『アドル・クリスティンの冒険日誌   第33冊 −剣(つるぎ)− 』  
 
その男、クリス・ノビルという旅人は、何気なく付け始めた日誌を今日も付けていた。  
それは、後の『アドル・クリスティンの冒険日誌』 の原本となる日誌である。  
第31冊にあたる、アドル・クリスティンという人物の人生最後の冒険譚と設定した 『神の山』  
そして、エウロペに帰りかかった時、テグリス川下降で出会った巨大石橋構築運動  
後の第32冊になる 『石の大橋』 について、その草稿をまとめているのだった。  
おそらく、東方見聞禄編は、壮大な物語になるであろう。  
『砂漠の女』、『水龍の涙』、『神の巫女』、『象に乗る皇帝』、『神の山』、『天使の山荘』、『石の大橋』  
それら、一編一編が、彼の心に残り続ける素晴らしいものになるのだ。  
このエウロペでは見いだせなかった異世界の感動を、どう伝えることができるだろうか?  
今は、それに、ただ頭を悩ませるばかりだった。  
チョモリーマ山の吹雪の中で、彼女に……、女神フィーナに出会えた幻想は、  
それ自身が、クリスの心を柔らかくさせた。だが、どうしてだろう?  
エウロペに帰る途中に、大天使長レビルギールと悪魔シュナーゼと共に山荘で過ごした日々、  
そしててテグリス川の流れの1つ、レイン川に石の大橋を造り始めたイーベルンに出会い  
語り合った日々が、それ以上に、クリスの心を奮わせていた。  
『僕はこの橋の完成を見ることはないでしょうけれど、それでも石を積み続けます……』  
『どうして?』  
『だって、これを作り続けていれば、僕たちの子供はそれを使うことができるのですもの……』  
『……………』  
『そんな未来を想像して、僕は石を積んでいるんです。それって素敵な事じゃありませんか?』  
あの時のイーベルンの微笑みが、どうしてだろうか? 脳裏から離れない……。  
 
 
「しかし、ケネス皇帝には、どう報告したもんかねぇ……」  
そう言って、クリスは頭をかいた。  
東方見聞の旅に出奔させられて、もう8年も経つ。  
8年前、ガルマン民族とのロムン帝国の武力衝突を調停する任に尽き、それに失敗して以来……  
その贖罪として、冒険者の本分に戻り、ロムン帝国が見聞を欲した東方見聞の任に付いたわけなのだが…  
キャラバンが砂嵐に遭って、クリスだけが運良く生き残ったのだ。  
「生きて帰りました」 と、帝都に顔を出せば、きっと驚愕されるに違いない。  
8年も前の事である。 なかなか、気まずいモノでもあった。  
いっそこのまま、素知らぬ顔でクリス・ノビルとしてエウロペを漫遊するのもいいかもしれない…  
そんな事すら考えてみた。 だいたい、皇帝お付きの宮廷冒険者なんて役職に  
付いていること事態が気にくわない。 自由に歩くから冒険は楽しいのだ。   
拘束されてどうしようというのか? そう考えて頭をかく。  
「しかし、では、貴様のその荷袋の中にある、力の核の欠片はどうするというのだ?」  
その時、一人で薪で暖を取っていたクリスの前に、突然、男が現れた。  
その男は、錫杖と黒衣のローブを纏い、ただ睨むようにクリスを見つめている。  
「!! 貴様っ!! ギルフェニアッ!!!」  
クリスは目の前に、東方までその命を追ってきた宿敵の魔導師ギルフェニアを見つけた。  
先の旅で天使レビルギールの山荘で  
ある程度の和解をしたとはいえ、8年前にガルマン調停を失敗させた張本人なのだ。   
クリスは眉間に皺を寄せるしかなかった。  
 
「貴様とは、暫く休戦を誓っている……、こんな所だ……  
 やり合うつもりはない…… 剣をおさめろ……アドル・クリスティン……」  
その男、ギルフェニアと呼ばれた魔導師は錫杖を握りしめて、薄く笑ってそう言った。  
クリスはその言葉で釘を刺され、腰の鞘に手をかけたのを、ひとまず解く。  
「何の用だ? わざわざ世間話をしに来たわけでもあるまい?」  
そう言って、クリスはギルフェニアを睨んだ。  
「そう怖い顔をするな……、お前がロクでも無いことを考えていそうだから、  
 こうやって釘を刺しに来ただけだ……、天使長の言葉は覚えているだろう?   
 お前の持つ、東方で打ち倒した魔王達の力の核………、その結晶を封印しなければ  
 やがて、その石はもう一度力を蓄え、力の魔王達を復活させると………」  
ギルフェニアはそう言って、また、薄く笑うしかなかった。  
「……………」  
クリスは、大天使長に言われた言葉を思いだして、そして項垂れた。  
「人の心の中にすくろう悪意(ダーム)こそが、核結晶に力を与える源なのだ……  
 そんなもの、どうにもならん………、ならば天使長の言うとおりに、術式を用いて封印せねばなるまい?」  
そう言ってギルフェニアは、ただ、乾いた笑いを漏らすしかなかった。  
その笑いが勘に触るクリス。  
「8年前に…その力の魔王の一人、ゼルエルディの封印を解いて、私を邪魔した男の言葉とも思えないが?」  
クリスはそう言って、この旅に出るきっかけとなった、調停失敗の事件を思いだした。  
あの時、調停の妨害に力の魔王をこの男にけしかけられなければ、  
無用な血を流さなくても良かったのだと思えば…  
ギルフェニアもあの時の事を思いだして、そして笑う。  
 
「8年前の失敗や、東方までお前に付き合って、何度も力の魔王との契約に失敗して懲りたよ……  
 アイツらは駄目だ……、脳味噌まで筋肉で、できている…………  
 力と破壊の衝動、人の心の中にすくろう悪意(ダーム)の顕現………  
 そんなものを制御しようと、試みたのが愚かだったのさ……   
 古代エルディーン王朝も、それで滅んだというのにな………」  
そう言ってギルフェニアは少し哀しそうに笑った。  
「?」  
クリスは、ギルフェニアの不思議な言葉に、じっとその男の瞳を見つめてみる。  
「ま、世間話はどうでもいい。話したいのは段取りだ……。   
 封印の術式は契約通り私が行おう……  
 だが、封印のための台座と、その術式に使われる大きな土地が必要だ……  
 人手も………、そんなモノを手に入れようとしたら、ロムン皇帝のケネスにでも頼らねば  
 どうにもなるまい?」  
「………………」  
「お前は、ケネスとその交渉をしろ。 台座と土地さえ確保すれば、私の弟子を総動員してでも  
 封印の大地を作ってやる……… このレビルギールから預かった『Feena』の術式の導書があれば  
 人間の力でも、魔王を封じ込める方陣を作ることもできようて………」  
「………………」  
ギルフェニアはそう言って、レビルギールから預かっている魔導書を手に取りだした。  
魔を封じる為の、全ての技法『Feena』 それが彼女の名前と同じだとは皮肉なことだとクリスは思った。  
「そうそう……、話ついでに、もう一つ面白い事を教えてやろう………」  
「?」  
 
「魔導を契約するときに、力の魔王の名を用いて、魔法を具現化するのだが……  
 この前、中級魔物を召還した時にな……、『剣の魔王が赤毛の剣士に興味を持っている』  
 という、話を耳にしたのだ………」  
ギルフェニアは錫杖を握りしめて、そう言った。  
「剣の魔王?」  
クリスは、その初めて聞く名に、驚きを隠せない。  
「古代の歴史の中では有名な存在だぞ……天界の剣の神ヴェルヘイムに対を成す存在として  
 暗黒の魔剣使い、フェイルという魔王が居るという話は…………」  
「剣の魔王……フェイル………」  
クリスは、その名を口にして眉をひそめる。  
「剣の流派にディルフェイルという流派があるだろう?」  
「ああ、そういえば昔、何度かそんな流派に勧誘された事があったな………」  
クリスは8年以上も前の事を思いだして、不意に笑った。  
「その流派は、古代に剣神ヴェルヘルムが伝承した剣の流派らしくてな、『フェイルに抗する者達』  
 という意味で、『ディル・フェイル』という名だそうだ……。 その流派の剣聖ともなると、  
 フェイル自身が分身を使って、手合わせをしに来るとかなんとか………」  
「………………物騒な話だな………」  
クリスはギルフェニアの不穏な話を前にして、破顔するしかなかった。  
「………そんな流派に入らなくって良かったよ………。   
 一流の剣士と見込んで流派の伝承を継承して頂きたいとか、好き放題、言っていたが………」  
 
その時、クリスは違和感を覚えた。  
「何………そのフェイルが、俺を狙っていると?」  
ギルフェニアの言葉に、ハッと重要な事に気付いて、クリスは青ざめる。  
「ま、神剣フレイムブレイドと神剣クレリアの剣を用いて、  
 世界に封じられる力の魔王を打ち倒し続けた男だからな………お前は………  
 剣聖なんかよりも、面白そうな相手だと思うがな……俺から考えても………」  
そう言ってギルフェニアはニヤニヤと嫌らしい笑いをクリスに送る。  
「じゃぁ、今にもその剣の魔王が俺を襲うかもしれないって事かっ!?」  
バッと、体を開いてギルフェニアに不穏な事を問いかけるクリス。  
「というわけで、紹介はしてやったので、心の準備は出来たろう? アドル・クリスティン……」  
そう言って、ギルフェニアは錫杖を握りしめて、怪しい笑みを浮かべた。  
「何!?」  
ギルフェニアの悪戯っぽい笑みを見つけて、嫌な予感を沸き立たせるクリス。  
『紹介を済ませてくれたようだな……人間の魔導師よ……』  
その時、ギルフェニアよりも更に深い闇の黒衣を来た、長身の男がその場に突如として現れた。  
「剣の魔王よ、契約は絶対だぞ………、ソード・オブ・ダンスの魔導書を……」  
ギルフェニアはそう言って、その黒衣の男の前に手を出す。  
『他の頭の回らない力の王達と一緒にするな…、私は契約は守る主義だ……ほれ……』  
そう言った後に、その黒衣の男はギルフェニアに向かって本を投げつけた。  
「てめぇっ!!!ギルフェニアッ!! 魔導書と引き替えに俺を売ったなっ!!!!!」  
クリスは、ようやく事の次第を理解して、口をポカンと開けるしかなかった。  
「俺は、長年のライバルの力を信じているだけさ……、こんな事程度でくたばるお前じゃあるまい?」  
そう言って手をヒラヒラと振って、ギルフェニアはテレポートのマギを詠唱し始めた。  
「ギルフェニアァァァァッッッ!!!」  
クリスは絶叫したが、その前に黒衣の男が手から暗黒の剣を生み出し、猛然と立ちはだかった。  
 
『ハジメマシテ、アドル・クリスティン……我は剣の極み フェイル…   
 汝が、地獄(アビス)の世界でも、有名な剣士と噂されているのでね……  
 手合いを申し込みに来た……いざ尋常に勝負を申し込む……』  
そう言ってその黒衣の人間の様な物体は、禍々しい魔力のオーラで剣の様なモノを形作っていた。  
「え、えーっと、人……、違いじゃないですかね?   
 私は、クリス・ノビルって、ケチで、うだつの上がらない貧乏冒険者ですよ……」  
そう言ってクリスは引きつった笑いを浮かべながら、ポンッと頭を叩いてみる。  
『私は……冗談が嫌いな質だ……』  
フェイルはクリスの苦し紛れの言葉に、ハッと笑いを浮かべて、そのままクリスに飛びかかった。  
魔力で作り上げた剣が、クリスの胴を薙ぐように切り払われる。  
クリスは、とっさに後ろに飛び下がって、その必殺の一撃を交わした。  
「いきなり斬りかかるとは、無茶苦茶だなっ!!アンタッ!!   
 剣も握ってない相手に、襲いかかるのが剣の極みのする事なのかよっ!」  
転がるように、後ずさって間合いを取りながら、クリスは喚いた。  
そんなクリスの喚きに、フェイルはフフフと不敵な笑みを漏らすしかない。  
『魔の王の族の者と対峙して、恐れもせずに皮肉を返すとは、なかなか度胸の据わった男だな…』  
フェイルはそう言って、剣をクリスの前に差し出して狙いを定める。  
「ハッ、生憎、今までの人生で、魔王とかいう言葉と相手に、よくよく出会ってね……  
 もう恐怖する心も麻痺してしまいましたよ………」  
そう言ってクリスは、自分の荷袋を人差し指で指し示し、魔王達の欠片を思って笑ってしまうしかなかった。  
『ふん、我が同族ながら、人間ごときに膝をつく者達などに興味はない……  
 むしろ、そんな事が出来るお前が私は気になっているのさ………』  
フェイルはそう言って、その禍々しい黒い魔剣をじっと差し出していた。  
「はぁ、そうですか……」  
クリスも相手の殺意を感じ、交渉の余地も見いだせずに、観念して剣を抜く事にした。  
腰の後ろに結い付けていた、ナイフの様な小型の剣をクリスはおもむろに抜いた。  
 
『小型のナイフで、この剣の皇とまみえるつもりか? 余裕だな……』  
フェイルはクリスの馬鹿にした態度にいささか腹を立て、定めた狙いを一気に解き放って  
前に出したその剣を槍のように伸ばした。 まるで矢のように剣が飛んでくる。  
クリスは、相手が魔力の剣を伸ばしてくることを、直感的に感じていたので  
それにタイミングを合わせて、その小型のナイフの柄を両手で握りしめた。  
そして、剣が届くその瞬間に、ナイフの先から「光の刃」を発振させてその剣を払うように受ける。  
『何っ!?』  
フェイルの魔剣は、クリスが生み出した黄色い光を放つ光の刃に薙ぎ払われた。  
そしてフェイルは自分の刃を手元までの長さに戻し、じっとその黄色い光の剣を凝視する。  
『ほぉ……汝……面白いモノを持っておるな……神剣……フレイムブレイドか……』  
フェイルはクリスが作り出した光剣を見つめて、それが魔の族を打ち払うために作り出された  
神々のアーティファクト、『フレイムブレイド』であると悟る。  
が、かつて剣の神ヴェルヘイムが人の為の武具として生み出したそれとは、  
あまりに様子が異なっている事にいささかの驚きも覚える。  
『はて……フレイムブレイドは、人の燃える精神を糧に炎を生み出す剣のハズ……  
 その黄色い刃は…………いったい?』  
フェイル、そのは見たこともない剣を前に、いぶかしがるしかなかった。  
「昔は、真っ赤な炎だったんですがね……、なんか最近は調子が悪いのか、黄色いんですよ……」  
そう言ってクリスはインデスの頃から色の変わり始めた刃の事を思って、笑うしかなかった。  
精神を糧に刃を作るという事は、この黄色い刃は、自分の情熱がへたっている証拠だろうか?  
そんな事を考えてみるクリス。  
 
『調子の善し悪しなどは、試してみればよい……さぁ、剣舞を楽しもうではないか赤毛の勇者よっ!』  
フェイルは、見たこともないフレイムブレイドを前に、少し心を躍らせて、  
その思いを伝えるかのように大地を踏みしめてクリスに向かって跳躍した。  
漆黒のマントが深夜の森の中で、深い闇を更に深くする。  
そんな光さえ曖昧な場所で、クリスは己の生み出した光の刃で相手の位置を見極めた。  
鋭い跳躍と、跳躍に伴った一撃必殺の魔剣の刃が、右肩から振り下ろされるように襲う。  
クリスは長年の戦いの勘という奴で、右肩に光の刃を構えて相手の剣を光の刃で受けた。  
クリスの刃とフェイルの刃が十字の形にかち合い、そしてそのままフェイルの剣の勢いは止まる。  
『金剛の型か……ふむ……悪くない型と反応だ……』  
フェイルはその体勢のままでギリギリと剣を押し込むが、十字に交差した魔剣と光剣は  
お互いの猛々しい意志を絡ませ合って一進一退を続ける。  
「金剛?」  
クリスは、聞いたこともない言葉にこの姿勢のまま減らず口を叩いてみる。  
『我が宿敵ヴェルヘイムが、剣の型として口伝した言い回しさ……  
 刃を刃同士で力づくで受ける事をいうのだそうな……きゃつは文人過ぎて、そこが気に入らん一つだな…』  
そう言ってフェイルはその体勢を解こうと、クリスを力まかせに押してはじき飛ばした。  
クリスははじき飛ばされる流れに任せて後ろに飛び、相手との間合いを取ろうとする。  
剣を構え直して、じっっとクリスはフェイルを凝視した。  
『ふむ……奇っ怪なフレイムブレイドと思ったが、なかなかどうして見事な硬度だ……  
 我が剣に勝るとも劣らぬとは素晴らしき事よ……、人の為の武具にしては我や神の世界に近すぎるな』  
そう言ってフェイルは今の剣のやりとりで、クリスの持つ神剣を値踏みした。  
燃える心に更に一つ熟達した精神が宿り、それが老獪さを持って刃となっている。 それがフェイルの印象だった。  
『これは……もしや全力で戦う事も期待できるかな?』  
フェイルはそう呟いて、その瞳を輝かせた。  
 
フェイルはそれを思うと、不意にポツリと言葉をはき出した。  
『言霊よ、世界の原子を紡ぐ言霊よ、世界に『力』を具現化せよ  
 我が名は『フェイル』、剣の意志・・・・  
 我が名の『力』に従い、剣の魔力を世界に解放せよっ!!』  
その言葉と同時に、フェイルの周囲に漆黒の闇の波動が生み出され、  
それが周囲に結界のようなモノを形成していく。  
「何だっ!?」  
クリスは自分とフェイルの周囲に黒い波動の結界が生み出された事に声を上げる。  
「力の言葉(パワーワード)か………」  
そんな二人の光景を、外野から見つめている男がいた。 それは先ほどの魔導師ギルフェニアであった。  
テレポートの詠唱をしたかのように見せかけながら、  
実際にはインジビリティのマギを使って、周囲に姿をくらましていただけなのであった。   
長年のライバルと魔王の対決に興味が無いと言えば嘘であったし  
テレポートのマギはそんなに簡単に呪言が詠唱しきれる長さでも無い。  
ギルフェニアはそんな理由から、二人の対決の物見遊山を決め込むつもりだった。  
しかし、いきなり魔王の大技が炸裂したので閉口するしかなかった。  
「力の言葉をいきなり使うとは、やはりあの剣……、魔王にとっては恐るべきモノなのだな……」  
ギルフェニアはそう言って、東方でことごとく魔の王を切り払ってきた神剣に頭を垂れるしかなかった。  
だが、ギルフェニアは知っている。 まだあの剣が真の姿を現していない事を……。  
「さてさて……どうする? アドル・クリスティン?」  
ギルフェニアはそう言って嫌らしそうに笑った。  
 
「くそっ! なんだコレはっ!! 相変わらず魔王様の素敵なフィールドって奴か!?」  
クリスは周囲に張り巡らされた闇の波動の結界を前に、焦れるしかなかった。  
毎回、毎回、強烈な力を持つ奴と対峙すると、そいつの不思議空間に連れて行かれて苦労する。  
その程度の感慨しか、生まれてこないほど場数を踏んでいたクリスは、  
これからどうしようかな という次の算段に頭を回すだけであった。  
その時、不意に握りしめていた光の剣の刃が揺らめき、波を打つような振動が走った。  
『ん?』  
フェイルは自己の力を最大に生み出す事の出来る結界空間の中に、  
それに抗する力が発生した事を感じる。  
突如、クリスをじりじりと追いつめていた闇の波動は、クリスの前で立ち往生し、  
次の瞬間には、どんどんクリスから遠ざかっていくのだった。  
『何だっ!?』  
フェイルは、何か強力な力がクリスを中心に生まれた事を感じ、その違和感に肌をざわめかせた。  
ともすれば、クリスの立つ場所を中心に、リングの様な光が大地に生まれた。  
そしてそのリングは、円上に波状に大地を急速に拡散していき、フェイルが作った闇の結界に衝突するのだった。  
光のリングが闇の結界に衝突すると、その二つは相滅し、闇の波動はかき消える。  
『何だとっ!?』  
フェイルは自分自身の力の言葉で生み出した領域が、何か別の力で破壊された事に驚愕するしかなかった。  
『何が起きたっ!? ええいっ!! 魔眼(マジックアイ)!』  
フェイルは、自分の周囲にだけは維持されている力の言葉の助けを借りて、魔眼のマギを発動させた。  
そしてクリスの身体をじっと見つめる。  
神剣フレイムブレイドが、激しい魔力のオーラを放っているように視覚に映ったが  
次の瞬間、それよりも更に激しい魔力のオーラが、クリスの左手の薬指の辺りから放たれている事に気付いた。  
『何だっ!? あの力はっ!!』  
フェイルは自分の魔力すら打ち消すその力の源に毒づくしかなかった。  
 
 
「何っ!? パワーワードをかき消した力だと!?何が起きた?」  
側で事の成り行きを観察していたギルフェニアも、その奇怪な現象に驚嘆する。  
フェイルと同じように、その力の源を魔眼を持って見極めようと考えるギルフェニア。  
「エルノ・オムト・パスマ・フェルネキア……エルノ・セルアマント・アトフム・セネハルメニア  
 レルジェスタ・レア、レルジェスタ・ネセス・レア、アルノオムト・アルノ・セルマティアス  
 メル・パスマスア・レアネアード・エルバ・マギウス…………」  
ギルフェニアは呪言を口にし、大気に漂うマナをその錫杖に集めて、魔眼のマギを発動させた。  
そしてフェイルに遅れる事、数刻、ようやくギルフェニアも魔力の流れのオーラを  
視覚的に見る事が出来たのであった。  
するとクリスの周囲から、フェイルの魔力を押し返すほどのマナが溢れ出ているのが見受けられた。  
「これは……パワーワード……の力…… だが何故っ!?」  
ギルフェニアは、マギの様に長い詠唱を用いた呪言によるチャネリングで、  
精霊や上位存在に世界に別の物理力を顕現させるのではなく、  
世界にあるマナに直接、力を命令して行使させる事  
『力ある者達』による、強制言語『力の言葉(パワーワード)』が、  
クリスの体から発せられている事に驚嘆するしかなかった。  
そういえば前も、奴は魔王のパワーワードをかき消した事が有ったような気がする。  
「どういう事だ?」   
ギルフェニアは、思わず叫んだ。  
 
フェイルとギルフェニアは、じっとクリスのマナの流れを魔眼で凝視し続けた。  
が、そこが人間と魔の力を操る王との差であろう。   
ギルフェニアも希代の魔導師であったが、魔王ほどのマナを精密に操る力は無く、  
ただ、マナの本流とその質だけを見極める事しかできなかった。  
他方、フェイルは魔眼の非常にきめ細かい解像度によって、力の発生源の形状までも見極める事が出来た。  
左手の薬指にはめられている指輪らしきもの……、それが濃密なマナを集めるアーティファクトになっており指輪の中に緻密に彫り込まれているマギの特殊文字が回路の様に連結されて動いているのがわかる。  
『指輪?』  
フェイルは、自分の力をかき消した力の言葉を発する魔道具が、指輪である事を認識して首を捻った。  
そして次の瞬間に、記憶の中に該当する、『そのような指輪』を連想する……。  
『まさかっ!! 貴様のはめているその指輪は、古(いにしえ)から伝わる元始の指輪ではあるまいな!?』  
フェイルは叫んで、己の魔力を増幅し、指輪から発せられる力の言葉の強制力に抵抗し続けた。  
「!? 元始の指輪!? ……指輪?   
 っ! そうかっ! この力は女神の指輪の助力かっ!!」  
クリスは先ほどから、目の前の魔王が行使してくる力に、抗う今のこの現象を前に  
以前にも幾度か似た事があった事を思いだして、訝しがっていた。  
が、フェイルの指輪というヒントを前にすると  
それがかつて、自分の初めての冒険で手にした『女神の指輪』の効力だと悟る。  
そして、その言葉を前にすると、この現象を逆に納得してしまう。  
もう、随分古い話だが、イース中枢で魔王ダームと化した黒真珠を相手にしたとき、  
この女神の指輪の力で、相手の強烈な理力を封じ込めて、力を軽減させた事を思いだした。  
『私の指輪は相手の魔力を封じる力を持っています……これを使って下さい……』  
そう、女神レアに言われて指輪を薬指にはめたのだ。  
「そうか……、この指輪のおかげで、俺は随分命拾いをさせて貰っていたのだな……」  
クリスは、事の次第を悟ると、かつての思い出に微笑みを浮かべるしかなかった。  
 
「このマギは……封魔のマギか……、そして魔王の力の言葉まで封じるとなれば、  
 最高位の封魔のマギ……。 ………『Feena』か……」  
ギルフェニアは、魔眼で魔法の性質を見極めると、ただ呆然とするしかなかった。  
不意に、大天使長レビルギールから預かった、封魔の奥義を書きつらねられた魔導書  
別名『Feenaの魔導書』を取り出す。  
「魔王を封じる『Feena』を発動させる、アーティファクトだと? ……そんなものが?  
 いや……、まて……エルディーンの古文書の中に、確かそんな一節があったな……  
 双対の女神が所有する、莫大な魔力を用いて生み出された指輪……『女神の指輪』……」  
ギルフェニアは自分の魔導書の図書館の中に封じてある、  
古代エルディーン文明の古書の一文をとっさに思いだした。  
「この世に魔力をもたらす双対の月の、この世界への顕現である、二人の女神が所有する指輪……  
 全ての魔力を封じる力を有する……か………」  
うろ覚えの文章を思いだして、とたんにギルフェニアは鳥肌を立てる。  
「全ての魔力を封じる力だと? はっ 魔王の力の言葉さえ打ち消すようなアーティファクトがあったら  
 魔導師はみんな失業だぞっ………」  
ギルフェニアはそう言って、軽口を叩くしかなかった。   
が、目の前に非常に魔導師には辛い現実があった。  
『アドル・クリスティンとやら、汝は面白いモノを持っておるな……、いや……、持ちすぎだ……』  
フェイルは、ふっと今の状況を理解して、ただ可笑しそうに笑うしかなかった。  
『神剣フレイムブレイドですら、神が特別な場合にのみ人間に使用を許す武具なのに……・  
 そんなオモチャなど笑って済ませれるような、恐るべき秘宝を人間が持っているなどとは……』  
そう言ってフェイルは、思わず自分の頭をかくしかなかった。  
「!?」  
フェイルの言葉に、クリスは目をしばたたかせるしかない。  
 
フェイルは焦るしかなかった。 もしその指輪が本当に『元始の指輪』なれば、  
力を間違って暴走させれば、自分の存在が摩滅するやもしれぬほどの存在だからだ。  
天界最強の双対の女神が所有する指輪……『元始の指輪』  
いや、正しくは、双対の女神の力によって封じられている指輪……である……。  
元始から存在したと言われるその指輪は、この世界の全ての法則を破綻させる力を持ち、  
あるいは思いのままに組み替える力を有するとも、いわれる……。  
創造と破壊を司る指輪……。そして、その力を意志ある者では制御する事のできない指輪。   
だからこそ、天界最強の女神達によって  
その指輪は何重にも封印式を施され、力が暴走せぬように外側に、  
女神達の魔力で塗り固められた封印の層、もう一つの指輪の層を施されているのだ。  
エルディーンを滅ぼす時の戦いでは、天側の持ちうる最後の秘宝 『元始の指輪』 に怯えながら  
自分たち魔王が戦いを挑んだものであった。  
そして、天軍もあまりに莫大な力を秘めるその指輪が暴走する事を恐れて、  
女神達ですら、自分たちの魔力の増幅器としてしか、それを使わなかったというのに……。  
その記憶を頭に浮かべ、フェイルは押し黙るしかなかった。  
そう、それは人の口伝程度では『女神の指輪』という、  
詠唱無しで最高位の封魔のマギを行使できる指輪でしかないのだ……。  
上の層に彫り込まれている魔導文字によって発動される、力の言葉さえ封じる最高位の封魔のマギ  
『Feena』  
そのマギに必要な莫大なマナが、いったい『何から』供給されているのか……。  
それを人間に知られては成らない……。   
そんな事を認識されて、間違っても本当の指輪の力を暴走させれば  
かつてのエルディーンの破滅どころの騒ぎではなくなる……。  
それを思うからこそ、フェイルは焦るしかなかった。  
『ええい、女神めっ! 何を、トチ狂って、あの様な恐るべきモノを人間に持たせているのだっ!?』  
フェイルは小声でそう言った。  
 
『ふ……神剣フレイムブレイドに、女神の指輪か………  
 なるほど、納得できたよ、アドル・クリスティン。 汝が、魔の王の族を討ち滅ぼしてきた事がな…』  
フェイルは自分の中にある恐怖を押さえつけ、相手にそれが女神の指輪である事を  
意識させようと試みた。 そう……、思いこんでしまえば先入観はなかなか拭えないものなのだ。  
「そうか……、お前のこの力をかき消したのは、俺の持つ女神の指輪の力なんだな!?」  
クリスはフェイルの言葉に念を押す様に、問いただした。  
『そうだ……、お前の持つ指輪は、女神の指輪と呼ばれる天界の神具だ……  
 我ら魔王の力を封じる能力を持つ……、その力によって、お前は我らと戦ってこれたという事だ……』  
フェイルは、アドルを上手く誘導できたと感じ、  
これで、少なくとも相手が何かの間違いで、力を暴走させる事は無いだろうと考えた。  
「………、 なんと間抜けな話だ……。 こんな歳にもなってまで、  
 彼女らに助けられていた事にも気付かなかったなんて……」  
そう言ってクリスは瞳を微睡ませた。 おかしな話だった。 これは笑ってしまうしかない。  
『お前を愛でた女神に感謝するのだな、アドルとやら……、だが、その強運もこれまでよ……  
 我が、力の言葉で支配する世界の効果が消えたとしても、剣と剣の勝負は変わりはせぬ……  
 我は剣を極めし、剣の皇……、なれば、剣で勝負をつけるのみっ! 』  
言ってフェイルはクリスめがけて飛び込んだ。 そう、問題は自分は剣と剣で雌雄を決したいと言う事なのだ。  
力の言葉と力の言葉が相滅しあっているのならば、剣の皇たる自分が、剣のみによって勝敗を決すれば良い。  
それだけの事であった。  
魔力の刃で作られた鋭い袈裟切りが、クリスを襲った。  
が、クリスは黄色いフレイムブレイドの刃筋にその魔力の刃を滑らし、横に避けるように交わす。  
『流水の構えか……やるな……』  
フェイルは、クリスの受け手の技の冴えに、舌を巻く。 高速の剣撃をいとも容易く受け流すその様は  
剣士としての修練をよほど積み込んだ証といえよう。  
 
『ヴェルヘイルの剣聖とまみえるよりも、より歯ごたえが在りすぎるぞ、赤毛めっ!』  
フェイルは、元始の指輪の恐怖さえも忘れて、久しく出あえなかった強敵の出現に  
心底、歓喜の声を上げるしかなかった。 フェイルの剣撃が、クリスを更に襲う。  
クリスは円の動きを作りながら剣を刃で流し続け、防戦一方となる。  
フェイルは、己の俊足と強打によってクリスを追いつめるも、  
流れるようにしなやかに剣撃を避けるクリスに、憤りよりも微笑みを浮かべるしかなかった。  
『なるほどっ! この剣の皇を前に、一歩も譲らぬとは……  
 その力は神具の助けだけでは無いという事だな……赤毛の勇者よ……  
 楽しい……楽しいぞっ!!』  
フェイルは相手との戦いに酔いしれ、ただ、吠えるしかなかった。  
この様な戦いの高揚感はどれくらい久しぶりの事であろうか? それを思ってフェイルは足を一歩前に出す。  
逆にクリスは、剣の皇と称するだけの事はある、重く鋭い一撃一撃を慎重に対処しながら、  
起死回生の一撃を、虎視眈々と狙っていた。 相手が僅かな隙を見せればカウンタの一撃で仕留める。  
何度も、魔王の族と戦い続けてきたクリスにとって、それが唯一の逆転手段であったのだ。  
だが、その戦いの日々を思うと、クリスの心の中に 『澱み』 のような何かが生まれてくる。  
目の前の戦いに歓喜する魔王の姿。 それはいつ見ても、陰惨なものであった……。  
それを思ったとき、クリスの心の中に空しさが去来した。 それは空乏の様な何かであった。  
その時だった。  
刃の色が、鮮やかな黄色から突然に変色し始め、僅かに黄緑色の輝きを放ち始める。  
『何だ!?』「何だっ!?」  
二人は、その光景に、同じように声を合わせた。  
 
フレイムブレイドの刃が、鮮やかな黄色から黄緑色に変色していった。  
その様に戸惑うクリス。  
『刃が、また変わっただとっ!?』  
フェイルも始めて目にするその光景に、戸惑いを覚えるしかなかった。  
だが、今は戦いの時、ちょっとした珍事に気を緩めるワケにはいかなかった。  
フェイルは、また新しい斬撃を繰り出す。クリスは、狼狽えながらもその刃でフェイルの剣を受けた。  
剣と剣が弾け合う。闇の中で、クリスの黄緑色の光が何度も光の軌跡を描き、  
その軌跡が弾ける瞬間に、かん高い音が森の中に木霊する。  
『我が剣と、同じだけの強度を持つ剣になっただとっ!?』  
フェイルは剣を数度交わしあい、剣の弾ける力に、相手の剣の質を読み切った。  
魔王の族が、『力在る者』として、存在から具現化させている魔力の黒刀。   
その剣と同等の力を有する剣を、人が生み出している事。 それは驚異であった。  
だが、次から次へと驚くべき事が続くにもかかわらず、フェイルの魂はより歓喜に満ちあふれていく。  
『何という充足した刻の流れよっ!! これだっ!! 我が求めるのはこれなのだっ!!』  
狂気にも似た、喜びの声と共に、フェイルはクリスに斬撃を繰り返し放ち続けた。  
クリスは、その剣を受けるたびに、心の中に奇妙な『澱み』 あるいは 『空』 が生まれていった。  
クリスは剣と剣がぶつかり合い、火花を散らすその閃光の前で、過去の記憶と邂逅する。  
 
ダルク・ファクト、ダーム、アレム、ガルバラン、ジャビル、ゼルエルディ  
ウザレム、イーフェイ、ネルジェンダ   
今まで、自分の前を阻んだ、魔王の族の『力在る者』達。  
あるいは神々や魔族の古代の戦いの中で作り出された  
エルディーン攻略戦のための巨大なアーティファクトを、今の時代に封印から蘇らせ暴走させてきた後始末。  
クリスは、そんな『力』を求め、そしてそれが故に滅びの道を歩まねばならなかった  
今までの魔王や人の虚ろな姿を思いだし、空しさを心の中に広げるしかなかった。  
それは、闘争本能が成せる、存在の業というものであろうか?  
それとも、それ以外の何かか? それを思うと、ただ 『空』 の気持ちだけが心の中に広がるのだ。  
そして目の前には、力の象徴 『剣(つるぎ)』 に、傾倒し続ける魔族の王が剣を振るっている。   
何度も何度も、斬り合いが続いた。   
それはクリスが今まで続けてきた、何度も何度も繰り返してきた、斬り合いと同じだった。  
(なんて、虚ろなのだろう…) その思いが強くなった。  
そして思いが強くなればなるほどに、クリスの黄緑色の刃は輝きを増すのだった。  
やがてその剣の強度は、遂にフェイルのそれと匹敵するに至る。  
『人の技が、神のそれと同じ高みに至るのかっ!?』  
フェイルは、クリスの作り出した刃に驚嘆するしかなかった。  
剣の皇は驚きながらも戦いを続けた。斬撃は続き、円の様に動き続ける二人の演舞も続く。  
 
不意に、フェイルはその剣を退き、自らも後ずさった。  
クリスは息を切らしながら、その光景に眉をひそめる。  
『止めだ………』  
フェイルはそっと、そう言った。そして、自らの剣をかき消す。  
「な、何故だっ!? 剣の皇!!」  
どちらかと言えば、形勢は不利に近かった今までの戦いを前に、  
フェイルが剣を退いた事に驚きを隠せないクリス。 その問いにフェイルは笑みを浮かべるしかなかった。  
『こんな至福の時間は、久しぶりの事であった……、思い起こせばエルディーンの決戦で  
 ヴェルヘルムと対峙したとき以来の高揚感であろうかな? ふふふ……楽しかったぞ…赤毛よ…』  
フェイルはそう言った。そしてその赤い瞳を輝かせる。  
『汝の剣は、我が魔力の高みにまで到達した……、恐るべき事よ……人の為す技なれば…』  
言ってフェイルはクリスの黄緑色のフレイムブレイドを指し示した。  
クリスも、自らが生み出した、初めて見る剣の姿に、ただ目を見張るしかない。  
『だからこそ、止めだ……、汝は我と同じ剣を持ち、我と互角の剣技を持つ……  
 なれど、汝は人間……我が無限の体力を持つ魔王の族と持久戦になれば勝機はあるまい……』  
そう言って、息を切らしているクリスと、平然としたままの自分を比べさせて、その理を示す。  
「た、確かにそうだが……」  
クリスは剣の皇の合理的な解析に、頷くしかなかった。   
このまま戦い続ければ、どちらが勝利するかは、奇跡が起きない限り明らかなのだ。  
その予想を前に、深い溜息をつくしかないお互いの心の稜線。  
フェイルは、目の前の赤毛を茶色に染めて、姿を変えている中年に、微笑みを送るしかなかった。  
『時間をやろう……アドル・クリスティンよ……』  
フェイルは唐突にそう言い放った。  
「っ!?」  
フェイルの言葉に、目を丸くするクリス。  
 
『修行をするがよい……、その為の時間をお前に与えよう……赤毛よ……』  
フェイルは瞳を輝かしてそう言った。  
「なっ、何だとっ!?」  
クリスはフェイルの不遜な物言いに憤慨するしかなかった。 確かに勝機は薄かった。  
だが、ある一つの奇跡がまた起きれば、勝機が全くないわけでは無かったのだ。  
その僅かな勝機を目論んで、必殺のカウンターを狙って待ち続けていたというのに……。  
そんなクリスの心情など、全く深慮する事もなくフェイルは続けた。  
『剣技が互角成れば、剣技以外の事で勝敗は決する。 だが、我は剣の皇……  
 その様な、つまらぬ結果は望まん……。 だから技を磨け、アドルよっ!』  
フェイルはそう言ってクリスを指さした。  
そんなフェイルの言葉に、クリスは逆に思わず吹き出しそうになった。  
「はっ!?」  
素っ頓狂な声でフェイルの言葉に返事するクリス。 だがフェイルはクリスを無視して続けた。  
『我は剣の皇の自負がある……、剣技なればヴェルヘイムを越えて至高の存在であると……  
 だが、その自負を、今はあえて捨てよう、赤毛よ……』  
フェイルはそう言って、何よりも楽しそうに笑った。  
『我を越えよっ アドルよっ! この剣の皇の技さえも、越えて見せよっ!!  
 それは遙かに果てしなく険しい冒険……。 だが、我は今、決着を付けるよりも、「それ」に興味がある…』  
フェイルは、そう言って己の拳を握りしめた。  
『力と無限の存在たる我を、そしてその極限まで極められた技を、しかし、それ以上の技で越えて見せよっ  
 赤毛よっ!! あえて今よりも修行を積め……汝も剣士なればなっ そのための時間だっ!!』  
言ってフェイルはクリスを指さした。  
クリスは、その言葉に、ただ呆然としてポカンと口を開くしかなかった。  
『勝負は楽しい……・。勝負は勝つか負けるかが問題なのではない……、   
 我が我で在る事を戦いの中で見いだすからこそ楽しいのだ…… なればこの勝負、まだまだ続けようぞ…   
 剣士なれば……な……』  
そう言った後に、フェイルは突如、闇の中に紛れだし、その存在をかき消していった。  
 
「ちょっと待てっ!! おっさんっ!! 好き勝手な事ばっかり言ってるんじゃねーよっ!!」  
クリスは、言いたいことだけ言って、その場から退散し始めた剣の皇を前に、絶叫するしかなかった。  
だがフェイルは、そのままテレポートのマギを無詠唱で発動させ、その場から瞬時に居なくなってしまう。  
「あああああっっ!!! 何なんだよっ!! 一体っ!! 一方的に殴りかかってきて  
 その上、修行して強くなれっだって!!?  なんて勝手な奴なんだっ!!!」  
深夜の森の中、もはや誰の気配さえも感じなくなったこの場所で、クリスはただ叫ぶしかなかった。  
それを、遠望の魔法で凝視し続けていたギルフェニアも、面白い顛末に、退散の潮時を感じた。  
「ふん…、意外な顛末だったな。 しかし…、面白味という点では、より深みが増したという所かな?  
 剣の皇との第2ラウンド……か……、ならば私も、楽しみにさせてもらおうか……」  
そう言って、ギルフェニアは、当分、遠くからクリスを見守ることを決め込んだ。  
と同時に、ふと思う。 今さっきの戦いで、過去にインデスのネルジェンダとの決戦の時に見せた『あの剣』。    
もし、あの剣が出現したならば、先ほどの戦いもフェイルの言うように  
簡単にはいかなかったのではないかと………  
それを思うと、ギルフェニアは頭をかくしかなかった。  
「もう一度、見せて欲しかったのだがな……、あの剣を使うところを……」  
言ってギルフェニアは笑う。  
『修行の時間を与える』 それは面白いアイデアかもしれない……・。  
もしかすると、その修行で、『あの剣』を自由自座に赤毛の男は使いこなせるようになるかもしれない。  
そんな事に思いを馳せながら、ギルフェニアは非常に長いテレポートのマギを、その呪言を口にして詠唱し始めた。  
「ちきしょぉぉぉっっ!!!!」  
クリスの、悲鳴だけが、深夜の森の中で響くのみだった。  

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