校は明日も休みだ。  
人間になったらどうしよう、とか本当になれるのかとか  
期待と不安で色々な事を考えてたら、新幹線が速度を緩め停車した。  
新神戸駅。  
新幹線から降りたあたしはまっすぐ改札口へ向かった。  
初めて来た所だが周りを観察している余裕なんて今のあたしには無い。  
スポーツバッグを担いで改札を出ると霧香さんを探した。  
周りを見渡してもどこにもいない。  
駅で待ってるって言ってたのに。  
キョロキョロしていると格好いい男の人がこっちに歩いてきた。  
どうしよう、あたしの方を見てるような気がする。  
気のせいじゃない、明らかにあたしを見ている。  
格好いい男の人がまっすぐに  
あたしを見ているという事に胸がドキドキし始めた。  
 
「失礼ですが穂月さんでしょうか?」  
もう少し遅かったらあたしはこんなとこで変身しちゃってたかもしれない。  
すごく丁寧な口調で話し掛けてきたその男の人はそれぐらい格好良かった。  
「あ、はい。そうです。あの霧香さんの・・・」  
しまった。声がうわずった。  
「はい、龍宮寺隆です。よろしくお願いします」  
そういって龍宮寺さんは頭を下げた。  
こんな挨拶をされた事が無かったあたしは  
どうしていいかわからなくてうろたえてしまった。  
差し出された手を慌てて握り返した。  
「お疲れのところ申し訳ありませんが早速案内させてもらいます。  
 少し歩きますが、いいですか?お疲れでしたらタクシーを使いますが」  
すごく丁寧な話し方だが気障っぽくはない。  
あたしよりちょっと年上ってぐらいなのに、なんかすごく『大人』って感じの人だ。  
「あ、だ、大丈夫です」  
返事をすると龍宮寺さんは遠慮する暇も与えずに  
あたしのバッグを持って歩き出したので  
慌てて龍宮寺さんの後をついていった。  
この格好いい人も妖怪なんだろうか?  
一体、何の妖怪なんだろう?  
あたしは妖怪と人間を見破る能力はない。  
龍宮寺さんの背中を眺めながら考えたが答えがでないので  
あたしを気遣って振り返ってくれた時に思い切って聞いてみた。  
「あの龍宮寺さんも・・・?」  
誰に聞かれているかわからないのでこんな言い方をした。  
「いえ、違います」  
すると龍宮寺さんは悲しそうな苦しそうな顔でこう言った。  
龍宮寺さんが嘘を言ってないとすれば、龍宮寺さんは真人間という事になる。  
あたしの頭の中を色んな疑問が駆け抜けていった。  
人間なのになぜ妖怪の仲間なのかも不思議だが  
それ以上にさっきの悲しそうな表情が不思議だった。  
 
レンガ作りのお洒落なアンティークショップの前につくと  
龍宮寺さんがここが神戸のネットワークの<かすみ>だと教えてくれた。  
店内に入ると爽やかな匂いが充満している。  
その匂いとは不釣合いに落ち着いた内装の店内に  
霧香さんと大樹さんと<かすみ>のマスターの和田夏樹さん  
(多分だけど龍宮寺さんから聞いていた通りの外見なので)がいた。  
「よく来てくれたわね」  
「霧香さん!あの、本当なんですか?人間に戻れるって」  
あたしは挨拶も忘れて霧香さんに駆け寄った。  
失礼だったと思うけど、この時のあたしはそれほど余裕がなかったのだ。  
だって、人間になれるかもしれないって聞いてきたんだもの。  
「正確にいうと人間の姿になる、という事なんだけど・・」  
霧香さんはそういって大樹さんの方を振り返った。  
大樹さんの話は長いので簡潔にまとめさせてもらうと  
「妖怪というのは妖怪の姿が本当で人間の姿は仮の姿。  
 だから、ただ妖術を封印されたら人間の姿になれなくなるけど  
 今度、出てきた奴は相手を人間の姿に固定して  
 妖術を使えなくする奴」なんだそうだ。  
そうなのだ。  
あたしは断固として認めたくなかったけど  
本当の姿は妖怪の方で人間の姿は仮の姿なのだ。  
だから、今まで人間になれなかったのだ。  
(人間が本当の姿なら霧香さんに映してもらえばいいもんね)  
この後も何か色々と霧香さん達は言ってた。  
あたしも聞こうとは努力したが耳に入ってこなかった。  
「人間の姿に固定される」ってなんて素敵な響きなんだろう。  
危険が無いわけじゃないとか、そんなものはどうだっていい。  
あたしはこれから人間の姿に固定される。  
その素晴らしい作戦にうっとりして店を出た。  
 
霧香さんの探知したその妖怪の居場所というのは  
神戸の繁華街だった。  
現場付近に来ると霧香さんは離れて観察すると言い  
あたし達から離れていった。  
そのせいで夜の繁華街で龍宮寺さんと二人きりだ。  
ここらへんで立ってたらそのうち向こうから来るというので  
あたし達は道の端っこで待っている事になった。  
本当にあたしは人間になれるんだろうか?  
店を出る時は有頂天になってたあたしだけど  
今になって不安になってきた。  
霧香さん達の話によると問題の妖怪はどうやら敵のようだし  
人間にするなんてあたしの望み通りの事をちゃんとしてくれるんだろうか?  
「大丈夫ですか?」  
声の方を向くと龍宮寺さんが優しい顔であたしを見つめていた。  
あたしの不安を読み取ったのだろうか?  
あたしが大丈夫だと言うと  
龍宮寺さんは微笑んで人の行き交う通りに顔を向けた。  
並んで立っているあたし達の前を腕を組んだ男女を通り過ぎた。  
カップルかあ、いいなぁと思ってみているとあたしはある事に気がついた。  
もしかしてあたし達もそういう風に見られてるんじゃない?  
その考えはあたしの顔を熱くし胸をドキドキさせた。  
三条院先輩に悪いような気がしたけど  
(付き合ってもいない人に悪いも何も無いって気もするけど)  
夜の繁華街で格好いい男の人と二人で何かを待ってるという  
ロマンチックといってもいい状況なんだからドキドキぐらいしてもいいよね。  
まあ、実際は妖怪を待ってるだけだから  
全然ロマンチックじゃないんだけどさ。  
いけない、いけない、こんな事かんがえてる場合じゃなかった。  
少し恥ずかしくなって隣に立っている龍宮寺さんをそっと見ると  
龍宮寺さんは真剣な顔で人の流れを見つめていた。  
 
端正な顔の龍宮寺さんはよく見ると少しやつれているようにも見える。  
あたしの視線に気付いていないみたいで真剣な顔して正面を向いている。  
その表情は少し怖いくらいだ。  
この人は一体どういう人なんだろう?  
妖怪ネット―ワークに出入りしてて霧香さん達とも知り合いで  
あたしが妖怪だってわかってるのに心配してくれる。  
どう考えても普通の人間とは思えないんだけど。  
「来た。こいつがそうだ」  
あたしは考え事をしていたので龍宮寺さんに言われるまで  
不審な人物の存在に気付かなかった。  
はっとして視線を移すと目の前に冴えないおじさんが立っていた。  
「こいつって・・この人がそうなんですか?」  
あたしはまさかと思って小声で聞き返した。  
妖怪が人間の時の見かけによらないのはわかってるけど  
こんな冴えない風貌のおじさんが  
本当にすごい能力を持った妖怪なのだろうか?  
ちょっと信じられない。  
だけど、あたしはこの妖怪に人間にしてもらう為  
わざわざ神戸までやってきたんだ。  
作戦通り人間にしてもらわないと。  
「あの、あたしを人間にしてもらえませんか?」  
あたしはおじさんに聞こえるようにゆっくりはっきりと出来るだけ丁寧にこう言った。  
しかし、おじさんの反応は意外なものだった。  
「君は人間じゃないか!何を言ってるんだ!」  
顔を真っ赤にして怒鳴ったのだ。  
いや怒られたのは別にいいけど「君は人間」ってどういう事だろう?  
あたしが妖怪だってわからないんだろうか?  
このおじさん、やっぱりただのおじさんじゃないの?  
だけど、ここまで来て人間になれなかったら大変だ。  
そう思ってもう一度同じ事を言おうとした時  
隣に立っていた龍宮寺さんが前に出た。  
 
「菜穂姉を元に戻せ」  
龍宮寺さんの声は静かだったが、ゾッとするほどの殺気が感じられた。  
あたしに向けて言ったんじゃないけど怖くて口を挟めない。  
「何の事だ?」  
「昨日の女の子だよ。  
 お前がやったんだろ?元に戻せ」  
今にも飛び掛りそうな様子で龍宮寺さんはおじさんに詰め寄った。  
暴力に打って出た時の相手の反応がわからないので禁止だと  
霧香さんから言われている。  
多分それは龍宮寺さんを心配して霧香さんは言ったんだと思う。  
龍宮寺さんもそれがわかっているから  
詰めよってはいるが掴みかからないのだろう。  
だけどこのままじゃ時間の問題だ。  
「昨日の娘なら初めから人間だったじゃないか。  
 私はなにもしとらん!」  
おじさんがこう言った時、あたしは龍宮寺さんに飛び掛ろうと身構えた。  
おじさんの喋り方があまりにもむかつく言い方だったので  
龍宮寺さんがキレると思ったからだ。  
だけど、龍宮寺さんは何もしなかった。  
いや、しようとしたが出来なかったのかもしれない。  
おじさんはさっきの言葉を捨て台詞に走って逃げたのだ。  
あっという間に人込みにまぎれてしまい、もうどこにいるかわからない。  
その逃げ足の速さに呆気にとられていると龍宮寺さんが振り返った。  
龍宮寺さんが穏やかな表情に戻っていたのであたしはほっとした。  
「大丈夫ですか?何か変わりましたか?」  
そう言われてハッとなった。  
あたしは何か変わったのだろうか?  
何かされたようには思えなかったが  
もしかすると今の間に術をかけてきた可能性もある。  
ここで変身する訳にはいかないのであたしは試しに能力を使ってみた。  
 
あたしはこの瞬間をきっと一生忘れないだろう。  
蜘蛛女に変身した時を忘れないように。  
聞こえないのだ。  
通行人の会話が聞こえない。  
何を当たり前の事をと思うかも知れない。  
だけどあたしはその当たり前を求めてきたのだ。  
耳を澄ましても通行人の会話が雑音にしか聞こえない。  
それが普通の人間の聴力なのだ。  
これだけじゃ間違いかも知れないのであたしは指先に力を入れた。  
地面に向かって指を振る。  
何も出ない。  
糸が出ない。  
きっと周りの人から見たら変な女の子だっただろう。  
にたにた笑いながらずっと地面に向かって手招きをしていたのだから。  
でもいいのだ。  
変な女の子でいい。  
まともな蜘蛛女よりずっと良い。  
この時は心の底からそう思った。  

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