真っ暗な暗闇。  
暗闇の夢。  
暗闇かと思えば其処に浮かび上がる一つの魂。  
霊界には存在しない筈の、哀れな罪人の魂。  
「――忍……」  
彼の名を呼ぶと、彼は蔑みを湛えた笑みを浮かべ――  
「待てっ…忍!」  
『忍』と呼ばれた魂は、伸ばされる手から逃れるように。ふっと目の前から消えた。  
後に残った暗闇の中でぼうっと青白く光るオーブだけがほのかな光を放っていた。  
「…忍…」  
お前は一体何の為にワシの夢に出てきたのだ。  
ワシがかつて犯した罪を思い出させる為か。  
それとも、更なる罪を犯したワシを嘲笑いにでも来たのか。  
そう、所詮この世は下克上。下の者が上に立つ者を貶め、自らがその地位に上り詰める。  
自らが仕えてきた者に対する裏切りという、『罪』と引換えに。  
例えそれが、自らの理想の為に、自らが信じる正義の為に行った行為であったのだとしても。  
人間界であろうと、魔界であろうと、――この霊界であろうと、その摂理は変わらないのだ。  
 
自らが望む、望まないに、関わらず。  
 
*****  
 
「コエンマ様っ!いい加減休んで下さいよ!!明日は閻魔大王になる為の就任式  
なんですよっ!?いくら仕事が詰まってるからって〜……!」  
「……これが終わってから寝る。明後日までに仕上げねばならんのだ。  
それなのに明日はその就任式とやらで一日潰されてしまうのだ、今日しかないではないか。」  
「でも…コエンマ様、昨日だってろくに寝てないじゃないですか!ちょっとは自重して下さいよ!」  
やれやれ、五月蝿い奴だ、と心の中で呟きながら、再び書類に目を通す。  
霊界の、彼専用の書斎部屋で。  
 
いつもならば公務室でたくさんの鬼達や水先案内人達に囲まれながら仕事をしているはずなのだが、  
今は霊界で言うところの深夜の時間帯である。  
霊界に休みなどは存在しないが、働く者達にはもちろん休息が必要で、  
シフト制によって、勤務時間や休みはきっちりと振り分けられているのだ。  
常ならば、夜の時間帯はコエンマの自由時間であり休息の時間でもあるのだが、  
霊界を取り仕切る身である彼には、勤務時間外の仕事は日常茶飯事なのだ。  
そんな時、彼は決まって賑やかな公務室を避け、秘書以外は滅多に出入りを  
許されぬ彼専用の書斎部屋を使っているのだ。今夜も、例外ではない。  
「コエンマ様!?聞いてるんですか!?」  
「あー聞いておるよ。しかし生憎ワシは眠たくもないのでな。お前は先に休んでいいぞ。」  
「だーめですっ!あやめちゃんからコエンマ様の事くれぐれも頼みますって言われてるんです!  
あやめちゃんだって、最近ずっとコエンマ様に付き合って遅くまで仕事してたからとうとうダウンしちゃって……  
コエンマ様の所為ですよっ!?」  
「わかっておるわ。だが、仕方なかろう。  
煙鬼から催促されている書類がまだ出来上がっておらんのだ。  
霊界の事ならばお前達にも手伝ってもらえるが、魔界の事となると代理を頼むわけにもゆくまい。  
無理にお前らはワシに付き合う必要はない。お前も身体を壊す前に休め。」  
しれっとした表情でそんなつれない事を言うコエンマに、ぼたんは複雑な気持ちになる。  
怒りを通り越して、呆れさえも混じり、ぼたんはわざとらしく大きな溜め息をついた。  
確かに、彼の言う事はもっともだ。それはわかっている。  
けれど、このままでいいはずがない。  
この数ヶ月の彼の働きぶり……忙しいのはわかるが、何か今までと違って見えるのだ。  
その『何か』がわからず、彼女は妙な不安に駆られるのだった。  
「……本当に身体壊したらどうすんですか。正直、コエンマ様だって顔色が良いとは  
言えませんよ?もし明日の就任式で倒れでもしたら…!」  
「――構わんよ。所詮肩書きが変わるだけのくだらんものだ、いっそぶっ潰れた方が清々するわ。」  
「ちょっ!?くだらんって…!いくらなんでも、それは言いすぎじゃあ…!?」  
「くだらんものをくだらんと言って何が悪い。閻魔大王になると決まってからは  
ガキの姿にも戻れず、親父に忠誠を誓う余りにわしを敵視していた奴らの態度まで恭しくなりおって。  
仕事の内容自体は今までしておった事と何ら変わりはないのにな。全く現金なものだ。」  
 
嘲笑混じりにそう呟くコエンマに、ぼたんはそれ以上の言葉が出てこなかった。  
それを言われると、確かにそうなのだ。  
この数年で、彼が負った心の傷が計り知れないものだと言う事を、彼女は知っている。  
少なくとも、自分は理解してやれない。彼が何も言わないからだ。  
けれど父親を裏切り、父親の罪を告発し、父親を裁く事で彼自身も大きな  
罪悪感を背負ってしまった事位は理解出来る。  
その上、罷免された父親に代わり、今度は息子である彼が閻魔大王に就任させられてしまう  
という残酷ながら当然の理に、彼の心中はさぞ複雑なのだろう。  
「…そりゃ、あたしだってコエンマ様の気持ちはわからないでもないけど……  
でも、あたしやあやめちゃんからしたら、コエンマ様が病気にでもなっちゃったらって思うと、  
やっぱり心配なんですってば!」  
「心配、か?」  
「あ、当たり前じゃないですか!だって……」  
「――『部下』として、か?」  
「――……!」  
ドキッ、とぼたんの胸が大きく高鳴る。  
書類に向けていた筈の目が自分に向けられ、その艶めいた視線に晒される。  
『部下』として――なのだろうか。  
あやめは、例えそうであるとしても。  
自分は――?  
「お前も、『部下』として無茶をする『上司』を心配しておるのか?」  
「あ…あたしは…、その……」  
ストレートに聞かれ、ぼたんは思わず口を噤んだ。  
コエンマの視線に射抜かれ、ぼたんはかぁ、と顔を赤らめる。  
一ヶ月前だった。  
彼に、初めて抱かれたのは。  
半ば無理矢理と言うか、流されたと言うか、とにもかくにも。  
自分は、彼に心と身体を奪われてしまった。  
あれ以降はお互いただ仕事に追われ、忙殺される毎日だった為、  
彼と二人っきりになる事さえも無く、日が経つにつれ、まるで自分が白昼夢を  
見ていたかのような錯覚に陥る事さえもあった。  
 
いつもは仕事仲間がコエンマの周りから絶える事も無く、夜は後輩であり  
コエンマの秘書であるあやめが彼の仕事の手伝いをしていた為、  
彼に話し掛ける事と言えば仕事の事位で、彼の態度もまるで以前と変わりはなく。  
本当にあれは現実だったのかと不安になる事さえもある。  
けれど、やはり夢なわけがない。だって、自分はこんなにも。  
「…そうですよ!『部下』として、です!あやめちゃんからも頼まれてるし、  
ほんっと頑固な上司を持つと、部下も大変ですよーだ!」  
「……お前な…」  
呆れたような、じとーっとした視線を向けるコエンマに、ぼたんはふいっとそっぽを向いた。  
嘘、だ。本当はそんなわけが無い。  
でも本心を晒すのは、何だか悔しい気がした。  
コエンマはそんなぼたんを呆れ半分で見詰めながら、溜め息をついた。  
本当は、身体はこの上無く疲れている。  
この数ヶ月は碌に睡眠を摂っていないのだから当然と言えば当然だ。  
けれど、これは『戒め』なのだ。『罪』を犯した、自分自身への。  
実の父親を告発した罪。数ヶ月前、そんな自分を嘲笑うかのように、過去の罪の産物でも  
ある男が、夢に出てきたのだ。  
それっきり、眠れなくなった。――否、眠る事が怖くなったのだ。  
知らぬ事だったとは言え、閻魔大王の片腕として数々の妖怪――罪の無い者達が  
ほとんどだったのだろう――を、元霊界探偵『仙水忍』に捕らえさせ始末を請け負わせてきた罪。  
父親と同罪の上、忍の人生を狂わせた挙句、自らの手で救ってやることさえも出来なかった罪。  
そんな事を徒然に考えていると、決まって居た堪れない気分になるのだ。  
眠る間も削り仕事に没頭する事は『戒め』であると同時に『逃避』でもあった。  
仕事をしている間だけは、余計な事を考えずに済むからだ。  
それなのに、目の前の部下ときたら……。  
「とにかく!あたしはもう寝ますから、コエンマ様も早く休んで下さいっ!…失礼しますっ!」  
言いながら、手に持っていた書類の束をコエンマのデスクに叩きつけるように置いて、  
くるりと背を向けた。  
 
頬を赤らめながら、自分と目を合わそうともせずにこの部屋から立ち去ろうとするぼたんの後姿を  
見詰めながら。コエンマは思い出す。  
彼女を抱いたのは、本当にそんな時だった。  
心が酷く荒んでいた。人間界での宴会の時も、彼女のほんの些細な行動さえもが苛々して。  
折角の酒の席だったが、どうしても心底より楽しむ事が出来なかったのだ。  
けれど、酒の所為で微かに酔いが回り、酒の力を借りれば少しは眠れるかと思い  
一足早く霊界に帰りついた自分に、彼女の方から近づいてきたのだ。  
ずっと前から、欲しかった。彼女の事が。  
「――わかった。ワシも少し休むとしよう。」  
「…え!?」  
部屋から出る間際、突然のコエンマの言葉にぼたんは驚きを孕んだ声を上げて彼の方に振り向いた。  
今、彼は『休む』と言わなかったか?  
「なんじゃ、その意外そうな声は。休めと言ったのはお前だろう?」  
「そ…そりゃそうですけど……で、でも……何でいきなり…?」  
頑なに休息を拒んできたコエンマが、どういった風の吹き回しだろう。  
ぼたんは腑に落ちず、不審そうな声色で聞き返した。  
「……全く。休まんと言えばぎゃーぎゃーと五月蝿く、休むと言えば言ったでその態度か。  
ワシは自室に戻る。お前の言うとおり、確かに少しは休まんとな。」  
「ほ、本当ですか!?よかった〜…これであたしも安心して休めます……。」  
彼の言葉に心底安堵し、ぼたんはホッと胸を撫で下ろした。  
しかし。  
「その代わり、お前もワシの部屋に来い。」  
「……はい?」  
何?今、彼は何て言った?さらりととんでも無い事を言わなかったか、彼は。  
「だから一緒に来いと言っておるのだ。お前も休むのだろう?丁度いいではないか。」  
「え?え?ちょっ、な、何言ってんですかコエンマ様!?い、一緒にって…」  
うろたえるぼたんに、コエンマは椅子から立ち上がると彼女の腕を掴み、奪うようにして  
書斎部屋を出る。  
「こ、コエンマ様っ…!だ、ダメっ…!」  
拒絶の言葉を紡いだものの、強い力に抗う事も出来ず、暗い廊下を引っ張られながら進んでいく。  
それ以上の会話も続かず、彼は自分の方に振り向く事さえも無く――ただ流されるままに、  
彼の後を着いて行くしか出来なかった。  
無言のまま、自分を部屋へと強引に連れ込もうとする彼に、微かな不安を覚えながらも。  
心のどこかでそれを待ち望んでいた自分自身に気付き、胸の高鳴りが強くなっていくのを  
感じずにはいられなかった。  
 
*****  
 
「はぁっ…っ…っ…、…ぁっ…!」  
枕元の照明の灯のみに照らされ、女のしなやかな肢体が妖艶に浮かび上がる。  
苦しげな吐息にはどこか艶めいた色が混ざり、くぐもった鳴き声が途切れ途切れに広い室内に響いた。  
青空を連想させるようなその長い髪は白のシーツの上で広がり、  
暗闇に浮かび上がるその様は空と言うよりは夜の海のように深く、碧く。  
「あっ…あっ…っ…っ!!」  
軋むベッドに合わせ、声が漏れそうになるのを懸命に耐えようと、ぼたんは両の手で口許を押さえた。  
そうしないと、壊れてしまいそうだった。何かで、理性を保っていないと。  
自分が、自分で無くなってしまいそうで。怖くなる。  
「っ…馬鹿者…、抑えるな…。今更、何を躊躇う事がある…?」  
「…んっ…!!」  
びくん、と彼女の身体が跳ねる。  
きつく閉じられた瞳から、一筋涙が零れ落ちた。  
苦しい。初めての時よりも、ずっと、ずっと気持ちいいのに。  
熱くて、溶けていきそうなのに。  
彼のペニスが膣壁を擦る度、どうしようも無い快感に襲われて、身体の震えが止まらなくなる。  
奥に彼の先端が突き刺さり、苦しい程の圧迫感と快感に思わず息を詰めた。  
「ふっ……そう強情を張られると……是非にでもお前の声を聞きたくなるではないか……。」  
コエンマは薄く笑いながら、ぼたんの口許を塞ぐ手を引き剥がし、そのままある一点へと導いていく。  
「やっ…!コエンマ様っ…やだっ……っ!!」  
「…わかるか?」  
にぃ、と人の悪い笑みを浮かべながら、彼女の指先を結合部に触れさせる。  
恥じらいからか、彼女の頬が更に赤みを増して、きつく目を閉じた。  
「お前の身体は、随分と素直だぞ?相当わしが欲しかったようだ…」  
「そ、そんな事っ…――っ…!?」  
――熱い。  
初めて触れる、彼の熱源。  
それは、たまらなく熱くて――表面はぬめった液体がまとわりついて、たまらなく卑猥で。  
 
「…見てみろ、ぼたん。」  
「――っ…!」  
腰を持ち上げられ、視界に繋がった部分が入り込んできた。  
「あ……ぁっ…」  
――本当は、目を背けたかった。  
あまりの羞恥に、いっそ消えてしまいたい衝動に駆られた。  
けれど、その卑猥で倒錯的な光景から、どうしても目を逸らす事が出来なかった。  
コエンマに言われるがまま、ぼたんは彼のもので蹂躙されている  
自分の秘部を見つめると、彼女の意志とは無関係に紅く淫靡に染まった  
桃色の割れ目の中に、彼の欲を奥深くまで咥えてひくついている。  
灯りに照らされ、彼の性器は絡みついた愛液でぬらぬらと濡れ光り、  
互いを繋ぐ部分からは更に艶めかしい量のそれがとろとろと腿を伝う。  
「悦いのだろう?ぼたん……わしを咥えこんで、離そうとせんぞ?」  
「っ…コエンマ…様……」  
はしたないその有様をまざまざと突きつけられては否定の言葉も無い。  
瞳にはじんわりと涙を浮かべ、泣きそうなような――どこか  
諦めの色さえ滲ませたような表情で、はぁ、と悩ましげな溜め息が漏れた。  
「…聞かせてみろ、ぼたん。お前の声を…」  
「っ……あっ…ああ…っ!」  
律動を再開され、ぼたんの口から再び喘ぎ声が漏れ始める。  
彼の性器が更に大きさを増していくのを胎内で感じ取り、  
溢れる蜜を飛び散らしながら、彼自身を何度も何度も受け入れている。  
今度は抑える事もままならぬ激しいそれに、彼女の華奢な身体が上下に揺れて、  
シーツをきつく掴んで衝撃に耐えた。  
ぐちゅ、ずる…っ、ぬぷ…  
いやらしい液体の演奏が耳元で騒ぎ、繋がった箇所の熱で身体が融けていきそうだ。  
涙に潤んだ目で彼を見上げると、彼の端整な顔にも汗が滲み、  
目には妖しくぎらついた光が灯り、吐息は熱く、荒い。  
彼と目が合い、ぼたんは背筋にぞくりとしたものが走る。  
伴うように、胎内がきゅう…と彼を締め付け、収縮するのがわかった。  
「やっ…あっ、あっ…アっ、コエンマ…様っ…」  
「…いい声、だ……」  
ぼたんの首筋に唇を寄せ、舌で舐め上げるとぼたんの身体がびくりと強張る。  
細い首筋から胸元にかけて、白い肌に幾つもの紅い痕が映えた。  
 
「もっと啼け。もっとわしを求めろ。まだ、足りんのだろう?」  
「ひぁぁぁぁっ!」  
耳元で艶っぽく囁かれながら、蜜に濡れて肥大した肉芽を指先で掬うように弄られ、  
あまりの快感に甲高い悲鳴にも似た声が漏れた。  
「もっと、欲しいのだろう?ぼたん……」  
「っ…くぅん…はっ……コエンマさまぁっ…!」  
――気持ちいい。気持ちよすぎて、気が変になってしまいそうだ。  
「っ…言って、みろ……お前の口から、聞いてみたい…」  
まるで、毒だ。  
彼の身体も、掠れた声も、熱も。甘くて、淫らで、麻薬のような毒。  
壊れてしまう。壊されてしまう。  
 
――堕ちて、いく。  
 
「――っ、気持ち、い…っ…コエンマ様っ…も、あたし…っん…!」  
言いながら、涙がぽろぽろと零れた。  
気持ちいいときも流れるらしい涙が、彼女の頬をしとどに濡らしていく。  
「わしが、好きか…?ぼたん…」  
「っ、コエンマ、様っ…!?」  
今更、何を。好きでなければ、こんな事許すわけが無い。  
「あっ…あっ…ああっ…す、…あああっ!」  
「…ちゃんと、っ…答えろ……わしが、好きか…?」  
激しく腰を打ち付けられ、紡ごうとする言葉は下からの衝撃で喘ぎにとって変わられ、  
まともに答える事が出来なかった。  
本当に、意地悪で酷い男だ。でも、自分はそんな彼を……そんな男を――  
「――コエンマ…さまっ…!好きっ…あっ…あたし、はっ…!」  
好きになってしまった。どうしようも無く。こんなに、自分を見失う程に。  
「ふっ…、いい…答えだ……なら…」  
口許に艶やかな笑みを浮かべ、ぼたんのしっとり汗ばんだ身体を抱える。  
途端に彼女の華奢な腕が首筋に絡みつき、互いの身体がぴたりと密着する。  
 
女の柔肌を掻き抱きながら、たまらない心地よさの中で、自分の中の黒の部分が首をもたげる。  
誰にも、触れさせない。女の全てを手に入れたい。  
そんな男の支配欲、そのままに。  
「――わしのものになれ。ぼたん…!」  
「――っあ…!」  
耳元に低く流し込まれる彼の言葉に身体が震えた。  
毒が全身に回り、もうこれ以上は耐えられない。  
 
――堕ちて、しまう。  
 
「ふっ…あああっ、………コエンマ様っ…コ…エンマっ…さま…!コエ…様っ…!」  
一層強まっていく膣壁の締め付けに、コエンマは苦しげに眉を顰めた。  
もう止まる事は出来ない。理性を抑えるなんて、出来るはずもない。  
ぱたぱたと汗を滴らせながら、自分を呼び続ける彼女の子宮の奥を、一際強く――貫いて。  
「あっ…!あっ、ああああっ…!!」  
ぎゅっとコエンマにしがみ付く手に力が入った瞬間、室内に切なげな絶頂の嬌声を響かせながら、  
ぼたんの身体がびくんと弓なりに仰け反る。  
「―――くっ…!」  
急速に収縮し、びくびくと痙攣を繰り返す肉壁の甘美な誘いに耐え切れず、  
小さな呻きを落として――解き放つ。  
「――ア…ッ……っ…!」  
しびれるように身を震わせ、膣内で彼の脈動を受け止めて。  
やがて彼の首筋に絡んだ手から力が抜け、ずる、とシーツの上に滑り堕ちた。  
胎内に流れ込んでくる感覚が、まるで甘美な毒を注がれているようで――  
「……っ…」  
何もかもをぶちまけて、ぼたんの胎内から自身を抜き取ると、  
収まり切らなかった白濁が愛液と混じり溢れ出し、内股を伝い、熱を失っていく。  
何だか酷く物悲しいその光景を見届け、コエンマは力を失いぼたんの身体にぐったりと覆いかぶさる。  
 
「…コエンマ……様……」  
快楽に堕ちた互いの身体が再び密着すると、ぼたんは未だはっきりしない意識の中で、  
彼の名を呼んだ。  
彼はそれに答える事も無く、それからしばらくの間無言のまま、互いの、いつもよりも熱っぽい呼吸だけが  
広い室内に響いていた。  
彼の早い心臓の音を肌で感じ取り、それがひどく心地よかった。  
このまま、彼に抱かれたまま眠ってしまいたい。そう思いながら、目を閉じると。  
 
「……夢を、見るのだ。」  
 
「――…え…?」  
ふいに耳に届いた彼の声が、憂いさえ含んだ低い声が、彼女の意識を呼び戻した。  
――夢。  
否――現実だ。  
彼は、そう続けた。  
「…コエンマ…様……?」  
「…眠るのが、怖いのだ。わしは……逃げている。犯した罪から目を背けている。  
眠るたび、奴が……わしの罪を咎めに、夢の中に入って来るのだ…。こうしている今でも――  
女に現を抜かすわしを、奴は嘲笑って見ているのだろう……。」  
「奴って…?」  
自嘲気味にそう呟く彼に、そう問いかけた。彼の言っている『奴』と言うのが誰なのか、  
彼の言っている意味もよくわからない。  
ただわかるのは、どうやらそれが彼が休息を拒む理由の一つらしい事。  
「わしは……ただの臆病者だな…」  
「……コエンマ様――…」  
哀しい声がする。さっきまでの、彼独特の威圧的な雰囲気は消えていた。  
罪に脅え、現実に脅えて。まるで、怖い御伽噺に脅え、眠れなくなった幼子のよう。  
「……子供みたいさね…コエンマ様…」  
「っ!?な…!」  
くすくすとさもおかしげに笑うぼたんに、コエンマは顔を真っ赤にして、がばっと上半身を起こした。  
この前と同じく子供扱いされてしまった事に苛立って、ぼたんを睨むように見下ろした。  
 
先程の仕返しとばかりに、悪戯っぽい笑みを浮かべながら、彼に言う。  
「明日からは霊界の最高権力者だってのに、まっだまだ怖いものがたくさんあるんですねぇ?  
閻魔大王様?」  
「…お前はっ…――…!?」  
彼女のからかいの言に、一度彼の顔には怒りの色が滲んだ。  
けれど、その表情はすぐに崩れ――何かを堪えるように眉を顰め、唇を噛んだ。  
――彼女が微笑んでいたから。  
優しい、甘い、綺麗で、………言葉では、とても表現出来ない、そんな笑みを、自分に向けていたから。  
「……ぼたん…、…」  
彼女は、両の腕を伸ばし、彼の首筋に手を絡める。  
そして、彼の頭を、自分の首筋へと埋め――彼はそれに抵抗する事無く、彼女の身体に身を預けた。  
抱き合いながら――互いに目を閉じて。  
「お休みなさい…コエンマ様…」  
そう、優しく呟く彼女に絆され、彼は、ようやく眠る覚悟を決めたのだった。  
睡魔が襲う。  
当然だろう。もうどれ位まともに眠っていないのか…――  
ものの数分もせぬうちに、彼の静かな規則正しい寝息が彼女の首筋に吹きかかる。  
彼女は、それにようやく安堵し、  
「――コエンマ様……もう寝ちゃったんだ…」  
そう、誰ともなく小さく呟いた。  
やっぱり、疲れてたんだねぇ……。  
ろくに寝ないで無理ばっかりして。その上、…こんな事して。  
「本当に…倒れちゃっても知りませんからね……」  
夢現に、小さい声で彼の耳元で囁いた。  
愛しい。何もかもが。彼の体温も。彼の重みも。彼の、全てが。  
――大変な男に惚れちまったものさね…――  
明日からの彼は閻魔大王。もう、コエンマと呼ぶのは今日が最後なのだろう。  
彼は肩書きが変わるだけと言っていたけれど。  
実際、何がどう変わるかなんて、誰一人わかってはいまい。  
当の本人でさえ――閻魔でさえも、明日自分がどうなるかなど、わかりはしないのだから。  
けれど、不変のものがあるとするならば、それは。  
――あたしは……生まれた時からコエンマ様のものだってのに…――  
ずっと、変わらない。いつまでも、変わることのない真実。  
彼を身体全身で感じながら。静かに目を閉じて、彼女もまた深い眠りに就いたのだった。  
 
 
*****  
 
 
「――忍……」  
夢の中の彼は、相変わらず人を嘲笑うかのような目で見詰めていた。  
彼に会いたくなかった。だから、ずっと逃げていた。  
彼は、自分にとって罪そのものの存在だったからだ。  
罪を犯した事実から、ずっと目を背けてきたのだ。  
そして、新たに犯した罪からも。  
けれど。――それももう疲れた。  
「…わしは、これから罪を償っていかねばならん。――お前の罪も、全て。」  
暗闇に浮かぶ男の姿が、段々に少年のそれへと変わってくる。  
彼が、まだ霊界探偵だった時の――あの真っ直ぐな瞳をした少年の姿へ。  
「樹と見ていろ。わしは、お前とは違う方法で、理想の世界を作り上げてみせる。  
例え、何百年かかってでも、必ずだ。それがわしの、お前や親父への――償いだ。」  
言うと、綺麗な瞳をした少年は、まるで『やれるものならやってみろ』――  
そう言わんばかりの表情で薄く笑んで、目の前から消える。  
後には、何も残らなかった。――オーブの青白い光さえも――  
 
 
「ん……」  
長い睫毛が揺れ、元は大きな瞳が薄っすらと開く。  
蛍光灯の光が差し込んで、眩しさに思わず目を閉じた。  
目覚めた直後の呆然とした頭の中で、もう一度このまま寝てしまおうかどうか  
迷ったが、いつも寝坊して上司に叱られている事を思い出し、  
取り合えず時間だけは確認しようと再び目を開ける事にした。  
そう。いつも小言が五月蝿い上司に――上司に?  
「……――!!」  
頭が、完全に覚醒する。  
確か、自分が今居るのは――  
 
「っ、い……!」  
がばっと上体を起こすと、掛けられていたシーツがはらりと捲れ、  
自分が何も着ていない事実に気付く。  
(や、やだっ…もう!)  
頬を染めて、急いでシーツで胸元までを隠し部屋を見渡すと、部屋のクローゼットの側で、  
上司はとっくに起きて身支度を整えていた。  
「…お前にしては随分早いではないか。まだ出勤まで二時間はあるぞ?」  
「コエンマ様…い、いつの間に…?!!」  
全く、彼が起きた気配に気が付かなかった。  
余程熟睡してしまっていたらしい。  
元々彼女は眠り自体は深い方だけれど、彼が自分から離れる気配にさえも  
気付かないというのは何だか情けない話に思えてしまう。  
「もう少し寝ていろ。但し寝坊せんようにな。ワシは就任式までに書類を仕上げてくる。」  
「え!?今からまた仕事するんですか!!?コエンマ様こそ、もう少し休んだほうが…!」  
彼女が心配げに言うと、彼はにやり、と笑い――  
「――就任式が終われば、今度こそ本気で休むとしよう。…お前付き、でな」  
――お前付き?  
それって、…それって…!?  
「な、なな、何言って…!?あ、あたしはもうゴメンですからねっ!?  
コエンマ様意地悪だしっ…そ、それに、それに…!」  
顔をぼっと赤く染め、必死に言葉を探す彼女の様子が何だか微笑ましくて、コエンマはふ、と柔らかい笑みを浮かべた。  
この女の、水先案内人らしくないこの素直な性格に、感情を顕著に表すその表情に、  
一体何度癒された事だろうか――  
「――ぼたん」  
「え!?――は、はい!!?」  
コエンマの、突如真剣になった声のトーンに、ぼたんははっと気付き、条件反射のように返事を返した。  
いつもの、上司と部下に戻った瞬間だった。  
 
「…ワシは、一人では何も出来ぬ。これからの世界を変えていくには、お前達の力が、  
今まで以上に必要なのだ。――これからも、ワシの力になってくれ。頼む。」  
本当に、本当に素直な気持ちで、その想いを口にしたのだ。  
その言葉に、ぼたんは最初きょとん、としていたが、その意味の全てを理解し、  
彼女は、いつもの、彼女らしい元気な笑みを浮かべて、彼女らしく、そう答えたのだ。  
 
 
 
「――はいっ!!閻魔大王様――!」  
 
 
 
そう、自分は、一人では何も出来ない。  
今までも、一人では何も出来なかった。  
きっと、これからも、閻魔大王と呼ばれるようになっても、それはきっと変わることはない。  
けれど、それでも、変えていかなければならないものがある。  
そして、自分も変わらなければならない。  
五百年変わらなかった魔界を一気に変えてしまったあの男のように――  
 
 
 
 
END.  
 
 
 

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