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クロスベル警察の会議室には、冷めたコーヒーが二つ並び、椅子に座ったままのけぞるドノバンと、机につっぷしたままいびきを立てるその部下レイモンドが、つかのまの休息をとっていた。
「ったく、こういう肝心なときに一課の連中ときたら、そろいもそろって共和国の観光とはいい気なもんだぜ。」
ドノバンがぼやきながら身体を起こし、たばこをくわえる。
「ん。ん。ん!クソッたれ、安物はすぐこうだ。おい、レイモンド。起きろ。休憩時間終わるぞ。」
「ううーん、あと五分…。」
彼はレイモンドの肩をゆすりながら、鳴った携帯通信機を取り出し応じた。
「はいよ、こちら二課のドノバン…なんだお前か。どうした。ああ。おう。
最近その噂しか聞かねえからな…何?本気かおい、ちょっとまて!くそ、切りやがった。」
「おおお、ゆれる、世界がゆれる…」
「いつまで寝ぼけてんだ、さっさと起きろ!」
椅子を蹴り飛ばされ、レイモンドが跳ね起きる。
しぼんだ目をこすり、だらしなく口を開ける彼に呆れながら、再びドノバンがたばこをくわえた。
「なんか、誰かと話してましたか。ドノバンさん。」
「ああ、セルゲイとな。話すだけ話してさっさと切りやがった。」
ドノバンが何度もライターを鳴らす。空の女神が彫ってあるそれは、血管が硬く浮き出た拳の中、火花だけをむなしく散らした。
「セルゲイさんかー。そういえば言ってましたね。ライターが言うこと聞かない時は、オイル切れ疑う前に、自分の頭冷やせって。」
「ああ?俺が焦れてるってのかよ…。今回の事件といい、あの野郎どういうつもりなんだ。」
とうとう火をあきらめ、ドノバンがたたばこを噛み締め、席を立った。
「いくぞレイモンド。逮捕令状の申請せにゃならん。」
「犯人見つかったんですか?」
「頭にくるぜ、噂に食いつくだけなら、なんのための警察なんだよ。」
「あ、ちょっと、待ってくださいよ!」
二人が上着を手に取り、部屋を出て行く。
廊下を足早にあるくドノバンに、レイモンドは様々に問いかけるが、彼は黙ったままエレベーターの前まで足を運び、止まった。
扉を開けると、レイモンドに向き直る。
「お前は先に出て車を用意しとけ。すぐに出れるようにな。」
「解かりました。あ、でも俺の車今フロントこすられて不細工になってるから、ドノバンさんの車借りたいなあなんてって、ドノバンさん?」
エレベーターの扉が閉まる音とともに、既にドノバンの姿は無い。
「はあ…修理さっさと出しておくんだったなあ。」
受付のレベッカに投げキッスをするも無視され、しかしそれも気にする風もなく肩をすくめると、彼は駐車場へと足を運んだ。
自分の車の正面に立ち、腕を組んで眺める。
「女の子の知り合いに見られなきゃいいんだけどね。」
ほどなく、本署からドノバンが令状を手に出て来ると、正面に止まっていた車のライトが点滅した。
乱暴にドアを開け、身体を放り込むように彼が乗り込むと、車が大きく傾ぐ。
「ドノバンさんもうちょっと優しく乗ってあげてくださいよ。ただでさえ『彼女』、不機嫌なんですから。」
「悪いが俺は上に乗せるほうが好きでな。東通りに行け。」
「はいよ。」
ぬける通り全てに、警官がたむろしており、こちらの姿をみると敬礼を送ってきた。
ハンドルを操作しながら、ドノバンの広げる令状を、レイモンドが細かく横目を送る。
大きく綴られた名前が目についた。
「へ?ロイド・バニングス?」
「馬鹿野郎、前みて運転しろ。ほれ、そこにつけろ、降りるぞ。」
車を降り、旧市街に向かうドノバンを追う途中も、レイモンドは信じられないといった表情で何度も額に手をあてていた。
鉄橋を渡り、広場を抜けると、ナインヴァリの前にセルゲイが立っている。
「おう、来たか。」
「ああ。やっこさんは?」
顎で示され、店内に入る。
小さな窓から差す光に塵がきらめき、うなる換気扇の影がはためいた。寿命の近い電灯のせいで薄暗い室内に、淀んだ空気が蔓延している。
そんな中、特務支援課のメンバーは向く方向も様々にたむろしていた。
「お役目ご苦労様です。」
「ロイド…。」
不安そうなエリィの視線を浴びながら、椅子に力なく座っていたロイドが、表から入ってきたドノバン達を見て立ち上がり、敬礼する。
奥で壁と対面していたランディが、砂を噛んだような横顔を見せた。
「敬礼してくる相手に仕事するってのも変な気分だな。」
「…。」
「罪状は窃盗、器物破損、傷害…およびテロ未遂、か。話じゃ爆弾を盗んだらしいな。」
「爆弾!?」
レイモンドが素っ頓狂な声を上げる。
びくりと、エリィに背中を支えられたアロネが肩をすくめた。うつむいた顔はすっかり青ざめている。
「な、なんだってそんなものを?いや、まだキミだって決まったわけじゃ無いけど。」
「なあロイド、本当にお前なのか?俺はどうも腑に…。」
「さっさと連れて行け。」
ドアの脇に背を預けたセルゲイが促した。
「いつからうちの署は現地取調べの形式になったんだ。仕事は素早く、だろう。」
「ああ。そうだな。」
すでにドノバンは逮捕状を受け取る際、副所長から詳細は聞かされていた。その際、キツネの機嫌が良かったのも気のせいではなかっただろう。
彼は大きく肩で息をつき、ロイドの肩を叩くと、レイモンドがおそるおそる出した手錠を、目で制した。
「こいつにはそんなもん要らんだろう。車に乗せろ。」
ロイドが出口をくぐる。一瞥もくれずに、セルゲイはたばこを咥えた。
ドノバンは深く息を吐くと、頭を掻いた。
「冷淡なもんだな。それも班長としての心得の一つってわけか。」
「何がだ。」
「部下パクって何がだは無いだろう。」
「フ…別れを惜しむ女のようにむせび泣いたほうが良かったか?」
アロネが面をあげ、きっとセルゲイを睨む。
「あんまりではありませんこと?」
「ん?」
「わたくしあなたの事を誤解していました。素っ気無いそぶりの中に、部下思いの一面を垣間見たのは、幻覚だったようですわね!皆様もよ。仲間なのではなくて?」
彼女はランディ、ティオに視線を移した。
「俺もあいつがガキを殴るとは思えねえが…何か隠してるのは確かだ。信用はできねえ。」
「私情は挟めません。」
「そんな…。」
奥から咳払いが聞こえる。暗がりに灯る赤い点を中心に、顔の輪郭が浮かび上がった。店主のアシュリーだ。
「アタシとしても腑に落ちないね。」
「アシュリーさん…。」
「あの坊やが本気でこんなことするとでも思ってるのかい?モノも出てない、裏も取れてない。ずいぶんと手際が良すぎるじゃないか。」
「変わりもんだな。娘を殴った相手の肩を持つのか?」
「この商売はね、剣で肉を切られたときの痛みも、銃で撃たれる熱さもしっとかないとダメなんだよ。
あの子にとっては良い勉強になったろうよ。」
白黒きっちりつけな。彼女の瞳が語っていた。セルゲイは片方の口角を吊り上げ、低く笑う。
「血は争えんな。逮捕されて尚、ここまで女に心配されれば、あいつも本望だろう。火あるか?」
セルゲイが内ポケットをまさぐりながらたずねる。
ドノバンは自分のガスライターを差し出したが、納得の行かない表情もそのままに吐き出す。
「安モンだ。付きが悪い。」
その言葉が終わらないうちに、セルゲイの手の中で一度だけ鳴り、ライターは火を噴いた。
タバコに移し、彼は深く煙を吸い込む。
「仲が悪いようだな。安モンなら貰っても構わんだろう。」
そういい残し、店を後にする。外で様子を覗いていたレイモンドが飛びのいて道をあけると、表に出たドノバンもその後姿を見送った。
「さすがに動揺を隠すのが上手いっすねー。まったく落ち着いてるように見えますよ。」
「いや…。冷静すぎる。」
「へ?」
ドノバンは早々に車に乗り込む。
頭に疑問符を浮かべながら、レイモンドは何度もセルゲイに向き直りながら、後に続いた。
「出せ。」
何か言おうとした彼を制するように、ドノバンは告げた。
エンジンが鳴り、景色が動き出す。ロイドは後部座席の左側に体を預け、窓の外を見ていた。
バックミラーの向こう、ナインヴァリの外に、アロネとエリィの姿を捉える。
沈黙が時間を泥に浸し、車は本部へと向かっていく。
静かに冷たい風が吹く、旧市街を残して。
***
「ロイド・バニングス逮捕。」
号外は風に乗り、噂は、動揺、悲嘆、裏切りへの罵倒、あるいは犯人の擁護へと姿を変え街を伝播する。
英雄の住処は、家宅捜索の現場へと姿を変え、多くの捜査官がたむろしていた。
「支援課のメンバーも薄情なもんだな。こんなときに犬の散歩とは。」
「女性二人はどうした?」
「ああ。三階の部屋にいる。」
捜査官同士の会話は、どこか緊張感が欠いている。
クロスベルの警察は、人員不足、そして立て続けの窃盗事件の捜査により、重いスケジュールをこなしてきていた。
それは彼らの、捜査のプロフェッショナルとして、最も重要なものにダメージを与えている。
セルゲイも例外ではない。そのはずだった。
「キーア。」
キーアはソファーに小さく足をたたみ腰掛けていた。セルゲイの声に顔をあげる。
「かちょー、ロイドは?」
「本部に“務めてる”さ。妙な形だが、ヤツの願いは叶ったな。」
「…。」
「フフ、お前もたいしたもんだな。落ち着いている。」
「だって。」
キーアは丸い瞳をぱちりと瞬かせ、セルゲイを見つめる。
「かちょー、いつもどおりだもん。」
「ほんと。まるで何事も無い日常のような振る舞い。信じられませんわ!」
アロネがつぶやく。エリィは手にした銃を丁寧に磨いている。
セルゲイとキーアのやりとりの少し前の事、彼女達は様々な思惑の行きかう街、そしてお互いの懐疑の念から逃れるようにして、エリィの部屋に待機していた。
「ほんとにもう。エリィさん、何とかなりませんの?」
「大丈夫よ、アロネさん。」
手入れを済ませ、エリィは銃を収めた。
「彼なら大丈夫。ロイドなら。」
「…そうね。そうですわ。」
エリィとアロネは、互いの感情を代行し、昇華していた。エリィの慰めはアロネの言葉でもあり、アロネの憤慨はエリィの動揺でもあった。
何がそこまでの同調をもたらしたのかは、語るまでも無い。
「エリィさんは、いつからロイド様の事を?」
エリィの隣に腰掛け、アロネは問いかける。
「その前に、アロネさん。貴女は自分の言葉に責任をもつべきだわ。」
「わたくしの言葉?」
「呼び方、よ。私も貴女の事、気さくに呼びたい。」
あ、と言葉には出さず、アロネは小さく笑うと、言葉を改めた。
「聞かせて、エリィ。」
エリィは微笑み、答えた。
「解からないの。」
「え?」
「不思議だけど、私自身、その瞬間も、変化の過程も、これといって無いのよ。自覚したのはつい最近なのかもしれないけど。
知り合ってから、まだそんなに経ってないのに、そのずっと前から、彼のことが好きだった錯角に陥るの。」
恋に恋をする人間は、遥か遠くを見つめるという。恋人の向こうにいる、華々しい世界にいる自分を見るのだ。
しかしエリィの焦点は、机の上におかれたイヤリングに、しっかりと合っていた。
彼女はその一つを手にとり、慈しむ。
「もしかしたら、貴女の真っ直ぐな気持ちを見たから、純粋な気持ちを取り出せたのかもしれない。」
「私の、気持ち?」
「変な話だけど、ちょっぴり感動しちゃった。貴女みたいな素敵な人に、ロイドが好かれているって事に。」
窓から差す夕日が、エリィの背中を照らした。アロネはその眩しさに目を細める
胸を貫く感情は不安からくるものではなく、むしろすがすがしいものだった。
「私も…。」
「ん?」
「いいえ、ありがとうですわ。話してくれて。」
一年前の青年は、アロネにとってまさに英雄だった。その回想が走馬灯のようによぎる。
彼女を現実に戻したのは、乾いたノックの音だった。
「はーい。どなた?」
「郵便です。エリィさんに直接お渡しするようにと。」
「こんなときに、誰からかしら。」
彼女が扉をあけると、配達員が帽子のつばに手をかけ、お辞儀をする。
手には、首からかけられたサポーターに支えられた箱を抱えていた。
「ハンコをお願いできますか?」
「えっと、差出人は誰かしら?」
「ロイド・バニングス様です。」
アロネが思わず顔を上げる。エリィが一瞬気を取られた瞬間、彼女は腕を背中に廻され、その首に果物ナイフを突き当てられていた。
「すいませんね。うら若き乙女の談笑をお邪魔しまして。」
「エリィ!」
「暴れ、騒ぎ立てれば…解かりますね?」
ナイフがきらめく。アロネはすくむ足で立つのがやっとだった。
「な、何者なの…。どうやってここ…まで。」
「お洒落をしてきたんです。その手にかけた銃でどうするというんです?妙な真似をしないほうがいいですよ。
私のもってきた荷物に引火でもしたら、この建物が花火にはや代わりです。」
銃を握るエリィの手が止まる。
「私が何者なのかは、式場で発表しましょう。差出人が来てからね。それまでに準備をしないといけません。
そこのお嬢さん、いえ、アロネお嬢様。エリィさんをガムテープで縛ってください。」
「やっぱり…やっぱり貴方は。」
配達員の顔が、帽子の下から現れる。歯を見せ笑う彼は、部屋を見渡した。
右側面を見るときだけ、同位置の眼球の動きがほんの一瞬遅れる。
「お二人は大事な来賓です。傷つけはしませんよ。全てはあの男次第です。これは式の、お祝いの品として頂きましょう。」
男はエリィの腰の銃に手をかけた。
彼女はとっさに背の部分を掴み抵抗したが、首の締め付けを強められ、奪取されてしまう。
「うぅ…。」
「さあ、急いでくださいアロネお嬢様。」
「エリィ…。」
「アロ…ネ…言うとおりに…して…」
「で、でも…」
ナイフが傾き、肉を撫でた。アロネは唇を噛み、ガムテープを手に取る。
(私に出来るのはここまで…ロイド、信じてるから。)
エリィの瞳の一等星は、輝きを失っていなかった。
そしてその輝きは、ソファからセルゲイを見つめるキーアの瞳にもあった。
「信じているのか。」
「うん。」
小さく、幼い彼女の、強い決心だった。セルゲイはキーアの頭を撫で、部屋を見渡す。
その時、彼の捜査官としての勘が、不自然な点を鮮明に掴んでいた。
「おい、お前。その制服は備品だな。」
「ええ。良く分かりましたね。」
「綺麗すぎる。丁寧にアイロンかける几帳面さは俺達には無いからな。」
「先日まではあったんですが、今朝の召集のとき無くなってたんですよ。おおかた誰かが間違えて持ってったと思ってたんですが。」
セルゲイは拳銃に手をかけ、階段を勢い良く駆け上がっていった。途中すれ違う捜査官を押しのけ、三階に登りきると、男は居た。
「どうも。郵便物を届けにあがったもので…」
「そいつらを放せ。逃げ場はないぞ。」
男はテープで縛り上げたエリィを前に立たせ、その背中に銃口を突きつけていた。
そしてアロネを抱え、やはりその首にナイフを突きつけている。
セルゲイが引き金に指をかけた。
彼の大声を聞きつけ、捜査官が三階へ登ってくる。
「貴方達が探しているものは、これですか?」
男は首からさげた箱に手をあてる。セルゲイは銃を構えたまま歯軋りした。
「ロイド・バニングスを呼んで来れ。早いほうが良い。あとの人間は全てこの建物を出払ってもらおう。私は式場で待っているよ。」
男は屋上へと進んでいく。
銃口を向けたまま、セルゲイは無線を手に取った。
***
ロイドは手の中の、警察バッジの深い傷を見つめた。
――チェック。俺の勝ちだな。
チェスの勝負は何度やっても勝てなかった。ある日その理由を問う。
――お前は攻めと守りのバランスが良い。速攻も得意だ。でも局面において相手の状況を見ていない。勝ちたければ俺を理解しろ。
キングを手の中で転がし、「彼」は続けた。
――どんな時でもそうだ。相手を理解しろ。想像じゃない。相手に関する情報全てから、理解し、予測して動け。そのために相手と立場を同じくするのもいい。
「これはちょっと洒落にならないかな、兄貴?」
留置所にけたたましい足音が響く。ロイドが顔をあげると、フランが息を切らせていた。
「ろ、ロイドさん!」
悲鳴に似た声に、彼はバッジをポケットに納める。
特務支援課周辺は厳重体制が敷かれ、導力車がひしめき、何人もの警察が配備されていた。
さらに動力車が追加され、助手席から飛び出した青年は、彼らの間を縫うように駆けた。
「課長!」
「ロイド、屋上だ!」
お互いを見つけるや否や、二人は叫んだ。
セルゲイがトンファーを放り投げる。ロイドはそれを両手で受け、ビルへ突入した。
「狙撃手、どうだ。…そうか。引き続き待機しろ。」
「ど、どうですか?」
「だめだ。人質の影に隠れていて狙えんそうだ。犯人はこの周辺の地形を調べ尽くしている。」
ドノバンが無線をしまい、舌打ちをした。
「ロイド…。」
しがみつくキーアを、セルゲイがもう一度撫でる。
龍のように階段を登り、屋上に飛び出したとき、ロイドを迎えたのは遮りのない星空だった。
そして手すりの側に、三人の姿はあった。
「よーうこそ晴れの式場へ!歓迎するよ、君ももちろん祝福してくれるよねぇ!」
ロイドは瞬時に構え、状況を把握した。
アロネを正面に構え、手にはナイフ。そして足元には口も塞がれたエリィが横たえられ、その頭に向けて彼女の銃が照準を合わせられている。
「どうだった、牢獄の生活は!会話の相手は狂人か、亡霊しか居ない。そうだろう。僕は友と引き裂かれ、孤独だったよ。得たものは屈辱だけだ!」
「やはり連続の窃盗の犯人は、あんただったんだな。」
「そうだ。とても楽だったよ。君の姿になれば、誰もが僕を信用した。雰囲気さえ似せればろくに顔も見られなかったよ。そしてそれは同時に、僕の怒りを増幅させた。」
「これは、復讐なのか。俺に対する。」
「そうだ。全ては、復讐だ!何もかもそっくりそのまま返す!君に殺された親友の為にね!」
男は、すでに演技も変装も引き剥がし、その本質を剥き出しにしていた。
「殺した?何の事だ。あんたの親友なんか知らないぞ。」
「しらばっくれるなぁ!君の手で獄中におちた私を、彼は身を挺して助けてくれたんだぞ。その命と引き換えに、愛する彼女を…マニーニを残して!」
「身を挺して?」
ロイドはアロネの話を思い出す。あの時、彼は確かに失っていたものがひとつだけあった。
「まさか…。」
「僕は誓った。必ずや復讐を遂げると。そしてその瞬間、僕は彼女と一つとなり、生涯守り抜くのだよ!」
男は、鼻腔から激しく息を吐き出しながら、荒波だつ呼吸を整えた。
「僕はね、僕は今まで人を殺したことなんて一度もないんだよ。ロイド。わかるかい?高尚なんだよ。それを君は踏みにじった。」
「爆弾を作る身にありながら、そんなことを良く言えるな。」
「しかし事実だよ。僕は組み立てただけだ。スイッチを押したのはどれも僕じゃない。だから、今回も僕の仕業じゃない。君だ。君が招いた状況なんだよ?」
おもむろに彼は、首からさげていた箱をつかみ、投げ捨てた。アロネが目を硬く閉じる。
箱は軽い音を立て、転がり、蓋と分かれた。
「クフ、クフフ、クフゥーン。自分の才能が怖いよ。空箱すらも爆弾にしてしまう。」
男はぎょろりと右目を剥いた。
「あの爆弾はある場所に設置してある。僕に何かあれば、即座に爆発する仕掛けだ。上司にも伝えた方が良いんじゃないか!」
「く…。二人を放せ。お前の狙いは俺だろう!」
「条件は一つだ。君の、死!飛び降りろロイド。そこからビルの下にむかってだ!」
「そんな!正気じゃ…ありませんわ、逆恨みではありませんの!」
「クフフフゥ!お嬢様はロイド様を愛しているのでしたな。そしてこの女も。良い、良い良い良い!尚良い!」
ロイドはゆっくりと構えを解いた。
「約束するんだ。俺が落ちたら、二人を解放すると。」
「クフフ、僕には高尚な理念がある。約束するよ。」
エリィは身をよじり、必死に首を振った。
「だめ、だめですわロイド様!こんな男の言い成りになっては!」
「わめくな!さあ、落ちろ!」
ロイドがゆっくりと後ずさる。男の笑い声は最高潮を迎えた。
「そうだ、失え。全てを失え。友を、名誉を。そして命をぉ!」
「誰が、何を失ったって?」
星空に声がこだまする。ロイドは足を止めた。
男が地上に目をやると、赤毛の男が手すりに腰掛けている。
「お前のシナリオじゃ、俺が爆発する役ってトコだな。ま、ゴメンだがよ。」
「ランディさん…!」
「ああー、そうか。君も私達を祝福しにきてくれたんだね。」
「おう。お祝いの品も持参したぜ?」
ランディが足元の包みを広げた。
「じゃーん。これなーんだ。」
「な…!」
それはバラバラにされた発火装置と、ナインヴァリから盗み出された爆薬だった。
「馬鹿な。僕以外、カバーすら外せないはずだ!」
「わるいねー。俺のガキの頃の玩具、積み木のかわりにずっとコレだったもんで。つい。」
「く、ど、どうやって。この広範囲を、この短時間で…。」
「ウチの課は、優秀な耳と鼻もそろってるんだな、これが。」
「部位で紹介しないで下さい。」
ティオとツァイトが、ランディの傍らに姿を現す。
「さすがにこの街全域は無理だったろうけども、どうやらお前の復讐相手はぜーんぶお見通しだったみたいだぜ。」
「何ぃ?!」
目を見開き、男はロイドを睨んだ。
「不審火の処理が終わって、警備が手薄になっていた。事件の起きたところに、再び何かあるとは思わないからな。
それにあんたはパスキューブ家に対するそれのように、貴族や議員といった身分に対しコンプレックスと恨みがある。
隣に共和国議員の邸宅があるのも合わせて、他に候補が思い当たらなかったんだ。」
「ぐ、ぐぐう…。嘘だ、君たちは、確かにバラバラに…。」
「バラバラだろうとぐにゃぐにゃだろうとなんでもなるぜ。リーダーの命令ならよ。」
「チームワークが売りですので…。」
男の歯が軋む。
「言っただろう、全部お見通しだってな。盗聴してたことも、覗き見してたことも、マッチでキャンプファイヤーしたのも、配達員に化けてちょくちょく来ては、様子見にきてたのもな。
だから一芝居うったのさ。」
「それを手帳越しにお願いされるとは思いませんでしたけどね。」
「くそっ、あの時の、あの時のか…!」
男の腕の中、アロネが微笑み、ため息をもらした。
「ああ、あああく、くふ、クフフ…。」
「もう逃げ道はないぞ。人質を解放しろ!」
「フフ…ああ、ウフフ…マニーニ、ごめんよ。僕は高尚な、ヒトではいられないよ。」
不気味に男が笑う。ロイドはトンファーをゆっくりと構えた。
「狙撃班!なんとかポイントは定まらないのか!クソッ!」
「ティオすけ、ここからあの二人に絶対障壁、届くか?」
「ダメです。攻撃魔法も、詠唱が終わる前に感づかれます。」
「ちっ、隙を窺うしかねえな。」
男がゆっくりと、ナイフをアロネの首に押し付ける。彼女の緩んだ表情が、再び恐怖に染まった。
「もう、もう僕は獣になるしかない。君の恋人のために。」
男は銃を握り、引き金に指をかけた。エリィがその顔を睨む。
「クフフ、君も素晴らしい女性だ。マニーニには劣るけれども、恋人想いだ。解かってるよ。さっき銃を取るとき、こっそり安全装置をセットしていたね?」
エリィが顔を背ける。装置を外し、男の口がにやりと歪んだ。
「やめろ、銃をおろせ!」
「ロイドォ、最近の新聞を読んだよ!君は稲妻の様に素早く動けるそうじゃないか。でもね、二人だ。
同時に二人守ることは無理だろう!さあ選べ!君の手で救う側、そして殺す側を選べ!」
狂気を孕んだ雄たけびがあがる。ロイドは、エリィを見た。
ウィンクが返ってくる。
ロイドはトンファーを回転させた。
「マニーニの為にいいいい!」
ナイフが高々と振りかぶられる。アロネが目を硬く瞑った。
ごうと風を切り、トンファーが飛翔した。ナイフが宙に舞う。
「クフゥーンヤハハハハハハハ!僕が!君の『初めて』の相手だァ!」
引き金が強く引かれた。
「ブチ込んであげるよォォォ!」
強く、強く引き金は引かれた。しかし銃は沈黙している。
「オォォ…あ、あれ?」
「はああ!」
咆哮と共にロイドの全身を巡る血が泡立ち、その体は瞬きの間に男に肉薄する。
同時にエリィが縛られたままでねじり立ち、半身を回転させた。
「マニッ…!」
ロイドのエルボーと、エリィのハイキック。みぞおちと後頭部に流れ星の衝突を受け、鈍い音を立てる。
「…ィ…ニ…!」
ぐらりと崩れ落ち、男はその場に倒れる。
ランディがビルの扉を開き、飛び込む。ティオ、ツァイトも続いた。
「確保だ!」
ドノバンの号令とともに、一斉にビルに捜査官が突入した。
尻餅をついたエリィの拘束を、ロイドが手早く解く。
「ありがとうロイド。前はロープで、今回はテープ。次は鎖かしら?」
ロイドは苦笑し、アロネの側に駆け寄った。エリィは立ち上がり、男の側に落ちていた銃を拾う。
(私の銃の安全装置は、二つあるの。ごめんなさいね。)
撃鉄に挟まったイヤリングが、鈍く星空を映す。
(それに私の初めては、全部…。)
「ロイド様!」
アロネが悲鳴をあげる。エリィもその側に駆け寄り、しゃがみこんだ。顔色が悪く、脂汗を大量にかいている。
例の反動が現れていた。
「ロイド!」
「アロ…ネ…アロネは…?怪我は…?」
「大丈夫です。かすり傷一つありませんわ!」
「そう…か。よかっ…。」
ロイドは深く頭を垂れた。くずれかけるロイドの身体を、エリィがしっかり抱きとめる。
「ロ、ロイド様!?」
「大丈夫、脈もあるし、呼吸もしっかりしてるわ。気絶しただけよ。」
「良かった、無事ですのね…。」
アロネは目じりの涙を拭った。エリィも安堵し、向かい合わせるように抱きしめたその背をさすった。
「お嬢!」
屋上に到着するなり、ランディが叫んだ。後ろだ!の声は彼女には聞こえなかった。
振り向くと、浮いたナイフが徐々に大きく膨れ上がっている。
研ぎ澄まされた刃が横に白の線を引き、それがこちらに飛んでくるのだと理解する前に、目の前を影が横切る。
肉を貫くがした。
「お嬢ーー!」
アロネが悲鳴をあげる。鮮血が地面に飛び散った。
エリィの鼻先にナイフの先端がピタリととまり、その刃を伝うのは、貫かれたロイドの掌からあふれ出たものだった。
紅に染まり、彼の腕が落ちる。
「マ…ニー…。」
その向こう側で、渾身の力を出し切った男が、倒れ伏す。
「ロイド!」
「ロイド様!」
ランディが、捜査官達が、男の所へ走っていく。
幾人もの足音の中、ロイドはエリィ、アロネの呼び掛けに、覗き込んだティオとキーアに、静かな寝息で返事をしていた。