『アドル・クリスティンの冒険日誌』   
 
プロローグ ー幼年時代ー  
 
 
カーン、カーン、カーン  
熱せられて赤くなった鉄をハンマーで叩く音が、その小屋の中には響いていた  
小屋には何度も何度もハンマーで鉄を叩き続ける無言の老人がいた  
そしてその脇には、それを面白そうに見つめている赤毛の少年もいた  
「バン爺……今日は、何を作っているの?」  
少年は瞳を輝かせながら、その老人に問いかける  
老人は、少年に声をかけられてそっちの方に視線を送った  
「クリス坊……、今日は久しぶりに小剣を作っているんだ…旅の吟遊詩人が来ていただろう?  
 あれが欲しがっていてな…… はて?クリスは鍛冶の仕事に興味があるんか?」  
そう言って、長い顎鬚を揺らしながらバン爺は微笑む  
クリスと呼ばれた少年は、難しい顔になってバン爺の言葉を考える  
「興味はあるよ……、バン爺が魔法の様に、いろんな物を鉄から作っていくのは面白いから…」  
そう言って、赤毛の少年は微笑んだ  
「ハッハッハ、そりゃいい……、だったらクリス坊は将来は儂の跡を継ぐか?  
 今から鍛冶の修行をすれば、儂が息を引き取る頃には、立派な村の鍛冶屋になれるだろうて…」  
そう言ってバン爺は手を止めて、自分の自慢の顎鬚を撫でた  
バン爺の言葉に、クリスは目を丸くする。自分の将来のことなど、まだ明確に考えてはいなかったからだ  
「鍛冶屋かーー、でも鍛冶屋に成りたいとは、思ってないんだ……」  
クリスは少し考えた後に、バン爺の柔らかな勧誘を軽く交わしてしまう  
バン爺は、跡目が居ないので本気とも冗談とも言えなかったが、そう一蹴されては二の句が告げれない  
やれやれとばかりに、もう一度、鉄を叩き出した  
 
鉄を叩きながら、思い出したかのようにバン爺はクリスの方を見た  
「しかし、お前さん家のノビル家には、クリスの継ぐものなんぞありゃせんじゃろうが?  
 お前さんの兄貴も、メルティー嬢ちゃんとの婚姻で家督が決まったし、  
 バルチルもいくらお前が可愛くても、ノビル家をお前さんとケヴィンに分けたりせんだろう?  
 ここのノビル家の土地は広いが、家を2つに分けるのは騒動の元だ……  
 ケヴィンと骨肉の争いなんか、クリス坊はしたくないじゃろう?」  
バン爺は、迂闊にも12になったばかりの少年に、  
地主の御家相続の揉め事問題について尋ねてしまった  
そんな老人の言葉に、目を丸くするクリス  
「??? どうして? どうして僕がケヴィン兄さんと争いごとなんかしなくちゃいけないの?  
 僕は優しい兄さんが大好きだよ? 喧嘩なんかしないよ……」  
バン爺の不思議な言葉に、顔を歪ませるクリス  
そんな少年の子供らしい言葉を聞いて、バン爺はしまったとばかりに顔に手をやった  
「ちょっとクリス坊には難しい話だったな……、そうだな……ケヴィンは出来た男だからな…  
 きっと、これからも仲良く暮らしていけるさ……  
 でもな、クリス坊……  
 お前は次男だから、いつか家を出なくちゃならん日が来る………遅かれ早かれだ……  
 だから、どうじゃろうかな……冗談ではなく、儂の元に来て鍛冶屋見習いでもやってみるか?  
 その方が、きっといろんな意味で良いことになると思うぞ? 」  
そう言って、バン爺は今まで見てきた、家督騒動の事を思いやって、そっとクリスの赤毛に手を触れた  
「??? バン爺……わかんないよ…… 爺が何を言っているか……」  
クリスはバン爺の、あまりに唐突な言葉に、狼狽するしか無かった  
 
「バン爺、鍛冶屋も面白そうだけど、でも僕は何となくなりたいものがあるんだよ……」  
クリスは今度はバン爺に対して、自分から言葉を投げかけた  
「ほぉ? それはなんだい? クリス坊……」  
クリスがあまりにも顔を明るくして話すものなので、バン爺は少し興味を持った  
手を休めてクリスの方に向き直す  
「僕は、もっと大きくなったら冒険者になりたいんだ……、  
 子供の頃からお父さんに勇者の絵本を読んで貰ったりしたし、最近来た吟遊詩人のおじさんにも、  
 この村の外のとっても面白そうな話を聞いた……  太古の古代遺跡や5つの竜のお話……  
 僕は、大きくなったら、いつかそんな話の世界を見て回りたいんだ……」  
そう言ってクリスは熱っぽく、御伽話に出てくる勇者の挿絵を思い出してバン爺に語った  
その言葉を聞いて目を細めるバン爺  
「ほぉ……冒険者か……クリスは冒険者になりたいのか……」  
そう寂しそうに言った後に、バン爺は体を向き直し、また目の前の鉄に向かった  
少し辛そうな顔で、バン爺は鉄をハンマーで叩く  
その仕草が気になったのか、クリスはバン爺の気持ちが心配になった  
自分が鍛冶屋の誘いを断ったから、機嫌が悪くなったのだと考えた  
バン爺は、これでかなり頑固な鍛冶屋だ  
自分の作ったモノが気に入らなければ、それを平気で壊すし  
鍛冶屋の仕事に誇りを持っている  
クリスは、それを思うと、悪い事をしたかなと頭をかいた  
バン爺は、鉄を叩きながら何かを思い出したかのように深い溜息を付いた  
 
「実は儂もな……昔、お前さんの様に冒険者になりたくって、村を出て行った事があるんじゃよ……」  
鉄を叩きながら、バン爺は微笑を浮かべて過去の事を思い出してみた  
「バン爺がっ!?」  
あまりに思いがけない言葉に、クリスは仰天して耳を疑う  
「若い頃は、誰だって血気盛んなもんさ……、鍛冶屋なんてつまらない仕事じゃなくて  
 世界を見て歩きたいって、儂の親父と大喧嘩してな……、そして家を飛び出した……」  
言ってバン爺はクックックとその当時の自分を思い出して笑った  
「そんな……、バン爺が、冒険者だったなんて……」  
今のあまりに冒険者とはかけ離れた姿に、クリスはただ驚嘆してじっとバン爺の次の言葉を待つ  
「冒険者には成れなかったな……、成り損ねた……  
 いや……元から、儂は鉄を叩く才能しかなかったんじゃろう……… 今ではそう思う……」  
そう言ってバン爺は手を止めて、過去の自分の姿を脳裏に映し出していた  
「でも、若い頃は、そんな事はわからんもんさ……鍛冶屋なんて、  
 1つのところにずーっと居続けるようなツマラナイ仕事よりも、心を躍らせる冒険が欲しい  
 そう思っていた……」  
バン爺は、そう小さく呟くと自分の顎鬚を撫でて、柔らかく微笑んだ  
今になると、そんな自分すら愛しく感じてしまう  それがバン爺には面白かったのだろう  
「どうして……、どうしてバン爺……冒険者を辞めちゃったの? どうして?」  
クリスはバン爺の驚くべき過去に、そして驚くべき人生に疑問を投げかける  
そんな少年のごく当たり前の問いかけにバン爺は難しそうな顔になった  
「どうしてと言われても難しいな……現実は中々厳しいものだった というのもある……」  
そう言ってバン爺は、あの頃の事を思い出して苦やしそうに歯軋りをした  
 
「街をろくな路銀もなしに渡り歩くのは、難しい事だったんじゃよ……  
 ロムンの奴らの事もある……、まぁ、小僧が家出すれば結局、金に難儀したんじゃ……  
 だから儂は港町で鍛冶屋に雇ってもらって、路銀を稼ぐ事にした……  
 皮肉なもんじゃ……忌み嫌った鍛冶屋の技術が、そんな所で役に立ったのはな……  
 それでも、儂は冒険者への道は諦めてなかった……路銀を稼いだ……」  
バン爺は鉄をひたすら叩きながら、そう黙々と語った  
クリスはそんなバン爺の独白に熱心に耳を傾けるだけだった  
「でも、そんなある日の事じゃ………  
 港町に海賊達がやってきた……、まぁ、海賊といっても海賊を狙う海賊という  
 一種の義賊みたいな奴らでな……港町には手を出さずに、この近辺の海賊を狙っているって事だったんじゃ  
 気の良い奴らでな……、わし等、血気盛んな若者達と意気投合して、毎日の様に酒を飲んだ  
 わし等も奴らの海で体験する様々な冒険談を聞くのが楽しみで、酒を奢ってでも話の種を聞き出したもんじゃ……」  
バン爺は、あまりに懐かしい記憶を前にして、ただ微笑みを浮かべ続けるしかなかった  
クリスは更に興味深そうに、首を縦に振りながら続きを催促する  
「儂は、ある日、海賊団に入らないかと持ちかけられた……冒険をするなら海だと……  
 路銀稼ぎに海賊を狙うもの仕事だが、本当のロマンは海を冒険し制覇する事にあるんだと  
 教えられてな……、わし等は奴らの言葉に心が躍った  
 そろそろ長い居したんで港を出るつもりだ、本当に冒険に出たいなら明日にでも船に上がれと言う  
 その時。わし等は冒険者になる為の選択肢を与えられた……」  
バン爺は、さも可笑しそうに笑いながら、そう淡々と語った  
「バン爺はもちろん行ったんだよね? ねぇ?」  
クリスはバン爺の冒険談の話を聞きながら、彼に相槌を入れた  
そんな赤毛の少年の言葉にバン爺は首を振った  
「いいや……わし等には行けなかった……」  
バン爺はポツリとそう言った  
「どうしてっ!?」  
バン爺のあっさりとした返事に、また驚くクリス  
 
「漁師の息子がわし等の仲間に居てな……、明日は間違いなく嵐になるから船は出れないって言うわけさ  
 儂もその街で3年はいたから、嵐の時の海の恐ろしさはわかっていた  
 その港町の付近の海は、かなり難しい海だったから……、  
 土地に年期の入った漁師ですら船を出さないのが常識だったんじゃ  
 わし等はむしろ止めた、いくらあんた等が海に詳しいといっても、明日の海は無理だって……」  
「…………」  
バン爺はそう言った後に、クリスの方を見てウインクした  
「そうあいつ等に言ったら、あいつらは、どう言ったと思う?」  
腕を動かしながら、バン爺はじっとクリスの方を見つめた  
クリスはその先が分からずに、首を左右に振るだけだった  
「あいつ等はこう言ったのさ………、  
 『腰抜けめっ、死ぬのが怖くて冒険者が出来るかっ   
 それに俺たちは海のプロだ、嵐なんか怖くない。多少の難しい海を制してこそ冒険なのだ  
 お前らには出来なくても俺たちには出来る』ってな……」  
そう言ってバン爺は、前に向き直して鉄をまた叩き始めた  
「海賊達はどうなったの!?」  
バン爺の語る熱い海賊達の言葉に胸を打たれて、クリスはその続きを催促した  
そんな仕草にバン爺は微笑むと、あの時のあの瞬間を思い出して頬を緩める  
「奴らは出て行った……、宣言どおりに…・・・  
 わし等は結局、船に乗れずにずっと嵐の中を進む船を望遠鏡で見守るだけになった……   
 その日は凄まじい嵐だった…… 漁師の息子でさえ震え上がるほどのな……  
 それでも海賊達は果敢に海と戦っていた。凄い姿だ、と漁師の息子は驚嘆していたよ………」  
「じゃぁ、海賊達は海を制したんだっ!」  
バン爺の話を聞いて、クリスは結論を急いだ  
その言葉に首を振るバン爺  
「いいや、駄目だった……、流石の凄腕の海賊達も、あまりに相手の海が悪すぎた……  
 嵐との格闘の末に遂に船は転覆…… 乗員達は大嵐の中で海に投げ出された……」  
「………そんな……」  
クリスは、予想外の結果を聞いて蒼白に成る  
 
「儂がむしろ分からなくなったのは、その後じゃった……」  
バン爺はふと手を止めて、そっと虚ろな瞳で目の前を見つめた  
「?」  
クリスはバン爺の言葉に眉を潜め、バン爺の言葉に耳を澄ます  
「儂は思った、あまりにも無謀な冒険をした結果、死の大渦に飲み込まれていたあいつ等が  
 どれほど恐怖に怯えた顔をしているのだろうかと……  
 そう思って望遠鏡を使ってじっと彼らの最後の姿を見つめたのさ……」  
「…………」  
クリスは沈黙したまま、じっとバン爺を見上げていた  
「だが、そこに映っていた奴らの顔は、まるで儂の予想外の顔つきだった  
 一人一人が笑顔で渦に飲み込まれていって、満足そうな顔で死んでいくんじゃ……  
 儂は目を疑った……だが奴らは、そうだったんじゃ……  
 死を目の前にして、自分の冒険した姿に満足したんじゃろう……穏やかな顔でみんな渦に飲まれていった…」  
「そんなっ!!」  
バン爺の驚くべき言葉に、クリスは立ち上がって絶叫した  
そんなクリスの態度を、思わず鼻で笑うバン爺  
「嘘だと思うのは、当たり前の事じゃろう……儂も嘘だと思いたい……  
 でもそれが事実じゃ……やつ等は、あまりにもわし等からすれば勇敢すぎた……」  
そう言った後に、バン爺は深い、本当に深い溜息をついた  
「儂はその時、わかったんじゃ……、冒険者ちゅーのは、そういう頭のネジがイカレタ奴らなのだ・・・とな…」  
そう言ってバン爺は、クリスの方を見つめた  
「…………」  
クリスはバン爺の言葉に沈黙するしか無かった  
「儂が限界を感じたのは、そこだった……。自分は最後の最後であんな顔は出来ないと……  
 きっと後悔にさいなまれて死んでいくんだと…… そう思ったから自分がわかってしまった……  
 儂は生まれついての鍛冶屋なんだと……」  
言った後に、バン爺はまた鉄を叩いた。 その鉄を叩きつける力に熱い情熱がこもる  
カーンッと、鋭い音が鳴り響いた  
 
「冒険者には冒険者の才能、鍛冶屋には鍛冶屋の才能、  
 そういう生まれ付いての資質があるのだと思った  
 あいつらの一件に出会ってからな……だから村に帰ってきて鍛冶屋を継いだ……  
 儂の冒険談といえば、それだけのつまらないものだったな……」  
そう言って、バン爺はクリスに向かって微笑んだ  
「ねぇ、バン爺……」  
「ん?」  
「その海賊達……最後は何を思って、死んでいったんだろうね……」  
クリスは不意に、そんな何気ないことを疑問に感じてみた  
その言葉に、思わず息を止めてしまうバン爺  
「さぁ……何なんだろうか………」  
そう言ってバン爺は、鉄をずっと叩き続けた  
「それが今も分からないから、こうやってあの時の事を思って  
 あの時の奴らの心を知ろうと思って、鉄を叩いている……  
 だが儂は一生かかっても、その答えが見つけ出せそうにはないかな……」  
バン爺は言った後に、自嘲気味に笑った。それは生涯の謎というものだった  
その後、クリスの方を見つめて、また穏やかにバン爺は微笑む  
「なぁクリス坊……、お前は、その儂の分からない答えを、  
 見つけ出す事ができるかな?」  
言いながらバン爺は、クリスの方を見つめて  
鉄を叩き続けるしか無いのであった  
 
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