「はい、ありがとう。  
 …菜穂ちゃん家にいたそうよ」  
受話器を置いた夏樹の言葉に隆は少し安堵した。  
これで菜穂が出て行っていたら  
隆は自分を呪い殺していたかもしれない。  
隆は飛び出した後、<かすみ>に来ていた。  
菜穂が心配だが合わせる顔も無い、  
そうなれば自然とここに来るしかなかった。  
夏樹は一度だけ何があったのか聞いてきたが  
隆が答えないとわかるとそれ以上は問わずハーブティーを出してくれた。  
三衣からの電話に少し落ち着いた隆が  
冷め切ったハーブティーを一気に飲み干した。  
「何があったのか教えてくれない?  
 菜穂ちゃんが倒れた経緯だけでいいから」  
夏樹の笑顔が隆には温かかった。  
いつも人を安心させるような笑顔を浮かべている人だが  
それが今日はことさらに強く感じた。  
それは夏樹の妖力ではない。  
だがなによりも高い能力である。  
夏樹の優しい口調にうながされ隆が事件のあらましを話し出した。  
結局、隆は自分が菜穂にした事は言えなかった。  
隆が話し終えると夏樹は神妙な顔で頷き考え込んでしまった。  
あの男が菜穂に何かしたのは明白である。  
それはわかっているが、(治るとすればだが)菜穂の治療法や  
その男に対する調査方法など問題は多い。  
なにしろ、菜穂がいつ何をされたのかもわからないのだ。  
夏樹がしばらく考え込んでいると隆が一つの提案をした。  
隆の提案を聞いた夏樹は少しだけ考えて微笑んだ。  
 
 
霧香と大樹が<かすみ>に着いたのは次の日の午前だった。  
隆が駅まで迎えに来たのだが、助けを求めた理由を聞いても  
『今の自分には筋道をたてて話せないから夏樹さんに聞いてくれ』  
というような事しか話さない。  
それが霧香と大樹にはますます大事件を思わせた。  
「何があったの?」  
<かすみ>のカウンター席に腰を下ろすとさっそく霧香が尋ねた。  
他の妖怪ネットワークに助けを求めるなど相当な事だ。  
さらに隆の様子だと大事件のように思われる。  
しかし、夏樹は焦った様子もなくコーヒーをいれながら説明をした。  
夏樹が事件のあらましを簡単に説明すると少しだけ二人とも考え込んだ。  
「菜穂ちゃんはどうなったの?本当に人間に?」  
妖怪を人間にする能力など聞いた事も無い。  
本当に人間にする能力があればこれは妖怪全体にとって大事件である。  
「三衣ちゃんによるとかなり微弱だけど妖気はあるみたい。  
 人間になったんじゃなくて  
 人間の姿に封印されたって言った方がいいかもね」  
夏樹が霧香の疑問に答えると二人はうなずいた。  
どうやら得心がいったらしい。  
「人間の姿をとっていた、というのが謎ですね。  
 人前で目立った行動をとった事など、どうも行動が幼いというか  
 まだ自由意志を獲得していないように思うんですよね」  
黙って話を聞いていた大樹が喋りだした。  
妖怪というのは存在を信じられたら生まれてくるのだが  
生まれたての頃は制約に縛られている。  
例えば河童なら相撲をしたがったり、いたずら者だったりと  
信じられた通りの決まった行動をとる。  
長く生きていくうちに自分の意志で行動できるようになり  
それからようやく人間の姿をとれるようになるのだ。  
生まれたてで人間の姿をしている場合は、くちさけ女のように  
人間の姿である事が最初から条件に含まれているような場合のみだ。  
 
事件のあらましを夏樹から聞くと、  
霧香はやつれた様子の隆に声をかけた。  
「心配なのはわかるけど、隆君が責任感じることじゃないと思うわ」  
霧香の慰めの言葉に隆は顔を苦しそうに歪ませた。  
「いえ、僕は守れなかっただけじゃなくて・・」  
うめくようにつぶやく隆に霧香がもう一度慰めの言葉をかける。  
霧香は隆の事を気に入っていた。  
品のいい立ち振る舞いも、端正な外見も多少は関係しているだろうが  
なによりも妖怪を特別視しないところが素晴らしいと思っている。  
妖怪の体は強い、だが精神は人間とそうは変わらない。  
妖怪の存在を知っている人間ですら少ないのに  
そこまで理解してくれている人間など滅多にはいない。  
真剣に心配されている菜穂が少しだけ羨ましい。  
大妖怪とはいえ、そう思ってしまう辺りが霧香も女性である。  
「まあ、当然人間に憑依するタイプの可能性もあります。  
 むしろ、そっちの方だと考えた方が自然でしょうね」  
すぐに話の続きをし始めたのは大樹なりの優しさだろう。  
場が無言である事が、大樹の説に反論が無い事を示している。  
「それで、わざわざ私を指名したって事は夏樹には何か考えがあったんでしょう?  
 教えてもらえるかしら」  
間が空いて霧香が夏樹に話を振った。  
「いえ、僕が夏樹さんにお願いしたんです。  
 霧香さんなら近づかないで  
 妖怪の位置を特定できると教えてもらいましたから」  
”雲外鏡”の霧香の探知能力は  
関東圏でも匹敵するものがいないとまで言われている。  
あるていどの目星がついている妖怪一匹簡単な物だろう。  
「居場所がわかったからってどうするつもり?」  
霧香が隆に顔を向けた。  
 
「もちろん菜穂姉を元に戻させます」  
菜穂を妖怪に戻す、それから自分の思いを伝える。  
隆には他に贖罪の仕方を思いつかなかった。  
「それは危険だよ。  
 前回は無事だったかも知れないけど今回もそうとは・・」  
「大丈夫ですよ」  
丁寧な話し方は変わらないが、隆の声の調子は強い。  
「隆君が行ったところで、その妖怪が菜穂ちゃんを元に戻すと思う?」  
穏やかに霧香が反論する。  
だが、隆も引き下がらない。  
「おとなしく従うとは思いません。  
 でも、もう一度会えばあいつの正体がわかるかも知れません  
 そうすれば治す手立てやあいつの倒し方がわかるかもしれない」  
自分が冷静でないのは隆自身もわかっていた。  
会ったからどうなるのだ、と思う。  
こうは言ったが隆が一人で行って  
有効な情報を集められるなど希望的観測にすぎない。  
無事で帰ってこられるという保証もない。  
あれだけがあの妖怪の力とは限らないのだ。  
しかし、それでも菜穂が涙を流していた光景が目に焼き付いている。  
隆を見つめる霧香の瞳が鋭く光った。  
「隆君、菜穂ちゃんはあなたを守る為にいるのよ。  
 自分のせいであなたが危険な目に会えば、きっと悲しむわ」  
全てを射抜くような霧香の眼光に晒されても、隆はひるまなかった。  
 
「オレがここにいれるのは菜穂姉のおかげです。  
 それなのにオレは菜穂姉を傷つけてしまった。  
 ずっと菜穂姉に守られ続けていたくせに  
 菜穂姉が倒れた時に助けるどころか傷つけて何もしないんじゃ  
 オレここに来る資格ないじゃないですか!  
 守られる資格も、一緒にいる資格も無い!  
 ただ、龍宮寺家の人間だから守られていただけのくせにオレは…」  
隆はうなだれて口を閉ざした。  
隆はずっとその思いを抱いていた。  
自分は菜穂のおまけでここに来れている、  
その思いは菜穂への好意が強くなるごとに負い目となる。  
自分と菜穂が”違う”という事を意識させられる。  
自分が何をしたわけでもない  
運が良かっただけの無力な人間だと思い知らされる。  
「・・・夏樹、電話を貸してちょうだい」  
電話を受け取ると霧香は穏やかに言葉を続けた。  
「今から一人、仲間を呼ぶわ。  
 協力してくれるかはわからないけど  
 そのコがこっちに来てくれるならどうにかなるかも知れない」  
霧香の言葉は隆に協力することを表していた。  
たとえ悪い妖怪でも同胞と戦ったりする事を霧香は好まない。  
隆はその事を知っていただけに  
自分に協力してくれるという事が嬉しかった。  
 
 
新神戸駅。  
隆は一人で霧香が呼んだという助っ人を待っていた。  
大樹は全国の妖怪ネットワークから情報を収集しようと  
<かすみ>の事務室のパソコンにかじりついている。  
霧香は今ごろあの妖怪の居場所を探知している事だろう。  
目的の人物が現れてもわからないかもしれない、と  
隆は一抹の不安を覚えていたがそれは杞憂に終わった。  
改札口手前あたりからキョロキョロとしている仕草で  
すぐに目的の人物はわかった。  
「失礼ですが穂月さんでしょうか」  
改札口を出るのを待って隆が失礼の無いように声をかけると  
高校生ぐらいの女の子が緊張した面持ちでうなずいた。  
黒髪のショートで化粧っ気のない、純朴そうな可愛らしい少女だ。  
普通の女子高生にしか見えないが彼女も妖怪である。  
「あ、はい。そうです。あの霧香さんの・・」  
霧香が直接来ると思っていたのか、  
助っ人の女の子は戸惑った様子をみせた。  
「はい、龍宮寺隆です。よろしくお願いします」  
「は、はい。こちらこそ。穂月湧です」  
隆が握手を求め名を名乗ると湧は慌てて隆の手を握った。  
「お疲れのところ申し訳ありませんが早速案内させてもらいます。  
 少し歩きますが、いいですか?お疲れならタクシーを使いますが」  
湧の持っていたバッグを手にもち、返事を聞いて歩き出す。  
隆も少女の足にあわせようと思うのだが、どうしても気持ちがはやる。  
意識的に歩く速度を調節していると湧が質問してきた。  
「あの龍宮寺さんも・・?」  
歩きながらとはいえ誰が聞いているかわからないので抽象的な質問になる。  
続く言葉は「妖怪なんですか?」だろう。  
「いえ、違います」  
複雑な思いが胸中を駆け抜け隆の顔に映し出されていた。  
 
今日は人払いの結界にひっかからず<かすみ>に到着した。  
ここの結界は強力すぎて常連である隆ですら  
気付かずに通り過ぎることがあるのだ。  
「よく来てくれたわね」  
店内に入ると東京からやって来た湧を霧香がねぎらう。  
「霧香さん!あの、本当なんですか?人間に戻れるって」  
店に入った途端、勢い込んで話し掛ける湧に  
霧香が席に座るようにうながすと夏樹がティーオーレを湧の前に置いた。  
「正確にいうと人間の姿になる、という事なんだけど・・」  
霧香の視線をうけると大樹が立ち上がりはりきって話し出した。  
「それではこれまでにわかった事を説明します。  
 まずですね、これは今さら説明するまでもありませんが  
 僕達は人間の姿に変身しているのであって  
 妖怪に変身するわけではありません。  
 だから、今回現れた妖怪はただ妖力を封印するだけではないのです。  
 それなら変身能力も封印されて人間の姿になれなくなりますからね。  
 こいつの特異性はここにあります。  
 人間の姿に強制的に固定して妖力のほとんどを使えなくする。  
 この特異性が正体をさぐる大きな手がかりになると思います」  
大樹はここまで一気に言うと用意してもらっていたカフェオレをガブリと飲んだ。  
「まだあるけど、わかっているのは大体こんなところね。  
 他のネットワークも心当たりが無いらしいし、正体はいまだにわからない」  
大樹の言葉を霧香が継いだ。  
身を乗り出して聞いている湧に霧香の視線が移る。  
「この妖怪の力を使えば人間の姿に固定されるわけだから  
 特定の状況になっても変身が解けるという事は無いでしょう。  
 それは湧ちゃんが望んでいた事だと思うのだけど」  
湧の顔はきらきらと輝き、霧香の言葉にうんうんと大きくうなずいている。  
すでに椅子から立ち上がり、話が終わるのを待ち構えている様子である。  
湧の協力も無事にとりつけ、作戦は決行された。  
 
 
「お疲れ様」  
予定していた行動を終え<かすみ>に帰って来た隆を夏樹達がねぎらう。  
席に座るのも待たずに大樹が話し掛けてきた。  
「さっそくだけどいいかな?聞きたい事があるんだ」  
正体不明の妖怪に湧を襲わせる作戦はほぼ予定通りに行われた。  
隆が菜穂の事で多少感情的になった面もあったものの  
特に支障もなく無事、湧は人間の姿に固定された。  
この作戦が成功か失敗かはまだわからない。  
これにより集められた情報であの妖怪の正体が判明し  
菜穂を元に戻す方法がわかったら成功といえるだろう。  
体力まで妖力に含まれていた菜穂と違い  
人間時は妖力がほとんどない湧は封印されても平気そうだったが  
浮かれているから体調が悪くなった事に気付いてないだけという事もある。  
それに今日はもう遅いという事もあり、隆は湧を自分の家に連れて行った。  
今なら、母親もいないし三衣もいる。  
広さには困っていないので寝る所ぐらいあるだろう。  
「・・・なるほど」  
作戦の結果を報告すると大樹がうなずいた。  
その姿はどこか嬉しそうですらある。  
”そろばん小僧”の大樹は妖力はほとんど無いが  
多くの知識と情報を持った妖怪である。  
こういった情報から相手の正体を探るような作業が楽しいのだろう。  
大樹は隆から話を聞き終わると情報をまとめると言って二階の事務室に向かった。  
戻ってきたのは、三十分ほどしてからである。  
「何かわかった、大樹君?」  
霧香が声をかけると大樹は満足そうな顔でうなずいた。  
「ええ、大体見当はつきました。  
 ちょっと信じられないような気もしますがこれしかないと思います」  
もったいつけたような言い回しをして大樹はカフェオレを飲んだ。  
これからたっぷりと話すつもりなので喉を潤したのだ。  
 
「まず、あいつは確かに幼い妖怪ですが  
 あの封印する能力だけは相当に高いと判明しました。  
 霧香さんが跳ね返すという作戦は止めた方がいいと思われます。  
 跳ね返す能力すら封じれる可能性は高いでしょう」  
これは実際妖術を使う瞬間を霧香が見ていて判明した事だ。  
「それから、憑依型ではなく人間の姿をした妖怪であること。  
 これは霧香さんが直接見て見破った事なので確定です。  
 そして、妖気を感知する能力は極めて弱い。  
 どうやら目の前にいるものを妖怪かどうか区別できるというだけのようです。  
 離れた所にいた霧香さんに全く反応しませんでしたから。  
 また隆君が怒った時、反論めいた事を言ったところから  
 強迫行動段階だとしても知性は高いと思われます」  
湧を襲わせるという作戦中に隆が菜穂の事で怒ったとき反論してきたのだ。  
ある程度の自我が芽生えているのか  
生まれる初期条件に知性の高さが含まれている可能性が高い。  
「さらに発言の内容も興味深い。  
 あいつはどうやら妖怪を人間にしているつもりのようです。  
 そのくせに、湧ちゃんが『人間にして下さい』と言った時  
 『初めから人間だろう』と怒ってきたという矛盾。  
 そして人ごみが好きで、  
 ずっと人の流れに沿って動いているくせに目立つと逃げる」  
そこまで一気に言うと大樹はメガネの位置を修正した。  
「あいつの正体はずばり、”絶対いるわけない”です!」  
大樹が言葉を区切った為に一瞬だけ静かになる。  
「・・・なんですか、それ?」  
隆の質問に答えるかのように夏樹が口を開く。  
「もうちょっと詳しく説明してくれない?  
 妖怪とかを信じない人の思いが作った妖怪って事?」  
夏樹の問いに大樹は大きくうなずいた。  
 
「妖怪などの存在を否定する人達の中でも科学的に検証して  
 「いない」「ない」という結論に達する人は関係ないんです。  
 そういう人達は周りがなんと言おうといない事は  
 自分がよくわかっているという状態になるから  
 すっきりしちゃって、妖怪を生み出すほどの思いは出てきません。  
 問題は、”とにかく何が何でもいないったらいない!”という人です。  
 科学的検証というのを自分でやれるほど能力も時間もないが  
 常識的に考えて”いない”に決まっている、と言う人達は結構います。  
 その人達は”いない”事にするのに都合の良いデータだけを見たり  
 学者さんやらの意見を鵜呑みにしただけの話で”いない”と言い張る。  
 そんな否定の仕方じゃ自分でもすっきりしないから  
 いつまでも肯定派と論争を続けてしまいます。  
 そういう人達の  
 ”とにかくいないったらいないんだ。そんな事もわからん奴は馬鹿だ”  
 という鬱屈した思いが、こいつを生んだんだと思います」  
熱弁を終え、大樹は満足げな表情で聴衆を見渡した。  
「妖怪の存在を否定する心が妖怪を生んだって事ですか?」  
そんな矛盾した事が起こるのかと隆は驚いた。  
「僕も信じられなかったけど、恐らくこの結論で間違いないよ」  
大樹が得意そうに答える。  
「人間の姿をしているのはなぜかしら?」  
黙って聞いていた霧香が静かに口を開いた。  
「妖怪を否定している以上、あいつは自分を人間と思っているはずです。  
 だからですよ。人間型じゃなければ自分を人間と思い込めないじゃないですか」  
大樹の説をそれぞれ検討しているのだろう、静かになった。  
「なるほどね。さすが大樹君」  
納得した様子で霧香が大樹を褒めた。  
「…という事は自分が妖怪だと気付いたらあいつはどうなるんですか」  
隆が当然の疑問を口にする。  
しかし、その問いには誰も答えなかった。  
 

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