美術室。
「ユキさん」
絵を書いていた児玉が、不意にモデルのユキに呼びかけた。
「何?」
ユキこと由紀はにっこりと微笑む。児玉は静かに立ち上がり、ユキの近くに歩いてきた。
「ユキさん…」
「!!」
児玉は次の瞬間、ユキにのしかかっていた。あまりのことに狼狽し、うろたえる
ユキ。無理もなかった。ユキは女装しているとはいえ、由紀という名をもつ、れき
たる男なのである。男に抱きつかれて嬉しいわけがない。
「胸の、胸の高鳴りが止まらないんだ!」
「おい! よせ!」
身をよじって逃げようとするユキ。児玉はその腰に取りすがった。その手がスカ
ートの中に進入してくる。トランクスがずり下げられ、足に絡む。
「よせ! 私は!」
あまりのことに半分男言葉を混ぜてしまうユキ。しかし児玉は怯まない。
「知ってる。由紀なんだろ?」
由紀は肝を冷やした。何で、こいつ、俺の正体を…。しかしそれどころではない。
「離せ! 俺は男だぞ!」
「嫌だ! あんたが欲しいんだ!」
首だけ振り返り、目が合う。児玉は完全に目が据わっている。まさに芸術家気質
の狂気だった。しかしそのとき突然、ドアががらりと開く。
「さっきのモデルの話だけど…」
そんなことを言いながら、姿をあらわしたのは水面だった。
「何…してるの…?」
水面は目の前の光景に絶句している様子だった。
「由紀…あんた…」
「違う! 違うんだ!」
由紀は必死で抗弁する。
(冗談じゃない! 俺はあくまで女装嗜好で、別にそういう趣味じゃないんだ!)
どの道、変態であることにかわりはなかったがそういう誤解だけは避けたかった。
人としての道を半歩踏み外したにせよ、彼にはまだ良識の残滓くらいは残っていた。
水面の顔が紅潮する。息を大きく吸っている。その様を見て、由紀は水面に飛び
かかっていた。大声で叫ばれて、このことが人に知れたら…戦慄が由紀を駆り立て
ていた。亘のこともある。亘に真実が知れたら、半殺しではすまないだろう。いや、
それ以前に、退学は必死、町を出るほかなくなる。首吊りは嫌だ!
内面の錯乱とは裏腹に体はスムーズに動き、由紀は次の瞬間には水面を拘束して
いた。片手で口をふさぎ、足でドアを閉める。サッカーで培った運動神経が最も役
にたった瞬間だった。引き裂けたトランクスが足に引っかかっているのはご愛嬌だ。
そして股間を膨らませた児玉が、ドアのかぎを閉める。
(ナイスアシスト!)
さっきまでの当惑はさておき、由紀は児玉の機転にエールを送った。しかしそれ
が間違いだったことに彼はいまだ気がついていなかった。メガネの奥に光る児玉の
眼は、獲物を前にした獣のような輝きを湛えている。普段の彼からは想像もつかな
いようなオーラに、いち早く気がついたのは水面のほうだった。
「何、なの…?」
児玉はメガネをなおして、ゴッホ張りの峻厳な口調で告げる。
「ユキさん。黒川(水面)さんと絡んでよ」
「絡む?」
由紀が拍子抜けしたような調子で尋ねた。
「うん。「蝶」の情交を描きたい」
児玉は少しの躊躇いもなく、淡々とリクエストする。
「俺はともかく、水面は…」
抗弁しようとする由紀に、しかし、児玉は断定的な言い方で告げた。
「やらないなら、お前のことを全校生徒にばらす」
その言葉が冗談でないことは明白だった。レンズの奥、児玉の眼光は鋭い。そし
てそのとき由紀は気がついた。児玉は「蝶」ではなく「蜘蛛」なのだと。
「服は着たままがいい。入れなくても、繋がっている格好だけでも結構だ」
もはや、選択の余地はなかった。ユキは自分の唇で水面の口を塞ぎ、自分のスカ
ートを捲りあげた。やや萎縮した、ユキの巨大なクリトリス。幸い、水面はそれを
見ることはできない。片手で水面を抱きしめ、もう片手で水面のスカートを捲りあ
げる。水面は予想したほどには抵抗しなかった。
「ああ。そんな感じ」
児玉はあくまでも冷徹に言った。
ちょうど水面が、仰け反ったユキに跨っている形になっている。柔らかい太もも
に接したユキの生殖管はすぐに勃起し、ショーツ越しに水面の局所に押し付けられ
る。それは彼女の会陰を擦り上げ、亀頭のエラが肛門に密着していた。
ユキは、心のどこかで歓喜している自分に気がついていた。いや、むしろそれが
本音だった。横目で児玉を見れば、一心不乱に筆を揮っている。すっかり共犯者だ
な、とユキは思う。
ひょっとしたら水面もまた、そうなのかもしれなかった。水面は最初こそ多少抵
抗したものの、今ではすっかりおとなしくなっていた。それどころか足に挟んだユ
キの性器を、自分から挟みなおすような仕草さえ見せている。
狂った芸術家の制作活動は、二尾の交配する蝶と共に高まっていく。
「フー、フ―――、フ―――――」
水面の吐息がピアノ線のように長くなっていく。とても細い呼吸が糸を引くように
聞こえる。
静かだった。時計の針の音の他、聞こえてくるのは水面の喉から漏れる、あまりに
繊細な汽笛。そして時折の微かな衣擦れの音色。
まるで指揮のように流れる、筆がたてる音は全世界を統べているかのようだった。
そこには確かに、永遠の時間が流れていた。そしてしんしんと降る雪がとけたかのよ
うに、交合箇所は暖かく濡れていった。雪解けの雫は白く細い足を伝い落ち、紺色の
ソックスをさらに濃い紺に染めていく。
暖かい秘肉に浸されて、ユキのジッグラド(聖塔)はたじろぐように震える。振動は
水面の全身に響き、更なる雪解けを促す。その流れは血管の浮いた肉の橋を伝わり、
ユキの秘宝を包む皮の包みをも浸していく。それはアマゾン川の流れのようにユキの
大腿にまで広がっていく。
「ハ―――、ハ――――――ハ―――――――――」
いつしかユキもまた、深い呼吸を繰り返していた。二つの呼吸は賛美歌のように響
きあうのだ。水面もまた、夢見心地で魂が離れたような目をしていた。
そのときだった。
「ああッッ!」
ユキが高い、あまりにも切ない声を上げた。それに合わせて水面もまた、口を大き
く開き、声なき声をあげる。水面の体は、ビクンと大きく跳ね上がる。ユキと水面は
くず折れた。
交合を終えて逝った二尾の蝶。剥き出しになる、愛液にまみれた生殖器。ぐしょ濡
れになった水面のショーツ。そこには白い精液が飛び散り、尻や足を異様な臭気で浸
している。
『聖塔と渓谷、あるいは蝶の交配』…後に児玉画伯初期の代表作として、ルーブル
美術館に展示された作品はかくして生まれたのだった。