「脱獄だァっ!」  
 
雷雨の夜、暗雲を切り裂く稲妻を背に、看守は叫んだ。  
 
「出してくれえ!悪魔だ、悪魔が雷を担いで、こっちに来るゥ!」  
 
頑強な造りの牢屋には、いくつもの影が、あるいは格子に抱きつき喚きたて、あるいはベッドに堅く寝そべり、あるいはかかえた膝に独り言を延々とつぶやいていた。  
その一番奥の、格子が特別に二重にされた部屋の壁に、ぽっかりと小さな穴があいている。中に人の姿はない。  
 
「ロジセルの犬だ!ヤツが、ヤツが逃げたぁ!」  
 
看守は松明を手に大声を張り上げ、小さな街を駆け抜けていった。  
雨はさらに勢いを増し、街のいたるところに激流の根を伸ばす。  
 
その街を遥かに望む森の中、彼は息を切らせ、走っていた。  
この一年。復讐という二文字だけが、彼に強い意思を与え、気の遠くなる虚無の日々から、精神の崩壊を防いできた。  
 
「…ロイド・バニングス。」  
 
再び雷鳴が轟き、真っ白な腕が大地に爪を立てる。取り戻した昼間の景色に、その名をつぶやく彼の姿が不気味に浮かび上がった。  
片目に光はなく、閉じた瞼が歪にへこんでいた。  
 
やがて気配は蘇った闇に溶け、降りしきる雨が息遣いもかき消す。ぬかるみ、草木の妖しく煌く小道に足跡は続いていた。  
魔都、クロスベルへ向けて。  
 
***  
 
「ようやく今週も終わったって感じだな。」  
「ああ、お疲れさまランディ。」  
 
特務支援課のメンバーは、日曜午前の仕事を終え、午後からの休暇を迎えていた。  
帰宅の途中に購入したクロスベルタイムズを開き、ランディが開放感たっぷりにこぼす。  
 
「たまの休日くらいはゆっくりしたいもんだが、魔獣の連中も日を選んでくれないもんかねえ。」  
「緊急の手配だったから、遊撃士にも依頼はいっていたかもしれないけど…。人手が減った今、俺たちに出来ることは、なるべく負担したいしな。」  
「んだな。あの三人、向こうでも元気みたいで何よりだ。」  
 
テーブルの上には、ヨシュアからの手紙があった。エステル、レンと共に、再びリベールの各地を巡り、遊撃士の仕事をこなしているらしい。  
 
「ロイドさん…ちょっといいですか。」  
 
端末の前に座っていた少女が、ロイドを呼ぶ。  
 
「すぐいくよティオ。俺達も、彼らに負けてられないな、ランディ。」  
「おお、せいぜい精進するとしようぜ、相棒!」  
 
拳を打ち付けあうと、ロイドはティオが待つ端末へと席を立つ。同時にキッチンの扉が開き、エリィがお茶を点て終え、出て来た。  
 
「皆、お疲れさま。お茶にしましょう。」  
「おっ、ありがたいねえ。」  
 
手際よく食器を机に置いていき、エリィがポットのふたをとると、ミントの香りが湯気とともに広がる。  
 
「先の住宅街のボヤ騒ぎ…警察は愉快犯の仕業と判断、か。空家だったしなあ。」  
「大事になる前に発見されて良かったわ。隣には共和国議員の邸宅もあったし。」  
「正しい火遊びは美人とするもんだぜ。おっと、ありがとよお嬢。」  
「ふふ、どういたしまして。」  
 
ランディの目の前のコップにお茶をつぎながら、エリィはちらりとロイドを見た。  
彼は端末の前でティオと話し合っている。その姿は以前にも増して凛々しく見え、絶え間無く小さな光が粒となって全身から弾けだしているようだ。  
そんな彼に思う様愛された夜から、はやくも二週間が過ぎていた。  
 
エリィ誘拐事件の始末、多忙な通常業務に加え、休日はキーアをつれて、皆での小旅行。  
相変わらず日常は、エリィとロイドの関係をより深めるには健全的すぎた  
唯一、各自の時間が作られる夜でさえ、ロイドは入浴から、着替え、睡眠に至るまでキーアにつきっきりである。  
キーアがロイドにつきっきりと言ったほうがいいのかもしれない。  
 
(仕方ないことだけど…。)  
 
再びお互いの肌を感じる暇も、もちろん無い。  
エリィとて平和な日々に不満はなく、むしろ神に感謝していたが、ロイドに対する恋しさも山と積み上げられていた。  
心の内の要望すら、暴走気味になるほどに。  
 
――今すぐ私を部屋にさらって、抱きしめて欲しい。  
 
「わっちゃ!お、お嬢!?こぼれてるこぼれてる!」  
「え?あっ…ご、ごめんなさい!」  
 
気付けばコップにお茶がなみなみと注がれ、追加されるままにテーブルにおすそ分けをしていた。  
そのまま角をつたってランディの膝へと落ちている。  
 
「わたしったらうっかり…今拭くから!」  
「ふー、ふー。や、いいさ、ほっときゃ乾くって。それよかお嬢、疲れてんじゃねえのか?あの日からまだそう経ってねえし。」  
「え…。」  
 
考えてみれば、例の事件で自分は拉致され、まだ皆の記憶にも新しい。  
周囲の気遣いも、様々な言動から感じ取っていた。それら全てを差し置いて、ロイドを求めていたことに気がつき、彼女は急に恥ずかしくなる。  
 
「ううん、大丈夫よ。ちょっと考え事をしていただけ…ありがと、ランディ。」  
「なら良いけどよ。んー、やっぱお嬢の淹れた茶はうめえ!」  
 
ランディが小皿にこぼれた分まですする。行儀が悪いながらも、その仕草にエリィは思わず微笑んでしまう。  
今こうして支援課に身を置き、ロイド、ティオ、ランディ、課長と…そしてキーアと出会えた事に、再び空の女神に対し心で手を合わせた。  
 
「…以上が報告の内容です。さきほど退治した魔獣から入手した情報も、この端末から参照できるようにしておきます。」  
「サンキュー、助かるよ、ティオ。」  
「まあ、もともと膨大な情報を管理するのが主な役目ですから。対したことではありません」  
 
端末を操作しながら、相変わらず素っ気無いティオに、その隣に立っていたロイドはもう慣れっこだった。  
しかし何処かいつもと違う彼女を感じ取り、ロイドはその細い肩に手を置く。  
 
「ティオ、体の調子は大丈夫か?」  
「…?なんですか、やぶからぼうに。」  
「いや、何か目の下がいつもより少し青いような。唇のつやも、少し鈍いし。」  
 
ティオが横目でロイドを突き刺す。  
 
「……ロイドさんって、いつもそんなところ見てるんですか?」  
「た、たまたま目に入っただけだよ、そんないつもってわけじゃ!」  
 
ティオは作業を再開しながらつぶやく。  
 
「別に、睡眠時間も確保してますし、疲れてるわけでもありませから、気のせいです。」  
「そうか、ならいいんだけど。」  
「相変わらず自分のことを棚にあげますね。わたしたちの分まで、やたら走り回ってるロイドさんこそ、もうすこし自分を労わったほうが良いんじゃないですか?」  
「え?」  
「わたしたちは全員で一つのチームなんです。頼れるときは無理せず頼ってくださいということです。  
…責任をひとりでしょいこもうとする悪いクセが、まだ少し直ってません。」  
 
そっぽを向いたまま淡々と続く説教に、まるで反論できず、ロイドが頭をかく。  
 
「ああ、悪い、気を使わせたな。そうだな、これからもずっと、頼りにさせてもらうよ、ティオ。」  
「……はい。話は、以上です。」  
「わかった。じゃあ、そのへんで切り上げてくれ。お茶にしよう。」  
 
ロイドがテーブルに戻っていく。端末の導力を落とす操作をしながら、ティオはそっと唇に触れた。  
 
「…これからも、ずっと。」  
 
漏れた言葉は、他の三人の会話に吸い込まれてく。ティオはそのまましばらく画面を見つめ、どこか遠くで、玄関の開く音を聞いていた。  
 
「よう。」  
「課長、お帰りなさい。」  
「ウイーッス!」  
「休日の朝からご苦労だったな。働き者のお前らのおかげでこっちの呼び出しまで増えちまったぜ。」  
 
毒づきながら、セルゲイが入ってくる。そのまま、外に向けて指で誘い込む仕草をした。  
 
「ま、それはそうとロイド、お前に客だ。」  
「俺にですか?」  
「駅から来たところに偶然出くわしてな。話は本人から聞いてくれ。俺は少し寝るぞ。」  
 
ロイドが何か言いかけるのも待たずに、セルゲイは二階へと上っていく。  
 
「ほんと取り付く島もねえなあ。」  
「でも課長、小言を言いながらも、どこか嬉しそうだったわね。」  
「うーん。」  
 
階段の前まで歩いていったロイドが、玄関を見ると、彼女は立っていた。  
ひまわり色のつば広帽子を深くかぶり、純白のベールからは黒の長髪が、ゆるくウェーブがかってすらりと腰まで伸びている。  
帽子と同色のワンピースは、ゆったりとしているが、着ている人物のスタイルの良さを物語っていた。  
玄関を一歩、室内に入ってくると、一同の視線は彼女に集中する。ランディは彼女の魅惑的なラインを、思わず席を立ち確認した。  
 
「ロイド様…。」  
「はい?」  
 
つぶやき、面をあげると、感極まったように眉をしかめ、はじける笑顔とともに、もう一度彼女はその名を呼んだ。  
 
「ロイド様ぁ!」  
「え、うわっ!」  
「!」  
 
帽子が高く舞い、端正な顔が現れたかと思うと、彼女は突然ロイドに飛びついた。彼はよろめき、その肩を掴む。  
美しい来客の奇襲に、ランディは口笛を鳴らす。エリィとティオは銅像と化した。  
 
「ああ、再びあなた様にこうしてお会いできるなんて…感激ですわ!」  
「ちょ、ちょっと、お嬢さん?」  
「お嬢さん、だなんて。昔みたいに、名前で呼んで下さいませ?」  
 
女性はロイドに、片目にかかった髪をかきあげて見せた。しばらく記憶と相談していたロイドが、はっと顔をあげ、彼女をもう一度見る。  
 
「もしかして、アロネ?」  
「ああ、やっぱり覚えててくださったのね!嬉しい!」  
 
今度は首に抱きつかれ、ロイドは大きくバランスを崩し、思わず腰に手を回してしまう。  
瞬間エリィが握るポットの取っ手が、みしりと音を立てたのを、ランディは確かに聞いた。  
ティオの目も、さきほど画面に落としていた表情の面影もないほどに、毒気に濁っている。  
支援課の平和な休日は、早くも終わろうとしていた。  
 
 

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