道中はアルウェンが急いだ事もあってか、かなり呆気なく魔女の家へと着いた。  
 魔物の数が多い金闇の森に似合わず、遭遇するモンスターは極少ない。そして、どの魔物も遭遇するアルウェンを無視し、どこかへと行ってしまうのだ。背後からは知覚を伸ばさずとも、喧騒に包まれているのが分かる。  
 その原因をできる限り考えないようにして走り抜けたのだ。アルウェンは特定の、言うも憚られる魔物に対してのみ無力になる。それにできる限り遭遇しないためだ。  
 それも、ここで終わる。魔女の住処近くに入ってしまえば、魔物が入って来れない結界が張ってある。強烈な緊張を忘れ、やっと心休まる時を味わいながら魔女の家の戸を叩いた。  
「失礼、魔女ラーライラどのはいるか?」  
「やっと来たかね。開いとるよ、入っといで」  
 その回答に多少驚きながら、アルウェンは戸を開いた。やはり、イルバードの異常事態に気付いていたのだ。  
「お邪魔する」  
 中に入ったその先には、黒いサングラスをかけた一人の老婆がいる。幼少の記憶よりかなり老いてはいるが、まちがいなく魔女ラーライラだった。何故か違和感を感じたが、それはまだ体調が完全ではなく、乱れる魔力のせいだろう。  
「壮健そうでなによりだ、ラーライラどの」  
「ふぇっふぇっふぇっ、随分と体の自由が利かなくなったけどね。それでも人間にしては長生きさせてもらってるさ。さ、座ってゆっくりしなさい。ババが今お茶を入れよう」  
「心遣い、痛み入る」  
 椅子の一つに座り、用意されたお茶に心身が休まるのを感じる。このお茶にも違和感を感じたが、こまかい知覚に自信が持てない状況である以上、気にしない事にする。  
「さて、アルウェン様は城を奪った者の事を聞きに来たんだね」  
「うむ、その通りだ。強力な真祖だと言う事だけは分かっているが、それ以上は何も分からん」  
「なら単刀直入に言わせて貰うよ。姫様、あんたはこの件に関わるのはもう止めたほうがいい」  
 なっ、とアルウェンは激昂しそうになった。あれだけの屈辱を受け、道中で数々の辱めを受け、その上で自ら敗北を認めるなど許せるはずが無い。  
 しかし、と一度深呼吸をし、お茶を飲んで心を落ち着かせた。偉大な父が相談役に迎えたほどの人物なのだ、言うのにそれだけの理由があるのだろう、と。  
「訳を聞かせてもらってもよいか?」  
 アルウェンの静かな、しかし激情を感じられる言葉に、ラーライラはお茶を継ぎ足しながら答えた。  
「簡単さ。相手が悪すぎるんだよ。姫様じゃあ太刀打ちできないくらいにね」  
 回答を聞きながら、アルウェンは顔をしかめる。これは相手が強いからと言って、簡単に断念していい問題ではないのだ。とは言え、ラーライラが言う事ももっともである。  
 猫魔人モンブラン、あれは中身が小物であるから問題にならないが、内包する魔力は真祖が従えるに不足があるわけではない。それ以上に人狼ダイガルドは、今のアルウェンでは従える事はできないだろう。それだけの力と誇りを持っていた。  
 容易くないのは分かる。いくら力を減じたとは言え、人が攻略するような遺跡ですら不覚を取る有様なのだから。吸血鬼の真祖の姫として、不甲斐ないと言う外ない。  
 しかし、力押しができないからこそ戦術を覚えたとも言える。ただ戦うだけで最強である真祖にはない力だ。アルウェンが力を全て取り戻し、さらに拙いながらも戦術を使えれば、結果も変わるのではないだろうか。  
 ラーライラが事態を現実的に見ての助言である事は、アルウェンも重々承知している。少なくとも、少し前までのアルウェンでは勝ち目が無かったのだろう。しかし、アルウェンの意思が変わることはなかった。  
「すまない、ラーライラどの。それでも私は賊等に我が城で大きな顔をさせるつもりはない。あ奴らは、今も父上と母上の顔を踏みにじっているのだからな」  
「……どうしても、かね?」  
「ああ、どうしてもだ。ラーライラどのには迷惑をかけんと誓う。だから敵の目的や情報を、少しでも多く教えてくれ」  
「そうかい。仕方がありませんね」  
「ラーライラどの……? いや、これは……」  
 ラーライラの声色が急に変わり、先ほど感じた違和感が急激に膨れ上がる。反射的に距離を取ろうとしたが、その前に体は脱力しテーブルに突っ伏してしまった。  
 力を入れて立ち上がろうとするが、意識すら眠気に押されている状況ではそれも不可能。せめてできる事と言えば、重いまぶたを必死で開き、ラーライラの偽者を睨む事だけだ。  
 魔女の姿が一瞬ゆがみ、現れたのは声に相応しい年代の少女だった。フードを深く被っている為に表情は見えなかったが、その佇まいからは意思が希薄にしか感じられない。  
「くっ、ぬかった。やはり入れ替わっていたのか」  
 
「はい。貴女が体調不良で助かりました。そうでなければ、騙しきる事はできなかったでしょうから」  
 必死で杖だけは手放すまいとするが、それもフードの少女に簡単に奪い取られる。なんとか眠気に抵抗するものの、体が言う事を聞かない現状でどれほど意味があるだろうか。  
「お茶にパンデモニウムの粉末を混ぜました。いくら真祖の吸血鬼と言えど耐えられるものではありません。ゆっくり、眠ってください」  
 すっと、少女の手がアルウェンにかざされる。意識を保てたのはそこまでだった。  
 
 
 
 
 
 アルウェンは夢を見ていた。随分と昔の夢だ。  
 まだ父と母が健在で、幸せに満ちていた子供の頃。やがてその時も終わり、大きな城に一人取り残された数十年。ルゥという従者が来て、かつての騒がしさが少しだけ戻った数年前。最後につい最近、卑劣な昼討ちにより城を追い出された事まで。  
 父と母に誓う、あの時を誰にも踏みにじらせはしないと。たとえ一人でも城を取り戻すと、覚悟を決めて魔力の奪還に邁進し。  
 そこでアルウェンの意識は覚醒した。地に足が着かない浮遊感に違和感を覚えながら、手を動かそうとする。しかし、手はがっちりと拘束されており、動かす事ができなかった。  
 慌てて周囲を見回してみると、腕に木の枝のようなものが絡まっており、それで吊り下げられている事がわかった。ご丁寧に強化の魔法までかけてあるらしく、吸血鬼の腕力でもびくともしない。  
「ニャハハハハハ! 随分簡単に罠にひっかかってくれたニャ!」  
 虚空から声がしたかと思えば、現れたのはいつかの猫魔人、モンブランとフードの少女だった。さしたる強敵という訳ではないが、舐めてかかっていい相手でもない。ましてやフードの少女の実力は知れていないのだ。  
「ふん、つまらぬ真似をする」  
「ふふふ、いくら弱体化してるからと言って、真祖の吸血鬼と正面から戦うほど自信家ではないのでニャ」  
「貴様、ラーライラどのはどうした?」  
「不意を討って眠ってもらったニャ。奴の知識は脅威だからニャ、早めに退場してもらうに限るニャ」  
 ちっ、と舌打ちしながらも、殺されてはいない事実に安堵する。  
 なんとか挽回の手を考えなければいけないが、その方法など無きに等しい。そもそもアルウェンの最大の欠点である、杖がなければ満足に魔法が使えない点を突かれたのだ。拘束されていては力任せの接近戦すらできない。  
「さて、どうするかニャ。廃坑の借りを今ここで返してやるのもいいニャ」  
「そんな事は命令されていません」  
「うるさいニャ。少々痛めつけるくらい、何も言われないニャ」  
 フードの少女の言をばっさり切り落とし、アルウェンをげひた目で見る。こんな状況でしか勝ち誇れぬ誇りの欠片もない相手に、心底不快感を覚えた。  
 こんな小物にいいように言われなければいけないとは。アルウェンのプライドを少なからず刺激していた。もし自由に動けたなら、即座に心臓を抉り取っていただろう。  
 以前ならばそれでも口を開いていただろうが、今は抵抗できない時に行動を起しても悪い結果しか呼ばない事を知っていた。無関心を貫き弱者の戯言と割り切り、勝利に溺れるモンブランを冷めた目で見る。  
「んふっふっふっふ! アルウェン姫はどんな声で悲鳴を上げてくれるのかニャ!」  
 モンブランが杖を回すと、その先端から魔力の光が迸った。光はどんどんと伸びていき、やがてしなりを作る。杖が一閃されると光は地面を叩き、地は抉られたかのように弾けとんだ。  
 魔力抵抗も耐久力も高い吸血鬼に有効な攻撃手段とは言えないが、痛めつけるのが目的ならばそれでも十分だ。いや、わざと殺さないようにその程度に威力を調整しているのだろう。つくづくアルウェンとは性質の合わない相手だ。  
「さあ! 泣き叫ぶがいいニャ……ニャアァ!?」  
 光の鞭がアルウェンに振られようとした瞬間、数個の火の玉がモンブランとフードの少女に向かって放たれた。大した威力ではなく、簡単に防御されるが行動を止めるには十分だ。  
 火の玉の爆発が起こるのと同時に、アルウェンを拘束していた木の枝が断たれる。急な事態に対応しながら事の流れを見ていると、さらに何かが二人に投げつけられて牽制していた。  
「アルウェンさん!」  
「そなたは……スバルか!」  
 いつの間にか自分の隣まで接近していたスバルに、アルウェンは驚きの声を上げる。これだけすぐにここまで来たと言う事は、相当近くに潜んでいたのだろう。  
 杖のないアルウェンはともかく、モンブランやフードの少女にまで気取られない手腕は驚嘆である。特にモンブランは、補助魔法の使い手としてはアルウェンより遥かに格上なのだから。  
 
「里から戻ってきたら、アルウェンさんが捕まってるのに気付いたんです。どうしようかと考えてたら、拘束されてたおばあさんを見つけて、協力することになったんです」  
「そうか」  
 見つけたのは、恐らくラーライラだろう。対策を立てているスバルを見つけ、機会を待ちながらタイミングを窺っていた、そんな所か。  
「スバルが来なかったならば、私もどうなっていたか分からん。恩に着る」  
「は、はいっ! ボクもお役に立てて!」  
 スバルの事は少しばかり苦手であったが、それでもこうして力を貸してくれる。世の中何がどう作用するのか分からない。何よりもまず、この窮地を救ってくれたスバルに最大級の感謝を送った。  
「っ、とんだ邪魔が入ったニャ。人形娘、先に邪魔者を片付けるニャ!」  
「行かせると思うのか」  
 ぎちり、と杖を構えて、モンブランに怒りを叩きつける。散々虚仮にしてくれた相手を逃がしてやるほど、アルウェンは優しくない。  
 アルウェンの激昂に当てられてもモンブランはひるまず、再度杖を回し、今度は地面へと叩き付けた。  
「アルウェン姫の相手はちゃーんと用意してるニャ。いでよ、アビスフラワー!」  
 ごごん、と地震が鳴り地が割れる。中から出てきたのは大きな蕾で、瘴気を撒き散らしあたりを腐食しながら、禍々しい食人植物が触手のような蔦を振りかぶった。  
 一割近くの魔力を取り戻したアルウェンに比べてなお、莫大な魔力を持っている。アビスフラワーの身に収まりきらない魔力は周囲に流れ出て、あらゆる物を狂わせようとしてた。  
 アークシェロブとエフェメルガはまがりなりにも魔力を使えていたが、アビスフラワーは完全に持て余している。矮小な存在の器に、吸血鬼の真祖の質と量共に桁違いの魔力は身に余りすぎた。  
 同時に、この不愉快な風には覚えがある。金闇の森を包み、魔物を大なり小なり狂わせていたのは、これが原因だったのだ。  
「また醜悪な存在を作ってくれる……!」  
「アルウェン姫の魔力が使われている以上、それに対抗できるのはアルウェン姫しかいないニャ」  
 このままアビスフラワーを放置すれば、反撃不可能な距離から一方的に攻撃される恐れがある。スバルやラーライラと協力しながら戦っても厳しいだろう。  
 二人がアルウェンの戦闘空域まで来てくれればいいが、それも不可能。モンブランは小心者であるが、だからこそ慎重でもある。戦力を集中させるような真似を許すとは思えない。  
 結局、アルウェンが速やかにアビスフラワーを倒して増援に向かうしかないのだ。  
「スバル、早く行け! ラーライラどのに加勢するのだ!」  
「えっ? でも、アルウェンさんが……!」  
「ニャハハハハハ! それでいいニャ!」  
 スバルは歯軋りを立てながら、身を消すように移動する。それを追って、モンブランとフードの少女も転送魔法で消えていった。  
「さて、あまり時間をかけてはやらぬぞ」  
 アルウェンの言葉に、咆哮の代わりに地鳴りを起してアビスフラワーが蔦を振るう。大地が捲れ上がるほどの衝撃で叩きつけられるが、既にそこには誰もいなかった。  
「強力ではある。しかし、遅い」  
 すれ違いざまにフォースアローを連発、頭部と思わしき蕾の部分に叩き込む。相手が風属性である以上、地属性の魔法が最も有効なのだが、それは不可能だった。蔦は基本的に宙に浮いているし、本体には荒れ狂う風に消されてしまう。  
 蕾に放たれたフォースアローは、当然と言うようにかき消される。魔力差が対アークシェロブ時ほどあったので、それほど期待はしていなかった。  
 地道に蔦を潰していき、消耗した所で一気に押し込むしかないだろう。魔力を食う生き物である以上、それさえあればいくらでも再生できるだろうから。  
「攻略法はある。だからこそ、貴様はもう問題にならん」  
 魔力の上昇により、身体能力だけでなく再生能力、反応速度とあらゆる面で上昇しているアルウェンに、蔦の攻撃はいくら放たれようとも届かない。  
 なぎ払われる蔦を飛んで回避し、振り下ろされる蔦を横に移動して避ける。同時に杖を突き出して、フォースアローを連発。これで数ある蔦の一つが破壊された。  
 しかし、そこでアルウェンにも予想外の事が起こる。蔦の先端が破壊されると同時に、小さな爆発を起したのだ。それでダメージを受けるほど柔な肉体ではないが、先端が撒き散らした黄色い粉に体が異常を来たす。  
「なんだ、これ、は……」  
 一息すっただけで、アルウェンの体に熱が帯びたのだ。それは戦闘での運動と高揚で現れたものでは、決して無い。足からほんの少しばかり力が抜け、胸が高鳴り、そして股が濡れた。  
「あ……っ! くっ、あれは、こいつのだったのか!」  
 
 この感覚には覚えがある。こぼるとのコロニーで使われた、あの樹液と感覚がそっくりなのだ。しかし、向こうでは大量に使われたのに、こちらではただの一呼吸。それですらあの時以上の効果があるのだから、純度は桁違いだろう。  
 同時に、思い出してしまった。こぼるとのコロニーで起こった事を。恐怖こそないが、骨の髄まで家畜と言う立場を覚えさせられた事が、明確に脳の中で流れる。同時に、その想像を絶する快楽までもが。  
「ま……まずい」  
 膝が笑い始め、背筋がぞくりと痺れる。いまだ戦闘は継続できているが、体が反撃どころの話ではない。溢れる欲情と屈服を抑えるのに精一杯なのだ。  
 攻撃を避けながら、すうっと呼吸をして、心と魔力を整える。なんとか戦えるまでには整えたが、それでもあの粉末を何度も食らえば分からない。  
 戦術を変える必要があるだろ。一つは遠距離攻撃に徹し、やはり蔦から少しずつ相手を消耗させる方法。もう一つは、蔦を全て無視して大火力で本体を滅ぼす方法。  
 前者は予想外の奇襲を受けやすく、先ほどよりもさらに時間がかかる恐れがある。また、風に乗ってくる花粉を防げない。ただし、効果は拡散する分下がるだろうし、攻撃を受ける可能性は低いので、安全ではあるのだ。  
 後者は蔦の接近を許す可能性が高くなるが、その代わりに花粉での自爆を防げる。問題はそれなりに接近しなければ魔法に抵抗されるから、常に蔦の攻撃範囲に入っていなければならないと言う点だ。蔦自体の攻撃は遅いのだから、自信はある。  
 スバルとラーライラも心配な以上、長々と思考をしているわけにはいかない。リスクとリターンを考慮した上でアルウェンが決定したのは。  
 
 ・遠距離から末端を潰していく  
 ・蔦が問題にならないなら本体を潰す  
 
 

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