これでよし。
最後の爆薬をセットし終わって、僕は額の汗をぬぐう。暑いわけではなく、爆発物をいじるときは、いつもかなり緊張しているのだ。
わきの下に挟んでいた手袋を着け、鉄板に映りこむ自分の姿を確認する。よし。少しは猟兵っぽく見えるだろう。
…これだけの爆発があれば、さすがの「グロリアス」ももたないだろう。高度から見ても、下の地形から見ても、不時着できるものではない。墜落すれば…おしまいだ。
足元にのびている整備員らしき男を見やる。爆発が起これば、乗組員は全員死ぬのだというのに、どうしても止めを刺すことが出来なかった。
教授が見たら、「弱くなった」と笑うだろうか。いや、あの人のことだ、僕の行動は予測しているだろう。
教授とレーヴェのことを考えると気が重い。どうしても勝てる気がしないからだ。
せめて時間稼ぎにでもなればいいんだけれど…それすら難しいかもしれない。それでもやらなければ。
倒れた整備員を物陰に隠し、足早に船の奥へと向かった。
「…」
小さく話し声が漏れ聞こえてくる。船奥の一室。
声の主が教授であることに気付いて、ぎくりとする。
声が止んだ。
「ヨシュア、そこに居るんだろう?入りたまえ」
そらみろ。僕は自分自身に悪態をつく。僕の技量で教授に不意打ちをかけるなんて出来っこないんだ。
逃げて体勢を立て直すか?はったりだと踏んで今すぐ突入するか?
一瞬だけ自問して、結局僕はどちらも選ばなかった。いや、選べなかった、か。
せめて精一杯の虚勢を張って、何とか「ふん、よく俺に気付いたな」みたいな冷酷な目を作って、悠然と見えるように祈りながら中に入った。
客室…いや、応接室、といったところか。少し広めの室内の奥の一角に、こじんまりとソファとテーブル。残りのスペースは広々としていて、多少の戦闘なら出来そうだ。
ソファには教授が掛け、ひとり杯をあおいでいる。グラスは手の中の1つ、ほかに人影もない。
奥にドアがあり、中でレーヴェが待機している可能性もあるが、殺気らしき物は微塵もない。先ほどの話し声は、独り言なのか。
「…執行者No.]V、“漆黒の牙”ヨシュア・アストレイ。貴殿の命を頂戴に参上した」
任務のときの口上が口をついて出る。本当は「主の命により」が入るのだが、そこは除いて。
ふん、と教授が鼻で笑った。
「抗えるかな、ヨシュア…『造物主』である、この、『私』に…」
教授の語り口が、独特な響きを帯びる。まずい、「暗示」だ、と思ったときにはもう遅い。
右腕の「聖痕」が、みるみるうちに赤みをさして、耐え難い激痛を発する。
「…ぅ、っあああああ!」
ぱちん。教授の指を鳴らす音とともに、痛みが消えうせる。まだずきずきと疼きを残す右腕を押さえ、荒い息の下で辺りを見回す。
心底面白い、といった顔の教授が、いつの間にか間近に迫っていて、後ろから肩を抱かれた。
右腕を押さえている僕の手を、教授の指がやんわりとほどいていき、いやらしい手つきで、「聖痕」の上を這い回る。嫌悪感とともに、それとは別のものが身体を支配していく。
「気持ちいいんだろう?聖痕の出る場所は、どうにも過敏になるようだからな」
「…やめ…離っ…ぁ」
「もう一度訊こう。『ヨシュア・アストレイ、お前は私に逆らうというのか?』」
「くっ…ぅ」
教授の手が、声が、「暗示」が、抗おうとする僕の意思をがんじがらめにする。もはや完全に教授の術中だ。
頭がくらくらする。このままこの人に許しを乞うてしまいたい、哀願して哀願して、もとの操り人形に戻れたならどんなに楽だろう、と心のどこかが囁く。
駄目だ、と別の何かが叫ぶ。思い出せ、大切な人がいることを。目の前のこの男を、そして「結社」を敵に回しても守りたいと願った、そのひとを。
教授の指が、「聖痕」の蛇をなぶる。
「蛇の眼は何でもお見通しだよ…お前がここをエステルに舐められて我を忘れそうになったのも、…その日の夜の事なんかもねェ…」
「なっ…!」
教授が、クックッと喉の奥で笑う。来る。「暗示」だ。
「『あきらめろ。お前の命運もエステルの命運も、所詮我等の手の中だ』」
「!」
なにかが、弾けた。全身を支配する無力感を、怒りが凌駕する。ぴくり、と指先が動いた次の瞬間、双剣の片方を抜き払って飛び退いていた。
教授が、大げさに驚いてみせる。眼鏡がきらりと光る。
「おお、怖っ。やるねぇ…そう来なくちゃ面白くないからな」
「…嬉しそうに見えますが」
ゆっくりと、左手を、もう片方の剣に伸ばす。
「おっと、お前とやりあう気は毛頭ないさ。それより…お前にプレゼントだ…喜んで受けるがいい!」
無造作にきびすを返し、双剣の届かぬ位置まで下がる教授。追って、その背中に斬りつけようとした…が…。
隣の部屋から、人が出てくる気配がして、そちらに向き直った。左の剣も抜き放ち、迎撃態勢を整える。気配が近づいてくる。
何て事だ。眼をつぶっていたって間違いようのない、この気配。それでも間違いであってくれと思いながら、双剣を構えた両手に力を込めた。
…彼女が、ここに居るなんて。
「エステル!」
この数ヶ月、何度もあの頃の夢を見て、その度後悔に苛まれた。夢の中のどの場面にも、必ず君がいた。
「エステル…」
君のいない世界が、煉獄にも等しいことを知った。
だけど、僕が孤独に耐えることで君が「結社」から守られていると思えば、それだけで救われた。
それなのに。
それなのに…。
動揺を隠せない僕をからかうように、教授が割って入る。
「紹介するまでもないだろうが、紹介させてくれないか?クックックッ…執行者No.]T]、エステル・ブライト嬢だ」
「…!」
「いいだろう?番号は彼女の希望だ。誰かが彼女を『お日様みたいだ』と言ったことがあるらしいが」
「…教授…あなたって人は…!」
目の前のエステルは、僕に気付きさえしない。操られているのか、少しぎこちない笑みを浮かべたまま、立ち尽くしている。
その両眼から、幾筋もの涙の跡が見てとれて、教授がどんな酷い手を使ってエステルに「暗示」をねじ込んだのか想像出来る。
全身から力が抜けてへたり込みそうになるのを、何とか堪えた。
「エステル!エステルってば!…頼むよ、返事してよ…」
無駄だと知りつつ、エステルの名を呼ぶ。
「エステル…僕を探してここまで来てくれたんだろ?ロレントの父さんのところまで連れて行くんだろ?お願いだ、目を覚まして、ねえってば!」
ああ、もう半狂乱だ。まともならこんなおこがましい事、口にする資格もないと思っているのに。やや醒めかけた頭の片隅で、教授が面白がっているだろうなと思った。
「言ったろう。お前たちの命運は、我等の手の中と…無論、出来るなら連れて帰ったっていい。出来るならな…」
エステルが構える。両の手に握られた「それ」は、5年前に僕が結社に残していった、スペアの双剣だった。
僕が今使っているものより二周りほど小ぶりだが、エステルの手にはしっくり馴染んでいるらしく、今まで気付かなかったほど違和感がない。
「ああ…それね。お前とお揃いがいいと云うのでな。借りてるぞ?」
もう教授のからかいなんかに反応していられない。
カチッと、スイッチが切り替わるのを感じる。一切の感情を排し、目的を果たす為の“仕事モード”へ。フルスピードで思考が回転する。
…とにかくエステルをここから連れ出さなくては。当て身で行くか、峰打ちで行くか。姑息な手だけど、前回の即効性睡眠薬もまだ残っている。
教授の目の前でエステルにキスするのは嫌だが、怪我させずに済むのは確かだ。
エステルが動いた。
殺気も邪気もない、流れるような動き。一撃目は難なくかわし、二撃目を払いのける。ガードしようとしたエステルの肘を跳ね上げ、剣の束で鳩尾を狙う。
「…くっ!」
駄目だ。タイミングを逃した。相手がエステルなせいか、攻めに集中できない。
…実を言うと、エステルに攻撃を当てたことはほとんどない。ブライト家に来て間もない頃、加減を誤ってエステルの腕を折ってしまって以来、寸止めを自らに課している。
あの日、エステルの強さに打たれて、二度とこの手で彼女を傷つけまいと決めたのだ。
自慢にもならないが、そのせいで模擬戦中にエステルに腕をへし折られたことも一度二度ではない。
僕はエステルに剣を向けられるのか?
エステルの繰り出す剣戟を受け、流し、避けつつも、思いは千々に乱れて混乱を呼ぶ。
どうすればいい。どうすれば…。
(続く)