『その姿、今のお前なら 惚れてたかもな…』  
 
 
男は、二年前の暗黒武術会で、ある女に敗れた。  
美しい女だった。  
完膚無きまでの敗北――しかし、その女の美しさは、その女の名が示す通りの  
幻のような姿であった。  
一瞬の煌きの中で見た、その女の美しさが、目に焼きついて離れなかったが、  
所詮は一時の幻の夢。  
女の姿は、瞬く間に本来の老いたものへと変わり、男は、白んでいく意識の中でその  
儚さを思う。  
そして決勝戦の観戦にて、男は女の死を知る。  
――別に、悲しむような事ではない。  
寧ろ、喜ぶべき事であったはずだ。  
自分を破った、まして妖怪でもない人間の女。  
しかも、老いたあの女の寿命は、どう考えても後数年であろうと容易に想像出来る。  
ほんの少し、寿命が縮んだだけ、とそう考えれば別に悔やむ事ではない。  
そもそも、悲しむことも、悔やむこともありはしない筈だった。  
ただ、もう二度とあの美しい幻を見ることはないのだろうと、それだけが残念に思えた。  
武術会は、自分達のチームを破った者達の勝利で終わる。  
しかし、その数ヵ月後、人間界と魔界を揺るがす大きな出来事が起こる。  
人間界と魔界を仕切る結界が一度解かれたらしい。  
そもそも、それ自体は自分達には関係の無い話だった。  
人間界ならばまだしも、残念ながら魔界に於ける自分の力というのは、  
更に濃い瘴気の中で生きる妖怪達からすれば、虫けらのようなものだ。  
 
武術会以後、同じチームの一員として戦っていた自称・美しい魔闘家鈴木と、  
何となく行動を共にしていたが、彼らは直感で、その一連の出来事に『奴ら』が  
関わっているであろうと思ってはいた。  
魔界に於いては微々たる力しか持たぬ自分達が、野望をもって人間界へと  
降り立ったものの、それを見事に砕かれてしまった事で、  
妙に目的を殺がれたまま、腑抜けたように、ただ流れるような日々を送っていた。  
魔界の大きな勢力の流れの中では、自分達等は完全に蚊帳の外…。  
魔界に戻れば、更にその事を否が応にも実感させられる事は  
目に見えている。  
魔界に帰る意さえも見つけられず、ただ無力さに喘いでいた、  
そんな時。  
ある男に再会する。  
妖狐、蔵馬。  
黄泉の配下となっていた蔵馬に事の顛末を聞き、  
そして更にあの暗黒武術会での  
面々との再会に、彼らはこれが一つのチャンスであると考えた。  
元々鈴木は浦飯達に好意的であったし、男もいい加減今の  
腑抜けた日々にも飽き飽きしていたところだ。  
誰につくのも御免蒙るが、強くなりさえすれば、  
魔界でも名を上げる事も可能になる。  
そう思い足を踏み込むと、待っていたのはあの女だった。  
どうもあの女の元で、修行しろという事らしかった。  
正直、男はその時微かな動揺を覚えはしたが、  
動揺を仕舞い込んでその修行に身を投じた。  
 
それからの魔界は見る見る内にその様相を変えていった。  
どうやら、その流れに乗り損ねずにすんだようだ。  
とは言え、まだまだ自分達の力等は微々たるものだと、  
より一層実感したのも事実であるが、  
共に修行する奴らが増えた事で、もうあの腑抜けた  
日々を送る事はないだろう。  
そして、三年に一度の楽しみも増えた。  
強くなる為の目的が出来た事が、男には満足だった。  
ふと、思う。  
今の自分なら、あの時、あの女に負けはしなかっただろうに、と。  
最も、今の妖力では、あの時人間界へ行く事は出来なかったろうが――と、  
所詮は仮想の中の、在り得もしない無い物ねだりでしかないのだと、  
自嘲気味な笑みを漏らす。  
そもそも、この妖力を身につけることが出来たのも、あの女の修行を  
受けた結果と言えよう。  
修行を受けている間、男は決して女の『あの姿』を見る事は無かった。  
浦飯幽助に、己の霊力の全てを継承させたらしい女は、  
今では霊力を使った戦いはほとんど出来ぬらしかった。  
霊波動を最高にまで高めると、細胞が活性化して肉体が一時若返ると言う。  
女は、最早その力はほとんど失っていた。  
それが男には残念に思えたが、よくよく考えてみれば、  
自分には今更関係の無いものだと、男はそう思った。  
別に、女に不自由するわけではない。  
武術会で、彼の為のファンクラブが出来るほどに、黄色い声援が止まぬほどに、  
彼の美しい端整な顔立ちと優美な物腰で以ってすれば、  
黙っていても女は寄ってくる。  
無理に、年老いた人間の女に拘る必要などどこにも無い筈だった。  
しかし、そんな理屈は、心に湧きあがる感情には勝てない。  
 
あの刹那的な煌きの中で見た――  
あの美しさ。  
あの気高さ。  
あの儚さ。  
心の中に、男はそれをずっと仕舞い込んでいたのだ。  
あの幻に、自分は間違いなく、惚れてしまった。  
けれど――と思った。  
所詮、幻なのだ、と。  
幻に恋をしたなどと、とてもでは無いが人に話せるような事では無いし、  
自分でも馬鹿馬鹿しくて笑えてくる。  
まして、相手は人間。  
常の姿は、いつ死してもおかしくない老婆の姿。  
一体、そんな女を前に、どうすると言うのだ。  
しかし、と男は思う。  
一つだけ、手はあるのを、男は知っていた。  
巧くいけば、その女の幻の姿を、一瞬では無く、少なくとも数分――  
そんな限られた時間ではあるが、拝む事が出来るであろう事を。  
そのアイテムを持つ相方にそれを譲ってくれと言えば、彼は  
一体何に使うのだと、おそらくはしつこい程に問い詰めてくるだろうが……  
男は、苦笑しながらも、心は徐々にその方向へ向きつつある。  
今頃になって、何故、と不思議に思いはしたが、心の中に妙な胸騒ぎの  
ようなものが湧き起こるのだ。  
今そうしないと、もう二度とこの想いを遂げられぬ気がしていた。  
男には――何よりも、その後悔の方が、怖かった。  
 
 
*****  
 
 
女――と言っても、老婆である。  
かつての美しさも今は昔――そして、その身体から放つ霊力も、  
かつての強さと輝きは失われていた。  
人間の寿命は短い。  
人間として生まれた以上、それは致し方の無い事である。  
女は、湯浴み終えた後、自らの寝床へと向かう最中であった。  
床に入る前という事で、老婆はいつもの動きやすい武闘家の道着では無く、  
白い浴衣を身に纏っただけの、簡素なものだった。  
まだ寒さの沁みる二月の――盃のような三日月が美しい夜だった。  
女が襖を開け、部屋に入るや、雅な香に混じって、薄っすらと煙が  
部屋を充満していた。  
「――っ!?何だい…?これは…」  
息苦しい程の煙ではない。  
嫌味な匂いでも無く、言うなれば仄かな桜の匂い。  
部屋を見渡せば、角四隅と、湯浴み前に自分が用意していた  
布団の枕元に優美な桜模様の器が置かれ、その上にその煙の元である、  
長いお香が立て掛けられている。  
部屋に入り、それを手に取ろうとすると、後ろで妖気を感じた。  
強い、妖気だった。  
女は――それを気に止める事もなかった。  
自分に恨みを持つ妖怪など、腐るほどいる。  
そして、――覚悟はいつも出来ている。  
特に命に未練を感じる事もない。  
しかも、その妖気を放つ者が、悪意をもつものか、そうで無いかを見抜くだけの  
修羅場はくぐってきている。  
しかも、その妖気は強いが、その質は自分のよく見知った者のものだ。  
確か、今は魔界にいる筈だが…  
 
パタン――襖が閉められる。  
 
これ程の妖気を持った者に閉じ込められてしまっては、  
逃げ場がない事は明白。  
だが、女は声色一つ変えずに、言い放った。  
「――何のつもりだい。随分と、雅な事をしてくれているじゃないか。」  
「…相変わらず、気の強いばぁさんだな…」  
その声は、確かに見知った者の声。  
振り向くと、予想通りの者がそこに居た。  
端整な顔立ちで、細身の身体に、死を連想させるような真っ白な和装  
を纏った優男だった。  
「…死々若丸、かい。久しぶりじゃないか。何だか、また強くなったようだね」  
「…あんたの弟子程じゃないさ…」  
にぃ、と不敵に笑う老婆を見て、男は思う。  
その態度とは裏腹に、女は随分と弱って見えた。  
この老婆の下で修行をしていた時と、比較にならぬほどに。  
その姿に、少なからずショックを受けた自分がいる事に、  
自分自身で驚いた。  
「――しかし、こんな夜中に 一体何の用だい?  
確か魔界にいると聞いてたんだけどね。わざわざ人間界まで、こんな  
ババァを尋ねてくるとは、よっぽどの用事でもあるんだろうね?」  
老婆が、男から目を逸らしながら、その香を手に取ろうとするのを、  
男はそのほっそりとしわがれた手首を掴んで制した。  
「…それを消されては、困るな。」  
「…何のつもりだい。あたしを――」  
 
 
殺す気かい?  
 
 
老婆は、男を睨んだ。  
口ではどうのこうの言っても、今更つまらぬ復讐を実行に移すような  
妖怪では無いと思っていたのだが。  
自分の見込み違いだったのか――  
老婆は、頭にそう過ぎる。  
けれど、男の妖気には、何一つ、それらしい邪悪さは垣間見えなかった。  
男の真意が掴めない。  
「…そんな勿体無いことをする気はない。こんな、美しい女を…」  
男の歯の浮くようなその台詞に、女は目を丸くした。  
…この男は馬鹿か?と。  
一体、どんな目で見れば、こんな老婆が美しく見えるのか――と。  
じとっとした目で男を見ていたが、女は瞬く間に、男の言った意味を  
理解する事になる。  
男が掴む自分の手から皺が無くなっている事に気付く。  
それどころか、瑞々しさが戻り、その手は白く肌理細やかで、  
華奢ながらも程よい肉付きに、明らかな身体の変化に女は戸惑う。  
かつての霊力が漲り、男に掴まれていない方の手で自分の頬に触れると、  
その肌は滑らかで、張りのある、若さに満ち溢れたそれであった。  
「これは……」  
「…若返りの秘薬…とでも言っておこうか。効果はこの香が完全に  
燃え尽きるまでだがな。」  
女は、男の手を振り払い、敷布団の横に置いてある小さな鏡を手に取った。  
鏡が映し出す、強さと若さに満ち溢れていた、二十歳前後の姿。  
幽助に霊光波動拳を継承し、最後の霊力を使い切った後は、  
一度たりともこの姿になった事は無い。  
それが、こんな形で…。  
 
「…どういう事だい?どうしてこんな事を…」  
「俺はお前を殺す気も、戦う気も毛頭無い。今となっては俺が勝つに  
決まっている。…しかしお前にとって、俺が今からしようとしている事は  
死よりも苦痛かもしれんがな…」  
男は女に近付いていく。  
小柄で華奢ながら、その身から溢れる霊力の強さを考えれば、  
以前の自分ならばこうして手を出す事も、側に近寄る事さえも出来なかった  
に違いない。  
少々抵抗されたところで、今の自分ならば、さした苦労も無いだろう。  
女は、男を睨んだまま――その気の強い眼差しも、好ましかった。  
「…幻海…」  
男は、初めて女の名を呼んだ。  
名の示す通り、今宵限りの幻のような女。  
どうしても、欲しかった。  
それが、この未練を断ち切る唯一の方法であるような気がしていた。  
男は女の頬に触れ、焦がれるように女を見詰めた。  
女は、即座に男の眼差しに気付く。  
 
――自分を欲しがる、男の目。  
 
少なくとも、女はその美貌ゆえ、若かりし頃はこのような眼差しを自分に  
向けてくる男はそれなりに多かった為、今目の前の男の視線の意味に  
気付かぬ筈はなかった。  
そして、男はそのまま女の肩を強く掴み、布団の上に押し倒す。  
見上げた男の目には、情欲を湛える色と共に、切なささえもが篭っていた。  
 
「――俺はお前が欲しい。この香が尽きるまで…俺の夜伽の相手をしてもらう」  
 
女は、男の余りに翳りの無い直接的な口説き文句に、  
こんな時なのに妙に可笑しさが込み上げてきた。  
女は、妙に冷静な頭の中で、ある記憶が蘇る。  
そう言えば。  
あの戦いの後、男が気を失う寸前、この姿の自分に惚れただのなんだのと、  
言っていた様な気がする。  
この行動が、それに裏打ちされたものであるならば納得出来ない事もない。  
あれ以来、ずっとこの姿の自分に懸想していたと言うのなら、  
それはそれで哀れとも言える。  
女は、思う。  
どうせ、全盛期の霊力が戻ったところで、今のこの男の妖力に敵う筈もない。  
勿論、自分にもプライドはある。  
自分の身体のみが目当ての男に抱かれる位なら自ら死を選んだ方がマシだが、  
この男の目には、最早懇願の色さえもが混じっている。  
ましてこんな小細工を使ってまで自分を求めるこの愚か者に、それなりの  
情が湧かぬわけでもない。  
ならば…それも悪くない。  
女はそう思っていた。  
「……抵抗…しないのか…?」  
そんな女の心を知らぬ男は、あまりに抵抗も無く、悟ったような女の様子に、  
不安を覚えた。  
まさか、自ら死を選ぶつもりではないだろうか、と、嫌な想像が脳裏に浮かぶ。  
「あんたに抵抗しても無駄だろう?それにしても、あんたは女にモテそうな  
割には、女を口説くのが下手だね。もっと甘い台詞言えないのかい?」  
くすくすと笑い、からかうように女が言うと、男は逆に、女の予想外の態度に  
呆気に取られたような表情を浮かべた。  
しかし――男にとって、それは喜ぶべき事だと、次の瞬間にそう思い直した  
のだった。  
 
「…お前は、甘い台詞で動かされるような女じゃないだろう…?」  
男は、込み上げる想いを押し殺しながら、掠れるような声でそう搾り出す。  
女は、男ににこり、と艶やかな笑みを浮かべ、答える代わりに男を煽る。  
「…来な。受け入れてやるよ…。ただ、見ての通りのババァだからね。  
無茶だけはしてくれんじゃないよ?」  
男は、女の色気の無い誘い文句に、思わずくく、と喉を鳴らした。  
「…約束は、出来んぞ?随分と長い間、抑えてきたからな…」  
悪いな、と呟いて、男は女に口付ける。  
仄かな桜の香りが鼻腔を擽り、男の情欲を高めていく。  
「ん…」  
女の唇は柔らかで温かく、しっとりと湿り気を帯びていた。  
触れ合う唇は心地よく、啄ばむような口付けを幾度も繰り返す。  
夢に見た事さえもあった。  
手に入らないと思っていたからこそ、尚更に焦がれた。  
しかし、今、ひたすら望み続けた女を目の前に、男の心は渇望するばかりで。  
――足りない、足りない。――そう、もがいていた。  
もっと、欲しい。決定的な何かが。女の全て、が。  
「ふ……」  
女の悩ましげな吐息が漏れた。  
甘ったるい、まるでねだっているような、そんな声が男の耳に届く。  
その艶のある声に煽られ、男は強引に女の口内に舌を押し込む。  
「っ、んっ…ふぅ…!」  
ぬる…  
「――っ、…は…」  
男の舌が、女の舌を絡めとり、ぬめぬめとした感触に女の肩が震える。  
口付けの角度を変える度、ぴちゃ…と湿った音が漏れ、女の口端からは  
互いの混ざり合った唾液が漏れ出る。  
「っあ…」  
 
呼吸のままならなさに、苦しげに身体をよじる女の手首を掴み、  
女を逃がさぬように己の体重を掛ける。  
「―――ん…、――ッ」  
女の唇を蹂躙しながら、男は心中で、あまりに余裕の無い己を嘲笑う。  
幾ら相手が、二年間想い続けた相手とは言え、この俺が、これ程に  
我を見失うものか――と。  
「っふ、ぅ…!ン……んっ…!」  
女が苦しげに呻きながらも、口内に溜まった唾液をこくっと飲み干すと、  
男はようやく女の唇を解放する。  
とろ、と唾液の筋が糸を引いた。  
長く淫猥な口付けに、女の表情はすっかり蕩け、艶を帯び、はぁはぁと乱れた呼吸を  
幾度と無く繰り返していたが。  
「――っ、は…っ、ンっ…ちょ、っ、ま、…っ…!!」  
女の制止する声も聞かず、男は、女の白い首筋に、噛み付くように吸い付いた。  
女が、ひゅ、と喉を震わすと、男はぬるぅ…と舌を這わせ、女の顎下までを舐め上げた。  
「――っ…!」  
ぞくり、と女の身体に鳥肌が立ち、びくっと身体が強張る。  
女の目尻に溜まる、生理的な涙を舐め取り、女の頬に掌を添えて女を見詰めた。  
美しい――男は思う。  
女の瞳は潤み、頬は朱に染まり、口元からだらしなく零れる唾液の筋が、  
女の艶を更に濃くさせていた。  
女は、自分を見詰める男の視線にはっと我を取り戻し、男を睨みつける。  
「あ、んた…っ…がっつきすぎ、だ…!ちょっとは、加減、しなっ…!」  
息も絶え絶えに、男に怒りを露わにする女に、男は苦笑を漏らしながらも  
負けじと言い返してやる。  
「お前が、煽るからだ。これでも加減してやってる。それが嫌なら、  
あまり俺を煽るな…。」  
「な、何、勝手な…っ、や…!」  
 
煽るな、と言われても、女は既に身体中が熱を帯び始め、身体の自由が利かない。  
男が浴衣の隙間から自分の胸に触れようとするのを、止める力も奪われている。  
衣擦れの音と共に、肩から胸元にかけてを肌蹴させられ、  
さして大きくはないものの、確かな張りのある柔らかな乳房が露わになり、  
女は、はぁ、と悩ましげな溜め息を漏らした。  
女に芽生えた羞恥の感情が、より強く女の身体に熱を篭らせていく。  
「幻海……」  
乞うように名を呼ばれ、女はひく…っ、と身を戦慄かせる。  
男は愛しげに女の膨らみを掌で愛で、淡い突起を唇に含む。  
口付けの荒々しさとは打って変わっての、男の繊細で、  
ねっとりとしたその愛撫が、女の情欲を引き摺り出していく。  
「ぁっ…ん、っ…く…ぅ…!」  
漏れ出る甘い喘ぎを抑えようとするも、その様子は男を更に煽るばかりで、  
自分の手によって好きに形を変える女の膨らみを、男は執拗に攻める。  
輪郭をなぞる様に舌を這わすと、女はぞくぞくとした感触に、  
思いの外高い声が漏れた。  
「アッ…ん、ん…!」  
再び、男の唇が重なり、声を殺される。  
口腔内ではまた舌が絡まり、胸は何度も握り締められて、  
女は白い喉を仰け反らせ、自然に男の身体に手を絡ませて着物の裾を、  
きゅ、と強く掴んだ。  
「はっ、ぁ…!」  
唇を尚も塞がれ続け、ざらりとした舌の感触と、男の手が、  
先程からとっくに疼き始めていた下半身へと降りていく感覚に、  
女は羞恥に身悶えながら、男に身を任せる事しか出来なかった。  
「っあ…!」  
 
――くち…  
男が腰紐を緩めさえもせぬままに浴衣を開き、手探りに触れた女陰は、  
既に温かな蜜を湛え、粘った水音を響かせながら  
男の指先に確かなぬめりを絡めていく。  
「ん、ぅ、 っは…!」  
唇を離すと、男は女の快楽の源であるその部分に顔を向ける。  
「ひぁぁっ!!」  
敏感な肉芽を摘むと女はあられない鳴き声を上げた。  
泥濘に指先を差し込むと、女の自分の裾を掴む手に一層力が篭る。  
快楽に堕ちた女のしどけない姿に、男の背に、ぞくぞくとした衝動が湧き起こる。  
たまらず、身体をずらし、女の濡れそぼった女陰を覗き込むと、  
紅く熟れた襞は生々しく蠢き、艶やかな蜜を滴らせ、  
更なる刺激を求めてひくついている。  
男は満足げな笑みを浮かべ、淫靡な秘裂に舌を這わせる。  
ぬるる、と焦らすようにそこをなぞると、女はびくっと身体を震わせる。  
濡れてはいても、予想通りに狭いその部分に指を差し込むと、  
女の顔に微かに苦痛の色が混じる。  
自分にも余裕は無かったが、しばらくの間、  
男は女の身体を慣らす愛撫に没頭する。  
「ふっ、あぅ、ア…ぁ…!」  
舌と指先で、女陰を弄りながら、男はぼんやりと思った。  
――この女は、今一体何を考えて、俺に抱かれているのか――と。  
男は、女を抱くと決めた瞬間から、覚悟をしていた。  
女が抵抗するならば、己を拒むならば、少々の手荒さは仕方がない、と。  
けれど、目の前の女はこれ程に、自分を、快楽を享受している。  
単なる気まぐれか――少なくとも、自分が女を想うのと同等の感情を  
女が持っているとは思えないが――もしくは、このような手を使ってまで  
女を求めようとした自分に対する、哀れみなのか。  
それとも――自分以外の男の事を考えてでもいるのか…。  
 
そこまで考えたところで、男は自らの胸の内に、妙な虚しさが  
すぅ、と湧き上がってくるのを感じていた。  
身体の熱と裏腹に、心が冷めていく感覚――  
身体だけでも交われば、満たされると思っていたのに。  
そうすれば、忘れられると思っていたのに。  
こんなにも、虚しい想いを、果たして忘れる事が出来るのだろうか――  
そんな想いが、男に過ぎった、その時。  
「何、…考えてんだい……随分と…余裕じゃないか…」  
女の、切れ切れの、しかし僅かに怒りを孕んだ科白に、男は  
はっと顔を上げて女を見る。  
「幻海…――ぅっ!?」  
不意に、ぐ、と胸倉をつかまれ、男は咄嗟に体勢を崩して女の身体の上に  
圧し掛かり、唇が後少しで触れ合う位にまで互いの顔が近付く。  
薄く笑みを浮かべながらも、自分を見るその目には軽く凄みの色が混じっていた。  
棘のある口調で、皮肉たっぷりに男を問い詰める。  
「ったく…、人ばっかり…好き放題にしておきながら…、あんたは  
悠長に考え事かい…?ふざけんじゃないよ…!」  
「あ…いや、別に、俺は…」  
痛いところをつかれ、流石に男もそれにはたじろいだ。  
こうも女に見透かされては言い訳の仕様もない。  
「言い訳すんじゃないよ。余裕もないくせに、さっさとしないから余計な事  
考えるんだ。――ほら、とっとと入れな。あたしが欲しいんじゃなかったのかい?」  
「――っ!?な、いや、でも、お前…」  
女の其処は、確かに濡れてはいても、とてもでは無いがまだ  
男を受け入れるには早すぎる。  
自分はともかくも、女にとっては苦痛以外の何者でも無い筈だが…  
「あたしがいいって言ってんだ、さっさとしな。あたしがばぁさんの姿に戻っても  
いいのかい?あたしは御免だよ。」  
「…しかし…」  
未だ何かに拘り、しぶる男の頬に、女はそっと触れた。  
そして、今までに無く優しい眼差しで、男を見詰める。  
 
「年寄りの言う事は聞くもんだよ……あんたはまだ若い。  
あたしは、こんな馬鹿な真似までしてあたしを欲しいと言ったあんたに  
だから、大人しく抱かれてやってんだ。あんたは…その若さのままに、  
ただあたしを素直に抱きゃいいんだ。……全部、受け止めてやるから…」  
美しく――甘い笑みを浮かべながら、女は男にそう告げた。  
男は、その言葉が胸に染みていくと同時に、思った。  
 
――いい女だ、と。  
今後、これ程の女に、自分は果たして巡り会う事があるのだろうか、と。  
 
男は、女の誘いに、これ以上抗う事はせず、己の着物を肌蹴け、  
艶やかな蜜をたたえた秘裂に、自身の先端をぬる、と擦りつけながら、  
女に呼びかける。  
「幻海……」  
女は、自らの女陰に触れる男の熱に、感覚に、はぁ、と悩ましげな溜め息を  
漏らしながら、こくん、と頷く。  
挑発するような、笑みを湛えながら――  
 
ほっそりとした腰を抱え、男は女の秘裂に、勢いのままに、固く尖った陽物を  
突き入れた。  
「――あ――っっ!!」  
女にしてみれば、挿入られた、というよりも、突き刺されたような痛みだった。  
それ程に、男自身は硬く、大きく、熱く――  
苦痛に微かに眉を歪める女の瞳から、生理的な涙が零れるのに男は気付いたが、  
男は敢えてそれを見て見ぬふりをして、女を揺らし続けた。  
快感が、背を這い上がってくる。  
 
そのあまりのきつさに、気を抜けば全てを吐き出してしまいそうだ。  
狭い女の中を押し広げるように、ぐっ、ぐっ、と突き入れたものを  
角度を変えながら動かし、更に奥へと押し込んでいく。  
その度に、女の身体は反射的に弓なりに仰け反る。  
じわじわと込み上げてくる快楽を、女の柔襞が記憶するのにそう時間は掛からなかった。  
「あっ、ああっ…ア、死々若っ…丸…っ、ん、ぁ…!」  
熱に浮かされたように、女は男の名を呼ぶ。  
男は、情事が始まって以来初めて己の名を呼ばれた事に、  
この上無い充足感が湧き起こる。  
自分という存在が、確かにこの女の中で生きている事に安堵し、  
男も軽く息を弾ませて、女の名を呼んだ。  
「幻、海っ……っ…」  
愛しさを込めて、女の掌に己の手を重ね合わせる。  
一突き、一突きを、女の子宮の奥にまで届きそうな挿入の深さに、  
身を揺すってずり上がる女の腰を引き寄せ、更にその先を男は目指す。  
女の方も、男に与えられる快楽に、気が付けば幾度と無く男の名を呼んでいた。  
冬のひいやりとした空気に反して、互いの熱はあまりに熱く、  
男の全てを呑み込んだ女陰は鮮やかに濡れ光る肉の色を呈してうごめき、  
繰り返し突けば、いつの間にか糸を引いて、透明な蜜を滴らせていた。  
胸元と、すらりと伸びた足と、その男を咥え込む秘所だけを晒された  
女の姿は、全裸に剥がれるよりも、ずっと淫らに見えた。  
男の欲を煽る女の淫靡な姿は、男の本性を剥き出しにする。  
「し、っ…死々…わか、っぁ…あ、ア、あァ…っ」  
女は肺までも震わすような喘ぎを漏らし、霞む意識を必死に繋ぎ止める為に、  
男の背にしがみついた。  
 
男は女の背を抱いて、己の存在を刻み付けてやるかのように、ゆっくりと引き抜いて、  
またにゅるる、と根元までを突き入れた。  
「あっ…あ……ああ…!」  
下から突き入った男のものに蜜を伝わせて、清潔なシーツを汚す。  
先端で最奥を一際強く突かれると、女はひきつけを起こしたように身体を戦慄かせ、  
男の背にきつく爪を食い込ませ、男に絶頂を伝えてくる。  
「あっ…死々若丸――あぁぁぁぁっ…!」  
「っ、く…幻、海…っ…――!!」  
 
男もまた、女の誘いに抗わず、その熱を女の中に全て吐き出し、  
その想いをようやく遂げたのだった。  
 
冬という季節には似つかわしくない、桜の香に包まれながら――  
 
 
*****  
 
 
「雪、かい?」  
「…ああ…雪、だな…」  
ちらほらと、白い結晶が夜闇を不思議に明るく照らし出す。  
男は乱れた着物を直し、襖を開けるとその冷たさが身に沁みていく。  
熱が―― 一気に冷めていくような物悲しさに襲われた。  
女は気だるそうに身を起こし、同じく乱れた浴衣を整える。  
何を話すことも無い。  
今宵限りの、幻の女を前に、何を話す事があるだろうか。  
女とて、自分を愛しているわけではないのだ。  
情交後の甘いまどろみなど、元より期待しているわけではない。  
ただ、それでも――もう少しだけ、ここに居たかった。  
一度でも抱けば、その想いを遂げれば、未練など無くなると、  
そう思っていたのに。  
 
――甘かった、な…。  
 
そう、男は苦笑した。  
女は、そんな男の心を知ってか知らずか、枕元にある香をちらりと見やる。  
もう、ほとんど残っていない。  
部屋の四隅に仕掛けられたそれもまた同様である。  
後数分もすれば、全て燃え尽き、灰と化してしまうであろう事は明白だった。  
…その時は…この偽りの若さもまた、燃え尽きる時。  
女は、憂いを込めた笑みを浮かべ、――そしてまた、何かを覚悟したように、  
常の気の強い声で、男に声を掛けた。  
「まったく、しけた面すんじゃないよ。これで満足したんだろ、あんたは。  
さっさと魔界に帰んな。あたしも、もうじきばぁさんの姿に戻るんだ。  
色事の後に、そんなあたしの姿なんて見たくないだろう?」  
からからと笑いながら言うと、男は、女を真摯に見詰めながら、言う。  
「別に……お前があの姿に戻ろうと、俺は…」  
それは、男の本心だった。  
身体を交えた事実が消えるわけでもない。  
どちらの女も、『幻海』である事に違いはないのだ。  
ただ、何となくまだ、この場に居たい、と、それだけの想いだった。  
しかし、女は、そんな男に叱咤するように声を張り上げる。  
「本当馬鹿だねあんたは!!あんたがよくても、あたしが嫌なんだよ。  
本当モテそうなわりに、女心ってのがわかんない男だね、全く。  
女ってのは、こういう事があった後は、男の前では綺麗でいたいもんなのさ。  
それ位察しな!」  
女にそう凄まれ、男ははぁ、と溜め息一つの後、重い腰を上げて、部屋を出ようとする。  
仕方あるまい。  
元々、時間は限られていたのだから。  
襖を開けようと手を掛けると、女が後ろから声を掛けてきた。  
打って変わって、優しい――切なさを帯びた声色で。  
 
「あんた達はさ…あたしと違って、これから先気の遠くなるような時間を生きるんだ。  
あたしなんかのところで、燻ってちゃいけないよ。全部、忘れな。  
全ては、幻の夢なんだから……いいね?」  
にこりと、寂しそうに微笑んだ女の顔が、男の胸に、深く、深く影を落とした。  
男は、ふいに思った。  
否、思い出したのだ。  
ああ、この妙な胸騒ぎの正体は――これであったのだと。  
 
男は、女に答える事無く――踵を返し、雪降る寒空の中、女の元を立ち去った。  
女の最後の言葉に、決して約束など出来るわけがなかった。  
全てを忘れる等――出来る筈も、ないのだから…。  
 
 
 
――この想いは決して…幻などでは、無かった。  
 
 
 
男が妖狐に女の死を聞いたのは、それから僅か一ヵ月後の事だった。  
 
 
 
 
 
 
  ――終――  
 
 
 
 

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