***
「先ほども見ましたけど、車が沢山ですわ。」
「この通りでは、似たような感想を良く聞くよ。」
午後もしばらくすぎた頃、ロイドは街の案内を彼女にせがまれ、中央広場へと来ていた。
休日なだけあり、人通りも多い。
「私の故郷とはまるで別世界ですわね。鉄道がいくつも敷かれてますし。」
「俺も驚いたよ。数年でこんなに様変わりするなんてね。」
「でもこの街が、ロイド様を育んだのだと思うと、なんだか愛しく思えてきますわ。」
「はは…。俺も、なんだかんだいって好きだな。この街の事が。」
日差しに手で影を作り、景色を見上げロイドが微笑む。
素朴な乙女ならばめまいもしかねない光景に、アロネは熱い眼差しを送った。
(ああ、たっぷりと陽を受けて、まるで一つの絵のよう…!)
「ロイド、キーアちゃんに新しい靴、買ってあげましょ。今のもけっこう痛んできたわ。」
「…エニグマの更新が出来るかもしれませんし、GENTENにも行くべきかと。」
「カジノに、アルカンシエルも通ってこうぜ!」
「ロイドー、だっこー。」
額の中に大量の乱入者が混じり、アロネの体勢が盛大に崩れる。
「ま…まったくもう!わたくしはロイド様に案内を頼んだのに、なんで皆様まで付いてきて下さるの!」
「ふふっ。特務支援課は万全のサービスでお客様の依頼を果たしますから。」
「チームワークが売りですので…。」
「どうせ家にいても退屈だしな。」
「ロイドのほっぺよくのびるー。」
完全に所帯の一端にひっかけられ、アロネは別の意味でめまいがしていた。
が、すぐに気を取り直し、キーアの遊具にされているロイドを見つめる。
(が、我慢よ我慢。まだこちらには来たばかりですし、チャンスはいくらでもありますわ。)
そしてちらりと、その前をつかつかと歩いていく二人を素早く観察した。
(あの二人、ロイド様とずいぶん親しいようですけど、一人はまだ幼いですし、あと一人も胸だけ先に育ちきったような小娘に過ぎませんわ。わたくしの大人の色香で攻めれば、ロイド様はおのずと。あわよくば、今夜にでも…きゃっ。)
「ねえ、おきゃくさまが、一人でがっかりしたり、てれたりしてるけど、どうしたのかな?」
「さぁ。病気なんじゃないかしら?」
(言うねえお嬢。)
「ほ、ほりはへず、げんへんによろう。…キーア、人の顔で遊ばない。」
「はーい。」
かくしてアロネの案内を兼ねた、クロスベル街めぐりは始まる。
――オーバルストア<<GENTEN>>。
「いらっしゃい。あ、ロイド。」
「やあ、ウェンディ。」
「皆さんもこんにちは。あら?見慣れない方だね。」
「はじめまして。ロイド様の妻になるアロネですわ。今後ともよろしく。」
ぞくりと背筋に悪寒を感じたロイドと腕を組みながら、アロネがお辞儀する。
「あはは、ロイドってそんな甲斐性あったっけ。」
「いや…そう言われるとなんか府に落ちないけど。彼女は観光でここに来てるんだ。もちろん婚約はしてないよ。」
「わかってるって。出来るくらいなら今頃何人泣かしてるか知らないし。お姉さん、この人追っかけるなら、それ相応の覚悟したほうがいいかもよ。」
ころころと笑いながら、ウェンディがアロネに目配せする。
あっさりと受け流されて、拍子抜けしたアロネがふと感じたままに口にした。
「もしかして貴女も、ロイド様のことを…?」
「え?わたしがロイドを?ないない!とても幼馴染っておもえないくらい可愛い弟分だし。」
顔の前で手を振り、ウェンディは否定した。
「可愛いとか言うなよ!年だって同じじゃないか。」
「しょうがないじゃない。それにロイドとくっついたって、どうせこのお人よしさんは、いろんなとこで別の人釣り上げちゃうだろうし。
…でもそうだなあ。」
カウンターに肘をついたまま頬に手をあて、ロイドを見上げながら、彼女はつぶやく。
「貰い手に困ったら、受け取ってもらおうかなあ。」
「なっ!?」
「絶対だめですわ!」
「あはは。あせってるあせってる。冗談よ冗談!」
思いがけない玩具が転がり込んできて、ウィンディが愉快そうにロイドとアロネを手玉にとる。
その間に割り込み、ティオとエリィが、エニグマを差し出した。
「ロイド。当初の目的を忘れてもらっては困るわね?まだ予定は一杯あるのよ。」
「エニグマのメンテナンス、お願いします。」
「あ、はーいオッケー。すぐ済むから待っててね。」
立ちはだかった二つの背中から、確かな威圧感を感じ、ロイドはたじろいだ。
アロネがまだ疑わしそうにウェンディの作業を眺めている。
「ランディ、これかってにおゆわかしてくれるんだって!すごいね!」
「ああ、優れモンだ。…なぁキーア、平和って、いいもんだよなあ。」
「?へーわってなあに?」
「あっちじゃなくて、こっちってことさ。」
「???よくわかんないけど、ランディ楽しそう。」
ランディはキーアと顔を見合わせて、二人してにししと笑った。
結局メンテナンスが終わるまで、カウンター前は時が息絶えたように静まり、来客を一歩も近寄らせなかった。
店を出るときにオーナーがこちらを睨んでいたのは言うまでもない。
――百貨店<<タイムズ>>。
「いろんなものが売ってますのね…。このお店があれば、他には何もいりませんわ。」
「ここは大抵のものはそろってるからね。どうだ、キーア。履き心地は。」
「うん、すっごくいいよ。ほら。」
「…あ、キーアだめです。急にはしりだしてはいけません。」
新品の靴を買ってもらってご機嫌のキーアが、出口をまっさきに飛び出してティオにつかまり、くるくるとその腕のなかで回っている。
微笑ましい画を見守る一同に、二人の少女が駆け寄ってきた。
「あ、やっぱりロイド君だ。」
「やっほー。」
「ああ、君達はいつもここにいる…って、一応二人より年上なんだから、ロイド“君”っていうのはよしてくれないか?」
「だってロイド君、なんだかほっとけないし、弟みたいなんだもん。」
きゃあきゃあとあっという間に囲まれ、三対のジト目が出来上がった。
「う゛っ…じゃ、じゃあ俺は用事があるから。」
「えー、これから一緒に買い物してほしかったなあ。」
「水着選ぶの、手伝ってもらいたかったのに。」
「ご、ごめんな!皆、行こう!」
「あーん。また今度付き合ってねー。」
「ばいばいロイド君。」
ロイドは先頭となって東通りを目指した。
なるべく後ろを振り向かないようにしながら。
――東通り。
「あら、一風変わってますわね。この通りは。」
「東方の町並みってのはいつみても雰囲気あっていいねえ。この渋さはたまんねえよ。」
足を止め、異国情緒を楽しんでいると、後ろから声をかけられる。
「こんにちは!皆さんお出かけですか?」
「よお、フランちゃん。」
「今日はあなたもお休みなのね。」
「はい。これからお姉ちゃんのところにいこうかなって。あれれ、はじめまして、ですよね。私、フランっていいます。」
「はじめまして、わたくし、アロネと申します。この街には今日来たばかりですの。」
「そうなんですか、ようこそクロスベルへ!」
「フランだー!」
キーアがフランに駆け寄る。
「あ、キーアちゃん!いいなあ、皆さんとおさんぽ?」
「うん!あたらしいくつ、かってもらったの!」
「いいなあーわたしもご一緒したいなー。」
うらやましそうな視線を一行に注ぎながら、フランは、思い出したようにロイドを見た。
「あ、ロイドさん、今度の休日って空いてますか?」
「今のところは予定はないな。俺に出来ることなら、何でもするよ。」
「あ、いえ、お姉ちゃんと合わせて三人で行く予定だったライブのチケットが、友達のキャンセルで一枚余っちゃったので、一緒にどうかな、なんて。」
「へ?」
「ほら、記念祭でご一緒したときの、あのバンドです!」
てっきり手伝い事だと思っていたロイドが、再三吹き出る冷や汗を感じながら、しどろもどろに返事をする。
「いや、でも前もそうだったけど、せっかくなんだから姉妹水入らずで…。」
「でもお姉ちゃんも来て欲しそうでしたし、私もロイドさんなら大歓迎ですから、考えておいてくださいね。」
「気持ちはありがたいんだけど!もっと他に相応しい人が…」
「あ、いけない、そろそろバスが出ちゃう!皆さん、これで失礼しますね!キーアちゃん、ばいばい!」
「おーう。姉さんによろしくなー。」
「ばいばいフランー!」
走り去るフランを見送り、ロイドは言い訳するのもあきらめ、キーアと手をつなぐと、港へと向き直った。
「さあ、次へ行こう。」
「はーい。」
(見事に手と足が揃ってるぞ、ロイド。)
だんだんと口数の減ってきた数名に反して、ランディは自然と口元がゆるんでしまっていた。
――行政区。
「なるほど。」
一行は、図書館に入るや否や、タイミング悪くアロネがロイドの腕に抱きついた瞬間に、マリアベルと遭遇していた。
「エリィのことをさんざんたぶらかしておきながら、他の女性も口説いていた、ということ。」
「いや、これは違っ!?」
「ベル、大丈夫よ。このお方はただのクライアントで、ただの観光客だから。」
「そうそう。ロイド様と同じベッドを幾晩も共にした程度の仲に過ぎませんわ。」
「…じー。」
書籍に霜が降りるほどの吹雪が巻き起こり、ランディとキーアはカウンターへと避難していた。
「だ、大丈夫かね、ロイド君は。なにやらもめてるようだが。」
「ああ、大丈夫ですよおやっさん。いつものことですから。」
「ロイドに本よんでほしいのにー。」
心配そうなマイルズをなだめ、ランディは童話の新作のチェックをしながら、十字架にはりつけ状態のロイドを遠目に、猛烈にうなずいていた。
――歓楽街。
「あら、弟君じゃなーい!」
「あ、イリアさん、おひさしってムグッ!?」
相変わらず遠慮のない突然の抱擁に、ロイドはよろめき後ずさる。
「い、イリアさん!あなたは劇団の看板女優だし、俺は子供じゃないんですから、所構わずこういうことはちょっと!」
「あら、しばらく会いにきてくれなかった上にそういう生意気な事言うわけなの?これはきつーいオシオキが必要ね。」
ぐいぐいと抱きしめられていると、後ろからもう一人の女性も現れた。
「こんにちは、皆さん。」
「ああ、リーシャ、ちょうどよかった。イリアさんに離れるようングーッ!」
「えいえい!どうだ、参ったか!」
私服に包まれた豊かな女体の中でもがくロイドを見て、今度ばかりはランディも冷ややかな視線をあびせながら、うすら笑いを浮かべていた。
「なんだか皆かおがこわーい。」
そういいつつも、キーアがけたけたと笑う。
ロイドは今すぐ彼女と立場を交換できたら、どれだけ楽だろうと心から思った。
――住宅街。
「けほっ…そ、そういえばエリィ、今日は実家には顔を出さないのか?」
「そうね。挨拶くらいしないとね。」
磨かれた三本槍に貫かれ、そのまま押されるように歩きながら、ロイドが提案する。
マクダエル家に向かうべく、通りの階段を下りると、一匹の仔猫が横切っていった。
「まあかわいい仔猫ちゃん。」
「あら、この子は確か。」
「マリー、いらっしゃい!」
階段の上り口にある住宅から、一人の少女が駆け出してきた。彼女はロイド達をみつけると、ぱっと顔を弾かせ、お辞儀をする。
「こんにちは、しえんかのおにいさまがた。」
「こんにちは。礼儀正しいお嬢ちゃんね。」
「やあサニータ。マリーも元気そうでなによりだな。」
ロイドがしゃがみこんで、マリーの鼻先をちょいちょいとなでると、仔猫はその指に喉をならして擦り寄った。
サニータはその傍らに歩み寄り、ロイドの顔をじっと見つめる。
「ああ、ごめん。お邪魔だったかな。」
「…そういえば、おにいさまに、マリーをみつけてくれたおれいを、まだしてませんでしたわね。」
ロイドが疑問符を浮かべる間もなく、その頬にサニータが口付けをした。
「え…。」
「お、おとうさまだけにしてあげる、げんきのでるおまじないですけど…おにいさまはとくべつですわっ。」
そのままマリーをかかえあげ、顔を真っ赤にさせると、再びお辞儀をして、彼女は家の中に走っていった。
呆然とする一同と、口を半開きにしてサニータを見送るロイドの側に、キーアがいつのまにか立っている。
「ロイド、今のげんきが出るの?」
「え?…ああ、そうだな。大事な人にしてもらうと、これ以上ないおまじないだろうな。」
「ふーん。」
目をぱちぱちと瞬きした後、キーアもロイドの首にしがみつき、その頬にキスをした。
「お、おい、キーア?」
「えへへ、ロイドげんきでた?」
屈託なく笑うキーアに、ロイドは言いかけた言葉も忘れ、その頭を優しくなでた。
「じゃあつぎはキーアにもして?」
「え?や、それは…。」
「イヤなの?」
顔を曇らせたキーアを、背後の若干名の影に、めりめりと音を立てて角が生えるのを感じつつ、ロイドが必死でなだめる。
「いや、このおまじないは、女の子が男の子にすると、効果があるものなんだ。かわりに男の子は、女の子を守ってあげるっていう約束をするのさ。」
「…ふーん。」
どこか納得しなさそうに口を尖らせながら、キーアがじっと見上げてくる。
ロイドはすっくと立つと、目的地へと向き直った。
「さ、さて、挨拶に行こう。執事さんたちも、エリィの近況を気にしてるだろうし。」
ランディは吹き出しそうになるのを必死で堪えながら、ズンズンと地響きが聞こえそうな足取りでロイドの後をついていく三人を見ていた。
(ああ、こりゃもう、犬にじゃれられただけでも、大惨事だな。)
――某所。
「ロイドさーん♪」
「うわぁ!」
――某宅。
「ロイドちゃーん♪」
「ちょ、ちょっと!」
――某通り。
「ロイドくぅ〜ん!」
「だああ!」
(うへえ、こればっかりはうらやましくないな。)
(…オカマさんです。)
――西通りベーカリーカフェ<<モルジュ>>前。
「さすがロイド様ですわ。沢山の街の人に慕われてますわね。」
「…アロネさん、顔がひきつっています。」
椅子に腰掛け、エリィ、ティオ、アロネの三人は、買い物をするロイド達を待っていた。
「まあ、どうせロイド様の愛くるしい容姿にばかり目がいってのことでしょうけど。その内に秘める情熱も全て知った上での、純粋な愛情をもつこのわたくしの敵ではなくってよ。」
(…そういえば確かに…教団摘発の後から、あの手の人達が熱を増しましたね。)
アロネが自分に言い聞かせるようにひとりごつ。対照的に冷静なエリィがカフェの入り口を見つめている。
鋭く伸びた細目から、それはさながら雲間から覗く真夏の太陽のような瞳で、その焦点から煙を噴出しかねない。
「そういえばお二人とも、わたくしに対してかしこまる必要はありませんわ。普段の口調で話していただいたほうが、わたくしとしても嬉しいですし。」
「…わたしは元からこれが普通なのですが、一応、了解です。」
「ありがとう、ティオさん。…エリィさんは、どう?」
「えっ?あ…解かりました。アロネさんがそうおっしゃるなら。」
「うふふ。改めてよろしくね。」
カフェの扉が開き、ロイドとランディが、その間で満足そうにパンをほおばるキーアと共に出て来た。
「おまっとさん。」
「ごめん待たせて。オスカーは顔が広いから、あまりアロネの事も教えないほうがいいと思って。」
キーアを椅子に座らせ、抱えていた袋包みをガーデンテーブルに置くと、ロイド達も席に着いた。
「冷やかされるのも嫌だったし、だろ?ロイド。」
「うっ。まあ、無いといえば嘘になるけど。」
「オスカーのパン、おいしー。」
「もうすぐ夕食だからあまり食べ過ぎたらダメだぞ、キーア。」
キーアをたしなめるロイドとエリィの目が合った。彼女はついと顔を逸し、紙袋からパンを取り出すと、小口で噛り付く。
「そ、そういえば今日の夕食はエリィの当番だったな。今から楽しみだよ。」
「あら、当番制ですのね。ロイド様、お料理もなさるの?」
「ああ、難しいものじゃなければ、一通りは一応作れるかな。」
「家庭的な一面もあるなんて、素敵ですわ。」
アロネがエリィをちらりと一瞥し、掌を打ち合わせた。
「そうですわ。案内してくださったお礼に、今日のディナー、わたくしが作らせていただきます。よろしくて?」
「お、自信たっぷりだねえ。」
「もちろん皆様と、エリィさんさえよければ、ですけど。」
話をふられ、パンを咥えたままテーブルを睨んでいたエリィが、顔を上げる。
「ええ、構わないわ。でも全部お任せするのもなんだし、デザートは私が作るわね。」
「ありがとう、お願いしますわ。」
「とくると、晩飯は共和国の家庭料理って訳か。」
「ロイド様、楽しみにしててくださいね。わたくし、愛情たっぷり込めますから。」
「ああ…。」
再びエリィがテーブルに視線を落とした。
ティオがその隣で、シェイクのストローを口にしたまま、平たい表情もそのままに、少しずつ吸い上げている。
「よおし、そうと決まったら材料も買わねえとな。ちょうど一週巡ったとこだしよ。」
「そうだな。帰りにタイムズにもう一度よろう。」
一行はそのまま、オスカーのパンをつまみつつ、アロネの故郷の話題などを交わしながら休憩をとり、買い物へと繰り出した。
やがて大量の食材と日用品をかかえ、特務支援課ビルに戻ってきたときには、陽は茜色に染まっていた。
***
「おいしー!」
支援課は夕食時を迎えていた。
テーブルに並ぶ料理はどれも素朴ながらも品があり、その味も申し分のないものばかりだった。
「こいつはおどろいたな。どれも食べた事の無いもんだが、いけるぜ!」
「…おいしいです。」
「ふむ。クロスベルと共和国じゃあ味の濃さの違いが顕著に出るもんだが…こいつはちょうど良いな。」
「どれもわたくしの国では代表的な料理ですの。皆様の口に合うかどうか心配でしたけど、そういっていただけてひと安心ですわ。」
セルゲイ含める一同の反応に、アロネは嬉しそうに微笑む。
エリィも黙ってはいたが、口に運ぶ料理に対しては率直な反応を返し、頷いていた。
「でも、わたくしとしてはもっと上手に作りたいですわ。でなくてはロイド様の伴侶は務まりませんもの。」
「伴侶?」
「はんりょってなーに?」
「いや、そういえば課長、どうでしたか?本部の返事は。」
ロイドがあわてて話の腰を折る。
「ああ、まあ当然といえば当然だが、動くのは難しいそうだ。確証もないし、いかに領主の娘の言でも、憶測の域は出ない訳だからな。」
「やはりそうですか…。警戒態勢をしいてもらうだけでも助かるんですが。」
「市民の不安をかきたてるからな。簡単にはいかん。」
ロイド達の帰宅後、起床してきたところで説明を受け、セルゲイは一応本部への報告もしていた。
幾度の事件の解決により、支援課の情報は警察としても無視できないものにはなっていたが、やはり信憑性の問題から、前述のような判断が下されたのだった。
「ま、連中の耳にいれておくだけでも、それなりの効果はある。遊撃士のほうには連絡はいれたのか?」
「はい。こちらも注意の喚起のみですが。」
「気を張り詰めてももたんしな。相手が着の身着のままの脱獄犯なら、すぐには行動にうつせんだろう。」
二人のやりとりを聞いていたアロネが、問いかける。
「セルゲイさん…ロイド様もそうでしたけど、わたくしの狂言ということを疑いはしませんの?」
「ん?」
「ロイド様と面識があるとはいえ、わたくしは今日こちらに着いたばかりの来訪者に過ぎませんわ。なのに、そこまで考えていただけるなんて、少し意外で…。」
「そうだな。正直半信半疑ではあるが。」
セルゲイが肉料理を小さく切り、ロイドを手にしたフォークで指しながら言った。
「そこの男とこいつらは、今までこういった感じで事を運んできては、それなりの成果をあげてきた。お嬢さんの言う事が本当かどうかも、解かるんだろうよ。だから俺はそれに乗っかってるまでだ。」
「課長…。」
「…ようするに。」
「自分で考えるのがめんどくさいんだな。」
「クク、そういうことだ。」
ワインの蓋をあけ、グラスに注ぎながら、セルゲイは頷いた。ロイドが根拠を付け足す。
「俺が一年前厄介になったパスキューブ家の人々は、温厚で誇り高い人達ばかりだった。犯人が解かったのも、そうした中、存在が浮いていたからなんだ。
その一員である君がこうして、遠路はるばる訪ねてきてくれたわけだから、疑いようが無いよ。」
「ロイド様…。」
「仮に嘘だとしても、俺達を不安にさせるようなことは絶対に言わないだろうし。」
ロイドが料理を口に運び、続けた。
「こんな美味しい料理は、狂言を企むような人間には作れないさ。」
彼は笑顔で言葉を結ぶ。一瞬、食卓が静まり返った。
「あれ、何か変なこと言った?」
「ロイド様、やっぱり貴方様は…」
「うん?」
「わたくしの、王子様ですわぁっ!」
「って、アロネ、あぶなっ!?」
ロイドが座った体勢でしがみつかれ、あやうく転げ落ちそうになりながら、胸の中のアロネを支える。
ティオがキーアの口を拭きながら、あきれた様に目を伏せ、ランディが遠慮なく笑った。
エリィが、唐突に席を立つ。
「え、エリィ?」
「皆そろそろ食べ終わるみたいだし、デザートを持ってくるわ。少し待っててね。」
「わーい!でざーと!」
空の女神が実在するとすれば、今の彼女がそうだろう。それほど美しく、優しい声だった。
しかしキッチンに消え行く姿は、虎もすくむ威を放っている。
ロイドは尚も纏わりついて来るアロネを押しのけるのがやっとで、その背中に声もかけられなかった。
「お嬢のデザートは絶品だからな。きっとアロネのお嬢さんも気に入るぜ。」
「まあ、そうなの?今度教えていただこうかしら。」
のん気な会話の隣で、ロイドは気が気ではなかった。
彼とて、今日一日のエリィの様子がおかしい事に気付かないほど末期ではない。
だが、自分に対して好意的な相手を無下に扱えないという、長所とも短所とも言い難い部分が彼にはあった。
半ば自覚しつつも、アロネを無理矢理突き放す事が出来ない。だから目の前に出て来たデザートも、ある程度覚悟はしていた。
「エリィ、その、何か怒ってるか?やっぱり。」
「あら、どうして?私そんなふうに見える?」
シチェーションさえ違えば、迷うことなくロイドはエリィを優しく抱きしめるだろう。腕の中の彼女を見つめ、幸福に酔いしれるだろう。
それはそんな笑顔だったが、彼はそれ以上何も言えず、出された皿に乗っているものを見た。
「凄く美味しいですわ!」
「エリィさんのデザートはわたしもいつも楽しみです。」
「甘いものはあまりくわんが、なかなかのものだ。」
「ありがとう。余分に作ってあるから、足りなかったら言ってね。」
口の中で滑らかに溶け、ほろ苦いカスタードとの相性抜群の甘さのプリンを、一同が賞賛する。
ロイドの目の前にある物は、見た目はそれとまったく同じなのだが、なぜかスプーンでつつくと金属音がした。
彼はナイフとフォークを使って強敵を一口サイズに切り取り、派手な音を立てながら黙って食べていく。
「そういえば、特務支援課、でしたかしら。普段はどういった仕事をしてらっしゃるの?」
「おう、いい質問だ。」
「簡単に言えば遊撃士協会と似たイメージですが。」
食後の話題が提供され、話は支援課発足から、教団壊滅にまで広がり、数々の武勇伝にアロネは目を輝かせた。
特にキーアが目立ついくつもの笑い声と、ロイドが奏でる剣戟の中、団欒の時は過ぎていく。
***
(バカねロイド…全部食べることないのに。)
エリィは、ロイドが死闘を繰り広げた会場を洗いながら、そっとその真ん中を、彼の頬に当てるように撫でる。
(私ったら、なにしてるのかしら…。)
彼らが想いを確認し合ったことを明言しないのは、暗黙の了解であった。奥ゆかしい二人は、わざわざ報告するような事ではないと判断していたのだ。
そんなロイドがどれだけ他の女性と懇意にしていようと、エリィにとってはそれは、既にほとんど日常の一部のようなものだった。
彼の人柄を思えば、当然の事だと思っていたからだ。あるいは、彼女自身にそう言い聞かせていたのかもしれない。
しかしその具体例を一日中見せ付けられた事で、複雑な心境に無意識のジレンマが生まれ、彼女が料理する手に、悪戯をさせていた。
「…やっぱりエリィさんも、ロイド様の事を、お慕いしてらっしゃるのね。」
隣で同じく洗いものをしていたアロネに不意をつかれ、エリィはあやうく手にした皿を落としかける。
「突然に、なんのこと?」
「あら、とぼけなくてもよろしくてよ。それだけじゃないわ。ロイド様も、エリィさんのことを憎からず思っている。
もしかしたら、すでにお二人は恋人同士なのかしら。」
心を読まれたかのように言い当てられ、エリィは手が完全に止まっていた。
「ふふ。こう見えてもわたくし、領主の娘ですもの。人と人の繋がりを観察するのには慣れてますの。
といっても、あなた方は誰の目で見たとしても、初々しくて解かり易いですけど。」
くすりとアロネが笑みをこぼす。エリィはあわてて作業を再開し、明らかに変わってしまった自らの顔色を隠した。
「でも、貴女には悪いですけど、わたくし、あきらめませんわよ。例えお二人の仲が深いものであったとしても。」
アロネはエリィの横顔に向かい、はっきりと宣言した。
「彼の若さなら一人や二人、加えてあの魅力でしたらそれこそ十数人、お相手がいてもおかしくはありませんわ。でも最後に、死ぬまで一緒にいてくださる…その相手にわたくしを選んでくだされば、それで構いませんもの。」
「そんな…どうしてそこまで、ロイドのことを。」
「ふふ。自分でも、おかしいと思いますわ。でも、仕方ありませんわね。ロイド様を愛しているということ以外、理由が見つかりませんもの。
正直恐ろしいですわ。あの吸い込まれるような瞳と、燃え盛る魂を持ち合わせたあのお方が。」
エリィは愕然とし、あえて考えないようにしていた一点が急浮上してきたのを感じ取り、あわてて押さえ込んだ。
ロイドはあの日、媚薬を飲んでいる。その言葉に嘘偽りがあったとは思えないが、彼自身が心から望んでいた事なのかどうかも断定できない。
純粋な好奇心と色欲の結果が夜の出来事だとしたら、エリィは今の彼にとって特別であると言えるのだろうか。
「なぜ私に、こんな話…。」
「べつに他意はありませんわ。わたくし、フェアな勝負がしたいだけですの。ロイド様が決めた相手を、お互いが認め合い、後腐れが無いように、ね。
その為の宣戦布告と受け取っていただいてよろしくてよ。」
「私がそのルールに従わなかったら?」
「貴女がロイド様を困らせるような事をしないということくらい、わたくしにも解かりますわ。」
銀器を磨きながら、アロネが付け加える。
「それから、ティオさんも、貴女と同じくらいロイド様のことを好いてらっしゃるわね。」
「え?」
「霧に沈んだ湖のように表情を映さない子ですけども、あのお方を見つめる時だけ、その内に火が灯りますもの。あれは、恋する乙女の瞳ですわ。」
ティオがガイに救出され、彼の亡き今、ロイドがその約束を受け継いだことは、すでにエリィも聞かされていた。
しかし、ティオのロイドに対する態度は、作戦行動中は良好だが、それ以外はあまり際立たず、彼を立派なリーダーとして認めているのは見て取れても、好意にまで発展しているとは思わなかった。
それ故に、エリィには解からなかったのかもしれない。その変化は、ティオがロイドに異性を見ていると意識して、ようやく見ることが出来るほど微細なものだった。
「ライバルは多いですけど、しかたないですわね。お互いに頑張りましょう?」
「ええ…。わ、私、クロスを片付けてくるわね。」
作業を終え、逃げ出すようにエリィがキッチンを出て行く。
(やはり何か、訳ありのようですわね。)
その後ろ姿を眺めながら、アロネは磨いていたフォークに口付け、ほくそ笑む。それはロイドが先ほどの決闘に使用した獲物の一つだった。
(ごめんなさいね、エリィさん。わたくしもこればかりは負けられないの。卑怯といわれても、品がないと罵られても。)
一方で、エリィは混乱していた。
片付け後のシャワーを使い終え、二階の廊下からビルの前を見下ろすと、ロイドとランディが街灯の側で稽古をつけている。
その姿が、再び遠くなっていくのを、肉眼で確認した途端に実感していた。
(ロイド…。)
窓に額を付け、イヤリングを指の背で慈しむ。
それは彼からの真心の贈り物であり、唯一形として残っている物だった。そして命を懸け、エリィを救ったのも、違いようの無い事実である。
そんなロイドの想いを、エリィは一切疑っていなかったが、それもまた単なる独りよがりに過ぎないと、アロネに気付かされてしまう。
もしティオが議長の娘なら、イヤリングは彼女に贈っただろう。もちろん誘拐の危機からも、同じように救っただろう。
エリィは今、巧みな言葉の罠にすっかり陥っていた。
部屋に向かうと、外したイヤリングを机に置き、ろくな寝支度もしないままにベッドに身体を預ける。
あの日以来、感じることの無かった精神的な苦悩をえぐりだされ、うずくまる。やがて泥沼に沈むように、深い眠りについていた。
しばらくの時間のあと、まるでティオに連行されるようにして、アロネが三階へと上ってきた。
どうやらロイドの部屋に忍び込もうとしていたようだが、すでに彼女の部屋はティオの隣に確保されている。
二人が挨拶を交わし、部屋へと入っていく。
やがて街がすっかり寝静まった頃、足音を押さえ、一つの気配が廊下を歩いていた。
それはエリィの部屋の前でとまり、小さく三度ノックをする。間を置き、今度は一度だけ、ノックをした。
部屋の主は、夢の何処かでこの音を聞いていたのだろうか。声には出ず、しかしその唇の動きは、愛しい人の名を呼んでいた。
気配は小さな鎖のような音を立て、しばらく黙っていたが、何もせずにその場を離れる。その正体は、窓から足元を照らす月だけが知っていた。