臆病は悪いことではない……それは彼の口癖でした。  
 自分の臆病を知りつつも、逃げないことこそが大切なのだと。  
 
「……だからといって、ハーレックにつくなり溺死寸前になるのはどうなのかな」  
私は、『最後の騎士』第二章の冒頭を書きながら、ついつい呟いた。  
描写場所としては、私と彼がハーレックの街について、彼が町はずれの遺跡に行ったあたりのこと。  
オーウェル湖の水はとても綺麗で、水辺に映る島の姿はたしかに美しかった。  
湖についつい飛び込んだ彼の行動は分からなくもない。私もハーレックの街の人もびっくりした。  
けれど、湖は広く、彼の背丈よりも水深は深かった。  
だから、溺死寸前となった彼を助けるため、街の人々に所持金の半分を謝礼として支払う羽目になった。  
以来、失態ぶりに反省してるらしく彼はそのような行動に出ることはなくなったのだが……。  
「あと、何かちょっと前にもハーレックの街を中心に彼がちゃんちゃんばらばらしてた気がするんだけど……赤い髪で」  
 ドラスレも別の場所にあったような……。こちらは不思議となかなか思い返せない。  
彼に聞いても返答が返ってくることがない。昔は赤毛で、ある日唐突に金髪になっていたような気がするのだが。  
やっぱり……Fa……いや、どっかから圧力があったのかな。  
それはともかく。   
最後の騎士というフレーズは私の思いつきでもあるけど、なかなか良い感じだとは思う。  
もう騎士のいない時代にあって、騎士としての生き方を選びつづけた彼に相応しいのは、  
やっぱり最後の騎士という名前だと思うから。  
まあ、その、いつになるか分からないけど本になって世に出た時、  
このタイトルなら購買者を惹き付けられるかなって打算もちょびっとはあるけれども。  
「……あ♪」  
 彼が帰ってきた。私は執筆の手を止め、  
「おかえりなさい! 今日はどうだった?」と声をかけた。  
 
私がこの本……『最後の騎士』を書くのは彼が出かけている時か武具の手入れや荷物の整理をしている時だ。  
それほど執筆ペースは速くない。  
彼が出先で見つけた古文書や文献があればそちらの解読の方を優先するし、お弁当作りもある。  
宿に長逗留する時は、感謝の気持ちも込めて宿のお手伝いすることもあるし。  
今のところ、私が書けているのは序章と第一章。  
第二章はハーレックの街についてちょっと経った頃までだからまだまだ先は長い。そもそも全何章になるかの見通しもついていないが。  
このペースだと本にまとまるのには数年先か数十年先かという感じだ。  
まあ、彼の人生はまだまだ続くし、これからもいろいろな出来事に巡り会うわけだから急ぐことでもない。  
二人でいる時間を大切にしたいって気持ちもある。  
そして、……彼のことを書いてるのを見られるのは、何だか恥ずかしい。  
文章で書いてる時の私の語り口は、冷静を勤めている。普段の私のしゃべり方とははっきり言って別人だ。  
だから、執筆中の草稿は隠していた。そもそもの執筆許可は、  
「ねえ、……今まで巡りあってきた出来事のこと、書き残していってもいいかな?  
 北海騎士団のお話とか、リーゼさんのこととか」  
と、それとなく聞いた時に彼がまあ良いだろうという表情をしたから、許可はおりてると解釈しているレベルだ。  
 
宿で夕食を取りがてら、彼が今日体験した出来事を聞いた。これも、いずれ何章かで書くことになるだろう。  
まだまだ現在抱えてる件は時間がかかりそうだ。部屋に戻るなり、黙々と武具を手入れしてから、明日持っていく荷物の整理をはじめた。  
「……お金は足りてるの?」  
整理整頓中の彼は本当に黙々と作業をこなす。私は机に書きかけの原稿を出しながら、彼に声をかけた。  
返答はなかった。今日に限ってはどうやらお金は足りているらしいし、私に預けることもないようだ。  
私もまた、執筆に入ることにした。  
 
さて、クローヴァー遺跡に出て行った頃の話はどう書き出したらよいものか。  
遺跡間の繋がりは彼の話を聞いただけでは要領を得ず、図まで書き出してもらったほどだ。  
彼はかなりまめに探索した遺跡の地図を書く性分だからそのあたりは助かった。  
まだ文章はそこまで行ってないけれど奇岩城だけは複雑な多層建築だったらしく、  
書いてもらった地図を見てもさっぱり分からないのだが。  
「シャル、ゴールドを1000ほど出してくれ。やはり念のため薬をあと一瓶ほど買っておきたい」  
「……きゃっ」  
かなり考えに没頭していたらしい。声をかけられて、ようやく気付いた。  
いつの間にか手入れも整頓も終わった彼が、手元をのぞき込んでいるのに気付いて、  
私は思わず悲鳴を上げた。  
 
「えっと、これは、その……」  
「──何故、こんなことを書くんだ」と、彼は怒気を含んだ低い声で言った。  
そこには、……ハーレックの街につくなり溺死しかけた彼に対する驚愕と愕然とが書かれていた。  
彼の表情には、さまざまな色が浮かんでいた。恥ずかしいだの驚きだの、そんな色が。  
「あのね、……こういう風なお話も中にはあっても、……いいかなって」  
何を口走っているんだろう。焦る余りか私の口から出たのはとんでもない開き直りだった。  
そして彼の性格上、そのようなむちゃくちゃな開き直りは、内心では許せないものである。  
根が「くそ真面目」な彼は、そのあたりの融通がきかない。  
そのような性格だから今でも仲間達の意志を継いで律儀に「騎士である」生き方をしているし、  
そのような性格だから私もずっと旅に同行しているのだが。  
理解はあっても、この今の彼の怒りをどうこうできるわけではない。  
最終的に不機嫌な表情を浮かべた彼は、何も言わず、荷を片づけて。  
そして、早々にベッドに潜り込んだのだった。  
 
これは疲れてるのか、ふて寝なのか。……多分、両方だ。  
 
……私の書いた文が、彼を傷つけたのだ。  
 
 

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