午前11時。オルガンによる聖歌が奏でられ、ややあって礼拝堂正面扉が開く。  
外より堂内の方が暗いので、入場してきた2人の人物の顔は逆光でよく見えない。  
しかし、シルエットでエステルの横にいる人物がエルガーではない事に、ヨシュアはすぐに気付いた。  
(まさか……)  
扉が閉まり、人物のバックの光源が消えるとその正体が明らかになる。  
それはヨシュアが最も今日この場にいて欲しいと願った、この世で一番敬愛する父親だった。  
「っと、とうさ…」  
直前までてっきりエステルはエルガーと一緒に入ってくるものと思い込んでいた所為で、ヨシュアも少なからず面食らう。  
鳩が豆鉄砲を食らったように目をパチクリさせる息子に気付いたカシウスは、軽く笑って右目でウィンクを投げて寄越してきた。  
たったそれだけのアイコンタクトで相手の意図を察すると、ヨシュアの顔に笑みが戻る。  
見るとエステルは状況が未だ身に染み込まず、心ここにあらずという感じだ。  
まぁガチガチになられるよりはましか、と心の中で苦笑する。  
そして、ヨシュアはそこで遅ればせながらエステルの麗姿に目を奪われた。  
こんな風にドレスを着て美しく装った彼女を見るのは初めてで、普段とのギャップの所為もあるが、やはり好きな女性の麗容を目の当たりにして、目を奪われない男はいない。  
心臓が早鐘を打ち頬が紅潮するのが分かる。  
そんなヨシュアの眩しそうな視線に気付いて、エステルははっと我に返る。少し恥ずかしかったのか照れ笑いを浮かべると、背筋をしゃんと伸ばし姿勢を正した。  
そうこうする内に、バージンロードを歩んできた2人は祭壇前に控えるヨシュアの元へ着き、カシウスはエステルの手をヨシュアに引き渡した。  
そして、カシウスは右手でヨシュアの肩を抱えるようにぽんと叩くと、ヨシュアの目を見据えてにんまりと笑った。  
瞬間、ヨシュアの脳裏に出会った頃からの事が思い起こされる。  
この人に救われなければ、自分は今ここにいるどころか生きているかどうかすら分からなかった。  
それがあの人…ワイスマン教授の思惑上での事でも、これ以上の僥倖などなかったと思っている。  
そして、“エステル”というかけがえのない存在と引き合わせてくれた。  
そんなエステルとの結婚を反対するどころか二つ返事で祝福してくれた、最愛の父親。  
子供ができたと意を決して報告しても、大して動じず「この甲斐性男め」と冷やかしながらも本心から喜んでくれた。  
肩に触れる大きな手の温もりに、言葉で伝えるよりも多くの気持ちが込められているのをヨシュアは感じた。  
(僕はこの人の息子になる事ができて、本当によかった。──そして…)  
ゆっくりと決意を込めて頷き返すヨシュアを確認すると、カシウスはもう一度ヨシュアの肩を叩いてからその場を離れ、ステラがジェスチャーで教えてくれた自席へと移動した。  
(空の女神エイドス…──エステルという、何にも代えがたい存在を、僕に与えてくれた事に感謝します──)  
ヨシュアはエステルの手を取り、互いに目を合わせ軽く頷き合うと、デバイン神父が聖書を持って厳かに立つ祭壇前へ歩を進める。  
 
デバイン神父は聖書からの引用を交えて、夫婦になるという事、愛とはどういうものか、といった事を説いていく。  
ただ、冗長的にならないように的確な言葉で手早く纏めてくれた。  
そして、神の前で永遠の愛を誓う宣誓に移る。  
それまでは、ただ前を向いて霊験あらたかな言葉を聞いていればよかった2人の鼓動が、嫌が応にも高鳴り始める。  
「では、新郎ヨシュア・アストレイ。貴方は病める時も健やかなる時も、終生変わらぬ愛を誓いますか?」  
「はい、誓います」  
ヨシュアの淀みの無い声が堂内に響く。  
 
──誓えない筈が無い。もしエステルが何らかの理由で自分に愛想を付かせる事があっても、自分からは決して彼女を見限ったりしない。  
“個”としての自我が希薄だったあの頃、暗く澱んだ闇の世界から久しく忘れていた柔らかな陽の当たる世界へ自分を引っ張り上げ、固着してくれたのはエステルだ。  
そして、その光には暖かさがある事も思い出させてくれた。  
自分と“最後”まで一緒に行くとも言ってくれた。  
それはどんなに自分を救ってくれた言葉だっただろうか。  
それが今日、“終生”という意味に変わって、誓いとなる。  
 
エステルは、ヨシュアの横顔に宿る揺るがない決意を見て取って、至福感に満たされる。  
自分は今日彼と結婚するのだという実感が身中に湧き上がってくる。  
白い礼服がすらりと伸びた長身に映えていて、今更ながら“格好いい”という感想を胸に抱く。  
さっき現状を把握できたのも、そんな彼の姿が目に飛び込んできたからだ。  
「新婦エステル・ブライト。貴方は病める時も健やかなる時も、終生変わらぬ愛を誓いますか?」  
「はい、もちろん誓います」  
凄惨な過去や自身の暗部、背負った罪に苦悩しながら、それでも立ち上がり進む事を選んだヨシュア。  
いつでも、自身を顧みず自分を守ろうとしてくれるヨシュア。  
けれど、レーヴェも言っていたように、強くあろうとする心は何かのきっかけで簡単に折れてしまう脆さも抱えている。  
そんな時は自分がヨシュアを支えたい、肩を貸して前を向いて共に生きていく事をいつでも選びたい。  
これはその為の誓い。  
 
勝手に予定に無い副詞を足したエステルを反射的にヨシュアが盗み見ると、彼女は得意満面のしたり顔でぺろりと舌を出した。  
(君って娘は…)  
嬉しくて、そんな言葉が喉まで出かかる。  
その2人の様子を優しい笑顔で見つめながら、デバイン神父は予定通り指輪の交換、その次の段取りへと式を進行させていく。  
「では、誓いのキスを…」  
デバイン神父の言葉を受けて、ヨシュアはエステルのヴェールを両手でそっとめくり上げ、顔を寄せながら彼女にしか聞こえないような小さな声でそっと囁いた。  
「とっても綺麗だよ、エステル…」  
「ヨ、ヨシュ…ん…」  
さっと頬を染め、エステルの口から漏れ出た音が目の前の人物の名を象る前に、彼女の唇にヨシュアのそれが重ねられた。  
その時、祭壇の正面、デバイン神父の背面側の礼拝堂のステンドグラスに外から陽が差し、色を纏った暖かな光が2人を照らし出す。  
席の方からは逆光の形になり、影になった2人の輪郭を柔らかく浮かび上がらせた。  
堂内に声にならない溜息が浸透する。  
それは空の女神の計らいによる、厳浄な誓いの口付けだった。  
 
 
「ハ、ハイジャックぅ!?」  
居酒屋アーベントの店内にエステルの素っ頓狂な声がこだました。  
現在イベントは場所を替え、披露宴代わりの無礼講なお食事会に突入していた。  
席が足らないので立食パーティーのスタイルを取っている。  
礼服に身を包んでいた者も、ほとんど平服に着替えており、エステルとヨシュアもいつもに近い服に衣装を戻していた。  
「まぁ、具体的な脅迫も要求もさせない内に、俺が虚を付いて速攻解決させたから、未遂だがな」  
ぐいと酒をあおりながら、カシウスがのほほんと答える。」  
「乗ってた定期船がハイジャックされたから遅れたって……タイミングが悪いというか、いいというか…」  
「よかったと考えるべきだよ、父さんがその場に居合わせた事をね。犠牲者も出さずに1時間そこらで解決って、そうはない話だよ」  
「だから、リアルタイムの情報が、飛行船公社にも入ってこなかったのね。発生から解決までが短すぎて」  
「入ってたのかも知れないけど、乗客を人質に取られた事件なだけに、対応がデリケートになってたのかもね」  
エステルの台詞にヨシュア、シェラ、アイナの順で、おのおのが意見を述べていく。  
「いや〜、プライベートで貴重な体験をさせてもらえるとは思いませんでしたよ」  
「え〜?私は怖かったですよ〜」  
そう言って、横から身を乗り出してきたのはリベール通信社のナイアルとドロシーだった。  
2人はエステルとヨシュアの結婚式に顔を出す為、カシウスと同じ便に乗ってロレントに向かっており、そこでハイジャックに遭遇したのだという。  
そしてその後、カシウスと一緒に軍の飛空挺に乗せてもらってロレントに着いたらしい。  
因みに、飛空挺から降りた後はカシウスの脚力について行けなかったので、教会に辿り着いた時にはもう式は始まっていたそうだ。  
事件の話を聞いた時にはさっと顔を青ざめさせていたクローゼが、ほっと胸を撫で下ろしながらカシウスに問う。  
「犯人は何を要求するつもりだったんですか?」  
「始末は駆けつけた王国軍に任せてきましたんでね、詳しい事は後ほど判明するでしょうが、どうやら飛行船公社を相手取って、身代金を要求するつもりだったみたいですな」  
「まぁ…」  
「なんてリスクの高い非効率的な事を…」  
エステルが呆れた様に呟く。  
「まぁ、半分愉快犯みたいなものだったな。だから速攻でお縄にかけられたともいえる」  
「思想的な組織が絡んでいたら、手が込んでるかもしれないしね。そういうのは躊躇もしないし…」  
「そうね」  
大陸を行脚している間に、何度かそういう事件を見聞きした事もある。他ならぬヨシュアには、似たような実経験もある。  
そう考えれば、不幸中の幸いだったと言えるかもしれない。  
「でも、父さんが無事でなによりだわ。もう間に合わないかと思ったけど」  
「なかなかにくい演出だっただろう?」  
「何言ってるのよ、もう」  
呑気な父親に、エステルが一応憤慨してみせる。印象深い結婚式になったのは確かだが、肝もかなり冷えた。  
ともあれ、事件は大事に至らなかった事が分かり、一同の間には和やかな笑顔が戻る。  
そこで、ナイアルがエステルとヨシュアの側へ寄ってきて言った。  
「それじゃ、申し訳ないが俺はちょっと社と連絡を取りたいんで、お暇するぜ。ドロシー、お前はゆっくりしていきな」  
「は〜い」  
「…あっと、事件を撮った感光クォーツだけは預かっていくからな」  
「あ〜、でもこの中には、さっき教会の玄関で撮った、エステルちゃんとヨシュア君のツーショットや、団体ショットなんかも入ってるんですよ〜」  
「分かった、分かった。それも一緒に現像しとくから」  
「相変わらず、慌しいのね」  
「今日は来て下さって有難うございました」  
多分、明日のリベール通信の一面はこの記事になる事だろう。  
 
 
一方、エステルとヨシュアの横ではティータが始終顔をにやけさせていた。手にはブーケが収められている。  
元々はエステルが式の間、手に持っていたものだ。  
風向き、風力、エステルの利き腕、腕力etc...、その時得る事ができる全ての情報を総動員して弾き出した計算結果に基づいて、岩をも通す一念で手に入れたものだ。  
誰か意中の相手でもいるのだろうか。  
「そういえば、お兄ちゃんて養子になる前は“アストレイ”って苗字だったんだね」  
ティータがふと気付いたようにヨシュアに話しかけてきた。  
「え?…ああ、うん。ティータには話してなかったかな。  
 血が繋がってないとはいえ、さすがに戸籍上の兄妹同士で結婚するわけにはいかないからね。一旦籍を抜いてもらったんだ」  
「あたしはさ、“お嫁に行ってもよかった”のよ?でも、ヨシュアがどうしても自分がお婿に行くって」  
「まだ言ってる。だってそっちの方がどう考えても妥当じゃないか。僕は22年の人生の後ろ半分を、ほとんど“ブライト”で通してきたんだから」  
「でも…」  
もの言いたげな目をしてエステルがヨシュアを見る。  
エステルは自分が一人娘なせいで、もうヨシュアしかいない彼の実家の筋が途絶えてしまう事を気にしている様子だ。  
しかしヨシュアにとって、それは大した問題ではないのだった。  
父母も姉も、失くした大切な家族の事は、いつでもこの胸の中にある。  
それに、彼女のお腹に宿っている小さな命には、確かに自分の血が流れているのだ。  
それで充分だと思えた。  
だからヨシュアはにっこりと笑いながら言った。  
「いいんだよ、エステル。僕はカシウス・ブライトの“息子”でいたいんだ」  
「そりゃ、光栄だな。では、“婿養子”として俺の名を継ぐからには、改めてこれからびしびし鍛えてやらんとな」  
ヨシュアの言葉に、カシウスが意味深な反応を返す。  
「…え?改めて鍛えるって、今は父さん職場が違うじゃない?」  
「おいおい、俺は軍に終身雇用されたわけじゃないぞ?クーデター事件で傾いた軍部の立て直しを手伝う為に、一時復帰していただけだ。あらかたやるべき事は済んだし、後進も育ってきている。そろそろ手を引く頃合だと思ってな」  
「もしかして父さん、遊撃士に復帰するって事?もう50歳よ?現場に出る歳じゃ…」  
「何を言う。“まだ”50歳だ。引退するにはまだ早い。もう一花くらいは咲かせないとな」  
「S級遊撃士復活ですね」  
アイナがシェラと2人で強めの酒を空けながら、にこやかに言う。  
人材の斡旋も行う受付の彼女にしてみれば、これ以上頼もしい人物の復帰はない。  
「どうせなら、お前たち2人の新たな門出に合わせたいと思ってな。『立つ鳥跡を濁さず』といきたかったんで、少し周りにも無理を言ってぎりぎりまで粘ってしまった。…ま、それで式に遅れてたら本末転倒なんだがな」  
「え?じゃあ父さん、もしかして…」  
「ああ、昨日付けで軍を辞めてきた」  
 
「は、はあ…」  
「決めてからの行動が早いのは、父さんらしいね」  
エステルは呆気に取られた顔で生返事をし、ヨシュアは相変わらずの父親の行動力に感心する。  
すると、少し離れた席からエルガーがカシウスを呼ぶ声がした。  
「おーーい、カシウス、こっちに来いよ。久し振りに積もる話といこう」  
カシウスがそちらへ視線を向けると、エルガーの他にも同年輩の顔見知りが何人か揃って椅子に座りながらテーブルを囲んでいる。  
同意の返事をして、カシウスはその場を離れようとする。が、ふと立ち止まって懐から手紙を出すと、エステルに手渡した。  
「ああ、それからエレボニア帝国大使館経由でこの手紙を預かってきた」  
「え?帝国?」  
「父さん、それって…」  
「まあ、読めば分かるんじゃないか?」  
そう言い残してカシウスは場所を移っていった。  
 
その父を目で追いながら、エステルが不満をこぼす。  
「まったく父さんたら、軍を辞めるなら事前にそう教えてくれればいいのに。勝手にサプライズを仕込んでるんじゃないわよ。ヨシュアもそう思うでしょ?」  
「はは、まぁね。はらはらしたのは同感だよ」  
「ほんとにもー、突然決めちゃうんだから」  
「でも、軍を辞めるっていうのは多分、父さんなりのこだわりなんじゃないかな。エステルが家に戻ってくるなら、家族は一緒にいるべきだっていう…」  
「あ…」  
「君だけじゃなく、父さんもレナさんを亡くした時の事は忘れられないんだと思うよ」  
「父さん…」  
そこまで言ってから、ヨシュアは悪戯っぽく笑って付け足す。  
「サプライズは完全に趣味だと思うけどね」  
「…おかげでいらない緊迫感まで付加されたわ…」  
そんな事を話しながら、エステルは手元で先ほど手渡された手紙を開いてみる。  
数行読んで思わず声を上げてしまった。  
「うわっ」  
「やっぱりあの人からだったみたいだね」  
そう言いながら、ヨシュアが横から首を伸ばして手紙に目を落とす。  
 
 
『  拝啓 親愛なるエステル君(はあと)ヨシュア君  
 
 この度は結婚おめでとう。  
 そして、式へのお招き有難う。招待状は受け取ったよ。  
 僕の見初めた仔猫ちゃんたちが、数々のロマンスを経てめでたくゴールインしたというのだから、祝福に駆けつけないという話はないのだけれどね。  
 しかし、何と言うか止むを得ない事情で行く事ができなくなってしまった。とても、…かなり残念だ。  
 予てから君たちの晴れの舞台では、僕の華麗なリュートとピアノの演奏でもって、盛大に場を盛り上げるのが野望であっただけにね。  
 いやはや、やんごとなき身分というのは厄介なものだよ。  
 もう一度モラトリアムを満喫したいと冗談でミュラーに言ったら、“二度とこの国の敷居は跨がないと誓うならな”と冷えた視線を氷の刃にして突き刺されてしまった。穴だらけのチーズみたいな有様になりそうだったよ、はっはっはっ。  
 そんな訳で、行けない代わりに後ほど大輪の薔薇の花束でも贈らせてもらうとしよう。楽しみにしていたまえっ。  
 
 では、また会う日まで。チャオ♪  
 
               君たちの オリビエ・レンハイム より    
 
 追伸  
 当時の仲間の皆にも、よろしく伝えておいてくれると嬉しい。  
 今となっては、シェラ君に付き合わされた夢見る心地の地獄の酒が懐かしいよ。  』  
 
 
「仔猫っていうなっ!しかも“盛大に”って……。手紙の上でも相変わらずとぼけた男ね。来なくて良かったと思っちゃうわ…」  
「間違いなく、オンステージは開催されてただろうね」  
手紙を読み終えた後、2人で顔を見合わせて苦笑を交わし合う。  
そんなエステルとヨシュアの様子を窺っていたのか、シェラが2人の側に寄ってきた。  
「何?オリビエから?」  
「うん、今日は行けなくて悪い、って。あと、シェラ姉の事も書いてあるわよ」  
そう言いながらエステルは手紙をシェラに見せた。シェラは手早く斜め読みで手紙に目を通していく。  
「ふぅん…まぁあの身分じゃ、ほいほいと他国の、しかも市井の祝い事には出てこれないでしょうしね、仕方ないんじゃない?」  
特に何の感慨も無さそうにそう言うシェラの横顔を、エステルが思わせぶりに覗き込む。  
「…シェラ姉、残念そうね?」  
「あんたまだそんな事言ってんの?あんたと同じようにもう5年も会ってないってのに、変な勘繰りしないでよ」  
シェラは「あー、失敗失敗」とか言いながら、元いた場所へと戻っていく。  
「なんだかね〜、どうも読めないわ、掴み所無くて」  
「エステル…、君は好きだね、そういうの」  
「自分の事には疎かったのに」という言葉がヨシュアの頭に浮かんだが、言わずにおく。  
しかし、そんな彼も人の事は言えない自分に気付いていないのだから、似たもの夫婦といえるのだが。  
 
「そういや、エステル。お腹に子供がいる事、皆に言うんじゃなかったの?」  
「…あ、ハイジャックの話の所為ですっかり忘れてた」  
「もう、改めて言い出す雰囲気じゃないね、これは」  
そう言ってヨシュアは周りを見渡す。もうあちらこちらで酒が浸透して、宴もたけなわな状態になっている。  
「んー…、でもそれなんだけどね、シェラ姉とかクローゼとかティオとかエリッサとか、知らせときたい人にはもうばれちゃったのよね。…あ、ティータが知らなかったか。後で言っとかなきゃ、拗ねちゃうかも」  
「女の子同士の付き合いは大変だね。僕にはちょっと分からないや」  
男のヨシュアには、横の繋がりを大事にする女性の友達付き合いに、得心がいかない。  
「まぁね、生む側だからかしらね」  
「いや、それだけじゃなくてさ」  
 
その時、ぽんとヨシュアの肩に手が置かれた。  
「よう、ヨシュア。久し振りだな」  
「え?」  
ヨシュアが反射的に振り向くと、そこにはジェニス王立学園で一時的にではあるがルームメイトだったハンスがいた。  
「私もいるわよ。クローゼから聞いたの。2人ともおめでとう」  
ハンスの横にはジルも立っていた。2人とも以前より随分大人びて見えた。  
「ハンス!ジル!来てくれたんだ、有難う」  
エステルが嬉しそうに体を揺らしながら返事をする。  
ジルと手を合わせてきゃあきゃあとはしゃぐ。  
「つつがなくゴールインしたみたいだな。おめでとう、お二人さん」  
「あ、有難う、ハンス。来てくれて嬉しいよ」  
そう照れくさそうに答えるヨシュアの姿が、どことなく嬉しそうにエステルには見えた。  
それならばと、エステルは少しヨシュアの背中を押してやる事にした。  
「折角だから、男同士積もる話でもしたら?私はジルとクローゼとでお喋りしてるから」  
「エステル…」  
「そうだよ、俺もお前に色々訊きたいと思ってたんだ。どんな旅をしてきたんだ、とかさ」  
エステルはぱちんと一つウィンクをヨシュアに投げると、男二人を残してその場を離れた。  
等身大で話のできる友達がヨシュアに増えてくれるのが、エステルには嬉しかったのだ。  
ヨシュアは、人当たりがよく誰とでも器用に話を合わせる事のできる人間なのだが、ある一線から一歩踏み込んで付き合うのに尻込みするきらいがある。  
(もちろん、女の子相手に一歩踏み込まれちゃ困るんだけどさ…。ヨシュアはもてるし…)  
だから、ハンスのような押しの強い同性の同世代が、周りにいてくれるのは有難い。  
(女同士の付き合いは分からなくても、男同士の付き合いは大事にしなくちゃね。ヨシュアは男友達少ないんだから)  
 
 
そしてその後も、懐かしい顔振れから次々とお声がかかる2人だった。  
しかし、他ならぬこの日の主賓だったのだから、人気者になってしまうのは仕方がないといえば仕方がない話だった。  
 
「エステルちゃーーん、綺麗だったよ〜!」  
「挨拶が遅くなってすまないね。今日はおめでとう」  
「アネラスさん!それにクルツさんも。それにカルラさんやグラッツさんまで!」  
アネラスとクルツの横で、カルラとグラッツも手を振っている。  
「あー、あたしもいつかお嫁さんになりたーい!」  
 
ご多分に漏れず、アネラスも結婚願望持ちだと分かったり・・・  
        ・  
        ・  
        ・  
 
「エステル姉ちゃん!ヨシュア兄ちゃん!」  
「クローゼから声を掛けてもらったの。2人とも随分逞しくなって…。見違えたわ。おめでとう」  
「クラム!テレサ院長まで…。有難うございます」  
 
一回りも二回りも大きくなったマーシア孤児院の子供たちの面々に、改めて5年の歳月を実感したり・・・  
        ・  
        ・  
        ・  
 
ただ、最後に酒席で一番捕まりたくなかった相手に捕らわれてしまったヨシュアには、災難が待っていた。  
オリビエ曰く“夢を見ながら地獄に落ちる心地”という境地の片鱗を、望む、望まざるとに関わらず知る事になる。  
 
 
そして宴は日が暮れるまで、一部では暮れた後も続いた・・・・  
 
 
 
 
 
窓の外では草木に朝露が光り、小鳥の囀る声が響いている。  
「うーーん…、どうしようかしら…」  
結婚式から一夜明けて、自宅のダブルベットの上で半身を起こし、顎に手を当ててエステルが呟く。  
隣には、まだ夢の中をたゆたっているヨシュアが横たわっている。  
「新婚初日の朝なんだし、なんというかこう…優しく起こして言ってみたい台詞なんかもあったりするんだけど…」  
更に、いつもなら先に起きる割合の高いのはヨシュアなので、チャンスとしては今が最適だったりするのだが…  
昨日、遅くまで来賓の酒に付き合わされたヨシュアを、ゆっくり眠らせてあげたい気もする。事実、顔色も少し悪い。  
試しに口元で小さく練習してみる。  
(「朝よ。起きて、“あ・な・た”」…とかって…)  
「…だ、だめっ、やっぱ恥ずかしすぎっ」  
結局一人で頬を染めて一人で身悶えする。  
(父さんの事、“あなた”って呼んでた母さんは偉大だわ…)  
一頻り一人上手をやってから、はたと気付いて、咄嗟に隣のヨシュアを窺い見る。  
依然彼は、少し眉間にしわを寄せながら、昏々と眠り続けていた。  
エステルは一つ息を吐き、ベッドから降りると手早く服を着替えた。  
そして部屋を出て行こうとして、何かを思い出したようにヨシュアの側に戻ると、頬にキスだけして彼に毛布を掛け直してやってから、部屋を出て行った。  
エステルが部屋を出て行った少し後、ヨシュアが身動ぎし、眠ったまま右手が持ち上げられる。つと、彼女がキスをした辺りの自分の頬を、夢うつつのまま指で撫でる。  
しばらくして、ゆっくりと琥珀の瞳が開かれた。  
 
「…エステル?」  
 
 
「んーー、よく寝たぁ」  
エステルは2階ベランダに出て大きく伸びをする。  
前日は終日充実した一日を過ごしたので、とても寝つきがよかった。疲れていたともいう。その為、とてもぐっすり眠れたのだ。  
「今日もいい天気ね」  
少し雲が流れているものの、快晴といえる空から注ぐ陽の光と、森から流れてくる朝の少しひんやりした空気が心地いい。  
今日は布団を干すいい日和だとエステルが考えていた時である、後ろでドアの開く音が聞こえた。  
「エステル…おはよう…」  
現れた人物はヨシュアだったのだが、若干眉間にしわを寄せながら頭を抑えていた。やはりなんだか顔色も悪いし、足取りも少し重いように見える。  
「あれ、起きちゃったの?まだ寝てていいわよ」  
「二度寝はできない性分でね…」  
ヨシュアはややおぼつかない足元のまま、エステルの近くまでやってくる。  
 
「…大丈夫?やっぱ二日酔い?」  
「少しね。酔ったシェラさんに付き合わされちゃったのが運のツキだったみたいだ」  
「昨日、シェラ姉には一杯世話になっちゃったもんねー…」  
いつもなら、自分の許容量を心得ているヨシュアが飲み過ぎるという愚行を犯す事はまずない。  
しかし、エステル共々多大に世話になった相手から勧められた酒を、無下に断る事ができなかったのだ。  
更に、妊娠中のエステルに飲ませる訳にはいかなかったので、その分を被らざるを得なかったというのもある。  
酔ったシェラというのは、飲ませ上戸になる事がままあった。  
「顔洗ってちょっと風に当たったら、さっぱりするかなと思ってさ」  
そう言ってヨシュアはベランダの床に腰を下ろす。  
同じようにエステルもヨシュアの横に並んで座ると、心配そうに彼の顔を覗き込む。  
「朝ご飯食べられそう?」  
「うーん…、ちょっとつらいかな」  
「そっか…。…ゴメンね、あたしにお鉢が回ってこないように気を使ってくれてたんでしょ?断ると酔ったシェラ姉は絡むから」  
「まぁね。父親の責任といったところかな」  
「もう、なによそれ」  
「真顔で恥ずかしい事言わないでよ」と付け加えて、エステルが頬を赤らめる。  
しかし、同時に安心もする。  
ヨシュア自らの口から、自身を『父親』と格付ける言葉がさらっと出てくるくらいなら、子供に対しての当惑に関してはもう大丈夫だろう。  
昨日、シェラ達には解決した問題だと話しはしたが、未だにヨシュアは何を考えているのか分からない所があるので、確証が欲しくて本心をなんとなく探っていたのだ。  
これで本当にほっと胸を撫で下ろす。気がかりが一つ減った事で心が軽くなり、エステルはなんだか嬉しくなってくる。  
その所為でか、ふとある事を思い出した。  
「そういえば、父親っていえばさ……ふ、ふふっ」  
エステルが突然くすくすと笑い出したので、意味の分からないヨシュアは首をかしげる。  
「…何さ?いきなり」  
「この子ができたって知らせた時に、最初にヨシュアが言った台詞を思い出しちゃったのよ」  
途端、ヨシュアは「げっ」という表情になる。  
「…根に持つなぁ…」  
「そりゃ、第一声が“間違えた…”じゃ、根に持ちたくもなるわよ?」  
「…だからさ、それは…」  
「“あたしの生理の周期を間違えた”って事でしょ?あの時散々弁解してもらったし、もう怒ってないけど、今は思い返せば思い返すほど笑えてくるのよねー。何でヨシュアがそんなの知ってて、しかも計算してるのよ、って」  
「生来の分析癖だから、仕方ないだろ…」  
「この子が大きくなったら言ってやろうかしら。あなたはパパの計算間違いで生まれてきたのよ、って」  
「………」  
ヨシュアは無言のジト目でエステルに抗議してくる。  
「嘘よ、冗談、冗談。いつかはできちゃうだろうなぁって思っていたし、あたしはそれでもよかったから」  
「でも、君の小さい頃からの夢だった遊撃士をこんなに早く休業しなくちゃならなくなってしまって…、ゴメン、もっと気をつけるべきだったかも…」  
「こら。子供は天からの授かりものなんだから、即物的に考えちゃダメよ」  
そう言ってエステルはヨシュアの額を小突く。  
 
「ご、ごめん…」  
「…まぁね、確かに残念に思ってないって言ったら嘘になるけど…、でも予想の範疇よ。頃合を見てまた復帰すればいいんだから。それにね…」  
そこで一旦言葉を切って、エステルはヨシュアの耳元に顔を近づけて囁いた。  
 
「ヨシュアの赤ちゃん、欲しかったから」  
 
次の瞬間、ヨシュアの顔は火を噴出さんばかりに真っ赤になっていた。脳が沸騰して二の句も告げられない。  
おかげで二日酔いの頭痛など吹き飛んでしまった。  
「…き、君こそ、よくそんな恥ずかしい事、真顔で言えるよ…」  
「だって…、好きなんだから当然の事、でしょ?」  
「…………うん…」  
もうヨシュアは赤ら顔のまま俯くしかなかった。  
 
「あ。そうだヨシュア、あのね…」  
ヨシュアほどではないにしても、同じように顔を赤らめて俯いていたエステルがおもむろに口を開く。  
「うん?」  
「実は、この子が男の子でも女の子でも、もう名前は決めてあるのよ」  
「…?どんな?」  
「ヨシュアのよく知ってる名前だと思うわよ?」  
「…え?…もしかして…」  
「“嫌だ”って言ったって聞かないからね」  
そう言って新妻エステルは嫣然と微笑んだ。  
彼女の意図を理解したヨシュアの顔が、じわじわと幸せの色にほころんでいく。  
「個人的にはこの子は女の子だといいな、って思っているの。えーっとあれ、一姫二太郎っていうでしょ?」  
「…うん、そうだね」  
にっこりといつものように微笑み返しながらも、ヨシュアは目頭が熱くなってくるのを感じていた。  
それをエステルに悟られたくなくて、無意識に上を向いて空を仰ぐ。  
そんなヨシュアの肩に、ただ黙ってエステルは頭を預けてきた。  
 
空はどこまでも蒼く、朝の太陽の光もまた暖かく2人の頭上に降り注いでくる。  
当たり前の日常を、大切な人と迎えられる事の幸せ。  
ヨシュアはそれを自分に与えてくれた人々へ想いを馳せる。  
 
 
カリン姉さんやレーヴェや、そして父さんに救ってもらったこの命。  
掛け値ない好意と愛情を注いで、凍った僕の心を溶かしてくれたエステル。  
戸惑い、二の足を踏みそうになる時も、躊躇などせずいつでも颯爽と僕の手を取ってくれる。  
手を引いてくれる君がいるから、僕は前を向いて駆けてゆける───  
 
 
口付けを交わす2人の間を、爽やかな軟風が吹き抜けて行った。  
 
<おわり>  
 

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