男は、困惑していた。  
それは男にとって、喜ばしい事でもあったが、反面、何故――という  
疑問と戸惑いが反芻していた。  
それもその筈――  
自分の下で、このように乱れ狂う女の姿態を見せられては。  
 
 
「あっ、アアぁぁっ!ひぁ、…も、ああっ…アッ――」  
びくん、と女の身体が、男の愛撫に弓なりに仰け反って痙攣する。  
これで、男が確認しただけでも五度目の絶頂――  
ほんの少し、男が女の勃ち上がった肉芽を摘み、弄っただけで、  
女の身体は瞬く間に高みへと昇りつめていくのだ。  
この女を抱くのは、これで四度目になるが、今までになく女の身体は  
快楽に顕著だった。  
それは、単に女の身体が快楽に順応してきたから、或いは、互いの身体が  
馴染んできたから、等と、そういったレべルでない事は、男の目にも明らかだった。  
肉芽を一撫でする毎に、蜜壷に、指を差し込んで掻き回す度に、  
女の身体は早々と達し、くたりと脱力する。  
しかし、女の身体の熱は一向に引く事は無かった。  
寧ろ、絶頂を味わえば味わうほどに、女は疼きの止まない身体を  
持て余すように、男を懇願する瞳で見詰めるのだ。  
「あ…あ…死々…若っ…あ…」  
「…凄い乱れようだな…幻海…」  
男は、感嘆するように呟いた。  
まだ、行為を始めてさした時間も経ってはいない。  
女の纏った寝間着でさえも、腰紐は完全に解けておらず、中途半端に  
腰にだけ絡んでいた。  
考えれば、女の様子は最初からおかしかった。  
瞳は潤み、身体を震わせ、頬は火照り、男が近付くと、女の方から腕を絡め、  
男に抱きつく始末だった。  
 
少なくとも、気の強く、プライドも高く、男勝りなこの女には、  
それは考えられない事であり、男は当然の如く戸惑った。  
その上、今ではこの有様……男は、然るに込み上げる自身の熱を  
抑えるのに必死だった。  
 
だが、男は、一つだけ心当たりがある。  
寧ろ、それしか考えられない。  
部屋の四隅に、自身が仕掛けた香にちらりと目をやる。  
仕掛けた本人には何の効果も示さないその優美な桜の香りを  
湛えた煙……そして、この香を自分に手渡した男の意味深な一言を思い出す。  
 
『今日のは特別だからな。せいぜい、呑まれないようにな』――と。  
 
言われなくても、その香を見た瞬間に、いつもよりも倍近くの長さがある事は確認出来た。  
元々この香は、本来の老いた女の姿を、若かりし頃の美しい姿に戻す為のもの。  
香の燃え尽きるまでの時間が、この美しい女との束の間の逢瀬の時間。  
いつもより長いならば、その分女と過ごす時間は長くなる。  
男は、それだけのものだと最初は解釈していた。  
しかし、女のこの乱れ艶めいた姿を見て、男は確信する。  
(…鈴木の奴め…)  
男は、心中で舌打ちし、この香を開発した男の名を苦々しい想いで呟いた。  
ここまで、女が乱れる理由――おそらく、この香には媚薬の効果が含まれているのだろう。  
『呑まれないように』――その一言で、気付くべきだったのだ。  
 
女の紅く熟れきった秘所は、透明な蜜を止め処無く溢れさせ続け、てらてらと濡れ光るその  
陰核から後ろの孔にまで流れ、更に清潔な布団のシーツに大きく染み作り、  
その艶めかしさを象徴していた。  
疼く身体を震わせながら、必死に快楽に耐える様に、男はごくり、と喉を鳴らす。  
こんな扇情的な女の姿に、欲情しないわけがない。  
「っ、身体が…おかしい……変、だ…、お前、何を、した…!?」  
女自身も、いつもとは違う自分の身体に戸惑っているようだ。  
ならば、当然の如くその怒りの矛先は男へと向かう。  
男はその原因に気が付きはしたものの――  
 
(…言えるわけないだろう…)  
 
言ってしまったら後で間違いなく手痛い仕返しが待っているに違いない。  
そもそも、自分自身も知らずに使ってしまったのだ、非があるわけではない。  
責めるべくは、こんな小細工を施したあの男であるはずだ。  
けれど、今はそんな言い訳をした所で、この状況が変わるわけではない。  
寧ろ、こんなにも淫らに喘ぎ、常になく艶めいた女の身体を愉しむのも一興。  
男は薄く笑みを浮かべて、女に熱っぽく囁く。  
「…俺は何もしてはいないぞ。お前が…勝手に乱れているだけだ…。  
随分と、淫らになったものだな…幻海……」  
「ば、か…っ、何、を…っん!」  
それでも尚、正気を保ち、男をキッと睨みつける女の唇を奪い、  
舌を絡めると、女は蕩けるような表情でそれを受け入れる。  
口では抵抗の意を紡ぐが、身体に聞けば本音は正直なものだと、男は苦笑う。  
しかし、女のこのように乱れる姿を見ては、自分自身にも余裕はない。  
今すぐにでも女を自分のものにしたかったが、それではつまらぬ。  
男は、唇を離すと、女の快楽に浮かされた熱っぽい瞳を見つめながら、  
己の着流しを肌蹴る。  
そして、すっかり欲に膨らんだ怒張を、袴の合わせ目を割って取り出した。  
女は男によって与えられる快楽への期待に、はぁ、と悩ましげに吐息を漏らすが、  
男の次の科白に、女はびく、と身体を強張らせる。  
「…口で、してもらおうか。俺が、欲しいんだろう?」  
「――っ!?」  
人の悪い笑みを浮かべながらの男に、女は目を見開いた。だが。  
「どうした?出来ないか…?ならば今日はこれでやめておくか…?」  
酷薄な、女を突き放した言葉に、女は男を恨めしげな目で睨んだ。  
いつもの女ならば、この様な仕打ちを受け入れるわけがなかった。  
しかし、疼く身体は収まる事無く、鈴口から透明な液を滲ませながら  
隆起した男根を突きつけられ、、どうしようも無く――『欲しい』――と、本能がせがむ。  
抗おうにも、身体が言う事を聞いてはくれない。  
まして、相手は幾度も身体を重ね合わせた男――それなりの情もかけた男なのだ。  
決して、嫌だというわけではない。  
不快に思うこともない。  
ただ、悔しさだけは、未だに燻り続けてはいるが――  
 
「…、後で…覚えておきな…!」  
「…ほう。どうすると?」  
女は、男の問いに答える代わりに、ぞくりとするような妖艶な笑みを浮かべながら、  
身体を起こし、男自身をやんわりと掌で包み、舌先で、先端をちろ、と舐め上げた。  
「……!」  
男は、女の愛撫に、俄かに反応を示す。  
女は、男の鈴口からじんわりと滲み出る、苦いというよりも少し甘い液体を舐め取りながら、  
自分自身の情欲も更に高まっていくのを感じていた。  
男の精気に反応し、身体は熱くなるばかりで、自分の蜜壷からは新たな液体が  
溢れ出し、腿を伝っていく。  
男が、女の髪に指先を絡めると、女はその艶やかに濡れた唇の中に、雄芯を  
味わうように咥内に含んでいく。  
温かい唾液と舌に包まれ、ぴちゃ…くちゅ…と、濡れた音が響いた。  
「んっ…ふ…ぅ…」  
女が舌を動かす度に、唇の隙間からくぐもった声が漏れ、男のそれも  
女から与えられる快感に、硬度と大きさが更に増し、どくん、どくん、と  
切ない鼓動を女の咥内で響かせた。  
竿を弄るように、細く白い指先が赤黒い怒張に絡んで、裏筋を辿り、  
繊細な動きで男を愛撫する。  
その間も咥内に収めたまま、女はゆっくりと唇をスライドさせ、男のものを  
愛しげに扱き始める。  
その動きが、男にぞくぞくするような快感を与え、先程とは反対に、  
男の方が余裕を欠いていくのを感じざるを得ない。  
男は篭る熱をふぅ、と吐き出しながら、どうにか快楽をやり過ごす。  
頬を染め、微かな恥じらいを含みながらも一心に自身をしゃぶる女を見下ろしながら、  
男は思う。  
これ程に熱っぽい欲情が身体の芯から溢れてくるのは、自分がこの女に  
惚れているからだろうか。  
このままでは、呑まれてしまう。  
女の方も、限界が近い。  
 
自らの欲を抑え付け、必死に男に奉仕するも、元々媚薬の効果によって、  
尚感じやすく、男を求め疼き続ける身体を持て余し、其処を触れてもらえぬ  
切なさと虚しさに身体が小刻みに震え、目尻から涙さえもが零れた。  
男はそんな女の姿に、一度女の口内から自身を抜き取る。  
「っ、死々若…――っ!?」  
女の身体を抱き寄せながら、男は女と逆の体勢に身体を向け、女の陰部に顔を埋める。  
「ひぁ…!」  
女を己の上に跨らせ、女の粘膜を舐め上げながら――そして、また女の目前には隆々と  
そそり立つ男自身。  
互いに、互いの性器を愛撫するという事だろう。  
女は、男からようやく与えられた快楽に安堵しながらも、しかしそれは決して  
女自身が真に求めているものでは無い事に、切なさが内に篭る。  
本当に、欲しいのは――  
「っん…!」  
女は、男に舌先で秘唇を弄られ、指を差し入れられ、悦楽に身を捩りながらも、  
目の前で猛る男のものに、精一杯の愛撫を施す。  
入れて欲しい――気が、狂ってしまう。  
切なくて、苦しくて、こんなのではとても足りない。  
この疼きを止めてくれるのは、この遣る瀬無さを満たしてくれるのは、  
今自分が愛撫している、熱く硬い質量でしか有り得ないのに――  
そんな女の膨らんだ情欲が、男への愛撫を更に激しいものへと駆り立てていく。  
ぐちゅ、じゅぷ、と喉奥まで咥え込まれ、男は予想以上の快感に、必死に下腹部に  
力を込めて、射精を堪えた。  
呑まれまいと思ってこの体勢に変えたものの、女の激しさに負けそうになり、  
男も必死に女への愛撫を再開する。  
「――っあ…あァっ!」  
男は女の剥き出しの肉芽を強く吸い上げ、女の動きを中断させる。  
紅い女陰はひくひくと淫靡に轟き、とろ…と艶めかしく溢れる女の蜜が男の顔を  
べとべとに濡らしていく。  
女は甘い悲鳴を上げながら、快楽に身悶え身体を揺らす。  
「ひっ、う…あぁア…!も、もう…、死々、わか…」  
「――欲しいか?幻海…」  
 
静かに、極めて冷静な振りで、女に問いかける男の声に、女は  
壊れてしまったかのように、こくんと頷いた。  
乱れきった寝間着からはだらしなく柔らかい乳房が零れ、涙を流しながら  
男をせがむ女の姿に、いつもの凛とした表情は無く、最早操り人形の如くに、  
男の思うままの反応を示す。  
だが、女を欲するのは男とて同じ――何度達しそうになるのを  
堪えていた事かわからない。  
男は女を下にして、女の上に覆いかぶさりながら、涙を舐め取り、唇を重ねる。  
女は自ら男の舌に自分のそれを絡め、男を乞う。  
口中にほろ苦い味が広がる。  
男は、それが自分の精液の味であると理解し、得も知れぬ優越感に襲われる。  
「ん……、ぁ、あ…」  
「ふ…、お前らしくもなく…男に媚を売るか…だが…そんなお前も好ましい…。  
いく、ぞ…」  
口元で、熱っぽく囁きながら、男は女の蜜壷に、己の先端を擦り付けながら、  
ゆっくりと挿入していく。  
先端を飲み込ませただけで、女の身体は待ち望んでいた快感にびくんっ、  
と過剰な程に反応する。  
「――ひぁぁっ!!!」  
「――…っ、ぐ、…!!」  
それは互いに、想像していたよりもずっと激しい快楽だった。  
全ての感覚に伝う快感。  
潤みきった熱と、うねる様に絡みつく女の肉襞に、全てを吸い取られてしまいそうで――  
「――ひぁぁぁぁっ!!」  
「――っ、く、そ…!」  
――ゆっくりと、焦らしてやるつもりだったのに。  
男の、悪戯めいた目論見は、女から与えられる強すぎる快楽の波によって呆気なく崩れ去った。  
耐え切れず最奥を突くと、女は早くも絶頂を迎える。  
男は歯を食いしばり、きつく目を瞑って悪態をつきながら、精一杯射精を堪えた。  
余りに強い刺激をどうにか通り越し、男は苦笑する。  
 
――今日は一度だけでは終われんな……。  
 
そう、予感が頭を掠めた。  
否、終わらせてなど、たまるものか。  
呑まれるな、とそう言われたが、もう既に深みに嵌りつつある自分に男は気が付いていた。  
女のしどけなく快楽に浮かされた姿に、男を淫靡に誘うその身体の全てを  
味わいつくすまで、――何度でも。  
 
「ひぁ、あ、ン、う、アっ、あああぁ…死々若っ、丸…ああぁ!!」  
「っ、う、…く…!」  
男は自らにしがみ付く女の身体を抱き竦め、犯すように幾度も幾度も腰を突き上げ、  
子宮へと先端を届かせる。  
ようやく与えられた快楽に、理性を完全に吹き飛ばされた女は、あられもない無い  
嬌声を上げながら、男自身をきつくきつく喰い締める。  
奥深くまで突き入れられ、粘膜を擦られる心地よさと、押し広げられるいっぱい感に、  
女は苦しげに眉根を顰め、いやいやと左右に首を振って、身悶える。  
根元までを咥え込み、どろどろに溶けきった膣内は、ただ男の精を求めて痙攣を繰り返す。  
より激しくなる動きに翻弄され、びくびくと全身を震わせる女に、男も限界が近付いていた。  
 
互いに悦びに打ち震え――、  
自我も、理性も、愛情すらも、  
全てを忘れ、押し寄せる例えようもない圧倒的な悦楽に身を任せながら、  
女ははしたなく、貪欲に男を締め上げながら、男は本能のまま、  
腰を我武者羅に繰り出し、女の中を強く、荒く穿ち続ける。  
 
「っあ、ひぁ…ん!も、う…!」  
「っ…出す、ぞ…!」  
男は、そう宣告し、瞬間的に肥大した己自身を女の最奥にねじ込み――  
 
――どくん、と零れるように勢いよく、欲望を解き放った。  
 
堪えに堪えていた熱が女の中を逆流し、溢れるほどに満たしていく。  
女はひくひくと身体を震わせながら、男の欲を受け止めていく。  
 
「あ…ぁ…熱……」  
 
それは自分の方だ、と男は思った。  
女の溶けるような熱に浮かされながら、男は精を注ぎ込み続けた。  
 
全てを出し尽くしても、男は満たされる事はない。  
まだ、熱が残っている気がしていた。  
先程の予感に違わず――燻り続ける欲のままに、男は女の中から引き抜く事無く、  
未だ、女のぬるぬるとした感触と、ひくつく胎内の動きを、まとわりつく肉襞のきつさを味わう。  
そのまま、二度目――の為に。  
また胎内で硬度を取り戻していく男の肉棒に、女は男を見詰めて妖艶に微笑む。  
「今日は…随分と、欲張りじゃないか…」  
荒い吐息交じりの女の皮肉めいた声色に、男もまた皮肉めいた笑みを浮かべながら、切り返す。  
「…ふ…お互い様、だろう…?」  
そうして、男はまた女の身体を、女は男の身体を貪る。  
より強い快楽を得ようと、互いの性器を酷使し、白濁が至る所に飛び散り、口惜しさまでも感じる程に。  
 
男は、いっそこのまま時が止まってしまえばいいとさえ、思う程に。  
初めて女を抱いた時から募り続けていた苛立ちを、全てぶつけるように、強く、激しく。  
 
苛立っていた。  
ずっと、ずっと。  
女と、いかに深く濃密に交わろうと、女が自分をこうして受け入れてくれようと、  
所詮この女と共に過ごせるのは、香が燃え尽きるまでの、僅かな間だけなのだ。  
この香が燃え尽きると、女の姿はたちまち老いた姿へと戻ってしまう。  
女は、老いた自分を見られるのを拒み、行為が終わるとすぐに、共にまどろむ間さえ無く  
男を残し、浴室へと向かっていくのだ。  
 
苛立ちが、募っていた。  
女の全てを手に入れたいと思いながらも、手に入れられぬ遣る瀬無さに、  
どうする事も出来ない己を呪う。  
そんな女に惚れてしまった自分自身を憎み――それでも今更女を手離す事も  
出来ない自分が情けなかった。  
女を手離す時――それは、自分が魔界に帰る時――或いは、  
女の残り僅かな命が、尽きる時に他ならない。  
 
ならば――男は思う。  
共にいられるのが僅かな時間ならば、その僅かな時間で以って、己の一生分の  
想いで、一生分の密度で、女の全てを己のものにすればいい。  
だから、今だけは――そう、男は女に乞うように、女の心を、身体を求め続けた。  
 
香が燃え尽きる、その直前まで――何度も、何度も。  
 
 
*****  
 
 
「で、何だって?」  
翌日の事だった。  
今日の修行が始まる、直前。  
すっかり老いた姿の女に呼び止められ、男は嫌な汗が流れるのを感じる。  
どう説明すればいいのか……いや、本当の事を言えば、決して自分には  
非が無いはずだ。  
だが。  
自分と、この女との関係が、鈴木に知られていた事を告げると。  
まして、元々は自分が鈴木にこの前世の実を使った香を作れと頼んでいた事が知れると、  
 
この女はどんな反応を示すだろうか。  
ただでさえ厳しい修行を強いられていると言うのに、これ以上厳しい内容を  
強いられては、たまったものではない。  
否、それよりも、夜伽を拒まれてしまえば、どうしようもない。  
さて、どうしたものか――男が、そう頭を悩ませていると。  
「全く…男のくせに潔くない奴だね。あんたら二人、  
今日は特別きっつい修行を用意してやるよ。」  
…二人?  
「は…?二人…とは…」  
「…気付いてないと思ってたのかい?あんたに、あんな妙なもの作って寄越すのは  
鈴木位のもんだろう。馬鹿だね、男ってのは。」  
 
…知ってて、知らぬふりをしていた、という事か。  
そう言えば、若返りの香について、効力以上の事を尋ねられた事は一度たりとも  
無かった。  
そこまで知っていながら、鈴木とも通常通りの態度で以って接するこの女は、  
やはり普通の女では無い。  
男は苦笑する。  
「全くこの年になって、あんたみたいな奴にいい様にされるとはね…  
あたしも堕ちたもんだよ。鈴木にあんたとの事が知られてるのも、  
あたしにとっちゃ気に食わない事この上ないけど、今更どうしようもない  
から諦めてやってんだ。けど、昨日の事は絶対に許さないよ?  
――今夜は、覚悟しとくんだね。昨日の分、たっぷりと、苛め返してやるから――」  
…『今夜』、は?  
その言葉に、俄かに高まる今宵への期待に女を見ると。  
今は確かに、年老いた姿である筈の女の顔に、艶やかに微笑む若く  
美しい女の顔がかぶり、思わず男は信じられないものを見たかのように  
目を見開いて女を見詰めた。  
しかし女はすぐに踵を返し、男の元から離れていった。  
只の幻覚に違いないが、そんな幻覚を見る自分は、相当に女に  
参っているらしい。  
『覚悟しとけ』と言う女の科白に、多少の空恐ろしさを感じはするが――  
 
――悪くない――そう、男は思い、口元に微かな笑みを浮かべ、またあの  
美しい女との儚い一刻の逢瀬に、想いを馳せるのだった。  
 
 
 
 
――終――  
 
 
 

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