アルウェンは即座に壁際を走り出した。それに対応しようとしたアークシェロブに、一発だけ小さなフォースアローを顔面に打ち込む。
ダメージは見込めないが、その代わりに一瞬だけ視界を閉じる事が出来る。振り上げられた足は、標的を失うことで見当違いの方向に振られた。
敵の射程圏内から逃げると、即座に魔力を杖に集中する。杖から迸る光は、構えられた方向、天井の亀裂に向かって連続で着弾する。亀裂は大きく広がり小さな瓦礫が落ちてくるが、まだ大きな落盤が起きる様子は無い。
アルウェンは焦りながら、アークシェロブの様子を見た。たった一瞬の目くらましがそう大きく時間を稼げるはずも無く、体を回転させながらアルウェンを捕捉しようとしている。
焦りながらも、アルウェンはフォースアローを撃ち続ける。亀裂の大きさはかなり広がっており、いつ崩落が起きてもおかしくないように見える。だからこそ、未だに崩れ落ちない事がもどかしかった。
アークシェロブは既に追跡を再開している。この円形に囲まれた場所には逃げ場所などなく、いつまでも追いかけっこなどしていられない。
「くっ、まだなのか……!」
魔法を放ちながら、アルウェンは毒づく。
アークシェロブが岩の壁を出現させた。攻撃や防御のためではなく、アルウェンの進行方向を奪うために。いきなり道を塞がれたアルウェンは、それでもフォースアローを止めずに進行を急停止する。
続いて、退路をも閉じられた。背後と左右に壁、正面にはアークシェロブ。もう逃げて時間を稼ぐ事すら出来ない。
背後の壁に密着するほど後退し、アークシェロブを無視してフォースアローを撃つ事に全力を注いだ。ここで立ち向かうのは唯の無謀であったし、逃げを優先しても負けを先延ばしにするだけで勝機を失う。ならば、とリスク覚悟で最後の賭けに出た。
アークシェロブの足が大きく振り上げられる。あんなものを全力で振り下ろされれば、アルウェンなど簡単に真っ二つにされるだろう。その結果に恐怖心を覚えないわけが無い。しかし、それでもアルウェンは魔法を撃ち続けた。
振り下ろされる硬質的な足は、やけにゆっくりと迫るようにアルウェンには見えた。もう駄目か、と半ば諦めた時、部屋の中にけたたましい悲鳴が反響する。
アークシェロブが足を止めて、天井を確認した。そこには、部屋の大きさよりも二回りほど小さい岩が、アークシェロブに向かって落ちてきていた。
アークシェロブの大きさをゆうに超える岩は、ぐしゃり、という音と激突の轟音、大地を揺るがす大きな地震を引き起こす。
目の前でアークシェロブが潰れるのを確認したアルウェンは、しばらく呆然としていた。やがて緊張が解けたのか、壁にもたれかかりながら座り込んだ。
「……かなり危なかった。魔法が効かぬ相手とはこれ程厄介だとは思わなかったな」
正直、負ける可能性の方が高い相手だった。ここが偶然逃げ場のない場所であり、偶然天井に亀裂が走っていた。この要素が無ければ、勝てなかっただろう。
アークシェロブが潰れた場所に、光が浮いていた。それにむけてアルウェンは手を伸ばす。光は手に導かれ、アルウェンの胸のかなに消えていった。
「ふむ、魔力は無事回収できた。良しとするか」
アルウェンは立ち上がり、塞がれた出入り口まで歩いていった。かつん、と杖で一度地面を叩くと、まるで何も無かったかのように岩は沈んでいく。
アークシェロブに吹き飛ばされたルゥは、すぐに見つかった。転がっていたルゥを抱き上げ、体を確認する。目立った外傷はなく、ただ気絶しているだけだろう。アークシェロブの落下に直撃もせず、これだけ吹き飛ばされても怪我一つ無いのは運が良かった。
アルウェンはルゥを抱えて、セクンドゥム廃坑を出て行った。
ルゥが目を覚ましたのは、ちょうどセクンドゥム廃坑の入り口に差し掛かったところだった。
「ん……」
「ルゥ、目を覚ましたか?」
「え……ひ、姫さま!」
自分がアルウェンに抱えられている状況に驚いたルゥは、すぐに飛び上がった。顔を真っ赤にして恥ずかしがりながら、頭を何度も下げる。
「もうしわけありません、姫さま! 姫さまのお手を煩わせてしまうなんて!」
「よい。ルゥが無事だったのだ」
そう言って、ルゥを諌める。それでもルゥは、申し訳なさそうにしていた。
埒が明かない、と判断したアルウェンは話を変える。
「それで、ルゥは私の魔力が他の何処にあるか知らぬか?」
「はい、北にある人間の村の近くに反応がありましたが……。他にはまだ」
「そうか。ルゥは引き続き私の魔力をさがしてくれ」
「そんな! 私も一緒に連れて行ってください! きっと役に立ちます!」
ルゥの言葉に、いいや、とアルウェンは否定した。
ルゥの実力は、戦闘に向かないとはいえ並みの魔物を相手にするならば十分通用するだろう。しかし、その程度では不足する相手が必ず出てくるだろう。例えばアークシェロブであったり、魔人モンブランであったり。
あれほど強力な敵が出てきた場合、ルゥが居るのは枷にしかならないだろう。それを正直に言っても聞かないのは、アルウェンも承知している。
「いや、やはり私の魔力を探してくれ。魔力を手に入れた後探して、では効率が悪すぎる。時間を失っては元も子もないのだ。それに、魔力の一部とはいえ取り戻した私が万が一にも遅れを取ると思うか?」
「……いえ」
そう言われても、ルゥはまだ迷っていた。確かに今のアルウェンからは、ルゥではとても及ばない魔力の力を感じる。それでも、尊敬する主を一人にするのは心配だった。
ルゥはアルウェンの目を見た。その目は、力強く"信じろ"と言っていた。
「……分かりました。絶対に魔力を探し出しますから、姫さまもお気をつけて!」
「当然だ、まかせよ」
そう言葉を交わし、ルゥは飛び去っていった。アルウェンはルゥの姿が見えなくなるまで見送ると、北にある村まで歩き出す。
一度言った場所ならばある程度条件が揃えばワープできるが、北にある村には行った事がない。夜間であれば空を飛べたのだが、まだ陽は高く飛ぶ事は出来ない。
少々距離があるな、と思いながらも、アルウェンは徒歩で移動しだした。
ルゥの言っていた村、ロアルタ村の村長に話を聞いてみたところ、村の東にはオルディウム神殿という場所があるのが分かった。最近注目されているらしく、今日も少年少女の二人組みが見に行ったとか。
他に当てがあるわけでもないので、とりあえずアルウェンはその神殿を見に行った。感じられる魔力はなお微弱ではあるが、それでも近付いている事が分かる。間違いなく正解だった。
神殿近くまで来ると、岬がありその先は湖だった。その湖に頭だけを出すように、神殿は存在していた。その様子に、アルウェンは嫌そうな顔をする。
岬の先端には、一組の少年少女が居た。あの二人が村長が言っていた観光客なのだろう。
ふと、自分以外の強い魔力の気配を感じ取り、その気配をたどった。発信源は二人組の少女の方だった。少しばかり離れていても感じ取れるほど魔力があり、またよく鍛錬したのだろう魔力の流れはよどみ無いのが分かる。
単純に魔力量だけ取っても、弱体化しているとはいえ規格外の魔力を持つアルウェンより上である。才能と言う一点においては破格のものを持っていた。
少女の資質に感心しながら、アルウェンは近付いていく。岬に着くと少女の方から声をかけてきた。
「あら、お姉さんもここ身にきたの?」
「そんな所だな。そなたらもか?」
「は、はい! あ、僕はポックルって言います。えっと……」
「取り乱すな見苦しい。あ、ちなみに私はピピロね」
「ふむ、私の事はアルウェンと呼ぶがよい」
ポックルが緊張している理由は不明だったが、ピピロには分かっているらしいので放置した。なんだか少し落ち込んでいるような気がするが、多分気のせいだろう。
まるで兄弟のように仲のいい二人を見ながら神殿の方を確認し、ポツリとつぶやいた。
「しかし、これは入れなさそうだな……」
「そうなんですよ。僕たちも中を見に行こうと思ったんですけど。ボートもないんじゃ向こうまで行けませんし……」
「だから、無理なものは無理なんだからいいじゃない。さっさと帰っておやつでも食べましょ」
「ピピロ……もうちょっと真面目にやろうよ」
「もう十分真面目じゃない。ズブ濡れになりながら泳いでくほどの義理はないわよ」
「事情がありげだな」
二人の会話を聞くに、彼らは望んでここに来ているわけではなさそうだ。
ポックルはあわあわと慌てたが、ピピロはそれを一喝して黙らせ、アルウェンに言う。
「まあね。ちょっと代理で届け物を持ってきたんだけど、それを盗られちゃったのよ。それで犯人を探索中」
「なるほどのう。オルディウム神殿は、確かに隠れるには都合のよさそうな場所だな」
「そうなのよ。けど、別にあそこだけが盗人に都合がいい場所って訳じゃないし。他の場所を見てみるわ」
ひらひらと手を振り、ピピロは歩き出した。ポックルがあわててその後を追う。
「じゃあね、お姉さん。私たちは先に帰るわ」
「また機会があったら会いましょう!」
「ふむ、息災でな」
アルウェンも答えながら、二人を見送った。姿が見えなくなるのを確認し、さて、とオルディウム神殿に向きかえる。
確かにこのままでは神殿まで行けないだろう。しかし、今のアルウェンには地の魔法がある。道は無ければ作ってしまえばいい。
アルウェンは杖を掲げ、呪文を唱える。杖の深緑の宝玉から光が発し、光は大地へと沈んでいった。
大地が振動し、湖の波紋が次第に大きくなる。水面から何本もの岩が飛び出し、その後に平坦な岩がいくつもせり上がる。岩は互いをつなぎながら、人一人通るには十分すぎる道を作り出した。
ごん、と大きな音がして、最後の岩が飛び出る。その衝撃に驚きながら、アルウェンは神殿を見た。
最後に飛び出た岩は、神殿の構造物の一部を破壊しながら入り口までの道を作った。破壊された神殿の一部は、水しぶきを上げながら水の中に沈んでいく。
その様子を見ながら、アルウェンは汗を一筋流した。
「少し……やり過ぎたかのう」
最初から見事な形で残っていた訳でなかったが、今はさらに無残な姿を晒している。
掲げた杖を下ろし、神殿を見続ける。しばらく沈黙を保っていたアルウェンは、吹っ切って胸を張った。
「まあ、過ぎた事は仕方が無い! 何かあればその時に謝罪をしよう!」
そう言って自分を満足させ、神殿へと足を踏み外さないように慎重に歩き出した。アルウェンは泳げないので、もし水の中に落ちてしまったら事である。
神殿の中に入ったアルウェンは、眉をひそめた。水は内部にまで浸入し、今も服を濡らしながら股下あたりまで水が張っている。波打つとぴちゃぴちゃと水が股間に触れ、それがまた気持ち悪い。
これだけ水が高いと機動力を大きく削がれる。それでも、遠距離攻撃型のアルウェンは機動力重視の接近戦闘型より遥かにましだが。
ぱちゃぱちゃと水を掻き分けながら、アルウェンは進んでいった。