魔都と呼ばれるクロスベルにも眠る時間はやってくる。  
 夜も深まり、窓の外で街路灯が明滅する様子はまるで人々の寝息のよう。  
(……もう少ししたら、月明かりも肴に出来そうだな)  
 鼠色のパジャマに身を包み、自室のベッドで片膝たてて座って酒を飲んでいたランディは、月光が  
窓の上部を染め始めたのを見た後、壁を越えた向こう側にあるロイドの部屋へ意識を向けた。  
 普通にしていれば静寂。だけど、猟兵として鍛えてきた感覚を研ぎ澄ませば、ロイドとエリィが愛  
し合っている声と気配が微かに聞こえてきた。  
「……」  
 唇を微かに綻ばせると、ランディはグラスを傾ける。  
 盗み聞きなど良い趣味ではないと解っているし、壁一枚隔てた向こうで恋人が愛し合っているのを  
聞きながら一人で酒を飲む状況ってどうよ? と自分に突っ込みたくなるが、それでも、ロイドとエ  
リィが愛し合う気配を聞きながら酒を傾けるこの時間がランディは妙に好きだった。  
(ま、無いものねだりなんだろーなぁ)  
 誰かに望まれた訳でもなく、ましてや殺し合いに嫌気がさした訳でもないのに、あの場所から逃げ  
出してきた自分には、今ロイドの部屋で起きている事など……誰かを強く愛して愛される事など、決  
して得られない。こうして壁の向こう側からこっそり盗み聞きする位しか近づけない。  
「……」  
 喉の奥が急に辛くなって、ランディが表情を少し歪める。が、諦めた風に笑ってため息つくと、再  
びグラスの酒をあおった。  
 やがて、グラスの酒が無くなった頃。波が引いていくように、壁を隔てた向こうの気配が――愛し  
合う声と物音が収まっていく。  
「おー、今日も元気にヤったな、せいしょーねんっ」  
 ランディが陽気な声を出して笑うと、壁の向こうへ向かって空のグラスを軽く揺らす。酒も氷も無  
くなったグラスに部屋の明かりが入って、砂粒のような煌めきを散らした。  
(……さて、今の内に下から氷とツマミを持ってくるか)  
 ランディはベッドから降り、グラスをテーブルに置くと、部屋を出た。  
 ひんやりした夜の空気が、酒で火照っていた身体を冷やす。  
 さっさと戻ってこようとランディが少し大きめに足を踏み出した途端、階段前のスペースにパジャ  
マ姿のティオがみっしぃのぬいぐるみを抱えて座り込んでいるのを見つけた。  
「――!?」  
 酔いが吹っ飛ぶ程驚くランディに、静かに、と、ティオが唇に人差し指をあてて制してくる。  
(いや、ちょ、ティオすけ、何でここに!?)  
(……別に。いたいだけですよ)  
 忍び足で駆け寄って小声で騒ぐランディに、ティオは少し唇を尖らせる。  
(それよりランディさん。そんなに浮き足だっていたら、お二人に気付かれてしまいます)  
 ロイドの部屋の扉へ視線を向けて責めるティオに、ランディは思わず誰のせいだと怒鳴りたくなる。  
が、何とか激情を押さえ込むと、ティオの首根っこを引っ掴んでそのまま自室に飛び込んだ。  
 
 マグカップに牛乳とカルヴァトス少量を入れて混ぜ合わせ。それらを威力最弱のファイヤボルトで  
暖め、即席のホットミルクにする。  
「……で。おにーさんに話してくれる気にはなったかな?」  
 ランディはエニグマを仕舞うと、みっしぃのぬいぐるみと並んでベッドに腰掛けているティオの前  
へホットミルクの入ったマグカップを差し出した。  
 出来たてのホットミルクから立ち上る甘い香りをまとった湯気が、ティオを包み込むように揺らい  
で広がっていく。  
「……先程答えた通りです」  
 マグカップを両手で受け取りながら、ティオは淡々と答えた。  
「いや、だから、何でそうしてたんだよ?」  
「ロイドさんとエリィさんが愛し合っている声と音を聞きたかったからです」  
 ティオは表情を全く変えずに言い放つと、貰ったホットミルクを飲み始める。  
(……埒があかねぇなぁ……)  
 ランディが困惑しきりの表情で髪の毛を掻いていたら、ティオがマグコップから口を離した。  
「恋人達が愛し合う声と音は、世界で一番優しい音楽だ。……あるミュージシャンの言葉です」  
 空になったマグカップの中へ吹きかけるように息をつくと、ティオはランディを見上げる。  
「いいですよね。世界で一番優しい音楽」  
 ティオが笑う、諦観の暗闇に塗り潰された目で嗤う。  
「わたしには、人が奏でているのを横でこっそり聞く事でしか縁のないものです……」  
 みっしぃのぬいぐるみがこてんと倒れ、隣にいるティオへ寄りかかってきた。  
 沈黙が部屋の中に充満し、痺れるような緊張感が肌を刺してくる。  
「……おいおい、今からそんな諦めをしてどーすんだよ」  
 重くなる雰囲気を、ランディはなんとか軽い調子で笑い飛ばす。  
「ティオすけはまだ14だろ? これからいい女になって、俺みたいないい男を手に入れるのが、正  
しい順番ってもんだ」  
 茶化すように言って、ふざけた感じの表情つくってウインクをする。  
「諦めるのは、俺みたいに年くってからにしろ、な?」  
 だけど内心は、『人が奏でているのを横でこっそり聞く事でしか縁のない』の言葉に、ついさっき  
までの自分を見透かされたような気がして、鼓動は荒れに荒れていた。  
「……昔、わたしが教団から試作段階のグノーシスを投与された事は覚えてます?」  
 ティオが、ランディの方をしばし見つめた後に問うてくる。  
「ん? まぁな」  
「完成したグノーシスは経口投与の薬でした。ガルシアさんは注射で強制的に投与されましたが」  
 ランディが動揺を少し残したまま頷き返すと、ティオが変わらぬ調子で続けてくる。  
「確かに太陽の砦で戦った時にオッサンそう言っていたが……」  
 唐突に話題がとんで訝るランディに、ティオは突き放したような声色で告げた。  
「わたしも、昔、通常の経口投与との違いを計る実験の為に、注射で強制的に投与されました」  
「……」  
 ティオの言葉にランディの心がざわめく。嫌な予感を頭をもたげ、服の下に隠れている皮膚が鳥肌  
をたてる。  
 その変化を感じ取ってか、ティオが少し寂しげに笑って、続けた。  
「他にも色んな形で投与されました。……下品な言い方ですが、わたし達女性には、もう一つの口が  
ありますから」  
 
※※※  
 
『やだ、たすけて! いうこときくから、おろして!!』  
 心のどこかでは無駄だと解っていつつも、口から出る悲鳴は止められない。  
 ベッドの上で両足を不自然なまでに開かされた上に、両脇にあるあぶみに足を無理矢理乗せられ、  
革紐で固定されていく。  
 ふくらはぎと太股には革紐の縁に沿って青痣と擦過痕が走り、自由を奪われた今も新しい傷を作っ  
ていく。  
『おねがい。おうちにかえしてってワガママいわないから、だから……!』  
 震え泣きながら請うても、大人達から返ってくるのは冷たくて空っぽな眼差し。  
 やがて、青い液体の入ったパックと、ガチョウの口みたいな形をした金属のハサミを載せたワゴン  
が目の前に運ばれ、何度か聞いた番号――それがここでの自分を指す名前だった――が読み上げられ  
る。  
『これよりグノーシスの経膣投与実験を開始する』  
 傍にいた大人の一人が、ワゴンからガチョウの口みたいな金属のハサミ――後年調べたら、クスコ  
という器具だった――を取り上げると、こちらに迫ってくる。  
『ゃ……』  
 薄っぺらいワンピースの裾をめくられ、パンツを履いてない股へクスコがあてがわれる。  
 震えが止まらない身体へ、ガチョウの口みたいな部位がずぶっと突きたち、その痛みと金属の冷た  
さに悲鳴が出る。  
『ゃぁああっ! いたぃいたいっ!! はなしてぇ!!』  
 ベッドそのものを動かす程に身体を揺すり、抵抗しても、革紐で抑えられた箇所に擦り傷と痣が増  
えていくだけ。  
 こちらの気持ちとは無関係に、お腹の中につきたったクスコはマイペースに根元まで入ると、ぐっ、  
と左右に開いた。  
『ひっ……!!』  
 足の付け根から裂かれるような痛みは、悲鳴あげる気持ちすら奪う。  
 その間に、青い液体の入ったパックから伸びたチューブが、開いたクスコの合間からするする入っ  
ていって、やがて、先端がお腹の中にぶつかってきた。  
『やっ……!!』  
 もっといたいのがくる。  
 頭の中が更に冷たくなる。  
『いやぁ、いやぁああぁぁっ!』  
 涙と涎で顔をベトベトにしながら再び泣き叫ぶ中、お腹にぶつかってきたチューブの先端がぐぐぐ  
ぐっ……と、前へ進み、恐れていた激痛が下半身を電流のように駈け巡る。  
『被検体の子宮内へのチューブ装着を完了。これより二時間かけてグノーシス液の投与を行う』  
 誰かの淡々とした声の後、青い液体の入ったパックが頭上に掲げられる。  
 パックからチューブへ青い液体が流れ始める。少し遅れて、お腹の奥へ突っ込まれたチューブの先  
端から冷たい水の感触が広がってきた。  
 お腹の中の激痛に奇妙なくすぐったさが混じり、頭の中が大混乱を起こす。  
『あぁぁあ! やだぁ、たすけて、たすけてぇえ!!』  
 自分は今ちゃんと声を出しているのか、泣いているのか。その前に意識がちゃんとあるのか。  
 何もかもが解らなくなってくる中、お腹の中に水が流れ込んでくる感覚と、身体の芯から凍り付い  
ていくような寒さが、強く印象に残っていた。  
 
※※※  
 
「……あの当時は、注射みたいに痛い投与だとしか思っていませんでした」  
 空のマグカップをベッドの上に置くと、ティオは自分の臍の下に右手をあてる。  
「ただ、初めてあの投与をされた際……両足を開かされた体勢で身体を固定された時に、妙な不安を  
感じた事は覚えています」  
 今にして思えば、きっと本能的なものだったんでしょう。  
 突き放した物言いで告げたティオの顔は、感情がごっそり抜け落ちていた。  
 部屋の中が静まり、凍りつく。  
 二人の息遣いすらも消えた静寂の中、部屋の窓から見える夜空の中に月が入り込んできた。  
 ベッドの上に腰掛けているティオの方へ月光が差し込む。  
「……もう諦めるしかないんです、わたしは……」  
 どこまでも青白く、まるで悲鳴をあげているかのような月の色が、ティオの姿を照らし出す。  
「いくら望んでも、あの音楽を奏でられるだけの資格を、わたしはもう持っていない。女性としての  
身体は、とうの昔に汚れてしまったから……」  
 臍の下にあてていた右手をぎゅっと握って呟くと、ティオはベッドから降りた。  
 残されたみっしぃのぬいぐるみが支えを失い、ベッドの上に引っ繰り返る。  
「ホットミルク、ご馳走様でした」  
 重く抑揚のない声でティオが述べて、立ち竦むランディの傍を通り抜けようとした時。  
「……馬鹿野郎」  
の小さな声と共に、ランディの左手が、ティオの身体に回ってきた。  
 
 ランディの身体に、ティオが無理矢理寄せられる。彼の肋骨と脇腹の合間あたりに横顔がくっつき、  
彼の鼓動がティオの耳を直に揺らしてくる。  
「そんな事言うなら、俺だって、ここに居る資格はねぇぞ? 何せ、生まれた時から戦場と人殺しを  
日常にしてたんだからな……」  
 驚くティオに構わず、ランディは、彼女を抱えた左手に力を込めて告げた。  
「でもそれは、わたしのとは違います……!」  
「いーや、違わない。違ってなんかいない」  
 部屋の壁を見据えたままランディは言い切る。  
「拭えない汚点が過去にあるから現在も未来も汚れたまま変えられないってんなら、俺もお前も同じ  
だ」  
「――!」  
 ランディの叱るような物言いに、ティオが顔をしかめて全身を震わせた。  
「……キー坊を連れてミシュラムを脱出した時、お前らから怒られて引き止められたの……正直嬉し  
かった」  
 血と死の匂いにどっぷり浸かった自分の過去に怯えるどころか、躊躇わずに手を伸ばしてきた。伸  
ばして、ここにいてくれと言ってくれた。  
「なのにティオすけ、俺を引き止めた一人であるお前が、何で過去のせいで望むモンを諦める? 人  
を叱っておいて、何でお前は過去に捕まったままなんだ」  
 ランディが壁からティオの方へ顔を向けると、それから逃げるようにティオがランディの身体に顔  
を埋めてきた。  
「……ランディさん、卑怯です……」  
 ティオが、震える手でランディのパジャマを掴む。  
「そんな事言われたら、わたしの、諦めるという結論が成り立ちません……グノーシスの投与実験で  
汚れた身体で、普通に愛を望んでしまいます……!」  
 ランディの身体にティオの目元がくっついている箇所が、じわっと暖かくなって、濡れてくる。  
「やっと別の希望を持てたのに……ロイドさんとエリィさんが愛し合っている様子を傍で聞くだけで  
も充分だって納得できていたのに……!」  
 そう責める声が熱湯に放り込まれた氷のように震えてひび割れたかと思うと、嗚咽に変わった。  
「……そうだな、俺は卑怯者だ」  
 しがみついたまま泣き震えるティオの頭を、ランディはそっと撫でて言う。  
「自分は人が奏でてるのを聞いているしか縁がないと諦めているくせに、ティオすけにはそうするな  
と叱ってるんだからな」  
「!? それは、もっと卑怯です……!」  
 涙で濡れた顔を持ち上げて睨んでくるティオに、そうだな、と、ランディは素直に頷く。  
「でもそれで、ティオすけが諦めないってんなら、俺は喜んで卑怯者になるぜ」  
 惑いなく言い切って笑うランディに、ティオの表情が大きく揺らいだ。  
 両目から一気に溢れ出てきた涙を拭うように、ティオがランディの身体へ再び顔を埋めると、さら  
に強くしがみついてきた。  
 部屋の中に、ティオが静かにしゃくりあげる声が響きだす。  
 どこか遠慮がちに涙する彼女を、ランディは窓の外の月から隠すように両手で抱き締めた。  
 
※※※  
 
 どんなものにも終わりは来る。  
「……すいません、ランディさん……」  
 しゃくりあげる声が止まって少しして、ティオがランディの身体から顔を離した。  
 それを合図に、ランディも、彼女を抱き締めていた両手をほどいて解放する。今まで顔がくっつい  
ていた箇所のパジャマはじっとり濡れて、布地に新しい濃淡を作っていた。  
「気にすんなよ、ティオすけ。俺は卑怯者なんだから」  
「……それもそうですね」  
 ランディの言葉に、ティオも、目元はもとより頬の方まで涙で少し赤く荒れた顔で微笑む。それか  
ら、顎を少し持ち上げて、唇を小さく開いた。  
 夜空を流れる雲が月を飲み込み、部屋の中が少しだけ暗くなる。  
 涙とは違う艶を瞳に浮かべてキスをせがんでくるティオの姿に、ランディが目を丸くし息を呑む。  
が、ふっと優しく微笑むと、前へ踏み出した。  
 二人の影が一つに重なり、すぐにスルっと二つに戻る。  
 え!? と、驚いて振り返るティオを余所に、ランディはベッドに転がっていたマグカップとみっ  
しぃのぬいぐるみを回収した。  
「ほい、おやすみ」  
 朗らかな声で、ランディが、みっしぃのぬいぐるみをティオに渡す。  
 次の瞬間、ティオが眦を吊り上げ、渾身の蹴りをランディの向こう脛に叩き込んだ。  
「ランディさん、たまに空気読めなさすぎです」  
 その場で屈んで悶絶するランディに、ティオがジト目で言い放つ。  
「こういう時は黙ってキスして一気に雪崩れ込むのがお約束です。『世界で一番優しい音楽、教えて  
やるぜ』とかのクサイ決め台詞もおまけにつけて」  
「あのなぁティオすけ……」  
 ですよねーと、みっしぃのぬいぐるみへ同意を求めるティオに、ランディは蹴られた向こう脛をさ  
すりながら言い返した。  
「お前の欲しい音楽は恋人同士が奏でるもんだろ? ここで最後まで雪崩れ込んだら、世界で一番優  
しい音楽どころか、『傷心のやけっぱちに一発ヤりました』以外の何モンでもねぇぞ」  
「……だめですか?」  
「当たり前だ」  
 しばしの間を置いて問うたティオに、ランディは声を強めて言い捨てると、立ち上がる。  
「第一、アイツらだって一朝一夕で今の関係になった訳じゃねぇよな? ちゃんと順番を経て恋人同  
士になってから、俺らの羨む世界で一番優しい音楽を奏でてるだろ?」  
 そう言ってロイドの部屋がある方の壁を指さすと、ティオが項垂れるように首を落とした。  
(……ちぃと言い過ぎたか……)  
 ついさっきまで泣いていた彼女の俯き姿に、ランディの胸が罪悪感でチクリと痛む。そこへ、  
「……なら……」  
 掠れた声と共に、ティオが顔を持ち上げ尋ねてきた。  
「順番を経て、なら、いいのでしょうか……?」  
 
 雲の中から月が出る。窓ガラス越しからティオの姿を照らしだす。  
 さっきと同じ、どこまでも青白い月の色。なのに放つ雰囲気は真逆で――子守歌のようにどこまで  
も優しくて柔らかい。  
 その姿は、どんな闇や光よりも澄み切ったティオの瞳は、ランディの心臓をぎゅっと掴んできた。  
「……それは……俺と恋人同士になりたいという事か?」  
「……駄目ですか?」  
 今までと違う、余裕の色が消えた声で問うランディに、ティオが顔を微かに揺らして聞き返す。ラ  
イトブルーの髪の毛がさらりと零れ、砂粒のような煌めきを室内に撒き散らす。  
 ランディの心臓が、再びぎゅっと掴まれる。  
「……」  
 綻ばした唇から微かに息を零して笑うと、ランディは持っていたマグカップをベッドへ放り捨てた。  
 ぼふっ。と、マグカップが布団に潜り込む。  
 ランディはティオの前へ片膝をつき、視線の高さを同じにする。それからティオの右手をとり、指  
と指を絡ませるように握ると、指先でティオの右指の股を優しくさすりだした。  
 右指の股を通して、ティオの身体の奥がくすぐったくなる。  
「ぁ……」  
 ティオが思わず目を細めて声を漏らす中、ランディの顔が、唇が、近づいてきた。  
 二人の影が重なり、唇が重なる。  
 お酒の匂いのする暖かい吐息にティオが軽い目眩を覚える中、唇の隙間から彼の舌が割り込み、歯  
の裏や歯茎を舐めてきた。  
「んっ……」  
 ざらざらした舌の感触は、ティオの身体に震えを起こす。膝が少し曲がり、左手で抱えたみっしぃ  
のぬいぐるみがずり下がる。  
 その間も、ランディは、指の腹でティオの右手の甲を撫でて這わせ揉みつつ、咀嚼するように唇と  
舌を動かす。口の中で縮こまっているティオの舌を自分の舌で掬い上げて、ねっとり絡みつく。  
「っ……!」  
 ティオの舌から背中にくすぐったい痺れが駆け下りたかと思うと、お腹の中がふわりと浮き上がる。  
足の力が勝手に抜けて崩れ落ちそうになったを何とか堪えた所へ、彼の左手が、耳を優しく撫でて揉  
んできた。  
「んっ……!!」  
 ティオのお腹の中に生まれた軽さがさらに強まり、足から立っている感覚が奪われる。  
 がくがく揺れる膝と膝がくっつき、左手に持ったみっしぃのぬいぐるみが更に一段ずり下がった。  
「っ……」  
 ティオはぎゅっと目をつぶると、縮こまっていた舌を思い切って突き出す。彼の舌に自分から触れ  
てちょっかいかける。  
 ざらざらした舌の表面と暖かな弾力を感じた途端、ティオの首骨にくすぐったい震えが駆け下り、  
身体の中から何かが零れ落ちた。  
 
 月光が差し込む部屋の中、ぺちゃり、くちゃりと唾の絡む音が響いていく。  
 ランディとティオが、お互いに唇で突いて圧して挟んで啄み、たまに歯で下唇を甘噛みして刺激を  
与えながらのキスを続けていく。  
 赤茶色とライトブルーの髪の毛が、社交ダンスのように揺れて触れて軽く絡んで、それからするっ  
と滑って離れて、また近づく。  
 深く絡み合った右手の指は、まるでピアノを奏でるかのように、相手の手の甲の上で弾んで震え、  
そして縋るように握り合う。  
「んっ……ふ、ぅ……んっ……ぅ……」  
 ティオの顔がほんのりと赤く染まり、口端から唾が垂れて頬に銀の線をひく。  
 両足は今にも崩れ落ちそうな程に揺れ動き、左手に抱えたみっしぃのぬいぐるみは尻尾が床箒と化  
している。  
「ふっ、ふぅ、んっ……」  
 彼の与えてくれる何もかもが優しくて暖かくて、自分の身体が内側から溶けていく。背骨がぞくぞ  
く震えて、下腹部と股の所で奇妙な蠢きが回り続けている。  
 今まで感じた事のない感覚、経験。  
 理解が追いつかなくて、少しだけ、怖い。  
 でも――すごく暖かくて……。  
(もっと……欲しい、です……)  
 強く深く塞がれた口の中でそっと願うと、ティオは舌先で彼の前歯を舐め上げる。お酒の匂いが鼻  
腔の奥へ直に飛び込み、その刺激にティオの頭の中がクラッとなる。  
 そこへ、ランディの左手が、ティオの耳の輪郭にそって動き、耳穴を指先で軽く掻いてきた。  
「――!」  
 目の奥でフラッシュがたかれたかと思うと、一際大きな震えがティオの中を駆け抜ける。  
 下腹部と股の中に居座っていた蠢きが一気に外へ噴き出すような感覚の後に、身体を支えている両  
足の存在が認知できなくなる。  
「あぁっ……!」  
 唇を離し、切なげな声を漏らしながらその場に崩れ落ちたティオを、ランディがすんでの所で抱き  
支えた。  
「そんじゃ今日はここまで、っと」  
 ランディが軽い調子で告げると、真っ赤な顔で荒い呼吸を繰り返すティオの頭を優しく撫でる。  
「俺と恋人同士になりたきゃ、もっと先にいけるよう頑張れよ、ティオすけ♪」  
「そうですね……」  
 惚けきった瞳と涎で煌めく口元を綻ばせて頷くと、ティオはそのままランディの胸の中に顔を預け  
た。  
「次、は、もっと……」  
 ホットミルクのカルヴァトスと彼の吐息に混じっていたお酒が、今になってティオの意識を眠りの  
中へ引きずり込んでいく。  
「恋人、っぽく、なり、た……ぃ……」  
 最後に残っている記憶は、この宣言がちゃんと声に出せただろうか……という疑問だった。  
 
※※※  
 
 嗅ぎ慣れぬ香水と酒の匂いがティオの意識を呼び覚ます。  
 瞼を開くと、みっしぃのぬいぐると一緒に彼のベッドに寝かされていた。  
 みっしぃのぬいぐるみの向こう側には、ベッドの縁に寄りかかる格好でランディが船を漕いでいる。  
「……」  
 ランディの後ろ姿を見つめながら、ティオは、自分の唇を指先でそっとなぞる。身体の奥で、ぽっ  
と火が灯るような暖かな感触が沸き上がってきた。  
(まだ……諦めなくてもいい、という事でしょうか……)  
 グノーシス投与の実験などで何度も凍り付いた身体の奥が、キスで暖かくなれたなら。  
(世界で一番優しい音楽……まだ、わたしにも奏でられる可能性は残っていると思っていいのでしょ  
うか……)  
 自分の胸の上に両手を重ね、ティオは嬉しそうに息をつく。その吐息を受けて、みっしぃのぬいぐ  
るみも微かに頷いた気がした。  
「ん? もう起きたのか?」  
 ティオがなるべく音をたてないよう体を起こした途端、ランディが顔を持ち上げ振り向いてくる。  
「すいません、起こしてしまったようで……」  
「いーっていーって。寝てるとこを叩き起こされるのには慣れてっから」  
 ぺこりと頭を下げるティオに、ランディは手をぱたぱた振って笑うと、彼女がベッドから降りても  
いいように身を引いた。  
(……引き止めないんですね……)  
 まだ、恋人になる程の順番は経てないから。  
「……」  
 ティオは、ちょっと寂しげに唇を綻ばすと、みっしぃのぬいぐるみを持ってベッドから降りる。そ  
うして部屋のドアへ足を向けた後、ランディの方へ振り向いた。  
「ランディさん……約束して貰えますか?」  
 西へだいぶ傾いて窓枠から出かかっている月が、ティオの姿をぼんやり照らす。  
「ちゃんと順番を経たその時は……わたしに世界で一番優しい音楽を聞かせてくれると」  
「そりゃ勿論。俺も聞いてみたいしな」  
 少しだけ怯えの混ざった確認に対する返答は、いつものノリでの笑顔と言葉。  
 つられてティオも微笑むと、ランディが、唇をちょんと乗っけるような軽いキスをしてくれた。  
 
 
 

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