前回セクンドゥム廃坑に入ってから数時間後、再びアルウェンは魔力探しに向かっていた。正直今日はもう来たくなかったが、時間的な猶予が無いのはいかんともし難い。
服を洗い乾かして、ついでに昼に食事を取った。吸血鬼の彼女に食事など必要ないのだが、食事に対する欲求と言うのは存在する。午前中のストレスを発散する意味もあった。
再度攻略に臨んだセクンドゥム廃坑は、さして苦労をする場所でもなかった。自分がつけた目印もそうだが、午前に暴れまわったおかげで魔物が殆どいなかった。恐らく危険もないだろう。
それでも慎重に辺りを探りながら進んだのは、苦い思い出の教訓である。
道中順調に進んでいき、やがて大きな空間へと出た。まるで大岩を縦にくり貫いたかのような大きな円柱形で、中心部には休憩するための場所がある。上下は両方とも限りが見えないので別として、出入り口として存在するのは今来た道とこれから向かう道の二つだけである。
ここには魔物もいなかった。微弱な魔力が感じられるあたり、結界でも張ってあるのだろう。
「ほう、よく出来た場所だのう」
アルウェンは思わず感嘆の声を上げた。景観も悪くなく、結界も最小の魔力で最大の効果を発揮するように設計されている。実に上手く出来た場所だった。
休憩できる場所は確かに有難いが、今はさして疲れてもいないし、なにより時間が押している。少しばかり惜しかったが、休憩所は素通りする事にした。
しかし、すぐにアルウェンは何かに気づくと足を止めた。視線は暗く先の見えない廃坑の先を見つめている。
アルウェンの停止に遅れる事数秒、暗闇の奥から足音が聞こえてくる。現れたのは、テンガロンハットを被った髪の長い女だった。外見の年齢だけなら、アルウェンより数歳年上に見えるだろう。
現れた女は、アルウェンを視界に入れると驚いた様子でテンガロンハットを抑えながら言った。
「へぇ、驚いたね。あんたみたいなお嬢さんがこんな所までやって来るとはね。ここまで来たって事は、それなりに実力はあるんだろうけど」
「私にも事情があってのう。こんな場所まで出向く羽目になってしまったのだ」
「それは、まあ災難だったね」
女は軽く笑うと、肩をすくめて見せた。その様子こそ気安げだったが、目はきっちりとアルウェンを捕らえ威圧していた。しかし、アルウェンは何処吹く風とそれを受け流し、飄々と立っている。
いくら威圧しても小揺るぎもしないアルウェンを見て、ため息を付きながら肩をすくめる。
「その様子じゃ行くなって言っても聞かないだろうから一応言っとくけど、この先の魔物はレベルが一個上だよ。私が粗方片付けたから数は多くないだろうけど、気をつけな」
「ふむ、忠告有難く貰っておこう。所で、この先で妙な物を見なかったか?」
「妙なもの?」
女は顎を軽く抑えて、考え込んだ。何度か反芻したが、やはり何も思い当たらなかったのか、首を振る。
「いや、私が分かる限り妙なものってのは無かったな。もっとも、奥までは行ってないからそこにあったら分からないけどね。結局私の目的のものもなかったし」
「ほう」
アルウェンが面白そうに笑った。
自分が見た目通りの存在ではないように、女もそうであるかもしれない、と考える。人にしては、不自然に気配が強かった。
「奥まで行っていないのに、あるかどうかが分かると」
「これでもトレジャーハンターなんでね。人並み以上に鼻が利くのさ」
軽く言う女に、アルウェンは不思議そうな顔をした。
女も、アルウェンの顔を見て不思議そうにする。別に今の自分の言葉におかしい所などなかったはずだが、と考えた。
そんな疑問を知ってか知らずか、アルウェンは聴きなれない単語に頭を悩ませる。
「とれじゃーはんたぁ、とな?」
アルウェンから発せられた、ある意味衝撃的な言葉に女は盛大に呆れた。未だにアルウェンは分かっておらず、首をかしげている。
「参ったね。あんた、本当にどこかのお嬢さんかい?」
「ふむ、世間知らずなのは認めよう」
「……変に見栄を張らないだけマシか。早い話、盗賊とも冒険者とも取れる、危険な事をやって金儲けをしてる連中の事だよ。あぁ、一応資格制だ」
なるほど、とアルウェンは認めた。つまり、目の前の女が放つ雰囲気を持った連中が、とれじゃーはんたぁなのだろう。
体術の心得のないアルウェンに、隙がどうのという話は理解できないが、この居るだけで相手を威圧する感覚だけは分かる。
「まあ、なんにしろ、とっととその妙なものを持って帰りな。何が起こるかわからないんだからね」
「そなたの気遣いに感謝を。しかし、私もこれで魔法使い。そうそう遅れは取らぬよ」
「いにしえの業を遣うのかい」
女は驚き、アルウェンを見た。佇まいは素人、力にも優れているように見えない少女がここまで来れたのは、そうい事なのだろう。
魔法とは魔法文明の終焉と共に、その存在の多くが闇に消えていった。残っていないわけではないが、魔法の素養があり、なおかつ魔法を鍛え上げる人間となると限られてくる。
ましてや、戦えるほど魔法が使える者となると、殆ど居ないのが現状だ。
「魔法使いは初めて見るね。使い手だって殆ど残ってないのに」
ふふん、とアルウェンは胸を張った。
「まあの。威力と汎用性ならまず遅れを取らぬであろ」
「そいつはいいねえ。……おっと、長話しすぎたようだ。そろそろ行かせてもらうよ」
「ふむ、確かにお喋りが過ぎたようだのう。最後に、そなたの名を聞いてもよいか? 我が名はアルウェン。アルウェン・ド・ムーンブリア」
「私の名前はオデッサだ。何かあったら私の所に来な。相談くらいなら乗ってやるさ」
テンガロンハットの女、オデッサはそういい残すと、アルウェンの脇を抜けて暗闇に消えていった。
アルウェンはそれを見届けると、小さくつぶやいた。
「中々の者だったのう。あの者が血の騎士になってくれていれば……いや、今更詮無い事であったか」
己を納得させ、アルウェンは先を急いだ。
結界の外に出てから、再びアルウェンは気合を入れた。オデッサがある程度魔物を排除したと言っても、彼女の言葉を信じれば奥までは行ってないのだ。丸々残っているよりは楽だろうが、それがどの程度かも分からない。
今までより魔物は一回り強かったものの、殆ど見かけなかったし、たまに現れても手負いのものが大半を占めた。一応警戒だけは続けていたが、労力はほぼ全て廃坑の探索に費やすことが出来た。
相変わらず非効率的な方法で進んでいたが、それでも前回よりは遥かに楽だ。多少強くても数は少数、弱くとも数十の魔物が襲い掛かる状況とは比べるべくも無い。
そんな調子で、対して苦労するでもなく先に進んでいった。方向はあっているらしく、己の魔力の気配が次第に強くなってくる。
ここまでくると、もう印を付ける必要はなかった。進むべき道は到達点から教えてくれる。
ピリピリと、体で存在を感じられるようになった頃に、言い争う声が聞こえてきた。
声が中で反響している、というのもあるだろうが、両者は相当大きな声を出しているようだ。気配もそこに収束している。
その場に少しだけ留まり、魔力を出来る限り循環させておく。これで、すぐにでも全力で魔法が放てる。
アルウェンが進んだ先には、羽の生えた猫と、同じく羽の生えた小人がいた。猫はその体格に不釣合いな大きな杖を持ち、小人を魔法で拘束していた。
猫に捕まえられた小人こそ、アルウェンの臣下にして家族のルゥだった。アルウェンは激情に駆られそうになるのをなんとか押さえ、歩み出る。
「そこな下郎、よくも我が臣下に狼藉を働いてくれたのう」
「ニャああっ!?」
「ひ、姫さまぁっ!」
「ルゥよ、済まなかったな。そなたをはぐれたばかりに、このような目に遭わせてしまった」
「いえ! そんな事ありません!」
さて、とアルウェンは猫へと向きかえった。
「そなた、私の城を襲撃した者の一人だな。顔に見覚えがあるぞ」
「その通りだニャ。こいつを使っておびき寄せようとしたけど、まさか自分から来てくれるとはニャ」
「ふん……戯言を」
「強がっても無駄だニャ! 魔力のほぼ全てを失った今の貴女ニャど、一人でもどうにでもできるニャ!」
猫が言い終わるのとほぼ同時に、アルウェンは杖を振るった。杖の先端から迸る光は高速で猫が浮いている場所の真下を抉る。
破裂音と共に土煙が上る。猫はその動作に反応すら出来ず、アルウェンを呆然と見ていた。
「今の私より魔力が勝るからと言っていい気になるな、下郎。まさか魔力が勝るだけで私に勝るとでも思ったか」
猫は冷や汗を流した。流石に今の一撃で倒す事は不可能だが、痛い程度で済まされる話ではない事は理解したのだろう。
「そうよバカネコ! あんたなんかが姫さまに勝てるわけないでしょ! とっとと離しなさいよ!」
「うるさいニャ! ちょっと不意を付いたからっていい気にならない事ニャ。本気になればどって事ないニャ!」
「戯けめ。優れたるはそなたの主人であってそなた自信ではない」
アルウェンが杖を構えると、猫は目に見えて狼狽した。その様子を歯牙にもかけず、アルウェンは宣言する。
「さて、戯れは終わりだ。ルゥと魔力、返してもらうぞ」
「ふん、自ら来たのならこいつはもう用済みニャ」
猫が指を鳴らすと、ルゥを取り囲んでいた魔法ははじけ飛び、ルゥは地面に追突した。
「痛っ! 離すなら一言言いなさいよバカ! 姫さま、今行きます!」
「ああ……いや待て!」
上から巨大な気配が現れたのを察知したアルウェンは、反射的に叫んだ。
「もう遅いニャ!」
アルウェンの声にルゥが反応するのよりも早く、上から巨大な何かが降ってくる。それはルゥに直撃こそしなかったものの、その衝撃と風圧でルゥは軽々と吹き飛ばされた。勢いをそのままに、アルウェンの上を通過し通ってきた道の暗闇に滑り去っていく。
「つくづく……ふざけた真似を」
吹き飛ばされるルゥをどうも出来なかった不甲斐なさを噛み締め、アルウェンは猫を睨んだ。
猫はアルウェンの様子に満足し、鼻を鳴らす。
「負けるとは思わニャいが、念には念を入れるニャ。今の貴女に、こいつが倒せるかニャ?」
そこに居るのは、アルウェンの何倍も大きな蜘蛛だった。今にもアルウェンを食い殺さんと、爪を研いで待ち構えているように見える。
セクンドゥム廃坑という場所と、巨大な蜘蛛形の魔物。昔読んだ本から、検索された解答が一つだけあった。
「セクンドゥムの主、アークシェロブか。こんなものに私の魔力を食わせおって」
「ニャハハハ! これで元々強力な力を持ったアークシェロブが、さらに魔力をも上回ったニャ! 流石の吸血鬼の真祖といえどもこれはどうしようもないニャ!」
猫の背後が円形に削り取られる。猫の体は、円の中にずぶずぶと沈んでいった。
「冥土の土産に覚えておくニャ! 我輩の名はモンブラン! 魔人モンブランだニャ!」
魔人モンブランは、笑い声と共に消えていき、やがて削れた円も消滅した。アルウェンはいつか相応の対価を支払わせる事を誓い、アークシェロブに杖を構える。
いざフォースアローを放とうとした瞬間、アークシェロブの巨体が爆ぜた。虚を突かれる形になったアルウェンは、地面を転がりながらその巨体を回避する。
攻撃は回避したはずであるのに、アルウェンの体は何かに強かに打ち付けられ、弾き飛ばされた。
「ぐ、ふぅ……、一体何が」
転がる体を両足と杖を持たない左腕で無理矢理安定させ、アークシェロブに向きかえる。アークシェロブの足元からは、無数の岩が隆起していた。
いくらアークシェロブが巨体であるとはいえ、ただ落ちただけではこれほど地面が捲り返る事はないだろう。最初に落ちてきた時は、足元のみが抉れる程度だったのだから。
現状考えられる理由は、一つしかなかった。
「おのれ、地の魔法か! 厄介な!」
吸血鬼の体の恩恵、圧倒的な再生能力で即座に行動を可能にしたアルウェンは、走り出すと同時にフォースアローを射ち込む。
アークシェロブは動こうとしなかった。その代わりに、六本の足の一つで地面を撫でる。それだけで複数の岩が飛び出て、光の射線を遮った。
フォースアローは岩こそ砕くものの、アークシェロブまでは届かない。アルウェンは舌打ちしつつも、足を止めなかった。
はっきり言って、アークシェロブの動きは鈍重である。しかし、元々の体格の差が大きすぎて、その鈍重な動きでもアルウェンの全力疾走より早くなる。
もしアークシェロブに捕まってしまったら。アルウェンの数十倍はある体格で体を抑えられたら、絶対に逃げる事はできないだろう。足の一つにでも引っかかってしまえば、負けが確定する。
アークシェロブは逃げ回りながら魔法を撃つアルウェンを無視し、理解不能な動きを見せる。アルウェンは怪訝に思いながらも、なんとかアークシェロブに当てようとフォースアローを撃ち続ける。
やがてアークシェロブは動きを止めると、二本の足を振り上げる。その先には、出入り口があった。
「しまった!」
アルウェンが怪訝な行動の意味に気づいた時にはもう遅く、足が振り下ろされる。現れた大岩は出入り口を削りながら、完璧に塞いでしまう。
これでアルウェンは一時的に撤退する事もできなくなた。唯一、これでルゥに危害が及ぶ心配もなくなったのが救いだ。
「逃がさぬ事を優先した、と言う訳か。舐められたものだ」
ねめつけながら強がって見せるが、戦況は悪かった。あれだけフォースアローを撃っても、アークシェロブには一つも届いていない。壁の防御力よりも、展開する速さが厄介だった。
アークシェロブが長い足を伸ばし、アルウェンを捕まえようとする。予想以上の速さに、アルウェンは体を捻りながら回避した。
体制も何も無視し、即座に横に飛ぶ。一瞬前までアルウェンが居た場所は、岩が悲鳴を上げて飛び出ていた。
防御させる事を目的に、フォースアローを連発する。攻撃は全て防がれるが、体制を立て直すまでの貴重な時間を稼げた。
再びアークシェロブの足が振るわれたが、予測していたアルウェンは余裕を持って回避する。頭上を、強烈な風切り音が通過した。
緊張に肌が焼けるのを自覚しながら、アルウェンはアークシェロブに注目し続けた。一本の前足は今振るわれた。そして、もう一本の前足は地面に叩きつけられようとしている。
杖を足の着地点に向けて、数個のフォースアローを打ち出す。足と光はほぼ同時に着弾し、地面を抉った。
地の魔法は発動されなかった。魔法の発動をアルウェンがフォースアローで妨害したために、地の魔法は力を乱し足は地を割って半ばほどまでめり込んだ。
その隙を逃さず、アルウェンは魔法を打ち込む。狙うのはアークシェロブ本体ではなく、その足元だ。
本来六足で体の安定を保つアークシェロブは、四足で立っている上に足元を砕かれ、けたたましい音を立てて巨体が転がる。
蜘蛛のような体であるだけに、すぐに立ち上がってくるだろう。だが、その僅かな時間はアルウェンが魔法を叩き込むには十分すぎる。
杖に埋め込まれた深緑の宝玉が一際輝き、まるで流星群のように光が流れる。辺りは激しい光に包まれ、視界を塗りつぶした。
可能な限りのフォースアローの連射。通常の魔法使いでは不可能なほどの魔法の星は、アルウェンにアークシェロブが塵も残さぬほど粉砕したのを確信させる。
ふぅ、とアルウェンは息を吐いた。
「面倒な相手だったが、なんとかなったようだな」
塞がれた道を開こうと杖を掲げた瞬間、アルウェンの視界が急激にぶれた。体中を激痛が走り視界が高速で流れていく。最後に一際大きな衝撃が来ると、視界はやっと安定しひび割れた天井が見えた。体は熱を持ち、全く言う事を聞かなかった。
遅れてやってきた痛みで、アルウェンはやっと自分が何かに殴られたのだと気づいた。
苦痛を無視しながら顔を上げる。そこには、たった今立ち上がったアークシェロブの姿があった。その姿は、つい先ほどまでと何ら変わるところが無い。
「……馬鹿な」
かなりの数のフォースアローを叩き込んだのだ。無傷などと言う事はあり得ない。
吸血鬼の、それも真祖という種の特性がアルウェンの体を急激に再生する。自分が吸血鬼である事に感謝しつつ、アルウェンは杖を向けた。
アークシェロブは微動だにしない。放たれたフォースアローにさえ、今までのように岩の壁を作ろうとしなかった。
光は、アークシェロブに到達する寸前で霧散した。アークシェロブの体は僅かも傷ついていない。
「魔法抵抗が高すぎる……」
アルウェンはショックを隠しきれなかった。あれだけの数のフォースアローを打ち込んでも、アークシェロブの魔法抵抗を貫けなかったのだ。つまり、数で勝負をしても勝ち目は無い。
アルウェンは考える。勝利を得られる可能性がある作戦は、おそらく二つ。
一発のフォースアローに全ての魔力を集中させるか。先ほど確認した天井のひび割れを狙い、落盤を起こすか。
前者は、それでも通じる可能性は低く、岩の壁を出されれば可能性はさらに下がるだろう。後者は、上手く落ちれば敵を潰せるが、同時に自分も潰れる可能性がある。
アークシェロブはゆっくりと迫ってくる。攻撃が通用しない今、アルウェンは脅威にならない。アークシェロブはそう思っているだろう。だからこそ付け入る隙はある。唯の一度だけ。
魔法か、落盤か。
アルウェンは選択を迫られた。