夢など最初から、悪い夢しか見ない。  
理由はとうに決まっている。あの腐りきった下衆な男の元から逃げてきてか  
らずっと、だ。  
今ではもう全て振り切った筈なのに、まだどす黒い思念の残滓でも残ってい  
るように時折眠りの中で膨れ上がっては苦しめる。あれからどれだけ時が経  
ったか知れないのに。  
そして、恨みは晴らしたというのに。  
重い、辛い、苦しい。  
長い間ずっと誰にも言えはしない言葉を飲み込んで、いつもはまた眠りに落  
ちるのが常だ。  
それなのに、当然のように心の不可侵な領域までを侵食してくる男がいる。  
 
「悪い汗だ」  
いつの間にかまた寝間に入り込んでいた男が、躯の冷たい額の汗を拭って  
醒めたように笑う。  
「来て…たのか」  
「暇が出来たからな。それよりも」  
わずかに荒れた指先が唇をなぞった。  
「何故、吐き出さない?苦悩など心に留めていても堆積するばかりだ」  
「お前に言っても詮無いと思ったからだ」  
「見くびるな」  
飛影という名を持つ男はくくっ、と小さく笑った。  
 
女と生まれたのは間違いだと思った。  
女であっただけで、あれほどに忌まわしく惨い目に遭う。  
だからこそ、逃げ出してからは女を捨てた。身を飾ることも装うことも縁のない  
ものだと決めつけていた。増してやこの半身が焼け崩れた醜い体は、あくま  
で自意識の中で誇るだけのもので、か弱い女のものではない。  
そう、ずっと思っていた。  
 
「お前、は…」  
「何だ」  
「何故現れた」  
首筋に舌を這わされて、思わず声が上擦る。女を捨ててからは、女が辿る  
営みなど知らずに来てしまったのだ。なのに、この男は。  
「何故、など無粋というものさ」  
低い声がざわりざわりと官能の端々に火をつけていく。ああ、この男は何故  
このようにして、何故自分はこの無礼な振る舞いを許してしまうのだろう。  
遊びという名目の元に。  
暗い寝間に次第に熱が篭もる。  
 
二人の指がゆっくりと絡まる。  
男の指と女の、指。  
何度こうして交わってきたのか分からない。ただ、数を重ねるだけはっきりと  
することは、この男がどれだけ浸透してきているかということだけ。体の隅々  
までも、隠していた心の隙間までも、容赦なく入り込んでしまっているのを  
もう不快には思わないのが奇妙だった。  
そして、今日も巡り会った男と女は交わりを持つ。  
 
 
 
終わり  
 
 

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