――霊界――  
 
そこはこの世――『人間界』と『魔界』――に在る全ての生き物達の魂の通過地点である。  
魂達はそこで最後の審判を下され、各々の終着地点――天国か地獄――へと送り込まれるのだった。  
そして、その最後の審判を下す最高権力者が閻魔大王であり、現在ではその息子がその重役を受け継いでいるのだ。  
そして本来ならば、その小さな身体とは不釣合いに立派ないつものテーブルで、  
積み上げられた山の如くの書類と睨み合い、認め印を押しているはずの彼の姿が今日は無くて。  
久々に人間界の友人から宴会のお誘いがあり、宴会場と化した亡き幻海の道場へ行くと。  
予想に反してそこは例の四人組やその家族どころか、見たことがある――かつては敵で  
あったはずの妖怪達も交えた大宴会であったのだ。  
企画したのはもちろん元人間、今は立派な魔族のあの男である。  
妖怪達の面々はかつての暗黒武術会で戦った者たちで、どうやら妖狐の働きかけで、  
再会する機会に恵まれたらしい。その辺りはあまり関わりの無かった彼女には  
経緯こそわからないにせよ、話せばそれぞれ個性的で、中々に人の良い連中ばかりだった。  
すっかり彼らと意気投合している間に、仕事があるから一足先に帰ると言って姿を消した  
閻魔のご子息に遅れを取る事二時間。  
三途の川の水先案内人――西洋で言うところの死神と呼ばれる存在である彼女がようやく霊界に帰り着いた時、  
いつもいるはずの場所に、彼の姿を見つけられなかったのである。  
(……仕事するから帰るって、言ってたのに……)  
どこに行ったというのか。  
他の案内人や鬼達に聞いてみても、誰も彼を見ていないと口を揃えて言うのだった。  
彼女――ぼたんは首を傾げる。  
つまり帰ってきて、誰にも何も告げる事も無く、それどころか姿さえも見せず、  
またどこかへ行ってしまったとでも言うのだろうか。  
或いは、帰ってさえもいないと?  
「…コエンマ様ー?」  
ぼたんは、霊界の建物の中をくまなく探してみる事にした。  
別に、彼に特別な用事があるわけではない。  
けれど、いつもはそこにいるはずの者が居ないというのは、どことなくぼたんの気分を落ち着かなくさせていた。  
どこまでも続く廊下、巨大な資料室、書類の保管庫、宝物庫……  
彼が立ち入りそうな場所を、一つ一つ覗いてみるが、彼の気配はどこにも無い。  
ぼたんは一つ溜め息をついて、探すのを諦めようとしたその時だった。  
ふと、目に入る一つの部屋。そこは普段誰も立ち入る事の無い空き部屋だった。  
何故ならば、そこはこの霊界にしては酷く狭い部屋で、  
一体何の目的で造られたのかさえもわからないからだ。  
とは言え、やはりここは霊界、狭いながらも12畳分のスペースは十分にあり、  
ただ霊界の膨大な資料や宝物を収納したり、ここで働く案内人や鬼達の休憩場としては狭いと言うだけの事である。  
前に一度覗いた時は、がらんとして殺風景――しかしそれなりの明るい色の壁紙が張られていて、  
床はカーペットも敷かれていたり、そこそこ雰囲気は悪くない部屋だったように思う。  
 
 
思い立って、その中を何十年ぶりに覗いてみる、と。  
「あ…!」  
壁に背を凭れ、眠っているコエンマの姿が目に入った。  
(こんなとこに居たんだ……)  
それも、本来の子供の姿ではなく、人間界のみでしか見た事の無い大人の姿。  
おそらく人間界から帰った後、子供の姿に戻る事も忘れてこの部屋で  
眠り込んでしまったのだろう。  
(……そう言えば、コエンマ様が寝てるとこって見た事なかったっけ……)  
いつも仕事に追われ、一つ片付けばまた一つ。  
挙句にこの三年間は、激動の内に過ぎて行ってしまったように思う。  
これまでの『人間界』・『魔界』そして『霊界』さえもが、これまでの価値観や虚構を  
捨て、新しい時代へと入り込んでいったのだ。  
その中心人物の一人となった――己の父親である閻魔大王さえも敵に回さざるを得なくなった――  
彼にとっては、おそらく毎日が気が気ではなかったに違いない。  
(よっぽど、疲れてたんだねぇ……)  
彼がどれだけの重責を背負ってきたのか、ぼたんはそれを間近で見てきたのだ。  
そんな彼にもようやく――それはほんの少しの間に過ぎないにしても――こうして  
安息が訪れた事に彼女は安堵した。  
この安息の時間が終われば、またいつもの仕事に追われる日々が始まるのだ。  
そんなコエンマの睡眠の邪魔をしないように、そのままドアを閉めて立ち去ろうと思った。  
それなのに。  
「………」  
何を思ったのか、彼女はそのままドアを引いて、静かに部屋の中に入っていく。  
「……」  
コエンマは眠っていた。気持ちよさそうに、微かに寝息を立てていた。  
顔を伏せていたので遠目からでは気が付かなかったが、近くに寄って膝をついてしゃがみ、  
顔を覗き込むと。  
(おしゃぶり、外してる……)  
いつもなら必ず口元に咥えこんでいるはずのおしゃぶりも、流石に睡眠中は外すのらしい。  
おしゃぶりを外しているときの彼の表情は、端整な顔立ちにどこか中性的な色合いが混ざり、  
色も白く、この上なく知性的に見える。  
ぼたんはそんな彼の寝顔を見て、思わず手を伸ばす。  
「綺麗な…髪だねぇ……」  
つい、小さな声でそう呟いてしまった。  
起こしてはしまわないかとドキドキしながらも、自らの好奇心には抗えず、彼の細い髪にそっと触れる。  
さらさらの髪。少しブロンズがかった、透き通るような色。柔らかな感触が心地いい。  
 
よく考えたら、この姿は人間界バージョンだと言いながら、実際は彼の成長後の姿でもあるのだ。  
そう思うと、何だかぼたんは急に気恥ずかしくなった。  
とくん、と胸が疼くのを、気の迷いであれば良いと思いながら。  
「…いつもこの姿だったら、いいのにねぇ……」  
困ったように微笑みながら、手を床について、立ち上がろうとすると――  
「――どう言う意味だ、それは。」  
「いっ…!!?」  
突然耳に降り注いだ、聞きなれた声。  
ぼたんは咄嗟に身体がびくっと強張った。  
立ち上がろうとするにも、金縛りにでもあったかのように、身体が動いてくれない。  
中途半端に腰を浮かせたまま、ぼたんは冷や汗が出るのを抑える事が出来なかった。  
「こっ…こっ……!」  
コエンマ様、と言いたかったが、言葉さえも出てこない。  
どうしよう、どうしよう、と、ぼたんの頭の中に数少ない言い訳の科白がぐるぐると廻る。  
「人の折角の快適な睡眠タイムを邪魔しおって……あげくの果てにわけのわからぬ事を  
いいおって…全く…」  
顔を上げたコエンマに見据えられながら、ぼたんは精一杯言葉を紡ぎ出そうと焦る。  
「ごっ…ごめんなさいっ……いっ…いつ…から…っ…!」  
いつから起きて、と言いたいらしい事を悟り、コエンマは欠伸を掌で隠しながら答える。  
「ふぁ……お前がこの部屋に入ってきてすぐだ。すぐ出て行けばいいものを  
わざわざ入ってきおって……おかげで目が覚めてしまったわ。」  
「そ、そんな…!」  
ぼたんは血の気が引いていくのを感じた。と、するならば。  
自分が言ったこと、した事、 全てコエンマは知っている事になる。  
何を言っただろうか、他に何か失礼な事をしてはいまいか、等とぼたんの頭には  
そればかりが駆け巡った。  
一刻でも早くこの場から逃げ出したい気持ちになり、ぼたんはようやく金縛りが  
解けた身体を起こして。  
「すいませんコエンマ様っ…!失礼しますっ…!……えっ…!?」  
――手首を、掴まれていた。  
細いながらも自分より大きな手で、――逃がすまい、とするように。  
 
「こっ…コエンマ様っ……!」  
「お前、このまま出て行く気か?言い訳をするなら今のうちだぞ?」  
コエンマにそう言われ、ぼたんはごくり、と息を呑んだ。  
そんなぼたんの様子に。  
コエンマは――悪戯じみたような、それでいて極めて優雅に――艶やかに笑んで。  
「…お前は、ワシのこの姿が好きなようだな…」  
「―――っ…!」  
心臓がどくん、と高鳴った。  
先程の妙な胸の疼きが、より強くなったような感覚だった。  
鮮やかな笑みを向けられ、ぼたんは眩暈さえも感じて。  
「……何なら、試してみてもよいぞ?」  
――試す?何を?何の事?――  
一体コエンマは何を言っているのか。  
ぼたんはパニックに陥りそうな頭を精一杯回転させて、その意味を考えてみるが。  
――あああもう!わからないよぉ!わからないったらわからない!!――  
「こ、コエンマ様っ、な、何言ってんですか!?そ、そのさっき言ったことは、そんな  
大した意味じゃなくてっ……はにゃっ!?」  
突然手首を力強く引かれ、ぼたんはバランスを崩してコエンマの胸に倒れこむ。  
「――っ!!?こ、コエンマ様っ…!何っ…!?」  
「…試してみるか、と言ったのだ。わからんか?」  
体勢的にはコエンマに抱きかかえられているようになっていて、顔はコエンマの  
ちょうど胸元に埋まり、ぼたんの顔は、まるで火が付いたようにみるみる紅くなっていく。  
「たた、試すって……!な、何を…!?」  
気が動転して、うまく言葉が出てこない。コエンマの腕からどうにか逃れようと  
嫌々をするように首をふり、身体をじたばたさせようとするのだが、  
華奢に見えて意外に強いその力で、完全に身体を封じ込まれ身動きが取れない。  
不敵な笑みを浮かべながら、コエンマはぼたんのポニーテールを形作るリボンを解いて。  
ぱさ――  
同時に、ぼたんの青く長い髪が、まるで海のように広がっていった。  
艶やかな感触にコエンマは自らの指をそれに絡ませ、櫛で梳く様に撫ぜていく。  
「ワシも、前からお前の髪には触れてみたいと思っておった。  
この綺麗な、青い髪に、な。」  
――どくんっ…  
今度は、切なささえも伴う疼きだった。  
頬はこの上なく朱に染まり、心音はこの上なく激しく高鳴り。  
この気持ちは、まるで――  
「コエンマ…様……」  
ぼたんにとって、それは生まれて初めての感情だった。  
否、正確には水先案内人として生まれ変わってから初めての――である。  
本当に、本当にずっと昔に――もういつの時代かさえもわからない。  
まだ、自分が『人間』という存在であった頃、このような感情を知っていた気がする。  
 
しかし、その感情は報われる事も無く露の如く散り去り、数多の魂から選び抜かれて水先案内人と  
なった今でも――魂の欠片は、その感情を覚えているのらしい。  
懐かしくも切ない、甘くて、しかしどこか酸いて。  
――やだ、これじゃまるで私コエンマ様を……!――  
思い至って、ぼたんははっと我に返り、自分がとんでも無い事を考えているのに気が付いた。  
コエンマの胸から顔を離し、彼を見上げながら捲くし立てる。  
芽生え始めた感情を、振り払うかのように。  
「っ、コエンマ様っ…!は、離して下さいっ!お休みを邪魔したのは悪かったけどっ…でもっ!  
あ、あれは本当にそう言う意味じゃなかったんですっ!」  
「……ほう?」  
そんなぼたんに対し、コエンマは人の悪い笑みを浮かべながら。  
「では、どう言う意味だったのだ?」  
そんなコエンマに対し、ぼたんは明らかな動揺の色を浮かべながら。  
「う……それは……、あの……!」  
確かに、あの時自分はコエンマのこの姿に見惚れてしまっていたのだろう。  
いつもの子供の時の姿とは違い、大人になった彼のこの姿はぼたんの胸の内に  
微かなときめきを与えたのは事実だった。  
けれど、それを彼に伝えるわけにもいかない。かと言って、  
霊界一素直で嘘が下手な彼女にとっては、これと言った言い訳が咄嗟に思い付くわけでもない。  
「だから……その……!」  
自分をじっと見据えるコエンマの目が痛く、思わず視線を逸らす。  
泣きそうになるのを堪えながら、必死に言い訳を考えていた、その時。  
「――残念だったな。時間切れだ」  
耳元で囁かれ、ぼたんの身体がびくり、と強張る。  
――時間切れって…そんな…!――  
「ま、待ってください、あの、実は―――っ…!?」  
ぼたんは、信じられないものでも見たかのように目を見開いた。  
目の前に、この上なく近くにコエンマの顔があった。  
逃げる間なんて、与えてはくれない。  
唇が合わさったのは、自分が見せたほんの一瞬の隙の出来事だったのだろう。  
暖かでしっとりとした感触が唇に触れ、まるで凍りついたように身体が強張る。  
「っ…!」  
――コエンマ様……!――  
あまりに倒錯的な状況に、抵抗する事さえも忘れ――ぼたんは思わず目を伏せる。  
唇同士が触れ合う感触。甘くて、切なくて、暖かで。  
唇を奪われているだけでなく、心までが奪われてしまいそうになる。  
とろとろと頭が蕩けていきそうなその心地よい感覚に、強張っていた身体が解れ、  
全身から力が抜け落ちていきそうになる。  
一瞬コエンマが唇を離したかと思えば、また角度を変えて、ぼたんの唇に触れる。  
何の抵抗も無い彼女の唇に、幾度か啄ばむ様な口付けを与え――それだけでは  
物足りないとばかりに、今度は彼女の唇の中に舌を差し入れた。  
 
「っ!?ん、んっ…!」  
唇が抉じ開けられ、ぬるりとした生暖かいものが口腔に当たる。  
驚いて逃げようとする彼女の唇に追い縋り、彼女の舌を絡め取る。  
「ふ…っ、んぅ……!」  
淫猥な口付けに、ぼたんの頭の中は真っ白になった。  
抵抗しようにも、身体の力が吸い取られてしまったかのようで、跳ね返す事も出来ない。  
くちゅくちゅと唾液が粘る淫靡な音と共に、口膣を犯されながら、ぼたんは息苦しさと  
それに伴い湧き上がる妙な官能に翻弄されるばかりで。  
――何?この感覚は……――  
身体が熱くなる。身体の中で、何かが生まれる。  
「――…っ…」  
唇がようやく解放されると、そこには相変わらず人の悪い笑みを  
浮かべた上司の顔があった。  
互いの唾液で濡れたその形のよい唇を。先程まで自分の口内を犯していた紅い舌先でぺろり、と  
拭うその仕草は、閻魔と言うより、むしろ悪魔のような酷薄でありながらも  
人を惹きつけて止まない妖艶さを醸し出していた。  
ぞくり、と背筋が凍りつく。  
「顔が紅いぞ?ぼたん。初めてか?こういう行為は…」  
「――っ!?あ…当たり前じゃないですか!み…水先案内人がっ……  
こ、こ…こんな事する暇なんて、あるわけが…!!」  
からかうようなコエンマの物言いに対し、どもりながらもどうにか答える。  
怒っているような、恥ずかしがっているような、どちらとも取れる動揺の色を含んだ表情で。  
「そうか?この数年、お前は仕事以外でよく人間界に出入りしていたからな。  
もしかして、と心配しておったのだ。」  
「なっ…!?こ、この質問ってセクハラですよっ!?う、訴えちゃいますよ!?」  
「お前な……今ではここの最高責任者はワシだぞ。誰に訴えるというのだ。  
それに、誰とて自分の物を誰かに奪われるのは癪に障るものだ。」  
「じ…自分の物、って…!」  
「覚えておるだろう。お前が水先案内人として生まれ変わった時のことを。」  
「う……!」  
覚えていないはずがない。確か、自分の魂は彼が選んだのだと言っていた。  
それまで仕えていた水先案内人などは、全て彼の父親である閻魔大王が  
その元となる魂を選んでいたのらしい。  
そう。自分は、彼にとって初めての。  
「最初に言ったであろう?ワシはお前を気に入っている、と。  
だから、お前がワシ以外の物になるのは――許せんのだ。」  
「そそ、そんな……あ、あるわけないじゃないですか、そんな事っ!」  
「信用出来んな。随分と魔界やら人間界やらの者共と仲良くなりおって。  
お前は人懐っこすぎる。見ているこっちがはらはらするわ。」  
…………はい?それって、それって……。  
 
「…あの……コエンマ様?もしかして先刻の宴会の事言ってます…?」  
確かに、自分は職業柄か余り人見知りをする方でもなく、今回の宴の席でも  
特に風使いやら自らを美しいと豪語する魔闘家等とはえらく気が合って、  
冗談も交えたお喋りに興じていたりはしたけれど。  
けれどそれはあくまで宴会の、酒の入った席だったからであって。  
それをまともに真に受けるなんて。それはつまり――……  
「あの……それってヤキモチ…ってやつですか…?」  
恐る恐る聞いてみると。  
「なっ!?誰がヤキモチを焼くと言うのだ、誰が!ただ、お前が  
誰にでも何の警戒心も持たずに馴れ馴れしくしておるから、  
見ているこっちが苛々してくるだけだわい!そんな俗っぽい感情と一緒にするな!」  
……世間では、それをヤキモチと言うのだ、とぼたんは心中で突っ込みを入れながら。  
先程はあれほど妖艶で、大人びた仕草や行動で自分を振り回していたはずなのに。  
たったの、自分の一言で。コエンマの表情はにわかに崩れ、僅かに頬が上気して、  
先程までの余裕を失ってしまっていた。  
それを見て、逆にぼたんの方が余裕を取り戻し、コエンマの子供染みた嫉妬に対し、  
笑いが込み上げてきた。  
「…何が可笑しいのだ、ぼたん…」  
「べ、別に何でも……笑ってなんて、いませんよ?」  
言いながら、噛み殺せなかった笑いがくすくすと空気の合間を縫って漏れ出る。  
七百年生きていても、今は大人の格好をしていても、やはり内面はあの小さな姿の  
ままなのだと、ぼたんは思った。  
明らかなぼたんの含み笑いに、コエンマはむっとした。  
彼女の心中が伝わったのか、まるで子ども扱いされているようで面白くない。  
少なくとも、この姿の時位は。この大人の姿のままで、見て欲しいと思う。  
本来の姿はアレだが、この姿もまた本当の自分の姿なのだから。  
初めてこの姿になった時、世界の何もかもが違って見えた。  
自分の身体も、見た目の歳相応の反応を示す事も当に知っている。  
だからこそ。  
 
「…?コエンマ様…?」  
「…………」  
それきり、黙り込んでじっと自分を見つめているコエンマに違和感を感じ、  
訝しげに覗きこんだ。  
機嫌を損ねてしまったのだろうか。ぼたんはしまった、と思いながら、  
あせあせと再びコエンマに詫びる。  
「す、すいませんコエンマ様っ…!ち、違いますよね〜コエンマ様がそんな  
俗っぽい感情持つわけないしっ…!それも、私に対してなんて、……え?」  
コエンマの手が、肩に掛かり。ぐらり、と身体が揺れて。  
そのまま、床に押し倒された。  
どさ、と倒れこむと、目の前のコエンマも同じようにぼたんの上に上乗りになり、  
彼の体重が掛かる。  
「――え?えっ!?こ、コエンマ様?あ…あのこれは…?」  
何コレ?コレ何?どーゆー状況!?  
頬が、再び火照りを強くする。コエンマの目が、いつになく真剣で、じっと自分を見詰めながら。  
「ぼたん。――お前が悪いのだぞ?」  
「こ…―――っ!?」  
彼の名を呼ぶ前に。また唇を塞がれる。今度は最初から、彼の舌が自分の口内へと  
侵入してくる。驚きと共に、再び与えられる唇を通しての官能に、ぼたんは眩暈を覚えた。  
どうしてこうなったのか。何がどう間違ってこんな事になってしまったのか。  
ぐるぐると脳内を駆け巡る疑問の数々が、唾液の絡まる淫らな水音によって  
掻き消されていく。  
「んっ…んぅ…っ!」  
息継ぎさえもままならなくて、息苦しさにぼたんの眉根が歪んだ。  
しかし伴うように、身体の内側から甘い官能が湧き上がってくる。  
甘い癖に、苦しくて。切なくて。儚くて。  
こんな感覚は――知らない。  
こんな感情は――知らない。  
「……はっ!はぁっ…はぁ…はっ……コエンマ…さまぁ……」  
唇を解放してやると。其処には、目に一杯の涙を溜めたぼたんの顔があった。  
留め切れずに溢れた雫が、紅く染まった頬を伝い、ぱたぱたと綺麗な髪の上へと滴り落ちていった。  
「う…ふぇ……!」  
転んで泣くのを堪える子供のような表情で、コエンマを見るぼたんが  
何だか可愛くて、切なげで。  
思わず、先程までクールだったコエンマの表情が緩む。  
「何だ…?何を泣いておるのだ。ワシはお前を泣かせたかったわけではないのだぞ?」  
 
「だ…だって…だって……!」  
涙が、止まらない。何で。どうして急にこんな事を?  
「ワシでは嫌か?」  
違う。そんなんじゃない。嫌なわけじゃない。けど。けど…!  
「今からする事が…怖いか?」  
「う……だって……こんな急に…っ…そ、それに…!」  
「それに?」  
「こ…コエンマ様のばかぁっ…意地悪っ…!私、初めてなんですよっ?こんな事…!  
それなのに、…それなのに、こんな場所でっ…こんな無理矢理…!  
普通、もっとムードがあるとこ選んだりっ…  
女の子の都合に合わせてくれたりとかっ…!そ、そーゆーもんじゃないんですかっ!?」  
「たわけ。人間界じゃあるまいしこの霊界にそんなムードのある場所などないわ。  
他人に見られてもいいのなら場所を変えるが?」  
どうする?と目で訴えられて、ぼたんは涙ぐんだ目で恨めしげにコエンマを睨む。  
コエンマはそれに対し、涼しげな表情で彼女を見下ろしていた。  
そんなコエンマに、ぼたんは小さく呟いた。  
「ずるいです……コエンマ様…!」  
――この人は、知っているんだ。私が抵抗出来ない事を。  
そう悪態をついた唇に。コエンマは満足げに艶やかに微笑んで、再び唇を落とした。  
 
 
*****  
 
 
着物が、肌蹴ていた。  
薄桃色の、お気に入りのいつもの着物。  
皺になっちゃう、そう自分では心配に思っていても、自分の上の男がそんな事  
を考えてくれているはずがない。  
帯紐を緩められて、初めて人の前に素肌を晒していた。  
「…っ…ん…」  
ゆっくりと、身体を舌で、指先で撫ぜられて、ぼたんの唇から切なげな声が上がる。  
苦しげな吐息は熱を持ち、それが苦しいだけのものでは無いのだという事をコエンマに伝えていた。  
「はっ…コエンマ…さま…!」  
触れられている部分が熱い。彼の舌が、彼女の膨らんだ曲線をなぞる。  
先端の突起を口に含まれて、ぼたんはびくり、と身体が強張った。  
味わうように執拗に其処を愛撫され、ぼたんは羞恥に消え入りそうになる。  
けれど、何を思ったかコエンマの方に視線を這わすと、その姿は大人だと言うのに何故か  
母親の乳を求める幼子のように見えて。  
そう思うと、心に暖かい何かが灯る。  
可愛い、ね……。  
きっと、彼にそう言ったら怒ってしまうだろう。だから口には出さないけれど。  
「あ……っ…!」  
そう思った矢先、彼の手が下半身を覆う肌襦袢を開かせて、肌蹴て露わになった腿からその  
付け根の潤んだ箇所を探り当てる。  
「っあ…!や、やだっ……ぁっ…!」  
前言撤回。可愛くなんか無い。全然。  
自分を見下ろす彼は、相変わらず小憎らしい程に涼やかで意地悪で人でなしで。  
ぼたんと違い、余裕な表情のコエンマは、慣れた手つきで彼女の微かに潤んだ秘裂を  
なぞり、その上でひっそりと息づく肉芽をきゅ、と摘んだ。  
「ひぁっ!?だ、だ…めっ…!あぁっ…!」  
高い喘ぎが漏れる。拒絶の言葉さえ、響く嬌声に掻き消されていく。  
内部からせり上がってくる初めての快感が、未だ男を受け入れた事のない  
彼女の秘所に潤いをもたらしていく。  
溢れる蜜がコエンマの手に絡みついて、そのまま彼女の内側へと指先を侵入させる。  
「っ…!」  
微かな痛みが走り、彼女の表情が歪む。  
けれど、彼はやめない。慣らすように、ゆっくりと。指先で割れ目を押し広げながら。  
 
「うぁっ……あっ…だめっ…ひ、広げちゃ……やっ…!」  
コエンマの焦れた愛撫に、ぼたんの身体が切なく疼く。  
痛みはいつの間にか消えて、打って変わって今度はコエンマの指先を更に深く  
飲み込もうと収縮を始めた。  
にぃ、と口端を上げて笑み、ぼたんの内部から引き抜いた指先を、ぺろりと舌で舐め取りながら。  
「……お前も、ワシが欲しいようだな。」  
「や、違、っ…!ひゃっ!?」  
先程まで指先を拭っていたはずのコエンマの舌が、ぼたんの濡れそぼった女の箇所に這える。  
「ちょっ…やだっ!やだやだやだっ!!こ、コエンマ様のスケベ!変態っ!  
そ、そんなとこっ…っあんっ…!」  
「馬鹿者。男は皆同じだ。変態とは随分な言いがかりだな。  
それにここを慣らさねば、お前がきついのだぞ?」  
上身を僅かに起こしコエンマの頭を抱え、引き剥がそうとするも。コエンマの舌が秘裂をなぞる度、  
腕に込める力は彼を押しのけるどころか、寧ろ抱え込むように働いてしまう。  
あまりの羞恥に消え入りそうになりながらも、段々と目覚めていく快楽の味にぼたんは  
すすり泣く様な喘ぎ声を、コエンマの耳元で上げ続けた。  
「ふぁっ…ぁっ…んっ…っ…う…!」  
止め処なく溢れる蜜を啜りながら、男を知らぬその甘美で未熟な果実に、コエンマはえも知れぬ充足感  
が湧き起こり、思わず笑みが漏れた。  
「……やはり、お前は可愛いな。ぼたん。お前は――ワシのものだ。」  
刻み付けてやるのだ。その証を。  
誰にも触れさせないように。彼女が他の誰かを求める事のないように。  
コエンマは自らの衣を中途半端に緩め――自らの隆起したモノを取り出す。  
「あっ……!んっ…!」  
脅えるような瞳を向けるぼたんに口付けながら、コエンマはそれをぴたりと  
彼女の秘唇に押し付けた。  
 
「んっ、やっ…こっ…コエンマ様っ…!」  
ぬるぬると、秘裂を猛った先端でなぞりながら。目が合うと同時に――  
「――ひっ…!あああっ…!」  
「っ…!ぼたん……!!」  
彼女の内部は熱く、狭く――徐々に、自身が彼女の中に埋もれていくにつれて、  
腰の辺りがじんじんと痺れてきた。もちろん、快楽によって。  
「痛い、よぉ……コエンマ…様っ……!」  
ぽろぽろと涙を流しながら、はぁはぁと荒い呼吸を繰り返しながら、痛みに顔を顰めながら。  
それでもどうにかコエンマを受け入れようと――いや、彼女は痛みから逃れたかっただけなのかも  
しれないが――吐息の合間に力を抜いて、彼の全てを受け止めていく。  
結合は徐々に深くなり――やがて最奥へと辿りついて――  
「ひぁぁっ――!」  
悲鳴にも似た嬌声が上がり、コエンマの額からは一筋の汗がつ…と流れる。  
「はっ……全部……っ…入ったぞ…ぼたん……」  
彼女の胎内に自らの存在を確認するように、ぼたんの下腹を掌で上下する。  
これで彼女は、本当の意味での自分のものとなったのだ。  
自分が、彼女の魂を転生させて、自分の部下として側に置いて――そして彼女の初めてとなって。  
果たして水先案内人である彼女が自分の子を宿す事があるのかどうか――そこまではわからないにしても。  
「ふっ…うぁ……あっ…!」  
圧迫感と純潔を失った証である鈍痛に、ぼたんは苦しげな声を上げて耐えているようだった。  
相変わらず涙を流しながら、固く目を閉じていた。  
コエンマは苦笑しながら、今すぐにも本能のままに突き上げ彼女を蹂躙したい衝動に耐える。  
ほんの僅かな理性と良心で以って、かろうじて本能を押さえ込んだ。  
「相変わらず……泣き虫な奴だ…。昔から…何も変わらんな、お前は。」  
彼女より以前のほとんどの水先案内人は、その仕事柄故かいつの間にか涙を失い、情を失い  
人間であった頃の心を失い、ただひたすら仕事の遂行のみを考えていた。  
ぼたんのような、未だ無垢で泣き虫で嘘が下手で情の深い死神など、見た事がなかった。  
だからこそ。  
「だ、だって……コエンマ様……ど…して……っ…」  
「ん?」  
「何でっ……こんな…っ……こんな、事……?」  
自分のものにしたい。ただそれだけで。それだけの理由ならば――それはあまりにも傲慢ではないか。  
多分、自分は彼のこの姿に。自分を作ってくれた存在である彼に、微かな恋心を  
抱いてしまったのは間違いないのだろう。でなければ、もっと抵抗もしただろうし、  
きっとこんなに酷い事をされてしまっては嫌悪感だって抱いたのだろう。  
それが。  
 
「…何か、不満でもあるのか?」  
「だって……こんなの、って……!」  
もっと、ロマンチックなものだと思っていた。折角、前世でも敵わなかった女としての望みが敵うのなら。  
実際前世なんてあまり覚えてはないのだけれど。でも、毎日胸がドキドキして、  
その相手にちゃんと想いを告げられて、大事に抱かれて――そういうものだと思っていた。  
色んな段階をすっ飛ばして、無理矢理こんな事になったのでは、哀しいではないか。  
「……本当にお前は純粋だな。呆れる程に…」  
「っ…う……」  
「だが、お前のそういうところがワシは気に入っているがな。そうでなければ、こんな事するはずがない…  
それにセックスなど、お前が想像しておる程綺麗なものでもなければ、楽しいばかりのものでもない」  
「――ひぁっ…!いっ…!」  
彼の大きさに随分慣れてきていたとは言え、彼が腰を動かせば、早くも痛みで声が引き攣る。  
仰け反る首筋に顔を埋め――耳元で、囁く。  
「――ここを擦り合わせなければ、いつまで経っても二人で悦くはなれんぞ。  
いいか?」  
男と女など、そういうものだ。――そう言い聞かせながら、コエンマは腰を突き上げて、  
ぼたんの身体を揺らし始める。  
「っう、…っ、…ひぁ…っ…!」  
「我慢、せい……、すぐ、イカせてやるから……すぐ…楽にしてやる……」  
低く甘く囁かれ、それがぼたんの目に新たな水を湧かせた。  
ゆっくりとした動きから段々に早く、濃密に。出し入れの度、にちゃにちゃという卑猥な水音が、  
ぼたんの溢れる愛液が増えるにつれ大きくなる。  
熱い、熱い、彼女の胎内。  
「あっ、あっ…ああっ、あ!あっ…あ……っ…!」  
幾度も出し入れを繰り返すうち、ようやく悦びの声が微かに混じり始め、コエンマは安堵した。  
流す涙も、今度は悦楽のそれにとって変わるのは時間の問題だろう。  
「――ぼたん……!」  
はぁ、と深く息をついて――彼女の胎内を一際強く突き上げた。  
「あああああっ!やっ…コエンマ様…っ、ああ!」  
どうしてこうなったのかわからない。彼に無理矢理抱かれ、こうして彼にいいように扱われて。  
「ふぁっ…あっ アっ!コエンマさまっ…コエ…マさまっ…!」  
けれどそれを甘んじて受け入れて、こうやって快感まで感じるようになってしまった自分が、  
なんだか悔しくもあり、哀しくもあり――けれどどこか幸せで。  
「ああっ…やぁっ…も……あ…!」  
身体の中の、彼の熱が一際大きくなる。  
込み上げてくる絶頂感の中――彼の名を、ひたすら呼び続けて――  
「コエンマさまっ……ああっ…コエンマ、さまぁっ…!」  
「――――ぼたん………っ……!」  
 
 
――熱いものが、身体の奥に流れ込んでくる感触。  
 
注ぎ込まれる彼の証。  
私の身体に被さる彼の、首筋にかかる熱い吐息。  
早い心臓の音。  
暖かい彼の体温。  
ずっと、求めてたもの。  
全てが。  
 
――何でこんなに愛しいんだろう?――  
 
 
*****  
 
 
「――まだ機嫌は直らんか?」  
ぐったりと、未だうつ伏せに横たわったまま。彼にそっぽを向けてだんまりを決め込んでいる。  
惚れてしまっているのは事実だ。愛しいと思ったのも事実。  
でも悔しい。これでは彼の思う壷ではないか。  
あんなに意地悪をされて、痛い思いをさせられて。  
初めて好きな人と結ばれる時の、昔から思い描いていたロマンチックな乙女の夢も打ち砕かれて。  
ひどい男。ひどい男。  
でも。  
そんなひどい男にあれだけのことをされて、悪い気がしない自分が一番ムカついた。  
その為か、今は何も話す気にはなれなかった。  
身体も気だるくて、起き上がるのも億劫で。  
「…話す気にもなれん、か……」  
そう呟く彼の、少し寂しげな声。  
その直後衣擦れの音が聞こえてくる。おそらく彼が身支度を整えているのだろう。  
知るもんか。彼が悪いのだ。彼が、子供染みた嫉妬心なんか起こすから。  
自分だって、あやめと仲がいいくせに。  
それに私を抱いているときの、彼の余裕な態度、表情。  
絶対、私が初めてじゃないんだ。  
現に、私の事を好きだとか、愛してるとか、そんな言葉も掛けてくれなかった。  
それなのに。それなのに…、…。  
「――ゆっくり休んでから仕事に戻れ。悪かったな、無理をさせて。」  
「―――……!」  
初めての気遣いの言葉。求めていた言葉ではなかったけれど。  
彼は立ち上がり、この部屋から出て行こうとしている。  
知らない、知らない知らないっ!!  
彼が悪いのだ、彼が。今更どんな気遣いをされたって。今更謝られたって。  
でも、でも……――  
彼がドアの前までたどり着き、ドアノブに手を掛けようとしたその時。  
「――待って、下さい…」  
小さな声だったが、コエンマが気が付かないはずがない。  
声がした方に振り向いて、視線を落とす。  
視線に晒されている。きっと、彼は今自分を見下ろしているに違いない。  
結局、自分から折れてしまった。悔しいけれど、心には逆らえなかった。  
羽織るだけだった桃色の着物を調えながら、ぼたんはけだるい身体を起こす。  
やっぱり皺になっている。それを気にしながら、ぼたんは無言で自分を見つめる  
コエンマの方を見もせずに、話し始めた。  
「……他に、仰ることはないんですか?」  
口調は自然厳しいものになる。当たり前だ。自分は今怒っているのだから。  
自分が欲しかったのは、あんな中途半端な気遣いの言葉では無い。  
もっと、大事な言葉があるだろう。ぼたんはそう言いたかった。  
 
「――他に、か?」  
とぼけているのか、本当に思いつかないのか。さっきまで、あれ程饒舌だった癖に。  
饒舌だった癖に、肝心な言葉が出てこないから、今こうして彼に問うていると言うのに。  
「コエンマ様は……自分のものにしたいって…ただその為だけに、私にこんな事をしたんですか?  
なら、私以外の人でも、自分のものにしたいって思ったら――誰にでも、こんな事するんですか…!?」  
「何を言っておる?お前以外とは…?」  
「とぼけないで下さい!コエンマ様にとってはそんな女の中の一人でも…、私にとっては  
初めてだったんです…!それなのに…愛されてもいないなんて…、ただ子供みたいに  
嫉妬されて、自分のものにしたいだなんて…ただの、傲慢じゃないんですかっ!?」  
だめだ、涙が。  
また、零れ落ちる。  
もう、最悪だ。今日は本当泣いてばっかり。  
こんな事なら、彼を探すのじゃなかった。そうすれば、こんな感情芽生えずにすんだのに。  
ああ、思い出した。恋って、辛いものだったんだ。  
もっと早く思い出していれば、恋なんてしなかったのに――  
「ぼたん……」  
コエンマが、ふぅ、と溜め息をつくのがわかる。何の溜め息なのだろう。  
この気持ちが、理解出来ない故での溜め息なのだろうか。それとも。  
「っ……っ……」  
涙を、押し殺す。泣くものか。こんな事で。こんなどうしようも無い男の為に――  
「嫉妬、か。先刻は否定したが、確かにそうなのだろうな。だとすれば、お前は大きな勘違いをしておるぞ?」  
一体、何をどう勘違いしていると言うのか。でも今は、泣くのを堪えるのに必死で。  
「確かにワシは自分で思っていた以上に子供であるらしい。まぁ、お前も十分子供のようだが?」  
にぃ、とコエンマがいつもの不敵な笑みを浮かべた。ぼたんとは対照的に。  
「いいか、よく聞けよ?ワシが今回お前に対して持った感情が、お前の言うところの  
嫉妬やヤキモチと言った類のものであるならば。『嫉妬』の意味は  
『自分の愛する者の愛情が他に向けられるのを憎むこと。また、その気持ち。特に、男女間の感情についていう。』  
と言うものだ。わかるか?」  
「……?」  
何を言っているのだろうか。今更そんな事。嫉妬の意味なんて…何で…。  
「つまり、だ。お前の愛情が他に向けられるのをワシは恐れた。  
お前の事がどうでもいいならば、そんな事を恐れたりはせんよ。故に――」  
コエンマが近づいてくる気配がする。すぐ側に、――そして目の前に。  
思わず身構えるが、彼は気にせずに、自分の前にしゃがみ込み、覗き込んで。  
 
  優雅に、艶やかに――笑む。  
 
「――ぼたん。ワシはお前の事が、好きなのだよ。」  
 
――頭が真っ白になる。何?なに?ナニ?  
何て言ったの?いや、はっきり聞こえたけれど。でも…、でも!  
「わかるか?」  
「う…あ……あ、あの…、でも…!でも…!」  
「何だ?ワシの答えにまだ不満でもあるのか?」  
焦っている。相当焦っている。頭が混乱している。嬉しくないわけが無い。  
でも、だからと言って全てに納得出来るはずもない。だって、彼は。  
 
「だって……そ、そんな嘘だったらいくらでもつけるじゃないですか…!?  
今の今までそんなこと…!」  
「……疑り深い奴め。幾らなんでも好きでもない相手を抱こうとは思わんわ、たわけが。」  
「でもっ、コエンマ様は…初めてじゃないんでしょう!?こんなこと…!」  
「――――……はぁ?」  
「う、…だ、だって…その……慣れてたし……これから先だって、もっと気に入った人が  
出来たら……また、自分のものにしようって…思うんじゃないんですか!?」  
涙を堪えながら、コエンマに思っていた事を一気に捲くし立てぶつけていく。  
コエンマは呆気に取られたような表情で、その言葉を受け止めているのだか  
聞き流しているのだか、ぼたんにはわからなかった。  
けれど言い終えてから、ぼたんはしまった、と思った。  
これでは自分も嫉妬しているみたいではないか。  
どれだけ自分が彼を想っているかを、曝け出してしまったのと全く同じだ。  
急に気恥ずかしくなって、彼から目を背けた。  
「……ほぅ?」  
呆気に取られたような表情から一変して、彼のにやにやと小憎らしい顔が目の端に映る。  
「成る程な。『慣れていた』、とはさっきの行為の事か?なら、ワシはお前を満足させてやれた、と  
言う事だな。安心したぞ?」  
「なっ…そ、そーいう事を言ってるわけじゃ…!」  
「そう照れるな。…だがお前の今の口振りを聞いていると、やはりお前は相当勘違いを  
しているようだな?納得がいかんぞ。」  
「な、わ、私が何をどう勘違いしてるって言うんです!?」  
「ワシは、お前が初めてだぞ?」  
……………………はい?  
「あの……コエンマ様…?」  
「だから、女を抱いたのはこれが初めてだ。本当は言うつもりは無かったのだがな。」  
「…嘘。」  
「ええい!どこまで疑り深いんじゃ、お前は!七百年も生きていれば、例え初めてでも  
やり方位普通は知っておるだろう!?全く……」  
ぶつぶつと声にならぬ小言を言いながら、コエンマは照れたようにそっぽを向いた。  
その姿はとても嘘を言っているようには見えず、…とりあえずは、まぁ。  
「…すいません、でした……」  
お互いに背伸びして。自分が大人だと信じたくて。  
でも、結局はやっぱり化けの皮が剥がれてきて――自分がいかに子供なのかという事を、思い知る。  
「……わかれば、いいのだ。」  
不機嫌そうな顔に、照れを隠しながらそう呟く彼が、何だかとても可愛く見えて。  
思わず、笑みが零れた。それはとても彼女らしい、屈託のないそれで――  
「……大人になりましょうね、コエンマ様?」  
自分自身にも言い聞かすように。  
「…………」  
絶句してしまったコエンマに。ぼたんは、初めて自分から彼に一つ、口付けた。  
 
 
これでやっと――本当の恋が始まったのだ。  
 
 
 
――END.  
 

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