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翌朝、アロネはやはり誰よりも早く起き、玄関で接客をしていた。挨拶をいくつか交わし、荷物を受け取る。
「じゃあ、私はこれで。」
「お疲れさまですわ。どうかおきをつけて。」
うやうやしくお辞儀をすると、配達員は帽子のつばに手をかけ礼を返した。後姿が消えた後、彼女は受け取った荷物を置き、一つ一つ手に取り確認する。
「結構いろんなところから来ますのね。あら、この小包…。」
それは小さな箱だった。簡単な包装が施してあり、宛名が添えてある。
「私宛ですけど、ヘンですわね…。」
「おはようございます。」
アロネが振り返ると、エリィが立っていた。その顔はどこか晴れやかで、装いも瑞々しく整っている。
「おはよう、エリィさん。今日はお早いのね。」
「ええ。何度も寝坊してたら、ティオちゃん達に心配かけるもの。あ、それ、受け取ってくれたのね?」
「ついさきほどいらしたの。」
アロネが包みの紐を解いていく。
「その小包も?」
「ええ。わたくし宛なのですけど、どなたからか書いてないの。おおよそお父様でしょう。」
なるほどと声無く頷いたエリィだが、妙な違和感を感じた。
あの手紙を思いだす。
「ふふ、それにしても、あんなにお疲れの様子だったのにそんなに元気になるなんて。一体ロイド様にどんな励ましを受けたのかしら?」
彼女は心ここにあらずといった手つきで、出て来た木箱を取り出し、なんのためらいもなくその蓋に手を掛けた。
「アロネさん、だめっ!」
「え?」
突然の大声に驚きながらも、アロネの手はすでに贈り物を開いていた。小箱から火柱が上り、無防備な彼女に襲い掛かると同時に、エリィが飛びつく。
「きゃあっ!」
立ち上った炎は火の粉をまきちらし、アロネに抱きかかったエリィの肩をかすめる。
二人して横転したが、不思議とアロネに痛みは無かった。エリィの腕が、しっかりとアロネの頭に敷かれていた。
火はしばし空を舐め、徐々に縮んでいき、木箱の縁に留まった。二人はやおら身を起こし、呆然とその様子を眺める。
「これは…なんで、こんな?」
退かず熱波を浴びていた場合を想像し、アロネが身を震わせる。エリィがその肩を強く抱き、背を撫で、席に着かせる。
布巾で火を払いのけ、くすぶった箱を覗くと、赤燐の香りが鼻をついた。
アロネの隣に腰掛け、もう一度両手を添える。
「どうして、解かりましたの?」
彼女も流石にしたたかだった。すでに声には落ち着きが戻っている。
「以前似たような虚偽の手紙を受け取ったの。そもそもあなたにここの住所を教えてないもの。誰からも届きようがないわ。」
「じゃあ何故…」
アロネが襟首を硬く握り締めた。
「咄嗟にわたくしを助けてくださったの?貴女を、意地の悪い言葉で惑わしたこのわたくしを…。
身を裂くほど苦しんだはずですわ。心が衰弱なさってたもの。」
「こういう仕事だから、私情を挟んでは、勤まらないわ。それに…ふふ。やっぱりあなたが、ロイドの言った通りだから、かな。」
「ロイド様の?」
エリィが、アロネの腕を優しく掴み、諭すように続ける。
「確かに色々考えちゃったけど、あなたはそんな私に時々、悲しそうな眼を向けていたもの。お互い様なんじゃないかしら?」
「…。」
「あと、私とロイドのことだけど…今の立場としてはあなたとあまり変わらないみたい。確実に言える事は、私が彼を好きって事だけ。」
何処か寂しげなはにかみに、アロネは鏡を見るようだった。
故郷を飛び出してからこっちの、彼女の活動源は全てロイドにあった。しかし立ちはだかる壁の高さに、表に出していないだけで、挫折の兆しがあったのも確かだった。
アロネに勝るとも劣らない気品を持つ女性が、その傍らにいたせいである。
「でもね、決めたの。ロイドの気持ちがどうあれ、私を何度も励ましてくれた彼を、いつまでも支えて行こうって。」
「エリィさん…。」
「もちろん、諦めてる訳ではないのよ?だから、改めてあなたの宣戦布告、受けさせてもらうわ。」
エリィの眼差しに、決意の深さを思い知らされる。アロネは、自分が好いた相手を、目の前の女性がこんなに等しく想っている事に、奇妙な感動を与えられた。
「相手にとって不足なし、ですわ。貸しが出来てしまいましたけど、手加減はしませんわよ?」
「望むところよ。」
アロネは居直ると、差し出された手をしっかりと握り迎える。
「ただ、一番の難敵はロイドかもしれないわね。昨日だって、逃げるように部屋に帰っちゃったし。」
「まあ。あんな夜中に、レディを一人で置いていくなんて。そういえばわたくしもご褒美をはぐらかされましたわね。」
「かとおもえば、遠い国からお嬢様を連れてきて、困ったものね。」
「貴女のうしろにもあと何人控えてるのかしら。考えたくもないですわ。」
そして、まるで旧知の仲のような笑顔を交わした。
「ふあーあ。なんだあ、ドタバタ音がしてたけどよ。…何かあったのか?」
間の抜けた声とともに降りてきたランディが、机の上から黒い煙を立てる箱を見て、声のトーンを落とす。
エリィとアロネが事情を説明すると、ランディによりすぐさまロイドとティオも起こされ、メンバーは客間に集合していた。
「肉親すら知らない場所に届いた、アロネ宛の贈り物、か。」
「これはもう…。」
「ああ。どうやら来たみてえだな。」
言葉と目配せで互いに確信を得た。
「しかしなにか?そいつはこんな嫌がらせするために、クロスベルにまでわざわざおこしいただいたってわけかよ。」
「彼の本職を考えると、穏やかなほうなんだけど…。」
通信機が鳴る。ロイドがそれを取ると、端末も鳴った。デジャブのような光景に、嫌な予感に纏わりつかれ、一同は端末に群がった。
「やっぱりですか…。」
「おいおい、今度はこっちの件かよ…やれやれだぜ。」
「ああ、解かった。ああ。フランも、あまり無理しないでくれよ。じゃあ。…また忙しくなりそうだな。」
先日とほぼ同数同内容の、端末にうつされた依頼を、ロイドがメモにとっていく。
「にしても、これでお嬢さんの居場所も丸解かりだったってことだな。さすがに一人にしておくのは、ヤバイんじゃないか?」
「そうですね…この贈り物も、警告の意味だとしたら、ターゲットはロイドさんだけではなさそうです。」
「ああ。でもアロネ、君はたぶん今更故郷に戻れって言っても…。」
「あら、帰りませんわよ、私。この程度の脅しに屈していては、パスキューブ家の名折れ。今回は少し油断していましたけど、相手の出方がはっきりわかった今、遅れは取りませんわ。」
「こりゃテコでも動かなさそうだな。」
ランディがお手上げだとばかり笑った。諦めたようにロイドが肩を落とし、手帳をしまうと、アロネに向き直った。
「解かった。でも、そうだとしても、君には安全な場所に居て欲しい。少なくとも今まで見たいに、ここで留守を任せるわけにはいかないよ。」
「あ、だったら、いい提案があるわよ。」
エリィが間に入り、アロネの背に手を回す。
「彼女にも、私たちの調査に一緒についてきてもらえば良いのよ。」
「え?」
「ほう。なるほどな、それなら確かに護衛しつつ、調査も出来るな。」
「伯仲堂々仕掛けてくることもないでしょうし…それは、良いかもしれません。」
「ね、いいでしょ?ロイド。」
エリィが、意気揚々とロイドにせがむ。こういった押しには慣れているはずのロイドだが、提案した人間のせいなのか、僅かに眉をひそめただけで、反論は出来なかった。
そも理にかなっているのも、もちろんその理由だが。
「よし、解かった。アロネ、一緒にいこう。エリィと一緒に、被害者の証言を噛み砕いて欲しい。観点を増やせば、気づくことも多いはずだ。」
「嬉しいですわ、皆様の役に立てるよう、頑張ります。エリィさん、ありがとう。」
「ふふ、良かったわ。あなたのことだもの、そろそろ放っておいてもついてきてそうだったけどね。」
「あら、そんなこと…大いにありましてよ。」
二人は手を取り微笑み合う。意外な雰囲気に三人は少し驚いたが、邪気の無い様子に、見合わせた顔は安心していた。
「よし、時間も惜しいし、早速調査に向かおう。」
「おいおいロイド、とりあえずは朝メシ食おうぜ!」
「あ、そうか…まだだったっけ。」
「頼むぜリーダー!」
「おなかが空いていては戦はできません。」
「今日は俺が当番だったな。まっててくれ、すぐ作るから。」
ロイドが架けてあるエプロンを手にとると、エリィとアロネの手が左右から伸び、支度を整えた。
「私たちも手伝うわ。ロイド。」
「ロイド様のお料理する姿も、見たいですわ。」
「あ、ああ。頼むよ。」
「なんだか学生時代を思い出すわね。家庭科の授業は大好きだったもの。皆で作る料理は、楽しかったわ。」
「わたくしも、家で家事を習ったのが懐かしいですわ。メイドや友人を招いてそれは賑やかに。」
出遅れたロイドが、キッチンにかけていく助っ人を見ながら、頬をかく。
「知らないうちに、すっかり仲良くなっちまったな。」
「実は気が合うのではないですか。共通点も多そうです。色々と。」
「そうだな。」
「ウォン!」
三人が振り返ると、いつの間にか起きてきたツァイトが、エサ入れの前に待機していた。
***
旧市街の廃屋は、ほぼ民間に委託されていることもあってか、何処も管理が甘い。だから今のように、侵入者が屋上で双眼鏡を手にしていたとしても、さして特別な事ではなかった。
『はーあ、仕事の量によって特別手当でも出ないもんかね。』
『それで、ロイドさん。お話というのは、なんでしょう?』
イヤホンを付けた侵入者の耳から、小さく会話が漏れている。
『ああ、これまでの事件について、一度整頓しておこうと思ってね。エリィ、アロネは?』
『キーアちゃんと、部屋に居るわ。』
『わかった。じゃあ皆、とりあえずこの手帳を見てくれ。』
双眼鏡が、暗がりに浮かび上がる、特務支援課分室の窓に向けられた。
ロイドの手帳を四人の頭が囲んでいる。
『洗剤、衣類、大量のマッチに化粧品…っかー、何度みてもチマチマスってんなあ。』
『ケチな泥棒ですね。』
『犯人の目論見は別にある。俺達をひっかきまわして、疲弊するのを待ってるんだ。ここ一番の仕掛けは、とってある可能性が高い。』
ロイドが頁をめくる。
くっくと、と暗がりに笑みが響く。双眼鏡を下ろすと、尚も耳に流れてくる会話を拾いながら、おもむろに彼は右目に手を伸ばした。
「ああ、そうだね…マニーニ。肩透かしをくらった気分だよ。正直、ガッカリだね。」
誰に向けるでもなく放たれた言葉は、愉快そうに続いた。
さらにロイドは頁をめくっていく。
『それにしても、ずいぶん目立ちましたね。噂が。』
『ああ。目撃証言も、だんだんと色濃くなってきたぜ。ロイド、お前双子の兄弟とかいたんじゃないのか?』
『いや、俺には兄貴が一人だけだよ。なんだよ、もしかして疑ってるのか?』
『ちげーって、でも流石に火の無いところになんとやらってやつだろ?』
『疑うのも、私たちの仕事ですので。』
「あんな男に、君の恋人は殺されたんだ。そう思うと、僕も悲しいよ。ああ、悲しいさ、だけどもうすぐ。もうすぐあの男に、同じ、まったく同じ苦しみを、たっぷり味わってもらえるよ。」
『おいおい、頼むよ。エリィも、何とか言ってくれ。』
『…私はもちろんロイドを信じてるわ。でも、こんなに噂の頻度が多いと…何も言えない。』
『え、エリィ…。』
「そう、たっぷりとね。たっぷりと…。」
侵入者の笑い声は、夕闇に煙のように四散し、魔都を冠する街に相応しい演出を与えた。
満足そうにイヤホンを外すと、手袋をしめなおし、立ち上がる。
「だから今日も、僕を支えておくれ。愛しいマニーニ。彼の分まで僕が、君を幸せにするから。」
手にしていた懐中電灯を消すと、彼の姿は街並が織り成す黒の凹凸に混じり、消失した。
***
「こいつはいったいどういうことだ?今日で四日目だぜ。」
「小規模なテロのような件数になってきてますね。しかも、例の噂はもう、街中の話題です。」
「アロネのお嬢さんの件もあるってのに。ったく、こんなツラじゃとうぶん“潤いちゃん”と遊べねえな。」
特務支援課の朝は、いつもと違っていた。深夜に及ぶ仕事が続いたせいか、全員目がくぼみ、黒ずんでいる。
「何でこうも俺達ばっかり引っ掻き回されなきゃならんのかね。とんだとばっちりだぜ。」
「ランディ…。」
「あ…わり。今のナシな。」
「いや、言ってることは間違ってないけどさ…。それについては悪く思ってるよ。原因は俺にあるのは確かなんだし。」
「…。」
日ごと傾き続ける雰囲気に、キーアもいつもの元気はなく、まるで暗がりに押し込まれたように身をすくめている。
「まあ仮に、ロイドの悪戯だとしたら、クロスベル一タフな男…タイムズの記事も間違っちゃいないな。警察と怪盗の二役を見事に、ってよ。」
「どういう意味だ?」
「あ?いや、だとしたら不眠不休で、タフな上に役者だろって話で。」
「どこまで本気なんだって聞いてるんだ。」
「おいおい…おいおい!何ムキになってんだ。冗談だよ冗談。」
「冗談でも時と場合を考えてくれよ。笑えないよ。」
「ちょっと待て、そんな時と場合の原因はロイド、お前がひっぱってきたんじゃないのかよ。何イラついてんだよ。」
「大体俺は毎晩キーアと一緒なんだ。仮もなにもないじゃないか。」
男二人の鋭い応酬に、一同が静まり返る。
ただならぬ雰囲気にオロオロするアロネの正面で、キーアがおそるおそる口をひらいた。
「で、でも…。」
キーアがロイドのほうを見上げる。
「どうしました?キーア。」
「ロイド、いつも夜になると、ベッドからおりてどこかにいってたよ…?」
はっと、ロイドが顔を上げる。ランディが鋭利な瞳をロイドに突きつけた。
「聞き捨てならねえな。説明してもらおうか。リーダーさんよ。」
「どういうことなの?ロイド。」
「いや、それは違うんだ。それは…。」
「み、みなさん、どうか落ち着いて。ロイド様があんな姑息で卑劣な事をするはずありませんわ。そうでしょう?」
一触即発の気配を感じ、必死になだめるアロネ。ランディの肩を抑え、彼を座らせると、玄関の扉が開く。
「どうもー。郵便です。」
「あ、ありがとうございます。いつもお疲れ様ですわ。」
アロネが足早に駆け寄ると、静まったテーブルをやや背伸びして眺め、配達員は小声で問う。
「なんかあったんですか?いつもあんなに愉快な皆さんが。」
「いえ、どうかお気になさらないで。」
郵便を受けとると、心配そうにこちらを見返しながら、配達員は去っていった。アロネがテーブルに戻ると、かろうじて仕事の話に戻っている。
「さて今日も退屈な朝礼を聞く代わりに、特大のトラックを一周するわけだ。調査にはいくけどよ、あんまり被害がひどいようなら、考えもんだぜ。」
「この調子なら、いずれ予想外の答えが見つかりそうですね。」
「ああ、好きにしてくれ。俺自身が一番よくわかってるんだ。何も問題なんて無いよ。」
一度濁った雰囲気は、食事が済んでも、そのままだった。アロネは、だんまりと決め込んだエリィと共にその様子を見守る他無かった。
ランディが上着を羽織り、靴紐を直しながらあくびをする。ティオも早々に玄関を出て、背中を向けたまま待機していた。
キーアが不安そうにしがみつくツァイトの尻尾は、ぴくりとも動かず、ロイド達のしかめた顔をじっと見つめている。
「いってらっしゃい。」
「いってきますわ。」
「お留守番、お願いね。」
つぶやくような見送りの声に振り返ったのは、最後尾のアロネとエリィだけだった。
お互いの距離も離れたままに、中央へと向かう階段を上っていく。ついに上りきるまで、誰も口をきかず、目も合わせなかった。
「さて、お好きな方角はどちらですか、リーダー殿。」
「…今回はとうとう傷害に至った所がある。そこに最初に行こう。」
うやうやしくたずねるランディに、顔色一つ変えず、ロイドが手帳を開いた。